2019年4月29日月曜日

萩原遼「北朝鮮に消えた友と私の物語」(文芸春秋、平成10年刊行)より、大阪の在日朝鮮人教育者韓鶴ス氏一家の悲劇を思う。

「1972年、韓鶴ス氏は「反党反革命分子」の烙印をおされてヨドックにある強制収容所に入れられた。


一家5人もろとも収容所送りである。まもなく韓鶴ス氏は殺された。夫人も発狂して絶命した。三人の子供たちはその後かろうじて生きて出所した」(同書15、弟からの手紙より抜粋)。


この本は、「ソウルと平壌」の続編ともいえるでしょう。

萩原さんと、済州島出身の金民柱氏の生涯を語る中で、金日成、金正日と朝鮮労働党による過酷な人権抑圧を告発しています。

私が金民柱さんを知ったのは、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」に参加する少し前に、「ソウルと平壌」や「月刊Asahi」で二人の弟さんの件を訴える文章からでした。

小川晴久東京大学教授のご紹介で、東京大学駒場のどこかの教室で初めてお会いしたように思います。もう23年くらい前になってしまいます。

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の会合でお会いしたのです。

穏やかなお人柄と同時に金日成と朝鮮労働党への激しい怒りを、会合の中で感じ取ることができました。

「守る会」関西支部結成の集いで、金民柱氏は韓鶴ス氏一家の悲劇を話した


少しあとに「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」関西支部の結成の集いで、金民柱氏は大阪の在日朝鮮人内ではよく知られた方の悲劇として、韓鶴ス氏の話を紹介されました。

金民柱氏の弟金泰訓さんは五年七か月の収容所生活後に、収容所で知り合った韓鶴ス氏の娘、韓ミナさんと結婚しました。

韓鶴ス氏は大阪朝鮮高校の校長を経て、大阪の在日教育全般の指導にあたっていた昭和46年9月、「在日朝鮮教育者代表団」の一員として北朝鮮に送られてしまいました。

夫人の李明子さんは作家でした。娘の韓ミナさんと2人の弟はすでに帰国していました。

収容所を出てから韓ミナさんは義兄の金民柱氏に、次の手紙を送りました。

「泰元さんと父とは同じ境遇にあります。父のことは一家にとって名誉なことです」。

金日成と朝鮮労働党に抗して筋を曲げなかった父、韓鶴ス氏のことを娘さんは何とかして日本に伝えようとしたのです。

高齢の大阪の在日本朝鮮人総連合会幹部なら、韓鶴ス氏のことをよく知っているはずです。

在日本朝鮮人総連合会関係者は、韓鶴ス氏一家は民族反逆者だから政治犯収容所に連行されて当然だ、くらいに考えているのでしょうね。

朝鮮学校で北朝鮮の政治犯収容所と反党反革命分子の処刑について教えるべきだ


在日本朝鮮人総連合会の働き手(イルクン。専任職員のこと)と朝鮮学校教職員の皆さんは、全社会の金日成・金正日主義化の一環として教育活動をなさっています。

これは朝鮮学校の生徒たちの心に、金日成民族としての誇りと自覚を培い、金日成、金正日の指令を絶対性、無条件性をもって実行する人物にする教育です。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、朝鮮学校に無償化が適用されていないのは日本による差別だ、と主張しています。

