2021年9月26日日曜日

若き不破さんは、ソ連を世界革命の展開の基地と見ていた(「現代トロツキズム批判」。マルクス主義と現代イデオロギー上より)。

日本共産党員、左翼運動家は若き不破さんの論考、著書を読みましょう!

最近の日本共産党員は、日本共産党が一貫してソ連覇権主義と戦ってきたと思い込んでいます。

本ブログでは繰り返し、日本共産党によるソ連礼賛の歴史について述べてきました。

宮本顕治さんの昔の論文や、日本共産党第八回大会決定にはソ連礼賛がいくらでもあります。

若き不破さん、上田耕一郎さんも、ソ連を礼賛していました。

「マルクス主義と現代イデオロギー」(大月書店より昭和38年刊行)は、お二人が「前衛」などに掲載した論考集です。

この本の上巻に、不破さんの論考「現代トロツキズム批判」(「前衛」1959年6月号)が掲載されています。

若き不破さんはスターリンの理論で世界情勢を語っていた

若き不破さんは次のように語ります。

帝国主義の時代には社会主義は世界的な規模で同時に勝利することはできず、はじめに一か国ないし数か国で勝利します。

二つの体制の闘争のなかで、一連の新しい国々が帝国主義から離脱するという過程をとおって、世界的な規模で社会主義に到達します。

その中で、はじめに勝利した社会主義国家の存立を守り抜き、社会主義を建設し、そのあらゆる力量を強化することは、「世界革命の展開の基地」(スターリン)を守ることです。

