2015年1月25日日曜日

Romain Duris主演映画「ロシアン・ドールズ」(原題Les Poupées russes, The Russian Dolls)を観ました。

スパニッシュ・アパートメントの5年後、30歳になった主人公Xavierは新進小説家としての地位を築きつつあるが...「理想の恋人」はいつ現れるのか?


若者とは、何歳くらいまでの人々を言うのでしょうか。あるいは、人はいつまで若者でいられるのでしょうか。この映画はそれを私たちに問いかけています。

30歳近くになって自分にこの問いかけをできないようでは、十年などあっという間です。

少しでも良い生き方、良い人生を切り開くべく、若いうちから悪戦苦闘した人は社会的に成功していくことが多い。

実際には、人生をより良い方向に切りひらけたと思っていても、思わぬ落とし穴が待っていたりするものですが。「良い人生」という言葉の定義が、簡単なようで難しい。

社会運動家となった元恋人Martineには、3歳くらいの男の子が生まれていた


Xavierは小説家としての地位を徐々に固めつつあるのですが、生活費を稼ぐためにはテレビドラマの脚本や、他人の自叙伝などあまり望んでいない仕事もやらねばならない。

Xavierは次から次へと恋人を変える暮らしを続けています。元恋人Martine(Audrey Tautou)には3歳くらいの男の子がいるので、Xavierと前作の最後で別れてから1.2年後に産んでいるのでしょう。

Martineはいつのまにか、Globalizationに反対する社会運動家になっています。MartineがXavierに罵詈雑言を浴びせる場面があります。

Martineから見れば、Xavierの書いている小説は愛や恋のような些細なことに終始していて、重大な社会問題を扱っていないから社会的意義がない。

我々は公害、暴力、不正と戦うべきだとMartineは力説します。

MartineにはXavierがつまらない人間に見えてきてしまったのです

Martineは自分の不在中に息子の面倒をみてくれたXavierに、「寄生虫」(Parasite)という酷い言葉を浴びせてしまいます。

小理屈をこねるMartineは、実は堅実な生き方


何がGlobalization反対だ、自分の子供の世話もまともに出来ないくせに!というXavierの元恋人に対する不満は最もですが、そういうXavierには子供がいません。

60数歳で定年となってしまう人生のサイクルを考えると、30歳ならもう子供が一人くらいいるか、いなくても今後の人生計画を考えねばならない。

小理屈をこねるMartineは男性(男の子の父親)と別れたが、子供を育てていないXavierより、実は堅実な生き方をしているのかもしれない。

このあたりにも映画作者のメッセージがあるのでしょう。

Xavierと旧友Wendyの関係進展は意外-WendyはXavierの不完全さに惹かれた


Xavierの旧友、英国女性Wendyとの再会後の関係進展は意外でした。前作でも意気投合していましたが、恋愛感情は描かれていなかった。

WendyはXavierの不完全さ、欠点に悩む姿に自分は惹かれたと告白します。そういう女性もいるでしょうけれど、そういうタイプの女性ならWendyのように男性歴を重ねないのではと思いました。

Wendyの弟はロシアのバレリーナに恋をし、サンクトペテルブルグまで出かけます。

前作で単なるやんちゃ坊主のようだったWendyの弟は、随分成長しました。

バレリーナの心を射止めるため、ロシア語を一生懸命勉強するのですから。

ロシアのバレリーナ、ナターシャが細身でとても可愛らしい。

XavierとWendyの関係は、前作を見ていないと理解しにくいでしょう。

30歳になり、もう若くない自分は一体どう生きるべきかと悩んでいるXavierの姿が共感を呼びます。

30歳をとうの昔に過ぎた私には自分の30歳の頃が思い出されてきました。

30歳ならまだまだ若いのですが、ぼんやりしているとすぐに40歳になってしまう。それを30代の皆さんに知っていただきたいものです。

2015年1月23日金曜日

NHKドラマ「ザ・商社」(山崎努主演、ヒロインは故夏目雅子で昭和55年製作。昭和52年の安宅産業倒産をドラマ化)をまた観ました。

片岡仁左衛門(13世)、茂山千五郎(12世。狂言師)が脇を固めた。原作は松本清張「空の城」


歴史を紐解くと、美しい敗者の存在に気づきます。

命運をかけた合戦で無残に敗れ去り、戦場の露と消えていった武将は数知れません。

武田勝頼、明智光秀、石田三成、真田幸村ら敗者は、歴史のその時点では世人の蔑みの対象になっていたかもしれません。しかし徳川家康なら、彼らの滅び方から大いに学んだはずです。

