Troubleとは仏語で不安、胸のときめき。存在の不安定さを描いた映画。
ある日突然、自分の生い立ち、由来が自分の知っていたことと異なっていることがわかったら、誰しも不安になってしまいます。
一体、自分はどんな人間なのだろうという気持ちになります。
Benoît Magimelが演じたこの映画の主人公は、孤児院で育てられ、卒園後はカメラマンになりました。
清楚な妻と可愛い男の子の三人家族に、もうすぐ下の子供が生まれてくる幸せな男性です。
孤児ですから、父も母も知りませんでした。ある日突然母の遺産が入ること、そして自分が双子だったことを知ります。遺産を管理する弁護士の前で、一卵性双生児の片割れと出会います。
双子だったのに一体なぜ自分は孤児にされてしまったのでしょうか?これにはある重大な秘密が隠されていました。
それを突き止めるためには、全てを知っているはずの片割れに接近して問いただすしかありません。しかし片割れはなぜか、主人公の平穏な暮らしを脅かすような言動をとります。
主人公は徐々に、幼児のとき失った記憶を取り戻します。
家族や友人との信頼関係の大事さを再発見させる映画
この映画の宣伝を見ると、「戦慄のサイコ・スリラー」とあります。双子の片割れの不気味な言動や、主人公の記憶が徐々に戻ってくるシーンは空恐ろしさをかきたてます。
この映画のメッセージはそれよりも、人間は各自が所属する小社会での役割を演ずることに喜びを見出す生き物であるという人間観ではないでしょうか。
社会学者の中にそうした人間観を提起している人がいます。Max Weberはその一人でしょう。
家族や企業、地域や学校での自分の存在が揺らげば、自分がどんな役割を演じればよいのかわからなくなり不安になってしまいます。
人の存在は、周囲の人間が自分を信頼してくれているからこそ成り立っているのです。映画の最後では主人公の最愛の妻子すら、彼を疑っています。
映画を観て現実にはこんなことなどありえないと思った方もいるでしょうが、現実性を問題にすべきではありません。
映画が人間存在の不安定性を極端な事件を想定して描き出したことにより、観客が家族や友人との信頼関係の大事さを再発見できるのですから。
人の風貌や言動を極端化して描く手法は、日本の昔の人物画や歌舞伎にも見られます。お市の方の夫で勇猛果敢な武将だった柴田勝家は、精悍な風貌に描かれています。
Benoît Magimelは良い役者です。足取り軽く走る姿は爽やかですし、二役をよく演じました。 Natacha Régnerは、夫を信じてどこまでもついていこうという妻を感じさせます。