2015年12月31日木曜日

島田裕巳・中田孝「世界はこのままイスラーム化するのか」幻冬新書より「全ての貸与は喜捨である」(同書p181より抜粋)

中田孝「ムハンマドがこういう言葉を残しています。全ての貸与は喜捨である。二回お金を貸すことは、喜捨を一回することに等しい」(同書p181より)


「貯めるというのは、イスラーム的ではないんです」(p190)。


昨年のパリでのテロに衝撃を受けた人は少なくないでしょう。テロがなぜ生じたのか、どうやって防ぐのかについては様々な議論がなされています。

テロを実行した人たちが、イスラム教徒だったからといってイスラム教徒全体を特別視するべきではない。

しかし、欧州に定住しているイスラム教徒の中に、欧州社会に対する不満や鬱憤が蓄積しているのは確かでしょう。どこの国でも移民が良い仕事に就くのは難しい。

また欧州人にも、イスラム教徒を毛嫌いする人が増えていることも想像に難くない。

現在フランスには、イスラム教徒が500万人いるそうです。中東の混乱が続けば欧州に流入するイスラム教徒は増えるでしょう。

定住した欧州諸国でも、イスラム教徒の比率は増えていくでしょう。

ローマ帝国崩壊の一要因はゲルマン民族大移動―フン族(匈奴)の侵入が背景


イスラム教徒の世界観は基督教のそれと大きく異なる。

世界観により、経済の慣習、すなわち勤労態度や消費と貯蓄決定、投資と資金調達決定は大きく影響されます。

欧州人と大きく異なる世界観、経済慣習を持つ人々が人口の多数派となっていったとき、欧州社会と経済は大きく変容します。

仮に30年、40年後のフランスやドイツでイスラム教徒が人口の過半数近くになれば、フランスやドイツ、欧州社会は大きく変容しうる。

移民が定住した社会に同化しなければ、定住した社会が変容していくことになる。ローマ帝国崩壊の一要因は、ゲルマン民族大移動でした。

ゲルマン民族大移動は、フン族(おそらく匈奴)の侵入によるという説もあります。勿論、イスラム教徒の大量流入によりEUが崩壊するとまでは言えませんが。

私たちはイスラム教徒の世界観、経済観について多少は知っておくべきでしょう。前掲書には中田孝氏による興味深い説明が、上記のほかにも多々あります。以下、抜粋して引用します。

イスラームは近代西欧が生み出した「領域国民国家」と両立しないのか


「もともとイスラームには、国家の概念も国境の概念もありません。そこに、西欧のような国家がつくられてしまったら、その国々に支配層が生まれます。神以外の支配層が生まれる時点で、もうイスラームではないんです」(p139)。

「(イスラームと)近代西欧が生み出した『領域国民国家』とは両立しません」(p140)。

「イスラームは『服従すること』『帰依すること」を意味する言葉です。要するにイスラームとは、唯一神アッラーだけに従うものであって、アッラー以外のどんな人間も組織も他者を支配する権利はありません」(p138)。

「カリフ制を復活させるということは、国民国家システムで押し付けられた国境をなくして、イスラームが本来持っていたグローバリゼーションを回復することです」(p149)。

「カリフ制というのは、イスラーム教徒にとって義務なのですから、イスラームを真剣に考えれば、カリフ制を目指すのは当然のことなのです」(p149)。

「イスラームは、個人と神との関係からなる宗教なので、神から命じられているかどうかだけがあらゆる行動の基準となります」(p53)。





2015年12月20日日曜日

草下シンヤ「闇稼業人」(双葉文庫)にみる金正日と側近、対南工作機関と暴力団関係者

朴によれば、総書記は酒が飲めない人間は信用ならない、酒は体質ではなく気合いで飲むものだという考えらしい。宴会は体育会系のサークルのような雰囲気で進んでいった(同書p257より)。


裏の世界に通じている方は、テロを国策としている北朝鮮についてよく「理解」できるようです。私見では、暴力団関係者と朝鮮労働党の思考・行動方式はよく似ています。

故金正日の私生活については、「金正日の料理人」だった藤本健二による一連の著作や、金正日の甥李韓永の手記により細部までわかってきています。

30代から40代のころ金正日は毎晩のように側近を集めて酒宴をしていました。

北朝鮮の外交官だった高英ファンによる「平壌25時」は早くから金正日と側近との酒宴で重要な政策決定がなされていることを指摘していました。

金正日は酒は度量で飲むものだと述べ、側近にウイスキーの一気飲みをさせていました。

金正日の妹金慶喜の亭主だった張成澤や、対南工作機関の責任者だった金容淳はよく酒を飲めるので金正日から信頼されていました。

金正日や張成澤は若い頃、酒池肉林のごとき生活をしていたのでしょう。

朴は対南工作機関に所属する暴力団関係者


北朝鮮に関連する文献を多少読んだ人なら、この程度のことは知っています。しかし現場の状況を想像だけで仔細に叙述するのは難しい。筆力が必要です。

草下シンヤ「闇稼業人」(双葉文庫)では、主人公の沖縄出身の仲間和也は石光という仲間と、悪の稼業に手を染めています。

二人は北朝鮮関係者の朴という人物を相手に覚せい剤の取引をします。

小説ですから全て架空の話なのでしょう。しかし朴という人物の言行は、北朝鮮による対南工作機関の一員とはこんな人物だと私が想像している姿にぴったりなのです。

在日朝鮮人で暴力団と密接な関わりをもつ人物の中には、朝鮮労働党の対南工作機関に所属し金日成、金正日に忠誠を誓っている人物がいるはずです。

彼らは日本人拉致や覚せい剤の密輸等の凶悪行為と、金日成や金正日の奢侈生活を支える物資と資金調達、運搬を長年行ってきました。

暴力団関係者には遊興産業や性産業の企業経営者もいます。建設業や運輸業にも暴力団関連企業があります。その中には、北朝鮮関連団体に所属している人もいます。

朝鮮商工人の中には、暴力団と密接な関わりを持つ人もいます。

警察や国税庁が、在日朝鮮人が経営している暴力団関連企業による脱税行為を取り締まるのは困難です。朝鮮商工人関係団体だけではなく、場合によっては暴力団とも対峙せねばならない。

国税庁の一担当者が、担当地域の企業だからと言ってたった一人で暴力団関連企業の脱税摘発に取り組めるでしょうか。

暴力団関連企業の取り締まりのためには、国税庁が業務上得た情報を警察に全面的に提供することができるようにせねばなりません。

北朝鮮の核兵器、生物化学兵器開発に暴力団関係者が協力してきたかもしれない


仲間和也と石光は朴に使嗾されて核開発のための遠心分離機をある大学から盗み出し、北朝鮮に船で運びます。

その功績が北朝鮮の対南工作機関に認められて二人は金正日酒宴の末席を連ねることになります。その酒宴の記述は、高位幹部だった脱北者たちが伝えるそれとそっくりです。

暴力団関係者が、実際に北朝鮮による核兵器開発のための物資運搬をやってきた可能性はあります。生物・化学兵器開発にも協力してきたかもしれません。

物資運搬のためにも、資金が必要です。朝鮮商工人が出した「忠誠金」が、朝鮮労働党の非公然組織ないしは暴力団関係者が行うテロ物資運搬資金に使われたかもしれません。

草下シンヤ氏の筆力に敬服します。

2015年12月15日火曜日

宮部みゆき著「蒲生邸事件」(文春文庫)よりー「まがい物の神」とはー

時間旅行者は、まがいもの(紛い物)の神なのか?


紛い物とは、真実のものと区別がつかないような偽物のことです。精巧な偽宝石、偽のブランド品は紛い物ですが、人間にも紛い物がいるのでしょうか?

時間旅行のできる人物なら、歴史を変えられるから神のごとき存在なのでしょうか。時間旅行ができても限界があるのなら、紛い物の神です。

この小説には、叔母((黒井)と甥(平田)の関係にある2人の時間旅行者が出てきます。架空の事件である「蒲生邸事件」は昭和11年2月26日に起きたことになっています。

青年将校らが起こしたクーデターだった2・26事件の日です。高橋是清蔵相らが殺害されています。現代っ子の主人公は、平田により昭和11年2月26日に時間旅行してしまいます。

時間旅行者は歴史の大きな流れを変えることはできない


彼らは「歴史が頓着しない個々の小さなパズルの断片」を変えることはできますが、歴史の大きな流れを変えることはできません(同書p220-222)。

時間旅行者平田によれば人間は歴史の流れにとってはただの部品、取り換え可能なパーツです。個々の部品の生き死にがどうあれ歴史は自分の目指すところに流れます。

古来から哲学者や宗教家は、自分が歴史の中でどんな存在なのかを問いかけてきました。歴史はちっぽけな自分の言動がどうあれ、流れていきます。

人間は皆、ちっぽけな存在でしかない。ちっぽけな自分が何をやっても、何も変わらないのではないか?そもそも変える必要があるのか?こんな問いかけをしてきたはずです。

人間を大きな視点から見守り、導く神は存在するのか?哲学者や宗教家はそれぞれ答えを出してきました。

この小説の「歴史」とは、人を導く存在ともいえそうです。

時間旅行者の周辺は薄暗くなっている―人に愛されない。


時間旅行者である黒井と平田は、光にとっては異分子ですから光の恩恵を受けることができません。時間旅行者の周囲では光が本来の力をそがれてしまうので、時間旅行者は暗く歪んでみえます(同書p99)。

この描写は、時間旅行者の宿命を暗示しています。時間旅行者は例外なく「暗く」、気味悪い雰囲気をもち、人に愛されない(同書p98)。早死になので子孫を残せません。

時間旅行能力を持つ黒井と平田の叔母・甥は、「歴史」ないしは「神」からなぜそんな能力を与えられたのでしょうか。

答えはわかりません。それでも、黒井と平田の二人は、自分なりのの生き方、死に方を見出し生涯を終えていきました。どちらも、死を覚悟してそれぞれの選択をしました。

宿命を背負いつつも、自分なりの生き方、死に方を選択した二人が印象的です。



2015年12月4日金曜日

Romain Duris主演「ニューヨークの巴里夫」(Casse tête chinois, 英語題名The Chinese Puzzle)の問いかけ

40歳のXavierは問う。「わが人生はなぜ複雑になってしまったのか?」―生き方への問いかけこそ、人生そのもの。難題を突破するため、走れXavier!