志のある人は皆、見果てぬ夢を追っています。それがどうしても実現できないとわかったとき、歴史の中の敗者の美しさに改めて気づきます。敗者から多くを学べるのです。

ビジネスマンの世界では一寸先は闇


激しい企業間競争の中で生きている現代のビジネスマンは、商戦に敗れても首そのものを取られるわけではありません。しかし所属企業が倒産すれば解雇すなわち「首」となってしまいます。

解雇されたビジネスマンはその時点では世人の蔑みの対象かもしれません。他人への蔑みは自分の傲慢さを助長し、墓穴を掘ることになりかねません。

その企業の倒産の過程を様々な角度から考えれば、新たな物事が見えてきます。

どの時点での、どの経営者の判断で損失が膨らみ、倒産に至ったのか。経営者はなぜ間違った判断をしたのか。

その経営判断に反対した役員はいなかったのか。いたのなら、反対した役員の対案はどうだったのか。反対した役員が一人もいなかったのなら、皆がイエスマンだったのか。

それならば企業の統治方式がおかしくなっていたのではないか。検討課題は山積しています。

私たちは倒産した企業のビジネスマンたちの生き様を観察し、そこから学べます。

大阪の老舗総合商社、安宅産業はなぜ倒産したのか


松本清張原作のこのドラマは、江坂産業の倒産劇を描いていますが、これは大阪の総合商社安宅産業をモデルにしています。

私がこのドラマを初めて見たのはテレビで放映された昭和55年でした。

山崎努演じる上杉二郎が、英語を自在に操りレバノンからの移民商人サッシンとやり合う姿が強く印象に残りました。

20歳にもなっていなかった私は国際的に活躍するビジネスマンの姿に憧れたのです。

「第三抵当権」という言葉の意味がわからなかったので、当時は大枠でしかわかりませんでした。

狡猾なサッシンに上杉は騙された


50代の私が今見ると、上杉二郎はサッシンにまんまと騙されたとしか思えない。

レバノン移民サッシンなら、石油危機の予測は無理でも、アラブ諸国が原油を戦略物資とする可能性はあるくらいの予想はしていたでしょう。

中東で戦火が勃発すれば原油市場は大きく揺れ動くから、自分に損失が降りかからないように江坂産業を使ったのではないでしょうか。

上杉がサッシンを信頼してしまったのが過ちの始まりと思えます。江坂産業は製油所の代理店になるべくサッシンに4200万ドルを無担保で融資してしまいます。

製油所の経営が思わしくないことがわかってから三番目の抵当権の取得を、第一および第二抵当権者に打診しますが、取得できるはずもない。

第一抵当権者、第二抵当権者からみれば債権の取り分を江坂に無料で渡すようなものです。

石油危機が生じなければニューファンドランドの製油所建設は成功していたはずだと石油業界紙記者が叫ぶシーンがあります。

そうでしょうか。製油所が成功していれば、狡猾なサッシンはまた別の条件を江坂に提示し、受け入れなければ手をひけと脅かしたのではないでしょうか。

三十数年の齢を経た私から見れば、上杉はさほど優秀な商社マンとは思えません。

現実の安宅産業がこれほど単純にレバノン移民商人に騙されてしまったのなら、総合商社間の厳しい競争にいずれは敗北し消え去る運命だったでしょう。

これは、80年代以降の商社が直面した経営環境の厳しさを結果として知ったから言えることですが。

上杉の無念さが伝わってくるラストシーンは、精一杯戦って敗れ去った戦国武将たちを思い起こさせます。

片岡仁左衛門(13世)と茂山千五郎(12世、狂言師)が心に残る名演技-発声法が異なる―


このドラマの主人公は上杉二郎です。山崎努の代表作と言えます。脇役を名優が勢ぞろいして固め、それぞれの人生が描き出されていることも大きな魅力です。

江坂産業の社主を演じた片岡仁左衛門(13世)の笑い方、台詞のしゃべり方が醸し出す存在感は忘れられません。現実の安宅英一もこのような人物だったのかもしれないと思わせます。