それ自身、世界革命を推進するためのもっとも重大な課題です。

近年の不破さんには中国共産党が「世界革命の展開の基地」に思えた

不破さんがこの論考を書いたのは62年前ですが、近年不破さんが中国共産党を礼賛していた史実を思い起こしましょう。

不破さんには中国共産党が、「世界革命の展開の基地」に近い存在と見えていたのではないでしょうか。

そう考えると、なぜ不破さんが熱心に中国共産党を礼賛したのか、理解できます。

ソ連は崩壊したが、社会主義の中国は経済成長を達成して頑張っている、という調子です。

中国共産党幹部と北京で討論できて、不破さんは本当に嬉しかったのでしょう。

不破さんには中国が「世界革命展開の基地」に見えてきたのではないでしょうか。

マルクス主義経済学者はなぜ中国を国家独占資本主義と規定しないのか

ソ連、東欧社会主義が全滅した今日、中国が社会主義ではなく資本主義なら、革命理論など夢幻となってしまいます。

マルクス主義経済学者なら現代中国こそ、国家独占資本主義と見るべきです。帝国主義の段階に達した、という結論も出そうです。

それなら中国共産党が周辺諸国を侵略しうる、という結論が出てきます。こうなると、自衛隊の抜本的強化が必要だという話になります。

日本共産党、左翼にとって都合の悪い結論になる。厄介な事に首を突っ込むのはやめよう、という方が左翼人士には多いのでしょうね。保身第一、という話です。

不破さんの昔の論文も、今の不破さんや志位さんは内緒にするしかないですね。

日本共産党は内緒だらけの政党です。田村智子議員なら、これに気づいているでしょうね。

2021年9月20日月曜日

志位さんが宮本顕治さんの主著「日本革命の展望」や第八回大会決定を内緒にしたい理由を考える

 四十年ほど前、早大生だった私は宮本顕治さんの「日本革命の展望」をしっかり読むよう、民青同盟の先輩や日本共産党職員の方に言われました。

四十年などあっという間ですが、長い歳月です。松田聖子がデビューして間もなかった頃ですから。

早大の近くに、左翼の本を扱っている古本屋がありました。

私はそこで宮本さんの本や、不破哲三さんや上田耕一郎さんが若い頃書いた本を買って熱心に読みました。

不破さんの「マルクス主義と現代修正主義」、上田さんの「マルクス主義と平和運動」などです。百円で買えたように思います。

当時の民青同盟では、宮本顕治さんの「日本革命の展望」は、マルクスの「資本論」、レーニンの「唯物論と経験批判論」と同程度の名著だという事になっていました。

日本共産党が「日本革命の展望」は名著だという宣伝をやめたのはいつだったのでしょうか。

推測ですが、宮本さんが引退した平成九年頃かと思います。

敵の出方論、は宮本さんの日本革命理論の重要部分

志位さんは、「敵の出方論」が宮本顕治さんの日本革命理論の重要部分であることを内緒にしたいと考えられます。

最近の日本共産党の、「敵の出方論」に関する見解は次です。

「議会の多数を得ての革命」の路線は明瞭/政府の「暴力革命」答弁書は悪質なデマ (jcp.or.jp) 

この赤旗記事は、宮本さんが第七回大会、第八回大会で繰り返し語った日本革命理論、敵の出方論を内緒にしています。「日本革命の展望」について一切言及していません。

本ブログでは何度もふれてきましたが、宮本さんは第八回大会で春日庄次郎さんが提起した日本革命の平和的移行唯一論を社会民主主義への転落と断じました。

志位さんはこれはまずい、と思っているのでしょう。

今の日本共産党は、革命は漸次的に改革を積み重ねていくことにより実現できるのだ、という表現をよくしています。

これは第八回大会当時、春日庄次郎さん、山田六左衛門さんや社会党の江田三郎さんらが唱えた「構造改革論」と同じです。

志位さんは第八回大会当時の「反党分子」と、結局同じになったのです。

実は反党分子が正しかった、と志位さんが認めたら、厄介な事この上ない話に発展しかねません。

宮本顕治さんが指導した時期の大会決定や文献が日本共産党のHPに掲載されない理由

民青同盟員が宮本さんの「日本革命の展望」や第八回大会決定をどこかの古本屋で仕入れて読んだら、民青同盟を指導する日本共産党職員には厄介なことになります。

民青同盟員は、志位さんは春日庄次郎さんと同じだな、と気づいてしまう。

日本革命は平和的移行しかないですよ、と言われたら、日本共産党職員はどうすれば良いのでしょう。

「それは最終的には敵の出方により決まる。君は社会民主主義に転落しているよ。モスクワ声明を読みなさい」と言うのでしょうか。

宮本さんは第八回大会でそう言っています。モスクワ声明、とはソ連共産党が作成した共産主義運動の文書です。

第八回大会の頃、宮本さんはソ連共産党を盲信していました。

こんな話になったら困るから、志位さんは宮本顕治さんが主導した時期の大会決定や文献を、日本共産党のHPに掲載しないのです。

指導部が日本共産党の文献をあまり読まないよう、一般党員や職員に誘因付けをしている。

共産主義運動は崇高な理想を掲げていますが、指導者への盲信を普及する運動でしかない。

志位さんに度胸と気概があるなら、先日の中央委員会総会で第八回大会決定を破棄するべきでしたね。

第八回大会決定を破棄しない限り、日本共産党は日本革命の平和的移行唯一論を社会民主主義への転落、と断じていることになります。

憲法九条教徒は中朝を平和勢力とみなす

宮本顕治さんの文献すらまともに読めない民青同盟員は、日本革命について思考と議論ができないでしょう。

革命について思考するより、憲法九条完全実施と叫ぶだけの九条教徒になれば自分は立派な人間だと陶酔できます。

九条教徒は安全保障、中朝の核軍事力について一切の思考と議論をしない。

九条教徒は日米安保を批判する中国共産党、朝鮮労働党を大局的には平和勢力とみなす。レーニンの帝国主義論の見地なら、そういう結論になります。

今の日本共産党議員、職員の皆さんの殆どが、宮本さんの文献など全く読んでいないように私には思えます。

日本革命の展望はありません。









2021年9月18日土曜日

昔の日本共産党は暴力革命集団だったー暴力革命論の時代、日本共産党は中国共産党から学んで武装闘争

 昔の日本共産党は、暴力革命論を採用していました。

戦前の日本共産党の最高の理論的到達と言われる32年テーゼは、内乱を起こせと主張していますから、暴力革命論です。

51年綱領も、日本の変革を平和的な手段で行えると考えるのは間違いと明記していますから、暴力革命論です。

この件は、本ブログでも何度か説明してきました。

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 日本共産党の暴力革命論について―宮本顕治氏は51年綱領(暴力革命論)の積極面を第七回大会報告で認めていた(昭和33年7月)― (blueribbonasiya.blogspot.com)

