2020年2月29日土曜日

続・故張龍雲さんが語った事について

昭和49年8月15日の「文世光事件」について


韓国政府の発表は事実と異なる。大阪市生野区の朝鮮総連の人間が文世光を指導したなどと発表されているが、そんなことはないと張さんは語っていました。

張さんはこの事件が、洛東江の所業であると確信していました。

文世光により射殺されたのは朴正熙大統領夫人、陸英修女史です。朴グネ大統領の母です。

当時の韓国政府の発表によれば、文世光は大阪市の警察の派出所から拳銃を盗んだことになっています。

工作員と言っても、文世光はさほどの特殊訓練を受けていません。派出所に忍び込んで拳銃を盗むなど、プロ中のプロの仕業です。

別の人間、特殊工作員の所業と考えるのは自然と思います。

この件、困難でしょうが、これからの日韓関係のために真相解明は大事です。

脱北者や韓国の情報機関を退職した方から何か情報を得られると良いのですが。

沖縄での朝鮮労働党非公然組織について


これは朝銀信用組合から多額の金を借りている会社の謄本を私(黒坂)が取り寄せ、張さんに会社名と代表者名について御存じありませんか、と伺って分かった事です。

もう二十年以上前です。

そのうちのある会社の代表者が、張さんが良く知っている優秀な工作員でした。

もう亡くなったと伺っています。この方は、お若い頃は日本共産党の幹部でした。

在日本朝鮮人総連合会の活動を熱心にされた古参幹部には、元日本共産党員が多い。昭和30年まで在日の共産主義者は日本共産党員でしたから。

この方が沖縄でどんな活動をなさったのか、わかりようもありません。

非公然組織は、朝鮮商工人らから資金を得られますから、沖縄で事務所を開設するのは難しくありません。

この方が朝鮮労働党の対南工作機関のどの部署に所属していたのかは不明です。

この方を知る方は少なくありません。宣伝工作員としても優れた方だったように思います。

朝鮮労働党非公然組織による覚せい剤持ち込みについて


外貨稼ぎのため、朝鮮労働党非公然組織は頻繁に覚せい剤を持ち込むそうです。

どれだけ沢山の金を朝鮮労働党に献上できるかで忠誠心が測られます。

そこで統一のために、と純粋な気持ちで活動に身を投じた人間でも悪事に手を染めるようになってしまうそうです。


補足・「学習組」について


思い出したので付け足します。在日本朝鮮人総連合会の内部に、「学習組」という朝鮮労働党の非公開組織があります。

この組織は、「組」、チョ(조)という隠語で呼ばれています。

学習組、のメンバーは「党の唯一思想体系確立の十大原則」が記載されている赤い小冊子を与えられます。

張さんによれば、「学習組」は在日本朝鮮人連合会の幹部なら大体、加入していますから、朝鮮労働党側はそれほど重視していない。

例えば、朝鮮学校の校長ならほぼ皆、「学習組」の一員だそうです。

今も全ての朝鮮学校の校長先生が朝鮮労働党の非公然組織の一員である、などと断言できるはずもありません。

日本には思想信条の自由がありますから、どなたが朝鮮労働党員だろうとそれだけで処罰されるべきではありません。

しかし、朝鮮学校の教育内容が「学習組」のような朝鮮労働党の非公然組織を通して、平壌の朝鮮労働党幹部により決定されているなら、無償化や補助金支給は不適切です。


故張龍雲さんが語った事(「朝鮮総連工作員『黒い蛇』の遺言状」小学館文庫の著者。日本人拉致組織「洛東江」の資金調達係)のメモ

「韓が拉致誘拐した田中実には身よりがない。幼いころ両親は離婚し、その後両親とは一度も会っていない。1978年6月6日、成田より出国した田中は、韓の経営するラーメン店で働いていた。...韓は彼を言葉巧みにオーストリアのウィーンまで誘い出している。ウィーンには北朝鮮の情報機関『ゴールデンスターバンク』があり、西側への窓口としての役割を果たしていた」(同書p117より抜粋)。


