2016年12月26日月曜日

木下公勝「北の喜怒哀楽 45年間を北朝鮮で暮らして」(平成28年高木書店刊行)を読みました。

「『帰国者狩り』は、1960年代後半から1970年代初期に始まったと記憶している。金正日が党中央の要職に就き、党の唯一思想体系と指導体系の樹立を唱えはじめた時期だ。

総連幹部だった異国者も、スパイや異端者、国家反逆者という濡れ衣を着せられ、党や行政の要職から外された。北朝鮮の津々浦々から、『帰国者の〇〇が密かに保衛部に連行されていった』

『〇〇の夫が急に行方不明になった」という話が頻繁に届いた。『夫がいなくなった』といっていた女性とその家族が、一か月後にどこかへ連れ去られたという話もあった」(同書p89-90より)。


帰国者とは、昭和34年から実施された帰国事業により北朝鮮へ帰国した元在日朝鮮人のことです。約93000人の帰国者のうち、約6000人が日本国籍保持者でした。

「地上の楽園」に帰国できたはずの元在日朝鮮人が、その後次から次へと行方不明になっていきました。

北朝鮮当局による「帰国者狩り」です。

帰国者の中には、木下氏が語るように何かの「罪」を着せられ、山間へき地や政治犯収容所に連行され、日本の親族との連絡が途絶えてしまった方がいるのです。

北朝鮮では政治犯や重罪を犯した人に対して、日本人の基準で「裁判」といえるような制度はありません。

「政治犯」とその家族は鳥も鼠も知らないうちにいなくなる


国家安全保衛部の特別裁判を受けさせられた「反党反革命宗派分子」張成澤のようなケースは例外です。「特別裁判」とは何か、よくわかっていません。

南朝鮮労働党の大物、朴憲永にも同様の「裁判」はあったようです。大物に対しては、何らかの「裁判」をするようです。

警察側の主張のみを聴いて裁判長が「判決」を下してもそれを「裁判」と把握するべきではありません。形式だけの「弁護人」がいても、警察側に十分な反論ができるかどうか不明です。

「スパイ」を山間へき地に連行する国家安全保衛部らは、家族に「革命化のために学習に行った」と告げるだけで、他の情報は与えません。

国家安全保衛部が「政治犯」を家族もろとも収容所に連行するとき、深夜から早朝に来ることが多いそうです。「スパイ罪」に家族が連帯責任を取らされる場合もあるのです。

「鳥も鼠も知らないうちにいなくなる」という隠語を、私は脱北者から伺っています。

日本に残った在日朝鮮人は帰国者の行方不明を「山へ行った」と表現しています。在日本朝鮮人総連合会の活動を熱心にやっている方なら、これらの隠語を御存知のはずです。

北朝鮮の現状を考えるとき、当局が住民に対し「政治犯」「スパイ」というレッテルを貼り山間へき地や政治犯収容所に連行できるという事実を看過すべきではありません。

先日の産経新聞記事によれば、「金正日の料理人」として知られている藤本健二氏が「平壌でラーメン屋をやる」と行って出かけて行ったあと、連絡がとれなくなっています。

この類の事件が、北朝鮮では頻発しています。

著者の木下氏は、昭和35年夏に父母と兄弟三人で帰国し、北朝鮮北部のハムギョン道の炭鉱都市に配置されました。

木下氏は平成16年(2004年)頃脱北し、10年近く前に日本に入国したようです。

この本は十代半ばで北朝鮮に帰国した木下氏の北朝鮮での暮らしを、ありのままに記しています。

木下氏は帰国後一年にも満たない時期に公開処刑を見ました。以下はこの本のp40-41に依拠しています。

「人民公開裁判 殺人犯罪者、金元国を人民の名で公開処刑にすることを公示する 年齢32歳」と書かれた白い紙が駅前広場の掲示板に張り出されていた(同書p39)


執行日は木下氏が掲示板をみた三日後で、執行場所は川原でした。木下氏が当日の午前十時くらいにそこに行ってみると、500人ほどの住民が川原の中央に集まっていました。

死刑囚の両親、兄弟、親類は群衆の最前列に座らされていました。裁判官が死刑囚に向かって名前、職業、住所などを聞きました。

死刑囚がマイクを通して答えた後、検事が死刑囚の罪状を読みあげました。次に演壇にいる陪審員、判事、弁護士が罪人に向かって犯罪の動機や経緯を質問しました。

北朝鮮では、「判決」後すぐ現場で死刑が執行される


最後に裁判官が、「殺人犯金元国を人民の名において死刑に処する。刑は即時現場で執行する」と判決を言い渡しました。

直ちに安全員(北朝鮮の警察)が罪人を演壇の横に無理やり引きずっていきました。演壇の横には四角い白い布がカーテンのように垂れ下がっていました。

罪人はその中に引きずり込まれました。三分ほど経つと布が下ろされました。そこに丸い柱にロープで縛りつけられた死刑囚が立っていました。

安全部の上官が兵士三人に「死刑囚に向かって進め!」と号令を発しました。兵士三人は肩に自動小銃をかけ、足並みをそろえながら死刑囚の前に立ちました。

「気を付け!射撃準備!われわれ人民の敵、金元国に向けて射撃!」

上官が命令した瞬間、僅か5.6メートル先に立っていた死刑囚に一斉射撃が浴びせられました。死刑囚の胸部のロープは銃弾で吹き飛ばされました。

続いて頭部めがけて銃弾が三発連射されました。髪の毛が飛び散り、原形をとどめない頭部から豆腐のような白い脳みその塊が死刑囚の足元に落ちました。

続いて腰の部分にも銃弾が浴びせられました。

人間が目の前で銃殺される光景を見て、木下氏が背筋が凍るほど恐ろしい思いをしたと語っています。

死刑囚金元国は、「出身成分」のため結婚に反対され、相手の父親を殺した人物だったそうです。

公開処刑される人々の罪状や動機は年代によって異なっていた(同書p42)


