2013年1月30日水曜日

金日成、金正日の野望―大韓民国の滅亡―

朝鮮半島では南北ともに子供をスパルタ教育



近年、韓国の歌手や俳優が日本で大人気です。若い世代なら東方神起、少女時代、KARAが有名ですね。

東方神起や少女時代、KARAのダンスは、類い稀なものですね。厳正花も素晴らしいですね。

少女時代は、高い靴を履いて踊りますが、足に相当な負担がかかっているのではないでしょうか。それでも踊れるということは、足の筋肉を徹底的に鍛えているのでしょう。

韓国の歌手は、子供の頃から相当なトレーニングを積んでいるのでしょう。有名な歌手になるため、徹底的にダンスや歌の練習をするのでしょう。俳優もそうかもしれません。

韓国人の子供教育熱は相当なものです。小学校低学年から、「学院」という塾に週に何日も行かせて、英語などを徹底的に勉強させている親は少なくありません。

子供を良い大学に合格させて三星電子、現代自動車などの財閥系企業の社員にするためでしょうか。韓国社会は本当に厳しいですからね。

夏休みや冬休みに、英語を子供に学ばせるため海外に行く親はかなりの数になるでしょう。まさにスパルタ教育と私には思えます。

米国や英国だけでなく、オーストラリアやニュージーランド、フィリピンで英語を子供に学ばせている韓国人を見かけた人はいくらでもいるでしょう。

ダンスや演技、英語のスパルタ教育を小さい子供にさせることの是非はいろいろあるでしょうが、日本人にはさしあたり、大した問題ではありません。

日本人が知るべきことは、韓国人の親の熱心さと同様の水準で、北朝鮮のエリート層と在日本朝鮮人総連合会もある「教育」を子供たちに熱心にやっているということです。

北朝鮮もスパルタ教育をやっているのです。


子供たちを「南朝鮮革命」=「大韓民国滅亡」のために何でも断行する革命戦士に育てる



北朝鮮のエリート層が学校などで子供たちに受けさせているトレーニングとは「南朝鮮革命」「主体革命偉業」のための「教育」です。

大韓民国を滅亡させ、朝鮮半島全体を金日成、金正日、今日では金正恩の完全な支配下におくための革命戦士になる「教育」です。

北朝鮮のスパルタ教育について普通の韓国人は何も知らないようです。殆どの韓国人は、北朝鮮の実態について殆ど何も思考していません。

北朝鮮の現実についての知識は、財閥系企業に就職するためには不要ですから。

北朝鮮では、平壌に住んでいる人や、地方でも朝鮮労働党の幹部、人民軍の幹部はエリート層になります。エリート層は子供たちを、金日成、金正日、金正恩の命令なら何でも実行する、革命戦士になるべく育てます。


北朝鮮では、「南朝鮮革命」「祖国統一」「民族統一」、すなわち大韓民国の滅亡に心血を注ぐ人間になることが、出世の必要条件なのです。出世のもう一つの必要条件は、「出身成分」が良いことです。

北朝鮮は全住民を、「解放」前に祖先が何をやっていたかで、核心階層、動揺階層、敵対階層の3つに区分する制度があります。これを「出身成分」といいます。

「成分」が良く、さらに成績優秀で思想も良い革命戦士として朝鮮労働党に認められ、テロ工作員として抜擢されたのが大韓航空機爆破事件の犯人、金賢姫さんです。


「南朝鮮革命」「民族統一」とは大韓民国の滅亡



韓流ファンの方になら、「大韓民国の滅亡」なんて何と物騒なことを言う人間だと思うかもしれませんね。殆どの韓国人は何も知らないのですけれど、これは本当の話なのです。

日本人流に表現すれば、金日成や金正日が朝鮮半島の「天下」を取るためには、障害物である大韓民国を滅亡させねばならないということです。

大韓民国はソウルをおさえていますから、「天下統一」のためには邪魔者中の邪魔者、障害物そのものです。

主体思想(チュチェ思想)の信奉者ならば、「愛国心」があるならば大韓民国を滅亡させねばならないということになります。

普通の韓国人は金日成や金正日を礼賛していません。金日成や金正日を呼び捨てにし、金父子の写真を粗末に扱いますから、「主体思想」に照らせば「首領冒涜罪」を犯していることになります。

「主体思想」の信奉者である在日本朝鮮人総連合会の皆さんから見れば、そんな大韓民国の滅亡こそ「民族統一」「南朝鮮革命」であり、「愛族愛国事業」なのです。


「愛族愛国事業」「南朝鮮革命」について、在日本朝鮮人総連合会のみなさんなら、よくご存じのはずです。

日本共産党員のみなさんも、「日本革命」を真剣に考えているなら、北朝鮮の親の教育方針を理解できるかもしれません。

日本共産党員なら、子供を「日本革命」のための「革命戦士」に育てたいと思っているでしょう。昔の「赤旗」は、朴政権の韓国を米国の傀儡政権呼ばわりし、北朝鮮の将来は素晴らしい旨宣伝していました。

これは朝鮮労働党の政治路線そのものです。1960年頃の日本共産党は、北朝鮮、在日本朝鮮人総連合会と本当に親密そのもので、北朝鮮礼賛の先頭にたっていました。

朝鮮労働党第四回大会への挨拶で、宮本顕治書記長は、「政治、経済、文化、社会の全面にわたって、ゆたかな明るい希望にみちた新しい世界が朝鮮人民のまえにひらかれています」と述べています(「前衛」1961年11月号p23より抜粋)

聴濤弘さんのような日本共産党の古参党員なら、日本共産党が北朝鮮を礼賛していた時代を懐かしく思い出せることでしょう。「38度線の北」(寺尾五郎著、 新日本出版社刊行)という本を覚えていることでしょう。

駅前で「原発反対」「消費税をなくせ」の宣伝をやっているような若い日本共産党員の皆さんは、日本共産党の歴史についてまるっきり無知蒙昧な人たちなのです。


許宗萬在日本朝鮮人総連合会議長に問う!日本人拉致は「瑣末な問題」なのか



在日本朝鮮人総連合会のホームページによれば、朝鮮総連が祖国統一運動においてつねに指針としているのは、金日成主席の統一遺訓とそれにしたがってわれわれの代に必ず統一を実現しようとする金正日総書記の方針です。