twitterを拝見しますと、日本共産党支援者は勿論、同党の議員、職員の方々は殆ど皆、宮本顕治さんが一貫して平和革命論者だったと信じているようです。

田村智子議員、宮本徹議員、山添拓議員はそのような呟きをしています。

小原隆治早大教授(政治学者)のtwitterもそんな印象です。

小原教授は政治学者なのですから、日本共産党の歴史について見解を表明するなら宮本顕治さんの論文を図書館などで読むべきではないでしょうか。

早大の図書館なら、古い「前衛」や昔の赤旗の縮刷版があるでしょう。

昭和25年の日本共産党の50年問題の際にも、宮本顕治さんが平和的変革を主張したから暴力革命論者だった徳田球一、野坂参三両氏から排除されたと思い込んでいる方が実に多い。

宮本顕治論文「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」を読みましょう

本ブログで何度も紹介してきましたが、宮本さんは昭和25年5月に「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」(「前衛」1950年5月号掲載)という論文を発表しています。

この論文で宮本さんは日本革命の平和的発展の可能性を提起することや、議会を通じての政権獲得の理論は根本的な誤りと断じています。

この論文は、共産党・労働者党情報局ことコミンフォルムによる野坂参三批判(昭和25年1月)に同調して出されたものです。

宮本さんは徳田、野坂両氏から排除されましたが、暴力革命が必要だという点では完全に一致していたのです。

昭和25年6月頃日本共産党は一時的に分裂ー昭和26年10月頃に臨時中央指導部の下に団結

小山弘健「戦後日本共産党史」(三月書房昭和33年刊行)等によれば、日本共産党中央はコミンフォルムによる野坂批判後、混乱して分裂します。

昭和25年6月に、徳田派の中央委員が非公然活動に入りました。少し前に徳田派は、8人の臨時中央指導部を任命しました。

日本共産党は、臨時中央指導部側(所感派。徳田・野坂派と最近の日本共産党は言う。河田賢治さん、谷口善太郎さんも加入)と国際派(宮本顕治さん、春日庄次郎さん、山田六左衛門さんら)に大別して分裂しました。

国際派、の中にもいろいろな集団がありましたが。

昭和25年6月25日、朝鮮人民軍が南進しました。朝鮮戦争開始です。

国際派は「全国統一委員会」「全国統一会議」という組織を作って臨時中央指導部に対抗しました。

昭和26年8月にコミンフォルムから「臨時中央指導部に元に団結せよ」という指令が出されます。

これにより、全国統一委員会の側は昭和26年8月から10月にかけて解散し、臨時中央指導部の下に日本共産党は再結集していきます。

この時代の日本共産党幹部にソ連、中国の権威に逆らえる方はいません。

日本共産党は中国共産党の「鉄砲から政権が生まれる」革命理論から学んで武装闘争

昭和26年10月の第五回全国協議会で「新綱領」(51年綱領)が採択されました。

小山弘健氏によれば、臨時中央指導部に反対してきた党員たちは、復帰条件として新綱領と第四回全国協議会規約の承認及び、分派としておかした誤りの告白と謝罪、その克服を強要されました。