つい最近まで知らなかったのですが、江坂産業の会長を演じた俳優茂山千五郎が有名な狂言師でした。この人は独特の発声法を習得していたのでしょう。

少し高い声と、好々爺のような表情が印象的でした。

ドラマ放映の僅か五年後に世を去る夏目雅子


それにしても、残念なのはヒロインのピアニストを演じた故夏目雅子です。

夏目雅子の演技、台詞の言い回しはさほどうまいとは思えませんが、何人もの名優の中、必死に演じたのではないでしょうか。自信に満ちた、勝ち誇った表情がとても魅力的です。

夏目雅子はこのドラマの5年くらい後に白血病で世を去ってしまいます。

御本人も御家族もどれだけ無念だったでしょう。

美人薄命を絵に描いたような方でした。夏目雅子は大河ドラマで淀君を演じましたが、お市の方も演じてほしかった。夏目雅子が演じる敗者の美しさは形容しきれない。

夏目雅子の運命も、神が振ったサイコロの結果なのでしょうか。

2015年1月14日水曜日

遠藤周作はルイ16世をどうとらえたか-「やさしい男」「平凡人なりの優しさ」(「よく学び、よく遊び」集英社文庫, p199-203)

たしかに彼はルイ14世のように英邁でもなければ英雄でもなかった。一人の平凡な男だった。しかし、歴史はこの平凡な男を王家に生まれさせ、革命の渦中に放りこんだのである(同書p201)。



作家の人間観察眼は、歴史家のそれと大きく異なります。歴史家は文献史料を何より重視します。歴史上のある人物が歴史に残した業績を主に文献史料により判断します。

人物評価をするときも、その業績、その人物の書き残した日記や手紙、周囲の人物によるその人物の評価が書かれた文献史料から判断します。主観をできるだけ排します。

歴史家から見れば、ルイ16世は無能で愚鈍な人物としか言いようがない。

バスティーユ牢獄が市民により攻撃された日のルイ16世の日記には、「書くことなし」(Rien ne
écrire)とだけ書いてあったというのは有名な話です。

ルイ16世は飢えにより王侯貴族に激しい反感を持つようになっていったパリ市民の動向を全くと言っていいほど、把握していなかった。

歴史に忠実であろうとする伝記作家は、概ねルイ16世を愚鈍な人物と描いています。


歴史家、伝記作家と小説家の違い―歴史上の人物の心の動きに焦点をあてる



しかし、歴史を叙述するとき、歴史上の人物の心の動きに着目して歴史を把握し描写する手法もありえるはずです。ここに小説家の出番があると遠藤周作は考えていたのではないでしょうか。

歴史上の人物の心の動きなど、史料により検証、確認することなど殆ど不可能ですから、作家が想像をめぐらせるしかない。

心の動きに関する想像など史実ではない、それは検証できないと歴史家はいうかもしれませんが、作家の想像を反証することもできない。

勿論、作家が描き出す歴史上の人物像が史実と根本的に異なっていたら完全なfictionになってしまいます。

どこぞの作家がルイ16世を軍才の溢れる皇帝と描いたら奇妙な事この上ないですが、ルイ16世の愚鈍さを別の視点、彼の心の動きから把握すれば、それもありうる史実です。

人の心は常に揺れ動く。誰でも、心の中ではあらゆることを呟いている。ルイ16世の愚鈍さの中に、遠藤周作は善良さと心の優しさを見出します。

遠藤周作はルイ16世を「さらば夏の光よ」の野呂や、「深い河」の大津のような人物と見たのではないでしょうか。

心の動きを史料から解釈し典型化するという手法は、経済学者が現実をデータで把握し、数式により模型化する手法と共通するものがあります。

どちらも、史実と現実に対する重要な接近法です。


ルイ16世も激動のフランス革命で変貌した―最後まで見せた優しさ



フランス革命の激動の中、マリー・アントワネットが大きく変貌していったことはツヴァイクの伝記などによりよく知られていますが、ルイ16世もそうだったと遠藤は語ります。

バスティーユが市民に占領され、市民軍が創設されたとき多くの貴族はヴェルサイユ宮殿から逃亡しましたが、ルイ16世は先祖伝来の宮殿にふみとどまりました。

ルイ16世はパリに赴き、市民代表と会って何とか妥協点を見つけようとしました。ルイ16世のはかない努力で革命の歯車が止められるはずもありません。

タンプル塔に幽閉され、裁判で処刑されることになってしまいます。ルイ16世は遺書でアントワネットに次のように書き残しました。

「自分が彼女に与えた不幸を許してほしい。自分もまた妻に何の含むことはない」。


「なんの含むことはない」という記述から遠藤は、ルイ16世が妻アントワネットが必ずしも良妻でなかったこと、ある種の精神的裏切りをやったことを思い出しながら書いたと解釈します。

