2017年6月20日火曜日

レーニン「帝国主義」(宇高基輔訳、岩波文庫)が描く銀行の役割-全能の独裁者―

「もっとも進んだ資本主義国はどの国でも、三つか五つぐらいの最大銀行が、産業資本と銀行資本との『人的結合』を実現し、全国の資本と貨幣収入の大部分をなす幾十億の金の支配権をその手にした。


現代ブルジョア社会の、例外なしにすべての経済機関と政治機関のうえに、従属関係の濃密な網をはりめぐらしている金融寡頭制―これこそが、この独占のもっともあざやかな現れである」(同書第十章、p200より)。


レーニンは、進んだ資本主義国ではどこでも、銀行が全ての経済機関と政治機関に支配の網の目をはりめぐらし、社会と経済を支配していると考えました。

金融寡頭制Financial Oligarchyとはそういう意味です。しかし、「もっとも進んだ資本主義国」、すなわち英米仏独日の銀行をこのように把握できるでしょうか。

現代は勿論、百年ほど前でも「金融寡頭制」、銀行による住民支配網が存在していたとは考えられない。銀行は警察機構を保持していません。

レーニンの「帝国主義」は銀行を悪の権化のように描いており、現実と遊離しています。

銀行は社会経済全体を支配しているのか―朝鮮労働党は北朝鮮を支配


北朝鮮では朝鮮労働党が、職場の党組織、住民組織の「人民班」、教育機関でも青年組織と党組織それぞれで国民を支配しています。

その支配方式の掟ともいうべき文書が、「党の唯一思想体系確立の十大原則」です。

進んだ資本主義国では銀行が社会経済全体を支配しているというなら、銀行の数は3つか5つではなく一つのはずです。

「複数政党制」では独裁制にならない。銀行間で熾烈な競争がなされます。

銀行経営者、頭取が独裁者ならば、支配の掟とも言うべき文書、指令書を行員に周知徹底しないと銀行員は住民を支配できない。

銀行が社会経済を支配しているのなら、銀行の頭取や取締役を批判した住民は何らかの法制度により厳しい処罰を受けるはずですが、そんな法律がどこの資本主義国にあったでしょうか。

銀行は「全能の独裁者」―独占企業は生産手段を自由に処分できるのか


銀行は「全能の独裁者」でしょうか?

「帝国主義」の第二章「銀行とその新しい役割」でレーニンは、銀行業務が発展し少数の銀行へ業務が集積したことにより、仲介者という控えめな役割から次になったと論じました。

「資本家と小経営主との総体の貨幣資本の殆どすべと、その国やいくたの国々の生産手段および原料資源の大部分とを自由にする、全能の独裁者となる」

銀行は資本家と小経営者のほとんどすべての資金を集め、その国や他国の生産手段及び原料資源の大部分を自由に処分できるようになった、という意味です。

独占企業、即ちその市場で財の供給を独占している企業は、自由に財を処分できるでしょうか?その財が必需品でなければ、消費者は魅力のない財を購入しません。

生産に必需の財、例えば原材料なら、その財を必要とする買い手はさしあたり独占企業からその財を「言い値」で購入するしかない。

しかし、買い手企業はその財を代替できる技術革新に努めるでしょう。他の企業がその市場に参入するかもしれない。

「銀行は全能の独裁者になった」というレーニンの規定は、誇張も甚だしい。

では、レーニンは、銀行が資金の借り手である企業を支配していると考えた理由は何でしょうか。

レーニン「銀行にたいして産業資本家がますます完全に従属するようになる」(第二章)


銀行は顧客である貸出先企業を従属させているでしょうか?

銀行が巨大な資金を手にし、ある企業にたいする当座勘定の開設によりその企業の経済状態を詳細かつ完全に知ることができれば、そうできるとレーニンは述べています。

銀行は株式の所有や、企業の取締役会、監査役会へ重役を派遣し、借り手の企業との人的結合を発展させているとレーニンは論じています。

しかし銀行が資金を貸し付けている企業の経営に参画しているという程度なら、銀行がその企業を支配していることにはならない。

派遣された銀行の役員は、派遣先企業の経営者や労働者が自分の指示に従わなかったとしても、報復手段として処刑や政治犯収容所に送ることはできない。

貸出をやめるという程度です。企業は別の借入先が見つかれば、これまでの銀行との関係を清算するかもしれない。

鉄道は賃金奴隷にたいする抑圧の道具


鉄道は賃金奴隷、すなわち労働者抑圧の道具でしょうか?

またレーニンは、「帝国主義」の仏語版および独語版への序文で、世界的な規模での鉄道の建設は、従属諸国の「文明」諸国の賃金奴隷にたいする抑圧の道具であると論じています。

鉄道や道路がなければ、物資の運搬が困難です。鉄道が労働者の「抑圧の道具」なら、航空機や船舶、トラックもそうでしょう。

空港や港湾も労働者の「抑圧の道具」と言えそうです。インターネットにより商品を注文できますが、インターネットは「抑圧の道具」にならないのでしょうか。

金融資本は世界を分割支配しているのか


銀行と貸し出し先企業は、世界を分割支配しているでしょうか?

「帝国主義」の「五 資本家団体のあいだでの世界の分割」によれば、資本家は世界を資本と力に応じて分割します。

商品生産と資本主義のもとでは、他の分割方法はありえない。その力は経済的および政治的発展につれて変化するとレーニンは述べています。

この規定に依拠すると、「金融資本」がない北朝鮮が「世界の分割」、日本や韓国に侵略、攻撃をすることなどありえないことになります。

旧ソ連にも「金融資本」はないので、ソ連には対外侵略をする経済的基盤はないという、マルクス主義経済学のドグマが導かれます。

「金融資本」は、個別の資本主義国すら「支配」などしていませんから、世界を「金融資本」が分割支配したことはありません。

帝国主義列強の植民地支配を「金融資本の分割支配」とみるべきではない。銀行は日韓併合を主導していません。

銀行が得ていた巨額の利潤とその支出先は


それでは、当時の銀行が得ていたらしい巨額の利潤はなぜ生じたのでしょうか。

銀行経営者はその利潤をどのように支出したのでしょうか。

巨額の利潤が、経営者の配当所得となり財やサービスの購入に充てられるなら、それらを生産する労働者が必要ですから、巨額の利潤により雇用が増えると考えられる。

巨額の利潤が、支店の拡張や銀行業務遂行のための機器整備に宛てられるなら、それらを生産する労働者が必要ですから、巨額の利潤により雇用が増えると考えられる。

所得分配上の不平等という問題はありますが、銀行が巨額の利潤を獲得することそれ自体は悪行ではない。

しかし、銀行が長年、巨額の利潤を上げ続けられるほど資本主義経済は甘くない。帝国主義国の植民地経営はそう簡単ではない。

不況になれば銀行の収益が低下します。

銀行が利潤を多額計上している貸出先も、かなりの利潤をあげているのでしょうから、他の金融機関が貸出あるいは株式発行による資金調達をその企業に提起するかもしれない。

企業が銀行以外でも資金調達を簡単にできるなら、企業の銀行離れが進みます。

また、帝国主義列強間の植民地争奪戦や戦争の原因をどう考えるべきでしょうか。

この点について、またの機会に論じたいと思っています。






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