故張龍雲さんは、日本人拉致組織「洛東江」の資金調達係だった方です。

洛東江の一員だった韓竜大という人物は神戸市でラーメン店を営んでいました。

そこで働いていた田中実さんを巧みに誘い出し、ウィーンから平壌に連れて行ったのです。

この事件と、日本人拉致組織「洛東江」の所業を張さんは平成8年12月に「文芸春秋」に掲載された論考で発表しました。

そのころ私は、被拉致日本人救出運動と北朝鮮の人権問題の運動を小規模ながら、山田文明さんらと始めていました。

萩原遼さんにも、当時いろいろと教えて頂きました。

私は「文芸春秋」発売後すぐにこれを読み、驚愕しました。

日本人拉致問題、特に兵庫県民の有本恵子さんについて、来る兵庫県議会で大前繁雄県議(当時)に取り上げて頂くようお願いしていましたが、急遽田中実さんについてもお願いしました。

大前県議は快諾して下さり、田中実さんの件を兵庫県議会で取り上げられました。

この時はまだ、横田めぐみさんの拉致事件が世間に報道されていませんでした。

マスコミの注目度はさほどではありませんでしたが産経だけでなく朝日新聞にも報道されました。

田中実さんはその後、平壌にある金正日政治軍事大学にいたなどの情報がもたらされましたが正確な事情は不明です。

南朝鮮革命戦略の一環としての日本人拉致


張龍雲さんは兵庫県議会の件で私がいろいろ努力していたことを、どこかで聞いて下さったようです。

人を介して連絡が取れ、その後何度も神戸市のお宅をお尋ねしました。

金日成の南朝鮮革命戦略の一環として日本人拉致があるのでは、と私は張さんにお話ししました。張さんはその通り、こいつは良くわかっているなと答えました。

張さんは糖尿病が悪化しており、不自由なお体でした。以降朝鮮労働党の工作組織や朝鮮商工人の実状について、沢山教えて下さいました。

張龍雲さんが語ってくれたこと


以下、張さんが語ったことを思い出せる限り、記しておきます。順不同です。

・武装工作員だった安明進は、彼の立場として知りようのないことまで話している。武装工作員は、暴力団でいえば「鉄砲玉」だ。「鉄砲玉」が大きな事を知る由もない。

・安明進の上司ともいえる呉克烈は極めて優秀な人物である。

・労働党幹部が、日本人を「つがい」で連れてくると精神が安定して良い、と話していた。

・田中実の他には、拉致された日本人について知らない。

・在日本朝鮮人総会関係者は万景峰号で巨額の金と物資を北朝鮮に運び、金正日に献上する。

・文世光事件は、韓国政府が発表した事と実態は異なる。洛東江の所業である。

・各地の朝鮮労働党の非公然組織が、いくつかの朝銀信用組合から大金を借りて金正日に献上してきた。朝鮮労働党の非公然組織は、日本人だけでなく資金と物資を金正日に献上する事を任務にしている。

・非公然組織は借りた金を返さないから、朝銀の経営は悪化する。非公然組織は会社を作っている。

・沖縄にも朝鮮労働党の非公然組織が組織づくりを行っている形跡がある。会社を沖縄に作っている。

・少人数で構成される非公然組織は、商工人を入れている場合もある。あるいは、各地の有力商工人に統一を訴えて大金を出してもらう。

・朝鮮商工人の中には、暴力団関係者もいる。大阪の某を私(張さん)は良く知っているが、やくざをやるために生まれてきたような男だ。貴方(黒坂)は奴が礼儀正しい人だとどこからかか聞いたというが、やくざは一般人には礼儀正しくするのだ。ハハハ。