平凡人ルイ16世はその優しさ故に当時の人々だけでなく伝記作者にも馬鹿にされますが、遠藤はそんな彼が哀れでならず最後に見せた優しさに心惹かれます。

ここに、作家遠藤の人間観察眼が発揮されています。

悲劇的な最期により祖国フランスに不朽の貢献をしたルイ16世一家


遠藤によれば、ルイ16世は自分で上着を脱ぎ、ネクタイをはずし、「驚くべき冷静さと気丈さ」でギロチン台にのぼりました。国王にふさわしい最期を遂げようと思ったのでしょうか。

ルイ16世一家の悲劇的な結末が文学や映画、絵画を通じて後世に残した影響ははかりしれません。祖父の「太陽王」ルイ14世より、日本ではルイ16世一家のほうが遥かに知られています。

悲劇的な死に方により、ルイ16世一家は祖国フランスに不朽の貢献をしたのです。
自分はどう生きるべきかという問いかけは常に必要ですが、死に方も大事なのでしょう。

遠藤周作は若い頃から、死に方に思いをめぐらせる作家でした。






2015年1月12日月曜日

J.H. クラウセン(Johann Hinrich Claussen)「キリスト教のとても大切な101の質問」(創元社、原題Die 101 wichtigsten Fragen Christentum)より思う。

イエスはキリスト教徒ではなく、ユダヤ教徒です。(中略)大勢いたユダヤ教徒の改革者の一人がイエスだったわけです(同書p66-67より抜粋)-


筆者によれば、本書は一般教養としてキリスト教に関する情報を得たいと思う人、世界におけるキリスト教の現況を把握したい人に向けて書かれました。

私もそういう一人ですから、本書は読みやすかったです。一般教養としてのキリスト教に関する情報は西洋社会を理解するためにも必要です。

本書による聖書解釈は、柔軟かつ現実的です。聖書はその大部分が千年近くにわたってゆっくりと人目につかず形成されていった共同作品です(p17)。

聖書は何世代もの間、口承により伝えられた伝説です。古代人からの口承伝説に現代人は敬意をもって接するべきです。

最初のキリスト教徒は使徒パウロ


イエスはキリスト教徒ではなくユダヤ教徒である、という見解は、少し考えてみれば当然のことです。イエスは大勢いたユダヤ教の改革者の一人だったのです。

本書によれば、使徒パウロがイスラエルの宗教的戒律を乗り越えたと表明し、キリスト崇拝をその代わりとしたとき、ユダヤ教から明白に分離しました。最初のキリスト教徒はパウロです。

