社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた(宮本顕治)
誰でも若い頃は、自分なりの夢を持ち、その実現のために努力するものでしょう。自分なりの夢と言ってもそれは、大きな歴史の流れ、時代の制約と無縁ではありえません。
井上靖の「天平の甍」に描かれている青年僧侶たちは、大唐に渡って仏教の真髄を徹底的に学び、日本に持ち帰って真の仏法を日本に広めようとしました。
遠藤周作の「沈黙」に描かれているポルトガルのイエズス会所属の若き神父は、過酷な切支丹弾圧がなされていた江戸時代の日本に決死の思いで潜入し、信者たちの魂を救済しようとしました。
武田信玄や上杉謙信が「天下統一」まで夢見たかどうかは疑わしいですが、混乱に乗じて成り上がってやろうという程度の野望を抱いた武将はいくらでもいたことでしょう。
羽柴秀吉は、いつごろから自分が「天下人」になれるかもしれないと思い始めたのでしょうね。「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家をやぶった頃からでしょうか。
天下を取って、日本をソビエト化する―日本共産党員の夢―
今の左翼の人たち、日本共産党員や社民党員の皆さんには信じがたいことかもしれませんが、今から50年くらい前の左翼にとっては、ソ連邦、中国そして北朝鮮こそ理想郷だったのです。
その頃の日本共産党員にとって、「天下を取って、日本をソビエト化する」ことが夢だったのです。
これは、大学の図書館などでその当時の「赤旗」や「前衛」を探し出して読んでみれば明白です。
不破哲三さんの近年の文献を読むと、ソ連を「社会主義の反対物」「覇権主義」などと繰り返し弾劾しています。
駅前で「原発反対」「消費税反対」の宣伝をしているような日本共産党員は「社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた」などという言辞を、50年程前の日本共産党書記長宮本顕治さんが吐いていたなんて、到底信じられないでしょう。
これは本当のことなのです。いくつか例をあげておきましょう。
昭和34年5月の「前衛」掲載論文で宮本顕治さんは、ソ連を礼賛しました。次です。
「ソ連邦共産党第二十一回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について」(「前衛」1959年5月号掲載)
この論文で宮本顕治さんは、しつこいほどにソ連がなぜ素晴らしいのかを「論証」しています。
ソ連は「共産主義建設の偉大な不滅のとりで」であり、ソ連邦では国内的に資本主義を復活させる力がないだけでなく、世界的にソ連邦および社会主義陣営をうちやぶれるような力は存在しない、と断じています。
この頃の宮本顕治さんは、自分が羽柴秀吉になったくらいの気分だったのではないでしょうか。この論文を素直に読めば、宮本顕治さんは「天下取りは間近だ」くらいの気分になっていたとしか思えません。
当時の日本共産党員でソ連を礼賛したのは宮本顕治さんだけではありません。
偉大なレーニンの党、ソ連共産党-蔵原惟人の宣伝-
蔵原惟人さんという、プロレタリア文学運動の指導者で小林多喜二の師匠であり、日本共産党の文化運動を長年担当した方がいました。蔵原さんはロシア語の達人で、マキシム・ゴーリキーの「私の大学」などの翻訳もしています。
この時代の日本共産党員の中では、最高の知識人と言えるでしょう。
それほどの知識人が一体なぜ?と思えるくらいに、蔵原さんはソ連を礼賛しました。
蔵原さんによれば「十月社会主義革命を勝利に導き、社会主義を建設し、共産主義への道をひらいたのは、偉大なレーニンの党、ソ連共産党とその周囲に結集したソ連人民」だそうです(「十月社会主義大革命と現代」、「前衛」1961年1月号掲載、p13)。
蔵原さんによればソ連がその工業生産高でアメリカを追い越すのは、すでにここ数年の後に迫っており、生産の飛躍的な発展にもとづいて、国民の生活水準も急速に高まっているそうです。
生産力の飛躍的な発展とともに、「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて受けとる」という長いあいだの人類の夢であった生活の不安のまったくない平和で豊かな共産主義の社会に近づいているそうです。
マルクスの「資本論」が解明したという「搾取制度」「資本主義的搾取の仕組み」など、ソ連ではとうの昔に廃止されていると宮本顕治さんや蔵原惟人さんは信じていたのでしょうね。
共産主義を地上に建設するソ連共産党大会の偉業-「アカハタ」主張より-
昭和36年10月17日の「アカハタ」主張「共産主義を地上に建設するソ連共産党大会の偉業」によれば、ソ連共産党の共産主義建設の綱領は、偉大な闘争の綱領であり、今日の世界では、この綱領を空想の産物だとののしることができる者は一人もいないそうです(「赤旗」はこの頃は片仮名で表記されていた)。
昔の「赤旗」「前衛」を読むと、1960年前後は日本共産党員にとって、本当に良い時代だったのだろうなと思えます。