宮本顕治さんもこの時期に、臨時中央指導部から自己批判を強要されたと考えられます。

小山弘健氏によれば、「国際派」の方々は、臨時中央指導部に自己批判書を提出したそうです。この自己批判書は、日本共産党の「五十年問題資料集」には掲載されていません。

昭和26年10月頃に分裂状態をなくした日本共産党は、昭和27年頃に武装闘争を活発に行いました。

小山弘健さんの本によれば、昭和27年2月の「内外評論」(球根栽培法)という冊子に「中核自衛隊の組織と戦術」という小論があります。

日本共産党は武力革命を次の三つの段階に分けました。

第一段階では軍事委員会の指導で中核自衛隊を組織する。

第二段階では中核自衛隊の指導下で、大衆を抵抗自衛組織に組織する。

第三段階では抵抗組織を人民軍にし、武力革命に突入する。

実に物騒な話ですが、中国共産党の「鉄砲から政権が生まれる」論を日本に適用するとこうなるのです。

この時期の日本共産党は、中国共産党からの革命理論を良く学んだと考えられます。徳田氏らは臨時中央指導部を北京から指導したのですから。

昭和27年5、6月頃に日本共産党は各地で火炎瓶闘争を実施しました。吹田事件、枚方事件などです。

宮本流日本共産党史観では、日本共産党が団結を回復したのは昭和30年7月の第六回全国協議会ですが、これは武装闘争は自分たちとは一切関係ないことにするためです。

昭和30年8月、宮本顕治さんは51年綱領(新綱領)をアカハタ紙面で称賛

宮本顕治さんと志田重男さんが主導して行われた第六回全国協議会決定は、新綱領の規定が全て正しいと主張しています。


宮本さんは昭和30年8月の「アカハタ」で、新綱領(51年綱領)を称賛しています。かがやかしい新綱領が示した道が正しかったそうです。


宮本顕治さんがかがやかしい新綱領、とやらに導かれて行った武装闘争が正しかったと断言していたことを、日本共産党議員や支援者の方々は重く受け止めていただきたいですね。

昔の日本共産党は物心両面で中国共産党の世話になった

武装闘争の時代の日本共産党は、中国共産党に物心両面で世話になりました。

国谷哲資さんの論考「北京追憶 若者が体験した戦後日中関係秘史」によれば北京機関には、日本共産党員が2000人程度所属していました。



北京での滞在費用はソ連共産党、中国共産党の負担ですから。

5、6年もしくはそれ以上、中国に滞在した日本共産党員の生活費用を、中国共産党が負担したのです。

今の価格で考えれば、数億円になりそうですね。もっとかもしれません。

日本共産党はこの時期中国共産党に干渉された、などと怒るのは適切ではない。物心両面で世話になったと礼を言うべきです。




2021年9月10日金曜日

志位さんは「敵の出方論」を定式化した第八回大会宮本顕治報告を破棄できない

 志位さんが先日の日本共産党中央委員会総会で、「敵の出方論」は日本共産党が相手の出方によっては非平和的な方針を取るかのような、捻じ曲げた宣伝をされるのでこの表現を使わないと述べました。

「敵の出方論」とは、宮本顕治さんの主著「日本革命の展望」に繰り返し出てくる表現です。

「日本革命の展望」は宮本さんが日本共産党第七回大会から第八回大会(昭和36年7月)にかけて、中央委員会などで行った報告集です。

志位さんは「敵の出方論」という表現を使わないでほしいのでしょうが、日本革命の展望や第八回大会決定を破棄しよう、とは言えない。

志位さんが宮本さん批判をやったら、面倒なことがいろいろ生じるでしょう。

志位さんは昔の日本共産党の文献を内緒にするしかない。

春日庄次郎さんは日本革命の平和的移行唯一論を唱えたー宮本顕治さんは春日さんを徹底批判

第八回大会の頃、春日庄次郎さんという日本共産党の幹部が日本革命の平和的移行唯一論を唱えました。

春日庄次郎さん一派が唱えた革命理論はその後、「構造改革」と呼ばれました。後に神奈川県知知事になった長洲一二教授も、このグループに所属していました。

宮本さんによれば、日本革命の平和的移行唯一論者は社会民主主義的見地への完全な転落です。

宮本さんによれば日本共産党は、国際共産主義運動の一致した命題、モスクワ声明にもとづき、人民の側の意向だけでこの問題を決定することはできないという階級闘争の弁証法を知っています。