木下氏によれば、大別すると60年代から70年代に公開処刑される人々は主に政治・思想犯でした。過去の親日・親米・親韓行為が問題視されました。

「出身成分」とは、「解放」前に自分や親、祖父母がどういう地位、職業についていたかによって全住民を区別する制度のことです。

「核心」「動揺」「敵対」の三階層が基本です。北朝鮮では「出身成分」により、居住地と居住条件、配給、進学、就職など生活のすべてが区別されています。

「出身成分」が悪ければ、生涯にわたって低水準の生活に甘んじなければならない可能性が高い。多額の賄賂を用意できればその限りではありませんが。

元在日朝鮮人の多くは、「動揺階層」に区分されたようです。

勿論金正日に認められれば、最高の消費生活を享受できます。金正恩の母、高英姫は元在日朝鮮人です。それでも、金正日は高英姫の存在を金日成に報告できなかったらしい。

元在日朝鮮人は、日本人と同様とみなされてしまうことが多いのです。

娘が、「出身成分」の悪い男性と結婚することに反対した父親の気持ちは「理解」できなくもありません。

木下氏によれば、1980年代以降は「生きるため」「食べるため」に罪を犯した人間が「成分」に関係なく公開処刑されました。

窃盗・密輸・人身売買犯などです。一度の公開処刑で殺される人の数が増えました。

北朝鮮では「判決」前に罪人の処刑が決定されている


この本によれば、木下氏は「公開処刑に処する」という白い紙の掲示を見て川原に行きました。河原での「裁判」より前に、罪人金元国の処刑はどこかで決定されていたのです。

どこでいつ、誰により罪人の処刑が決定されていたのかはわかりません。想像するしかないのです。

この場合は、社会安全部(北朝鮮の警察)が処刑を決定したのではないでしょうか。検察より、社会安全部が権限を持っている可能性があります。

処刑が決定され、準備まで完了している「裁判」で、「弁護人」が検察に反論したり、処刑に反対できるでしょうか。

そんなことをしたら、弁護人もその場で処刑されかねない。

北朝鮮に「裁判」という名前の制度があっても、日本人の基準でいう「裁判」が存在しているわけではないのです。

木下氏によれば、金正日が社会安全部と国家保衛部幹部の前で次の指示を出しました。

「法に反する行為をした者は、社会的職位、出身成分、過去の業績、功労を問わず、例外なく法に従って厳重に処罰せよ」

この指示により、「出身成分」の如何に関係なく処罰がなされるようになったと木下氏は語っています。

木下氏が金正日のこの指示をなぜ知りえたかはわかりませんが、北朝鮮社会で金正日の「お言葉」は法そのものです。「法」より上の規程ともいえる。

在日本朝鮮人総連合会は虚偽宣伝を謝罪し、脱北者の日本への定住支援をするべきだ


木下氏の御両親に、北朝鮮への帰国を勧めたのは在日本朝鮮人総連合会の皆さんです。

木下氏によれば、二人の幹部が北朝鮮の発展ぶりと「お宅のように親は高齢でも、金日成首相様が領導する北朝鮮では、子どもは学校に通えて幸せな生活ができます」と両親に語りました。

木下氏のお父さんは、「医療費無料」と「学費無料」という言葉に魅力を感じたそうです(同書p15)。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、脱北者に虚偽宣伝を謝罪し、日本への定住支援をするべきです。

現実には、在日本朝鮮人総連合会がそんなことをやる可能性は極めて低い。

金日成民族の一員として、全社会の金日成・金正日主義化のために日々尽力されている方々ですから。

畑田重夫氏は北朝鮮の人権抑圧について見解を表明するべきだ


北朝鮮への帰国事業が盛んに行われていた昭和34,35年頃、日本の政党の中で北朝鮮を最も礼賛したのは日本共産党です。宮本顕治氏がその中心でした。

宮本顕治氏や不破哲三氏は、北朝鮮がテロを国策として行うテロ国家であることがわかってからも、帰国船の再開を主張しました。

一人でも多くの在日朝鮮人に「地獄への片道切符」を握らせようと尽力したのは、在日本朝鮮人総連合会と日本共産党だったのです。

畑田重夫氏は、北朝鮮への帰国運動を全力で推進した方です。畑田氏は全国紙を徹底的に読んでいるそうです。

北朝鮮の人権抑圧については、産経新聞だけでなく朝日新聞や毎日新聞、読売新聞にも何度も報道されていますから、畑田氏は御存知のはずです。

畑田重夫氏には、日本共産党の虚偽宣伝を信じて北朝鮮に渡った元在日朝鮮人のその後について、見解を表明していただきたいものです。

残念ですが、畑田重夫氏や不破哲三氏が北朝鮮の人権抑圧、元在日朝鮮人のその後について見解を表明する可能性は極めて低い。

共産主義者は、都合の悪い史実を隠ぺいします。

不破哲三氏、志位和夫氏はレーニンによる富農、聖職者弾圧指令について沈黙しています。

真の共産主義者とは、共産主義国による残虐行為を隠ぺいすることに生きがいを感じる人々なのです。


























2016年12月18日日曜日

レーニンの富農弾圧指令より思う(レーニン全集第44巻掲載の指令、大月書店刊行)-1918年(大正7年)にロシアで「富農」だった人々は死に値するのか

「1918年8月9日 同志フョードロフ!ニジニでは明らかに白衛軍の反乱が準備中だ。

全力をあげて、独裁官の三人委員会(君、マルキンその他)をつくり、即刻大衆的テロルをくわえ、兵士を泥酔させる何百という売春婦や、旧将校などを銃殺するか、町から追い出すべきである。

一刻も猶予してはならない」(レーニン全集第44巻、p124の「ゲ・エフ・フョードロフへ」より抜粋)