この頃はまた、在日本朝鮮人総連合会が収容所国家北朝鮮に在日朝鮮人を次から次へと送っていた時期でもありました。吉永小百合主演「キューポラのある街」の時期です。
この映画でも、北朝鮮に夢を抱いて帰国していく在日朝鮮人家族が描かれていました。
まさに、「地獄への片道切符」を在日本朝鮮人総連合会は配布していたことになりますね。
日本もソビエト化すべきだ、中国と北朝鮮はソ連に続いて社会主義になった、日本も続けと当時の日本共産党員は大真面目に宣伝していたのです。
日本共産党と良好な関係にあった在日本朝鮮人総連合会の人たちの中にも、この類の宣伝を信じて北朝鮮に帰国した人は少なくなかったはずです。
ソ連が人工衛星を打ち上げ、失業もなく経済を完全に計画的に運営していると宣伝していましたから、本当に「共産主義建設の偉大なとりで」にみえたのでしょう。
なんせ、ソ連や中国、東欧、北朝鮮では資本主義的搾取が廃止されているのですから、労働者が幸せにならないはずがありません。
「ソ連覇権主義との生死をかけた闘争」「ソ連は社会主義と反対物」などという不破哲三さんのお話は、ソ連が崩壊してからのことです。不破哲三さんの宣伝文句にすぎません。
「ソ連覇権主義を、生死をかけて礼賛してきた」というほうが、ずっとよく日本共産党の歴史を表しています。
治安維持法が存在していた頃、ソ連ではスターリンが絶対的な権力をもち、政敵をスパイ呼ばわりして殺害し、「ラーゲリ」という政治犯収容所で政治犯に過酷な囚人労働をさせていました。
そんなソ連を宮本顕治さん、蔵原惟人さんらは「労働者の祖国」「平和のとりで」などと崇めていたのです。
「スパイ」「反動勢力の手先」は消されて当然-日本共産党と朝鮮総連は類似-
戦前の日本共産党員で、世界共産党(コミンテルン)の幹部だった人や、ソ連に逃げていった人のうちスターリンとソ連共産党により「スパイ」のレッテルを貼られて殺害されてしまった人は少なくありません。
大量殺人などという蛮行をやったソ連共産党が偉大だなんておかしい、という発想は当時の宮本さんや蔵原さんには皆無だったようです。「スパイ」「反動勢力の手先」は消されて当然、という気持ちだったのでしょう。
在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、政治犯収容所、日本人や韓国人の拉致など北朝鮮の凄惨な実態から一切目を背けています。
在日本朝鮮人総連合会の中には、「南朝鮮革命」「主体革命偉業」などと称して日本人を拉致する地下組織を作っている人もいます。
この人たちは日本人や韓国人の拉致、韓国の要人暗殺、大韓航空機爆破などのテロを断行することが、「民族統一のための偉業」と本気で思い込んでいるのです。
金賢姫や文世光は「南朝鮮革命」に身を投じた人たちです。
ヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」でも、お兄さんの一人が工作員になり、御自分もそれに協力するよう要請されたという話が出ていました。
日本人拉致組織と朴グネ次期韓国大統領の母陸英修さん暗殺事件
在日本朝鮮人総連合会の関係者により結成されている地下組織と日本人拉致については、「洛東江」という組織の資金調達係だった張龍雲さんの「朝鮮総連工作員」(小学館文庫)で詳しく説明されています。
張龍雲さんによれば、韓国の次期大統領朴グネさんのお母さん、陸英修さんを暗殺した文世光を教育して朴大統領暗殺の指令を出したのは、「洛東江」の大幹部だった曹廷楽という人物です(同書p135)。
当時の韓国の捜査本部の発表は、「表の歴史」であると張龍雲さんは述べています。
大阪の在日本朝鮮人総連合会の老幹部なら、「裏の歴史」を熟知している方はいるはずです。
日本共産党員と在日本朝鮮人総連合会の思考・行動様式はよく似ています。
在日本朝鮮人総連合会は自分たちを批判する在日韓国・朝鮮人を「民族反逆者」とレッテル貼りして弾劾します。日本共産党は「反党分子」「転落者」と弾劾します。
ソ連は共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始している
北朝鮮の話は別の機会にじっくりするとして、日本共産党の話に戻りましょう。
若き不破哲三さんは、宮本さんや蔵原さんの論文を真剣に学んでいたのでしょう。若き不破さんはソ連共産党とスターリンに心酔していました。
これは今日の不破哲三さんからすれば、苦い思い出かもしれませんね。
「平和と社会主義に敵対する『世界革命』論 ―現代トロツキズム批判―」(「前衛」1959年6月号掲載)で、不破さんははじめに勝利した社会主義国家の存立をまもりぬき、社会主義を建設し、そのあらゆる力量を強化することは、「世界革命の基地」(スターリン)をまもることであると力説し、ソ連への忠誠を誓っていました。
ソ連は「世界革命の基地」である、というスターリン理論は、北朝鮮が自らを「南朝鮮革命の基地」と位置づけた「革命基地路線」の起源です。
若き不破さんは、スターリンに心酔していたのでしょうね。
