2016年10月23日日曜日

統一朝鮮新聞特集班「『金柄植事件』-その真相と背景」(昭和48年統一朝鮮新聞社発行)より思う

「『総連』の内部事情からみれば、1971年1月ひらかれた『九全大会』で、金柄植は筆頭副議長に選出され(後に『第一』副議長をせん称)『総連』は、韓・金体制で完全に固められるところとなった。だが、それは韓・金両人、就中金柄植が、自分に気にくわぬか、阿諛追従せぬ良心的にして気骨のある古い幹部や中堅活動家等千数百名を、あるいは宗派分子、あるいは非組織策動分子といったレッテルをはるなど、あらんかぎりの理不尽な手段方法でもって追放した結果、確立されたものであった。」(同書p20より抜粋)


北朝鮮の現実を考えるためには、金日成、金正日そして金正恩に絶対的な忠誠を誓ってきた在日本朝鮮人総連合会が行ってきたこと、果たしてきた役割を分析することは大事です。

金父子への絶対的忠誠を、「唯一思想体系」「唯一指導体系」の確立と表現します。北朝鮮の特殊用語・表現を、在日本朝鮮人総連合会の文献で少しずつ理解しなければなりません。

昭和48年に発行されたこの本は、当時の在日本朝鮮人総連合会で生じた最高幹部間の権力争いと在日本朝鮮人総連合会の実態を赤裸々に暴いています。

「統一朝鮮新聞社」は、後に「統一日報」になります。「統一日報」に近年掲載された故佐藤勝巳氏の手記について、本ブログでは何度も批判してきました。御時間のあるときにご覧下さい。

この本を読むと、金日成や朝鮮労働党から在日本朝鮮人総連合会に、在日本朝鮮人総連合会の「経済使節団」や万景峰号(北朝鮮の船)を通して「提講」という指示が出されていたことがわかります。

「提講」という語は日本語にはありません。韓国でも、企業や団体の長が社員や会員に指示を出すときこんな言葉を使わないでしょう。北朝鮮の特殊用語です。

「提講」と、金日成の「教示」や金正日の「お言葉」がどう違うのか、私にはわかりません。この本には金正日の名前は出てこない。70年代前半にはまだ金正日は表に出ていなかったのです。

この時期の「提講」にも、金正日の決済があった可能性もあります。

この本には私たち日本人にはなじみのない方々の御名前が次から次へと出てくるので、わかりにくい。

韓徳銖議長と金柄植氏による在日本朝鮮人総連合会支配と、権力闘争


この本の中心内容は、次です。

当時の在日本朝鮮人総連合会の議長は韓徳銖氏でした。

この本によれば、韓徳銖議長は在日本朝鮮人総連合会の全組織を自分一人の支配下におき、縁戚関係にある金柄植氏を自分に次ぐ第二人者に仕立てようと策してきました。

昭和46年の「九全大会」で金柄植氏は名実ともに在日本朝鮮人総連合会の第二人者になりましたが、今度は韓徳銖議長をもさしおいて、在日本朝鮮人総連合会の運営を自分勝手に仕切るようになりました。

金柄植氏は自分に直属する秘密工作部隊である「ふくろう部隊」(総連内の俗称)に命じて、韓徳銖議長宅に盗聴器をつけていたそうです(同書p4)。

四十五年くらい前のことですが、「ふくろう部隊」という組織があったことは間違いない。私はその組織に入っていた方とお会いしたことがあります。

在日本朝鮮人総連合会の所業について、当時の日本共産党最高幹部は怪しいと感じていた可能性があります。

油井喜夫氏の力作「汚名」(平成11年毎日新聞社刊行, p81-89)は、昭和47年5月頃「新日和見主義者」とレッテルを貼られた民青同盟幹部が北朝鮮との関係を当時の日本共産党中央から疑われたことを記しています。

権力闘争は朝鮮労働党の「鶴の一声」で決着がついた


盗聴器を付けた方がそれを自白し、韓徳銖議長も黙っていられず巻き返しにでました。朝鮮労働党は様々な経路で在日本朝鮮人総連合会の動向を常に把握しています。

韓議長と金柄植氏の争いは結局、朝鮮労働党の次の指示で決着を見ます。

昭和47年12月13日に新潟港に停泊していた北朝鮮の船「万景峰号」で総連側に次の指示が示されました。

提講「総連内に主体思想を徹底的に樹立することは、在日本朝鮮人運動の勝利的前進のための決定的担保」が金柄植氏を「反党、反革命、宗派策動分子」と規定しました。

この奇奇怪怪な表現も普通の日本人にはなじみにくいですが、要は歴史上最悪の人間ということです。北朝鮮では朴憲永、後に張成澤らがこの類のレッテルを貼られました。

同時期の日本共産党は、民青同盟の幹部たちに「新日和見主義者」というレッテルを貼り過酷な「査問」をしました。

旧ソ連では、「富農」「人民の敵」、中国では「走資派」というレッテルを貼られた人たちがいました。

金柄植氏は昭和47年秋ぐらいには北朝鮮に召喚され、「学習」にやられたようです。その後長く金柄植氏の消息は伝えられませんでしたが、金日成が亡くなる少し前に出てきました。

二十年ほど、金柄植氏が何をしていたのか、なぜ突然出てきたのかは不明です。「反党反革命宗派分子」が復権した珍しい例です。

金日成の還暦祝いに莫大な贈り物-総額50億円以上と「人」-


この本によれば、在日本朝鮮人総連合会は金日成の還暦祝いと称して莫大な贈り物をしました。総額で50億円以上とあります(p100)。以下、少し紹介しておきます。

・総連「中央」はフィルム製造やオフセット印刷等3つの工場設備に技術者をつけておくった。その費用が約20億円。

・大阪本部は、金日成の邸宅の家具調度・装飾一式でその負担金1億5千万円。

・兵庫本部は内閣の首相執務室の調度・装飾一式で1億3千万円。

・東京が「労働党」総秘書事務室の調度・装飾一式で1億3千万円。

昭和47年に総額50億円の「贈り物」が真実ならとんでもない額です。主に供出したのは、朝鮮商工人の皆さんでしょう。朝鮮商工人は、どこからどうやって資金を出しているのでしょうか?