101の質問のうち、私が共感できた筆者の回答と私の感想を書き留めます。

18. 神は存在するのですか


→神のことを「ある」ということはできません。神は人間の物体意識の対象物ではありません。(中略)。神に関しては、自分自身の生き方との関連のみで語ることができます。

神の存在とは事実上の真理ではなく、実存上の真理なのですと筆者は語っています(p45)。

この考え方は、遠藤周作の「神とは自分の中にある働きである」(「私にとって神とは」p28)と通ずるものを持っています。

遠藤は神を、自分自身の生き方との関連で捉えることを主張していました。神の存在とは実存上の真理であるという考え方なら、多くの人が共感できるのではないでしょうか。

22. 神は悪意を持っていますか。


→神は人を創り、それとともに善と悪を区別する自由の意思を与えたのです。その限りでは神はみずからの全能を放棄したのです。

そして人間が神の本来の意図に反して悪を選びとり、実行することにも耐えている。神は耐えるだけでなく苦しんでもいます。

人間が悪行を重ねるとき、神は苦しんでいるのでしょうか。大宇宙を見渡せるような存在がちっぽけな人類のことをどれだけ気にかけているのだろうと私には思えてしまいます。

私のこんな問いかけに、おそらく筆者は次のように答えるのでしょう。

「キリスト教の神は、素晴らしい天国の広間に平然と君臨する、全能の、宇宙の王者ではありません。神はその被造物が苦しむところにいます。

イエスの復活物語は、神の力がその弱さの中にあり、遂には神の善があらゆる悪に打ち克つことを伝えています」(本書p52)。

そうなのでしょうか。

全能の神はなぜ悪に対して沈黙しているのか


神はなぜ悪に対して沈黙しているのか。本書は率直に次のように述べています。

「これほどの不正がはびこるのを神の正義はなぜ放置するのかという謎が,キリスト教によって解かれるわけでもありません。

キリスト教の使命は、この疑問から更に他の疑問へと強化することにあるのかもしれないのです」。

大宇宙を創成した神が人類の行う所業にいちいち干渉してくるのでしょうか?偶然によりとんでもなく不幸な境遇になってしまう人はいくらでもいます。

キリスト教の歴史の中で、弾圧され殉教した信者は数知れない。聖人でも、実にあっけない、偶然により悲惨な死を迎えてしまったので記録に残せなかった場合もあったのでしょう。

聖人がなぜあっけなく死んでいくのか。遠藤周作によれば、この問いかけにより聖人の弟子たちの心が試されていきました。

聖人はその死に方によっても、人々に然るべき影響を及ぼすのかもしれません。

キリスト教会による「異端」弾圧、「魔女」狩りはなぜ起きたのか-北朝鮮、中国と同様か-


中世にはキリスト教会が権力そのものとなり、「異端」を弾圧する側に回ったこともありました。

これらはなぜおきたのか?現代だろうと中世であろうと、悪行を犯した人の心の有様、動きを私たちが考え、解釈を与えていくべきなのでしょう。

戦国時代、日本に来た宣教師は織田信長による比叡山焼き討ちを喜んでいたそうです。焼き討ちを断行したのは織田信長ですが、大量殺戮をキリスト教徒は喜ぶのでしょうか。

当時のイエズス会にとって異教徒は滅びるべきという考え方だったのでしょうか。

悪行の定義が、時代と社会により異なってくることに留意すべきです。

北朝鮮社会では、日本人や韓国人を武装工作員が拉致してくることは崇高な任務の遂行であり、賞賛されるべきことです。

私には、北朝鮮の最高幹部の心の奥底には悪魔が住みついてしまっているように思えます。最高幹部は金日成や金正日がとく「主体革命偉業」など、本音では信じていないでしょう。

金正恩に忠誠を近い、金正恩を支えれば自分の利益になるから、次から次へと朝鮮労働党最高幹部は残虐、凶悪行為を実行しているだけです。中国共産党も同様です。

暴力団の幹部と中国共産党、朝鮮労働党の最高幹部は良く似た思考方式を持っています。

中世のきリスト教会の価値観、世界観では「異端」を悪魔とみなし、火炙りなど残虐な刑に処して再生不可能にすることが善行だったのかもしれません。

北朝鮮では「民族反逆者」、中国では「祖国分離主義者」を政治犯収容所、労働改造所などに連行し過酷な囚人労働をさせることが善行であるとされています。

中世のキリスト教会には、現代の中国共産党、朝鮮労働党と似た思考方式があったのかもしれません。

2015年1月9日金曜日

北朝鮮の刑法についてのメモー北朝鮮の刑法は他国において北朝鮮に反対、北朝鮮の公民を侵害した他国の者にも適用すると明記している(朝鮮民主主義人民共和国主要法令集、在日本朝鮮人人権協会編訳より抜粋)―

第一章 刑法の基本 第八条③他国において、朝鮮民主主義人民共和国に反対したり、共和国公民を侵害した他国の者にも本法を適用する。


さすがにテロ国家ですね。北朝鮮の刑法は、他国に居住している他国の者、すなわち普通の日本人や米国や欧州その他世界中の人間に適用されるそうです。

別言すれば、北朝鮮は「在日特権」を刑法で主張しているのです。北朝鮮の刑法が日本でも適用されると明言しているのですから。

これは上述のように北朝鮮の刑法第八条の③に明記されています。

左翼の宣伝を信じて日米安全保障条約を破棄し、軍事費を大幅削減すれば朝鮮人民軍が侵攻してくる


勿論北朝鮮の領域外では、朝鮮人民軍や国家安全保衛部が国境を侵して侵攻してこない限り、北朝鮮の刑法に実効性はありません。

「アジアの平和のために軍縮をしよう」「軍事同盟はもう古い。日米同盟を解体しよう」という類の左翼宣伝を信じて日米安全保障条約を破棄し、軍事費を大幅削減したらどうなるでしょうか。