朝鮮総連は、人民大衆の中心の世界観であり、愛族愛国の思想であるチュチェ思想を指導的指針としてすべての活動を繰り広げているそうです。

「チュチェ思想」とはなんだかわからないな、と思う方には、在日本朝鮮人総連合会のHPを見ることをおすすめします。チュチェ思想を極めていらっしゃる皆さんの見解がそこに出ていますから。

在日本朝鮮人総連合会のHPによれば、「金正日は拉致した日本人を直ちに返せ」と主張することが、「拉致問題」を極大化して、国交正常化への流れを逆行させようとする反共和国、反朝鮮総連、反朝鮮人策動とのことです。

日本人拉致を「極大化」してはいけないなら、「瑣末な問題」として扱わねばならないということでしょう。

「瑣末な問題」なら、金正恩の指令さえあれば在日本朝鮮人総連合会は気軽に日本人や韓国人の拉致を断行しそうな気すらしてきてしまいます。

そうなのでしょうか。

許宗萬在日本朝鮮人総連合会議長にこの件、お尋ねしたいものですね。

「大韓航空機行方不明事件」「核疑惑事件」も、反共和国、反朝鮮総連、反朝鮮人騒ぎだそうです。

北朝鮮は核兵器の開発をやっていたではないですか。「核疑惑」は疑惑などではなく、真実だったのです。

金日成は「核兵器を作る能力も意思もない」と言っていましたが、大嘘でした。


デマを吹聴してきた在日本朝鮮人総連合会は日本人に謝罪すべきだ



私たち日本人には信じがたいことですが、在日本朝鮮人総連合会は未だに大韓航空機爆破事件が北朝鮮の犯行によるものであることを認めていないのです。

韓国左翼、いわゆる「従北勢力」も同様で、金賢姫さんが偽者と本当に信じています。

韓国左翼は金賢姫さんが実は韓国人で、大韓航空機爆破は韓国安全企画部の自作自演だなどというとんでもない話を信じているのです。

ありえませんね。金賢姫さんが韓国人だったら、彼女の御家族や親戚、幼稚園から大学までの友達が韓国内にたくさんいるはずではないですか。

その人たちが「私は知っている。あの子だ」と言うはずではないですか。小学校、中学校、高校、大学の頃の写真がいくらでもあるはずです。

在日本朝鮮人総連合会は「拉致など捏造だ」「新潟少女行方不明事件は反共和国策動だ」などと喧伝してきました。「朝鮮新報」の過去の記事を、HPで検索すればすぐにこの類の記事が出てきます。

実際には横田めぐみさん、市川修一さん、有本恵子さんら相当数の日本人が拉致されていたのですから、デマを吹聴してきたのは在日本朝鮮人総連合会とその機関紙、朝鮮新報だったのです。


「教育において主体の確立」-朝鮮学校は子供たちを大韓民国を滅亡させるための革命戦士に育てる



在日本朝鮮人総連合会はデマを吹聴してきたことを日本人に謝罪するべきなのですが、完全に開き直っています。謝罪するどころか、朝鮮学校に補助金をよこせ、無償化の対象にしろと喧伝しています。

朝鮮学校はチュチェ思想を子供たちに学ばせる「学校」です。

在日本朝鮮人総連合会のHPでは、民族教育の基本内容はなによりも教育において主体を確立し、同胞子女が祖国と民族にたいする正しい知識をもち、民族自主意識を高められるようになっていると明記されています。

上述の「教育において主体を確立」という表現の意味は、子供たちにチュチェ思想を学ばせていることであることは明白です。

金日成の著作から「教育において主体を確立」の意味を考えてみましょう。

「社会主義教育に関するテーゼ」(-朝鮮労働党中央委員会第五期第十四会総会で発表-、金日成「社会主義教育テーゼ」、p65-181、チュチェ国際研究所1979年発行)という本があります。

金日成によれば、社会主義教育を党的で労働者階級的な教育に発展させるうえでもっとも重要な問題は、わが党の唯一思想体系をうちたてることにあります。

社会主義教育は党の革命思想を唯一の指導指針とし、それにもとづいておこなわれなければなりません。

わが国における社会主義教育の指導的思想は共産主義、チュチェ思想であり、共産主義、チュチェ思想は社会主義教育の思想的、理論的および方法論的基礎だそうです(同書p75より抜粋)。


「絶対性」「無条件性」と金日成の「社会主義教育に関するテーゼ」



北朝鮮の文献には、やたらともったいぶった表現が多く、読みにくいことこのうえありません。同じようなことを何ども繰り返します。

要はチュチェ思想とは「金日成、金正日そして金正恩の言うことが全て正しいから、命令を無条件で実行せよ」というだけの「思想」です。

北朝鮮ではこうした思考方式を、「絶対性、無条件性」とよび、絶対性、無条件性を持つ人を「党性が高い人」などとよびます。

朝鮮学校では、こんな「教育」をやっているのです。そんな「学校」に補助金を出すこと、無償化の対象にするなんてとんでもないことです。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんが、子供たちをどうしても大韓民国を滅ぼすための革命戦士に育てたいなら、自分の金で「教育」すべきなのです。

金日成の「社会主義教育に関するテーゼ」ですが、朝鮮学校の校長先生なら、これをよくご存知のはずです。校長先生なら、「絶対性、無条件性」を備えておられるはずです。

朝鮮学校の基本的教育指針が、金日成の「社会主義教育に関するテーゼ」に基づいていると説明することは、反共和国、反朝鮮総連、反朝鮮人騒ぎなのでしょうか。

「社会主義教育に関するテーゼ」と朝鮮学校は無関係なのでしょうか。そうであるなら、「首領冒涜罪」になりませんか?

この件、朝鮮学校の校長先生に御説明いただきたいですね。「唯一の指導指針」とは、金正日の「お言葉」(マルスム)に従えということを意味しているのではないですか?


