2025年3月26日水曜日

続・朴尚得「在日朝鮮人の民族教育」(昭和55年ありえす書房刊行)より思うー朝鮮労働党と在日本朝鮮人総連合会は歴史を修正している

 この本の裏付けによれば朴尚得さんは朝鮮大学校民族教育研究所所長という、在日本朝鮮人総連合会の要職をお勤めだった方です。

昭和55年当時の朝鮮学校ではこの本に記されている歴史観、社会観に依拠し、金日成民族教育が実施されていたものと考えられます。

これは、朝鮮労働党が日本や韓国に普及しようと努力している歴史観、社会観と概ね一致すします。朝鮮労働党は、都合の良いように歴史を修正します。

いくつか例をあげましょう。

(その1)この本のp. 34によれば、初代朝鮮総督寺内正毅は「朝鮮人は日本の法に服するかさもなくば死ね」と言ったと伝えられているが、朝鮮を占領した日本帝国主義は朝鮮全土を憲兵と警察、軍隊と監獄でおおい、暴虐非道な虐殺と搾取と略奪をしました。

(その2)この本のp. 54によれば、南朝鮮を占領したアメリカ帝国主義は、植民地隷属化政策を強行して軍政を実施し、日本帝国主義の植民地統治機構を温存し、民族反逆者どもをそのまま登用しました。アメリカ占領軍は英語を公用語にし、朝鮮人の自主的な活動をいっさい禁止しました。

(その3)この本のp. 63によれば、1945年9月、南朝鮮を占領したアメリカ帝国主義者の侵略的な策動の露骨化によって、祖国への帰国をしばらく断念せざるを得なくされた在日同胞は、長期にわたる日本在留を想定して、三つの教育方針をうちだしました。

(その4)この本のp. 89によれば、1950年6月25日、アメリカ帝国主義者の挑発により朝鮮戦争が勃発しました。米国は共和国北半部に対する侵略戦争を強行する一方、日本の軍国主義を復活させ、在日同胞を迫害しながら日本の民主勢力を弾圧しました。

暴虐非道の日本帝国主義に、生きる途を探してわたった南朝鮮農民とは矛盾

(その1)は荒唐無稽です。寺内正毅が、いつそんな事を云ったというのでしょうか。寺内正毅がそんな変な事を誰かに呟いても、それだけです。朝鮮総督府はそんな行政指令を出していません。

朝鮮全土を憲兵と警察、軍隊と監獄で覆う事はできません。日本統治期の朝鮮半島に、朝鮮半島に住んでいた日本人は数十万人程度です。その程度の人数では、朝鮮全土を憲兵と警察、軍隊で覆う事はできません。

日本統治期の朝鮮半島に、今の北朝鮮のような政治犯収容所はありません。この本のp. 38によれば、南朝鮮のおちぶれた農民たちは、日本帝国主義と地主に土地をうばわれた怨念をいだいて、生きる途をさがして日本の労働市場にと玄界灘をわたったそうです。

暴虐非道な虐殺を行っているはずの日本に、生きる途をさがして渡るとは随分変な話です。

朝鮮総督府の統治は暴虐非道ではなかったから、日本に生きる途を探してわたった方が沢山いたと考えられます。暴虐非道なら、本土に来たらもっととんでもない目に合うと予想できたはずです。

朴尚得さんは金日成がソ連軍に連れてこられた事を内緒にしている

朴尚得さんは、ソ連が朝鮮半島の北部を占領し、ハバロフスク近郊にいた金日成を連れてきて首相にしたことを内緒にしています。この本には、この記述はありません。

朝鮮人連盟の時期の朝鮮学校では、ソ連が朝鮮半島北部を解放した、と正直に教えていたのではないかと考えられます。

今の朝鮮学校では、金日成将軍が日本帝国主義を破り、朝鮮半島北部を解放したことになっていそうです。

(その2)は、韓国左翼も保持している歴史観です。韓国政府は親日派を一掃できなかったから、金日成と朝鮮労働党のような正当性を欠いているという大韓民国滅亡論です。

文在寅大統領は親日派一掃とやらを積弊清算、という語で表現していました。

民族反逆者、とは李承晩大統領ら当時の韓国政府の要人を指すと考えられます。朝鮮学校では、大韓民国には正当性がないと教えられてきたと考えられます。

米軍が韓国で英語を公用語にした、と朴尚得さんは記していますが、これは疑わしいですね。この時期の韓国で英語を使える人は稀ですから、公用語などにできるはずもありません。