朝鮮人民軍や国家安全保衛部、武装工作員が潜水艦や工作船で大挙して日本国内に侵入し、北朝鮮の刑法を日本に適用させようとしてもおかしくない。

北朝鮮の刑法は日本国内でも適用されると明記しているのですから。朝鮮人民軍兵士としては、日本侵攻は共和国の法に基づいた崇高な任務の遂行であり、「全世界の自主化」です。

以下、北朝鮮の刑法のうち、テロ国家北朝鮮の特徴をよく表していると考えられる条項を抜粋して紹介します。

「祖国反逆罪」「朝鮮民族解放運動弾圧罪」と「朝鮮民族敵対罪」


第62条から66条は「祖国反逆罪」を定めています。第63条は次です。

「共和国国民でない者が我が国への偵察を目的に秘密を探知、収集、提供した場合には、5年以上10年以下の労働教化刑に処する。情状が重い場合には、10年以上の労働教化刑に処する。」

「朝鮮民族解放運動弾圧罪」を定めている第68条は次です。

「他国の者が朝鮮民族の民族解放運動と祖国統一のための闘争を弾圧した場合には、5年以上10年以下の労働教化刑に処する。情状が重い場合には、10年以上の労働教化刑に処する」。

「朝鮮民族敵対罪」を定めている第69条は次です。

「他国の人が朝鮮民族を敵対視する目的で海外に常駐したり滞留する朝鮮人の人身、財産を侵害したり、民族的不和を引き起こした場合には、5年以上10年以下の労働教化刑に処する。情状が重い場合には、10年以上の労働教化刑に処する」。

北朝鮮との「粘り強い対話」「日朝交渉を継続させよう」を主張する政治家は北朝鮮の刑法を無視している


在日本朝鮮人総連合会を批判している私など、北朝鮮の刑法第69条「朝鮮民族敵対罪」により10年以上の労働教化刑に処されてしまいそうです。

「粘り強く北朝鮮と対話をして日朝交渉を継続させよう」を主張する政治家、左翼知識人は、北朝鮮の刑法が日本国内でも適用されると刑法に明記されているのを御存知なのでしょうか。

左翼知識人は、北朝鮮の公式文献を読んで北朝鮮の現状を把握することすらできないのです。

社会主義建設の夢を抱いて帰国した元在日朝鮮人が「首領冒涜罪」で政治犯収容所に連行された


在日本朝鮮人総連合会の幹部で北朝鮮に帰国した方々の中には、刑法第67条の「民族反逆罪」らしき「罪」で労働教化刑とやらに処されてしまい、行方不明になってしまった方々が沢山います。

その方々の中には裁判すらなしに政治犯収容所に連行されてしまった方々もいます。これは刑法に記述のない「首領冒涜罪」を適用されてしまったのかもしれません。

刑法に「首領冒涜罪」の規定がないのは不気味です。北朝鮮当局はこれを隠蔽したいのでしょう。

金日成、金正日の女性・家族関係を噂にすると「首領冒涜罪」にされてしまうようです。金日成の愛娘で金正日の妹金敬姫の動向を噂にしても厄介なことになりそうです。

「首領冒涜罪」「祖国反逆罪」と金日成、金正日の女性・家族関係について、左翼の皆さんは日頃昵懇にしている在日本朝鮮人総連合会の皆さんに問い合わせられたらいかがでしょうか。

「朝鮮民族敵対罪」が日本国内でも適用されるという「在日特権」を北朝鮮が主張していることもお忘れなく。

2015年1月8日木曜日

三浦綾子「イエス・キリストの生涯」(講談社文庫)から思う

三浦綾子「イエスを拝んだのは、イエスが神の子であったからだ」「もし、イエスが単に人の子であるとすれば、キリスト教は崩壊する」「もしイエスがキリストでなければ、迫害に耐え、殉教した信者たちは滑稽な道化師ということになる」(前掲書p14-15より抜粋)-