まわりくどい表現ですが、宮本さんはこういう空虚な言い回しが好きな方でした。要は、偉大なソ連共産党の理論を信じようという話です。

宮本顕治さんの「日本革命の展望」はソ連信仰を前提にしている

志位さんは本音では、国際共産主義運動の一致した命題、モスクワ声明などくだらないと思っているのかもしれません。

階級闘争の弁証法、などを知ったら敵の出方論者になるのでしょうね。

宮本顕治さんの主著「日本革命の展望」の大前提は、ソ連信仰でした。

日本革命、などないのです。株式市場、金融資産市場が存在する市場経済は、資本主義経済とみなすべきです。

金融資産市場を廃止したら、企業は資金調達ができません。日本共産党と同党を支援するマルクス主義経済学者は企業経営についての思考と議論をしない。

志位さんは「敵の出方論」はつまらない話だな、と本音では思っているのかもしれません。

日本共産党員は第八回大会決定や宮本さんの「日本革命の展望」を改めて読むべきではないでしょうか。

現状では、日本共産党員は宮本さんが主導した時期の大会決定を入手しにくくなっています。

宮本さんによれば、ソ連は共産主義社会の全面的建設を成功裏に進め、世界平和の強力な砦になっています。

ソ連万歳、という話です。昔の日本共産党員はこんな宣伝が好きでした。根拠など何もない。

北朝鮮が地上の楽園だ、という宣伝と同じような話です。




今の日本共産党員が憲法九条を深く信仰しているように、昔の日本共産党員はソ連を信仰していたのです。ソ連教徒が、九条教徒。



2021年9月8日水曜日

松竹伸幸さんの日本共産党の党首公選論より、伊里一智さんの訴えを思い起こして

 日本共産党中央の政策委員会という部署に長くお勤めだった松竹伸幸さんがブログで、日本共産党の党首を党員の公開直接選挙で選ぶべきと訴えています。 

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松竹伸幸さんによれば、党首になりたい日本共産党員が地域の会議から代議員となり、次から次へと代議員に選出され、さらに全体の大会で中央委員、党首と選出されたら党首になれます。

しかし現在の規約では、他の党員に党中央の政策と異なる政策を表明、普及できません。

伊里一智さんの訴え「気分はコミュニスト」(日中出版)

