拝啓 お母さん、お元気ですか。ながい間迷惑のかけとおしだった私たち三人は、無事祖国の土をふむことができ、新しい人生のスタートをきりました。これはみな、愛情をもって理解してくれたお母さんのおかげと感謝しております。品川駅をでて、しばらくは涙がとまりませんでした。途中、高崎、前橋と夜中にもかかわらず同胞のあたたかいもてなしをうけ、予定どおりセンターに入りました。
これは、「世界政治資料」という日本共産党が刊行していた雑誌に掲載されている、北朝鮮へ渡った日本人妻林愛子さんによるお母さんへの手紙の一部です。
手紙の日付が昭和35年1月13日になっていますから、56年くらい前です。
林愛子さんはお子さん二人と北朝鮮に帰国されたのでしょうか。御主人が一足先に帰国なさっていたのかな。「キューポラのある街」に出てくる在日朝鮮人一家はこんな感じでしょうか。
手紙によれば、林さんはハムフン医科大学病院で働くことになったようです。ハムフンは北朝鮮の北方の港町です。かなり寒い。
一家は五階建てのアパートの四階の13号室に住むように手配されました。部屋は二つで台所、水洗便所もあります。一か月の食べ物が全て整っていました。
手紙によれば帰国した子供たちのための特別授業があり、お子さんも通学しているそうです。
千里馬の勢いで社会主義を建設する共和国は本当に素晴らしい。自分たちも帰国しよう!とこの手記を読んだ在日朝鮮人や日本人妻は決意を新たにしたのではないでしょうか。
林愛子さん一家のように帰国事業のごく初期に北朝鮮へ渡った方々は、平壌を見物することができました。もう少し後になると、清津で配置を決定され、すぐに移動させられました。
林愛子さんは金日成とも面会したそうですから、当時の朝鮮労働党が宣伝用に重視した日本人妻の一人だった可能性が高い。なぜ林愛子さんが重視されたのかは不明です。
北朝鮮は常に体制の優位性を宣伝する
「世界政治資料」には3人の帰国者の手紙が掲載されています。どの手紙も、北朝鮮の素晴らしさを熱烈に書いていますが、これは公表を前提とした体制宣伝文書とみなすべきです。
林愛子さんが金日成と会ったことに着目すべきです。当時の在日朝鮮人はこれで感激したでしょう。
共産主義国は、宣伝を最重視します。朝鮮労働党には、宣伝扇動部という強力な権限を持つ部署があります。昔の日本共産党のアジプロ部に該当するような部署です。
帰国者が親族にあてた手紙は当局の検閲を受けています。親族への手紙の中でさえ、帰国者は体制宣伝をせねばならなかった。林愛子さんの言動を監視する人物が複数いたはずです。
林愛子さん一家には一か月分の食べ物が給付されたそうですが、そのあとはどうなったでしょうか。当時でさえ、北朝鮮は慢性的な食糧不足でした。宣伝が終わればおしまいの可能性が高い。
食糧は一家ごとに割り当てられるチケットと引き換えで配給されるはずですが、その制度がハムフンでいつまで継続したか不明です。チケットがあっても物資をくれなければ空手形です。
小さい子供たちはお菓子を食べたがったはずですが、北朝鮮にお菓子やアイスクリームの配給制度はありません。玩具配給制度もありません。
若い女性なら、多少の化粧はしたいでしょうが化粧品など配給物資にはありません。闇市場でも化粧品購入は困難だったでしょう。洒落た衣服など買えるはずもない。
寒いことこの上ないハムフンで、暖房設備はどうだったか、寝具がどのくらい配給されたのかは不明です。寒さで風邪をひいても、北朝鮮では薬があまりない。抗生物質は貴重品です。
社会主義計画経済ですから、計画にないものは生産、配給されません。良い物資は平壌や、特権層に優先的に配給されます。ハムフンはさほど良い地域ではない。
子供たちは学校で、金日成崇拝教育を受けたはずです。この時期はまだ金正日が登場していないので、70年代と比較すれば軽度でしたが。
北朝鮮へ帰国した元在日朝鮮人の実情については、宮崎俊輔「北朝鮮大脱出 地獄からの生還」(新潮OH!文庫)が詳しい。宮崎さんの母、和歌子さんは日本人妻でした。