宇宙はどうやってできたのでしょうか。宇宙がない時には空間もないのでしょうか?ではなぜ無から宇宙が生まれてきたのでしょうか。

宇宙物理学者なら宇宙の始まりを説明できるのでしょうが、宇宙が無から生まれてくる理由を説明するのは難しいのではないでしょうか。

こんなふうに考えると、大宇宙を創生した神がいても良さそうに思えてきてしまいます。

三浦綾子の問いかけ―「あなたはイエスを神の子キリストと崇めるか、崇めないか」


しかし、大宇宙を創生した神がイエスとして人類のいる地球に現れることがありうるのでしょうか?三浦綾子は現れたと確信していたのでしょう。三浦綾子は私たちに問いかけます。

「あなたはイエスを神の子キリストと崇めるか、崇めないか。これこそは、私たち人類にとって最大の問題なのだ」。

三浦綾子は聖書に記されている物語や奇跡を全て真実と信じていたのでしょう。

聖書に、イエスがラザロという死後4日経った人を蘇生させたという記述があるそうです。

三浦綾子はイエスが行ったという数々の奇跡を信じていました。

イエスは盲人の目をあけ、足腰が立たぬ者を立たせ、癩病を癒し、中風の者を立ち上がらせたそうです。私はどうしても、これらの奇跡物語を信じられない。

私はキリスト教の文献を読んでいるわけではないのですが、三浦綾子の説くキリスト教には違和感を禁じえません。遠藤周作が説いた基督教と大きく異なっています。

「もしイエスがキリストでなければ、迫害に耐え、殉教した信者たちは、滑稽な道化師ということになる。キリスト教文学も、キリスト教音楽も、キリスト教美術も、その立ちどころを失って亡ぶ」(同書p15)


敬虔なキリスト教信者であれば、こうした結論が出るのも当然なのかもしれません。

しかし、キリスト教芸術が栄えていた中世の欧州では、キリスト教の名で「異端」「魔女」とされた人々を火炙りなどの極刑にしていたのではないでしょうか。

三浦綾子は、キリスト教史の暗黒面ともいうべき史実をどう捉えていたのでしょうか。教義を純粋に信じすぎると、その教義に疑問を呈する人が凶悪な人物に見えてきてしまいかねません。

キリスト教史の暗黒面は、当時のキリスト教徒の純粋さが生み出したという面もあったのではないでしょうか。

私には、イエスが人の子か、神の子かという問いかけはそれほど大きな問題とは思えないのです。

イエスが人の子であったとしても、迫害に耐え、殉教した信者たちの死には何かの意味があったはずです。

過酷な拷問、残虐な処刑により殉教した信者の姿が当時の人々の記憶に残り、歴史の記録に残されて後世に語り継がれたのですから。

「神の子」であるとはどういう意味なのでしょうか。神がイエスの姿を借りて人間世界に具現したということでしょうか。

神と聖霊、イエスは三位一体であるということなのでしょう。しかし、大宇宙を創成した存在がちっぽけな地球に具現するのでしょうか。疑問はつきません。

私には、遠藤周作が説いた基督教のほうが三浦綾子のそれより、親しみやすい。

三浦綾子のこの書は、宗教画を作家がどう読み込んだかという視点から読まれるべきでしょう。

2015年1月5日月曜日

遠藤周作「私にとって神とは」(光文社文庫)を読みました。-神は心の底にある働き、悪魔はほこりのようなもの-

神はいつも、だれか人を通してか何かを通して働くわけです。私たちは神を対象として考えがちだが、神というものは対象ではありません。その人の中で、その人の人生を通して働くものだ、と言ったほうがいいかもしれません(同書p21-22より)。


普通の理解では、神は全能ですから崇拝、畏敬の対象ではないでしょうか。遠藤周作によるこのような神の理解は、基督教徒の中でも少数派でしょう。

しかし、遠藤による神の解釈により、神の存在を自分のこれまでの人生に照らし合わせて考えるということができそうです。

遠藤周作の小説の魅力のひとつは神や悪魔を、自分だけでなく歴史上の人物の生き方に照らし合わせて考えることができることです。

神はあそこにいると見つけるものではなく、心の底にある働き


遠藤によれば、神とは心の底にある働きで、あそこに神がいると見つけるものではありません。

神はある人にはおやじを通して、別の人には友達を通して、また更にある人には捨てた女や寝た女を通して、神の働きがあったはずです(同書p28-29)。

悪の中にも神の働きがあります。病気でも物欲でも、女を抱くことにでも神の働きがあるということを、遠藤は小説を書いているうちにだんだん感じるようになりました(同書p23)。

