2017年8月17日木曜日

石堂清倫・佐藤昇編「構造改革とはどういうものか」(昭和36年青木新書)より思う。

「もともと構造改革とは独占資本主義体制の根本的変革をめざし、独占の支配をほりくずしつつ、革命を日程に上しうる条件をつくりあげてゆこうとするものであって、いわば資本主義の枠を突破して社会主義をうちたてることを本来の目標としているからである」(同書p13より抜粋)。


日本共産党の現在の綱領は、昭和36年7月の第八回大会当時、春日庄次郎氏らが唱えた「構造改革」論に似ています。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い日本共産党員は「構造改革論」と言っても何のことだか御存知ないかも知れません。

上記は、構造改革論の提唱者だった佐藤昇氏の主張です。

この部分だけ読んでも、今の日本共産党の綱領や不破哲三氏の「私たちの日本改革」に似ていませんか?

志位和夫氏なら、「構造改革論」と現在の綱領が類似していることを十分認識しているでしょう。

宮本顕治氏は第八回大会で「構造改革」論を徹底批判した―社会民主主義への完全な転落


宮本顕治氏は第八回大会の「綱領(草案)についての報告」で春日庄次郎氏を徹底批判しています(第八回大会特集p136-140)。

宮本顕治氏によれば、春日庄次郎氏は革命の平和的移行唯一論を主張しているので、社会民主主義的見地に完全に転落しています。

宮本顕治氏によれば、人民の側の意向だけでこの問題を決定することはできません。

これが階級闘争の弁証法だそうです。いわゆる「敵の出方論」です。

宮本顕治氏は春日庄次郎氏の論文だけでなく、石堂・佐藤両氏のこの本を読んでこのように党大会で報告しています。

石堂・佐藤氏の「構造改革とはどういうものか」には、「敵の出方論」という話はありませんから、平和的移行唯一論です。

今の日本共産党も平和的移行唯一論ではないでしょうか?

吉良よし子議員、池内さおり議員らが日本革命の行く末は最終的には「敵の出方」によるとみて、武装闘争を一つの選択肢にしているとは思えません。

宮本顕治氏によれば、現在の日本共産党は階級闘争の弁証法を知らず、社会民主主義に完全に転落していることになります。

昔の日本共産党員は、「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と定めた「32年テーゼ」を信奉していました。

「敵の出方論」はレーニンの「帝国主義論」と革命理論に依拠しています。共産主義者なら、当然の結論です。

「構造改革論」の国家論-国家を動かす国家意思には、他の諸階級、諸階層の意思も反映される


「構造改革論」の資本主義国家に対するとらえ方も、今の日本共産党の国家観と似ています。

佐藤昇氏によれば、国家機関を動かすのは国家意思です(同書p21-22)。

この国家意思は基本的に支配階級の意思が反映されるが、他の諸階級、諸階層の意思も反映されます。

支配階級も純粋に彼らの意思通りに国家を動かせません。

そこで勤労者が国家に働きかけ、その反動的機能を抑制したり、それを多少とも進歩的・民主的方向に動かすことができる。

これは今の日本共産党の綱領路線と同じ発想ではないでしょうか?

「野党と市民の共闘」を目指すのなら、「構造改革論」を見直すべきだが...