日本人はつべこべ言わずに全社会の金日成・金正日主義化に金を出せ、という話です。朝鮮学校の教育内容を日本人が批判するのを、在日本朝鮮人総連合会は許容しない。

繰り返しますが、地方自治体は全社会の金日成・金正日主義化のための教育に公金を支出すべきではありません。

朝鮮学校では、北朝鮮の政治犯収容所及び反党反革命分子の処刑について子供たちに教えるべきです。

朝鮮学校の生徒だった方の中に、スパイ、民族反逆者の汚名を着せられて政治犯収容所送りにされてしまった方がいるのですから。

勿論、朝鮮学校では、政治犯収容所や政治犯の公開処刑などタブーでしょうね。

張成澤の処刑については、何か教えているのでしょうか。これも疑問です。

北朝鮮の住民から見れば、政治犯収容所の存在や政治犯の処刑を無視して金日成、金正日そして金正恩を礼賛する在日本朝鮮人総連合会関係者は異様な人間です。

在日本朝鮮人総連合会関係者による金日成、金正日、金正恩礼賛が、北朝鮮の住民を帰国者嫌いにする一つの要因になっていることを指摘しておきたい。



2019年4月28日日曜日

萩原遼「ソウルと平壌」(大月書店、平成元年刊行)より思う

ーゆきゆきて 倒れ伏すとも 萩の原ー


萩原遼さんがお亡くなりになって早や、一年半くらいになる。

萩原遼とはペンネームで、松尾芭蕉の弟子、曽良の句からとったものであると本書の「日本、朝鮮、そして私」の章に記されている。

歩み続け、たとえ倒れたとしても萩のしとね、という楽天性から取ったとのこと。

私が萩原さんと初めてお会いしたのは「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」に参加した23年くらい前のことなので、萩原さんの生涯を知るものではありえない。

「ソウルと平壌」及びその続編ともいえる「北朝鮮に消えた友と私の物語」(文芸春秋、平成10年刊行)から窺い知る萩原さんの生涯を勝手ながら想像すると、この句どおり、歩み続け、萩の原(人民の海原)に倒れた方だったと思えてならない。

萩原さんが人民の海原に倒れ伏した、とは萩原さんが朝鮮半島の現状を、金日成、金正日と朝鮮労働党に抑圧される民衆の立場から描き、世界に訴えるジャーナリストだったからである。

無実のスパイ罪で収容所に送られたり、殺されたりする帰国者が少なくない事実をどう理解すればよいのか(同書「北から」の10 巨大な虚偽の社会その二、より)


「ソウルと平壌」で萩原さんは、北朝鮮の政治犯収容所の存在を訴えている。

この本は30年前に出版されているのだから、北朝鮮社会の恐るべき人権抑圧についてはまだまだ知られていなかった。

人権抑圧の典型と言えるのが、政治犯の処刑および政治犯収容所の存在である。

これを最も早くから全力で訴えてきた萩原さんは、人民の海原に志半ばにして倒れた方と評されるにふさわしい方だった。

同書には、帰国させた2人の弟のうち、一人がスパイ罪で消された金民柱氏の話が記されている。この本から、抜粋して紹介する。

金民柱氏の弟、金泰元氏は昭和19年生まれ。昭和37年5月21日、18歳のときに北朝鮮に帰国した。

金泰元氏は北朝鮮の学校を卒業後、鉱業研究所に配置された。

金泰元氏は昭和44年3月に発表された金日成の「社会主義経済のいくつかの理論的問題について」に対する疑問を記した兄の民柱氏への手紙を、当時訪朝した在日朝鮮人に託したという。