神が後ろの方から、いろんな人を通して、目に見えない力である人の人生を押して今日のその人が形成されると遠藤は語ります。

テロ国家北朝鮮の指導層の心には凶悪な力が働いているのでは


しかし、そうであるならテロ国家北朝鮮のような凶悪な人間集団の形成をどう考えれば良いのでしょう。

その中に生きている人々や、北朝鮮に拉致された人々の人生は凶悪な人間の心の底にある働きにより悲惨なことこのうえない。

北朝鮮に拉致された人々は、現代の聖人のような使命を担わされたということなのでしょうか。

金日成、金正日、金正恩そして彼らを支えてきた朝鮮労働党幹部らの心の底には凶悪な力が働いているとしかいいようがない。

暴力団員の心の中についても同じです。

朝鮮労働党は大量殺人やテロを「主体革命偉業」「南朝鮮革命」と正当化する


北朝鮮は民間航空機爆破や日本人拉致、覚せい剤や偽札製造、保険金詐欺など無数のテロ、凶悪犯罪を繰り返してきました。

北朝鮮はこれらを「主体革命偉業」「南朝鮮革命」「首領様への絶対的忠誠」などと称して正当化しています。

悪魔の所業としか言いようがありません。

遠藤によれば、悪魔とはほこりのようなものです。

目に見えないほこりがいつの間にかたまって、部屋が汚れているのと同じように人の心の中で愛を失わせるものがどんどんたまっていく、これが悪魔の働きです。

自分の救いについて絶望している状態を悪魔と言います(同書p182)。金日成は自分の救いなど考えたことがあったでしょうか。金日成には基督教の素養が多少あったはずなのですが。

金正日が後を託した妹金敬姫と義弟張成澤の悲惨な運命


晩年深刻な病に苦しんでいた金正日は死期がそう遠くないことを知っていたでしょう。金正日には救いを求める心などあったでしょうか。

金正日は自分の息子や娘たちの先行きを案じていたでしょうが、国民の生命と人権、被拉致日本人の苦しみなど全く気にかけていなかったでしょう。

金正日は息子の将来のためを思って、妹金敬姫と義弟張成澤にいろいろな遺言を残したでしょうが、張成澤は息子により処刑されてしまいました。

妹金敬姫は金正日の三回忌式典にも出てこなくなってしまいました。金日成の娘で金正日の妹である金敬姫が公の場に一切出ないのはあまりにもおかしい。

平壌の朝鮮労働党最高幹部には、金敬姫に声をかけてもらうなどした縁で金敬姫を尊敬していた人物がいくらでもいるはずです。

金敬姫は死亡している可能性もあります。金敬姫の存在をなきものにしてしまった金正恩を、金敬姫と交流のあった最高幹部が心中で尊敬などできるはずがない。

最高幹部から見れば、金正恩は首領様の娘、将軍様の妹をなきものにした恩知らずの甥っ子です。

金正恩に心中で反感を抱く最高幹部が増えている


心中で激しい反感を抱いている最高幹部は、金正恩の指令を様々なやり方でないがしろにするでしょう。

それが金正恩にばれれば、処刑ないしは政治犯収容所送りにされてしまうかもしれませんが、ばれなければ大丈夫です。最高幹部の心中はそうなっているとしか私には思えない。

こう考えると、テロ国家北朝鮮の最高幹部に対しても、悪魔だけでなく神の働きがあるような気がしてきてしまいます。

それでも、北朝鮮の凶悪行為は続いています。

ほこりがつもり重なれば山のような形を成し、あたかも自然の堆積物のように見えてきます。

自然の堆積物なら、見方によっては美しい。

人民弾圧を担当する国家安全保衛部員の心の奥底に何かが働きかけるのか


金日成、金正日、金正恩の心の中には、愛を失わせるものが山積し、凶悪行為を重ねる自分たちの姿が美しく見えてしまっているのかもしれません。

しかし、金敬姫と親しかった最高幹部は心中で、金正恩が偉大な元帥様などとありえないと嘲笑しているかもしれません。

金日成、金正日、そして金正恩を批判する出版物や放送を聴取する国家安全保衛部員は心中で徐々に彼らへの忠誠心をなくしていくでしょう。

韓国や中国東北部から流入する宣伝物だけでなく他の何かが、北朝鮮の最高幹部の心の奥底で働きかけているのかもしれません。