昭和20年頃でしたら、朝鮮半島の若者の殆どは、日本語を使いこなせたと考えられます。国民学校に通っていたでしょうから。

(その3)は随分奇妙な話です。一体、米国の統治政策のどれにより、在日朝鮮人が韓国に帰りにくくなったというのでしょうか。

昭和26年9月8日のサンフランシスコ講和条約締結まで、日本は連合国、実際には米国の統治下にありました。この点では、韓国と大差ありません。

何らかの点で、朝鮮半島に戻るより、日本に長く居住した方が有利だと判断したから、何十万にもの朝鮮半島出身者が日本に引き続き居住したと考えられます。

(その4)も奇妙な話です。朝鮮戦争は、朝鮮人民軍の南侵により始まりました。韓国政府と米軍は油断していたのです。米軍の参戦は、大韓民国を守るために実行されました。

金日成、朝鮮労働党の見地では、米軍が参戦しなければ、朝鮮半島を統一できたはずでした。しかし、米軍が参戦しないはずがありません。

金日成と朝鮮労働党がなぜこれを予測できなかったのかは不明です。また米国政府が、人民解放軍の参戦を予測できなかった理由も不明です。

これは後になって、わかることなのかもしれませんが。

この本には、米軍と韓国軍により追い詰められた金日成と朝鮮労働党を救うため、彭徳懐率いる人民解放軍が参戦したからこそ、戦況が変わった事が記されていません。

朝鮮学校の子供たちは、朝鮮戦争における人民解放軍の参戦を授業で習っていない可能性が高い。それなら、歴史の修正です。

今の朝鮮学校では勿論、朝鮮人民軍によるウクライナ侵略など教えられていないでしょう。

自国がたった今、侵略戦争を行っている事実を北朝鮮の住民は教えられていません。在日本朝鮮人総連合会の皆さんもこれを内緒にしています。

内緒にしても、これを知らない在日韓国・朝鮮人は稀有の存在でしょう。朝鮮学校の教員の皆さんは朝鮮人民軍によるウクライナ侵略を大喜びで隠ぺいしているのでしょうか。

朝鮮学校の教員の皆さんは、ウクライナへの侵略戦争で亡くなった人民軍兵士をどう考えているのでしょうか。

朝鮮学校の教員の皆さんの率直な御意見を伺いたいですね。

在日本朝鮮人総連合会は朝鮮学校の上位にあるー朴尚得さんの説明

この本のp. 106によれば、朝鮮人学校には、学生、生徒たちの組織体として在日本朝鮮青年同盟や少年団があり、教職員のそれには在日本朝鮮人教職員同盟があり、父母には在日本朝鮮人教育会があります。

このような在日朝鮮人の各界各層の組織体を網羅する、より上位のものとして在日本朝鮮人総連合会があります。

在日本朝鮮人総連合会は、日本にいる朝鮮人の意思を代表し、その権利と利益を守る団体として在日朝鮮公民の子弟に対する民族教育を実施するなど諸般の事業を行っています。

その際、朝鮮民主主義人民共和国の対外政策にもとづくことを一番だいじな原則にしています。チュチェ思想の団体ですから。

在日本朝鮮人総連合会の常任委員会が、下部組織の人事配置を決定している

朝鮮人学校における集団の自覚の教育と民族の自覚の教育は、相互に分かちがたい有機的な統一をなしています。

朴尚得さんが明記しているように、朝鮮学校は在日本朝鮮人総連合会の下部組織として、朝鮮民主主義人民共和国、すなわち朝鮮労働党の対外政策に基づいた教育を実施しています。