正確な金額は不明ですが、途方もない金品と物資がこれまで北朝鮮に運ばれて行きました。核兵器や生物・化学兵器を製造するための資金だけでなく設備や機器も運ばれている可能性が高い。

「平和運動」に励む左翼の諸団体はなぜ、朝鮮商工人による北朝鮮への核軍拡資金提供を批判しないのでしょうか。

上記からも明らかですが、在日本朝鮮人総連合会は「技術者」すなわち人を「贈り物」にしてしまう組織なのです。

この時期、「オートバイ部隊」などと呼ばれた若者たちが200人くらい、北朝鮮に「贈り物」として送られました。人の贈り物とは、「奴隷」ではないでしょうか。

朝鮮労働党の「南朝鮮革命路線」から考えれば、「南朝鮮解放」のために資金と物資、「奴隷」を在日朝鮮人が「朝鮮半島北半部の民主基地」である北朝鮮に献上するのは当然です。

日本は大韓民国滅亡策動に協力すべきなのか


「南朝鮮解放」とは大韓民国を滅亡させることです。日本人、日本政府はこれに協力すべきなのでしょうか。日本人、日本政府は金正恩の贅沢生活維持に協力すべきなのでしょうか。

かつての日本の左翼、特に日本共産党は朝鮮労働党の「南朝鮮革命路線」を支持していました。大韓民国を国家として認めていなかったのです。「米国の傀儡」と規定していました。

これは、1960年代の「赤旗」や「前衛」を図書館などで探して調べればすぐにわかります。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は、日本共産党と朝鮮労働党の共同声明や帰国事業など御存知ないかもしれません。

最近の「赤旗」や「前衛」には掲載されていませんから。

若い共産党員には、一昔前の日本共産党の文献を直接読んで自分たちの先輩がやってきたこと、主張してきたことを考えることができないのです。

知的誠実さ、粘り強さが欠けている。

聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)や国際政治学者の畑田重夫氏なら、日本共産党と朝鮮労働党が日韓条約粉砕、米国批判などで協力してきたことをよく御存知です。

国際政治学者畑田重夫氏に問う―大韓民国は滅ぶべきなのか


「現代朝鮮論」を研究テーマの一つになさっている国際政治学者畑田重夫氏は、普段から新聞各紙を熱心に読み込んでおられるそうです。

それならば、畑田重夫氏は金柄植氏の所業や北朝鮮の政治犯収容所、出自で個人を差別する「成分」制度について十分な情報を得ているはずです。

畑田重夫氏は、在日朝鮮人による集団的帰還事業である帰国事業の実現のために粉骨砕身の努力をされました。

「社会主義朝鮮」とやらへ笑顔で帰国していった元在日朝鮮人や日本人妻のことを、畑田重夫氏なら今でも覚えているはずです。

帰国者と呼ばれる彼らは、北朝鮮で徹底的に差別され、常に監視対象におかれました。自由な日本社会を知っている元在日朝鮮人は、気軽に朝鮮労働党幹部を批判してしまいます。

結果から見れば、帰国事業とは「奴隷運搬事業」でしかありませんでした。

昭和30年まで、在日朝鮮人の共産主義者は日本共産党員でした。畑田重夫氏なら、当時の事情を御存知でしょう。

畑田重夫氏は在日本朝鮮人総連合会の幹部の方々と、かつては共に日韓条約粉砕などの社会運動に参加されたのではないでしょうか。

畑田重夫氏の若い頃の著作「朝鮮問題と日本」(新日本新書、昭和43年刊行)では、朝鮮半島は北朝鮮により統一されるべきであること、すなわち大韓民国は米国の植民地だから滅亡されるべきであるという論調で一貫しています。

当時の日本共産党は、朝鮮労働党との共同声明で、「南朝鮮革命路線」支持を表明していました。畑田重夫氏の著作「朝鮮問題と日本」は当時の日本共産党の路線に沿っています。

畑田重夫氏は国際政治学者としての社会的責任を果たすべきだ


今の畑田重夫氏は、若い頃の御自分の著作は出鱈目だったと本音では思っているが、それを吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員には内緒にしているのかもしれません。

若い頃の失敗は人生経験として大事ですが、畑田重夫氏の著作を信じて大韓民国滅亡のための宣伝や運動に参加してしまった元民青同盟員は少なくない。

その方々も今では、70歳近くになっているのでしょうけれど。

畑田重夫氏には是非、かつての御自分の著作と北朝鮮の凄惨な人権抑圧の実態、大韓民国の滅亡が必要か否かについて見解を表明して頂きたい。

それが、国際政治学者として果たすべき社会的責任ではないでしょうか。













2016年10月16日日曜日

H. G. ウェルズ「影のなかのロシア」(みすず書房昭和53年刊行。Russia in the Shadows by H. G. Wells, 1920)より再び思う

「私は、広く支持された教育的なキャンペインによって、現存の資本主義組織をコレクティヴィズム的な世界組織へと教化していくことができる、と信じている。これに反してレーニンは、不可避的な階級闘争、再建への序曲としての資本主義秩序の崩壊、プロレタリアート独裁等々といったマルクス主義のドグマを何年来信奉しているのである。