35年ぐらい前ですが、東京大学の院生で日本共産党大会の代議員になって当時の党首、宮本顕治さんの退陣を訴えようとした方がいました。

この方が伊里一智というペンネームで「気分はコミュニスト」(日中出版昭和61年刊行)という本を出しています。

伊里一智さんはビラを配布するなどして日本共産党を批判したので、除名されました。

分派の結成を策した、というような話で、院生の中で同じ行動をしていた方も除籍になったようです。

伊里一智さんの本には、Yという名前の方が同調者として出ています。

この方が、その後ロシア語通訳として大成された方(故人)なのかどうか、私にはわかりません。

行方克也さんによる原則的で非妥協的な対応

伊里一智さんの件について、行方克也さんの日本共産党大会での発言が第十七回大会特集に掲載されています。

行方克也さんは、日本共産党東京の職員の方と考えられます。

行方克也さんによれば、伊里一智さんらは民主集中制の緩和と称して、理論派閥の容認、横の交流の拡大、党外出版物での批判の容認などを求めました。

行方さんは、これは分派容認であり、分派主義、解答主義の主張であるから、今後も原則的で非妥協的な対応をすると述べています。

松竹さんは理論派閥容認や横の交流拡大、党外出版物での批判の容認など主張していませんが、党首を党員の直接選挙で決めるなら、同じことになりそうです。

30数年前なら松竹伸幸さんも原則的で非妥協的な対応、とやらを日本共産党職員にされたのかもしれません。

その後一般党員がインターネットで日本共産党を批判してもそれはおかしいよ、と言われる程度になったようです。twiitterなどにそんな話が時折出ています。

伊里一智さんはその後、東京の大学教員になったようです。以前、インターネットに出ていました。

推測ですが、日本共産党から除名されて本当に良かった、という御気持ちではないでしょうか。Yさんも多分、同じだったでしょう。

理論派閥、とやらも容認できない政党では、党員は思考力が麻痺してしまいます。朝鮮労働党、在日本朝鮮人総連合会と同様です。

伊里一智さんの提案の一つ、社会党の一方的応援はその後、立憲民主党を政策協定なしで応援するという形で実現しました。

志位さんが、伊里一智さんの昔の提案を思い出したのかもしれませんね。

日本共産党と昔の社会党の共通点ー非武装中立論の採用

松竹伸幸さんは日本共産党が自衛隊活用論を言いながら実際は自衛隊解散、日米安保廃棄を目指しているので非武装中立論になっているとブログで主張しています。

この点、私もそう思います。非武装中立論ですから、日本共産党の防衛政策は昔の社会党と同じです。

憲法九条完全実施なら、自衛隊解散、日米安保廃棄で日本国家の国防力を皆無にすることになります。

日本共産党は繰り返し、憲法九条完全実施を訴えています。さいとう和子さんは憲法には一ミリも触れさせない、と訴えています。

日本共産党の安全保障論は自衛隊の違憲・合法論になっているともいえる。違憲の自衛隊が、自衛隊法により防衛出動せよという話ですから。

これでは駄目だ、という発想で松竹さんは党首公選論を訴えているのでしょうが、志位さんがこれを受け入れる可能性はゼロに近い。

志位さんが党首を党員の選挙で選ぼう、選挙戦では公開で論戦をしよう、と決断すればできそうですが。

党首公選実施のためには規約改正が必要

日本共産党規約第十三条は、全ての指導機関は党大会、それぞれの党会議、支部総会で選挙によって選出されると明記されています。

指導機関は、次期委員会を構成する候補者を推薦します。この条項により、大会で誰が次期の中央委員になるかを、現在の指導機関が推薦できます。

現在の指導機関により選ばれた中央委員が、党首の意思と異なる方を指導機関に推薦するはずもない。

規約第十七条は、国際的・全国的な問題については党員は党の全国方針に反する意見を勝手に発表しない、とあります。

党首選挙で候補者が論戦をするなら、第十三条と第十七条を改正せねばならないでしょう。

候補者は国際的・全国的な問題について全国方針に反する意見を勝手に発表するでしょうから。

規約に何がどう記載されていようと、志位さんが良い、と言えば日本共産党では良いのかもしれませんが。朝鮮労働党と日本共産党は似ています。

日本共産党の党首公選が実現しても、自衛隊解散・日米安保廃棄なら金正恩が日本に核攻撃

ところで、自衛隊解散、日米安保廃棄で日本国家の国防力を皆無にするという日本共産党の宿願が実現したら、金正恩は日本に核攻撃を断行して民族の英雄になるでしょう。

自衛隊解散、日米安保を廃棄した頃に日本共産党の党首が党員の選挙で選ばれても、金正恩により水葬されてしまう可能性があります。

水葬、とは物騒な表現ですが、平成26年11月23日の朝鮮中央通信に掲載されている国防委員会声明は日本を水葬する、と述べています。

松竹伸幸さんのブログには、金正恩と朝鮮労働党による核ミサイル攻撃に日本がどう反撃すべきか、という話が出ていません。