元在日朝鮮人や日本人妻は潜在的反体制派-「動揺階層」
元在日朝鮮人や日本人妻は日本の自由な生活を知っていますから、生活への不満はもちろん、気軽に体制批判をします。
朝鮮労働党の指示でも、非合理的なことがあればすぐに口答えしてしまいます。日本にいたとき、自民党政府を批判するような気持で金日成や労働党を批判してしまった方もいたようです。
北朝鮮で生まれ育った人々からみれば、これは信じられない奇行、愚行でした。
朝鮮労働党からみれば帰国者は潜在的な反党宗派分子(反体制派のことを北朝鮮はこう呼ぶ)です。
北朝鮮には全住民をその出自により差別する「成分」制度があります。核心階層、動揺階層、敵対階層の3つの成分があり、これにより物資の配給、進学、就職が区別されます。
殆どの帰国者は動揺階層に区分されたようです。金日成と朝鮮労働党に対する忠誠心が低く、動揺するとみなされたからです。
動揺するというより、人生には様々な選択肢があること、金日成や朝鮮労働党の命令とは違う生き方があること在日朝鮮人は実感として知っていました。これが危険とみなされたのです。
宮崎俊輔さんは上記著書で、帰国者は自由な思考ができるから危険視されたと述べています。
お前の夫は「学習」に行った―行方不明になった元在日朝鮮人は少なくない
体制への不満を口走ったことが監視役から当局に通報されれば、突如山間僻地に追放されてしまいます。日本の親族とは以降、一切連絡が取れなくなります。
僻地への追放を北朝鮮当局、労働党は、「学習に行く」と言います。ある日、夫が「学習に行った」と突然当局に言われ、その後二度と連絡が取れなくなってしまった日本人妻もいました。
林愛子さん一家がその後どうなったかは全くわかりません。90年代後半の「苦難の行軍」という飢饉のとき、御一家はどうしていたでしょうか。ハムギョン道ではかなりの餓死者が出ました。
昭和34年末より行われた在日朝鮮人による集団的な北朝鮮への渡航、帰国事業により北朝鮮へ渡った元在日朝鮮人とその家族は約93000人です。
日本人妻はそのうち約1800名でした。日本人妻のうち、再度日本の土を踏めたのは脱北して戻ってきた方を含めれば、1パーセントを越えているでしょう。
北朝鮮は住民の外国旅行を基本的に禁止しています。
外国へ行けるのは「外貨稼ぎ」のために建設現場などで低賃金重労働をする、当局が経営する料理店などで働く、工作員として策動する、韓国要人暗殺のために現地に行く方等です。
圧倒的多数の日本人妻は、親兄弟と生き別れになってしまいました。日本の親族が数千万円程度の寄付を在日本朝鮮人総連合会にした場合には、一時帰国を許可された例があるようです。
在日本朝鮮人総連合会関係者は日本人妻に「3年すれば里帰りさせてやる」と大嘘をついた
日本共産党がかつて、テロ国家北朝鮮をしつこく礼賛していたことを本ブログは繰り返ししてきました。
宮本顕治氏に至っては、北朝鮮がとんでもない人権抑圧国家であることを十分にわかっていても北朝鮮礼賛を繰り返しました。
宮本顕治氏は一人でも多くの在日朝鮮人を帰国させ、金日成の「奴隷」を増やすべく尽力しました。「地獄への片道切符」配布がそんなに楽しかったのでしょうか。
宮本顕治氏ら日本共産党員が昭和34年の帰国事業開始当時から北朝鮮の凄惨な現実を知っていたわけではありません。
「世界政治資料」臨時増刊「伸びゆく社会主義朝鮮」(1960年3月、日本共産党中央委員会発行)が出された頃なら、宮本顕治氏らも北朝鮮の現実をよくわかっていなかったでしょう。
昭和43年の訪朝時には、宮本顕治氏らはかなりの情報を得ていました。これは「北朝鮮覇権主義への反撃」(新日本出版社刊行)の不破哲三のインタビュー記事より明白です。
わかっていないなら、無責任な礼賛や宣伝を差し控えるべきでしょうが、共産主義者に共産主義国宣伝をやめろと言っても無駄です。