順風満帆に生きるのは難しいものです。外見では素晴らしい暮らしをしているように見えても、心中では寂しく生きている人はいます。

良い生き方とは何なのでしょうか。単純な問いへの答えは難しい。

最近の私は、Cédric Klapish監督の上記映画をすっかり気に入り、繰り返し見ています。中高年なら、これまでの自分と主人公の生きざまに重なる部分をいくつか見つけられるでしょう。

Romain Durisが演じる主人公Xavierは自分の人生がなぜ複雑になってしまったのか、常に悩んでいます。Xavierの人生を簡単に紹介しましょう。

自ら難題を作り出しつつ煩悶するXavier


Xavierの妻Wendyは米国人と不倫関係になり、子供達を連れてNew Yorkに去ってしまいました。浮気はひどいですが、Xavierにも非があります。

Xavierはレズビアンの旧友Isabelleの懇願を受け入れ、彼女に精子提供をし子供を産ませたのです。Wendyの心はこれをきっかけに離れてしまったのでしょう。
いくら長年の友人とはいえ、夫が別の女性に子供を産ませたなら妻の心が離れても無理はない。

Xavierは子供たちと一緒に暮らすためにParisを離れてNew Yorkに行きますが、まずは就労ビザを取り、自分の暮らしを確立せねばならない。

就労ビザを取るためにXavierは在米中国女性と偽装結婚します。Xavierはレズビアンとの間に子供、離婚、外国への移住と偽装結婚と難題続きですが、これも子供たちのためです。

40歳のXavierがNew Yorkの街を走るシーンが何度か出てきます。これは難題に向かって走り抜け!という監督のメッセージなのでしょう。

一生懸命日々を生きていても、ふとしたことから人生はうまくいかなくなってしまう。中高年になれば心当たりがあるはずです。

そもそも、完全に順風満帆な人生を生きている人がどれだけいるでしょうか。なぜ自分の人生はうまくいかなくなってしまったのか?これを常に心中で問いかけ続けるのが、人生なのでしょうか。

Xavierの背中を見る子供たちと愛した女性たち


Xavierは若いころの恋人、Martine(Audrey Tautou)とNew Yorkで再出発する決意をします。Martineには息子と娘がいますが、父親が違うようです。

この二人もXavierと共に生活することになるのでしょう。Martineも偽装結婚することになりそうです。Isabelleの娘にとって、Xavierは大事な父親です。

映画の初めのほうでXavierが子供たちと小走りで偽装結婚の式場に向かうシーンがあります。子供たちの手を引きながら走るXavierの姿に、父親の深い愛情を感じました。

Xavierの父親は、Xavierに対して父親らしいことをあまりしなかったようです。Xavierの父親はNew Yorkまで訪ねてきますが、孤独な高齢者の哀愁を感じさせます。

そんな父親でも暖かく迎え、若かりし時代の父母の愛情を思い起こすXavierは、前作より随分成長しています。こんなXavierの背中を見ていれば、子供たちも立派に育つでしょう。

そんなXavierの良さ、素晴らしさをXavierと深い縁のあった女性たち(Wendy, Isabelle, Martine)は各自なりに理解しています。元妻WendyがXavierにかけた言葉が印象的です。

Xavier, you need a combination of three of us.

2015年10月2日金曜日

不破哲三氏にとって「赤旗」記者の生命と人権とは何なのか―1979年3月7日、ランソンで中国人民解放軍に射殺された高野功記者

「3月7日、ランソンにて 『赤旗』ハノイ特派員高野功記者の記録」(新日本出版社1979年刊行)より思う


いろいろと雑事に忙殺され、ブログを更新できませんでした。

この間、集団的自衛権の行使を認める法案が通りました。共産党や社民党の皆さんはこの法案を「戦争法案」と宣伝していました。

近年の共産党や社民党の皆さんは、中国と北朝鮮が侵略戦争を断行してきたことを直視できません。最近の「赤旗」には、中国の人権抑圧を批判する記事が掲載されていません。

天安門事件の頃はそうではなかったのですが。一昔前の「赤旗」による中国批判を一つ紹介しておきましょう。

不破哲三氏はかつて、中国によるベトナム侵略を批判した


不破哲三氏(1979年当時は日本共産党書記局長)による高野功記者への弔辞がこの本に掲載されています(p194-198)。

弔辞によれば、高野功記者は砲弾とびかうラオカイ(ベトナムの都市)から送った記事の最後に、

「中国の侵略行為の即時停止と侵略軍の撤退を求める効果的なたたかいを強めるよう、北部戦線からよびかけたい」

と書きました。

3月5日に中国が「撤退」声明を出した2日後、高野功記者はほんとうに撤退が行われているかどうか、直接目で確認するためにランソンに入りました。

そこで、居すわっていた中国軍の狙撃にあい、カメラをかまえたまま倒れました。不破氏の弔辞には次の文章もあります。

「アメリカ侵略軍にかわって、中国の侵略軍がベトナム北部に侵入してきたとき、あなたの胸中には、愛するベトナムの子どもたちを戦火から救うためにも、真実と正義のペンをふるわなければならないという熱い思いがあったことでしょう」(同書p197より )。

この時期の日本共産党は、中国によるベトナム侵略を強く批判していました。

若い共産党員が中国を批判できない理由-処世術


吉良よし子議員ら若い日本共産党員はこの史実を御存知なのでしょうか。

国会の周辺で「戦争法反対」を叫んでいた日本共産党員はなぜ、中国によるベトナム侵略や、中国国内の少数民族抑圧策を批判できないのでしょうか。

志位和夫氏がそういう主張をしていないから、中国の人権問題についての思考と議論を避けているという日本共産党員は少なくないと私は推測しています。

厄介なこと、面倒なことから目を背ける方が、左翼人として生きていくためには好都合と判断しているのでしょう。

左翼人として「出世」するためには、時流にのるための処世術を体得せねばなりません。

故人なので誰とは言いませんが、「市民の大きなうねりをつくる」などと称しつつ北朝鮮を礼賛した左翼人がいました。

この方は、北朝鮮や中国当局による一般国民への弾圧から目を背けることが、日本の「市民」の役割だと大真面目に考えていたのでしょうか?

「市民の大きなうねり」とやらを日本国内で作ろうとするなら、中国人民解放軍や朝鮮人民軍が日本を侵略しないように国防力を充実させねばならないはずです。
政権を少しでも批判する「市民」を問答無用で投獄・殺害するのが中国、北朝鮮なのですから。

自分の政治的立場を掘り崩す事実からは目を背ける。今も昔も、それが左翼人の生き方なのでしょうね。

吉良よし子議員ら若い日本共産党員は、日本共産党や左翼人の文献に基づいて共産党と左翼の歴史を学ぶべきです。

近年の不破哲三氏によれば、中国が社会主義をめざす発展の軌道をすすんでいることを、日本共産党自身の自主的な判断として確認しているそうです(「党綱領の理論上の突破点について」、p75、2005年日本共産党中央委員会出版局より)。

政権を批判する人や、ジャーナリストを投獄・殺害するのが社会主義という判断なのでしょうか。志位和夫氏にお尋ねしたいものです。



2015年8月4日火曜日

François Truffaut監督、Isabelle Adjani主演1975年仏映画「アデルの恋の物語」(原題L'Histoire D'Adèle H. )を観ました。

Victor Hugo(1802-1885)の次女、アデル(Adèle, 1830-1915)の執拗な「愛情」と精神が壊れていくさまを描いた映画


フランス映画には、病んだ精神を描くという一つの作風があるのでしょうか。

この映画のDVDには「恋の情熱にとり憑かれた一人の女の真実の物語」と記載されています。

「とり憑かれた」という語に着目すべきでしょう。この漢字は「憑依」という意味でも使われます。

私は医師ではないので、アデルがどんな心の病だったのかわかりません。

映画の冒頭でこの物語は真実だと出ていますから、真実なのでしょう。

アデルは現実と妄想の区別ができなくなっていった


ピアソンという英国の中尉と知り合ったアデルは、彼を追って大西洋を越え、カナダまでやってきた。アデルはピアソンに結婚を迫りますが、ピアソンの心は既にアデルにはない。

このくらいならどこにでもありそうな話ですが、その後がひどい。アデルはピアソンと自分が結婚したと思い込み、父親Hugoに虚偽の手紙を書いてしまいます。

アデルには現実と自分の妄想の区別がつかなくなってしまっていたのです。

虚偽はすぐにHugoにばれてしまいます。アデルの海外滞在費は全て、父親からの仕送りです。
一か月400フランとか、700フラン送るとかいう話が出てきますが、これが1863-64年当時どのくらいの価値だったのかわかりません。「風と共に去りぬ」(Gone With the Wind)の時代です。

Hugoは当時、ナポレオン3世のクーデターに反対し海外亡命生活をしていました。アデルがピアソンを追っていたころ、Hugoは60代前半でした。当時としては、それなりの高齢者でしょう。

Hugoは手紙で何度もアデルへの帰国を促しますが、アデルは応じない。アデルの精神は徐々に壊れ、最後にはピアソンと対面してもそれが誰だかわからなくなってしまいます。

清楚なIsabelle Adjaniの声が印象に残る


親切な黒人の婦人に助けられ、アデルはフランスに戻りその後40年間精神病院で過ごしたそうです。この映画の魅力の一つは、若きIsabelle Adjaniの清楚さでしょうか。

Isabelle Adjaniは声も魅力的です。しかし画面に流れている音楽は、心に異常をきたした人物とは少しそぐわないようにも思えました。

Hugoの次女がこういう生涯をおくったということで、フランスでは話題性があったのかもしれません。Hugoの葬儀には200万人が集まったそうです。

「宿命の恋」「フランス恋愛映画の金字塔」という宣伝はどうでしょうか。ピアソンはアデルを全く眼中にしていなかったのですから。恋愛は殆ど成立していない。

2015年7月26日日曜日

François Truffautの1977年仏映画「恋愛日記」(Charles Denner主演、原題L'Homme qui Aimait Les Femmes, The Man who Loved Women)を観ました。

女の脚は美しく、バランスよく地球を測るコンパスだ


主人公Bertrandのこの言葉に、彼の人生が集約されています。

映画の舞台は1970年代中頃の南仏の街です。映画の冒頭シーンはBertrandという男性の埋葬に、たくさんの女性が集まってくる場面です。

Bertrandは40歳くらいですから、1935年くらいに生まれているはずです。今生きていれば80歳くらいのフランス人男性です。

Bertrandは母ひとり、子一人で少年時代を過ごしました。母親は男性関係が派手だったようです。これは、Bertrandの精神形成に少なからぬ影響を及ぼしたはずです。

次から次へと女性を求めて生きているBertrandは、母親に十分愛されなかったという思いを心のどこかにもって生きていたのかもしれません。

壇一雄「火宅の人」を思い起こさせる


私はこの映画を観て、壇一雄の「火宅の人」という小説と映画を思い出しました。その映画によれば、壇一雄の母は愛人のもとへ去ってしまいました。檀一雄が少年のときのことです。

壇一雄はBertrandほどではありませんが、自らの生涯を赤裸々に描いた作家です。

この映画のBertrandも同じで、自分の女性遍歴を小説にします。無数の女性と床を共にしたBetrandですが、人生で最愛の女性はおそらく人妻デルフィーヌだったのでしょう。

嫉妬深いデルフィーヌは情熱家です。彼女の登場により、Bertrandの中年以降の人生の波風がわかります。実際にこんなことを繰り返しやれば、数々のトラブルでまともに暮らせなくなる。

Bertrandが自分の自叙伝とも言うべき小説に最初につけた題名はLe Cavaleur(浮気者)でした。

しかしBrigette Fossey演じる女性評論家(小説家?)により「恋愛日記」(L'Hommequi Aimait Les Femmes)に変えられます。

Brigette Fossey演じる女性が、Bertrandを愛しつつもBertrandの生涯の解釈をするのも面白い。知性ある女性でも、Bertrandのような浮気者に夢中になってしまうこともあるのでしょう。