日本共産党員は朝鮮労働党の核軍事力についての思考と議論を嫌がります。厄介だからでしょうね。







2021年9月4日土曜日

日本共産党はなぜ中国共産党との合意を破棄できないのかー不破哲三「党綱領の力点」(平成26年刊行)と松竹伸幸さんの提案より思う

宮本徹議員は志位さんに日中両党合意破棄を提案すべきだ

最近の日本共産党は、自分たちは中国共産党とは全く異なると宣伝しています。

宮本徹議員はtwitterの冒頭で中国共産党は共産党という名に値しない、と主張しています。

それなら、平成十年(1998年)に不破さんが主導して締結した中国共産党との合意を破棄しよう、と宮本徹議員は志位さんに提案すれば良いではないですか。

この合意が存在する限り、日本共産党は中国共産党を中国社会の変革の担い手、科学的社会主義の党とみなしている事になります。

両党関係を正常化する、とはそういう意味ですから。

日中両党合意の四より、日本共産党は人民解放軍による赤旗記者射殺について完全沈黙

合意の四には、双方は両党間に存在した歴史問題が基本的に解決したことを確認し、という記述があります。

私見ではこの合意により、日本共産党は人民解放軍による高野赤旗記者射殺について、中国共産党に謝罪や補償を求めることができなくなりました。

赤旗記者射殺について何も言えなくなったのですから、不破さんは中国覇権主義に屈服した、という批判が日本共産党内部から出てきても良さそうなものですが。

近年の志位さんは人民解放軍による赤旗記者射殺について、完全に沈黙しています。

なぜ日本共産党は中国共産党との合意を破棄できないのか

日本共産党が中国共産党との合意をいまだに破棄できない理由は以下にあると考えます。

不破さんは著書「党綱領の力点」(p126)で次のように述べています。

同じく社会主義を目指し、科学的社会主義(マルクス主義)という理論の原点は共通であっても、歴史の中で形成されてきたお互いの理論体系には二つの文明ともいうべき違いがある。

二つの文明は、異なる価値観を持った二つの文明ではない。

科学的社会主義(マルクス主義)という共通の源流に立った二つの文明である以上、大きな接近は可能だし、そこに歴史の発展的な方向がある。

それには大河の流れるような歴史的時間が必要である。

不破さんは中国共産党が建国以来、覇権主義で人権抑圧集団であることを熟知しています。

中国共産党は建国直後に、朝鮮戦争に参戦しています。これは大韓民国への侵略です。

この少し後に、人民解放軍はチベットに侵攻。奴隷制からの解放と称して僧侶を虐殺。

新疆や内モンゴルでも、中国共産党は虐殺を繰り返してきました。大躍進では、3000万人ぐらいの餓死者を出したと言われています。

中国共産党による蛮行の歴史を熟知して、日中両党は科学的社会主義という共通の源流に立った二つの文明であると不破さんは評価しました。

日本共産党幹部、職員は不破さんを公の場で批判できない

中国共産党が中国社会の変革の担い手、科学的社会主義の党である以上、大河の流れるような歴史的時間が経過すれば、国民に思想信条の自由、言論の自由、結社の自由を認め、覇権主義を放棄するだろうという話です。

大河の流れるような歴史的時間、ですから不破さんは数千年を想定しているのでしょう。

黄河文明は三千年くらい前でしょう。

三千年くらい、中国共産党は覇権主義で人権抑圧を継続するだろうと不破さんは見ているのかもしれません。

日本共産党幹部、職員は不破さんのこの歴史観を、インターネットなど公の場で批判できません。

一般党員なら、不破さんや志位さんを公の場で批判しても規約で処分されない場合もあるでしょう。

日中両党合意は、不破さんの歴史観、大局観により今日でも生きた力を発揮しているのです。

不破さんは中国覇権主義に屈服したのです。それだけの話なのですが。

松竹伸幸さんは日本共産党の党首選挙実施を主張しているがー故萩原遼さんは三役公選制を提案

松竹伸幸さんはブログで、日本共産党の党首選挙実施を主張しています。

松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba (ameblo.jp)

松竹さんによれば、日本共産党幹部内でも綱領にある自衛隊の規定について解釈の相違があるそうです。

そこで松竹さんは、日本共産党は党首選挙を実施し、議論を公開すべきと主張しています。

故萩原遼さんは著書「朝鮮と私 旅のノート」(文春文庫)で日本共産党の三役を全党員による公選制にせよと主張しました。

萩原さんはその後、不破さんを批判したことなどの理由で除籍となりました。

志位さんが松竹さんの提案を受け入れることなどありえない。松竹さんは実情を良く御存知でしょうけれど。

中国共産党が主席を党員の公選制で選出することなどありえないことと同じです。

日中両党は、科学的社会主義の党、レーニン、スターリンの思想と伝統を継承する党ですから。