・昔の商工人には大きな人物がいた。芦屋の文東建はそんな方だった。

・東京では、焼肉のたれ「ジャン」の会社を作った方が立派だった。北朝鮮で工場を作った方は多いが、殆ど失敗している。

張さんが私に御自宅で語って下さったのは随分前のことです。十数回、お宅をお尋ねしました。

張さんが熱心に取り組んでいた仕事の一つは、北朝鮮で金鉱を採掘し金を輸出することです。金正日が途中から介入して駄目になったようです。

金を掘るはずだった会社「雲山開発」に投資をした商工人の方々や、雲山開発の社員の方々は今、どうなさっているのでしょうね。

金正恩は韓国をフロント企業にしたい


張さんは繰り返し、金正日と朝鮮労働党は金と物資を在日朝鮮人に要求すると強調していました。

金と物資を得るための統一、南朝鮮革命なのです。これは今でも同じです。

少し前に、切手学者の内藤陽介氏が拉致問題のツイキャスで「金正恩は韓国をフロント企業にしたいのだ」と語っていました。

張龍雲さんがお元気だったら、その通りと言ったでしょう。

2020年2月24日月曜日

脱北者(元在日朝鮮人)、在日本朝鮮人総連合会関係者の話より思う

「平壌、元山にいる親族からの手紙を長年受け取っている。以前は、手紙の冒頭に必ず『偉大なる首領様の配慮により』という表現が添えられていたが、近年はこれがない。手紙は必ず検閲されている。