Bertrandは寂しいながらも彼らしい最期-人は生きてきたように死んでいく-


Bertrandは寂しいながらも、彼らしい最期のときを迎えます。

寂しい最期と、愛した女性に見送られていくBertrandを描いたところに、François Trauffaut監督のメッセージが込められているのでしょう。

人は、生きてきたように死んでいくのでしょう。性癖を変えることはできない。

愛情の追求が人生の一大行事であることは間違いない。Bertrandは自らの愛情生活の遍歴を小説にし、後世に残すことができたのです。

身勝手な彼のために泣いた女性たちの生き様も、その小説に描かれているはずです。その女性たちも、あるときは精一杯Bertrandを愛したのです。

そのときを肌で覚えているからこそ、彼女たちは葬儀にやってきた。Bertrandは悪辣な人物ではなかったのでしょう。

2015年7月19日日曜日

Omar Sy, Charlotte Gainsbourg主演2014年仏映画「サンバ」(原題Samba)を観ました。

フランスは不法移民を今後どう扱うのか?現代フランス人が真剣に議論せねばならない問題を扱っている映画。


この映画は、喜劇調ですが深刻な問題提起をしています。

私は正確な数値を知らないのですが、フランスに長期滞在している不法移民は百万人を越えているのではないでしょうか。

旧フランス領から来た人々は、母国ではフランス語で子供の頃から教育を受けています。フランス語は母国語同然です。

それならば、フランスに来れば普通の企業でホワイト・カラーとして雇用されそうですが、それは極めて困難です。

アリスは若いサンバの光るような瞳と鍛え上げられた肉体に惹かれた


Senegalから来たこの映画の主人公とサンバの叔父のように、料理人になれればかなり良いほうでしょう。サンバは調理場で夜の皿洗いを10年ほどやっていました。

役所からの書類が届かず、サンバは不法移民の収容施設に連行されてしまいます。そこでGainsbourg演じるアリスと会います。

アリスは長年の仕事疲れから「燃え尽き症候群」になってしまった女性です。Burn-outと言っていました。これは英語ですが、仏語にもあるのでしょうか。

長年独身で一人暮らしでは、気疲れからBurn-out状態になってしまってもおかしくない。アリスは睡眠も十分取れないようです。

そんなアリスが、きらきら光るような瞳と鍛え上げられた体をもつ若いサンバに惹かれるのも当然かもしれません。

不法移民の視点から見た現代フランス社会


この映画は、不法移民の視点からフランス社会を描き出しています。不法移民は、3K労働に従事せざるを得ない。

不法移民ですから、闇で偽造滞在許可証や偽造就労許可証を入手するしかない。日雇いの仕事ですら、就労許可証を提示せねばならないようです。

それでは、不法移民が可哀想だから就労許可取得を簡便化すれば良いかというと、そう単純ではない。

フランス語圏からの不法移民がさらに増えてしまう。一攫千金の夢をもって不法に入国してくる人が激増してしまう。

アフリカからの移民には、激怒癖がある人が多いのでしょうか?この映画にはサンバが何度か激昂するシーンがありましたが、そんなことで怒ってもどうにもならないと感じました。

不法移民が厳しい肉体労働に従事しているから、建設業や廃棄物処理産業が成立している


ゴミの分別や高層ビルの窓拭き、建設現場での労働などの厳しい肉体労働に従事している不法移民はいくらでもいる。

逆に言えば、不法移民が相当数いるからこそ、3K労働に従事する人がいて建設業やさ廃棄物処理産業が成立しているともいえる。

不法移民の中には、フランス社会の縁の下の力もちのような役割を果たしている方もいます。

しかし不法移民は常に強制送還の不安にさらされていますから、仲間内での喧嘩、暴力沙汰が起きやすくなる。普通のフランス人から見れば、直ちに強制送還すべきだという話になりやすい。

先が見えなければ、心が荒んでいってしまいます。不法移民はフランス社会に反感をもってしまいかねません。

Marine Le Penの国民戦線はなぜ徐々に伸びているか-背景に不法移民の存在


この対立を埋めるのは簡単ではない。この映画では描かれていませんが、不法移民がイスラム教徒だと、カトリックのフランスの伝統と衝突するような事態も生じてしまいかねない。

Marine Le Penの国民戦線がフランス国民の支持を徐々に増やしていますが、これには理由がある。単なる扇動の結果ではなさそうです。

カトリックのフランス社会を守れ、というフランス人は少なくない。同時に教育の場では宗教を持ち出してはならないという世俗主義の考え方も強い。これはイスラム教と矛盾しうる。

治安の悪化や失業増加は全て移民のせいだ、と言うのは不適切ですが。

料理人の職を解雇されてしまったサンバの叔父が死んだような目つきをしていたのが印象に残ります。叔父さんは、誰よりもサンバを大事にしてくれた。

叔父さんは1956年生まれのようですから、まだ60歳にならないはずですが苦労のためか老け込んでいました。叔父さんの証明書も、ひょっとしたら偽造かもしれません。

不法移民の間では、絆があることも描かれています。叔父さんとサンバの相棒のブラジル人(実はブラジル人ではない)は絆の象徴です。

2015年7月12日日曜日

Benoît Magimel, Laura Smet主演2004年仏独映画「石の微笑」(原題La Demoiselle d’honneur, The Bridesmaid)を観ました。

Benoît Magimelは、インテリの不安を良く表現できる。日常生活の中に潜む人の心の闇を描いた映画。若手女優Laura Smetの燃えるような瞳が怖い。


フランスでは、こういう映画でも観客が入り、映画会社は採算が取れるのでしょうか。ミステリー作品と広告の文章には出ていますが、薄気味悪いだけだな、と思ってしまう観客もいそうです。

こんな変な女とは一切関わらないことだ、と切り捨ててしまえばそれでおしまい。この映画でLaura Smetが演じたような女性は滅多にいない。ありえない、と思う観客もいるかもしれない。

しかし現実には、見かけは真面目な人が殺人事件を起こしてしまうことがあります。少し前ですが、北陸地方である教員が殺人罪で逮捕されました。

報道された顔写真を見る限り、真面目な先生としか思えない。

この映画を観て私はその事件をふと思い出しました。この映画は、妄想の世界に住み、虚言症に陥ってしまった人の心を描いています。

平凡な人間でもときにはなぜか人を殺めてしまう-心の闇が表面化した


見かけは平凡な人がなぜ殺人のような凶行をしでかしてしまったのか。教員が殺人なんて、普通には想像もできません。

誰でも、心の闇、裏の顔とも言うべきものを持っています。

殺人をしでかした人は、何かの拍子で心の闇が表面化してしまったのではないでしょうか。

Laure Smet演じるヒロインは恋人に次を希望します。

私を本当に愛しているなら、(1)木を植える(2)詩をかく(3)人を殺す(4)同性と性行為をする。の四つです。

主人公はこれを拒否しますが、人を殺したと嘘をつきます。巡りあった彼女との関係を維持したかったのでしょう。

愛情関係は人の精神は異常にさせる-虚言症にもなりうる


本当に人が人を愛する時には、精神が高調します。一時的にせよ異常な気分になっているとも言える。

常に正常、いつもと同じ精神状態だったら「愛し合う」ことなど成立しえない。一時的には、虚言症のようになっているとも言える。

Claude Chabrol監督はこの映画で心の闇を描いたのです。

主人公の母親の恋人が誠実そうに見えて実は嘘つきだったこと、主人公の妹の犯罪が描かれている。

普通の生活を営んでいるが嘘をつく人より、ホームレスのほうが裏表がなく真面目そうに描かれているのも面白い。

Benoît Magimel,の不安げな表情とLaura Smetの燃えるような瞳も印象に残ります。

2015年7月5日日曜日

Kristin Scott Thomas主演2008年仏映画「ずっとあなたを愛してる」(原題Il y a longtemps que je t'aime, Philippe Claudel監督)を観ました。

Krisitin Scott Thomasの憂いに満ちた表情が素晴らしい。癒しがたい心の傷を背負って生きることになったインテリ女性と、彼女の更生を支える妹をElsa Zylbersteinがよく演じている。


インターネットで調べてみるとこの映画は、フランスではかなり売れたらしい。監督のPhilippe Claudelは、小説家としても有名なようです。様々なシーンで流れる音楽も良い。

生きていけば誰しも、壁にぶち当たっていつのまにか心に重荷を抱えるようになります。そのとき、大事なのは本人だけでなく周囲の仲間、家族との絆なのでしょう。

主人公は、Kristin Scott Thomas演じる中年女性Julietteです。Elsa Zylbersteinは滝川クリステルに少し似ているように感じました。髪型が似ていただけかもしれませんが。

殺人罪で15年間刑務所暮しをした姉を妹が自分の家に迎える


Julietteは殺人罪で15年間刑務所暮らしをしていました。刑務所から出てきた彼女は、空港で煙草をふかしながら誰かを待っています。

妹のレア(Elsa Zylberstein)が車から降りて走って姉を迎えに行くシーンから始まります。

妹は勿論、姉が殺人を犯してしまった事を知っているのですが、なぜそんなことをしたのかを姉に問わなかったらしい。

両親に姉はいなくなったものと思えとすりこまれていたそうです。しかしこのあたり、少し無理があるように感じました。

両親が娘は一体なぜそんなことを?と事情を調べるのが普通ではないでしょうか。警察に問い合わせるなり、調べ方はいくらでもあったはずです。

以下、印象に残ったことを書き留めておきます。

姉妹の父は既に世を去っています。癌が全身に転移し、最期は42キロしかなかったそうです。

英国人の母親はアルツハイマー症のようになり、娘を認識できなくなっているので施設に住んでいます。

十数年ぶりにJulietteは妹と十数年ぶりに母親を訪ねますが、母親は即座にJulietteを認識します。Julietteの子供の頃を思い出すのです。いくら老いても、母親の愛情は変わらない。

妹は出産を拒否し、ベトナムの幼い女の子二人を養女にしていた


妹の家に住んでいるJulietteは妹の同僚や友人と、ホームパーティなどで交流するようになり、徐々に心を開いていきます。妹にはベトナムから来た二人の幼い養女がいます。

妹は出産を拒否していたのです。不妊症ではありません。夫がそれをよく承知したものです。

このあたりにも、監督のメッセージがあるのでしょう。幼い二人の娘ですら、どうしようもない運命による重荷を抱えて必死に生きているのです。

フランスの富裕な家庭には、途上国から養子を迎えるところがあるようです。日本では滅多にない。

Julietteは二週間おきに地元の警察署に出頭せねばなりません。彼女との面接を担当した警察官はどういうわけか一人暮らしらしい。

この警察官はある悲惨な選択をすることになりますが、なぜだかよくわかりませんでした。

妹夫婦の親友らしい中東出身の若夫婦に子供が生まれますが、上に亡くなった子供がいたようです。

主な登場人物は皆、それぞれの心の重荷を抱えて生きている


主な登場人物は皆、運命の徒らから生じたのではないかとも言うべき重荷を抱えて生きている。それを乗り越えるために、仲間と楽しく食事と会話をして生きていくのが人生そのものなのでしょう。

フランス社会には、家に友人を招きホームパーティを開催して、知的な会話を楽しんで交流する習慣があります。

ホームパーティである友人がJulietteに、なぜ突然現れたのかとしつこく問いただすシーンがあります。妹はいい加減にして、と言いますが酔った友人は諦めません。

仕方なくJulietteは、殺人で刑務所に15年間いたと話しますが、すぐに皆大笑いします。冗談としか思えなかったのです。

このシーンにも、監督の思いが込められているのでしょう。更生のために精一杯生きているのなら、辛い過去を笑って吹きとばせ、で良いのです。

フランス映画を観ると、家がとても広いように思えてなりません。勿論、ある程度の富裕層を描いた映画が多いのでしょうけれど。

貧しかったら、広い家に住めないからホームパーティも開けなくなってしまいます。その場合には外でバーべキューパーティをやるのかもしれませんね。

フランスに移民がかなり多くなっていることを示唆するシーンもあります。Julietteの母親はイギリス人です。妹の夫の父親は、ポーランド出身です。

移民をフランス社会でどう迎え入れ、順応させるかは大きな問題のようです。

北朝鮮の「特別調査委員会」による「調査報告」はいらない-「調査報告」は必ず大嘘だらけ。金正日の華麗な女性関係と贅沢三昧を対北朝鮮ラジオ放送、海外衛星放送で広めよう!

