私は本ブログやtwitterで繰り返し強調していますが、昔の日本共産党はソ連信者の団体でした。
これがばれると厄介ですから、志位さんは日本共産党をソ連と一貫して対決してきた集団のように描き、歴史を修正したいと考えられます。
しかし、歴史の修正は困難です。大きな図書館などで日本共産党の昔の文献を入手し、読めばすぐに歴史の真実がわかってしまいます
「日本共産党の百年」(p19、下から二段目)によれば日本共産党は、党の組織的統一を全面的に回復した第七回大会(1958年)で、自主独立という確固とした路線を決定しました。
同書(p23、一番下の段)によれば、日本共産党は第七回大会から第八回大会へ、二つの大会をつうじて、党綱領を定め、自主独立の立場を確立しました。
自主独立、とは綱領を自分たちの力で作成した、という意味なのでしょう。
第七回、第八回大会の頃の日本共産党もソ連礼賛を続けていた
しかし、宮本顕治さんをはじめとしてこの時期の日本共産党員はソ連信者でしたから、ソ連礼賛は続けていました。
この時期の日本共産党は自主独立の立場で、ソ連から強制されずに、ソ連礼賛を続けたのです。
「日本共産党の百年」には、宮本顕治さん(当時は書記長)が雑誌「前衛」に掲載した論考について何も述べていません。以下です。
ソ連は共産主義建設の偉大な不滅の砦です。宮本顕治さんは「砦」という語がお好きだったようで、第八回大会ではソ連を世界平和の強力な砦と礼賛する報告を行っています。
ソ連は共産主義建設の偉大な不滅の砦、世界平和の強力な砦である。これは、ソ連信者でなければできない表現です。
若き不破哲三さんは宮本顕治さんが「前衛」に掲載した論文を一生懸命読み、感銘したのではないでしょうか。
この時期の日本共産党は、自主独立の見地からソ連を礼賛したのです。
第八回大会(昭和36年7月)からおよそ三十年後、宮本顕治さんはソ連共産党解体を歓迎しました。
日本共産党員には、元の上司が落ち目になったら手のひらを返す、というような生き方を選択する人が多いのでしょうか。
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