戦闘員養成大学、金正日政治軍事大学にいた横田めぐみさん



テロ国家北朝鮮の工作員に対する「教育内容」と、「教育」を行う組織について、少し紹介しておきましょう。

この件については、安明進「北朝鮮拉致工作員」(徳間書店1998年刊行)や、惠谷治「北朝鮮 対日謀略白書」(小学館1999年刊行)が、わかりやすい文献です。

惠谷治前掲著(p71ー72)によれば、北朝鮮における最初のスパイ養成機関である「金剛学院」は1957年に開設されました。1960年代に入ると、金剛学院は労働党文化部の管轄下になり、「695政治学校」と呼ばれるようになりました。

1975年の金正日による「大検閲」のあと、「695政治学校」は労働党調査部に移管され、「金星政治軍事大学」と呼ばれるようになりました。

80年代になぜか労働党中央直属の政治学院となり、その後労働党作戦部の所属となりました。

1992年1月25日に、「金正日政治軍事大学」という名称になりました。「金正日政治軍事大学」は「党作戦部130連絡所」とも呼ばれます。偽装名は「朝鮮人民軍695軍部隊」だそうです。

「金正日政治軍事大学」は、平壌市の兄弟山区域新美里から龍城区域御恩洞にまたがる地域にあり、大学内には訓練所や招待所が密集し、関係者以外は立ち入り禁止となっているそうです。

金賢姫さんは、「金星政治軍事大学」の卒業生です。

安明進さんは1993年5月20日に「金正日政治軍事大学」を卒業しました。

安明進さんは、「金正日政治軍事大学」で横田めぐみさんらしい女性をみかけたと述べています(「北朝鮮拉致工作員」(徳間書店1998年刊行、p138-142)。

「金正日政治軍事大学」は、次の4つの「学部(班)」と4つの「専門科」から構成されているそうです(惠谷治「北朝鮮 対日謀略白書」、p79-80より抜粋)。

戦闘班―半合法、非合法で韓国などに浸透する戦闘員の養成
 専門学科として、案内班、機関班、航海班、通信班がある。

工作班―党連絡部の固定スパイや党調査部の工作員の訓練
 1年コース、3年コースがある。

養成班―元工作員や元戦闘員を訓練教官(指導員)にするための教育

研究班―韓国情報の研究・分析。党統一戦線部の研究者を養成


再び在日本朝鮮人総連合会に問う



横田めぐみさんは恐らく、「金正日政治軍事大学」で工作員に日本語などを教える教官をさせられていたのでしょうね。

横田めぐみさんや市川修一さん、増本るみ子さんら拉致された日本人は、北朝鮮のエリート層のための、スパルタ教育そして「主体革命偉業」「民族統一」すなわち大韓民国滅亡策動に協力させられているのです。

「李恩恵」こと田口八重子さんは、金賢姫さんの「日本語教師」でした。この類のことを「招待所」とやらでやらされている被拉致日本人が、まだまだたくさんいるはずです。

在日本朝鮮人総連合会のみなさんの中にも、優秀な革命家として認められ、この「金正日政治軍事大学」で「教育」を受けた方はいるのではないですか?

在日本朝鮮人総連合会のみなさん。日本人拉致は「瑣末な問題」なのでしょうか?


 














2013年1月26日土曜日

宮本顕治、蔵原惟人の夢-日本のソビエト化―

社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた(宮本顕治)

 

 誰でも若い頃は、自分なりの夢を持ち、その実現のために努力するものでしょう。自分なりの夢と言ってもそれは、大きな歴史の流れ、時代の制約と無縁ではありえません。

井上靖の「天平の甍」に描かれている青年僧侶たちは、大唐に渡って仏教の真髄を徹底的に学び、日本に持ち帰って真の仏法を日本に広めようとしました。

遠藤周作の「沈黙」に描かれているポルトガルのイエズス会所属の若き神父は、過酷な切支丹弾圧がなされていた江戸時代の日本に決死の思いで潜入し、信者たちの魂を救済しようとしました。

武田信玄や上杉謙信が「天下統一」まで夢見たかどうかは疑わしいですが、混乱に乗じて成り上がってやろうという程度の野望を抱いた武将はいくらでもいたことでしょう。

羽柴秀吉は、いつごろから自分が「天下人」になれるかもしれないと思い始めたのでしょうね。「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家をやぶった頃からでしょうか。

天下を取って、日本をソビエト化する―日本共産党員の夢―


今の左翼の人たち、日本共産党員や社民党員の皆さんには信じがたいことかもしれませんが、今から50年くらい前の左翼にとっては、ソ連邦、中国そして北朝鮮こそ理想郷だったのです。

その頃の日本共産党員にとって、「天下を取って、日本をソビエト化する」ことが夢だったのです。

これは、大学の図書館などでその当時の「赤旗」や「前衛」を探し出して読んでみれば明白です。

不破哲三さんの近年の文献を読むと、ソ連を「社会主義の反対物」「覇権主義」などと繰り返し弾劾しています。

駅前で「原発反対」「消費税反対」の宣伝をしているような日本共産党員は「社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた」などという言辞を、50年程前の日本共産党書記長宮本顕治さんが吐いていたなんて、到底信じられないでしょう。

これは本当のことなのです。いくつか例をあげておきましょう。

昭和34年5月の「前衛」掲載論文で宮本顕治さんは、ソ連を礼賛しました。次です。

「ソ連邦共産党第二十一回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について」(「前衛」1959年5月号掲載)

この論文で宮本顕治さんは、しつこいほどにソ連がなぜ素晴らしいのかを「論証」しています。

ソ連は「共産主義建設の偉大な不滅のとりで」であり、ソ連邦では国内的に資本主義を復活させる力がないだけでなく、世界的にソ連邦および社会主義陣営をうちやぶれるような力は存在しない、と断じています。

この頃の宮本顕治さんは、自分が羽柴秀吉になったくらいの気分だったのではないでしょうか。この論文を素直に読めば、宮本顕治さんは「天下取りは間近だ」くらいの気分になっていたとしか思えません。

当時の日本共産党員でソ連を礼賛したのは宮本顕治さんだけではありません。


偉大なレーニンの党、ソ連共産党-蔵原惟人の宣伝-



蔵原惟人さんという、プロレタリア文学運動の指導者で小林多喜二の師匠であり、日本共産党の文化運動を長年担当した方がいました。蔵原さんはロシア語の達人で、マキシム・ゴーリキーの「私の大学」などの翻訳もしています。

この時代の日本共産党員の中では、最高の知識人と言えるでしょう。

それほどの知識人が一体なぜ?と思えるくらいに、蔵原さんはソ連を礼賛しました。

蔵原さんによれば「十月社会主義革命を勝利に導き、社会主義を建設し、共産主義への道をひらいたのは、偉大なレーニンの党、ソ連共産党とその周囲に結集したソ連人民」だそうです(「十月社会主義大革命と現代」、「前衛」1961年1月号掲載、p13)。