だから彼の主張は、近代の資本主義が癒し難いほど略奪的、浪費的で、教えることなどできないものであり、打倒されるまで人類の遺産を愚かしく無目的に搾取しつづけるであろう、...それは本質的に奪い合いなのだから不可避的に戦争をひきおこすであろう、ということであった。」(同書p103-104より抜粋)。


英国のSF作家ウェルズは1920年十月にソ連を訪れ、モスクワでレーニンと会いました。ウェルズはそのときの経緯と中身を、同書で明らかにしました。

上記はレーニンとウェルズの討論内容の一部です。

ウェルズは、自らを漸進的なコレクティヴィストと位置づけ、マルクス主義者であるレーニンと大きく異なっていると述べています。

戦争はなぜ起きるか―ウェルズ「資本主義的社会組織から起きるのではない」


ウェルズによれば、戦争は国家主義的帝国主義から起きるのであり、資本主義的社会組織から起きるのではありません(同書p104-105)。

これに対しレーニンは資本主義はつねに奪い合うものであり、コレクティビズム的な活動の正反対であるから社会的、世界的な統一に発展することはできないと述べました。

ウェルズの主張は、ドイツ社会民主党の理論家カウツキーの「超帝国主義論」ないしは後の構造改革論者に近い。

「構造改革論」とは、昔の社会党の江田三郎氏や神奈川県知事になった長洲一二氏らが唱えたマルクス主義の理論です。

私見では現在の日本共産党の帝国主義論も、ウェルズの主張に接近しています。現在の日本共産党の革命理論も、「構造改革論」と似ています。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は、「構造改革論」を御存知でしょうか。若き不破哲三氏、上田耕一郎氏は「構造改革論」を「修正主義」と徹底批判しました。

両氏の「マルクス主義と現代イデオロギ―」(大月書店刊行)を読んで頂きたいものです。

戦争はなぜ生じるか―開戦時と非開戦時それぞれで得られる「利益」の大小


私見では戦争、組織的暴力は開戦した場合に得られる「利益」と、開戦しなかった場合に得られる「利益」を国家や社会組織の支配者が比較し、前者が後者より大きいと見なせば生じます。

「利益」の大きさは、開戦時に勝利できる確率に依存する。「利益」は勝利時に得られる物的、人的資源や「名誉」に依存する。

社会の中で資本主義企業の占める位置は戦争の勃発とはほとんど関係はありません。

レーニンとボリシェヴィキは「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と主張し内戦を起こしましたが、彼らは「独占資本」とは直接関係がない。

レーニンがドイツ政府から資金援助を受けていたという疑惑はありますが。

独占資本、大企業が存在しない時期にも、欧州諸国は植民地争奪戦を繰り返しました。

中国史は、北方遊牧民族との抗争の歴史でもあります。匈奴や突厥、鮮卑、モンゴルや満州族には独占企業は存在しませんでした。その頃の漢族にも、独占企業は存在しない。

北朝鮮が韓国に侵攻したのは、スターリンと毛沢東の承認を受け、金日成は勝利できると予想したからです。

ウェルズの戦争論のほうが、レーニンの「戦争の根源は独占資本主義だ」論より歴史の現実にふさわしい見方でした。

しかしウェルズも、その後のソ連が勢力圏を広めるべく、東欧や朝鮮半島に侵攻することは予想できなかったでしょう。

ウェルズは西側が「トラスト」(企業合同)を結成してボリシェヴィキと交易すべきと主張した


ウェルズは、前に本ブログで紹介したようにロシア革命後のペテルブルグとモスクワの現実をよく見ていました。

ウェルズによれば、ボリシェヴィキはロシアで私有財産と私的な商取引を便宜的でなく正義の問題として抑圧しました。

ロシア全土には、西欧の商業生活の慣習・慣例を尊重するような商人、商業団体は残っていません(同書p111-112)。

実際には、闇屋がかなり残っていたはずですが。闇屋が農民から穀物を買い上げ、都市に運んでいたからこそ、生き延びることができた都市住民は少なくなかった。

ボリシェヴィキは私企業家たちを海賊のようにみなしていたそうです。

この時期のレーニンとボリシェヴィキは私企業家を敵視していました。商業活動を禁止する「戦時共産主義」策は、市場取引を抑圧し住民生活を悪化させました。

ウェルズによれば、ロシアの共産主義者は買い物や市場での売買を禁止したとき、店やマーケットをどう扱うかを実際に考えていませんでした(同書p36)。

ボリシェヴィキは資本主義を打倒しさえすれば、貨幣の使用と商売を中止すれば、そして社会的差別を一切廃止すれば、それだけで一種の至福千年王国がやってくると信じている狂信家たちです(同書p68)。

これでは、社会が荒廃し経済がどん底に落ちていくのは当然です。狂信家に国家の運営、特に軍と警察を任せたらとんでもない凶行をやりかねない。

ウェルズは絶望的な経済破壊に直面しているロシアを救うために、西側諸国がトラスト(企業連合)を形成してボリシェヴィキと交易することを主張しています。

それでもウェルズは、ボリシェヴィキのロシアが新しい何かを作り出すと期待していたのです。


ウェルズの期待は裏切られ、社会主義は商人の集合体になった―共産党員が権限を使って金もうけをする現代中国


その期待は、富農の一掃とロシア正教会の徹底弾圧を指令し断行したレーニンにより裏切られました。

レーニンは「新経済政策」により戦時共産主義の失敗を認めました。

農民が生産した穀物を一定割合の現物税を支払った後、自由に処分して良いなら簡単に「富農」になれます。闇市が公然化し小商業ができるなら、金儲けをする人はいくらでも出ます。

