2018年11月17日土曜日

内田樹・石川康宏「若者よ マルクスを読もうⅢ」(かもがわ出版刊行)の第三部、石川康宏教授の日本共産党論より思う

「日本共産党は、スターリンとその後継者による支配の手を払いのけて、ソ連共産党の政策や判断、理論を特別視しないという自主独立の姿勢を、ソ連共産党の代表も参加した1958年の大会で決定していました」(同書p203より抜粋)。


石川康宏教授(神戸女学院大)は、著名なマルクス主義経済学者です。

フランス現代思想の研究者、内田樹教授との共著になる「若者よ マルクスを読もう」は、番外編を含めればこれで四冊目になります。

私にはこの本で内田樹教授が解説されている「タルムードの解釈学」がとても興味深かった((同書p254-256)。

内田教授によればタルムードの解釈学とは、自分の生活実感、身体実感を担保として差し出すことで、聖句の意味を蘇らせる作業です。

誰しも、古典を真剣に読もうとするなら、このような姿勢が必然的に求められるのではないでしょうか。

古典が執筆された時期の状況を後世の人間が正確に把握することはできない。

それぞれ、自分の頭脳で古典の一言一句を再解釈し、把握しなおすしかない。

この解釈に、各自の持つ世界観が入り込み、同じ古典の文章でも異なるように解釈され、学派あるいは宗派が形成される。

井筒俊彦の「イスラーム生誕」(中公文庫)、「イスラーム文化」(岩浪文庫)の制度形成論を私はこのように解釈しています。

共産党、マルクス経済学の歴史も、同様です。講座派(正統派)、宇野派、レギュラシオン派といろいろありますから。

第七回大会後でも日本共産党は「自主独立」ではないー宮本顕治論文「ソ連邦共産党第22回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について」(「前衛」1959年5月号掲載)