蔵原さんによればソ連がその工業生産高でアメリカを追い越すのは、すでにここ数年の後に迫っており、生産の飛躍的な発展にもとづいて、国民の生活水準も急速に高まっているそうです。

生産力の飛躍的な発展とともに、「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて受けとる」という長いあいだの人類の夢であった生活の不安のまったくない平和で豊かな共産主義の社会に近づいているそうです。

マルクスの「資本論」が解明したという「搾取制度」「資本主義的搾取の仕組み」など、ソ連ではとうの昔に廃止されていると宮本顕治さんや蔵原惟人さんは信じていたのでしょうね。


共産主義を地上に建設するソ連共産党大会の偉業-「アカハタ」主張より-



昭和36年10月17日の「アカハタ」主張「共産主義を地上に建設するソ連共産党大会の偉業」によれば、ソ連共産党の共産主義建設の綱領は、偉大な闘争の綱領であり、今日の世界では、この綱領を空想の産物だとののしることができる者は一人もいないそうです(「赤旗」はこの頃は片仮名で表記されていた)。


昔の「赤旗」「前衛」を読むと、1960年前後は日本共産党員にとって、本当に良い時代だったのだろうなと思えます。

この頃はまた、在日本朝鮮人総連合会が収容所国家北朝鮮に在日朝鮮人を次から次へと送っていた時期でもありました。吉永小百合主演「キューポラのある街」の時期です。

この映画でも、北朝鮮に夢を抱いて帰国していく在日朝鮮人家族が描かれていました。

まさに、「地獄への片道切符」を在日本朝鮮人総連合会は配布していたことになりますね。

日本もソビエト化すべきだ、中国と北朝鮮はソ連に続いて社会主義になった、日本も続けと当時の日本共産党員は大真面目に宣伝していたのです。

日本共産党と良好な関係にあった在日本朝鮮人総連合会の人たちの中にも、この類の宣伝を信じて北朝鮮に帰国した人は少なくなかったはずです。

ソ連が人工衛星を打ち上げ、失業もなく経済を完全に計画的に運営していると宣伝していましたから、本当に「共産主義建設の偉大なとりで」にみえたのでしょう。

なんせ、ソ連や中国、東欧、北朝鮮では資本主義的搾取が廃止されているのですから、労働者が幸せにならないはずがありません。

「ソ連覇権主義との生死をかけた闘争」「ソ連は社会主義と反対物」などという不破哲三さんのお話は、ソ連が崩壊してからのことです。不破哲三さんの宣伝文句にすぎません。

「ソ連覇権主義を、生死をかけて礼賛してきた」というほうが、ずっとよく日本共産党の歴史を表しています。

治安維持法が存在していた頃、ソ連ではスターリンが絶対的な権力をもち、政敵をスパイ呼ばわりして殺害し、「ラーゲリ」という政治犯収容所で政治犯に過酷な囚人労働をさせていました。

そんなソ連を宮本顕治さん、蔵原惟人さんらは「労働者の祖国」「平和のとりで」などと崇めていたのです。


「スパイ」「反動勢力の手先」は消されて当然-日本共産党と朝鮮総連は類似-



戦前の日本共産党員で、世界共産党(コミンテルン)の幹部だった人や、ソ連に逃げていった人のうちスターリンとソ連共産党により「スパイ」のレッテルを貼られて殺害されてしまった人は少なくありません。

大量殺人などという蛮行をやったソ連共産党が偉大だなんておかしい、という発想は当時の宮本さんや蔵原さんには皆無だったようです。「スパイ」「反動勢力の手先」は消されて当然、という気持ちだったのでしょう。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、政治犯収容所、日本人や韓国人の拉致など北朝鮮の凄惨な実態から一切目を背けています。

在日本朝鮮人総連合会の中には、「南朝鮮革命」「主体革命偉業」などと称して日本人を拉致する地下組織を作っている人もいます。

この人たちは日本人や韓国人の拉致、韓国の要人暗殺、大韓航空機爆破などのテロを断行することが、「民族統一のための偉業」と本気で思い込んでいるのです。

金賢姫や文世光は「南朝鮮革命」に身を投じた人たちです。

ヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」でも、お兄さんの一人が工作員になり、御自分もそれに協力するよう要請されたという話が出ていました。

日本人拉致組織と朴グネ次期韓国大統領の母陸英修さん暗殺事件



在日本朝鮮人総連合会の関係者により結成されている地下組織と日本人拉致については、「洛東江」という組織の資金調達係だった張龍雲さんの「朝鮮総連工作員」(小学館文庫)で詳しく説明されています。

張龍雲さんによれば、韓国の次期大統領朴グネさんのお母さん、陸英修さんを暗殺した文世光を教育して朴大統領暗殺の指令を出したのは、「洛東江」の大幹部だった曹廷楽という人物です(同書p135)。

当時の韓国の捜査本部の発表は、「表の歴史」であると張龍雲さんは述べています。

大阪の在日本朝鮮人総連合会の老幹部なら、「裏の歴史」を熟知している方はいるはずです。

日本共産党員と在日本朝鮮人総連合会の思考・行動様式はよく似ています。

在日本朝鮮人総連合会は自分たちを批判する在日韓国・朝鮮人を「民族反逆者」とレッテル貼りして弾劾します。日本共産党は「反党分子」「転落者」と弾劾します。


ソ連は共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始している


北朝鮮の話は別の機会にじっくりするとして、日本共産党の話に戻りましょう。


若き不破哲三さんは、宮本さんや蔵原さんの論文を真剣に学んでいたのでしょう。若き不破さんはソ連共産党とスターリンに心酔していました。

これは今日の不破哲三さんからすれば、苦い思い出かもしれませんね。

「平和と社会主義に敵対する『世界革命』論 ―現代トロツキズム批判―」(「前衛」1959年6月号掲載)で、不破さんははじめに勝利した社会主義国家の存立をまもりぬき、社会主義を建設し、そのあらゆる力量を強化することは、「世界革命の基地」(スターリン)をまもることであると力説し、ソ連への忠誠を誓っていました。

ソ連は「世界革命の基地」である、というスターリン理論は、北朝鮮が自らを「南朝鮮革命の基地」と位置づけた「革命基地路線」の起源です。

若き不破さんは、スターリンに心酔していたのでしょうね。

この論文で不破さんは、「ソ連は共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始している」旨述べています。「ソ連覇権主義」などという話は皆無です。