皆が富農になって金もうけをしてよいなら、社会主義とは商人の集合体でしかない。

金もうけを正当化したら、共産党員と言えども金が一番大事という流れになります。

スターリンは新経済政策により金もうけをした「ネップマン」を敵視し、再び富農を一掃しました。富農一掃は、レーニン主義です。

権力から生じる権限の配分により金もうけをする共産党員は「商人」です。新経済政策の帰結は共産党員の商人化です。

不破哲三氏らの主張する「社会主義を目指すレーニンの探求」が新経済政策であるなら、中国共産党と朝鮮労働党がそれを立派に継承しています。

金正日は39号室という外貨稼ぎ(金山や石炭、鉄鋼石生産部門も含まれる)、外貨管理部門を持っていました。「経済の管制高地」を金正日が掌握していたのです。まさに新経済政策です。















2016年10月9日日曜日

畑田重夫・川越敬三著「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本出版社刊行)より思う

「朝鮮の統一という課題を追及する努力とたたかいが民主主義のためのたたかいとして承認されるのなら、戦争は政治の継続ですから、民主主義のための戦争(内戦)もまた承認されなければなりません。



その意味で、わたしたちも、だれが、どちらが朝鮮戦争を始めたかということよりも、「韓国」およびアメリカの支配階級の客観的情勢の分析に主力をそそいできたのでした」(同書p107より抜粋)。


畑田・川越両氏は、朝鮮戦争を始めたのが北朝鮮、朝鮮労働党であったとしてもそれを民主主義のためのたたかいとして正当化しています。

この本の奥付によれば畑田重夫氏は1923年(大正12年)生まれで国際政治学者です。川越敬三氏は1920年(大正9年)生まれでジャーナリストです。

御二人とも、日本朝鮮研究所所員と出ています。残念ながらこの本は現在は絶版になっているようです。

昭和43年当時の日本共産党員は、この本を現代朝鮮研究の最高の到達点として受けとめていたことでしょう。

「団塊の世代」くらいの日本共産党員が、民主青年同盟員としてこの本を一生懸命学習したはずです。

畑田重夫氏は現在でも、日本平和委員会や原水協、労働者教育協会などで活動されています。

民主主義とやらのために、朝鮮人民軍がソウル市民を殺戮することが正当化されるのなら、日本人や韓国人の拉致、大韓航空機爆破なども正当化されるのでしょう。

民主主義のために韓国人は死ね!という主張と上記に違いがあるでしょうか。この本は、韓国をアメリカの完全植民地と規定しています(同書p99, p180)。

南朝鮮人民にとっては、「日韓条約」を破棄し、アメリカ帝国主義に従属する日本独占資本と日本帝国主義の南朝鮮侵略のたくらみとたたかうことが、南朝鮮を解放する革命の大きな課題となっていると両氏は主張しています(p180)。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は畑田重夫氏のこの本を御存知ないかもしれません。この本は、当時の日本共産党の朝鮮問題に関する政策と十分整合的でした。

若い共産党員は、一昔前の日本共産党の文献を図書館などで探して読み、日本共産党と「平和運動」「民主運動」の歴史を自分の頭で考え、整理していくことができにくい。

共産主義者として朝鮮問題を語ろうとするなら、この本は必読です。

畑田氏と川越氏は、朝鮮戦争の歴史的意義として次を指摘しています(同書p118-119)。

畑田重夫・川越敬三両氏が語る朝鮮戦争の歴史的意義


第一に、朝鮮人民とその武装力である人民軍は、その英雄的闘争によって、祖国、朝鮮民主主義人民共和国を外国帝国主義の侵略から守りました。

祖国の自由と独立、社会主義制度を守り通し、第三次世界大戦を防止するという偉業に大きな貢献をしました。

第二に、朝鮮人民と人民軍は、その英雄的たたかいをとおして、祖国を守ったのみならず、社会主義陣営の当方の哨所を確固と守り抜きました。

第三に、朝鮮人民のたたかいは、中国人民の闘争とあいまって、東邦被抑圧民族の反帝民族解放運動の旗じるしとなり、その後の全世界的な民族解放闘争を限りなく激励しました。

第四に、朝鮮戦争は、全世界の組織的な平和運動の発展の一大契機となりました。

第五に、朝鮮戦争はアメリカ帝国主義は万能であるという「伝統」と「神話」をうちくだきました。

朝鮮人民をふくむ全世界の人民は、社会主義と平和と民主主義の諸勢力がかたく団結してたたかいさえすれば、帝国主義と反動と侵略の諸勢力に勝利できることを教訓として引き出せます(同書p119)。

「団塊の世代」、あるいは聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員)ら年長の日本共産党員は、北朝鮮こそ社会主義陣営の東方の哨所だと固く信じていたのです。

最も、宮本顕治氏、不破哲三氏ら当時の日本共産党中央の最高幹部は、この時期にはすでに北朝鮮の危険性に気づいていました(不破哲三「時代の証言」中央公論新社p80-84参照)。

宮本顕治氏、不破哲三氏は北朝鮮が「民族解放」と称してテロ部隊をソウルに送っていることも気づいていたのですが、それを下部党員や「赤旗」読者には一切知らせませんでした。

金日成はスターリン、毛沢東の承認をもらって準備を整え、朝鮮戦争を始めました。中国の参戦は、大韓民国への侵略です。

畑田重夫氏は今でも、「抗米援朝保衛祖国」を掲げた中国人民軍の朝鮮戦争参戦を支持しているのでしょうか。

それなら、畑田氏は今でも北朝鮮により大韓民国は滅亡させられてしかるべきだ、と考えていることになります。畑田氏と川越氏は、次のように北朝鮮への帰国事業を礼賛しています。

「日本海を平和の海に」「帰国船を日朝間の平和の懸け橋に」といったスローガンではじまった帰国事業は、日朝友好運動史上の画期的なできごとでした(同書p191)


