2017年6月11日日曜日

レーニン「帝国主義」(宇高基輔訳、岩波文庫)第九章「帝国主義の批判」より思う

「帝国主義は金融資本と独占との時代であるが、この金融資本と独占は、自由への熱望ではなく、支配への熱望をいたるところにもちこんでいる。あらゆる政治制度のもとでのあらゆる反動、この領域における諸矛盾の極端な尖鋭化、これがこれらの傾向の結果である」(同書p196より抜粋)。


レーニンの「帝国主義」は、マルクス「資本論」とならび世界中の左翼に聖典のごとく扱われている著作です。

レーニンによれば、金融資本はあらゆる経済的関係とあらゆる国際的関係とにおいて、巨大な、決定的ともいえるほどの勢力ですから諸国家を隷属させることができます(同書p135)。

レーニンによれば、「あらゆる方面にわたる反動と民族的抑圧の強化とは帝国主義の政治的特質」(同書p179)ですから、軍国主義や民族差別は帝国主義より生じます。

従ってレーニンの「帝国主義論」に依拠すれば、金融資本(独占企業と銀行の結合)がない発展途上国や社会主義国では、軍国主義や民族差別が生じる経済的基盤はない。

旧ソ連や中国、北朝鮮には軍国主義や侵略戦争、民族差別が生じる経済的基盤はないことになります。

今のロシアならそれらが生じる経済的基盤はある、という話になるはずですけれど。中国も同様です。

北朝鮮でも、39号室という金正日の直轄部門の企業は「多国籍企業」として世界各地で「外貨稼ぎ」をやり、核軍拡資金を稼いでいます。

銀行・大企業経営者がどういう経路で政策決定に参画できたとレーニンはいうのか


そもそも、レーニンは一体どんな実証的根拠から、当時の銀行や大企業、「金融資本」が戦争を起こす根源と考えたのかが不明です。

例えば、レーニンが活躍していた時期の日本は明治・大正期ですが、銀行や大企業の経営者が日清・日露戦争や一次大戦参戦を決定したなどありえない。

当時の日本の政治の特徴は薩長の藩閥政治です。山県有朋ら元老が影響力を保持していました。しかし、伊藤博文、山県有朋が銀行経営者に指令されていたことなどありえない。

当時のロシアでも、銀行や企業経営者がツァーリ(皇帝)に代わって日露戦争や一次大戦を主導した、などという話はない。レーニンの著作にもそんな話は出ていません。

当時の帝国主義国とは、例えば英仏独米露でしょうが、欧州でも銀行や大企業の経営者が直接、参戦を主導したとは考えられない。

「金融資本」が諸国家を隷属させることができる、とレーニンは主張していますが、英仏蘭の東インド会社が活躍した時代ならありえたかもしれません。

しかし東インド会社は、「金融資本」ではない。

天然資源を得るために、欧州各国が植民地争奪戦を繰り広げた時代でも、「金融資本」が欧州各国の社会経済を支配して参戦を決定したわけではない。

カウツキーの「超帝国主義論」-国際的に統合された金融資本による世界の共同搾取-


レーニンは、ドイツの社会民主主義者カール・カウツキーの「超帝国主義論」を厳しく批判しています。

カウツキーは、金融資本、帝国主義間で同盟関係が形成されれば、戦争は不可避ではない
と考えました。

これに対しレーニンは、資本主義の国家間では産業や代表的企業が均等に成長することはありえないから、金融資本間で同盟関係が形成されそれが持続することなどありえないと論じました。

産業や代表的企業が均等に成長することはない、というレーニンの指摘は適切です。しかし、代表的企業や産業が不均等に成長しても国家間では同盟関係は形成されうる。

この可能性を指摘したカウツキーは、欧州諸国の実際の政治情勢に通暁していたのでしょう。

軍事技術の発展により、戦争が勃発すれば代表的企業、銀行も大損をしてしまいます。トヨタやGM、メガバンクが戦争を望んでいるなどありえない。

カウツキーは、レーニンより資本主義の行く末を正しく予見していたのです。

カウツキーは併合を、金融資本が好んで用いる政策だと説明した(同書p151)


レーニンによれば、この主張がカウツキーの帝国主義論の大きな問題点です。

そうであるなら、経済における独占が政治における非独占的・非暴力的・非侵略的行動様式と両立できることになる、とレーニンはカウツキーを批判します。

マルクス主義経済学者と左翼人士の「戦争論」はレーニンのこの主張に強く依拠しています。

日本や韓国には世界的な大企業、「金融資本」がありますから、日本や韓国は侵略国家で北朝鮮や中国は侵略される途上国だという、浮世離れした結論になってしまいます。

マルクス主義経済学者にとって発展途上国であるはずの中国や北朝鮮が、国家独占資本主義の日本や韓国を侵略するなどありえず、想像すらできない。

安倍内閣による集団的自衛権行使の法制化、共謀罪制定は金融資本による侵略政策だと左翼は本気で信じています。

ところで、近年の日本共産党は「独占資本主義=帝国主義」という見方をとらないと明言しています。

独占資本主義の国でも、帝国主義的でない政策や態度、非帝国主義的な政策や態度をとることはありえると、不破哲三氏は断じています(「赤旗」平成15年6月28日記事より)。

不破氏がレーニンの上記の議論を知らないはずがない。

レーニンを信奉するマルクス主義経済学者なら、不破氏をカウツキー主義者、日和見主義者と批判しそうです。

スウィージー、バランの「独占資本」-「金融資本が経済社会の支配者である」を否定


ところで、全てのマルクス主義経済学者がレーニンの「帝国主義論」を聖典と崇めたわけではありません。

米国のマルクス主義経済学者Paul SweezyとPaul Baranの「独占資本」(昭和42年岩波書店、原題はMonopoly Capital)には、銀行が「金融資本」となり経済社会の支配者になったという、レーニン流の認識はない。

「独占資本」の第四章は、利潤が資本家の消費と投資に吸収されると論じています。レーニンにはない視点です。

「金融資本」が莫大な利益を上げているのなら、それは次期に何かに支出され、総需要の一部を構成するはずです。総需要が増えれば、生産と雇用も増え、労働者の生活を支えうる。

この本については、またの機会に考えてみたいと思っています。米国の資本主義経済分析の書としても、面白そうです。







0 件のコメント:

コメントを投稿