ところで日本共産党の歴史を、石川康宏教授はどの文献から上記のように解釈されたのかわかりません。

依拠された文献が明記されていませんから。最もこの本は学術書ではないので、参考文献を必ず明記せねばならないわけではありません。

「自主独立」が上記のようにソ連共産党の政策や判断、理論を特別視しない姿勢という意味なら、日本共産党がそうなったといえるのはソ連解体後ではないでしょうか。

宮本顕治氏はソ連共産党解体を歓迎しました。解体を歓迎したのですから、特別視などしていない。

昭和33年(1958年)の第七回大会後なら、日本共産党はソ連共産党の政策や判断、理論を特別視していたとしか私には思えない。

宮本顕治氏の上記論文は、ソ連礼賛論文そのものです。

宮本氏は日本共産党中央委員会を代表してソ連共産党第21回大会に参加し、その報告もかねてこの論文を執筆したのでしょう。

以下、宮本氏の上記論文を簡単に紹介します。

社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた


宮本氏によれば、ソ連邦共産党第21回大会はソ連邦の共産主義建設者の画期的大会であり、社会主義世界体制発展の大会です。

ソ連邦共産党第21回臨時大会で審議決定された七か年計画の目標数字は、同志ミコヤンが言ったように、無味乾燥な数字のら列ではないそうです。

それについてフルシチョフ同志が行った中央委員会の報告は、共産主義建設の壮大な交響楽だそうです。

社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめました。

今日、ソ連邦では国内的に資本主義を復活させる力がないだけではなく、世界的にソ連邦および社会主義陣営をうちやぶれるような力は存在しません。

このことは、今日、共産主義建設の偉大な不滅のとりでが地球の上に確固としてきずかれた人類の新しい勝利を意味しています。

それは世界平和と反植民地主義のための人類に闘争の不滅の偉大なとりでを、現在の世紀が持っている事を意味しています。

宮本氏によるソ連論は表現があまりにも大げさで、実証的でない。

フルシチョフや、ミコヤンがこう言ったから真実だ、と述べているに過ぎない。

宮本顕治氏のソ連礼賛は、昭和36年7月の第八回大会でも継続しています。

宮本氏によればソ連は共産主義社会の全面的建設を成功のうちに遂行しています(日本共産党第8回大会決定p132より)。

ソ連は世界平和のもっとも強力な砦になっています。

われわれは社会主義世界体制が人類社会発展の決定的要因に転化しつつある時代に生きているという確信と展望に貫かれています。

宮本氏はこの確信と展望をおよそ30年後に喪失し、ソ連邦解体を歓迎します。

宮本百合子なら、ソ連邦解体をどう論じたでしょうか。宮本百合子は、最晩年にソ連共産党による過酷な人権抑圧を察知しつつあったようです。

石川康宏教授は宮本顕治氏の論文や当時の「赤旗」「前衛」を読んでいるのか


上記の宮本顕治氏によるソ連評価のどこが、自主独立なのでしょうか。石川康宏教授に御説明頂きたいですね。

率直に申し上げたい。

石川康宏教授は宮本顕治氏の上記論文や、当時の「赤旗」「前衛」を殆ど何も読まずに「自主独立の姿勢を決定した」と結論付けたのではないでしょうか。

昭和30年代の「赤旗」「前衛」には、ソ連礼賛記事や論文が沢山掲載されています。

そもそも第八回大会決定を、日本共産党は今でも廃棄していません。

従って第八回大会決定を、全ての日本共産党員は国民に普及していかねばならないのではないですか。

近年の日本共産党は宮本顕治氏の革命理論に、殆ど言及しません。

「日本革命の展望」など、読んでいる日本共産党員は滅多にいないでしょう。

これでは「自主独立」というよりご都合主義では、と思えてくるのは私だけではないでしょう。








2018年11月15日木曜日

玉城沖縄県知事による那覇軍港の浦添移転・浦添沖での米軍新基地建設是認より思う。

玉城知事の沖縄県議会での答弁「那覇軍港の浦添移設については『返還が実現すれば基地負担の軽減、跡地の有効利用により発展に寄与すると考えており、これまでの経緯を踏まえ、浦添移設を認めることになると考えている』と容認する考えをしめした」(琉球新報、10月19日昼配信のインターネット記事より抜粋)。