なぜそうなったのかわからない。保衛部の統制が緩んだ、という話でもなさそうだが」(在日本朝鮮人総連合会関係者より)。

北朝鮮の実状を把握するためには、朝鮮労働党の文献(労働新聞、朝鮮中央通信等)と金日成、金正日そして金正恩の著作を読み解く事は欠かせません。

同時に、脱北者と親族が北朝鮮にいる在日本朝鮮人総連合会関係者から、北朝鮮の最近の事情を聞き取る事が大事です。

日本にいる脱北者(元在日朝鮮人)の中には北朝鮮にいる親族と何らかの方法で連絡を取っている方がいますから。

上記は、在日本朝鮮人総連合会関係者から最近聞いた話です。

これだけで、保衛省(以前は国家安全保衛部)の帰国者に対する統制が緩んだ、などとは言えません。

他の帰国者からは相変わらず、「偉大なる首領様の配慮により」という表現がある手紙が届いているかもしれませんから。

ともあれ、保衛省による統制が緩んでいる地域が存在する可能性はあります。

金元フォンという最高幹部が処刑ないしは収容所送りにされてしまったという情報を、韓国にいる脱北者が得ています。

収容所連行を「レンガ工場へ行った」


保衛部は何らかの基準で罪を犯していると判断した朝鮮の住民宅を真夜中に訪れ、一家全員をどこかに連れていきます。

収容所か、山間僻地です。

北朝鮮の住民は、突然いなくなった隣人のことを「山へ行った」と表現します。

他に、「山へ追いやられた」「山へ送った」「レンガ工場へ行った」という表現もあるそうです。

「レンガ工場」とは、収容所を指す表現です。

この表現が北朝鮮全土で用いられているのか不明です。なぜレンガ工場なのかもわからない。

山間僻地として、私は北朝鮮の北部の山奥を想像していたのですが、38度線近くの僻地に追放される場合もあるそうです。

この場合、テレビを持っていれば韓国のテレビ放送を受信できるそうです。

これが保衛部にばれれば重罪ですが、うまく保衛部の監視網を破る住民はいくらでもいる。

北朝鮮の南部地域では帰国者は勿論、原住民(元からの北朝鮮住民を帰国者はこう呼ぶ)でも韓国のテレビ放送を受信している方は少なくない。

保衛省員は住民から外貨をまきあげる


保衛部の監視網を破る、とは賄賂などで保衛部員を懐柔することです。

保衛部は住民を収容所に連行できるのですから、強大な権限を持っていますが、外貨稼ぎをせねば生きていけない。

保衛部直轄の外貨稼ぎ会社もありますが、各保衛部員が外貨を稼ぐためには、住民から巻き上げるしかありません。

北朝鮮社会は何でも金、になって久しい。

金正恩は住民が自分を偉大だ、と思っていないことをわかっているのではないでしょうか。

金正恩は相当な精神的負担を抱え込んでいると考えられます。

張成澤が権限を奮っていた頃、中国から外貨が入り豊かになった住民は多かった。

張部長は良かった、という声なき声がありそうです。

2020年2月23日日曜日

日本共産党の暴力革命論について―宮本顕治氏は51年綱領(暴力革命論)の積極面を第七回大会報告で認めていた(昭和33年7月)―

日本共産党員で暴力革命など考えている人はいない。田村智子議員が先日このようにtwitterで主張していました。


田村智子議員は、第八回大会中央委員会報告で宮本顕治氏が定式化した「敵の出方論」を御存知ないようです。

宮本顕治氏の著作「日本革命の展望」は読んでいるのでしょうけれど、内容を忘却なさっているのでしょう。

「敵の出方論」によれば、日本革命の最終的な形態は敵の出方により決まる。これを宮本氏は第七回、第八回大会で繰り返し主張しました。

敵の出方により、暴力革命もあり得るという結論です。

物騒な話ですが、日本共産党は第七回、第八回大会決定をその後否定していませんから、今でも日本共産党は暴力革命もあり得るという路線を維持している。

安倍総理の国会答弁は適切です。

「敵の出方論」の背景―「51年綱領」(暴力革命論)と宮本顕治氏の暴力革命論


日本共産党の第七回(昭和33年7月)、第八回党大会(昭和36年7月)は昭和26年10月の第五回全国協議会で採択された「51年綱領」をどう修正するかを大きな課題としていました。

「51年綱領」には「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しるうと考えるのは間違いである」(日本共産党の51年綱領の中の記述)という記述があります。

本ブログで何度か論じてきましたが、この見解は昭和25年5月に宮本顕治氏が雑誌「前衛」に発表した論考と基本的に同じです。

宮本顕治氏は日本革命の平和的発展の可能性を否定し、議会を通じての政権獲得の理論も誤りと断言しました。

51年綱領はスターリンとソ連共産党、中国共産党により日本共産党に提起されました。多少の混乱後、昭和26年当時の日本共産党中央はこれを受け入れました。

宮本顕治氏ら「国際派」は当時の日本共産党中央の中心だった徳田球一、野坂参三両氏と対立したので、分派扱いされました。

ソ連と中国が徳田、野坂氏の側を正しいと認めたのですから、宮本顕治氏ら「国際派」に勝ち目はない。

宮本顕治氏らはまもなく徳田、野坂両氏の側に復帰します。

日本共産党の分裂状態は、昭和26年秋ごろには解消されています。

分裂解消の際、宮本顕治らは分派活動を自己批判し、51年綱領を承認しています。

宮本顕治氏は元来、暴力革命論者だったのですから、この時点で51年綱領の内容に大きな違和感はなかったでしょう。

この後徳田、野坂両氏、志田重男氏らが日本共産党中央として武装闘争を指導しました。

宮本顕治氏は直接武装闘争に参加していないでしょうが、暴力革命論者だったのですから責任を免れるはずがない。

党の経験は、綱領に示されているすべての規定が完全に正しいことを実際に証明している(第六回全国協議会決定の冒頭より抜粋)


宮本顕治氏、志田重男氏が主導した昭和30年7月の第六回全国協議会決定には51年の新綱領に示されているすべての規定が完全に正しいと明記されています。

最近の日本共産党は、51年綱領は日本共産党の綱領ではなかったと主張していますが、これは第六回全国協議会決定及び第七回大会決定を無視する暴論です。

宮本顕治氏は第七回大会「綱領問題についての中央委員会報告」で1951年綱領に変えて新しい綱領を作成することを提案しています。

宮本報告によれば、51年綱領は米帝国主義が日本を目下の同盟者として戦争に引き入れようとしている事、米日反動の利害が一致している事を指摘して正しく問題を提起しています。