昭和36年当時、社会党が「構造改革」の方針を提唱していました(同書のまえがきより)。

現在の日本共産党は、「野党と市民の共闘」を提唱しています。

日本共産党を支持するマルクス主義経済学者、政治学者の皆さんなら、「構造改革論」と現在の日本共産党の路線がよく似ていることがすぐにわかるはずです。

「歴史にもしも」は禁物ですが、昭和36年の第八回大会当時、日本共産党が「構造改革論」の綱領を制定していたら社会党と連立政権を作っていたかもしれません。

マルクス主義経済学者、政治学者が「野党と市民の共闘」を本気で目指すのなら、「構造改革論」を再評価する研究をすべきでしょう。

そういう研究者は皆無なのかもしれません。良かれあしかれ、マルクス主義経済学者、政治学者は活力を失っている。

日本革命などないと本音では思っているマルクス主義経済学者、政治学者が多いのでしょう。

左翼勢力は共産主義国の侵略性を認識できない


社会党と共産党の連立政権ができたら、日米安保が破棄され自衛隊は徹底的に弱体化させられていたでしょう。

その場合、ソ連軍の北海道侵攻や、中国軍の尖閣と台湾侵攻、あるいは沖縄侵攻がありえたでしょう。

金日成は再び、「米帝国主義の傀儡」である韓国の「解放」戦争を断行した可能性が十分にある。日米安保が破棄されたら、米軍はひとまず朝鮮半島から撤退したかもしれない。

「構造改革論」者、伝統的なマルクス・レーニン主義者、市民派。左翼の潮流はいろいろありますが、共通点は共産主義国の侵略性を認識できない事です。

平和を脅かしているのは米帝国主義と日本の独占資本だ、彼らが戦争勢力だという発想は左翼の共通点です。

これはレーニンの「帝国主義論」の影響です。

今の左翼も、北朝鮮が先制核攻撃や、工作員が生物化学兵器テロ、離島占領や日本漁船銃撃を断行する可能性について思考と議論をできません。

中国が尖閣諸島に武装漁民を送り占領する可能性についても、左翼は想像すらできない。

左翼知識人、運動家として生きていくのは楽です。

周辺諸国の軍事情勢や戦略について一切思考と議論をせず、ただ安倍政権を批判していれば良い。

現代資本主義の産みだす矛盾とは―「自分には関係ない」


左翼でなくても、周辺諸国の軍事情勢と自分の生活が全く関係ないと思い込んでいる知識人は実に多い。

自分には関係ないと思えることは一切関わりを持たない。そんな人があまりにも多い。

これが現代資本主義の産みだす大きな矛盾と思えてなりません。

現代資本主義の最重要問題は、搾取や格差ではなく、大量消費と広告が人格に大きな影響を及ぼし、社会を荒廃させることではないでしょうか。

ダニエル・ベルの「資本主義の文化的矛盾」を思い出しました。





2017年8月5日土曜日

スウィージー著「革命後の社会」(Paul M. Sweezy、昭和55年TBSブリタニカ刊行。伊藤誠訳)より思う。

「実際のところ階級社会のすべての矛盾のうち、もっとも根本的なものは、富の真の生産者が、何をいかにして生産し、それをどんな用途にあてるかということについて、ほとんどまったく管理権を剥奪されていることであるが、その根本的矛盾がなお存続し、ある意味では深刻化しているのである。」(同書p238より抜粋)。


Paul M. Sweezyはソ連をこのように把握していたのです。「富の真の生産者」とは労働者の事でしょう。

労働者が生産に関する管理権を剥奪されている事は根本的矛盾である、という主張です。

今年はロシア革命100周年です。ソ連は崩壊しましたが、ソ連社会主義とは一体何だったのでしょうか?

この問題は、共産主義理論と運動をどのように考えるかという問題であり、社会科学の大問題です。

現代日本は、中国共産党と朝鮮労働党という共産主義運動の流れに属する集団により侵略、支配される危険に直面しています。

金正恩は繰り返し、「朝鮮中央通信」で日本への核攻撃の可能性を示唆しています。北朝鮮の連続核攻撃を受けたら、日本社会は存続できるでしょうか。

日本の社会科学者、知識人が自由な言論活動を続けたいと願うのなら、中国共産党と朝鮮労働党の源流ともいうべきソ連をどう把握するかという研究と議論をもっとすべきでしょう。

Sweezyはユーゴ型の「労働者管理社会主義」を想定していた?


この本の著者Paul M. Sweezyは、米国でマルクス主義の立場から研究と評論活動に長年従事した学者でした。

この本の第十章は、昭和54年10月に東京大学経済学部で話したことに基づくものだとSweezyは序章で述べています(p19)。

上記を普通に読めば、「社会主義は労働者管理経済である」という結論になるとしか私には思えません。ユーゴスラヴィア社会主義です。

Sweezyなら、労働者管理企業(Labor Managed Firm、LMEと言われる)に関する経済学の諸論文、例えば青木昌彦教授のそれを知っていたのではないでしょうか?

SweezyがLMEやユーゴスラヴィア社会主義をどう考えていたのかは不明です。

私見では、労働者管理企業は中小零細企業として資本主義経済で存在しえます。規模が大きくなれば株式会社となり、普通の資本主義企業と大差ない。

青木昌彦教授は、労働者管理企業の理論を、終身雇用制と企業内組合、年功序列賃金を特徴とする日本企業を想定して考案したと考えられます。

Sweezyがユーゴ社会主義や日本をどう考えていたか、興味深いですが、それは別の文献によるしかありません。以下、本書第十章のSweezyの議論を紹介します。

Sweezyの資本主義論―三つの特徴のうち、ソ連は2つを欠いている


Sweezyによれば、資本主義の経済的基礎の特徴は次の3つです(同書p224)。

(その1)私的資本家による生産手段の私有

(その2)多数の競争的あるいは潜在的に競争的な単位への全社会資本の分散。

(その3)生産手段を所有せず、生活手段を得るために資本家に労働力を売らざるを得ない労働者による財とサービスの生産。

Sweezyによれば、ソ連ではこの三つの特徴のうち、(その1)(その2)が当てはまりません。大部分の生産手段が国家によって所有され、各経済単位は相互に競争をしていない。