先を見通すことは本当に難しいものです。20代の不破さんに、将来のソ連崩壊を予見せよ、などということは私にはできません

しかし「ソ連覇権主義との生死をかけた戦い」などという虚偽宣伝を目にすると、若き不破さんはその後、優秀な共産主義者に成長していったのだな、としか言い様がありませんね。

北朝鮮が「朝鮮民族を完全に解放するための民主基地である」という規定ですが、これは金日成が北朝鮮労働党第二回大会でおこなった活動報告で明記されています(「金日成二巻選集 第一巻、p115、1966年日本共産党中央委員会出版部発行。訳者は日本共産党中央委員会金日成選集翻訳委員会)。

韓国は米帝国主義に支配されている植民地であるから、合法、非合法のあらゆる手段で解放すべき対象であるというものが、朝鮮労働党の政治路線です。

「朝鮮民族を完全に解放する」ためなのですから、日本人や韓国人が犠牲になるのは当然というのが、「主体革命偉業」「全社会の金日成主義化」の論理より導かれる必然的帰結です。


スターリン、毛沢東、金日成、金正日と不破哲三―歴史の捏造者-



駅前で「原発反対」「消費税反対」などと宣伝している若い日本共産党員が、50数年前に「前衛」や「赤旗」に掲載された論文を図書館などで見つけてきて読むことなどまずありえません。

従って不破さんとしては昔の宮本さんや自分の論文、「赤旗」記事は伏せておけばそれで良いという判断なのでしょう。

「日本共産党の歴史」などという本がありますが、それらにはこの時期の論文の内容は一切記されていません。

スターリンや毛沢東、金日成、金正日はそれぞれ、都合の悪い史実を国民に隠し、自分たちの「英雄神話」を捏造し国民に普及しました。

共産党の最高指導者は歴史を捏造するものなのです。優秀な共産主義者の所業はどこでも同じです。


中国覇権主義に屈服し、敗北した日本共産党



今の不破哲三さんは中国は市場に強い社会主義を目指しているいるから素晴らしい国だ、という類の宣伝をしています。

いつの時代でも、共産主義者は共産主義国を礼賛し、共産主義国に有利になるような宣伝を行うことに、共産主義者としての生きがいを感じるものなのです。

チベットやウイグル、内モンゴルでの中国政府による殺戮行為など、日本共産党員の視野には一切入りません。

中国政府が断行した新疆ウイグルでの核実験で、相当数が犠牲になっているはずですが、日本共産党が指導する「平和団体」「平和運動」は完全に沈黙しています。

近く、北朝鮮が三回目の核実験をやるでしょうが、日本共産党が指導する「平和団体」が北朝鮮の忠実な手先である在日本朝鮮人総連合会に抗議することなど、できようはずもありません。

「ソ連の核軍拡は平和を守る」という趣旨の「平和理論」を著作として体系的な「理論」にしたのは、上田耕一郎さんです(「マルクス主義と平和運動」、大月書店1965年刊行)。

日本共産党が指導する「平和団体」は上田耕一郎さんの「平和理論」を信じていますから、共産主義国である中国や北朝鮮の核実験に反対する社会運動を組織することはできません。

今の不破哲三さんや志位和夫さんにとって、現代の「世界革命の基地」は中国なのでしょう。

「中国覇権主義とのたたかい」とかいう本も以前は出版されていましたが、いつのまにか「中国覇権主義」という語は「赤旗」「前衛」では見かけなくなりました。

10数年前の不破哲三さんの表現を借りれば、「日本共産党は中国覇権主義に屈服し敗北した」ことになるのでしょう。


日本共産党員の黄昏-「平和のとりで」「日本革命の基地」の落城-




最近、インターネットで東京大学の民主青年同盟が学内での部室の使用を認められなくなったという知らせを見ました。

民主青年同盟は、部室の使用をなんとか継続できるよういろいろ抵抗したようなのですが、時代の流れを止めるのは難しかったのでしょう。

東京大学の学生の中に、民主青年同盟員がほんの僅かしかいないなら、部員の多いサークルに部室を譲るのが当然です。

民主青年同盟が使っていた部室の片付けを行っていたのはたったひとりだったそうです。手伝ってくれる人すらいないとは、片付けていた方は本当に寂しかったでしょうね。

東京大学の民主青年同盟の皆さんは恐らくこの部室を「平和のとりで」「日本革命の基地」くらいに思っていたのではないでしょうか。

「平和の砦」「日本革命の基地」が「落城」したことになりますね。「落城」前に民主青年同盟の運動に嫌気がさし、辞めていった人も多少いたのかもしれません。

在日本朝鮮人総連合会の本部も借金の担保として取り立てられ、「落城」の可能性があります。


戦国武将はいくさに破れれば、戦場の露と消えていきました。居城が攻略されて落城し、一族もろとも自害した戦国武将も少なくありませんでした。勿論、「落城」前に投降、あるいは逃亡してしまう家臣はいくらでもいました。

「覇権主義との生死をかけたたかい」とやらに敗北した日本共産党は今後どうなっていくのでしょうか。
























2013年1月14日月曜日

左翼の生き方についての覚書

世界の平和と共産主義への偉大な前進-ソ連邦共産党第二十一回大会の意義-

1959年2月19日 日本共産党中央委員会幹部会の声明



最近はこちらに小説やエッセイについての感想を書いていますが、以前私は左翼批判の拙文を雑誌「正論」(産経新聞社刊)や「幻想と批評」(はる書房刊行)に出してきました。左翼批判の論点は多々ありますが、そのうちの一つが、左翼とは共産主義国を礼賛する人々である、というものです。

別言すれば、左翼とは潰れた会社の元上司を罵倒するような人々であるということです。

上記は、昭和34年2月19日に日本共産党中央委員会幹部会が出した声明の題名です。この題名を見れば、若い日本共産党員はびっくりすることでしょうね。年配の方なら、青春時代を思い出して懐かしく感じるでしょう。幹部会声明は下記のように述べています。

世界の共産主義者と勤労人民が絶大な信頼をよせていたソ連邦共産党



「ソ連邦共産党とソ連邦国民は、世界で最初の社会主義革命を指導し遂行し、困難な国際情勢のなかで社会主義の建設を完了し、今や最初に共産主義への道を切りひらき、世界史の大きな転換のために先進的な役割をはたしている。

