2016年2月29日月曜日

井筒俊彦「イスラーム生誕」(中公文庫、第一部ムハンマド伝)を読みました。

「ムハンマドは無道時代の人間の立っていた存在の根基そのものに恐るべき一撃をくらわせた。アラビア騎士道の聖なるスンナを彼は狂愚迷妄と断言し、一挙に抹殺しようとした。この意味において、ムハンマドの宗教運動は大胆無謀極まりない宗教革命であった」(同書p28より)。


イスラームとは一体どんな宗教なのでしょうか。専門的に深く勉強することは無理ですが、少しばかりは知っておきたいものです。

この本は、普通の歴史書と異なり、テキストを解釈して歴史を語るという手法をとっています。この手法は、人々の精神、心の動きを歴史の原動力として把握する。

人々の精神、心の動きは、人々が交わしていた言葉により表されていると言えるでしょう。過去の人々が交わしていたであろう言葉は、例えば当時の詩歌により推測できる。

以下、わかったことを記しておきます。

意味論的社会学からイスラームを語る


この本は、「意味論的社会学」「文化の意味論的解釈学」の立場からイスラームを語っています(同書p9)。

イスラーム生誕以前の時代を「無道時代」(ジャーヒリーヤ)というそうです。

コーランの宗教的世界像を意味論的社会学の見地から分析するためには、それの発生してきた歴史的地盤としてのジャーヒリーヤとの関連で観察せねばならないと本書は述べています。

ムハンマドの興した宗教運動は、古アラビアの騎士道モラルへの果敢な挑戦でした(p25)。無道時代のベドゥインたちの生活は、伝承された無道時代のアラビア古詩に出ています。

ベドゥインは自分たちの過去、自分たちの祖先が幾百年となく行ってきた人生の途を「慣行」(スンナ、sunnah)と呼び規範としていました。

これは、正邪善悪の区別なく、いついかなる場合でも部族と行動を共にし、部族によって生存の方向を決定することです。

社会倫理も個人倫理も、一切の人間的価値はその人の所属する部族の慣行によって決まります(同書p29)。部族は血の共同性を基礎として成立します。

血のつながりほど、砂漠的人間にとって神聖なものはない。ムハンマドは血のつながり、血統の優位性を否定しました。

人間の高貴さは、生まれや血統から来るものではなく、ひとえに敬神の念の深さから来るというのです。ベドゥインの人生観では、ペシミズムと享楽主義が表裏一体でした。

本書はそれを古アラビアの詩歌で論証しています。

宗教家ムハンマドは天成の政治家でもあった(同書p95)


ムハンマドの説く教えは瞬間的享楽主義の正反対でした。しかし、ムハンマドの教えはメッカではムハンマドの出身部族の有力者から反発を受け、ムハンマドはメディナ市に移住します。

本書によれば、同じ血を分けた部族民に背いて、異部族に味方を求めるのは古アラビア社会では絶対に考えられないことでした。

ムハンマドは凱旋将軍のごとく歓呼に迎えられてメディナに入ったそうです。これイスラーム史家は「遷行」(ヒジュラ)と言います。

メディナに移ってから、ムハンマドの発表する啓示の性質が大きく転換しました。メッカではコーランは「警告」でしたが、メディナでは肯定的な「導き」になりました(同書p101)。

祭政一致の大国家を建設するためには、それを阻むものを絶滅せねばならない。これが「聖戦」です。コーランに次の記述があるそうです。

「汝らに歯向かう者あらば、神の途において彼らを撃滅せよ。何処にてもそのような者どもを見つけ次第、これに戦いを挑み、また彼らが汝らを追い出したる処より逆に彼らを駆逐せよ。反乱が根絶し尽くされるまで、また全ての宗教がただ一つアッラーの宗教となるその時まで、あくまで敵と戦い続けよ」(第二章186-189節)。

この教えを、ムハンマドが直面していた時代状況から切り離して現代に直接適用してしまったら、とんでもないことになってしまいそうです。

勿論、圧倒的多数のイスラム教徒はそんなことは考えていないでしょう。

ムハンマドはユダヤ教やキリスト教を批判していますが、ユダヤ教やキリスト教徒の絶滅など主張していない。「聖典の民」という記述があるのですから。