在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、夫と共に北朝鮮へ渡る決意をした日本人妻に「3年すれば里帰りさせてやる」と言ったそうですが、これは大嘘でした。
日本人妻の中には、金日成に里帰りを直訴した方がいた
殆どの日本人妻には、数千万円もの寄付を在日本朝鮮人総連合会にする親族はいませんから、一時帰国すらできませんでした。政治犯収容所に連行されてしまった方もいます。
日本人妻の中には、金日成が現地指導に来たとき里帰りを直訴した方がいたらしい。剣徳鉱山というところでそういう「事件」があったとある脱北者から私は伺いました。
北朝鮮社会では金日成に直訴など、とんでもない違法行為です。「民族反逆者」のレッテルを貼られかねない。直ちに政治犯収容所とまではいかなくても、「山送り」になった可能性があります。
「山送り」とは、水道、電気がないような山間僻地の小屋のようなところに強制移住させられることです。そんな地域には配給などほとんどありませんから、何かの闇商売をやるしかない。
「学習に行った」日本人妻もいたことでしょう。
「楽園の夢破れて」著者関貴星氏の生き方に思う
北朝鮮へ渡った元在日朝鮮人らの惨状を、昭和35年8月に訪朝した関貴星さんは、そのときの体験談「楽園の夢破れて」を昭和37年に全貌社から刊行しました。
平成9年にこの本を「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」が復刻しました。
関貴星さんはこの本の刊行当時もその後も、在日本朝鮮人総連合会関係者から反動、スパイなどと罵られたそうです。
関貴星さんの著作は生前にはあまり顧みられませんでした。しかし関貴星さんが昭和37年に北朝鮮を徹底批判したことを、後世の私たちは忘れるべきではありません。
「楽園の夢破れて」がもっと多くの人に真剣に読まれていれば、日本人の朝鮮半島と在日韓国・朝鮮人に対する認識が変わっていたはずです。
日本政府は対北朝鮮ラジオ放送で金正日の女性関係を暴くべきだ
日本政府は北朝鮮に対し「対話と圧力」という方針にいまだに固執していますが、これを「圧力と思想攻撃」に転換すべきです。普通の「対話」が通じる相手ではない。
日本政府は対北朝鮮ラジオ放送で金日成、金正日を批判すべきです。
金日成が日本軍に討伐されてソ連領に逃げ込んだこと、金正日の女性関係を対北朝鮮ラジオ放送で放送すべきなのです。
金日成が、「朝鮮は偉大なソ連邦により解放された」と自ら論文で述べていたことを対北朝鮮ラジオ放送で指摘するのも面白い。北朝鮮の住民は、中国朝鮮族からその情報を得られます。
これをやれば、北朝鮮が直ちにラジオ放送をやめろ、さもなければ核攻撃を加えるというような脅迫をしてくる可能性があります。
そのとき日本政府は、「ラジオ放送をやめてほしければ横田めぐみ、有本恵子、増本るみ子さんらを返せ。返さなければ海外衛星放送で金正日の女性関係について放映する」と言えば良い。
これをやれば、テロ国家北朝鮮との「対話」「交渉」が始まるのです。金正恩、金予正は驚愕しうろたえるでしょう。これをやれば、労働党最高幹部さえ心中で喜ぶかもしれません。
労働党最高幹部には心中で、金正恩と妹金予正に激しい憎悪心を抱いている人物がいくらでもいるはずです。
金正日の女性関係が住民の中に広まれば、「最高尊厳」とやらの権威は地に落ちます。
「楽園の夢破れて」の一部を抜粋して引用します。関貴星氏の必死の叫びに、政治家の皆さんには耳を傾けていただきたい。
ところが社会主義の国、北朝鮮の現実はどうであったか。
社会はあまりにも階級的であり、党員と一般人民との差はあまりにもひどすぎた。そして自由であるべき人民は、共産主義を信奉するか共産主義に屈従しなければ、肉体も精神も自分の所有にならなかった。
北朝鮮では労働党員、とくに高級党員とさらにその上の特権階級だけが自由で、富貴で贅沢ざんまいの生活ができ、働く一般人民は一杯の冷麺を食うのにもびくびくしなければならない低賃金で苦しんでいた。