最近、沖縄の現状についていろいろ勉強しています。那覇軍港の浦添移転と突然言われても、本土に住む者には今一つ、ピンときません。

新聞記事などをいくつか調べました。現在は米軍が那覇軍港を一応、利用しています。かなり遊休化しているようですが。

これの浦添移転は軍港全面返還の条件として、平成8年の日米特別行動委員会最終報告に盛り込まれました。

那覇軍港の移設については、沖縄県と那覇市が軍港と民間港を分けた移設案を支持し、地元浦添市は軍港と民間港を一体とする案を支持しています。

どちらの案でも、相応の埋め立てが必要です。

米軍基地移設に伴う海の埋め立てに反対なら、辺野古沖、浦添沖両方の埋め立てに反対しなければつじつまがあわない。

日本共産党はなぜ浦添での米軍新基地建設を認める故翁長知事、玉城知事を支持するのか


日本共産党、左翼知識人、運動家の皆さんは普天間飛行場の辺野古沖移設に断固反対しています。

日本共産党は那覇軍港の浦添移設にも断固反対である旨、国会や県議会で繰り返し主張しています。

ところが、日本共産党は那覇軍港の浦添移転を容認していた故翁長知事を支持していました。この件は城間那覇市長も同じです。

故翁長知事の仕事を受け継ぐと選挙の間繰り返し訴えておられた玉城知事が、上記のように認めるのは当然です。

玉城知事がこれに反対したらむしろ公約違反でしょう。

おかしいのはむしろ、日本共産党、あるいはオール沖縄の皆さんではないか。松本哲治浦添市長はブログや市議会でそんな主張をなさっています。

真に奇妙な話です。

那覇軍港の浦添移転、浦添での米軍新基地建設を日本共産党はなぜ危険と主張しているのでしょうか。

日本共産党の古堅実吉衆議院議員(当時)が平成11年2月18日に衆議院でこの点を詳細に説明されています。

以下、古堅議員の発言を私なりに要約してみます。

古堅実吉衆議院議員による那覇軍港移設反対論要旨


那覇軍港はかつて、沖縄米軍の軍需物資搬出入の拠点だった。最近はかつての機能の多くを他施設に移している。那覇軍港は無条件で沖縄に返還されるべきである。

現在の那覇軍港は水深が9.7メートルにとどまっているので、水深11メートルから13メートルを必要とする米軍の大型艦船寄港には大きな難点がある。

浦添沖なら、自然の水深でも深いところは15メートルある。新しく建設する軍港は、水深15メートルにできる。

現在の那覇軍港と牧港補給基地は、那覇都心部の国道を通って約6キロ離れている。寄港した輸送船から補給基地への異動で難点がある。

移設する浦添埠頭には牧港補給地区が隣接しているので、これを結ぶ直進道路によって軍港と補給基地の一体化が図られる。

那覇軍港の難点だった軍需物資の移動問題が大幅に改善される。米軍の望み通りの計画である。

那覇軍港が浦添に移転されることにより、世界に展開する米海兵隊の前進補給基地と軍港が一体化される。総合的な海兵隊支援補給拠点になる。

那覇軍港が浦添に移転したら浦添新基地が台湾海峡有事の際、中国人民解放軍の標的になる―日本共産党の平和理論―


古堅議員は、米軍の立場から見た那覇軍港の浦添移転、浦添での米軍新基地建設の必要性を大変わかりやすく説明なさっています。

世界に展開する米海兵隊の前進補給基地と軍港の一体化。まさにそうでしょうね。

日本共産党の「平和理論」からみれば、那覇軍港が浦添に移転したら浦添新基地が台湾海峡有事の際、中国人民解放軍の標的になりえます。

沖縄県を戦争に巻き込む米軍新基地建設断固反対!玉城知事は那覇軍港の浦添移転是認を撤回せよ!と日本共産党は大規模な反対運動を起こさねばならないはずですね。

故瀬長亀次郎氏ならそう主張なさったことでしょう。

ところが、現実の日本共産党はそんな主張をしていない。これは数年前からそうなっているようです。県議会や市議会で反対です、と述べるだけです。

日本共産党の平和理論に忠実な方なら、故翁長知事を強烈に批判せねばならなかったはずですが。

そんな度胸と気概のある日本共産党員はいなくなったのでしょう

日本共産党議員、職員、同党を支持する知識人の方々はそんなことを考えつきもしないのでしょうね。

日本共産党議員、職員でも日本共産党の「平和理論」を学んでいない


同党を支持する知識人は、厄介が生じるので一昔前の日本共産党の文献を読まないことにしているのでしょう。

上田耕一郎氏の「マルクス主義と平和運動」(大月書店刊行)を読んでいる議員、職員は稀有の存在なのでしょうね。

不破哲三氏の数ある文献も、いずれ誰も読まなくなるのかもしれません。宮本顕治氏の日本革命論は、既にそうなっていますから。





2018年11月4日日曜日

霜多正次「ちゅらかさ 民主主義文学運動と私」(こうち書房平成5年刊行)より思う。

(日本共産党では)「支部以いがいの他の支部や地区委員会などヨコの党組織に同志をつのることは分派とみなされ、また党内問題を党の外にもちだすことも厳禁されているから、党中央への批判は実質的にないにひとしい。したがって、中央の独裁権力をうみやすいはずであった」(同書p193より抜粋)。


最近、沖縄の問題に関する本をいろいろ読んでいます。霜多正次は沖縄生まれの作家です。

萩原遼氏も、「朝鮮と私 旅のノート」(文春文庫第五章)で霜多と同様の主張をしています。

「ちゅらかさ」によれば、ラバウルから復員した霜多は、都立高校の教師をしていました。昭和23年9月に教師を辞め、新日本文学界の事務局に入りました。

以降、日本共産党の影響下にある文学運動の真っただ中にいた一人として、御自分の文学運動での歩みをこの本で述懐しています。

ちゅらかさ、とはどんな意味なのでしょうか。昔の旅人がかぶる編み笠を想像します。御自分の文学運動の半生を、旅人に喩えてつけたのかもしれません。

日本共産党の影響下にある文学運動を、プロレタリア文学運動、民主主義文学運動と言います。

太宰治はプロレタリア文学に敬意を持っていたように思います。

今日の日本では、プロレタリア文学の社会的影響力はほとんどない。

プロレタリア文学衰退の理由の一つは、プロレタリア文学団体が社会主義国の動向や日本共産党の路線の強い影響下にあったので、内部抗争、離散を繰り返してきたことではないでしょうか。