51年綱領は日本共産党綱領ではなかった、という報告ではなかったのです。

51年綱領が完全に正しいと認めた第六回全国協議会から三年後の大会ですから、51年綱領が綱領ではなかったという報告ができるはずがない。

51年綱領には問題があるから変えねばならないと宮本氏は報告したのです。

第七回大会での宮本報告は「日本革命の展望」に掲載されています。

田村智子議員に、同書を再読なさることをお勧めします。

2020年2月17日月曜日

日本共産党のスパイ査問事件(昭和8年12月23、24日)について―袴田里見判決文(亀山幸三「代々木は歴史を偽造する」経済往来社昭和51年刊行)より思う―

「宮本は小畑の右腕をつかみてねじ上げ、その片膝を小畑の背中にかけて組み敷き自分は小畑の腰を抑えたり。小畑はくそ力を出して跳ね返さんとし苦しそうな声で呻きおりたるか突然静かになり、一同あぜんとした。


そこへ秋笹が階下より上り来た。

この有様を見て騒ぎ出し、自分も小畑の脈を取りて見たるにすでに脈は切れていたるをもって、

まごまごしていると駄目になると言いながら薬缶の水を頭よりうちかけ

秋笹は小畑に対し人口呼吸を試みたるも終にその効なかりき。

そこで木島を除き宮本、秋笹、逸見、および自分の4名にて会合を持ち...」(原文は旧仮名遣いなので、私が現代風に書き換えました)。

袴田里見はこの本が出た時点では、日本共産党の副委員長でした。

リンチ査問事件として知られているこの事件は、昭和8年12月23日から24日にかけて生じています。

スパイとみなされ、査問されたのは小畑達夫、大泉兼三です。

査問をした側は宮本顕治、袴田里見、逸見重雄、秋笹正之輔の4人です。途中から木島隆明も協力しました。

査問の場所は東京都渋谷区幡ヶ谷本町2丁目207番地の民家でした。

秋笹正之輔は小畑が査問現場から逃げようとしたときは見張り役でした(敬称略)。

大泉兼三は警察のスパイだったことがわかっています。

この時期の日本共産党はテロリスト集団そのものです。

大泉兼三はテロリストを逮捕、投獄すべく身を挺して日本国家を守った方でした。

殴打や蹴飛ばすなどの拷問で小畑達夫は疲労困憊


判決文によれば、なぜ最初から本当の事をいわないのかと宮本、袴田、秋笹は小畑を打つ、殴る、蹴るなどしました。

小畑は査問時、両手を後ろに廻し、針金と縄で縛られていました。

足も針金と縄で同様に縛られていました。

査問中、小畑は硫酸の瓶を腹部に押し付けられ、流れるぞと脅かされました。あまりにも凄惨な査問の様子が浮かんできます。

日本共産党は、小畑達夫が特異体質の持ち主で静かに査問をしていたところ急死したと主張しています。

しかし宮本顕治らが逃げようとした小畑を抑えつけたことは否定していません。

袴田里見の供述に説得力


袴田里見の訊問・後半調書は平野謙「『リンチ共産党事件』の思い出」(三一書房昭和51年刊行)に掲載されています。

第十二回尋問調書で、袴田里見は次のように述べています(以下は私が現代風の表現にしました)。

「その瞬間小畑が起き上がろうとしたので木島はその両手で小畑の両足をつかんでうつぶせに倒し、

宮本はその片手で小畑の右腕をつかんで後ろへねじ上げ、その片膝を小畑の背中にかけて組み敷きました。

逸見は前から座っていた位置に倒れた拍子に小畑の頭がいったのでその頭越しに、すなわち小畑の頭にかぶせてあったオーバーの上から両手で小畑の喉を抑えて、

小畑が絶えず大声をはりあげてわめくのでその声を出させないためにその喉を締めました。

その時私は小畑の腰のところを両手でおさえつけていたのであります」

小畑が死亡にいたる経過を、袴田里見は生々しく語っています。どういうわけか、宮本顕治は具体的な反論をしませんでした。

小畑は特異体質た、という程度です。小畑の死体に相当な傷があったことは確かです。

査問で疲れ切っていた体で逃げようとしたところ、4人の男にうつぶせの姿勢で抑えつけられ、背中に膝を載せられて腕をねじ上げられたらかなり苦しい。

疲れ切った体でプロレスや柔道の締技をかけられてしまった状況と似ています。

直接の死因が、窒息死なのか、あるいは心臓発作や臓器不全なのかは私にはわかりません。

この事件が国会で取り上げられた当時、日本共産党職員として反論する側だった兵本達吉氏によれば、宮本顕治氏はこの問題を扱う部署の会議にも出なかったそうです。





2020年2月13日木曜日

日本共産党の暴力革命論と「敵の出方論」について―安倍総理の国会答弁は適切―

「前掲の『前衛』論文にある革命の平和的移行唯一論に典型的にみられるように、社会民主主義への完全な転落である」(宮本顕治氏の第八回大会報告より、春日庄次郎氏への批判部分を抜粋。昭和36年7月)。