共産主義思想では売春婦や、旧将校という方々は銃殺されてしかるべき存在なのでしょうか。

売春婦とは、性産業で働く労働者です。兵士に酒を飲ませて春を売る店があったのでしょう。

性産業で仕事をしていることを理由に銃殺ないしは追放ではあまりにひどい。この指令は、レーニンの残虐性を示しています。

レーニンがフョードロフという共産党員に、どういう意図から売春婦と旧将校殺人指令を出したのか不明です。

指令を受け取ったフョードロフは実際に売春婦と旧将校殺人を断行するか、町から追放したのでしょうか。

この指令が当時のロシアで実際に実行されていたのなら、ボリシェヴィキのロシアは世界最悪の人権抑圧国家です。

1918年(大正7年)の日本にも性産業はありましたが、労働者の銃殺などありえない。

この指令の少し後のほうには次の記述もあります。

武器保有の罪は銃殺にすること。メンシェヴィキやいかがわしい奴はどしどし追放すること


「全力をあげて行動しおおがかりな家宅捜索をすること。武器保有の罪は銃殺にすること。メンシェヴィキやいかがわしい奴はどしどし追放すること。」

「家宅捜索」とは、「富農」の方々の家をくまなく捜索し、余剰穀物を取り上げろということでしょう。

武器を保有していたらその場で銃殺せよという指令がそのまま実行されていたのなら、ボリシェヴィキに親兄弟を銃殺された人は「反革命」「白衛軍」に参加するようになって当然です。

レーニン全集第44巻を読むと、1918年8月頃からのロシアでボリシェヴィキに「富農」とレッテルを貼られた農民は地獄に落とされたたとしか思えません。

金持ちを人質にとって彼らに余剰穀物の収集と収納の責任をとらせろ


「ア・デ・ツュルーパへ」と題した次の指令も注目すべきです(レーニン全集第44巻、p126-127)。

「(1)サラトフに穀物があるというのにわれわれがそれを運び出せないのは、はなはだしい醜態、とんでもない醜態だ。各接続駅に食糧活動家を一、二名ずつ派遣すべきではないだろうか?

それ以外何をすればいいだろうか?

(2)布告の原案―穀物の豊富な各郷で金持ちの人質を二五名ないし三〇名とり、彼らに全余剰穀物の収集と収納の責任を生命をかけてとらせること。」

この指令は1918年8月10日に執筆されています。

穀物の豊富なこの地域で金持ちだった方々は、余剰穀物の収集、収納にぬかりがあったら銃殺されてしまったのでしょうか。

「金持ち」であることは「搾取者」であるから、その存在自体が「罪」であり死に値する。これがレーニンの「思想」「理論」なのです。

「富農」の暴動を利用してさらに「穀物投機者」「大金持ち」をさらに弾圧


「ア・イェ・ミンキンへの電報」と題した指令は「富農」が暴動を起こしたことを示唆しています。

次です(レーニン全集第44巻、p130掲載)。

「ペンザ県執行委員会、ミンキンへ。富農の暴動の弾圧を知らせた君の電報を受け取った。

鉄は熱いうちに鍛えなければならないから、富農の弾圧を利用して、穀物の投機者どもを各所で弾圧し、大金持ちから穀物を没収し、貧農を大衆動員して彼らに穀物を分与する必要がある。

実行状況を打電すること。戦線地帯の貧農の権力を最終的に強化する必要がある。」

「穀物の投機者」とは、農民から穀物を仕入れ、都市の闇市で売る「担ぎ屋」のような人々を指すと考えられます。

「担ぎ屋」は国家による穀物専売制を破壊しますから、ボリシェヴィキは弾圧せねばなりません。

都市に穀物を運ぶ人を「弾圧」してしまえば、都市の飢餓がより深刻になってしまいます。

穀物を問答無用で徴発された「富農」は暴動を起こしてボリシェヴィキに必死の抵抗を試みたのでしょうが、簡単に弾圧されてしまったようです。

富農を容赦なく弾圧し、暴徒の穀物を全部没収することが全共産党員の任務


「ア・イェ・ミンキンへの電報」はもう一つあります(「全集」第44巻、p136-137)。

「もし、この命令が実行されなければ、私は責任者を法廷に引き渡す。ラトヴィア中隊は、チェンバルの制圧まで当分ペンザに止めておいてもらいたい。

富農を容赦なく弾圧し、暴徒の穀物を全部没収することが、執行委員全員と全共産党員の責務であることを、彼らに伝えてもらいたい。

私はあなたの無為無策と弱腰に憤慨している。私のすべての命令の実行状況、とくに弾圧と没収の措置について詳しい報告を要求する。」

ミンキンという人物が、レーニンのこの類の指令執行に弱腰で無為無策だったのなら、良心のかけらが残っていたのでしょう。

容赦なく弾圧、ですからその場で銃殺された「富農」はいくらでもいたのでしょう。財産を没収され追放された「富農」はその後どこへ行ったのでしょうか。

1918年8月頃のロシアで、鉄道がどの程度開通していたのでしょうか。栄養失調から病死した「富農」とその家族がいくらでもいたとしか私には思えない。

不破哲三氏の「レーニンと『資本論』」にはレーニンによる富農弾圧指令の話は全く出てきません。下部党員や「赤旗」読者にこれが知られたらまずい、という判断なのでしょう。

共産主義者にとって、歴史は宣伝材料なのです。不破哲三氏は真の共産主義者です。






2016年12月17日土曜日

レーニンの「食糧独裁についての布告の基本的命題」「『現在の』情勢についてのテーゼ」「食糧問題についてのテーゼ」「(レーニン全集第27,28巻掲載、大月書店刊行)より思う

「余剰穀物をもちながら、これを駅および集散地点へ搬出しない穀物所有者は、人民の敵として宣言され、10年以上の投獄、全財産の没収、彼の共同体からの永久的追放に処せられることを、はっきりと規定する」


「富農との仮借なき闘争のために団結するという勤労、無所有の、余剰をもたない農民の義務を追加する」(「食糧独裁についての布告の基本的命題」レーニン全集第27巻、p360より抜粋。大月書店刊行)