霜多正次は著作の登場人物の発言が日本共産党の路線から外れていると批判された


霜多正次は「民主文学」という雑誌の昭和58年5月号で、日本共産党幹部会員の津田孝氏に著作「南の風」(新日本出版社昭和57年刊行)を強く批判されました。

「南の風」の登場人物の発言が、日本共産党の路線から外れたものになっている、という趣旨の批判です。

日本共産党の影響下にある文学者の作品は、日本共産党の路線を普及し社会進歩に貢献するように努めねばならない、という宮本顕治氏の文学論に基づく批判でした。

こんなようでは、作家は日本共産党幹部に嫌気がさしてしまうでしょう。小説は日本共産党の路線の宣伝物ではないはずですから。

そうは言っても、プロレタリア文学運動(民主主義文学運動)を指導すると称する日本共産党幹部にも言い分はあります。

小説家が社会進歩に貢献できないとは何だ。マキシム・ゴーリキー、小林多喜二、宮本百合子に見習え、という話になります。

それでは社会進歩とは何なのでしょう。

ロシア文学なら、トルストイやドストエフスキー、チェホフはプロレタリア文学ではありえませんが、社会進歩に寄与していないのか。

仏文学なら、「レ・ミゼラブル」は社会進歩に無縁なのか。これは基督教文学ともいえますから、日本共産党の文学運動担当者なら社会進歩には無縁と答えそうです。

ブルジョア文学を批判的に吸収せよ、とかいう話になるのでしょうか。文学を進歩云々で測定されたら、読書好きの人はたいてい、嫌になります。

社会進歩に貢献せよ、などと言われたら、文学者は何も書けなくなりそうです。そんなことを他人に押し付ける人物の内面が想像されてきてしまいます。

小田実氏が「民主主義文学」昭和58年4月号に載せた文章に、「反党分子」の訪中が記載されていた


「ちゅらかさ」によれば日本共産党の文学運動担当者は霜多正次への批判と同時期に、「民主文学4月号問題』と呼ばれる、民主主義文学運動への強烈な批判を展開しました。

「民主主義文学」(新日本出版社刊行)4月号掲載の小田実氏がよせた文章に、「反党分子」である野間宏の訪中についての記述がありました。

日本共産党についてよく知らない方はそれがどうした、と思うでしょう。

「反党分子」とは、日本共産党員が日本共産党を批判するようになって規約を破り、除名された方をさす言葉です。

在日本朝鮮人総連合会では同様の方を、「民族反逆者」と呼びます。

日本共産党員が「野党と市民の共闘」を訴えるなら、「反党分子」批判を再検討すべきだ


霜多は、「反党分子」の方々を次のように評しています。

「党を除名されるのは、多くのばあい、党中央と意見が会わず、自分の意見を発表する自由をもとめて、規律違反をあえてするのであったが、そういう人間は『反党分子』『脱落分子』と刻印されて、党員のまえからは全人間的存在が抹殺されるのだった」。

霜多によれば、日本共産党員は「反党分子」と親しく付き合った時期があっても、葬儀にも出てはならないとされています(同書p201)。

昭和54年8月、プロレタリア文学作家として有名だった中野重治の葬儀に霜多は参列しましたが日本共産党員はみかけなかった。

佐多稲子が、おどろいたように「よくきてくれたね」とやさしい表情をしてくれたのが、わたしはいまでも忘れられない、と霜多は記しています(同書p201)。

親しかった先輩、友人の葬儀には出るなという話です。日本共産党員が「反党分子」の葬儀に出たら規約違反として処分されるのでしょうか。

「反党分子」に対する「赤旗」、日本共産党最高指導部の対応の件は、「反党分子」の方が亡くなったときにかなり議論されてきたようです。

哲学者古在由重氏が亡くなったとき、「赤旗」には死亡記事が出ませんでした。古在氏は平和運動の進め方で、日本共産党を辞めたようです。

古在氏は「反党分子」だったのかもしれません。死亡記事を出さなかった事について、「赤旗」に説明記事が出た記憶があります。

野坂参三氏の死亡記事は「赤旗」に出たと記憶しています。

日本共産党が「野党と市民の共闘」を訴えるのなら。「反党分子」に対するこれまでの言動を再検討すべきではないでしょうか。

霜多正次、萩原遼の両氏は日本共産党を除籍となりました。両氏は「反党分子」だったのでしょうか。

霜多によれば「反党分子」はスターリン時代に処刑あるいはシベリア流刑となりました。「反党分子」は党員の頭から抹殺されねばならないから、葬儀にも出てはならない(同書p201)。