「読んだ瞬間、私は危ないと思った。弟の消息が絶えたのはその直後です」。金民柱氏はは萩原氏にそう語っていた。

金民柱氏は知古の萩原氏が「赤旗」特派員として平壌に滞在することになった際、弟の消息が何とかわからないかと伝えたのだろう。

萩原氏は平壌についてまもない昭和47年5月に、ホテルから金泰元氏が住んでいるというアパートを訪ねたが、何の手掛かりも得られなかった。

金民柱氏はその後も独力で調査を続けた。その結果、弟さんは「統制区域」に送られていたことがわかった。

「統制区域」とは朝鮮の辺境に設けられた政治犯の一大収容所である、と「ソウルと平壌」には記されている。

この認識は、金民柱氏の聞き取り調査の結果でもあるのだろう。

金民柱氏は70年代半ばに訪朝した在日朝鮮人に、そのアパートに住んでいた帰国者(元在日朝鮮人)のところを訪ねてもらった。

その結果、弟の金泰元氏が一夜のうちにもっていかれた、という話を聞いたそうである。

住民間に徹底した監視網が形成されている北朝鮮社会の実態を把握するためには、監視者がいないところで住民が旅行者(殆どは在日朝鮮人)に話す内容は貴重な情報であった。

行方不明になった帰国者(元在日朝鮮人)は「山へ行った」


帰国者の中に、行方不明になるものがいる。彼らの身に何が生じたのか。

「地上の楽園」「千里馬の勢いで社会主義を建設する共和国」に渡った親兄弟となぜ突然、一切の連絡がつかなくなるのか。

在日本朝鮮人総連合会関係者は突然行方不明になった帰国者のことを「山へ行った」と表現する。

在日本朝鮮人総連合会関係者の中で、必死の調査をした方は少なくない。その結果、彼らは人里離れた地域にある早朝突然、連行されたらしいことがわかってきた。

この情報は北朝鮮を訪問した在日朝鮮人が、現地の親族や知人より何とか得たものある。

北朝鮮の裁判所の判決など、公的機関が発行した書類により判明したものではない。

北朝鮮では、「政治犯」は当局により「革命化」の対象とされるものと、「革命化」されうる可能性がないと当局に判断されたものに区分されている。

前者は「革命化区域」と呼ばれる収容所に連行される。ここで何年もの過酷な囚人労働を強制された後、「革命化された」と判断されたら一般社会に戻ることができる。

後者は処刑されるか、「完全統制区域」と呼ばれる収容所に連行され、死ぬまで囚人労働を強制される。

ベネズエラの詩人アリ・ラメダは七年間、政治犯収容所で強制労働


「ソウルと平壌」には、ベネズエラ共産党員で詩人のアリ・ラメダ氏が昭和42年9月27日に、宿舎から9人の公安に連行されたと記されている。

アリ・ラメダ氏が住んでいた宿舎は萩原氏が住んでいた宿舎と同じ場所だったという。萩原氏は連行の様子を、目撃者から聞いたと記している。

目撃者とは、萩原さんの前任特派員であろう。このいきさつを、アムネスティ・インターナショナルが発行した報告書を引用して萩原さんは詳細に記している。

アリ・ラメダ氏は公安に連行されてから毎日12時間も尋問され、自白が強要された。監房は幅1メートル、奥行き2メートル、高さ3メートル。食事は一日300グラム。

一日のうち16時間は起きていなければならない。眠ると犯した罪を反省できなくなるからだそうである。

アリ・ラメダ氏は政府の招待で北朝鮮に来たのであり、CIAのスパイ等馬鹿げた話だ、と反論したが決めつけられ、連日囚人労働を課された。

ベネズエラ政府が積極的に動いた結果、昭和49年5月に釈放された。

「拉致は疑惑の段階でしかない」と断言した不破哲三氏は、金正日、金正恩の真の友


日本共産党は、萩原さんの前任特派員から、北朝鮮では外国人といえどもある日突然、公安によりどこかに連行されてしまうという情報を得ていたはずだ。

萩原さんが平壌を追放になった一部始終も、宮本顕治氏、不破哲三氏ら当時の日本共産党最高指導部は報告により知っていた。

相当数の帰国者が行方不明になっていることも、在日朝鮮人から情報を得ていたはずだ。

北朝鮮の蛮行は、日本の警察が犯人逮捕に用いるような手法で実証できなければ何にも言えない、という不破哲三氏、緒方靖夫氏の手法は、大韓航空機爆破を北朝鮮の所業と喝破した宮本顕治氏のそれとは大きく異なる。