来年はロシア革命100周年の年です。ロシア革命をどう評価するべきか、世界各地で様々な議論がなされることでしょう。

その際、レーニンの「思想」「理論」をどう「理解」するかという問題は重要です。

レーニンが「富農」という人々を徹底的に敵視し、弾圧すべきと強調してきたことは、レーニン全集の27,28巻を多少読めば明らかです。

上記から明らかなように、「富農の撲滅」「『人民の敵』の永久追放」はスターリンが始めたことではありません。スターリンはレーニンの教えを忠実に実行しただけです。

「『現在の』情勢についてのテーゼ」(レーニン全集第27巻、p419-421掲載)でレーニンは13の項目から成る指令を出しています。

「テーゼ」という語から、レーニンがこの指令を重視していたことが推察できます。

レーニン「余剰穀物をおさえている富農を容赦なく弾圧することを義務とみとめよ」


(1)は次です。

「陸軍人民委員部を戦時食糧人民委員部に変えること。すなわち、6月から8月までの向こう三か月間、穀物獲得の戦いのために軍隊を改編しこの戦いを遂行することに、陸軍人民委員部の仕事の十分の九を集中すること」。

(2)は「この期間、全国に戦時戒厳状態を宣言すること」です。


(12)は「人民委員会議でも中央執行委員会でも、つぎのことを遂行すること」です。

(12)の(ニ)は次です。

「余剰穀物のある各郡、各郷で、ただちに、富裕な土地所有者(富農)、穀物商人、等々の名簿を作成したうえ、余剰穀物を全部収集する個人的責任を彼らに課すること」。

(12)の(ホ)は次です。

「各戦闘部隊に、たとえば、十人に一人の割合にせよ、ロシア共産党や社会革命党左派、または労働組合から推薦された人物を任命すること」。

(13)は次です。

「穀物の国家独占を実行するにあたっては、どんな財政的犠牲をもためらわずに、貧農援助措置や、富農からあつめた余剰穀物の一部を無料で貧農に分配する断固たる措置をとると同時に、余剰穀物をおさえている富農を容赦なく弾圧することを義務とみとめること」。

1918年にレーニンは繰り返し、「富農」から「余剰穀物」を徴発せよと述べています。抵抗する「富農」は容赦なく弾圧せよというのですから、富農に対し宣戦を布告しているのです。

「富農」とは誰か―「食糧問題についてのテーゼ」(レーニン全集第28巻、p35-38より)


それでは、「富農」とはどんな人々のことを指しているのでしょうか。

レーニンは1918年8月2日に「食糧問題についてのテーゼ」を、食糧、農業、最高国民経済会議、財務、商工業の各人民委員部へ提案されました。この「テーゼ」は13項目から成ります。

(8)は次です。

「富裕な農民にたいする現物税、穀物税を設定すること。ただし、手もちの穀物の量が(新しい収穫をふくめて)自家消費量(家族の食い扶持、家畜の飼料、播種を考慮に入れて)の二倍ないしは二倍以上のものを、富裕な農民とみなす。」

レーニンのこの指令だけで、当時のロシア全体で「富農」という語がこのように理解され、該当する農民が弾圧対象になっていたとは断言できません。

農村の実態については、別の史料からも確認されるべきです。

しかし、この指令が実際に農村で実行されれば、農民は可能な限り保有穀物を隠ぺいし「富農」とレッテル貼りされないようにしたと考えられます。

穀物の「自家消費量」など、どうにでも解釈できますから。穀物の収穫量は天候に強く依存します。来年度の天候がどうなるか、誰にもわかりません。

不作に備えて、可能な限り蓄えておきたいと誰でも思うでしょう。汗水流して収穫できた穀物を問答無用で徴発されたらたまったものではない。

「富農」とレッテルを貼られたらおしまいだ、とほとんどの農民は直感的に理解したはずです。以下のレーニンの「報告」に注目すべきです。

レーニンは余分の穀物はすべて、国家の手にとりあげなくてはならないと断言した


レーニンは当時のロシアが直面していた飢餓からの脱出策として、国家による穀物の専売制を提起していました。

「モスクワの労働組合と工場委員会との第四回協議会」(レーニン全集第27巻、p472-505〉でレーニンは次のように述べています。

「穀物の専売制を口にすることはやさしいが、それがどういう意味か考えてみなければならない。

それは、余剰穀物はすべて国家のものだということである。それは、農民の経営に必要でない、

その家族や家畜を養うのに必要でない、播種をおこなうのに必要でない穀物は一プードでも、、

余分の穀物はすべて、国家の手にとりあげらなくてはならないということを意味する。」(全集p482)

余分の穀物はすべて農民から取り上げよ、とレーニンは断言しています。これを文字通り実行したら、取り上げられた農民が次から次へと栄養失調になり、とんでもない伝染病が蔓延しかねない。

レーニンは徴発した穀物を都市の労働者に配分し、都市で餓死者が出ることを防ごうとしたのでしょうが、穀物取引を活発化させれば、一時的に穀物価格が上昇しても供給が増えれば下落していきます。

「穀物投機」を沢山の農民にやらせれば、穀物の供給がいずれ増えます。都市で闇市が増えれば、都市経済が徐々に活性化していきます。闇市の商売でぼろもうけする人もでますが。

供給増加により穀物価格が下落し、農民は「投機」ができなくなる。このくらいのことは、商業活動を少しでも見聞した経験のある人ならすぐにわかりそうなものです。

レーニンとボリシェヴイキが「戦時共産主義」などという愚かな「理論」に固執していたから、「富農」とレッテルを貼られた農民が穀物を徴発されてしまいました。

「余分の穀物」と「播種用、家畜用の穀物」を当時のロシア共産党員らが正確に区別できたとは極めて考えにくい。

来年の播種や家畜のためにどれだけ穀物が必要になるかも、今後の天候に依存しているのですから。

播種用の穀物までも取り上げられた農民は少なくなかったはずです。これにより農業生産がさらに落ち込むという悪循環にロシアが陥ってしまったのではないでしょうか。

レーニンによる富農弾圧指令、富農への「宣戦布告」を無視する不破哲三氏


不破哲三氏の「レーニンと資本論6 干渉戦争の時代」(新日本出版社刊行)はレーニンの「穀物の売買禁止論」について遠回しに言及していますが、弾圧指令については無視しています。