テロ国家北朝鮮は合意事項を必ず破る。金正恩と朝鮮労働党は日本人が被拉致日本人救出を断念するべく策している。


北朝鮮当局,朝鮮労働党とは、民間航空機を爆破して喜んでいる連中の組織なのです。そんな連中が,「ストックホルム合意の精神」とやらにたつことなどありえません。

特別調査委員会とやらの「調査報告」は大嘘だらけになるのがわかりきっています。

「金日成、金正日の命令で百人以上拉致しました」という「調査報告」が出てくるわけがない。

そんな「調査報告」を作成しようとすれば、その人は必ず処刑されてしまう。「火炙り」で処刑される人も北朝鮮にはいます。

大嘘調査報告でも、日本人を騙すことに失敗すれば作成者の命運は尽きてしまいます。政治犯収容所行きになりえます。

2002年の日朝首脳会談を裏で仕切った国家安全保衛部の方は銃殺されたらしい。国家安全保衛部幹部といえども、かげろうのごとくはかない命なのです。

張成澤処刑は、処刑を実行した国家安全保衛部だけでなく組織指導部、対南工作機関の連中の内心に衝撃を与えたはずです。「次は自分か」と心中でおびえている人はいくらでもいる。

現状では大嘘調査報告ですら、対南工作機関は出せなくなっているのです。前任者の末路が思い浮かばないほど、対南工作機関、国家安全保衛部幹部は無能ではない。

「北朝鮮と粘り強い対話」を主張する政治家、政党は暴力団の「若頭」「若頭補佐」と対話するのか


住民が暴力団の「若頭」「若頭補佐」といかなる合意をしても何もならないし,むしろ有害です。

「若頭」「若頭補佐」は住民の警戒心が弱まったことを利用して直ちに悪事を働くことを手下に命じるでしょう。

「暴力団と対話をすべきだ」「暴力団に交渉しなければ、何も進まない」と大真面目に住民に主張する政治家はいないでしょう。そんな政治家は落選してしまいますから。

金正恩と朝鮮労働党、そして彼らの指導を受けている在日本朝鮮人総連合会は、日本人が被拉致日本人救出を断念すべく必死で思想攻撃、宣伝戦を行っています。

「北朝鮮と粘り強く対話すべきだ」と主張する政治家や朝鮮問題の「専門家」は少なくありません。北朝鮮の思想攻撃に知らず知らずのうちに屈服している方は少なくない。

朝鮮労働党の対南機関は、日本人が被拉致日本人救出を断念すべくあらゆる宣伝を仕掛けている-「いつまでも調査報告を受け取らないのはおかしい」「人道問題は他にもある」


その方々は,「金正恩や朝鮮労働党組織指導部,国家安全保衛部の皆さんは暴力団のような悪人ではないよ」などと本気で思っているのでしょうか?

朝鮮問題の「専門家」や政治家は、○○○真理教の「教祖」や実際にテロを断行した大幹部と,住民の間で粘り強い対話が必要だったなどと本気で考えているのでしょうか?

警察がその連中を逮捕しなかったら、「対話」とやらを重ねようとした方々のみならずもっと多くの市民が犠牲になった。なぜその程度のことがわからないのでしょうか。

テロを国策としているテロ国家北朝鮮との普通の「対話」「交渉」など、百害あって一利なしです。

テロ国家北朝鮮には政治犯収容所がありますから、日本人妻、残留日本人もいつでもそこに連行されうる。処刑もありうる。

日本人妻や残留日本人が日本に一時帰国できても、「拉致日本人は死んだ。私は事故を見た」という大嘘宣伝をやらされるだけです。

それでは「交渉」なしでどうやって被拉致日本人を救出するのか。徹底的な圧力と思想攻撃で,テロ国家北朝鮮を思想的に崩壊させることです。

朝鮮労働党、中国共産党は日本や韓国にあらゆる思想攻撃を仕掛けている


何度でも言います。日本政府は対北朝鮮ラジオ放送および海外衛星放送で、金正日の華麗な女性関係と贅沢三昧を広めるべきです。

北朝鮮当局は必死に妨害電波を流すでしょうが、いくつもの周波数で同時に対北朝鮮ラジオ放送をやったらどうなるでしょうか。

金正日の女性関係を暴く海外衛星放送番組を朝鮮半島と中国東北部に向けて放映すれば、中国朝鮮族が視聴できます。

中国朝鮮族は番組をCDやUSBに保存して北朝鮮の国境沿いの都市に持ち込みます。よい商売になりますから。

国家安全保衛部に摘発され、CDやUSBが没収されてしまう場合もありえますが、国家安全保衛部の優秀な働き手の皆さんが視聴なさいます。

国家安全保衛部が仕事をさぼるようにしよう!対北朝鮮ラジオ放送の開始時音楽は韓国の実力派女性歌手WAXの「化粧を直して」にしよう!


不特定多数の住民,特に朝鮮人民軍と国家安全保衛部に金正日の華麗な女性関係と贅沢三昧が知れ渡れば、金正恩は対応不能になってしまう。

住民を摘発する連中が仕事をさぼりはじめるからです。国家安全保衛部が仕事をさぼったら、住民は気軽に金正恩を批判できるようになります。政治犯収容所に連行されにくくなる。

金正恩と朝鮮労働党組織指導部,対南工作機関の皆様は必死に日本政府を脅迫してくるでしょう。そのときこそ、テロ国家北朝鮮との「対話」「交渉」が始まるのです。

日本政府は対北朝鮮ラジオ放送で、「金正恩よ、放送をやめてほしければ横田めぐみ、有本恵子、増元るみ子を返せ」と言えば良い。

海外衛星放送で、金正恩の母親高英姫と金正日の愛情物語の連続番組を!WAXに主題歌をお願いしよう!


海外衛星放送で、金正恩の母親高英姫と金正日の愛情物語の連続番組をつくると高い視聴率が取れること間違いなしです。

金正恩や妹金予正も、亡き両親の愛情物語を日本政府が放映してくれるなら喜んで観そうです。

奇妙ですが、金正日と高英姫の愛情物語を映画や海外衛星放送で放映すれば、はかりしれない思想攻撃になりうる。

晩年の金正日にとって、最愛の女性は元在日朝鮮人高英姫でした。元在日朝鮮人高英姫との関係を、金日成が認めるはずがない。金正日は高英姫を公の場に殆ど出せなかった。

高英姫は連日、わずかな睡眠時間しか取らずに金正日を支えました。死因は脳梗塞らしい。若くして亡くなったのですから、「過労死」とも言えそうです。

金正日はどんなに悲しかったでしょう。血統のゆえに、正妻になれなかった高英姫の人生は悲劇的です。

映画と音楽に造詣のあった金正日は、自由な発想ができ、吉永小百合に少し似ていた高英姫を限りなく愛したのです。「金正日の料理人」藤本健二さんの著書はそれを伝えています。

韓国女性歌手WAXに主題歌をお願いすれば、金正恩や妹金予正も涙を流すでしょう。中国にいるらしい金正男は必ず観ますよ。

2015年6月21日日曜日

綾瀬はるか・長澤まさみ・夏帆・広瀬すずの映画「海街diary」を観ました。

15年前、三姉妹を捨てて愛人のもとに去った父が亡くなった。父の愛人も既に亡くなっていた。亡父と愛人の間に生まれた妹を、鎌倉に住む三姉妹が引き取る。


この映画の原作は漫画です。私は原作を読んでいないので、勘違いがあるかもしれません。鎌倉を舞台にした映画と聞いたので少し前に、ぶらりとこの映画を観てきました。

四十数年前になりますが、鎌倉の長谷駅近辺に三年くらい住みました。今でも、地引網をやっているのでしょうか。この映画の舞台は極楽寺駅周辺ですから、長谷駅のとなりです。

子供の頃遊んだ御霊神社らしき神社が少し出ていました。長谷から極楽寺に行く途中の切通しの道もあったようです。

三姉妹の母親はなぜ家を出たのか-荒んだ暮らしをしているらしい


映画の話に戻ります。

十五年前に愛人のもとに父親が去ったとき、長女(綾瀬はるか)高校生、次女(長澤まさみ)は中学生くらいでしょうか。次女と三女(夏帆)の間が少し離れていそうです。

三女はお父さんの記憶がほとんどないと言っていましたから、幼稚園くらいだったのかな。愛人の子供の四女(広瀬すず)は映画のはじめでは中学生くらいです。

三姉妹のお母さん(大竹しのぶ)が家を出ているのですが、理由がよくわかりませんでした。成人した三姉妹はそれぞれ仕事を持っています。

長女は看護婦、次女は信用金庫、三女はスポーツ用品店の販売員です。亡父の葬儀で、中学生ながらしっかりした対応をしている四女に、初対面の姉たちは心を動かされます。

父を奪った愛人は憎いでしょうけれど、子供には何の罪もない。四女のお母さんも既に世を去っていますから、妹はこのままでは天涯孤独です。

葬儀を終えて鎌倉に戻るとき、長女が四女に「鎌倉に来ない?」と声をかけます。そんな決意が簡単にできるだろうかと思いますけれど。

長女には、自分が不倫をしていることが心の隅にひっかかっているのかもしれません。

四姉妹が人生の困難にぶつかって悩む姿がよく描かれている


この映画は、四姉妹それぞれが直面している人生の困難と、お互いの心のふれあい、葛藤を凝縮して描いています。

真面目な長女ですが、実は勤務先の医師と不倫関係になっています。次女は男性関係が派手らしい。

三女はよくわからなかったのですが、とぼけるような喋り方とそれにあった衣装が面白かった。

三姉妹の母親もなぜか家を出てしまったようです。祖母がその後三姉妹を育てたらしい。気丈な方だったのでしょうね。

お母さん役の大竹しのぶが少し老け込んでいたように感じましたが、荒んだ生活をしているという設定なのでしょう。そういう化粧をしているのでしょう。女優は化粧と衣装で随分変わりますね。

祖母の妹なのか、樹木希林が姉妹に叱りつけるように話すシーンがあります。樹木希林の存在感はすごい。

長女が不倫関係にあった医師と別れるとき、修羅場があるのでは


海辺の街、鎌倉の四季の移り変わりもよく出ています。庭の梅の木でなった梅から梅酒を造るシーンから、海外の方は日本を感じるのではないでしょうか。

欲を言えば、長女が医師と別れるとき修羅場があっても良いような気がしましたがどうでしょうか。

長女にはお父さんと同じような人生を歩んではいけない、という気持ちがあったはずです。次女は都銀をやめて信用金庫にきた男性と仲良くなりつつありますが、今後どうなるのでしょうか。

次女の方が勤務先の誰かと不倫をしてしまいそうです。主題歌があればと思いますが、どうでしょうか。この地域ならサザンを思い出しますが、若手の登用も良い。

原作の漫画はまだ終わっていないのかもしれません。映画も次回作を期待します。5年後、15年後の四姉妹はどんな生き方をするのでしょうか。

2015年6月18日木曜日

若き不破哲三氏によるスターリンとソ連礼賛を吉良よし子議員は直視するべきだ(上田耕一郎・不破哲三著「マルクス主義と現代イデオロギー 上」(大月書店1963年刊掲載論考より)

不破哲三「世界革命の不均等な発展が主要な先進資本主義国をまだ資本主義体制のもとにとどめているあいだに、ソ連は社会主義社会の建設を完了し、社会主義は資本主義的包囲を打ち破って世界体制となり、帝国主義者のいかなる攻撃をも撃退しうる力をもちながら共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始しているのである」(前掲書p214より抜粋)。


若き不破哲三氏の、ソ連への熱い思いがひしひしと伝わってきます。ソ連は共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始しているそうです。

この本は、不破氏と故上田耕一郎氏の共著で、書き下ろし論文と「前衛」「思想」などに掲載された論文を集めたものです。

不破氏の論文「現代トロツキズム批判」は、「前衛」1959年6月号に掲載されました。不破氏は1930年生まれですから、論文執筆当時は29歳くらいでした。相当な「理論家」です。