ソ連邦共産党が今日の達成をかちとったのは、マルクス・レーニン主義の原則をかたくまもり、あらゆる種類の日和見主義、修正主義と教条主義、保守主義とを克服して党の団結をかため、国民とかたく結びついて、正しい内外政策を遂行してきたからである。

このようなソ連邦共産党とソ連邦国民にたいし世界の共産主義者と勤労人民が絶大な信頼をよせ、その経験と達成に学ぼうとしているのは当然である。」


共産主義者であるなら、世界史の大きな転換のために先進的な役割を果たしているというソ連邦共産党に絶大な信頼をよせるのは当然でしょうね。今日の共産主義者にとって、「絶大な信頼」の対象は農民と農村出身の都市下層労働者(農民工という)を徹底的に搾取して高成長を達成した中国共産党でしょう。

中国共産党幹部とその一族は大金持ちです。先日のNew York Timesに掲載された温家宝一族の資産形成に関する記事には驚きました。金正日とどっちが多いか、わかりませんね。

降り注ぐ歳月、変わっていく人々と変わらぬもの


昭和34年当時は、この声明のようにソ連邦共産党に絶大な信頼をよせていた日本共産党の皆さんですが、それから30数年後には宮本顕治さんを先頭にしてソ連共産党の解散を万歳と大喜びするようになりました。降り注ぐ歳月で人の心も変わるものなのでしょう。

宮本顕治さんは、この幹部会声明が発表された頃、日本共産党書記長という党内では重職にありました。50代前半だった宮本さんは、政治家として油がのり、精神的にも絶頂期だったことでしょう。憧れのソ連共産党の大会に来賓として出席できて、心から嬉しかったのでしょう。

若い共産党員は、昭和34年頃の日本共産党が手放しでソ連共産党を礼賛していたことなど全く知りませんから、ソ連共産党が潰れて本当に良かった、と思ったかもしれませんが、昭和34年当時に若者だった古参党員の気持ちはどんなものだったのでしょうか。

聴濤弘さんのように、ロシア語を流暢に使いこなし、ソ連通として知られた老幹部も「ソ連崩壊万歳!」だったのでしょうか。

「潰れたところとは手を切れば良いのさ。昔は昔、今は今だ」という程度の、さっぱりした受け止めをしていた古参党員が殆どだったかもしれません。

会社が潰れてしまえば、上司と部下という関係はなくなりますから、途端に以前の上司に対して冷たい態度や言葉使いをするようになる元部下はいるでしょう。


左翼の思考方式として変わらないのは、共産主義国に対する憧憬でしょうか。今日の日本共産党は中国を「市場経済を通じて社会主義へ、という旗印で、活力に満ちた新しい社会と経済への建設の取り組みが進んでいます」という調子で、高い評価を与えています。

左翼は共産主義国を礼賛する。この点は、どれだけ歳月が流れても、日本でも韓国でも変わらぬものなのでしょう。韓国左翼は北朝鮮を大真面目に進歩勢力とみなしています。

中国の高成長がさらに行き詰まったり、北朝鮮の金王朝が崩壊すれば、左翼の皆さんは手のひらを返して、中国や北朝鮮を罵倒するのかもしれませんね。

潰れた会社の元上司や元同僚を罵倒する人はいくらでもいますから。

「幻想と批評」掲載拙文について



「幻想と批評」(はる書房)に掲載された拙文の題名を以下に記しておきます。御参考までに。

「共産主義国の戦争政策とマルクス主義経済学」(第1号所収)

「不破哲三はなぜ中国を礼賛するのか」(第2号所収)

「不破哲三はなぜ「反革命」「ユーゴスラビア修正主義」になったのか-不破哲三による下部党員操縦法とマルクス主義経済学者の生態-」(第3号所収)

「残虐行為を正当化する虚偽宣伝」(第4号所収)

「官僚金融産業資本主義への困難な道のり-勝利した「走資派」-」(第5号所収)

「史的唯物論と共産党員の言論抑圧体質」(第6号所収)

「社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた」(第7号所収)

「「構造改革論」と不破哲三」(第8号所収)

「共産主義者の志とは何か-不破哲三と聴濤弘のソ連・中国礼賛から」(第9号所収)

そのほか、宝島社から次が出ています。

日本共産党はなぜ"史実"を隠すのか(野村旗守編2004年、「北朝鮮利権の真相」、宝島社文庫pp260-277)

社会党と共産党、どこがどう違ったのか?(野村旗守編2003年、「社会党に騙された!」、別冊宝島Real 055, pp165-176)




2013年1月6日日曜日

遠藤周作「ほんとうの私を求めて」より-古代人は無意識の力を制御できたのでは-

遠藤周作「ほんとうの私を求めて」(集英社文庫)より



遠藤周作「ほんとうの私を求めて」(集英社文庫)には、人間の心理と行動について、珠玉のような記述がいくつもあります。いくつか取り上げてみましょう。

遠藤は次のように述べています(p30.p31より部分的に抜粋)。

人間の心は、実に危険に満ちた一触即発の爆弾を抱えている。それはいつ何時、転覆するかわからない。だからあまり自分の心に自信を持ちすぎて無防備であってはならない。

我々は底なし沼のように深い自分の心の深淵―無意識について隅々まで知ることはできない。

またその無意識のなかに、自分の、どんな思いがけない顔や要素がかくれ、ひそみ、溜まっているのか見ぬくことはできない。

遠藤はこのように考え、社会生活をする以上、抑圧したものに然るべき出口を作っておいてやらねばならない、他人に迷惑をかけぬ無意識の捌け口が我々の一生には必要だと述べています(p39)。

自分の精神、心の働きには、自分でも十分にわかっておらず意識していないものがあるということを私たちは知っておくべきなのでしょうね。これを心得ている人は、自分の精神活動をうまく制御でき、充実した日々を送ることができるのでしょう。



生活と人生の違い~人生では抑えつけたものが中心



遠藤によれば、生活と人生は違います(p39)。生活でものを言うのは社会に協調するための顔、または社会的な道徳である。しかし人生ではこのマスクが抑えつけたものが中心となる。

我々が社会の共同生活に順応すればするほど、自分の個性を失う(p51)。自分の特色、個性といったものは多くの場合、抑えつけた感情や欲望の中にある。

抑圧する感情や欲望は、それ自体、悪いものではなく、よい種も持っている。しかしそれに溺れて生きると、他人を無視したり社会道徳をふみにじったりしないとも限らない(p52)。