不破氏が、レーニン全集27,28巻を少しでも読めば出てくるレーニンの「富農弾圧論」を知らないはずがない。これが下部党員や「赤旗」読者に知られるとまずい、という判断なのでしょう。

不破氏はこの本のp214-216で、レーニンが「穀物の売買の自由」を「反革命派」あるいはブルジョアジーの経済綱領として厳しく断罪していたと述べています。

不破氏は、レーニンが採用した穀物の売買の自由を禁止する政策はソビエト政権と農民の間に大きな亀裂を作り出したと述べています(同書p216)。

「ソビエト政権と農民の間の亀裂」とは、いったい何なのでしょうか。不破氏はこの表現の具体的な中身については何も述べていません。

レーニンが出した穀物売買の自由禁止指令が、内戦激化とその後の不作、飢餓の重要な原因となったことは明らかです。

レーニンとボリシェヴィキは、コルチャックやデニキンら外国の支援をうけた「反革命勢力」だけでなく、「富農」とも徹底的に戦いました。

「富農」に「宣戦布告」したのはレーニンとボリシェヴィキです。

「人民の敵」とレッテルを貼られて殺害された「富農」、穀物を取り上げられて栄養失調から疾病に倒れて亡くなった「富農」の数はどれくらいだったのでしょうか。

レーニンは富農、金持ち、穀物投機者は200万そこそこと見積もっています(「労働者の同志諸君、最後の決戦に進もう!」レーニン全集第28巻、p47)。

勿論これだけで、レーニンとボリシェヴィキが「富農」を200万人殺害したと証明できませんが、富農弾圧指令はレーニンの「思想」「理論」から必然的に導かれた結論です。

次の論文も注目すべきです。

レーニンは「富農」との「最後の決戦」をよびかけた


レーニンが命名した「最後の決戦」とは、「富農にたいする戦闘」です。この論文でレーニンは次のように述べています(レーニン全集第28巻、p47)。

「どんな疑いもありえない。富農は、ソヴェト権力の仇敵である。富農がかずかぎりなく労働者を殺すか、でなければ労働者が、勤労者の権力にたいする、国民の中の少数の強盗的富農の暴動を、容赦なくふみつぶすかである。

そこには中間の道はありえない。和解はありえない。富農は、いがみあってきたばあいでさえ、地主、ツァーリ、坊主と和解することができる。しかもやすやすと和解できる。

だが労働者階級とはけっしてできない。われわれが富農にたいする戦闘を、最後の決戦と呼ぶのはこのためにほかならない」

「富農は、他国の歴史上、地主、皇帝、坊主、資本家の権力を一度ならず復活させた、もっとも凶悪な、もっとも野蛮な搾取者である。富農は、地主と資本家より多い。」

「労働者の同志諸君!最後の決戦にすすもう!」は1918年8月に執筆されました。平和に暮らしていた「富農」の方々にはとんでもない迷惑だったことでしょう。

自らが下した大量殺人指令に何の反省もしなかったレーニン


「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」の「内乱」には、「富農との最後の決戦」も含まれていたのです。

内戦になれば沢山の犠牲者が出ます。大量殺人を正当化するレーニンの「思想」「理論」を、スターリン、毛沢東、金日成、金正日は立派に継承しました。

レーニンは1921年頃から農民に穀物の自由販売を認める「新経済政策」への転換を主導しますが、「最後の決戦」で犠牲となった「富農」の方々への謝罪や反省の言葉は一切残していません。

レーニンは最晩年になっても、自らが下した「富農」「人民の敵」の弾圧、殺戮指令の正当性に何の疑問ももたなかった。この点も、スターリン、毛沢東、金日成、金正日は継承しています。

宮本顕治氏が信奉していた「マルクス・レーニン・スターリン主義」とは、「人民の敵」殺人を正当化する「思想」「理論」なのです。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんが信奉している「金日成・金正日主義」も、「反党反革命宗派分子」殺人を正当化する「思想」「理論」であることを付言しておきます。






























2016年12月10日土曜日

レーニンと共産主義インタナショナル第一回大会、1919年3月2-6日(レーニン全集第28巻p487-508、大月書店)より思う。

ブルジョア民主主義とプロレタリアートの独裁とについてのテーゼと報告...


「集会の自由」は、「純粋民主主義」の要求の見本とすることができる。自分の階級と絶縁していない、自覚した労働者ならだれでも、搾取者が転覆されまいとして反抗し、自分の特権をまもっている時期に、またそういう情勢のもとで、搾取者に集会の自由を約束することがばかげていることを、即座に理解するであろう。」(p493)


「勤労者のために、労働者と農民のために、真の平等と真の民主主義をたたかいとるためには、まず資本から、文筆家をやとい、出版所を買いとり、新聞を買収する可能性をうばわなければならない。だが、そのためには、資本のくびきをくつがえし、搾取者をたおし、彼らの反抗を弾圧することが必要である。」(p494)


