Victor Hugo(1802-1885)の次女、アデル(Adèle, 1830-1915)の執拗な「愛情」と精神が壊れていくさまを描いた映画
フランス映画には、病んだ精神を描くという一つの作風があるのでしょうか。
この映画のDVDには「恋の情熱にとり憑かれた一人の女の真実の物語」と記載されています。
「とり憑かれた」という語に着目すべきでしょう。この漢字は「憑依」という意味でも使われます。
私は医師ではないので、アデルがどんな心の病だったのかわかりません。
映画の冒頭でこの物語は真実だと出ていますから、真実なのでしょう。
アデルは現実と妄想の区別ができなくなっていった
ピアソンという英国の中尉と知り合ったアデルは、彼を追って大西洋を越え、カナダまでやってきた。アデルはピアソンに結婚を迫りますが、ピアソンの心は既にアデルにはない。
このくらいならどこにでもありそうな話ですが、その後がひどい。アデルはピアソンと自分が結婚したと思い込み、父親Hugoに虚偽の手紙を書いてしまいます。
アデルには現実と自分の妄想の区別がつかなくなってしまっていたのです。
虚偽はすぐにHugoにばれてしまいます。アデルの海外滞在費は全て、父親からの仕送りです。
一か月400フランとか、700フラン送るとかいう話が出てきますが、これが1863-64年当時どのくらいの価値だったのかわかりません。「風と共に去りぬ」(Gone With the Wind)の時代です。
Hugoは当時、ナポレオン3世のクーデターに反対し海外亡命生活をしていました。アデルがピアソンを追っていたころ、Hugoは60代前半でした。当時としては、それなりの高齢者でしょう。
Hugoは手紙で何度もアデルへの帰国を促しますが、アデルは応じない。アデルの精神は徐々に壊れ、最後にはピアソンと対面してもそれが誰だかわからなくなってしまいます。
清楚なIsabelle Adjaniの声が印象に残る
親切な黒人の婦人に助けられ、アデルはフランスに戻りその後40年間精神病院で過ごしたそうです。この映画の魅力の一つは、若きIsabelle Adjaniの清楚さでしょうか。
Isabelle Adjaniは声も魅力的です。しかし画面に流れている音楽は、心に異常をきたした人物とは少しそぐわないようにも思えました。
Hugoの次女がこういう生涯をおくったということで、フランスでは話題性があったのかもしれません。Hugoの葬儀には200万人が集まったそうです。
「宿命の恋」「フランス恋愛映画の金字塔」という宣伝はどうでしょうか。ピアソンはアデルを全く眼中にしていなかったのですから。恋愛は殆ど成立していない。