畑田氏・川越氏によれば、内外の反動勢力は何回も帰国事業の破壊をこころみましたが、その都度、日朝両国人民の連帯の力でこれをはねかえしてきたそうです。

これによって帰国事業は1967年末までの八年間つねに順調にすすめられ、合計八万八千余人が無事祖国へ帰って新しい生活に入りました(同書p191)。

しかし帰国事業は、重大な危機にさらされているそうです。

佐藤内閣と自民党は「日韓条約」発効以後、帰国事業をうちきる策動をあらためて開始し、帰国協定の延長を一方的に拒否したそうです(同書p191)。

畑田氏、川越氏によれば朝鮮学校で行われている民主的民族教育は、祖国を愛し、平和を望むりぱな共和国公民を育てることを目的としています(同書p193)。

昭和43年時点で北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人とその家族(約6000人の日本国籍者を概ね含んでいる)は約88000人だったのでしょう。

畑田氏や日本共産党の努力と北朝鮮礼賛宣伝が実り、さらに約5000人が北朝鮮に帰国できました、というより帰国してしまいました、と書くべきでしょう。

以前にブログに書きましたが、昭和43年頃には相当数の元在日朝鮮人が行方不明になっていました。山間へき地への追放(山へ行った)、あるいは政治犯収容所送りでしょうか。

少数ですが、何かの「罪」で処刑されてしまった元在日朝鮮人もいたようです。

昭和43年頃には「唯一思想体系の確立」と称して金日成の神格化が始まっていました。

朝鮮労働党は住民の追放や政治犯収容所への連行を「学習に行った」ことにしますから、裁判などありません。

「三年すれば里帰りさせてやる」と在日本朝鮮人総連合会関係者に日本人妻は言われていましたが、この時点では誰も帰国できていません。

テロ国家北朝鮮を礼賛し、在日朝鮮人に北朝鮮への帰国を奨励した畑田重夫氏


今日の畑田重夫氏は、かつてテロ国家北朝鮮を礼賛し、在日朝鮮人に北朝鮮への帰国を奨励した史実をどう考えているのでしょうか。

テロ国家北朝鮮で、「民族反逆者」などとレッテルを貼られ政治犯収容所に連行されてしまった元在日朝鮮人もいます。

佐藤内閣と自民党は在日朝鮮人が北朝鮮に帰国することを妨げたそうですが、「奴隷船」の運行を妨げることこそ民主主義です。

北朝鮮へ帰国した元在日朝鮮人の多くは、北朝鮮社会では「動揺階層」に区分され、進学、就職、居住、配給など生きていくすべての面で差別されました。

帰国した元在日朝鮮人たちも、北朝鮮の人々と価値観が大きく異なっていましたから住みにくいことこの上ない。元在日朝鮮人は北朝鮮の人々を「原住民」「アパッチ」などと呼んでいます。

金正日の愛人となった高英姫(金正恩の母で、大阪市生野区出身)は、例外中の例外です。

高英姫は「地上の楽園」ともいうべき消費生活を満喫できましたが、金正日の正妻にはなれませんでした。金日成は金正日に元在日朝鮮人との結婚を許さなかったらしい。

金日成と金正恩が一緒にいる写真が出てこないのは奇妙です。金正日は高英姫との子供を、金日成に紹介できなかったのでしょう。

元在日朝鮮人に対する差別感情は北朝鮮社会で根強い。韓国でも同様かもしれません。

畑田氏、川越氏によれば「日韓条約」そのものがアメリカ帝国主義のアジア侵略体制の一環です。

畑田重夫氏はテロ国家北朝鮮による蛮行の歴史、御自分が韓国を罵倒した史実をありのままに見るべきだ


日本人民が「安保」条約破棄のたたかいを一つ一つ具体的にすすめているのと同じ意味で、日朝両国人民は「日韓条約」の具体化の一つ一つと着実にたたかわねばなりません(同書p181)。

畑田氏、川越氏は南朝鮮革命、すなわち大韓民国滅亡こそ朝鮮人民の解放であると考えていたのです。

畑田重夫氏は、今でも「日韓条約」破棄、すなわち韓国と国交を断絶すべきと考えているのでしょうか。本気でそういうなら、極右翼も顔負けです。

畑田重夫氏は、「現代人の学習法 社会科学を学ぶ人のために」(学習の友社昭和61年刊行)も著しています。

この本で畑田氏は次のように述べています(同書p212)。

一つの活動が終わったら、その活動の行われてきた過程を一つの流れとしてつかみ、同時にそこにあらわれているすべての問題について検討してみなければなりません。

その場合、何よりも恐れることなく、事実をありのままに見ることが必要です。

畑田重夫氏は、テロ国家北朝鮮による蛮行の史実、御自身が北朝鮮を礼賛し、韓国を罵倒した史実をありのままに見つめるべきでしょう。

御自分の書いた本の内容には、御自分の行動で責任を持っていただきたいと思うのは私だけでしょうか。























H. G. ウェルズ「影のなかのロシア」(みすず書房、昭和53年刊行。H.G. Wells, Russia in the Shadows, 1920の翻訳)より思う。

「共産党は大地主の土地没収を許したり、対独講和を結んだりしたことによって農民の消極的な支持をたちまちに確保した。また、多くの銃殺刑を施行することによって大都市の秩序を回復した。しばらくの間は、許可なく武器を所持していたものはすべて銃殺されたのである。


この処置は拙劣で血なまぐさくはあったが、効果はあった。共産党政府はその権力を確保するために、事実上、無限の権力を持つ臨時委員会を組織した。そしてすべての反対勢力を赤色テロによって粉砕したのである。」(同書p44より抜粋)。


1917年のロシア革命とは一体何だったのでしょうか。

聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員)によれば、1917年11月7日にロシア社会主義革命が成功し、その四日後に全ロシアで8時間労働制が実施されました。