日本共産党は今でも暴力革命論者なのか。

この問いに対し、日本共産党の第八回大会決定を知っているなら、日本革命の最終的な形態は敵の出方により決まる。

日本共産党は春日庄次郎一派のような日本革命の平和的移行唯一論はとっていない、と答えるべきです。

安倍総理の国会答弁は適切です。第八回大会決定が存在しますから。

第十一回大会の頃に不破哲三氏により提起された「人民的議会主義の理論」は、日本革命のために議会を利用する事を強調しているだけで第八回大会決定を否定していません。

今日の日本共産党が日本革命の平和的移行唯一論を採用していると志位和夫委員長が主張するなら、先日の党大会で第八回大会決定は誤りだったと認めるべきでした。

今日の日本共産党の「私たちの日本改革」論は、春日庄次郎氏ら「構造改革」派の理論に酷似しています。

第八回大会での宮本顕治報告によれば、漸次的、合法的、民主的に社会主義革命へのなし崩し的な移行が「唯一の道」として保障されているかのように主張する春日理論は、徹底的に社会民主主義的な革命論です。

今の日本共産党の日本革命論、革命の平和的移行唯一論が、第八回大会当時は社会民主主義への完全な転落だ、として激しく批判されていた史実を、志位和夫委員長は直視すべきです。

日本共産党員は宮本顕治氏の「日本革命の展望」を読むべきです。

今の日本共産党国会議員でこの本を読んだ方はどれだけいるのでしょうか。

2020年2月8日土曜日

日本共産党、マルクス主義経済学者はなぜ日本の国防力強化に反対するのかーレーニン「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」(全集第23巻掲載、大月書店)より思う

「もし政治が帝国主義的なものであるならば、すなわち、金融資本の利益を擁護し、植民地や他国を略奪し抑圧するものであるならが、この政治から生じる戦争も、帝国主義戦争である」(レーニン全集第23巻、p27より)。


日本共産党とマルクス主義経済学者、左翼知識人には安倍内閣が金融資本の利益を擁護する政治を行っているとみています。

今の日本共産党は金融資本でなく、大企業という語を用いていますが。

この方々の脳裏には、レーニンの上記の理論が浸み込んで離れない。

志位和夫日本共産党委員長、小池晃書記局長は若い頃、レーニンの「帝国主義論」を線を引いて一生懸命読んだのでしょうね。

日本共産党、マルクス主義経済学者と左翼知識人にとって安倍内閣による国防力の強化は中国や韓国、北朝鮮を略奪し抑圧するためです。

マルクス主義経済学者と左翼知識人にとって安倍内閣による憲法改正は帝国主義戦争への準備そのものです。

日本国家の国防力強化は、中国と朝鮮半島への帝国主義戦争、侵略戦争の準備だ、という話です。

中国共産党、朝鮮労働党による核軍拡は「被抑圧者の戦争」「真の民族戦争」


レーニンの見地なら、中国共産党、朝鮮労働党の核軍拡は日本という抑圧民族に対する被抑圧者の戦争です。

中国共産党、朝鮮労働党の核軍拡は被抑圧民族の戦争、真の民族戦争です。

被抑圧民族の国が祖国を擁護する事は決して欺瞞ではないが、抑圧民族である日本人が日本国家を守る事、祖国擁護は労働者階級への裏切りだという話です。

日本共産党、マルクス主義経済学者と左翼知識人には、中国共産党と朝鮮労働党が安倍内閣に抑圧されうる被抑圧民族の代表と見えているのです。

日本共産党、マルクス主義経済学者と左翼知識人、運動家が朝鮮学校への無償化適用、補助金増額やアイヌは先住民族だ、と叫ぶのは、彼らが日本帝国主義と安倍内閣に抑圧されてきたとみているからです。