あまりにも異様です。日本共産党と在日本朝鮮人総連合会はよく似ていますね。

日本共産党幹部が唯物論者なら、霊魂などないと考えているはずです。

日本共産党員はどんな方の葬儀にも出てはならない、と主張するのが理屈にあいそうです。

萩原遼氏を「しのぶ集い」は東京、大阪で開催されました。私は大阪で参加しましたが、日本共産党員の方も出席されていました。










2018年11月3日土曜日

日本共産党代表団と朝鮮労働党代表団の共同声明(昭和41年3月21日)より思う。

「日本共産党は、朝鮮労働党の指導のもとに朝鮮人民が社会主義革命と社会主義建設でおさめた成果をたたえる。

朝鮮人民は、過去のたちおくれた植民地経済を一掃し、自立的民族経済を建設し、英雄的な奮闘によってアメリカ帝国主義の侵略戦争がもたらした困難な条件を克服し、国を発展した社会主義的な工業・農業国にかえた。

今日、朝鮮民主主義人民共和国では、政治、経済、文化生活のあらゆる領域で大きな高揚がおきている。

全人民が朝鮮労働党のまわりにかたく団結しており、人民の政治的道徳的統一は強まっている。」(両党共同声明より抜粋)。


最近の若い日本共産党員は、昔の日本共産党が朝鮮労働党と大変親密な関係を保持し、北朝鮮を礼賛していたことを知らないようです。

昔の「赤旗」を図書館などで探して読む方はいないのでしょう。

社会科学の研究者が日本共産党について何かの文章を書くのなら、昔の「赤旗」「前衛」をざっとでも読むべきなのは当然です。

私見では、その程度の知的努力もしないで日本共産党を支持すると言明している研究者、知識人は少なくない。

この声明は、ベトナム戦争の真っ最中、そして文化大革命直前に締結されました。

日本と朝鮮の共産主義運動の歴史に関心がある知識人、運動家にとって必須の文献です。

両党会談に参加した朝鮮労働党の大幹部二人は、この後追放された(不破哲三「北朝鮮覇権主義への反撃」より)新日本出版社刊行、p20より)



会談に参加したのは日本共産党は宮本顕治、岡正芳、蔵原惟人、米原いたる(米原万里さんのお父さん)、砂間一義、上田耕一郎、不破哲三、工藤晃(敬称略)。

朝鮮労働党は金日成、崔庸健、朴金チョル、李孝淳、金光ヒョップ、朴容国らです。

朴金チョル、李孝淳は朝鮮労働党の副委員長で、「甲山派」と呼ばれ、金日成とは別に日本帝国主義と戦った、ということで知られていました。

不破哲三氏によれば、この二人は会談翌年の5月に開かれた朝鮮労働党の中央委員会で追放されました。

「党の唯一思想体系」がこの会議でうちたてられたそうです。不破氏によればこれは、金日成の個人崇拝体制の確立です。

甲山派の追放により、彼らと何らかの人間関係を持っていた方や、関連すると疑われた方がかなり追放処分になったようです。

私はこの話を、北朝鮮から日本に戻ってきた方から伺いました。

追放処分を、「山へ行く」と在日本朝鮮人総連合会関係者は表現します。

「ネズミも鳥も知らないうちに連れて行く」という表現もあります。

これは、国家安全保衛部が北朝鮮の住民を政治犯収容所に真夜中に連行することを表現しています。

北朝鮮では「政治犯」に裁判はないので、収容所や山奥に連行された方はなぜ自分がそうされたのか、全くわかりません。

昔の日本共産党は日韓条約粉砕を主張していた


ところで、この時期の日本共産党は全力で、前年に結ばれた日韓条約粉砕を主張していました。両党共同声明は、日韓条約について次のように述べています。

「両党の代表団は、さきごろ佐藤内閣と南朝鮮の朴正熙一味との間に結ばれた「日韓条約」は不法、無効のものであり、粉砕されなければならないと強く主張する。

『日韓条約』は日朝両国人民の利益に反し、アジアと世界の平和をおびやかすものである。」

日本共産党と朝鮮労働党の共同声明によれば、日韓条約は日米安保条約、韓米相互防衛条約などと結びついて、米帝国主義、佐藤内閣、および南朝鮮と台湾の傀儡一味による東北アジア軍事同盟の結成を意味しています。