同じ日に革命政府は社会保障制度を導入することを宣言し、確立したそうです。

1918年には教育の無料制、そして医療の無料制を実施したそうです(「社会主義をどう見るか」新日本出版社昭和61年刊行、p48-50より)。

聴濤弘氏が描いたロシア革命後のソ連社会では搾取制度の廃止により労働者が解放されていますから、短時間の労働で十分に暮らしていけそうです。

教育と医療が無料なのですから、労働者は賃金を全額使ってしまっても老後の心配、家族の医療費の心配をする必要がなさそうです。

夢のような社会が、約100年前のロシアで実現されていたことになります。ソ連崩壊の4,5年前まで、日本共産党はソ連をこのように宣伝していたのです。

ロシアでは暴力による住民支配が横行する―ロシア革命後には飢饉も


現実のロシア社会は聴濤弘氏が宣伝してきたような「労働者の祖国」だったのでしょうか。

今の私たちは、ソ連が崩壊しロシアがマフィア資本主義になったことを知っています。

ロシア社会の重要な特徴の一つは、マフィアの暴力による住民支配です。

どんな社会でも、何かの理由で政府が弱体化し、警察が国民の安全を守れなくなるとマフィアや暴力団のような連中が武装力を背景にしてのさばります。

帝政ロシアやソ連邦崩壊後のロシアでは、暴力が横行しました。聴濤弘氏によればコーカサス・マフィア、チュチェン・マフィア、ロシア・マフィアなどいろいろな組織があります。

専門的な職業としてのマフィアだけでなく、マフィアとつながった国家管理のマフィアがいます(「新ロシア紀行 見たこと、聞いたこと、読んだこと」新日本出版社2004年刊行、第二章より)。

マフィア資本主義化またはその危険は、ロシア革命直後のロシアにも蔓延していました。不破哲三氏、聴濤弘氏にはそれがわからないようです。

日本共産党員はいまだに、レーニンが生きていた時期のソ連では「市場経済を通じて社会主義を建設する新たな道が探求されていた」等と信じています。

レーニンが生きていたロシア革命直後のロシアでは、ソ連崩壊後のロシアと同様に暴力が蔓延していました。

ソ連崩壊後には、飢饉というほどの事態は起きなかったようですが、ロシア革命直後のロシアでは飢饉が生じました。

これは、「タイムマシン」「モロー博士の島」「宇宙戦争」などで有名な英国のSF作家H. G. ウェルズ(1866-1946)の「影のなかのロシア」(Russia in the Shadows, 1920)などからも明らかです。

ウェルズが見た1920年9月末のペテルブルグ―巨大な、修復不可能なまでの破壊―


英国のSF小説家ウェルズは1914年1月に、二週間ほどペテルブルグとモスクワを訪れました。次には1920年9月末から十五日間、主にペテルブルグに滞在しました。

ウェルズはペテルブルグの第一印象として上記のように記しています(前掲著p3)。

以下、ウェルズの前掲著より抜き書きします。1920年9月末から10月のペテルブルグの住民生活の実情が、おぼろげながら見えてくるでしょう。

ウェルズによれば、巨大な解体のさなかにあって約十五万の党員を持つ訓練された一つの政党、共産党によって支持された臨時政府が支配権を掌握していました(p3)。

臨時政府は数多くの銃殺により盗賊行為を鎮圧し、荒廃した諸都市に一応の秩序と安全をもたらし、粗雑ながら一つの配給制度を確立しました(p3-4)。

配給制度のためには、農民の生産物を徴発するしかありません。必需品の統制を維持するため、商店が閉鎖されていきました(p5-6)。

路面電車が走っていますが、ラッシュアワーには満員になります。人々は乗れないと外側にぶらさがります。事故は珍しくありません(p6-7)。

路面電車の走っている道路は酷い状態で、3,4年間全く補修されていません。いたるところ穴ぼこだらけです。木造家屋は昨年の冬に全て焼き尽くされました(p7)。

ペテルブルグの人口は(1919年以前の)120万から、70万を少し越えたぐらいまで減少しました。

闇で食糧を高値で売る人は、「不当利得を得た」とかいう理由で直ちに銃殺されました(p9)。普通の取引でも厳しく処罰されました。

取引は全て「投機」と呼ばれて違法だが、食糧取引は黙認されていた


取引は全て「投機」と呼ばれて違法とされています。しかしぺテルブルグでは、道路の片隅で行われている食糧取引は大目に見られています。モスクワでは公然と行われています(p10)。

食糧取引を黙認しなければ、農民に食糧を提供させることができません。

駅という駅はみな青空市場で、列車の止まる場所には牛乳やりんご、パン、その他いろいろなものを売りつけようとするおおぜいの農民が群がっています(p10)。

農民の暮らし向きは良くなっているようです。しかし赤軍が統制価格で農民から食糧を徴発する際、抵抗する場合があります。

十分な兵力を持たない赤軍が攻撃され、殺戮されることもあります(p10-11)。農民より上のすべての階層は、官僚も含めて極度の窮乏状態にあります。

各種の商品を生産した金融・産業組織が倒壊してしまったからです(p11)。新しい日用品は全くもい当たらない。お茶と煙草、マッチはうまく供給されています。

医薬品は払底し、医療は受けられません。風邪、頭痛に対する処置はありません。軽い症状の病気もたちまち重くなってしまいます。出会う人々は殆ど皆、元気がありません(p12)。

あらゆる種類の物資が不足しているので、病人が来ても治療できません。病人を力づけるような食事を出すことはできません。患者の家族が食事を持ち込むしかない(p12)。

最低水準の配給食糧はボールいっぱいの水っぽいオートミールと、ほぼ同量のリンゴの砂糖煮です。人々は配給カードを持ってパンをもらうために行列を作っていました(p14)。