若き不破氏は兄の上田耕一郎氏とともに科学的社会主義の真髄を習得し、ソ連を礼賛しました。今の日本共産党員から見れば、ソ連覇権主義に屈服していたことになります。

宮本顕冶氏は、マルクス主義の術語を巧みに弄しソ連を礼賛する若き秀才兄弟に注目したことでしょう。

若き不破哲三氏はスターリンの「ソ連=世界革命の展開の基地」論を信奉していた


不破氏はこの論文の中で、スターリンの「世界革命理論」を次のように高く評価しています。

引用が長くなりますが、若き不破氏のソ連とスターリンへの熱烈な思いが良く出ている部分ですので我慢してください。要は、スターリン万歳、というだけの話ですけれど。

「政治経済の不均等発展の法則がとくにするどく作用する帝国主義の時代には、社会主義は世界的な規模で同時に勝利することができず、はじめに一か国ないし数か国で勝利し、

こうして形成される二つの体制の闘争のなかで、さらに一連の新しい国々が帝国主義から離脱するという過程をとおって、世界的な規模での社会主義の勝利に到達する。

これが帝国主義の時代における世界革命が必然的にとる姿であり、十月革命以後の四〇年の革命運動の歴史は世界革命がこうした形態で展開してきた歴史であるといってよい。

そしてそのなかでは、はじめに勝利した社会主義国家の存立をまもりぬき、社会主義を建設し、そのあらゆる力量を強化することは、

『世界革命の展開の基地』(スターリン)をまもることであり、それ自身世界革命を推進するためのもっとも重大な課題である」(同書pp216-217)。

ソ連が「世界革命の展開の基地」であるというスターリンの規定を、若き不破氏は信奉していたのです。各国の共産党員は陰謀家スターリンの手先だったのです。

この論文はフルシチョフによるスターリン批判の後に出ていますから、スターリンによる大量虐殺は明らかでした。それでも若き不破氏はスターリンを礼賛しました。

「反革命分子には政治犯収容所で囚人労働をさせ、思想を改造させるべきだ」とでも若き不破氏は考えていたのでしょうか。

ソ連、中国、北朝鮮では政治犯に過酷な囚人労働をさせてきました。

科学的社会主義の真髄を極めると、共産党の最高指導者を信奉するようになります。かつて宮本顕治氏は「マルクス・レーニン・スターリン主義」という「理論」を信じていました。

最高指導者を批判する「反革命分子」「反党分子」は人類史上最悪の人物と思い込むようになります。上田耕一郎、不破哲三両氏は上記本で「構造改革派」の学者や評論家を糾弾しています。

金日成の「北朝鮮=南朝鮮革命の民主基地」規定はスターリンの真似


金日成もスターリンのこの規定に学び、北朝鮮を「南朝鮮革命のための民主基地」と規定しました。

(「すべての力を祖国の統一独立と共和国北半部における社会主義建設のために―わが革命の性格と課題にかんするテーゼ―」 1955年4月。「金日成選集」第一巻掲載。日本共産党中央委員会金日成選集翻訳委員会訳。1966年日本共産党中央委員会出版部発行)。

在日本朝鮮人総連合会の運動に熱心に参加されている方々なら、この論文をよく御存知です。金日成のこの論文がスターリンの世界革命理論の影響下にあることは御存知ない方もいるでしょう。

「共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始している」はずの「世界革命展開の基地」、ソ連はこの本の出版後30年も経たないで崩壊しました。

崩壊してしまえば百害あって一利なしですから、ソ連崩壊万歳と手のひらを返す。これも日本共産党員らしい生き方です。

若き不破哲三氏はフルシチョフの宣伝「一国における社会主義の建設と、その完全かつ最終的な勝利」を支持した


今の不破氏には、核軍拡を達成し強大な軍事力を持つ中国がかつてのソ連のように頼もしく見えているのでしょう。

科学的社会主義の真髄を極めた共産主義者は、いくつになっても共産主義国を礼賛し宣伝するのです。

不破氏による拉致問題棚上げ論の背景には、北朝鮮は「南朝鮮革命のための民主基地」である、という金日成の規定への心情的支持があるとみるべきです。

「南朝鮮革命」を否定することは、若き日々の自分の在り方の全否定です。そんなことが不破氏にできるはずもない。不破氏にできることは都合の悪い史実を徹底的に隠蔽することだけです。

日本共産党が普及していた金日成の著作や宮本顕冶氏の北朝鮮礼賛を信じて北朝鮮に渡った元在日朝鮮人たちを、強制収容所や公開処刑、餓死や発狂の運命が待っていました。

吉良よし子議員、池内さおり議員は不破哲三氏の昔の論文や著作を読むべきです。ソ連崩壊万歳を叫ぶ共産党員など、若き不破氏から見れば反動勢力への転身そのものです。

若き不破哲三氏は次のように力説しました。

「ソ連共産党第21回大会でフルシチョフがのべているように、『一国における社会主義の建設と、その完全かつ最終的な勝利にかんする問題は社会発展の世界史行程によって解決された』のである。」

不破哲三氏の日本人拉致問題棚上げ論と元在日朝鮮人、日本人妻の悲劇について思う。(不破哲三「世紀の転換点に立って」新日本出版社2001年刊、pp148-149より抜粋)

不破哲三「いわゆる拉致問題の宣伝だけ聞いていると、100%証明ずみの明白な事実があるのに、相手側はそれを認めようとしない、日本政府も弱腰で主張しきれない、そこが問題だ、といった議論になりやすいのですが、実態はそうじゃないんですね」


最近の日本共産党の宣伝物を見ると、日本共産党が北朝鮮に拉致された日本人救出のために全力で北朝鮮と対決してきたような話になっています。とんでもない虚偽宣伝です。

不破哲三氏は、「赤旗」日曜版2000年12月31日、2001年1月7日合併号に掲載された緒方靖夫氏との対談で上記のように発言しました。

緒方靖夫氏は不破氏のこの発言を受けて、次のように述べました。

「そうなんです。外務当局に聞いても警察当局に聞いても、全体として疑惑の段階であって、「七件十人」のうち物証のあるものは一つもない、と言っています。」

不破氏はさらに次のように述べ、北朝鮮に対し拉致した日本人を返せと日本政府が要求することに反対しました。

「日本の捜査の到達点自体がそういう段階なのに、これを証明ずみの事実のように扱い、そういうものとして外交交渉のテーマにしたら、やがてゆきづまって日本側が身動きできなくなることは、目に見えています。

ですから、私は日本の捜査で到達した段階にふさわしい外交交渉をしなさい、と提案したのです」

兵本達吉氏による詳細な調査報告により、不破哲三氏は相当数の日本人が北朝鮮に拉致されていることを熟知していた


この時点で不破哲三氏は勿論、横田めぐみさん、有本恵子さん、田口八重子さん、市川修一さん、増元るみ子さんら相当数の日本人が北朝鮮に拉致されていることを熟知しています。

潜水艦や武装工作船で潜入してきた北朝鮮工作員が物証を残さなかっただけの話です。悔しいことですが「完全犯罪」に近かったのです。

警察は様々な状況証拠から、北朝鮮の犯行であることはつかんでいましたが、犯人名まで完全に突き止めるのは難しい。

犯人は武装工作船や潜水艦で日本人を拉致したらすぐに北朝鮮へ去ってしまうのですから。「完全犯罪」だから黙っていよう、などと政治家に言い出されてしまったようなものです。

「完全犯罪だから黙っていよう」などと日本の国会で言われていることがわかったら、拉致された日本人はどんなに悔しいでしょう。

拉致された日本人は日本に連絡できませんから、日本の国会で何をどう言われても黙っているしかない。日本のことは何もわからない。不破哲三氏はここに着目したのでしょう。

不破哲三氏こそまさに、百戦錬磨の真の共産主義者です。

大阪の原ただ晃さんに成り変わった辛光スと彼を助けた金吉旭、神戸の田中実さんを拉致した人物くらいしか、犯人名は当時わかっていませんでした。

警察は「~の疑い」で犯人を証拠に基づき逮捕し、起訴する。


そもそも、日本の警察は様々な事件の犯人を逮捕しても、「~の疑い」で逮捕するのです。「疑い」「疑惑」が疑惑でなく事実と警察が断言できるのは裁判で判決が確定してからです。

これは当たり前です。不破哲三氏がこれを理解していなかったのなら、行政機構と司法機構それぞれの役割を理解していなかったことになります。無知蒙昧のそしりを免れません。

不破氏の矛先は橋本敦氏、和田正名氏、「赤旗」編集局と兵本達吉氏に向けられていた


不破氏の主張「100%証明ずみの明白な事実があるのに、相手側はそれを認めようとしない、日本政府も弱腰で主張しきれない、そこが問題だ」は、誰に向けられていたのでしょうか。

日本共産党の橋本敦参議院議員(元)は、これに近い主張を国会でしました。

昭和63年3月の橋本敦議員による国会質問や、和田正名氏(赤旗編集局編の「北朝鮮覇権主義への反撃」掲載論考、p118)は北朝鮮が日本の主権を侵害していると断言しています。

不破哲三氏は兵本達吉氏が全国各地の拉致日本人家族を訪問し、様々な証拠を積み重ねた結果北朝鮮が日本人を相当数拉致したという結論に達したことも報告を受けていたはずです。

不破氏の上述の発言は被拉致日本人救出運動の参加者だけでなく、橋本敦氏、兵本達吉氏、和田正名氏と「赤旗」編集局にも向けられたものと理解すべきでしょう。

北朝鮮による拉致問題をこれ以上深く追求するな、という意味が込められていたのです。

日本人拉致を実行、幇助したのは北朝鮮工作員の在日本組織-「南朝鮮革命」を実行する工作員が日本人に成り変わるために日本人を拉致した


相当数の日本人を日本国内から暴力的に拉致するためには、北朝鮮から潜水艦や武装工作船で潜入してくる工作員だけでなく、日本国内の協力者の組織が沢山なければできない。

「南朝鮮革命」とやらを断行するための北朝鮮工作員の在日本組織です。調査、研究の結果これに気づいた兵本達吉氏は、元工作員と接触し情報を入手していたはずです。

入手した情報を、日本国民の生命と人権、日本国家の主権を守るために警察に提供するのは、日本国民ならば当たり前です。

しかし日本共産党からみれば、「南朝鮮革命」すなわち大韓民国滅亡のために日夜尽力している工作員諸兄は革命運動の同志です。日本共産党員は外国の同志の戦いを妨害してはならない。

日本共産党は朝鮮労働党との共同声明で繰り返し、北朝鮮による南朝鮮革命への熱い支持を表明しています。

大韓民国は北朝鮮により滅亡させられてしかるべきだと宮本顕治氏は大真面目に信じていました。「南朝鮮革命」とは大韓民国の滅亡です。宮本顕冶氏は武装闘争の「理論家」でした。

同志を警察に売るような兵本達吉氏は、日本共産党員の立場からみればまさに「反党分子」「転落者」です。兵本達吉氏は警察に情報を提供した疑いで、共産党から除名されました。

「赤旗」には日本人拉致を断行した北朝鮮工作員の在日本組織についての記事は掲載されたことがありません。

在日本朝鮮人総連合会の活動を熱心にやってこられた方々なら、その類の組織がいくらでもあることをよくご存知です。

元在日朝鮮人(帰国者)の中には政治犯収容所に連行された方もいる-「赤旗」は無視


在日本朝鮮人総連合会関係者が北朝鮮工作員に協力するのは、協力を拒めば帰国事業で北朝鮮へ渡った親族の生命が危ないからです。

日本共産党と在日本朝鮮人総連合会の宣伝を信じて北朝鮮へ渡った約93000人(そのうち日本国籍所有者は約6000人)の中には、政治犯収容所に連行されてしまった方もいます。

北朝鮮へ渡った元在日朝鮮人の中には、日本共産党員だった方々もいます。昭和30年まで在日朝鮮人の共産主義者は日本共産党員だったのです。吉良よし子議員は御存知ないでしょう。