レーニンは、共産主義インターナショナル第一回大会で「ブルジョア民主主義とプロレタリアート独裁とについてのテーゼ」を報告しました。

「テーゼ」という語から、世界の共産党が共通に追及すべき目標が提示されたことがわかります。これは、「搾取者」の「集会の自由」はく奪、言論抑圧です。

すなわち搾取者の反抗を弾圧することです。

搾取者とは、企業経営者や地主、貴族のことです。ロシア正教会の聖職者も、同様の扱いを受けました。

レーニンの「思想」「理論」の中に、一般国民の言論の自由、思想・信条の自由制限を正当化するものがあります。ソ連共産党を批判することは「反ソ行為」です。

政治犯収容所に送られかねない重罪です。精神病院に収容される場合もありました。

旧ソ連では、言論の自由、思想・信条の自由が徹底して制限されていました。

今の中国でも、一般国民が共産党を公の場で批判したらいろいろと厄介なことになるでしょう。

北朝鮮で一般国民が朝鮮労働党を公の場で批判したら、命がいくつあっても足りない。

各国の共産党、労働党はレーニンと後継者スターリンを師と仰ぎ、革命運動を行ってきました。

言論抑圧と選挙の形骸化は共産主義のイロハ


各国の共産党は革命後、上記のレーニンの「テーゼ」に従って、支配体制を構築していきました。

レーニン全集のすべての記述を一言一句もれなく実現することなど不可能ですが、「搾取者の弾圧」、言論抑圧だけはどこの共産党も欠かさず行いました。

共産党が権力を維持するためには一般国民の言論の自由、思想信条の自由の制限が必須です。

一般国民や下部の共産党員には、共産党の最高指導者が提示した選択肢以外の道は地獄への道だと思い込ませねばなりませんから。

一般国民が自由に共産党を批判でき、秘密投票の選挙で政治家を選出するようにしたら、共産党の候補者は落選してしまいます。政権を譲らねばなりません。

これは「反革命」の成就です。

そんなことをレーニン、スターリン、毛沢東、金日成や金正日が認めるはずがない。言論抑圧、選挙の形骸化は共産主義のイロハです。

旧ソ連、東欧では共産党が認めた人物以外、選挙には立候補できないようになっていました。中国と北朝鮮では今もそうなっています。

レーニンによれば、プロレタリアートの独裁は大地主と資本家の反抗を暴力的に弾圧することです(同論文p497)。

「プラハの春」と日本共産党


昭和43年(1968年)に「プラハの春」と呼ばれた事件がチェコスロバキアで起きました。プラハで知識人が言論の自由を求めて立ち上がったのです。

チェコスロバキア共産党は当初、「行動綱領」を作成し、この運動を擁護しました。

これはソ連軍の侵攻によりつぶされてしまいました。当時の日本共産党はソ連軍の侵攻を批判しましたが、チェコスロバキアの共産党が自力で知識人の運動を抑圧すべきと主張しました。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員はこれを御存知ないかもしれません。

「チェコスロバキアへの五ヵ国侵入問題と科学的社会主義の原則擁護」という「赤旗」掲載論文があります。

この論文は「日本共産党重要論文集7」にも掲載されています。

この論文はチェコスロバキア共産党の「行動綱領」を、自由主義、分散主義、あるいは放任主義に道を開き、社会主義建設の事業にあらたな困難と混乱を持ち込むと批判しています(同書p240-241)。

日本共産党は、無制限の「表現の自由」「出版の自由」「集会や結社の自由」を宣言した「行動綱領」を、反社会主義勢力に活動の自由をあたえる重大な右翼的誤りと徹底批判しました。

チェコスロバキア共産党は、社会主義的民主主義の名で事実上ブルジョア民主主義を導入する「純粋民主主義」の誤りを犯していると、日本共産党はレーニンの上記論文に依拠して批判しました。

社会主義的企業が自由意思によって連合したり、連合から脱退したりできるようにした「行動綱領」の規定も「純粋民主主義」の経済版で社会主義的計画経済を弱化させる危険をもつと日本共産党は批判しています。

勤労者にとっては民主主義であると同時に、搾取者に対しては独裁であるプロレタリアートの独裁の正しい意味での強化が必要(上記「赤旗」掲載論文より)


この件について私は、「プラハの春と日本共産党」と題して本ブログで3年半くらい前に指摘しました。

少女時代をプラハで過ごした米原万里さんは、帰国後にソ連軍侵攻の知らせを聞き涙が止まらなかったそうです。

共産党の幹部は、下部党員の自由な言論活動を「反動勢力への屈服」などどみなし敵視します。レーニン主義の党ですから。

上記の「赤旗」論文は勤労者にとっては民主主義であると同時に、搾取者に対しては独裁であるプロレタリアート独裁の正しい意味での強化が必要であると述べています。

これはレーニンの「テーゼ」と一致しています。共産党を批判する人間や共産党幹部を批判する下部党員は「搾取者」と同様の人物とみなされうるのです。

米原万里さんはこれを実体験したようです。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は、「赤旗」掲載論文「チェコスロバキアへの五ヵ国侵入問題と科学的社会主義の原則擁護」を御存知なのでしょうか。

「日本共産党重要論文集」掲載論文を読んでいない方が、「とことん共産党」を自称するならば知的怠慢かつ傲慢ではないでしょうか。








2016年11月25日金曜日

レーニン「帝国主義戦争の内乱への転化というスローガンについて」(レーニン全集第41巻、大月書店昭和42年刊行、p421掲載)より思う

唯一の正しいプロレタリア的なスローガンは、現在の帝国主義戦争の内乱への転化ということである。...(途中略)このような戦術だけが、新しい歴史的時代の諸条件にふさわしい、労働者階級のほんとうに革命的な戦術となるであろう。」(前掲書より抜粋。この手稿は1914年9月以降に執筆、と出ている)


上記のようにレーニンは、「帝国主義戦争の内乱への転化」が「ほんとうに革命的な戦術」「唯一の正しいプロレタリア的なスローガン」と規定しました。

戦前の日本共産党が金科玉条としていた「32年テーゼ」は、レーニンのこの規定を継承しています。内乱を起こせ!というのですから、武装闘争、暴力革命です。

若い日本共産党員の皆さんは、日本共産党は戦前、戦後のどの時期でも、正規の方針として暴力革命の方針を採用したことはないと本気で信じているのでしょうか。

若い日本共産党員の皆さんは、レーニン全集を全く読まないのでしょうか。レーニンの革命理論や「32年テーゼ」について、何も知らないで日本革命ができると本気で考えているのでしょうか。

共産党員であることに気概と誇りを持っているなら、一昔前の日本共産党の文献を図書館などで探して読み、それらとレーニンの「革命理論」の関係について思考すべきではないでしょうか。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんが、金日成の「すべての力を祖国の統一独立と共和国北半部における社会主義建設のために―わが革命の性格と課題に関するテーゼ」(1955年4月)を知らなかったら、自分が金日成民族の一員であるなどと言うべきではありません。

