2014年9月2日火曜日

カール5世騎馬像より思う(中野京子「名画で読み解くハプスブルク家12の物語」光文社新書より。ティツィアーノ・ヴィチェリオ作)

650年もの王朝を維持したハプスブルク家(Habsburg)



欧州の歴史を名画で読み解くとは、面白い試みですね。世界史の本を見ると、ハプスブルク家は次のように出ています。


13-19世紀にかけて、神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire )やオーストリア帝国の帝位についた王家。


1273年、一族から初めて神聖ローマ帝国皇帝が選ばれ、オーストリアを主要な領土とするオーストリア=ハプスプルク家(1278-1918)となり、1438年以後1806年まで、帝位を世襲した。


ハプスブルク家は北条時宗の時代から神聖ローマ帝国の帝位についた



フビライ=ハンによる元寇が1274、1281年です。北条時宗の時代から帝位についていた一族ということです。


神聖ローマ帝国は1648年のウェストファリア条約(ドイツの宗教戦争である30年戦争の講和条約)により事実上解体されたと世界史の本に出ています。


解体されても帝位は続いていたということはどういうことなのでしょうか。ハプスブルク家の領土そものは残っていたから、帝位を名目上継続できたということなのでしょう。


カール5世(カルロス1世。1500-58)からハプスブルク家はスペイン王位も継承しました。


カール5世の支配領域はスペイン、ネーデルラント、ハンガリー、ナポリ、ミラノ、シシリア、オーストリア、アメリカ大陸に及びました。


中野京子前掲著の第3章はカール5世の時代を名画を糸口にして語っています。カール5世騎馬像は1547年にプロテスタント同盟軍に圧勝したときを祝って翌年完成されたものです。


中野京子(前掲書p58)のこの絵に関する叙述が見事なので、引用します。


カール5世騎馬像から使命感と強い意志



「颯爽と馬にまたがった皇帝が、木立ちから夕映えの野へひとり走り出てきた瞬間が切り取られている。


まさに英雄登場の瞬間である。彼は、美々しく身を飾った駿馬が勢いのまま駈け出そうとするのを手綱で抑え、はるか遠くへ眼差しを向ける。


彼以外の誰も見はるかすことのできない遠い遠いかなた、理想の世界へと」。


カール5世の抱いていた使命感と強い意志を思わせる絵です。この頃カール5世は47歳で、馬に乗れる状態ではなく戦場でも輿に乗って移動していました。


騎馬姿は虚構なのですが、作者のティツィアーノは阿諛追従のためにこの絵を描いたのではないとあります(前掲書p59)。


ティツィアーノは人生を楽しみ、この世を愛し、基本的に人間が好きだったそうです。


p59に掲載されいるティツィアーノ作「ウルビーノのヴィーナス」(1538年)は健康な若い女性の豊満な肉体をそのまま描いています。ヴィーナスをどのように想像したのでしょうか。


カール5世と上杉謙信-ルターの宗教改革との戦い、関東管領として義のために戦う



私はカール5世の絵から、上杉謙信(1530-78)を思い起こしました。


カール5世の時代はルターによる宗教改革(1517年に95か条の論題)でもありました。ザクセン選帝侯フリードリヒがルターを保護しました。


カール5世は祖先から受け継いだ帝国を守ることが自分の使命であり、聖書の教える道と信じていたのでしょう。


カール5世は40年の治世中、ドイツへ9回、イタリアへ7回、フランスに4回、イギリスへ2回、アフリカにまで2回と計40回も出陣しました。


関東管領としての使命感から義のための戦いに明け暮れた上杉謙信の姿と重なります。上杉謙信は毘沙門天を信仰していました。敬虔な仏教徒だったのでしょう。


上杉謙信は越後からはるばる高野山にも来ています。全てを投げ出して高野山に籠りたかったのかもしれません。


カール5世の母は「狂女ファナ」



カール5世は56歳でブリュッセルに一族を集め、退位して修道院に籠ると表明しました。修道院で祈りの日を二年続けて逝去しました。私利私欲がなかったのでしょう。上杉謙信もそうでした。


カール5世の母は「狂女ファナ」(前掲書第二章)です。


フランドルで生まれたカールは母が精神に異常をきたしていたため、ハプスブルク家に引き取られました。カール5世はドイツ語は片言、スペイン語は全く話せなかったそうです。


夫に先立たれた母ファナは防腐処理をほどこした死体とともに、スペインの野を彷徨したそうです。狂っていたのでしょうが、生母はかけがえのない存在です。


カール5世は生母との別離の悲しみ、そして自分は異邦人ではないかという苦しみを生涯心中に抱えていたのでしょう。


これはカール5世の帝王としての政治力形成に貢献していたように思えます。帝王は臣下の苦しい心中を常に推し量らねばなりませんから。

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