習近平と金正恩は安倍内閣が策す帝国主義戦争とたたかう平和勢力、民主勢力の代表だ、という話です。

日本共産党、マルクス主義経済学者と左翼知識人は、中国共産党、朝鮮労働党の核軍事力の実態について、思考と議論を一切しません。

レーニンを盲信し、いまだに中国共産党、朝鮮労働党を平和勢力とみなしているマルクス主義経済学者、左翼知識人は多い。

日本共産党と同党を支援するマルクス主義経済学者、左翼知識人はレーニンの時期に断行されたロシア皇帝一家虐殺を支持しているのでしょうか。

日本共産党と同党を支援するマルクス主義経済学者、左翼知識人には安倍内閣と在日韓国・朝鮮人、アイヌの関係が、ナチス・ドイツとユダヤ人のそれのように見えているのです

2020年2月2日日曜日

畑田重夫・川越敬三著「朝鮮問題と日本」(新日本新書、昭和43年)より思う―大韓民国は米国の傀儡なのか―

「いわゆる『大韓民国』は、アメリカがその植民地支配をごまかすためにでっちあげたにせの『国家』にすぎません」(同書138-139より抜粋)。


私は早大の学生だった頃、畑田重夫先生の日米安保に関する勉強会に参加しました。

恐らく昭和55年(1980)6月頃でしょうから、40年近い歳月が流れました。

畑田先生が自分のライフワークの一つは朝鮮問題だと話されました。この本は、国際政治学者である畑田重夫先生の代表作の一つでしょう。

畑田先生はこの数年後に、東京都知事選挙に立候補されています。

松岡英夫さんの後ですから、昭和62年だったのでしょうか。

新日本出版社から出されているこの本は、当時の日本共産党の路線、朝鮮政策とほぼ一致しています。

上記のように、昭和43年当時の日本共産党と同党を支持する知識人、運動家は大韓民国は米国の傀儡論を主張していました。

これは金日成の南朝鮮革命理論そのものです。この視点から昔の日本共産党は、日韓会談粉砕、日韓条約破棄を叫びました。

大韓民国は金日成と朝鮮労働党により滅亡させられて然るべき存在という主張です。

金日成の南朝鮮革命が実現したら、韓国各地に政治犯収容所


金日成の南朝鮮革命理論の代表的文献は「すべての力を祖国の統一独立と共和国北半部における社会主義建設のために―わが革命の性格と課題に関するテーゼー」です。

この論考は新日本出版社が出していた金日成二巻選集に掲載されていますから、国際政治学者の畑田先生が知らないはずがない。

ずっと後に私はこの論文の存在を、故李命英先生(韓国の成均館大名誉教授)から教えてもらいました。

李命英先生によれば、朝鮮労働党が韓国に潜入するう工作員に徹底学習させる重要論文がいくつかあります。この論文はその一つです。

金日成の南朝鮮革命が実現したら、大韓民国は滅亡しソウルや釜山にも金日成の銅像が立ち並んだはずです。

「唯一思想体系の確立」に反対する方々は、政治犯収容所に連行されたでしょう。

畑田重夫先生のその後の著作には、私が探した限り「唯一思想体系確立の十大原則」や全社会の金日成・金正日主義化路線についての記述がない。

これらは金正日の時代に定式化されたもので、金日成の南朝鮮革命理論の発展です。

朝鮮問題をライフワークとする政治学者なら、金正日の革命的領袖論についても研究すべきでしたね。

小池晃書記局長は金日成の南朝鮮革命理論、金正日の革命的領袖理論について何か御存知なのでしょうか。

金正日の革命的領袖論の論考を、32年くらい前に日本共産党の雑誌が批判的に掲載しています。

「世界政治」とかいう雑誌でした。これには、「党の唯一思想体系確立の十大原則」の翻訳も掲載されていました。

多分、故萩原遼さんが翻訳したのでしょうね。