同様に、日本共産党員が「32年テーゼ」を一切知らず、関心もないなら革命家とは言えないでしょう。

小林栄三氏は「32年テーゼ」を「戦前の最後の綱領的到達点」「革命運動の進むべき道をしめす画期的な指針」と評価した


小林栄三監修「科学的社会主義下」は「32年テーゼ」を「戦前の最後の綱領的到達点」「わが国の革命運動の進むべき道をしめす画期的な指針」と高く評価しています。

この本によれば、「32年テーゼ」は1932年5月に片山潜、野坂参三、山本懸蔵らが参加しコミンテルン(世界共産党)で決定されました。

この本はなぜか、32年テーゼが明記している「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」について沈黙しています。

日本共産党の最高幹部の一人だった小林栄三氏はレーニンの論文や手記についてはあまり関心がなかったのかもしれません。

クーシネンら当時の世界共産党幹部は、レーニンの教えに依拠して日本共産党が内乱を起こす方針を作成しました。

「32年テーゼ」を受け取った宮本顕治氏ら当時の日本共産党中央幹部はこれを活動の指針としました。

「革命的階級は、自国政府の敗北を願う」-「32年テーゼ」は日本共産党員の思考方式に影響を与えている


吉良よし子議員、朝岡晶子氏ら若い共産党員の皆さんには信じがたいことでしょうが、「32年テーゼ」には、次の記述があります。

「帝国主義戦争の内乱への転化を目標とする日本共産党は、戦争の性質に適応してそのスローガンを掲げ、反戦活動を行わねばならぬ。」

「革命的階級は、反革命的戦争の場合には、ただ自国政府の敗北を願うばかりである。」

コミンテルン(世界共産党)が当時の日本共産党に与えた任務は、「反戦活動」から内乱を起こし、日本政府が敗北するように仕向けることだったのです。

科学的社会主義の国家論によれば日本政府は「帝国主義政府」「階級的支配のための暴力装置」です。

日本が行う戦争は全て「反革命的戦争」「海外侵略」です。自衛隊は、「支配階級のために奉仕する暴力装置」です。

中国人民解放軍が尖閣諸島に本格侵攻するとき、海上保安庁の巡視船は沈没させられる


科学的社会主義の国家論から考えれば、中国人民解放軍が尖閣諸島に本格侵攻した場合、日本共産党員が自衛隊、海上保安庁の敗北を願ってもおかしくない。

海上保安庁の装備で中国人民解放軍に勝てるはずがない。潜水艦の魚雷で巡視船は沈没させられてしまいます。巡視船に乗っている海上保安庁職員は全員殉死してしまいます。

巡視船でどうやって潜水艦とたたかえというのでしょうか。物事を真面目に考える人なら、自衛隊が直ちに出動し中国の潜水艦と交戦するしかないことがわかるはずです。

海上保安庁の職員の生命と人権について、日本共産党員は一切思考できない。

日本共産党は自衛隊が中国人民解放軍と交戦するための装備充実を「軍拡の悪循環」と徹底批判しています。

自衛隊の装備が中国人民解放軍のそれを上回っているなら、交戦しても中国人民解放軍が負けます。それを事前に予測できないほど、中国共産党は愚かではない。

自衛隊が中国人民解放軍の戦艦や潜水艦、そして中国人民解放軍の出撃基地を徹底破壊できる装備を保持することにより、尖閣諸島侵攻を未然に阻止できるのです。

自衛隊が巡航ミサイルを大量保有し、さらに爆撃機を持てば抑止力の向上になります。日本共産党員が「憲法九条は宝だ」と呟いても、中国人民解放軍には何の影響もない。

中国共産党が行う戦争は「革命的戦争」であるという発想がどこかにあるのでしょう。日本共産党は中国人民解放軍の大軍拡については沈黙しています。

「32年テーゼ」は今でも、日本共産党員の思考方式に影響を与えています。

「とことん共産党」で「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」の具体化について徹底討論を!


何度でも言います。内乱は暴力革命です。内乱は、「議会の多数を得ての革命」と無縁です。

議会で「内乱を起こしましょう」と日本共産党員が演説して、武装蜂起する議員が昔も今もいるでしょうか。

「内乱」を実際にどうやって、いつ起こすかについては「32年テーゼ」は何も述べていません。

「内乱」と称して、クーシネンらコミンテルン(世界共産党)幹部は何かの折に、日本共産党員に日本政府の要人を狙ったテロをやらせようと策していたかもしれない。

「とことん共産党」で「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」のための具体策、その現実性について、小池晃書記局長、吉良よし子議員、朝岡晶子氏が徹底討論されたらいかがでしょうか。

市川正一氏の「日本共産党闘争小史」を吉良よし子議員はご存じなのか


市川正一氏の「日本共産党闘争小史」(昭和29年大月書店刊行、p182)によれば、労働者と農民は勝利を得るためには武装し暴力によって資本家権力とたたかわねばならぬことを知りました。

帝国主義戦争の悲惨からまぬがれるためには、日本共産党の指導のもとに大衆的な武装蜂起をもって公然と資本家・地主の国家権力と武力闘争をなし、労働者・農民の日本ソヴェト権力を樹立せねばならない、と市川正一氏は公判で訴えました。

獄中にいた市川正一氏が、「32年テーゼ」を知りえたかどうか私にはわかりません。

吉良よし子議員、朝岡晶子氏ら若い日本共産党員が、武力闘争が戦前の日本共産党の正規の方針だったことを否定するなら、市川正一氏の決死の訴えを「個人的見解」「個人を党の上においた」と一蹴すべきです。

2016年11月23日水曜日

レーニン「十月革命四周年によせて」(レーニン全集第33巻、大月書店昭和34年刊行)より思う。

「ブルジョアジーの召使や、エス・エルとかメンシェヴィキというブルジョアジーの太鼓もち、全世界の小ブルジョア的なえせ『社会主義的』民主主義派という太鼓もちどもは、『帝国主義戦争を内乱に転化せよ』というスローガンをばかにしていた。だが、このスローガンはただ一つの真理であることがわかった。」(レーニン全集第33巻、p42より抜粋)


レーニンは「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」をただ一つの真理と断言しています。

「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」は、昔の日本共産党が金科玉条としていた「32年テーゼ」の核心です。

