2018年10月6日土曜日

不破哲三「党綱領の未来社会論を読む」(平成30年日本共産党中央委員会出版局)より思う。

「この問題の現代的な解決策は、生産手段を資本家の手から人間の連合体である社会の手に移すことにあります。それが『生産手段の社会化』なのです」(同書p32より抜粋)。


この問題とは、貧富の格差拡大、地球温暖化などです。

不破哲三氏によれば、資本主義社会では生産活動の唯一最大の目的が資本家の利潤増大なので、貧富の格差拡大や地球温暖化が生じています。

それでは「生産手段の社会化」として不破哲三氏ら日本共産党員はどういう企業経営ないしは経済運営方式を想定しているのでしょうか。

不破氏によれば、生産手段の社会化の形態については特別の規定をせず、将来の探求の課題としているそうです(同書p78)。

生産手段の社会化として、どんな企業経営、経済運営方式を不破哲三氏は想定しているのか


「生産手段の社会化」がどういう企業経営、経済運営方式を想定しているのかという問いに対しては、特別の規定がなく、将来の課題ということです。

それならば、生産手段を資本家の手から人間の連合体である社会の手に移したら貧富の格差がなくなり、地球温暖化問題が解決される保証は皆無です。

一般に、どんな理論や政策でも中身に具体性がないのなら、政策担当者はその理論、政策を実行しようがない。

政策担当者はその場の判断で企業経営や経済運営の実務をするしかない。

その結果、赤字経営から倒産する企業が続出して貧富の格差が拡大するかもしれない。

汚染物質を大量排出する製品を、「結合した生産者」が大量生産、販売して環境汚染が深刻化していくかもしれない。

「結合した生産者」として不破哲三氏はどんな工場運営を想定しているのか


「結合した生産者」とは、労働者たちが共同して工場を動かす主役になることだそうです(同書p78)。

これについても、不破氏はどんな工場経営を想定しているのか一切記していない。

不破哲三氏は、企業経営を全く理解していないのではないでしょうか。

今の工場でも、労働者が一人だけで機械や設備を担当し、稼働させている例は少ないのではないでしょうか。

家内工業のような零細企業の職場なら労働者が協力することなく、一人で生産をしているかもしれませんが。

多少大きな企業なら、工場長、~部長や~課長が経営側からの指令と労働者の要望を総合して機械や設備を稼働しているはずです。

この際、経営側は利潤を最大にするために、労働者が懸命に働くような誘因や、退職して他の職場に行かないような賃金やノルマを設定するでしょう。

「契約の経済学」ではこれらを誘因両立性条件と参加制約条件と言います。

利潤最大化、内部留保ため込みを、株主、銀行(債権者)、労働者が望みうる


企業に資金を提供する株主は、利潤が大きくなれば配当が増えますから、経営者に利潤最大化を要求する。

銀行が企業に多額の設備投資資金を貸している場合もあります。銀行も、経営者に利潤最大化を要求する。

貸した資金を回収せねば自分が大損をしてしまいますから。

企業が巨額の利潤を確保し、適切な設備投資や金融資産投資を行って競争力を向上させたら、その企業の存続可能性は高くなります。

所属企業が巨額の利潤を上げ、巨額の内部留保を持つのは、労働者にとって悪い話ではない。

経営者が企業経営に失敗すれば利潤は減り、赤字経営が続けば無配当、株価が底値になっていきます。

このとき、厚い内部留保を持つ企業なら暫くは存続できる。

経営者が不採算部門の労働者を解雇、配置転換でコストを削減できなければその企業は倒産するでしょう。株価はゼロになります。

その企業に債権を持つ銀行が主に倒産会社の整理業務をする。

倒産させるか否かを、銀行が最終決定する場合が多い。

現在行われている企業経営方式は、ざっと言えばこうなります。

不破哲三氏ら日本共産党員は、「生産手段の社会化」によりこれのどこを、どう変えれば貧富の格差や、地球温暖化が解決できると豪語するのでしょうか。

不破哲三氏ら日本共産党員は金融資産市場を廃止したいのか―利子収入、配当は不労所得


不破哲三氏ら日本共産党員の描く「未来社会論」に、金融資産市場に関する話が殆ど出てこないことも気になります。

利潤を、経営者の判断で金融資産投資に配分したら「内部留保のため込み」で悪行と判断されるのでしょうか。

金融資産投資には投資信託購入、株式購入、国債保有、各種の債券購入、定期預金保有などいろいろあります。

これがなぜ「内部留保のためこみ」で悪行なのか。

思いつくのは、レーニンが唱えた、富農による穀物投機批判です。

余剰穀物を隠して、高く売ろうとしている富農は人民の敵だから投獄せよ、という話です。

日本共産党員には、大企業経営者が地主や富農のような存在と思えているのではないでしょか。

不破哲三氏によれば、信用=金融制度の巨大な機構はその多くの部分が「不必要な機能」として整理されるそうです(同書p50)。

金融資産投資、金融資産市場が日本共産党が想定する「未来社会」でも存続しているのなら、搾取制度は存続しているともいえます。

利子や配当所得は不労所得ですから。

ある企業の株を沢山持っている株主は、自分では一切働かなくてもその企業の経営に口を出せる。

株式市場を全廃し、株主が経営者に利潤最大化を要求できないようにしないと、「利潤第一主義」の克服は困難でしょう。

経営者は聖人君子ではない。大株主の要求に応じられなければ、次の株主総会ないしは取締役会で解雇されうる。

株式会社は実に良い仕組みと思えてなりません。

株式会社を全廃したら、経済が非効率的に運営され、生産と雇用が大幅減少して経営者、投資家だけでなく労働者も大損をするだけです。

配当、利子収入はリスク引き受けに対する正当な報酬なのか


しかし株式会社を廃止しないと、搾取制度を廃止できない。配当は不労所得ですから。

マルクス主義経済学者がこれらを搾取ではなく、リスクの引き受けに対する正当な報酬であると把握するのなら搾取とは一体何なのでしょうか。

利潤の一部が配当や利子払いに充当される。マルクス主義経済学では、搾取が存在するから利潤があるという。

これは価値決定式と利潤存在条件により説明できます。

利潤の一部を生産に直接貢献していない主体に配分することを認めるのなら、資本家が利潤の取得、配分を決定しても良い事になる。

資本家が株式や債務証書(債券)を発行し、企業経営の原資を調達、提供しているのなら、利潤の一部取得と配分決定権限を掌握するのは当然ではないでしょうか。

投資家という経済主体は、国家権力により存在を認められないようにすべきなのですか。

これは、地主、不動産の賃貸料所得生活者の存在禁止と同じことです。レーニンは地主を追放しなければ社会主義の前提がないと考えた。

「若者よ、マルクスを読もう」の著者石川康宏教授や、聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員」にこれらをお尋ねしたいものです。


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