去年の冬、多くの人々は零度以下の室内で生活しなければなりませんでした。水道管が凍結し、衛生施設が役に立たなくなりました(p15)。

1920年の秋がこういう状況なら、冬を越えられなかったペテルブルグ市民は相当いたはずです。21年には飢饉が生じます。

ロシアの各地で農民反乱が相次いだ―農民により館が焼かれた


ウェルズは、ロシア革命後のロシアで農民反乱が相次いだことを指摘しています。戦争に負けたロシア軍の兵士は、武器を手にしたままばらばらになってロシアに戻ってきました。

おびただしい数の農民兵士が、希望も、糧食も、規律もなく故郷に戻ってきたのです(p20)。

ロシア各地で農民反乱が相次ぎました。館が焼かれ、凶行が起きました(p20)。

誰も止めるものがいないので、ペテルブルグやモスクワでは白昼公然と路上で脅迫され、シャツまで剝ぎ取られました。時には死体が水に一日中放置され、その傍らを人々が通り過ぎました。

武装した男たちはしばしば赤軍と称して家に押し入り、略奪し人を殺しました。

1918年はじめの数か月間、ボルシェヴィキ新政権は反革命に対するだけでなく、あらゆる種類の泥棒や盗賊に対しても激しい闘争をしました(p21)。

1918年の夏になってようやく、数多くの強盗や人殺しが銃殺された後で、ロシアの大都市に治安が回復し始めました。

それでもウェルズは、共産党、ボリシェヴィキに対しては好意的に評価しています。

ロシアがすべて、農民たちのように無感動であるか、錯乱状態でしゃべりまくるか、あるいは暴力ないし恐怖に駆り立てられているとき、共産主義者だけが確信を抱き、行動への準備ができていました(p43)。

共産党は多くの銃殺刑を施行することによって大都市の秩序を回復したのです(p44)。赤色テロを行った人々は社会的な憎悪と反革命の恐怖で気が立っていました(p44)。

赤色テロを行った人々は狂信的でしたが、正直でした(p44)。

ウェルズは、マルクス主義についても鋭い批判をしています。レーニンとモスクワで会見しています。これらについては、別の機会に紹介します。

聴濤弘氏のソ連宣伝と、在日本朝鮮人総連合会の北朝鮮宣伝-公式文献の盲信


ロシア革命後のロシアのどこに、8時間労働制や無料医療が存在したのでしょうか。飢饉に直面した労働者は、無料医療制度をなぜ利用しなかったのでしょうか。

搾取制度が廃止されると、たくさんの労働者が餓死するなら、資本家に搾取されていたほうがどれだけ良いかわからない。

資本家、企業経営者は投資や企業運営を行い、社会に貢献しています。富農も農産物を生産していました。地主が何の労働をしていなかったとしても、殺害されねばならない存在ではない。

聴濤弘氏にお尋ねしたいものです。吉良よし子議員、池内さおり議員はロシア革命後のロシアについて、何か御存知なのでしょうか。

聴濤弘氏のソ連宣伝と、在日本朝鮮人総連合会の北朝鮮宣伝は同じような水準です。社会の現実を、地域住民や旅行者から聞き取って調査し把握するという姿勢がない。

自分が現地に滞在し、公式宣伝と異なる現実を見ても、それがなぜ生じるのかを解明していく気概がない。

公式文献への疑問を表明すると、「反革命」「反党分子」「民族反逆者」というレッテルを貼られてしまうのが怖いのでしょう。共産主義者は保身を重視します。

聴濤弘氏は、公式文献への疑問を少しは抱いていたようですが、ソ連崩壊までそれを公にできませんでした。

1917年のロシア革命後、レーニンが生きていた時期(1924年死亡)のロシアは、経済と社会の崩壊、暴力が横行していました。

秩序の確保のために銃殺が簡単になされていたのです。大規模な飢饉の一要因は、ボリシェヴィキが農民から穀物を強制的に徴発したことです。






2016年10月2日日曜日

畑田重夫「共産主義のはなし」(日本青年出版社昭和43年刊行。「民主青年新聞」昭和43年1月24日号から26回連載に加筆、再編成したもの)より思う

「資本主義社会における『言論』『出版』『結社』『集会』などの自由は、働く人びとにとっては法律のうえの形式上のものにすぎませんが、社会主義社会においては、勤労人民にとってそれらがすべて実質的に保障されます。ただし、資本主義復活をめざす言論や行動の自由だけはどんな場合でも除外されます」(同書p51より抜粋)。


共産主義国では、資本主義復活を目指す言論、行動の自由は全くないということですね。

共産主義国が本質的に全体主義体制であることを、畑田重夫氏は正直に告白しています。

共産主義国では資本主義復活を望む人々や言論の自由を求める人々は「人民の敵」「反革命」「走資派」「宗派分子」などとレッテルを貼られ、徹底的に弾圧されてきました。

勿論、共産党、労働党の最高指導者が、私企業の自由な活動を認めた場合には資本主義が復活していきます。

鄧小平の「改革・開放」政策により中国は資本主義になりました。

旧ソ連、東欧は共産党政権が瓦解し、雪崩のごとく資本主義が復活していきました。

北朝鮮でも金正日が私企業の自由な活動を様々な分野で是認ないしは黙認し、市場経済化が進みました。金正日は、39号室という外貨稼ぎの専門部署をつくりました。

北朝鮮は覚せい剤や石炭、鉄鉱石を中国や日本の暴力団等に安値で売って外貨を稼いできました。北朝鮮の外貨稼ぎ部門は外国の保険会社から保険金詐欺を何度もやってきました。