善い面と悪い面をすべてのものに見つけられる思考方法が大事である。

心の制御が、人生を生きていくためにも、生活をしていくためにも、肝要なのでしょうね。一見不要で無駄なことのように見えていたものが、実は私たちの心を制御していくために極めて重要な役割を果たしていることも多々あるのでしょう。

神社仏閣はその存在自体が、日本人の心に安らぎを与えているように私には思えます。神社仏閣には、たとえ都会の真ん中でも多少の緑がありますね。木々をぼんやりと見つめながら神社やお寺の中を歩き、家族と自分の安寧を願ってお祈りすることはとても大事な事のように思えます。

日本人は昔からそのようにして、心を制御してきたのではないでしょうか。

無意識と仏教のアラヤ識(阿頼耶識)


心の奥底の無意識は、抑圧されたものだけではないと遠藤は言います(p55-56)。心の中でいろいろなものが溜まっている無意識のことを、仏教ではアラヤ識というそうです。遠藤は片仮名を使って説明していますが、調べると阿頼耶識という漢字になっています。

これは仏教の考え方ですが、キリスト教徒の遠藤は次のように説明しています(p57)。

あなたの心の奥底には、アラヤ識(無意識)という場所があって、それがあなたの表面の心(意識)につよい力を与え、あなたの行動を作り出しているとのだ思えばよいのです。

嫉妬深い行動をすれば、それは表面の心の働きということだけでなく、アラヤ識の中にある我慾と嫉着を生む可能性のある種子が活動しているからだ、という解釈になります。

しかし、アラヤ識は否定的な働きのみをするわけではありません。「心に美しき種を抱く」ことにより、無意識の力、アラヤ識を活用できると遠藤は述べています。

勿論、どんなことでもアラヤ識の力で実現できると考えたら行きすぎでしょうけれど、「できる」と自分で思い込み、そのように精神を制御できれば、かなりのことが実現できるということはありうるのではないでしょうか。

「火事場のクソ力」という語がありますが、これは本当のことではないかと思います。

古代人は無意識の力を制御できたのでは


全くの推測ですが、私には古代人は前述のような心とその奥底にある無意識の働きについて、感知していたのではないかと思えてなりません。

大和朝廷が出来る前、あるいは出来た頃の人々を古代人としましょう。この当時には文字はさほど普及していなかったはずです。平仮名は平安朝からですから、漢字がごく一部の知識層に知られていた程度でしょう。

紙も生産されていないような時代に、大和朝廷やその前の王朝は民衆にどうやって行政命令を伝達していたのでしょうか。全ての行政命令を口頭で伝えるしかありませんね。木に行政命令の内容を書いておくという手法もあったかもしれませんが、木も貴重品ですからね。

遠隔地の行政組織に行政命令をどうやって伝えるのでしょうか。記憶力がよほど良い人が行政組織に相当数いないと、何も伝えることができませんね。行政命令を伝達するためには遠隔地に行かねばなりませんが、当時は道などないも同然だったのではないでしょうか。現在の山道のような道が、当時としては最高の街道だったのではないでしょうか。

古代人はどうやって方向を知るのでしょうか。夜空に浮かぶ星座により方向を確かめるのでしょうか。

遠隔地に住む人々と、奈良近辺に住む人々の間でどの程度言葉が通じたのでしょうか。

遠隔地まで行くためには、かなりの食料と水を確保せねばなりません。大和朝廷の役人が関東に行くことそれ自体が大事業ですね。体力だけでなく、強靭な精神力と確かな記憶力を兼ね備えた人が相当数いないと、大和朝廷は維持できなかったのではないでしょうか。

大和朝廷の命令で遠隔地から防人として派遣された人々は、故郷を離れて奈良近辺までどうやってたどり着いたのでしょうか。

古代人は、狩猟により食糧を確保して旅をできたのかもしれませんね。

ヤマトタケルはどうやって関東まで行ったのでしょうね。軍勢を率いて行ったのでしょうけれど、軍勢の兵糧や水はどうやって確保したのでしょうか。征服すればその地で多少確保できるでしょうが、簡単に新たな地を掌握できるはずもありません。

奈良や飛鳥のあたりから三重県まで歩いたらかなりありますよ。三重県を越えて岐阜県、愛知県と歩き、どこかから船を使うのでしょうけれど、当時の船では太平洋側の航海は極めて危険だったでしょう。瀬戸内海とは波や海流が随分異なっているはずです。

強靭な精神力と記憶力、体力を兼ね備えるためには、無意識の力をよほどうまく制御できねばならなかったのでは、と思います。

野生の感覚、とでも言うべきものを、古代人は持っていたのではないでしょうか。現代人はこれをほぼ完全に失ってしまったのでしょうね。

邪馬台国の女王卑弥呼は、人々の心の奥底にある種子を奮い立たせるような呪術を体得していた人だったのかもしれませんね。




















2013年1月4日金曜日

米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」より-生きのびるための嘘と誇張-

米原万里著「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(角川文庫)



あけましておめでとうございます。今年も少しずつ、思ったこと、感じたことをこちらに書き留めていくつもりなので、何卒宜しくお願いします。

正月に、米原万里著「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(角川文庫)を読みました。米原さんは日本でも屈指のロシア語通訳だった方ですが、惜しくも6年ほど前に癌でお亡くなりです。

米原さんのお父さんは米原昶さんという、日本共産党の大幹部だった方で、「平和と社会主義の諸問題」という国際共産主義運動の雑誌の編集の仕事のため、日本共産党の任務としてプラハに派遣されました。そのため米原さんは、1960年から64年までプラハのソビエト学校で多感な少女時代を送ることになりました。ソビエト学校には各国の共産党や労働者党から派遣された人たちの子供たちが学んでいました。共通語はロシア語でしたから、米原さんも最初は随分とまどったそうです。

大人を「同志」と呼ぶルーマニア人の娘アーニャ


「嘘つきアーニャ」とは、お父さんがルーマニア労働者党の代表として同じ雑誌に勤務していたルーマニア人、アーニャのことです。生まれたのはインドのデリーで、育ったのは北京です。5歳のときに、国慶節の祝賀行進のとき天安門広場の雛壇で毛沢東に抱っこしてもらったという、共産主義運動の申し子のような女の子でした。