帰国事業が盛んに行われた時期、日本共産党と在日朝鮮人は極めて親しい関係でした。「金日成選集」を日本共産党中央委員会出版部が発行していました。

金日成は朝鮮戦争で米国を破った偉大な将軍だ、などと大真面目に信じていたからです。偉大な共産主義者の論文を日本社会に普及するのは共産党員として当然です。

宮本顕治氏は何度も朝鮮労働党と共同声明を作成、発表しています。当時の「赤旗」「前衛」には北朝鮮を礼賛する記事や論文はいくらでもありました。

吉良よし子議員は聴濤弘氏に、在日朝鮮人と日本共産党の関係を質問するべきだ


日活映画「キューポラのある街」には、北朝鮮に社会主義の夢を抱いて帰国していく日本人妻と息子が描かれていました。

「千里馬のいきおいで社会主義を建設する北朝鮮」という、日本共産党と在日本朝鮮人総連合会の宣伝を信じて北朝鮮に渡った在日朝鮮人は、その後どうなったのでしょうか。

その方々の中で、行方不明になった人もいます。思想、信条の自由、表現の自由が全くない社会ですから、心の病になってしまった方もいます。餓死した方もいます。

少数ですが、処刑された方もいます。「政治犯」なのか、罪名は日本の親族にもよくわからない。日本の親族が在日本朝鮮人総連合会にいくら問い合せても梨の礫です。

不破哲三氏としてはこの悲惨な史実をどうしても隠しておきたいのでしょう。吉良よしこ議員、池内さおり議員は、在日朝鮮人が日本共産党員だった史実など一切ご存知ないでしょう。

嘘だと思うなら、聴濤弘氏にお尋ね下さい。聴濤弘氏なら、元在日朝鮮人と日本共産党の関係を熟知しています。聴濤弘氏は、論考から判断する限り共産主義者としての水準は高くない。

不破哲三氏の「道理ある交渉」は政治犯収容所の凄惨な人権抑圧について沈黙を貫く「交渉」


「赤旗」に北朝鮮の政治犯収容所についての記事が掲載されたことはありません。

今日の日本共産党は、「金日成民族」の在日本朝鮮人総連合会と友好関係を維持しています。

不破哲三氏は、在日本朝鮮人総連合会が日本人拉致を隠蔽してきた件や、北朝鮮の人権問題を否定している件について、完全に沈黙しています。「道理ある交渉」のつもりなのでしょう。

世紀の転換点に立つと、「全社会の金日成・金正日主義化」に尽力なさっている方々と連帯し、北朝鮮に社会主義の夢を求めて渡った元在日朝鮮人の悲劇から目を背けるようになるのです。

「科学的社会主義」に裏付けられた「科学の目」を、吉良よし子議員、池内さおり議員もいずれは体得し、史実を隠蔽する真の共産主義者になっていくのでしょうか。

2015年6月13日土曜日

筆坂秀世「日本共産党と中韓 左から右へ大転換してわかったこと」(ワニブックスPLUS新書)を読みました。

日本共産党が言っていることは、ひとことで言えば、『日本はとんでもなく悪い国だった。今もそれを反省しない悪い国だ』ということに尽きる」「戦前の日本共産党の最大目標は、中国革命成功とソ連擁護」(同書p26, 30より抜粋)。―


筆坂秀世氏がこの本に込めた思いは、このあたりに集約できそうです。筆坂氏は、兵本達吉氏のように日本共産党の歴史的役割をソ連や中国の世界戦略との関係で把握しています。

以下、この本を読んで思ったことを書き留めておきます。

日本共産党は、ソ連や中国、北朝鮮が日本を支配するための宣伝を必死でやってきた政党です。

今の日本共産党は在日本朝鮮人総連合会ほど露骨に、金日成や金正日への忠誠心を表明していませんが、かつてはソ連や中国、北朝鮮を礼賛していました。

宮本顕治氏は大真面目に、論文でマルクス・レーニン・スターリン主義という語を用い、武装闘争の必要性を力説しました。

「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」(「前衛」1950年5月号掲載)という論文です。

筆坂氏は「前衛」掲載のこの論文をご存知ないのかもしれませんが、「50年問題資料集」に転載されています。昔の日本共産党員は、スターリンとソ連に忠誠を誓っていました。

最近、不破哲三氏が1950年代の日本共産党の歴史について「前衛」に論文を掲載していますが、宮本顕治氏のこの論文については完全に沈黙しています。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い党員には、この論文を読んでほしくないのでしょう。宮本顕治氏は日本共産党八回大会の報告でも、ソ連や中国、北朝鮮を礼賛しています。

不破哲三氏は筆坂秀世氏を「落ちた」と評した


筆坂秀世氏は、日本共産党の政策委員長だった方です。

十数年前に筆坂氏は、時折テレビの討論番組に日本共産党の代表として出演していました。

セクハラ問題をきっかけにして、不破哲三氏らと意見を異にするようになった筆坂氏は日本共産党を十年ほど前に辞めました。

辞めた後、筆坂氏は日本共産党を批判する本をいくつか出版しました。不破哲三氏は筆坂氏に対し「ここまで落ちることができるのか」と批判しました(「赤旗」2006年4月19日)。

「落ちる」という語に、不破哲三氏ら日本共産党員特有の人間観がよく出ています。

自分たちは「科学の目」を持ち、「歴史の発展法則」を熟知した先進的な人間、「前衛」でまさに偉人の集合体と見ているのです。「史的唯物論」とやらから社会を把握するとそんな話になります。

偉人の集合体を批判する筆坂氏のような人間こそまさに「落ちた」「反党分子」「反動勢力に屈服した」と日本共産党員は把握します。御自分は「科学の目」を持つ「偉人」なのですから。

日本共産党、在日本朝鮮人総連合会を批判する人は人類史上希に見る悪人―「反党分子」「反動勢力」「宗派分子」「民族反逆者」


在日本朝鮮人総連合会のみなさんも、同様の人間観を持っています。

金日成、金正日は「民族の太陽」「絶世の偉人」であり、彼らに忠誠を誓っている自分たちは栄えある金日成民族の一員である、という人間観です。

この人間観から、在日本朝鮮人総連合会は金日成、金正日を批判する人、あるいは潜在的に批判しうる人物をは「宗派分子」「民族反逆者」と把握し、糾弾の対象とします。

在日本朝鮮人総連合会の中央幹部だった韓光ヒ氏は、この類のレッテルを貼られていました。

「宗派分子」「民族反逆者」「反党分子」など、共産党や在日本朝鮮人総連合会と無関係の方には何を言っているのかさっぱりわからないでしょう。要は、大悪人という意味です。

人類史上希に見る悪人、というような意味なのです。「宗派」という語は朝鮮語の翻訳で、日本語にはありません。韓国語にこんな言葉があるのか、疑問です。

故金丸信氏の路線「日本人拉致問題を棚上げして北朝鮮と国交を樹立すべきだ」と不破哲三氏の「捜査の到達点にふさわしい緻密な外交を」は同趣旨


本書の立場は、平均的な自民党の国会議員と比較しても「右」です。慰安婦への謝罪と償い論や、「南京大虐殺」に疑問を表明していますから。

私からすれば、筆坂氏は当たり前の主張をしているに過ぎない。

自民党の国会議員には、名誉欲の権化のようになってしまい、中国、北朝鮮の侵略から日本を守るという気持ちなど全くない方もいます。

自民党には故金丸信氏の路線「日朝間に風穴をあけよう」「近くて遠い国を、近くて近い国にしよう」に同調してきた方がいくらでもいました。

「李恩恵」こと田口八重子さんが北朝鮮に拉致されていることや、欧州で行方不明になった有本恵子さんらが北朝鮮に抑留されていることは、金丸氏の訪朝時にも明らかになっていました。

金丸氏ら自民党、社会党の訪朝団は田口八重子さん、有本恵子さんらの人権を無視し、「日朝間に風穴をあけよう」「近くて遠い国を、近くて近い国にしよう」、すなわち国交を樹立しようとしました。

拉致棚上げそのものです。金丸訪朝は橋本敦参議院議員の国会質問より後ですから、自民党議員の中にも北朝鮮が日本人を拉致していることを知っている方はいくらでもいたはずです。

不破哲三氏も後に緒方靖夫氏との対談で、金丸氏と同様の見解を表明しました。これについて私は、本ブログなどで何度も指摘してきました。

筆坂氏は他の本や論考で、不破哲三氏の拉致棚上げ論を批判しています。

「赤旗」に出た不破哲三氏と緒方靖夫氏の対談は、不破氏の著作「世紀の転換点に立って」にも掲載されていましたが、最近の日本共産党のHPには出ていないようです。

宮本顕治氏の昔の論文と同様に、この対談も不破氏は内緒にしておきたいのでしょうね。

筆坂氏への問題提起―なぜ聴濤弘氏、小池晃氏、垣内亮氏(日本共産党政策委員会)らは不破哲三氏に追随するのかー


筆坂氏に、真剣に検討していただきたい点がありますので、列挙しておきます。

聴濤弘氏のように長年日本共産党内で「理論家」とみなされ、「実証分析」等を担当してきた方が、不破哲三氏による数々の路線転換にも関わらずなぜ不破氏に追随するのでしょうか。

筆坂氏は、日本共産党中央の「政策委員会」の委員長でした。

現在は小池晃氏、垣内亮氏が政策委員会を担当しているようです。「政策委員会」の方々は、文章を読み込む能力を多少は持っているはずです。

「政策委員会」の方々なら、本書(p96-98)で明記されている不審船問題で中国に媚びた態度のおかしさを多少は感じていても良さそうです。

北朝鮮の「不審船」は、ロケット砲などで重武装しています。

そんな船に、海上保安庁の方が巡視船で「ここは日本の領海です。皆さんを逮捕するので、止まりなさい」と呼びかけ近づいていけば、問答無用で銃撃されてしまいます。

海上保安庁の職員が射殺されてしまいかねない。海上保安庁の職員の生命と人権より、日本政府はテロ国家北朝鮮との「対話」「交渉のルートの確立」を重視せねばならないのでしょうか?

この程度の単純な疑問を不破哲三氏や志位和夫氏に会議などで提起したらどうなるのでしょうか。

政策委員会から外されるだけでなく「党の路線に対する確信を失った」とみなされ、失職してしまいかねない。筆坂秀世氏、兵本達吉氏のような目にあってしまうかもしれない、と予測できる。

従って「政策委員会」の皆さんは不破哲三氏による数々の路線転換を熟知しつつも、沈黙しているのでしょうか?

不破氏に隷属しながら生きていく道から得られる満足度(効用)と、不破氏を批判し共産党から叩きだされる道から得られる満足度(効用)を比較し、前者が後者より大きいと計算しているのではないでしょうか。

聴濤弘氏ら、日本共産党の中で「理論家」とみなされている方々が、宮本顕治氏の昔の論文や、不破哲三氏の路線転換を無視する理由はこのあたりと私は解釈しています。

「科学の目」を持つ日本共産党職員と、「全社会の金日成・金正日主義化」を目指す金日成民族、在日本朝鮮人総連合会の働き手(イルクン)が選択した生き方


政策委員会の皆さんは史実と事実より、自分の保身を重視する生き方を選択した「理論家」なのです。ご本人たちはこの件を、あまり思考しないようにしているのかもしれませんが。

ランソンで中国人民解放軍に銃撃され、命を落とした故高野「赤旗」特派員に、中国は謝罪と償いをすべきだという「政策提案」が「政策委員会」「国際部」から出されることなど、ありえないのでしょうね。

「科学の目」を持つと、共産党の最高指導者に隷属する生き方を主体的に選択するようになってしまうということでしょうか。

在日本朝鮮人総連合会の「働き手」(イルクン)皆さんと、日本共産党の専任職員は同じような生き方を選択しています。「日本革命」「朝鮮革命」を志していらっしゃるのですから。

日本国家、大韓民国をそれぞれなくしてしまうことが、両党の目標です。

筆坂氏はどのようにお考えでしょうか?