今の韓国には、政治犯収容所の体験者は相当数いる。朝鮮労働党は、最高幹部といえどもいつ処刑されるかされるかわからない。

金正日の第四夫人、といわれた金オク氏とその家族が、政治犯収容所に連行されたという話が、脱北者によりもたらされている。ありえない話ではない。

脱北者の話を一切取材しないで、北朝鮮の過酷な人権抑圧に目を背ける日本共産党の「赤旗」記者の方々は、金正日、金正恩そして朝鮮労働党の真の友といえよう。

日本共産党には在日本朝鮮人総連合会と似た体質があるー河邑重光氏(「赤旗」元編集局長)は北朝鮮の政治犯収容所をどう考えているのか―


こんな政党からは、たたき出されてこそ萩原さんらしい。

萩原さんはその後、日本人拉致問題について一切言及していない日朝平壌宣言を高く評価する不破氏を強く批判する。

私見ではこれを大きな理由として、萩原さんは日本共産党と除籍された。

昭和63年12月3日、「赤旗」から外すという人事について、理由を一切言わないと萩原氏に通告した河邑編集局長(当時)は、北朝鮮の政治犯収容所についてどうお考えなのだろうか。

萩原さんの論考によく出てくる河邑重光氏が、金正日に媚を売る在日本朝鮮人総連合会幹部のような方と思えてきてしまうのは私だけだろうか。

河邑重光氏は、昔日本共産党が朝鮮労働党と締結した共同声明を今でも支持しているのだろう。

そうであるなら河邑氏も金日成、金正日そして金正恩の真の友人である。

在日本朝鮮人総連合会は、北朝鮮を少しでも批判する仲間を「民族反逆者」というレッテルをはり、激しく攻撃する。

民族反逆者は日本共産党の「反党分子」とよく似た方々と思えてならない。












2019年4月6日土曜日

日本共産党の経済観、経済政策について思う―日本共産党員と左翼経済学者は投資と労働者の雇用維持の関係を検討できない―

「大企業と富裕層はアベノミクスで空前の利益を得た。大企業と富裕層に応分の負担をさせ、中小企業に交付金を出し、労働者に減税をして家計をあたため、消費を増やす。


最低賃金を全国一律で時給1500円にする。総需要の約6割を占める消費が増えれば景気が良くなる」


日本共産党の経済政策は、このようにまとめることができるでしょう。

日本共産党は日本革命を志向する科学的社会主義、マルクス主義の政党です。

しかしマルクス主義経済学の立場だと、必ずこのような結論が出るとは私には思えません。

日本共産党の経済観、経済政策の問題点については、本ブログやtwitterで何度も言及していますが、改めて私見を述べます。

大門みきし参議院議員に問う―日本共産党の経済観、経済政策論の非現実性―


日本共産党で経済政策の立案を主に担当しているのは大門みきし参議院議員でしょうか。

私の疑問は以下です。

第一に、大企業と富裕層がアベノミクスで空前の利益を得たという認識ですが、これは不当ですか。

ある企業の利益が以前より大きく、内部留保が増えていれば、その企業は不当なもうけをしているのでしょうか。

その企業の利益は経営者と労働者が一丸となって努力した結果なのかもしれません。

トヨタの利益が増えていればそれは専らアベノミクスの恩恵、と断言できる証拠がどこにあるというのでしょう。

ある企業が得た「空前の利益」は不当な利益とは必ずしも言えない。

富裕層の儲けですが、これが株式の譲渡所得や配当所得から得ているのなら、危険に対する報酬とも言えます。

不当な儲けとみるべきではない。

第二に、富裕層への課税強化論ですが、これの現実性が大いに疑問です。

日本共産党は保有金融資産が5億円を越える方を富裕層と定義しているらしい。

金融資産を5億円以上持っている方の株式配当所得や、株式譲渡所得税率を上げる事を想定しているようです。
これを実行するためには国税庁が全住民の保有金融資産額を把握せねばなりません。

銀行預金だけでなく株式や債券、投資信託、あるいは外貨建て資産、金(gold)も把握せねばならない。

税金逃れのため、保有金融資産が絵画など美術品購入に変えられてしまうことも考えられる。

国税庁の権限を強化する必要はあると思いますが、日本共産党の富裕層増税案は非現実的です。

中小企業への交付金支出論は中身がない


第三に、中小企業への交付金支出とは一体いくらで、理由は何かという点です。

中小企業への交付金支出ですが、日本共産党は時給1500円の最低賃金を実現するため、中小企業に交付金を出して中小企業が経営破綻しないように、という発想なのでしょう。