5歳のときということですから、恐らく1955年でしょうね。「大躍進」の前ですが、この頃でも毛沢東の権威は絶大なるものがあったでしょうね。

アーニャは祖国ルーマニアへの思いが人一倍強い子でしたが、ソビエト学校の悪童たちが、アーニャにつけたあだ名は「雌牛のアーニャ」でした。アーニャはなぜかソビエト学校のスクール・バスに乗り遅れないよう、走ってくることが多かったのです。

そのときのアーニャの走り方が無様だったこととからそういうあだ名になったと当時の米原さんは思っていたそうですが、今考えてみると悪童たちはアーニャの性格をからかってやりたかったのではなかったかと米原さんは述懐しています。

ソビエト学校の子供たちはスクール・バスの運転手さんの名前の前に「Mr.」に該当する「パン」をつけて呼んでいましたが、アーニャはロシア語で「同志」を意味する「ソードルフ」を付けて呼んでいました。

運転手さんは嫌がっていましたが、アーニャは「パンは、『旦那』という意味であり、他人の労働を搾取して生きた恥ずべき支配階級の人間の指した言葉だから、それを尊称に使うべきではない。労働者階級に属することに誇りをもってほしい」と小理屈を並べ立て、「同志」と呼び続けていました。

アーニャは誰に対しても「同志」と呼んでいたのですが、それが最も正しい言い方であると確信を抱いていたのです。共産主義こそ、人類最高の目的であり、手段であるからして、共産主義に関係付けることこそ相手に対する最高の敬意の表明(p93)という発想でした。

共産主義者の宣伝文句のような言辞を何かにつけて級友に吐いていたアーニャですが、「労働者階級」とは程遠い、ブルジョア階級そのもののような生活をしていました。総ガラス張りの温室に面した居間の天井には、巨大なシャンデリアがぶら下がり、食堂のテーブルはなんと二四人掛け。アーニャの家には使用人がいたそうです(p98-99)。

愛すべき嘘つきの親友アーニャとの再会
 

アーニャの嘘とは、例えば横幅の広い、黄色いノートがアーニャの家の近くの文房具店に売っていたというが、実はフランスから送られてきたものだった、というものです。ソビエト学校の子供たちの間で評判になっていたこのノートにも、実はアーニャの家族の悲しい歴史が刻まれていたのですが、米原さんがそれを知るのはずっとあとのことです(p167)。

 アーニャには話を大げさにする、誇張癖がありました。なんでそんな嘘をつくのか、頭を捻るようなものばかりでした。嘘をつくときのアーニャは、丸い目を見開いて真っ直ぐ相手の目をみつめます。アーニャには一度ついた嘘を本人も信じきってしまっているような節がありました(p118)。

このあたりには、少女時代の米原さんの鋭い人間観察眼を思わせませるものですね。でもアーニャは、優しくて友達をとても大切にするところがあり、皆に愛されていました。

アーニャが一度だけひどく逆上したのは、ギリシャ人のリッツアに「あなたはチースタヤ・ルーマニア人「とからかわれたときです。「チースタヤ」とはロシア語で、「純潔」「生粋」あるいは清潔」という意味です。この一言に、アーニャは激怒してしまったのですが、ずっと後にその理由を米原さんは知ることになります。

 米原さんは愛すべき嘘つきの親友アーニャを探すべく、95年暮れにブカレストを訪れたとあります(p139)。およそ30年ぶりに二人は再会しますが、米原さんはアーニャがなぜ「嘘つき」だったのか、なぜ友達を限りなく大事にしていたアーニャが「チースタヤ・ルーマニア人?」の一言に激怒したのかを少しずつ「理解」していきます...。
 

チャウシェスクのルーマニア-民族が生きのびるために嘘と誇張


アーニャとその家族に大きな影響を及ぼしたのは、ルーマニアという祖国が直面していた国際政治の厳しい現実でした。ソ連の軍事的脅威ということです。56年のハンガリー動乱や、68年の「プラハの春」はルーマニア人にとって衝撃だったことでしょう。

ソ連の命令に反抗すれば、軍事侵攻され弾圧されてしまうということですから。これを回避しつつ、自分たちなりの主張と体制づくりを貫かねばならないが、どうするか?

この回答が、チャウシェスクという狡猾な政治家を支持して、全国民が労働党の最高幹部に忠誠を誓っているのだから共産主義の理論に照らして何も問題はない、あえて侵攻する必要はない、とソ連に誇張宣伝するという手法だったのではないでしょうか。

チャウシェスクへの個人崇拝と不満を表明する政治犯に対する弾圧を正当化することは適切ではありませんが、民族が生きのびるための嘘と誇張、という側面もあったのではないでしょうか。

ルーマニアは本当に激動の現代史を経たお国ですね。チャウシェスク政権についての評価も、単なる独裁者というだけでなく、ソ連の軍事的脅威に対する抵抗のためという点も考慮せねばならないでしょうね。

ルーマニア労働党は腐敗しきっていたようです。政権がどうしようもなく腐敗すると、最高のエリート層の子供たちまで、いろいろと悪い影響を受けてしまうのでしょうね。私はルーマニアに行ったことはありませんが、学生時代のロシア語の先生の一人にルーマニアの傍のモルダビア出身の方がいらっしゃったので、ルーマニアについて多少、悪い話を聞いていました。

この先生の親族の一人が、ルーマニアの労働党員と結婚していたのです。この先生ももうお亡くなりのようですが、とても幅広い学識と経験をお持ちの方でした。先生は時折、ロシア革命など不要だった、その前に資本主義の枠内で必要な改革がなされつつあったのだからと力説されました。

30年ぶりのアーニャの表情-昔と同じ


およそ30年ぶりに会ったアーニャは、かつての強烈な民族主義を棄てたような話を米原さんにしますが、そのときの表情は30年前と同じ、丸い栗色の瞳をさらに大きく見開いて真っ直ぐ米原さんを見つめるものだったそうです。

私は米原さんと面識は全くなかったのですが、早稲田大学に通っていた頃私も多少ロシア語をかじっていたので、当時から「東大に米原さんという、ものすごくロシア語の出来る方がいる」という噂を耳にしていました。

若くしてお亡くなりになった米原さん、どんなにかもっと生きて、世の中の成り行きを観察し、思うことを訴えていきたかったかろうかと思うと、残念でなりません。