山添拓議員、吉良よし子議員ら若い日本共産党員は御存知ないでしょうが、日本共産党は朝鮮労働党と二回、共同声明を発表しています。
第一回目は昭和34年2月、第ニ回は昭和41年3月です。日本共産党の代表は宮本顕治さん、朝鮮労働党は金日成です。
なぜか「日本共産党の百年」では、第一回目の会談と共同声明については記されていません。
二回目については、「日本共産党の百年」p28の初めの段落で紹介されていますが、内容については説明がありません。
当時、朝鮮労働党は日本共産党に対するソ連の覇権主義的干渉に反対する立場を表明した数少ない党でした、という記述がありますが、それだけです。
「日本共産党の八十年」(平成15年刊行)も昭和34年2月の朝鮮労働党との共同声明を内緒にしている
日本共産党の八十年」(p142)では、ソ連共産党第21回臨時大会に出席した帰路、日本共産党代表団が北朝鮮と中国を訪れて、朝鮮労働党、中国共産党と会談をしたことが記されています。
中国共産党との共同声明については記されていますが、朝鮮労働党との共同声明については記されていません。
朝鮮労働党との二回目の会談での共同声明について「日本共産党の八十年」(p189)は、ベトナム人民支援の国際統一戦線結成と拡大を重要任務とした、と記しています。
「日本共産党の七十年」には昭和34年2月の共同声明の記述があるが、内容の説明はない
「日本共産党の七十年 上」(pp. 273-274)は、宮本顕治さんら日本共産党代表団がソ連共産党第21回臨時大会に出席した帰路、北朝鮮と中国を訪れ、朝鮮労働党、中国共産党と共同声明を発表した事を記しています。
朝鮮労働党との会談及び共同声明の内容についての説明はありません。
「日本共産党の七十年 上」(p354)は、ベトナム労働党、朝鮮労働党それぞれと反帝国際統一戦線の結成と拡大を重要な緊急任務として強調した共同声明を発表したと記しています。
不破さん、志位さんはなぜか、昭和34年2月の朝鮮労働党との会談と共同声明を内緒にしたいのでしょうね。
昔の日本共産党は金日成と朝鮮労働党を礼賛しました。この共同声明は在日朝鮮人の帰国に際し、子女の教育の保障があるなどと明言しています。
昭和30年まで、在日の共産主義者は日本共産党員でした。この時期の日本共産党による朝鮮労働党礼賛は、在日朝鮮人の中で相当な影響力があったのです。
察するに不破さん、志位さんはこの辺りを内緒にしたいのでしょうね。
昭和41年3月の共同声明についても、不破さん、志位さんはあまり知られたくないのでしょう。
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