2015年6月7日日曜日

Romain Duris, Audrey Tautou主演2013年仏映画「ニューヨークの巴里夫」(原題Casse tête chinois, The Chinese Puzzle, Cédric Klapisch監督作)を観ました。

愛する妻Wendyに逃げられた駄目男Xavier, 子供達と一緒に40代を走り抜け!「複雑な人生」を 子供達と生き抜こう。


この映画は、前作「ロシアン・ドールズ」(Les Poupées Russes)より10年後、40歳になったXavier(Romain Duris)を描いています。

映画の冒頭で、Xavierが子供達とNew Yorkのバス停留所付近を走ります。何かの用件で、急いでいるのでしょう。

Xavierは映画の最後のあたりで、全力疾走します。Xavierが走るシーンに、Cédric Klapisch監督のメッセージと思いが込められているのではないでしょうか。

リズム感あふれる冒頭の音楽も良い。

愛する妻に逃げられても、愛の結晶の子供たちとの関係は何ら変わらないはずです。Cédric Klapisch監督は、離婚後の子育てのあり方に強い関心を持っているのでしょう。

前作のMartine(Audrey Tautou)の人物像もそれを思わせます。

映画の冒頭で40歳になったXavierらの姿が、15年前の「スパニッシュ・アパートメント」(L'Auberge Espagnole)や「ロシアン・ドールズ」のときの映像とともに出てきます。皆、年を取りました。

前々作、前作を観た観客も年を取っているのです。登場人物と一体感を持てます。

Xavierはレズビアンの親友Isabelleに精子を提供した―レズビアン(Lesbian)も子供を持ちたい


映画のあらすじを簡単に説明します。母親Wendy(Kelly Reilly)とともにNew Yorkへ去った二人の子供たちを追って、Xavierは故郷Parisを離れます。

英国女性Wendyとの夫婦仲が悪化した一つの要因は、バルセロナ以来の親友でレズビアンのIsabelleに精子を提供する「父親」となったことでした。

Isabelleから「従来にない父親像を求めているの」と懇願されたXavierは断れなかったのです。Wendyに米国人の恋人ができてしまい、Xavierは離婚します。

New Yorkには親友Isabelleが恋人の中国女性と暮らしています。IsabelleがXavierに吐く台詞は、人生の一面を言い当てています。Xavierは離婚後、恋人がいません。

New Yorkに定住するため、まずは住居と職を得ねばならないから恋人など簡単に持てないよ、とXavierはIsabelleに言います。

Isabelleには同居している恋人がいますが、子守に雇った若い女子学生と「深い仲」になってしまいます。Isabelleは彼女の若い体が良いとXavierに打ち明けます。

いさめるXavierに「何を言っているの!」「お前も早く誰かとやれよ」と言う調子でIsabelleは開き直ります。

性関係は日々の暮らしに潤いをもたらす営みだとIsabelleは言いたいのです。

Isabelleは「不倫」をしているのですから、今後の人生には問題を引き起こすかもしれませんが。この映画は、レズビアンの人生、彼らにも子供をという問題も提起しているのです。

Xavierは青春時代の恋人Martineとやり直す決意をするが―Martineは継母になれるか?


Xavierは青春時代の恋人Martine(Audrey Tautou)と、New Yorkで人生をやり直す決意をします。Martineも子供を二人抱えている。

上の男の子は前作に出ていましたが、下の女の子はいませんでしたから、父親が異なっているのでしょう。Martineの人生も複雑になっています。

映画では、MartineはXavierの二人の子供ととても仲良くしていますが、実際に一緒に暮らすとなるといろいろ問題が生じるのではないでしょうか。

子供たちにとっては、お母さんはWendy以外ありえないのではないでしょうか?Martineは継母になれるのでしょうか?

前作でグローバリゼーションに反対する運動家だったMartineは、環境問題に関連して、安全な食品を提供する会社に勤めているようです。

Audrey Tautouも前作「ロシアン・ドールズ」に比べれば年を取っていますが、彫りの深い顔で悩む表情がとても可愛らしい。

ただ、この映画ではIsabelleの役柄が強烈ですから、Cécile de Franceの方が映画を観た人の印象に残るでしょう。

いろいろあっても、Xavierはかなりの人気作家のようですから、相当な収入がありそうです。New Yorkでもやっていけるという見通しがあるのでしょう。駄目男ではない。

MartineとNew Yorkで暮らすのなら、Martineの子供たちの生活費と学費もXavierが負担するのでしょうね。人気作家としての地位を維持できれば大丈夫そうです。

次回作ができるなら、このあたりが焦点になるのかもしれません。

追記
冒頭でXavierが子供達と走っているのは、偽装結婚のための写真を撮影する場所に行くためです。Xavierの子供達と週末に会うだけなら、Martineは継母にはならないその必要もない。

しかしXavierは継父になるのでしょう。その決意がXavierにできていたのかな。

唯川恵「100万回の言い訳」(平成18年新潮文庫)を読みました。

38歳の津久見結子は「子供をつくろう」と思った。夫婦仲はよい方だと思っているが、区切りのようなものが欲しくなっていた。結子はデザイン事務所に勤めている。


若い頃は、自分には無限の可能性があるように思えているものです。人生は長い。いろいろやってみよう。新しいことに挑戦しよう。そんな気構えを持つべきです。

人生での時間制約を考える必要のない若者には、何より挑戦精神が必要です。しかしいつまでも若くいられるはずがない。40歳近くなると、自分にできること、できないことがあることに気付く。

そのとき、何をどこまでやるか、それは可能なのか?いろいろ迷うものです。迷いつつも、日々の暮らしを何とか続けていかねばならない。

汗みどろの暮らしをいろいろ迷いながら続けて、気がついたら50代になっている。それで良いのかもしれません。

40歳にさしかかったDINKsが、自分たちのあり方をふりかえるとき


子供なしで共稼ぎをしている夫婦をDINKs(Double Incom No Kids)と呼びます。DINKsは経済的には恵まれているでしょうから、周囲の人々の羨望の的になっているかもしれない。

しかし、40歳を迎えるようになったDINKsは、それまでの自分の生き方を変えようといろいろもがくのかもしれません。

この小説の魅力は、表面では恵まれた暮らしをしているが夫婦ともに不倫をしているDINKsの心の動きを、性愛との関係で描き出していることでしょう。

不倫の真っ只中にいる主人公たちの様々な言い訳や心中のつぶやきが良く描かれている。

火災をきっかけに別居した二人はそれぞれ不倫関係に


小説の主人公は、DINKsの津久見結子と夫の津久見士郎です。二人は子供をつくろうとしていたのですが、ちょうどその日に住んでいるマンションの上の部屋での火災が起きてしまいます。

これをきっかけに、二人は別居します。この時点で、二人の間には大きな隙間ができていたのでしょう。結婚して七年経てば、倦怠期が当たり前でしょう。

士郎は結子に対して性的欲望を感じられなくなっていましたが、愛情がなくなったわけではありません。別居後、二人は愛人を持つようになります。

結子の愛人は9歳下の後輩社員でデザイナーの島原陸人。士郎の愛人はマンションの隣に住む30代前半の人妻、梶井許子です。

士郎の行きつけの店で働いている21歳のシングル・マザー加西志木子は、結子や許子と対照的です。お世辞にも美人とはいえない志木子は、4歳の男の子を女手一つで育てている。

お互い不倫をしていた夫婦は、あうんの呼吸でそれから目をそらすことができるのか


結子と士郎の不倫関係はそれぞれさっぱりと、終わっていきます。志木子は、着実に生きる道を見出す。以下、登場人物の言動への疑問を書き留めておきます。

結子と士郎はお互いの言動に不審なものを感じ取っているのですが、不倫関係がそれぞれ同時進行していたなら、あうんの呼吸でそれから目をそらすことができるでしょうか?

結子の愛人、陸人がなぜ結子に惹かれたのかが私にはなかなかわかりませんでしたが、p494で陸人が自ら語っていました。結子の女性としての魅力だけではなかったのです。

陸人には、学生時代から頭が上がらなかった友人を見返してやりたいという気持ちがあったのです。その友人も結子を狙っていました。

その友人を思い切り殴ったことで、陸人は気持ちの区切りがついたのです。しかし、結子は同時に気持ちの整理ができるでしょうか?陸人への想いを簡単に絶てるのでしょうか?

士郎は、自分の人生で何をやろうとしているのでしょうか?許子との関係はただの遊びだったようです。志木子の生き方から、自分を見つめ直しても良さそうなものです。

士郎と結子の間に、子供は生まれるでしょうか?結子は子供をもちたいと一度は思ったのでしょうが、放棄してしまった感があります。

この夫婦は上手くやっていけるでしょうか?どちらも難しそうに私には思えます。結子なら、また出逢いがありそうです。






2015年6月5日金曜日

宮本顕冶「共産主義社会の全面的建設を成功のうちに遂行しつつ、世界平和のもっとも強力なとりでとなっている偉大なソ連邦」(1961年7月25,26日、日本共産党第八回大会中央委員会の綱領についての報告より抜粋)

偉大なソ連邦を始め、その革命の勝利によって、アジアにおける帝国主義の地位に手痛い打撃をあたえた中華人民共和国の躍進および強大な社会主義陣営を形成しているすべての社会主義諸国―われわれは、この社会主義世界体制が、人類社会発展の決定的要因に転化しつつある時代に生きているという確信と展望につらぬかれている(「前衛」日本共産党第八回大会特集,p132-133より抜粋)-



宮本顕冶氏(当時は日本共産党中央委員会書記長)が日本共産党の大会でこの報告をした昭和36年7月頃、日本共産党員は大真面目にソ連や中国、北朝鮮をこのように礼賛し大宣伝していたのです。

聴濤弘氏(元参議院議員)なら、この時期の自分の宣伝内容をよく覚えているはずです。

およそ三十年後、宮本顕冶氏らはソ連邦崩壊万歳を叫ぶのですが、当時の日本共産党員からすればソ連邦崩壊万歳など狂気の沙汰、反動勢力の妄言そのものです。

世渡りのためには、思想などどうでも良いということなのでしょう。宮本顕冶氏は確固たる思想家だったなどと考えている人がいるかもしれませんが、勘違いも甚だしい。

典型的な機会主義者、御都合主義者ではないですか。野坂参三氏も同様です。

志位和夫氏に問う―ソ連や中国、北朝鮮は「平和のとりで」「人類社会発展の決定的要因」なのか


宮本顕冶氏による「ソ連、中国、北朝鮮=平和とりで、人類社会発展の決定的要因」論の愚かさは、物事を多少真面目に考える方ならすぐにわかります。

しかし、志位和夫氏ら現代の日本共産党員は、宮本顕冶氏による愚かな宣伝の誤りを認められない。

誤りを認めれば、下部党員に「それなら、ソ連や中国、北朝鮮こそ反動勢力、戦争勢力ではないか」「ソ連や中国、北朝鮮の見方では自民党が正しかった」という認識が広まってしまうからです。

日本共産党員により構成されている小社会には、北朝鮮社会ほど極端な閉鎖性はありません。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い日本共産党員は在日本朝鮮人総連合会よりは多少、開かれた世界に生きている。