(その3)はソ連でも保持されていますが、ソ連の労働者は極端な事情がなければ管理者により解雇されることがありません。

就業保障(tenure)がある点にSweezyは着目しています。

特権層と第二経済-闇経済では企業家精神が育まれている


Sweezyはソ連社会の特徴として、次の二点を指摘しています(同書p228)。

第一は、特権者集団にだけ開かれている特別な店があり、一般大衆が入手できない財をそこで買えることです。

第二は、特権者集団は住居、教育、保健のようなサービスも一般大衆とは異なる水準で享受できることです。

第三に、「第二経済」、闇経済の存在です。例えば、個人用や家庭用の建築、修理作業、医師の内職での治療、非合法に生産ないしは盗品の売買などです。

Sweezyは第二経済が私的な企業精神に強力な刺激を与え、社会の全てのレベルにおける汚職の肥沃な土壌になっていると指摘しています(同書p229)。

第二経済の存在により企業家精神が育まれていると、Sweezyは考えたのでしょう。師のJ.A. SchumpeterをSweezyは思い出していたのでしょうか。

企業家精神が汚職、闇経済でも育まれるとは面白い。現代の中国や北朝鮮でも同様の事実があるはずです。中国では、共産党幹部の一族が闇経済で巨額の資産蓄積をしている。

Sweezyのソ連論「革命後の社会」とは―前資本主義社会に似ている


Sweezyによれば、ソビエト社会の管理的地位を占める諸個人の集団は、本質的に自己再生産的な支配階級として次第に形成されました。

新しい支配階級は、権力と特権を資本の所有、管理からではなく国家とその多様な抑圧機構の直接的管理から引き出しています。

「革命後の社会」は剰余生産物の利用が政治的闘争過程、政治過程の中心的焦点になっています。従って「革命後の社会」は前資本主義的諸社会に近い。

新しい支配階級は、労働者階級を非政治化し、労働者階級から自己組織と自己表現の全てを取り上げ、労働者階級を国家の道具にしました。

ソ連の労働者階級は、資本主義的能率刺激制度により駆り立てられることはありませんが、夢中で働くことに興味を失くしています。

労働生産性が向上していないということでしょう。「革命後の社会」は停滞期に入っているようだとSweezyは本書の最後で述べています。

マフィア資本主義は闇経済から育っていった


労働者から自由な思考と言論を奪ってしまえば、生産性が向上するはずもない。

しかしSweezyが本書で主張していたように、闇経済で企業家精神を保持するようになった人々はいたのです。

マフィアです。

ソ連、ロシアがマフィア資本主義化していくことまで、Sweezyが予見できたとは思えませんが、闇経済の重要性をソ連崩壊前から指摘していたのはさすがです。

ロシア革命後100年経過すると、ロシアはマフィア資本主義になっていた。

歴史の皮肉のように思えますが、ロシア革命を、内戦の時期も含めて考えればそうなってもおかしくない。

当時のロシアには暴力と犯罪が蔓延していました。

トロツキーの著作を読み込んでいたSweezyは、H. G. Wellsの「影の中のロシア」(Russia in the Shadows)を読んでいたのでしょうか。

この本を読んでいれば、レーニンの時代のソ連の惨状を推し量ることができたはずです。

「宇宙戦争」著者は、想像力だけでなく社会と人間の観察力も備えていたのです。

「新しい支配階級」は侵略戦争を断行しうるのでは―左翼知識人に問う


Sweezyはソ連が「革命後の社会」であり、新しい支配階級が労働者階級を抑圧していると考えたのですが、それならば新しい支配階級が侵略戦争を断行しうるとみるべきでしょう。

Sweezyはレーニンの「帝国主義論」をあまり評価していなかったように思えます。Sweezyが高く評価していた労働者の就業保証は無くなりました。

Sweezyの著作を若い頃読み影響を受けたマルクス経済学者や、左翼知識人に私はお尋ねしたい。

Sweezyの著作は、ベトナム戦争の頃の米国や日本でかなり読まれたはずです。欧州の左翼にも、Sweezyの著作を熱心に読んだ方は少なくないでしょう。

ベトナム戦争の頃、韓国は朴正熙政権でした。この時期に、韓国の知識人や左翼がSweezyの著作を読むのは困難だったでしょう。

80年代の韓国なら何とか読めたのではないでしょうか。

自国の労働者階級を抑圧している「新しい支配階級」は、さらなる抑圧対象と剰余生産物を求めて侵略戦争を断行しうると見るべきではないですか?