日韓条約は、日本軍国主義者による南朝鮮再侵略の道を切り開くそうです。

今の日本共産党の表現を借りれば日韓条約こそ戦争条約、という話になっています。

京都の渡辺輝人弁護士は、最近韓国の最高裁が徴用工に対して出した判決の件で、日本政府をtwitterで強く批判しています。

渡辺輝人弁護士は、この問題で志位和夫氏が出した見解を高く評価しています。

日韓条約粉砕を長年主張してきた政党が、日韓条約の存在を前提にして元徴用工の対日請求権について論じるのは、おかしくないでしょうか。

渡辺輝人弁護士は昔の日本共産党と朝鮮労働党が共同声明で日韓条約粉砕を主張していたことを御存知なのでしょうか。

ある問題について日本共産党の言論活動や政策を論じるなら、その問題についての同党のこれまでの言論活動や政策を踏まえて論じるべきではないでしょうか。

昭和63年9月の論文で日本共産党は、韓国を南朝鮮と呼ぶべきと主張


「赤旗」を調べると、日本共産党が日韓条約に対する見解を変更したのは昭和63年9月9日の論考「朝鮮問題についての日本共産党中央委員会常任幹部会の見解」です。

この論考で、日本共産党は韓国に政権が存在している事を認め、日韓条約粉砕論から改正論に路線転換しました。

この論文は日韓条約にある、韓国が朝鮮半島の唯一の合法政府である、という条項の改正を主張しました。

それまで粉砕論を主張してきた事をどう考えているのかについては、何も説明していません。

この論文は、韓国を南朝鮮と呼ぶことを主張しています。南朝鮮という呼び方を、韓国人は嫌がります。朝鮮人という呼び方も同様です。韓国人ですから。

日本共産党が韓国と表現するのは、もう少し後です。

レーニン主義なら、日韓条約は日本独占資本が南朝鮮人民を搾取、抑圧するために締結されたとみる


この論文は、日韓条約を東北アジア軍事同盟、南朝鮮再侵略を招くなどと宣伝していた事について沈黙しています。

日韓条約が戦争を招くという話は、レーニン主義、帝国主義論の見地から導かれて当然です。

日韓条約が締結されれば、日本企業は賃金の安い韓国に工場を作りますから。これは独占資本の帝国主義的進出なのです。

南朝鮮人民を搾取、抑圧するために日本独占資本は、米国の傀儡と手を握る。自民党佐藤内閣は、この独占資本の意を受けて日韓条約を締結した。こんな話です。

林直道教授はマルクス主義経済学者として数々の著作を著した方です。

林直道教授(大阪市立大)の「経済学下 帝国主義の理論」(新日本新書昭和45年刊行、p123)によれば、日韓条約による朴政権への10億ドルの援助は米国と朴政権による朝鮮民主主義人民共和国への侵略と南朝鮮南部の革命運動弾圧を助ける資金です。

現実はどうあれ、レーニンの帝国主義論の見地なら、この結論は当然導かれます。

実際の韓国政府は日韓条約で得た資金を社会資本建設に費消しました。韓国への侵略を策していたのは、金日成と朝鮮労働党です。

朝鮮戦争は朝鮮労働党の南進により始まったのです。

石川康宏教授(神戸女学院大)は日本共産党によるソ連、中国、北朝鮮礼賛の歴史をどう見ているのか


石川康宏教授は、「若者よ、マルクスを読もう」(かもがわ出版)など沢山の著作を出されています。

石川康宏教授の「若者よ、マルクスを読もうⅢ」の第三部では、日本共産党が自主独立の党であり、世界の共産主義運動では独自の存在だったと高く評価されています。

石川康宏教授は、日本共産党によるソ連や中国、北朝鮮礼賛の史実をどうお考えなのでしょうか。

昭和36年7月の第八回大会での宮本顕治報告は、ソ連礼賛そのものです。

石川康宏教授は、日韓条約を林直道教授の著作のように評価されているのでしょうか。

レーニンの「帝国主義論」ならこのような結論が出て当然と思えてなりません。