「赤旗」を周囲の友人に勧めれば、中国や北朝鮮の危険性について話をする人がいるはずです。


中国の朝鮮戦争への参戦は、大韓民国への侵略だった



ソ連や中国、北朝鮮は徹底的な戦争国家ですから、共謀して朝鮮戦争を始めたのです。朝鮮戦争への中国の参戦は、大韓民国への侵略です。朝鮮戦争を始めたのは北朝鮮だったのですから。

近年、不破哲三氏が朝鮮戦争について「前衛」で論考を掲載していますが、中国の参戦が大韓民国への侵略だったという記述はない。

中国が侵略戦争を断行したことを認めれば、今後も尖閣諸島領有のために人民軍が侵攻することがありうるという話になってしまいます。

それを未然に阻止するため、集団的自衛権を行使できるようにして日米軍事同盟を抜本的に強化すべきだという安倍政権の政策が適切と認めざるを得ない。

「平和運動」とやらの虚構性が下部党員にも明らかになってしまいます。


「社会主義の専門家」聴濤弘氏に質問しよう!中国の農民は搾取されていないのか



不破哲三氏、志位和夫氏らは自らの保身のためにも、かつての宮本顕冶氏らによるソ連礼賛を隠蔽し、中国と北朝鮮による核軍拡や凄惨な人権抑圧の実態に目をそむけざるを得ないのです。
不破哲三氏は中国を「市場経済を通じて社会主義へ」というレーニンが提起した道を歩む国と礼賛しています(「北京の五日間」p176、新日本出版社2002年)。

中国は農民を二束三文の賃金で酷使し、実現した利潤を投資したので高成長を成し遂げました。許認可権をもつ中国共産党幹部は、権限を利用し、賄賂を得て大金持ちになりました。

不破哲三氏には、現在の中国が50数年前のソ連のように見えているのでしょう。羽振りが良い中国にすり寄っておけ、ということでしょう。

「寄らば大樹の陰」という発想は、かつての宮本顕冶氏と同じです。

吉良よし子議員ら若い共産党員は「社会主義の専門家」で大先輩の聴濤弘氏に、
「中国の農民には年金も社会保障もないそうですが搾取されていないのですか」と聞いてみたらいかがでしょうか。

中国人民軍の凶弾に倒れた「赤旗」記者高野功氏は、命がけで中国のベトナム侵略を告発した―「寄らば大樹の陰」の「革命家」不破哲三氏と好対照



「赤旗」記者には、中国人民軍の凶弾で貴重な命を奪われてしまった方もいます(「三月七日、ランソンにて 『赤旗』ハノイ特派員高野功記者の記録」、1979年新日本出版社刊)。

今日の日本共産党は、高野特派員射殺について中国共産党に謝罪も補償も求めていません。

「市場経済を通じて社会主義へ」進むためには、中国人民軍によるベトナム侵略の真実を報じた「赤旗」記者が犠牲になるのはやむを得ない、と吉良よし子議員は本気で考えているのでしょうか?

故高野功特派員の遺志を継いで、中国の侵略性を告発する「赤旗」記者はいないようです。記事にしようとすれば、不破哲三氏を批判せねばならない。

「寄らば大樹の陰」の「革命家」とは、真に奇妙ですが、真の共産主義者とはそういう生き方を選択した方々なのでしょう。

2015年5月31日日曜日

唯川恵「今夜 誰のとなりで眠る」(2006年集英社文庫)を読みました。

秋生の整った顔立ちは女の気を惹くに十分だった。憂鬱と退屈が同居しているような表情は、どこか投げ遣りではあったが、崩れた感じはしなかった(同書p60)。


女性は男性のどんな点をを見つめるのでしょうか。鈍感な私には、これがなかなかわからない。

女性に人気のある男性なら、女性の眼差しや表情、交わし合う言葉から女性の気持ちを敏感に感じ取るのでしょう。天性の感覚がある男性はいそうです。

唯川恵や、Saganの小説には女性から観た世界が描かれています。上記は、私にはわかりにくい。

不器用な私には、なかなか理解しにくい世界ですが、読んでみると自分の人間観や人間把握の一面的だったことを実感させられます。男女では人物評価の基準が異なっている。

交通事故で死んだ高瀬秋生(30代後半)になぜ女性たちが惹かれたのか


この小説は、不思議な人物高瀬秋生と、彼と性関係や交際のあった女性たちそれぞれの愛のあり方を描いています。秋生は30代後半ですが大学卒業後はフリーターだったようです。

下記はそれを示唆しています。

「秋生は頻繁に仕事を変え、そのたびに住む場所も変わった。いったいどんな仕事をしていたのか、今も佑美にはよくわからない。

聞いたこともあるが、秋生は笑って、心配することはないさ、と答えるだけだった」(同書p29より抜粋)。

秋生は交通事故で急死してしまいました。私には秋生がなぜ女性の気を惹くのかわかりません。

端正な顔立ちで憂鬱と退屈が同居しているような表情をすると、女性はしびれてしまうのでしょう。

俳優の豊川悦司ならそんな役柄を演じられそうです。

女性にとって、魅力のある男性、素敵な男性から愛されるか、愛され続けるかが全てなのでしょうか。そうであるなら、男性の魅力とは何なのでしょうか。

男は仕事が全てだ、といったら言い過ぎでしょうが、30代後半まで定職を持っていなかった男性が、女性の気を惹くとは考えにくい。

仕事とは別に、秀でた才能を持っていればそこに惹かれる女性はいるでしょうけれど。

三十代後半の女性たちが、困難をどう打開していくか


以下、この小説の登場人物の言動で私が理解しがたい点を列挙しておきます。女性たちは皆、三十代後半です。

鹿島七恵は、なぜ秋生を後々まで意識していたのでしょうか?若い頃の恋人の動向を、女性は気にするのでしょうか?私にはそうとは思えない。

佑美は秋生と六年間も同居していながら、性的関係がなかったそうです。佑美は次のように述べています。

「いつも抱き合って寝てましたけれど、セックスはないんです。六年間、一度も」(p144)。

秋生は真以子、協子、七恵と性的関係を持ちました。大学四年生のとき、演習の担当教員の妻とともに姿をくらましたこともあります。

そんな秋生が、六年間暮らした女性と性的関係がないなど考えられない。

七恵は別れた夫、秀一に未練があります。秀一との間に小さい娘がいますが、秀一はすでに若い女性と再婚し、子供もいます。

秋生が死亡したことをきっかけに、七恵の秀一への想いが蘇るという話ですが、そんなことがあるでしょうか?

登場人物の言動の現実性に多少の疑問はありますが、この小説は三十代後半の魅力的な女性たちがぶつかる人生の困難、そしてそれをのりこえて行く姿をよく描いています。

どういう生き方が最も素晴らしい、という模範解答はなかなか見つからない。数十年後に目を閉じるときまで、悩むのかもしれません。







2015年5月24日日曜日

社会主義体制はなぜ崩壊したのか―エンゲルス「空想より科学へ」(大内兵衛訳、岩波文庫。英語ではSocialism, Utopian and Scientific)より聴濤弘氏に問う。

Karl Marxの盟友Friedrich Engels(1820-95)は、ブルジョアジーが不用であると断言した。「資本家の一切の社会的機能は今や月給取りがやっている」(同書p82)。―


社会主義体制はなぜ崩壊し、資本主義になっていったのか。この問いについては様々な議論があります。

私見では、「反革命」「宗派分子」「民族反逆者」などされた人々を追放し囚人労働をさせ、「過労死」させる社会主義体制では技術革新や品質の向上ができなくなるから、資本主義国との経済競争に負けたのです。

技術革新や品質向上を推進する能力のある人々が、「反革命」云々のレッテルを貼られてしまうからです。そのような愚行を正当化する「理論」が、エンゲルスの著作の中にありました。

以下、それを示します。

旧ソ連や東欧では、社会主義理論の元祖マルクス・エンゲルスの著作や論文が聖典化されていました。「空想から科学へ」は聖典の一つでした。

各国の共産党員は旧ソ連を社会主義の祖国、理想郷と大宣伝した


かつて世界中の共産党員は旧ソ連を社会主義の祖国、理想郷とみなし、ソ連共産党から物資両面で支援を受けていました。

ソ連では、マルクス、エンゲルス、レーニンの理論に基づき、後継者スターリンにより社会主義の体制が着々と建設され、人々は幸せな暮らしをしている旨、共産党員は大宣伝しました。

聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員)によれば、旧ソ連では失業はなくなったそうです(「21世紀と社会主義」p44-45, 1984年新日本出版社刊行)。

「反革命」のレッテルを貼られ政治犯収容所で囚人労働をさせられていた方々は、「政治犯」という「職業」があったから、失業していなかったということでしょうか。

この件、吉良よし子議員や池内さおり議員から、聴濤弘氏に質問していただきたいですね。聴濤弘氏はどう答えるのでしょうか。

旧ソ連では政治犯が社会主義国家に囚人として雇用されていたから完全雇用が実現できた、などと聴濤弘氏は大真面目に考えていたのでしょうか。

エンゲルスは資本家(投資資金提供者)や企業経営者の社会的役割を認識できなかった


エンゲルスは、資本家(投資資金提供者)や企業経営者が種々の技術革新、経営革新を行い経済成長を実現させる存在であることを無視しました。

エンゲルス自身は企業経営の手腕を持っていたようですから、なぜ企業経営者の役割を無視するような愚論を吐いたのかは不明です。

エンゲルスによれば、資本家は収入をまきあげること、利札を切ること、取引所で投機をやり、資本家同志たがいに、資本を奪い合うこと以外に、何らの社会的な仕事をしません(同書p82)。

エンゲルスのいう「ブルジョアジー」「資本家」とは、投資資金を提供している株式会社の所有者のこと理解すべきでしょう。

儲かっている会社の発行済株式の多くを保有していれば、配当でかなりの収益を得られます。

保有株式を一部売却し、他の株式や金融資産に投資をすることもできる。しかし、金融資産の収益は実物経済と無関係ではありえません。

経済の実態から乖離した資産価格上昇は、多くの人々がそれが実体経済との反映とみなしていれば継続しますが、そうでないとわかれば停止する。

金持ちによる金融資産保有は実体経済への投資資金提供となっているのですから、何ら社会的な仕事をしていないと断ずるのはおかしい。

エンゲルスには、銀行も信用(貸出)を供給して投資を支え、経済を成長させることが理解できていない。

企業経営者や銀行家が囚人労働により「過労死」すれば、技術革新が停滞し財の品質改善もできない―資本主義との競争に負ける


エンゲルスは19世紀の人物ですから、J. A. Schumpeterの「経済発展の理論」(The Theory of Economic Development)など知るはずもなく、時代の限界とも言える。

企業経営者や銀行家がInnovatorとして技術革新や経営組織革新を行い、経済成長を支える役割を果たすという発想は、マルクスやエンゲルスにはなかった。勿論、レーニンにもない。

エンゲルスの「空想から科学へ」への企業経営者無用論、「何らの社会的役割を果たしていない」は革命後に企業経営者や地主たちを山間僻地や政治犯収容所に送り囚人労働をさせる「理論」的基礎になりました。

技術革新や経営組織革新を行う人々が「反革命」とされて囚人労働、そして「過労死」してしまえば、経済成長が困難になり、財の品質が資本主義国に比して悪くなっていきます。

殺人は凶悪行為です。百害あって一利なしです。マルクス、エンゲルスやレーニンの小難しい理屈などより、殺人は百害あって一利なしという常識の方がどれだけましかわからない。

聴濤弘氏はいま、若い頃の虚偽宣伝をどう述懐しているのでしょうか。

在日本朝鮮人総連合会のみなさんは、自らを「金日成民族」と認識しているはずです。北朝鮮の公式文献にそういう記述がありますから。

「金日成民族」には、品質改善は困難でしょうね。日本共産党の吉良よし子議員、池内さおり議員は、「金日成民族」とどんな「対話」をするのでしょうか。