大門みきし議員は、交付金として各中小企業にいくら支払い、総額でどれくらいの予算を想定しているのでしょうか。

各中小企業に一回一万円出す、というだけなら財源についてさして議論する必要はない。

しかし一万円では時給1500円の費用増加に耐えられず、廃業せざるを得ない中小企業が続出するでしょう。

年間1000万円出すなら時給1500円でも十分やっていけるでしょうが、中小企業だという理由だけで1000万円もらえるなど変です。血税のばら撒きでしかない。

要は、日本共産党が訴える中小企業への交付金論は金額、規模が不明なので中身がないのです。

第四に、消費が総需要の約6割を占めているから消費を増やす政策を、という発想ですが、消費は簡単には増えない。

将来の見通しに不安のある方は減税されても貯蓄に配分する。

日本共産党、左翼経済学者は投資の意義を認められない


総需要の中での割合は高くないですが、企業経営者が設備投資を増やすように誘導することが大事です。

日本共産党や左翼経済学者には、投資が経済成長、企業経営には極めて重要だという発想はない。

投資が企業の競争力と経済の供給力を強化し経済成長と企業経営の維持、発展に貢献しうることを認めると、労働者は賃金向上要求を控えて設備投資を増やすことを認めるべきだ、という話になりえる。


日本共産党中央は十年くらい前、代々木にある中央委員会の建物を大幅改造したそうです。

これにより日本共産党の競争力が向上したのなら、建物改造という投資は日本共産党職員の雇用を維持することに貢献したといえる。

同じことが、各企業でもいえる。設備投資により、その企業の競争力が向上できれば、社員の雇用が維持される可能性が高くなります。

企業経営に対する視野の違いと利害関係の対立-非正規労働者や短期保有予定の株主は設備投資と無関係


しかし、いつでも雇用関係を経営側の都合で切られうる非正規労働者には、投資がなされて企業の競争力が向上されても無関係ではないか。

こんな反論がありそうですね。その通りと考えます。

非正規労働者は、良い設備投資をするためのコスト削減策の一環として雇用契約を切られる可能性すらあります。

非正規労働者には、その企業に定年まで勤めようという発想はあまりない。従ってその企業の競争力など、どうでもよい。

利益を設備投資に配分するより、時給を上げてほしい。非正規労働者ならそう思って当然です。

同じことが、短期保有の株主についても言えます。利益を設備投資に配分するより、当面配当を増やして欲しい。

短期保有の株主にとっても、設備投資など二の次で良いのです。

非正規労働者と短期保有予定の株主は、その企業への関与の度合いが薄く、短い視野でしか企業経営を考える必要がないという点で一致しています。

正規労働者と経営者は企業の存続を重視する


しかし、その企業の行く末に生活の多くが依存している正規労働者や、経営者にとっては設備投資、企業の競争力強化は大事です。

競争に負けて赤字経営を続ければ、企業が存続できなくなりうる。経営者は返済不能になった企業の債務の保証人になっているかもしれない。

その企業が倒産したら、正規労働者は当面の給与を失うだけでなく、それまでその企業で働くことにより得てきた技能、技術も無駄になりうる。

上司との人間関係も、その企業で生き抜いていくためには貴重な「資産」と言えるでしょうが、それも無駄になる。

正規労働者と経営者は、その企業への関与の度合いが強く、長い視野で企業経営を考える必要があるという点で一致しています。

長期保有予定の株主も同様です。

企業の存続を第一に考える正規労働者、経営者と当面の存続、当面の現金支払い増加を重視する非正規労働者、短期保有予定株主の間には、深い利害関係の対立がある。

これにどう折り合いをつけていくかが、現代の企業経営者と役員、人事担当者に問われているのでしょう。

左翼の労働運動が往年の勢いを失った原因の一つは、企業経営に対する視野の違いを直視して労働者の権利擁護を訴える姿勢がないからではと考えます。