要は、金日成民族教育です。

私見では、在日本朝鮮人総連合会の常任委員会が、朝鮮学校も含む下部組織の人事配置を決定しています。

朝鮮労働党の在日本朝鮮人総連合会担当幹部が、在日本朝鮮人総連合会最高幹部の人事配置を決定しています。

朴尚得さんが記述している、学生、生徒たちの組織体である在日本朝鮮青年同盟や少年団で、徹底的なチュチェ思想教育が実施されています。

この中で、思想的に優れていると判断された生徒は、朝鮮労働党の在日本非公然組織、学習班に加入するよう指導されます。

在日本朝鮮人総連合会の優秀な活動家の方々は皆、朝鮮労働党の在日本非公然組織、学習組に加入しています。朴尚得さんは、これはよく御存知と思います。

この本のp. 92によれば、在日本朝鮮人総連合会はチュチェ思想をその唯一の指導理念としています。

この本のp. 94によれば、日本に住む全ての青少年を、共和国の忠実な息子と娘に教育する事は、共和国公民としての在日同胞の神聖な義務の一つです。

これこそチュチェ思想教育です。

日本共産党、左翼人士の皆さんは朝鮮学校に補助金を支出すべきだ、と主張しています。

日本共産党、左翼人士の皆さんはチュチェ思想を大局的には社会進歩、歴史の法則的発展に貢献する思想と把握しているのでしょうね。

朝日本共産党、左翼人士の皆さんは鮮労働党と在日本朝鮮人総連合会による歴史の修正が大局的には社会進歩、歴史の法則的発展に貢献すると信じているのです。異様です。






2025年3月10日月曜日

朴尚得「在日朝鮮人の民族教育」(昭和55年ありえす書房刊行)より思うー中国共産党が在日朝鮮人運動の路線転換指令の発信源ー

 この本の末尾にある編著者紹介欄によれば、朴尚得さんは1927年に朝鮮に生まれ、1945年に東京高等師範学校に入学しました。

]1952年に東京大学文学部心理学科卒業、現在は朝鮮大学校民族教育研究所の所長と出ています。朝鮮青年社から「朝鮮教育の発展」という本も、出されています。

推測するに、朴尚得さんは在日本朝鮮人総連合会の結成(昭和30年5月)の前から、教育分野で在日朝鮮人運動に参加してきた方なのでしょう。

在日朝鮮人の民族教育について研究論文を書いている方なら、朴尚得さんの論文や著書を御存知と思います。

この本について、私は数々の疑問を持っています。そのうちの一部を以下記します。

朴尚得さんはなぜ、昔の在日朝鮮人運動が日本共産党の指導下にあったことを記さなかったのか

(その1)第2章 在日朝鮮人教育のあゆみ より

p. 92-93に以下の記述があります。

1955年5月25日、在日60万同胞の意思と利益を代表する新しい組織ー在日本朝鮮人総連合会が結成された。

これは、金日成主席のチュチェ思想と海外同胞運動に関する独創的な方針にのっとったものであり、朝鮮民主主義人民共和国の海外公民団体が、この日本にはじめて生まれたことを意味していた。

朝鮮総連は、チュチェ思想をその運動の唯一の指導理念とし、在日60万同胞を共和国のまわりに固く団結させ、民主主義的民族権利を守り、祖国の自主的平和統一をなしとげ、世界の平和愛好人民との国際連帯を強めることを、その中心的な課題としてうちだした。

昭和30年5月には、金日成はまだチュチェ思想を提起していないと考えます。

この時期の在日本朝鮮人総連合会の皆さんが、チュチェ思想をその運動の唯一の指導理念としているとは考えられません。

在日本朝鮮人総連合会が結成される前に、在日朝鮮人の運動を主に指導していたのは日本共産党の中央指導部、民族対策部の方々です。これを金尚得さんが知らないはずがない。

この時期の日本共産党中央では、金天海、朴恩哲が在日朝鮮人運動の指導を担当していました。

なぜ朴尚得さんが日本共産党と在日朝鮮人運動の関係を記さなかったのかは不明です。p.92に「新しい綱領」という表現がありますが、これは金日成の社会主義教育テーゼの事でしょう。

しかし、社会主義教育テーゼが出されたのは昭和52年です。変な話です。

在日朝鮮人運動の路線転換指令の発信源は中国共産党

朴慶植編「朝鮮問題資料叢書 第十五巻 日本共産党と朝鮮問題」(アジア問題研究所1991年刊行)の「6 路線転換に関する党の指示」の(1)に、「在日朝鮮人運動について」(1955年1月中央指示」が掲載されています。以下です。

祖国の統一と独立を目指す力の発展は、在日朝鮮人の民族的統一に大きな拍車をかけ、統一の気運は高まっている。この際、「民戦」の役割は重要である。

あくまでセクトを捨て、在日朝鮮人の全体が包合させる民族戦線組織結成の方向、例えば在日、華僑総会の如くに尽力すべきである。

基調は、生活圏と共和国公民の意義と権利にある。このことに対する党の態度についていえば、訪日十字会の廖副団長の「他国の内政不干渉」の立場を正しく理解すべきである。

日本と朝鮮の間にのみ他国と異なる歴史的、地理的関係があると言ったことは、この問題の解決には何ら影響しない。

在日朝鮮人に日本革命の片棒をかつがせようと意識的にひき廻すのは、明らかに誤りである。

昭和30年1月に、日本共産党中央はこの指示を出しました。この前の年に、在日中国人の日本共産党員が日本共産党から離脱しています。

訪日十字会の廖副団長の「他国の内政不干渉」の立場を正しく理解すべきである、という記述に注目しましょう。廖副団長とは、廖承志という方です。

廖承志という名前は、文革期に中国共産党が日本共産党に行った干渉との関係で日本共産党の文献にも出てきていたと記憶しています。中国共産党の対外連絡部所属かも知れません。

