スターリンはレーニンの教えを忠実に実行した―レーニンは大土地所有者が「反革命の首領」「全農村住民の無慈悲な圧制者」であるとレッテルを貼り、彼らの追放と拘禁を主張した
不破哲三氏と日本共産党は、ソ連はレーニンの時期には社会主義を目指す積極的な努力がなされたが、スターリン以後、ソ連は社会主義の道を外れたと主張します。
ソ連は社会主義と無縁の人間抑圧型社会だったと日本共産党綱領は述べています。
しかし、レーニン全集掲載を一つ一つ読んでいけば、スターリンはレーニンの教えに忠実な愛弟子だったことがわかります。
スターリンは農村改造と称して「富農の一掃」を実践しました。新経済政策(ネップ)で豊かになった農民に「富農」のレッテルを貼り、収容所やへき地に追放しました。
この結果、大量の犠牲者が出ました。これは、レーニンの教えに依拠していました。本ブログでは何度も、レーニン全集からこれを指摘してきました。
レーニンの「農業問題についてのテーゼ原案」(全集第31巻、p152)に次の記述があります。
「プロレタリア的変革の直後には、大土地所有者の所有地をただちに没収するだけでなく、彼らを反革命の首領として、また全農村住民の無慈悲な圧制者として、ひとりのこらず追放するか、拘禁することが無条件に必要であるが...」
レーニンは「大土地所有者」が、「反革命の首領」「全農村住民の無慈悲な圧制者」であると断言しています。
「大土地所有者」が皆、凶悪人物であり数々の悪行を連日行っているのなら処分を受けて当然でしょう。
しかしレーニンは大土地所有者の行状に関係なく、全員の所有地を没収し「追放」「拘禁」することが無条件に必要と断じています。
「レーニン全集」31巻によれば、「農業問題についてのテーゼ原案」は1920年6月はじめに執筆され、7月に発表されました。
およそ10年後、スターリンはレーニンの教えを忠実に実行したのです。
レーニンは小農が投機と所有者的習慣で堕落していると明言した
レーニンは「商業の自由」「私的所有権の行使の自由」を社会主義の敵対物と把握していました。
レーニンによれば、小農(自分の家族の必要を満たす程度の地所を、所有権か小作権にもとづいてもち、他人の労働力を雇わない人々)には、無制限な商業の自由、私的所有権行使の自由を求める動揺が起こりえます。
小農は消費資料の販売者であり、投機と所有者的習慣で堕落しているとレーニンは明言しています。
そこでレーニンは、勝利したプロレタリアートは大土地所有者や大農に断固とした制裁を加え、小農の動揺を抑えるべきと論じています。
「断固とした制裁」という恐怖に依拠した住民統治こそ、レーニンの政治手法でした。
この強権的な統治手法に対する反発は、内戦激化の一因でした。
自分が生産した穀物を販売することを「投機」などと禁止されたら、たいていの農民は反発するでしょう。
新経済政策(ネップ)の結果豊かになった農民を「投機と所有者的習慣で堕落している」とスターリンやソ連共産党員が認識したのは、レーニンの教えに依拠していたのです。
不破哲三氏、日本共産党のソ連史観は「全体主義」論―最高指導者に全国民が盲従―
冒頭で要約した不破哲三氏のソ連史観は、最高指導者が変わって全員に「右向け右」という指令を出せばあっという間に全員が右を向いてしまうというような、極めて単純なものです。
レーニンが死んだあと、スターリンがレーニンと180度異なる指令を出しても、ソ連共産党員と国民がそれを直ちに受けいれて実行してしまうなど、ありえるでしょうか?
人と組織は単純には動かない。新指導者が新しいことをやろうとすれば、様々な軋轢が生じます。
不破氏のようなソ連史把握では、レーニンの死後に直ちに全体主義の体制が確立されていたことになる。
ロシア人はそんなに単純な民族でしょうか?ロシアには少数民族もいます。従来と根本的に異なる方針に誰も反対しないなどありえない。
警察機構をスターリンが直ちに完全掌握できたはずがありません。
絶大な政治的権威を持っていたレーニンの教えと大差ないことを新指導者スターリンがソ連共産党員に命じたのなら、抵抗感はさほどない。
トロツキーらの追放、ブハーリンらの降格等、競争相手を徐々に失脚させてスターリンは権威と権力を確立させていったのです。
聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員で、ソ連問題の専門家)はレーニンの「大土地所有者=反革命の首領=無慈悲な圧制者」論をどう考えているのでしょうか。
機会があれば、お尋ねしたいものです。