この論文で不破さんは、「ソ連は共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始している」旨述べています。「ソ連覇権主義」などという話は皆無です。
先を見通すことは本当に難しいものです。20代の不破さんに、将来のソ連崩壊を予見せよ、などということは私にはできません
しかし「ソ連覇権主義との生死をかけた戦い」などという虚偽宣伝を目にすると、若き不破さんはその後、優秀な共産主義者に成長していったのだな、としか言い様がありませんね。
北朝鮮が「朝鮮民族を完全に解放するための民主基地である」という規定ですが、これは金日成が北朝鮮労働党第二回大会でおこなった活動報告で明記されています(「金日成二巻選集 第一巻、p115、1966年日本共産党中央委員会出版部発行。訳者は日本共産党中央委員会金日成選集翻訳委員会)。
韓国は米帝国主義に支配されている植民地であるから、合法、非合法のあらゆる手段で解放すべき対象であるというものが、朝鮮労働党の政治路線です。
「朝鮮民族を完全に解放する」ためなのですから、日本人や韓国人が犠牲になるのは当然というのが、「主体革命偉業」「全社会の金日成主義化」の論理より導かれる必然的帰結です。
スターリン、毛沢東、金日成、金正日と不破哲三―歴史の捏造者-
駅前で「原発反対」「消費税反対」などと宣伝している若い日本共産党員が、50数年前に「前衛」や「赤旗」に掲載された論文を図書館などで見つけてきて読むことなどまずありえません。
従って不破さんとしては昔の宮本さんや自分の論文、「赤旗」記事は伏せておけばそれで良いという判断なのでしょう。
「日本共産党の歴史」などという本がありますが、それらにはこの時期の論文の内容は一切記されていません。
スターリンや毛沢東、金日成、金正日はそれぞれ、都合の悪い史実を国民に隠し、自分たちの「英雄神話」を捏造し国民に普及しました。
共産党の最高指導者は歴史を捏造するものなのです。優秀な共産主義者の所業はどこでも同じです。
中国覇権主義に屈服し、敗北した日本共産党
今の不破哲三さんは中国は市場に強い社会主義を目指しているいるから素晴らしい国だ、という類の宣伝をしています。
いつの時代でも、共産主義者は共産主義国を礼賛し、共産主義国に有利になるような宣伝を行うことに、共産主義者としての生きがいを感じるものなのです。
チベットやウイグル、内モンゴルでの中国政府による殺戮行為など、日本共産党員の視野には一切入りません。
中国政府が断行した新疆ウイグルでの核実験で、相当数が犠牲になっているはずですが、日本共産党が指導する「平和団体」「平和運動」は完全に沈黙しています。
近く、北朝鮮が三回目の核実験をやるでしょうが、日本共産党が指導する「平和団体」が北朝鮮の忠実な手先である在日本朝鮮人総連合会に抗議することなど、できようはずもありません。
「ソ連の核軍拡は平和を守る」という趣旨の「平和理論」を著作として体系的な「理論」にしたのは、上田耕一郎さんです(「マルクス主義と平和運動」、大月書店1965年刊行)。
日本共産党が指導する「平和団体」は上田耕一郎さんの「平和理論」を信じていますから、共産主義国である中国や北朝鮮の核実験に反対する社会運動を組織することはできません。
今の不破哲三さんや志位和夫さんにとって、現代の「世界革命の基地」は中国なのでしょう。
「中国覇権主義とのたたかい」とかいう本も以前は出版されていましたが、いつのまにか「中国覇権主義」という語は「赤旗」「前衛」では見かけなくなりました。
10数年前の不破哲三さんの表現を借りれば、「日本共産党は中国覇権主義に屈服し敗北した」ことになるのでしょう。
日本共産党員の黄昏-「平和のとりで」「日本革命の基地」の落城-
最近、インターネットで東京大学の民主青年同盟が学内での部室の使用を認められなくなったという知らせを見ました。
民主青年同盟は、部室の使用をなんとか継続できるよういろいろ抵抗したようなのですが、時代の流れを止めるのは難しかったのでしょう。
東京大学の学生の中に、民主青年同盟員がほんの僅かしかいないなら、部員の多いサークルに部室を譲るのが当然です。
民主青年同盟が使っていた部室の片付けを行っていたのはたったひとりだったそうです。手伝ってくれる人すらいないとは、片付けていた方は本当に寂しかったでしょうね。
東京大学の民主青年同盟の皆さんは恐らくこの部室を「平和のとりで」「日本革命の基地」くらいに思っていたのではないでしょうか。
「平和の砦」「日本革命の基地」が「落城」したことになりますね。「落城」前に民主青年同盟の運動に嫌気がさし、辞めていった人も多少いたのかもしれません。
在日本朝鮮人総連合会の本部も借金の担保として取り立てられ、「落城」の可能性があります。
戦国武将はいくさに破れれば、戦場の露と消えていきました。居城が攻略されて落城し、一族もろとも自害した戦国武将も少なくありませんでした。勿論、「落城」前に投降、あるいは逃亡してしまう家臣はいくらでもいました。
「覇権主義との生死をかけたたかい」とやらに敗北した日本共産党は今後どうなっていくのでしょうか。
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