外貨稼ぎ部門は利潤最大化を目標としているのですから、資本主義企業と本質的に変わりません。株式会社という形式になっていないだけです。

「共産主義のはなし」には、ソ連、東欧、中国がいずれは資本主義になるだろう、などという予測は皆無です。

ロシア革命によりぽっかりあいた資本主義世界の大穴はもうふさぐことはできない。癌のようにあちこちに転移しながらだんだんと広がっていくと畑田氏は断言しています。

癌ならば手術や薬で治療する方法がいつかは見つかるかもしれませんが、どんな名医も資本主義の没落をくいとめることはできないそうです(同書p115-116)。

社会主義社会を実現するための運動は、どんなに苦難にみちたものでも、最後にはかならず成功するという法則にそっているそうです(同書p116)。

昔の民主青年同盟員、日本共産党員は畑田重夫氏の「共産主義理論」を熱心に学んだ


畑田重夫氏は、三十数年前に東京都知事選挙に出馬されました。

日本共産党の推薦だったか、「革新都政をめざす会」というような団体の推薦だったか、記憶がはっきりしません。

新宿駅頭などで、何としても勝とう、勝たねばならないという演説をされていました。

早稲田大学の民主青年同盟が、日米安全保障条約についての勉強会で畑田氏を講師に招いたことがあったと記憶しています。昭和56,57年くらいだったでしょうか。

この本の奥付によれば、畑田氏は1923年(大正12年)京都府綾部市生まれで1948年(昭和23年)に東大法学部政治学科卒業されました。

労働者教育協会常任理事、中央労働学院常務理事という職務についていました。

畑田氏は日本共産党の流れにある平和運動、労働運動の理論家、運動家として活躍されてきた方です。

この本は民主青年同盟の機関紙に連載された「だれにでもわかる共産主義のはなし」をもとにして加筆、再編成してできたと「あとがき」にあります。

昭和43年(1968年)連載ですから、当時の読者は今70歳くらいになっているはずです。

この四年くらい後に起きた「新日和見事件」に連座した方々も、この連載を熱心に読んでいたことでしょう。「新日和見事件」については、油井喜夫「汚名」(毎日新聞社刊行)が詳しい。

「民主青年新聞」連載時に読者だった方々が、この本を今読んだらどんな感想を持つのでしょうか。

社会主義とは空想だったな、と思う方が少なくないのではないでしょうか。

中国や北朝鮮では,人間による人間の搾取が廃止されていたと大真面目に今でも信じている元民主青年同盟員がいるのでしょうか。

毛沢東、金日成、金正日は労働者ですか。

畑田重夫氏御自身は、今でも御自分の主張が正しかったと思い込んでいるのでしょうか。

ところで、日本共産党の運動に熱心に参加していた方々でも、この本の次の記述には違和感があったのではないでしょうか。

ブルジョアたちは、夫をもっている婦人との姦通、つまり婦人の共有を平然とおこなっているのです。しかも、プロレタリアの妻や娘を自由にできるだけでは満足せず、自分たちの妻をたがいに誘惑しあうことを無上のたのしみとさえしています(同書p64)。


「ブルジョア」とは、男性だけから構成されているのでしょうか。女性の会社経営者は世の中に存在しないのでしょうか。姦通、不倫は男性だけの「誘惑」により成立するのでしょうか。

複数の男性と性関係を持っている女性経営者は存在しないのでしょうか。

畑田重夫氏によれば、プロレタリアには二号さんをかこうような金があるはずがない(同書p65)。労働者は姦通、不倫をしないと言いたいのでしょうけれど。

あまりにも非現実的です。畑田氏は、愛情関係では女性が専ら受け身の存在としか把握できなかったようです。

畑田氏の人間観察眼は一体どうなっていたのかと思わずにいられません。極めて表面的な人の見方しかできない方なのかもしれません。

畑田氏の浅薄な人間観を示す記述をもう一つ指摘しておきます。宗教観です。

いま世界には十三の社会主義国がありますが、強制力によって宗教を禁止している国はひとつもありません。...社会主義がその高い段階である共産主義の段階へ近づくにつれ、宗教と宗教を信仰する人は、じょじょに社会から姿を消してゆくにちがいありません。そして、文字通り共産主義の社会になれば、宗教は完全に消滅することでしょう(同書p53-54)。


旧ソ連、東欧では教会も共産党の支配下にありました。ロシア正教会はレーニンにより徹底弾圧されましたが、スターリンが利用価値を見出したので支配下にはいって存続できました。

中国ではチベット仏教に中国共産党が徹底介入してきました。チベット人やモンゴル人がダライ・ラマへの信仰を公に表明すれば、監獄かどこかへ連行されてしまうでしょう。

毛沢東の時期の中国で、基督教信仰と布教が許容されていたとは考えにくいのですが、どうだったでしょうか。

現在の中国では、「法輪功」という宗教集団が徹底弾圧されています。「抜け穴」が相当あるそうですが。

北朝鮮では「寺院」はありますが、労働党が外人の見世物用に運営しているだけです。

北朝鮮では基督教信仰は政治犯収容所行きにされるくらいの「重罰」です。基督教信者は金日成、金正日より偉大な存在がいた、と信じているのですから。

この本の執筆時期に、ソ連や中国、北朝鮮の宗教事情を正確に認識するのは難しかったでしょう。しかし、どんなに技術が進歩しても宗教が無くなるはずがない。

人はいずれ、最期のときを迎えるのです。そのときが近くなれば、何かにすがりたいと思うのではないでしょうか。

遠藤周作の「沈黙」「侍」を、共産主義者は「非科学的」の一言で片づけてしまうのでしょうか。

プロレタリア文学とは、共産党の最高指導者と人間抑圧社会礼賛文学なのでしょうね。