萩原遼さんの「北朝鮮に消えた友と私の物語」(文芸春秋社刊行。文庫版pp. 366-367)によれば、廖承志が華僑に出した指示は、在日朝鮮人にも向けられていました。

昭和29年10月当時、金日成は朝鮮戦争で滅亡する寸前の危機を人民解放軍により救われたのですから、朝鮮労働党は中国共産党に隷属していました。

日本共産党も主流派が北京に亡命し、北京機関を形成していました。この時期、金日成と朝鮮労働党、日本共産党共に、中国共産党に隷属していたのです。

チュチェ思想は、文化大革命期の中国共産党に対する金日成の反発から、金日成が朝鮮労働党の宣伝扇動部や、理論を担当する部署に指令して形成されたと考えられます。

1960年代後半に、チュチェ思想、党の唯一思想体系という表現が出てくると考えられます。

廖承志の指令を受け取った日本共産党臨時指導部は民族対策部に在日朝鮮人運動の路線転換指令を出した

(2)中央民対会議の結語、には次が記されています。

・(1)八・一五以後祖国が解放され、政策が明らかになった。

・(2)われわれの任務は、あくまで祖国の統一独立である。

・(3)またそれは、民主主義人民共和国による全朝鮮の統一である。

・(7)新綱領は、日本の革命のためのものであり、われわれは祖国を保持するためでその目的が違ってくるから、党籍を離脱する。

・(8)現在の日本における状態から、労働党がわれわれを指導する事は無理である。しかし、これらの援助なくしては発展はありえない。

新綱領、とは日本共産党の51年綱領です。朝鮮労働党との関係は、指導を仰ぐのではなく、援助を要請するという程度になっています。

この点で、在日朝鮮人運動の中で争いが起きたと考えられます。

朴尚得さんの本(p. 91)には、事大主義、民族虚無主義に陥った一部の人々の行為により、民族教育において民族的な主体が失われ、重大な危機が醸し出されたこともあったと記されています。

朴尚得さんは、在日朝鮮人運動の主導権争いに敗れ、北朝鮮に渡った朴恩哲さんら日本共産党民族対策部の指導者達を、事大主義、民族虚無主義に陥った一部の人々と記していると考えます。

朝鮮労働党の在日非公開組織が結成されていった

朴慶植編「朝鮮問題資料叢書 第十五巻 日本共産党と朝鮮問題」(アジア問題研究所1991年刊行)のpp. 391-398に(4)在日朝鮮人運動の転換について、が掲載されています。これは日本共産党の民族対策部全国会議で確認、決定された方針草案の要旨です。

p. 398の五、(1)を抜粋します。

このたび、在日朝鮮人運動の転換に基づいて、新たに結成された「朝鮮総連」は祖国統一民主主義戦線の一翼として、在日六十万朝鮮人の民族的な総結集体であり、朝鮮民主主義人民共和国の日本における、居留民の組織である。

(2)は以下です。

在日朝鮮人運動の転換に従って、従来の在日朝鮮人運動の中における、前衛勢力の組織形態と任務も、また、変わらなければならない。従来、日本共産党に属していた朝鮮人党員は、日本共産党から、その籍を離脱し、在日朝鮮人運動の性格と内容に応じて、独自的な前衛勢力として組織されなければならない。

在日本朝鮮人総連合会が、統一戦線組織の一翼と位置付けられていることに注目しましょう。

指令の(2)に明記されているように、日本共産党に所属していた朝鮮人党員がこの後、独自的な前衛組織として、朝鮮労働党の在日非公開組織を形成したと考えます。

在日非公開組織の名称が、初めから「学習組」だったかどうかはわかりません。

朴尚得さんは、なぜ在日朝鮮人運動と日本共産党、朝鮮労働党と中国共産党の関係を記さなかったのでしょうか。

朴尚得さんが、朴慶植さんの著作を知らないなどありえません。

推測ですが、北朝鮮に渡った日本共産党の在日朝鮮人運動指導者たちが、1960年代後半頃に行方不明になったことから、この人たちについて言及すると厄介だと判断したのではないでしょうか。

在日朝鮮人運動、朝鮮学校の歴史について学術論文を出している方々は沢山いますが、私が見た限り、在日朝鮮人運動と日本共産党、朝鮮労働党と中国共産党の関係については皆、沈黙しています。

故萩原遼さんはこの辺りも良く御存知だったと考えます。皆、何で黙っているんだという萩原さんの叫びが聞こえてくるようです。

在日朝鮮人運動の研究者は、少なくない元在日朝鮮人が、政治犯収容所送りや、山奥送りになっていることを、素直な眼で見つめるべきです。歴史の修正をやめましょう。