「32年テーゼ」とは、世界共産党(コミンテルン)により1932年(昭和7年)当時の日本共産党に下された綱領です。クーシネンという世界共産党幹部が中心になってこれを作成しました。

宮本顕治氏ら当時の日本共産党員はこれを盲信し、内乱を起こすことを策していました。内乱ですから、武装闘争による暴力革命そのものです。

最近の日本共産党は、「わが党は正規の方針として暴力革命をとったことはない」などと主張しています(「赤旗」平成28年3月24日記事)。これは大嘘です。

「32年テーゼ」はその頃の日本共産党の綱領そのものでした。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんは、「32年テーゼ」を御存知なのでしょうか。

私見では若い日本共産党員は、日本共産党の一昔前の文書やレーニンの論文を読んで得た知識を自分なりに整理、解釈することができない。

若い日本共産党員には、日本共産党の一昔前の文書を読んで日本共産党の歴史を自分の頭で整理し解釈していくことができない


ましてや、レーニン全集を紐解いて「32年テーゼ」の核心「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」が、レーニンの戦争に関する理論より導かれる結論であることが、若い共産党員にはわからない。

「十月革命四周年によせて」でレーニンは次のように述べています。

「帝国主義戦争の問題、現在全世界を制覇している金融資本の国際政治の問題―この国際政治が新しい帝国主義戦争を不可避的に生みだし、ひと握りの『先進』強国が立ち遅れた弱小民族に加える民族的抑圧、略奪、強奪、絞殺の前代未聞の激化を不可避的に生みだすのである。」

要は、戦争と弱小民族に対する抑圧や略奪は「金融資本」、大銀行や銀行と一体化した大会社の征服欲により生じるという話です。

レーニンのこの「理論」を、イギリスのSF作家H. G. ウェルズは次のように批判しました。

「戦争は国家主義的帝国主義から起きるのであって、資本主義的社会組織から起きるのではない」(「影の中のロシア」みすず書房昭和53年刊行、p104-105。原題はRussia in the Shadows)。

レーニンは、大銀行や大会社が、各国の戦争政策決定に具体的にどう参画していたというのでしょうか。

クリミア戦争、露土戦争、日露戦争、第一次大戦へのロシア参戦決定にどのようにロシアの大銀行や大会社が参画したとレーニンはいうのでしょうか。

SF作家ウェルズの方が現実的です。レーニンには、実際に企業で働いた経験がないことを付言しておきます。レーニンは企業の意思決定の仕組みを知らない。

レーニンの「理論」に従えば、欧米や日本の大銀行や大会社が「帝国主義戦争」を参画し行っていることになります。

従って共産党員たるもの、一刻も早く自国で内乱を起こし、自国政府を混乱させ自国が「帝国主義戦争」で敗北するように努力せねばなりません。

戦前の日本共産党大幹部市川正一は獄中から武装蜂起、武力闘争を主張していた


この類の「理論」に依拠して、「獄中闘争」をしていた日本共産党の大幹部市川正一氏は裁判の最終陳述で次のように述べました。

「帝国主義戦争の悲惨からまぬかれるためには、日本共産党の指導のもとに大衆的な武装蜂起をもって公然と資本家・地主の国家権力と武力闘争をなし、労働者・農民の日本ソヴェト権力を樹立しなければならぬ」(「日本共産党闘争小史」大月書店昭和29年刊行、p182より抜粋)

武装闘争、暴力革命が当時の日本共産党の正規の方針ではないなら、市川正一氏の公判での主張は市川氏の個人的見解だったことになります。

市川正一氏は個人の見解をあたかも日本共産党の見解のように広めてしまったのですから、除名処分をされるべきということになるでしょう。

これでは、獄中で亡くなった市川正一氏があまりにも惨めです。市川氏は決死の思いで獄中から労働者、農民に武装蜂起を呼び掛けたのですから。

当時の日本共産党員は大真面目に武装蜂起、武力闘争により日本でソヴェト権力とやらをつくろうとしていたのです。

故人が反論することはないから歴史を歪曲してしまえ、と志位和夫氏が判断し「赤旗」編集部は「日本共産党闘争小史」を無視することにしたのかもしれません。

「とことん共産党」出演者は「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」「大衆的な武装蜂起をもって公然と資本家・地主の国家権力と武力闘争」を御存知なのか


最近、「とことん共産党」という番組が放映されています。小池晃書記局長や吉良よし子議員、朝岡晶子氏らがこの番組に出演されています。

「とことん共産党」出演者の皆さんは、「32年テーゼ」や市川正一「日本共産党闘争小史」に明記されている暴力革命方針を御存知なのでしょうか。

この程度の文献も読んでいない共産党員が自らを「とことん共産党」などと自称宣伝するなら、誇大広告ではないですか。

追記 「とことん共産党」と日本共産党学術・文化委員会の皆さんへの提案


「とことん共産党」で司会をお務めの朝岡晶子さんは、日本共産党中央委員会の学術・文化委員会所属のようです。インターネットでそういう記事を見ました。ワイン好きだそうです。

日本共産党員内部で、学術・文化に関する業務を担当されているのでしょう。学術・文化業務に日常的に携わっている方ならば、宮本顕治氏の次の論文を御存知のはずです。

「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」(「前衛」49号、1950年5月掲載。「日本共産党50年問題資料集1」新日本出版社昭和32年刊行、p27-35にも掲載)

「ソ連邦共産党第二十一回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について」(「前衛」1959年5月号掲載)

「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」は、「日本革命の平和的発展の可能性」を提起することは根本的な誤りであること、議会を通じての政権獲得の理論も同じ誤りであることは論をまたないとと断定しています。

「ソ連邦共産党第二十一回臨時大会の意義と...」は、「社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた。今日、ソ連邦では国内的に資本主義を復活させる力がないだけでなく、世界的にソ連邦および社会主義陣営をうちやぶれるような力は存在し得ない」と断定しています。

朝岡晶子さんら日本共産党の学術・文化業務担当の方々は、宮本顕治氏のこれらの見解をどうお考えなのでしょうか。

日本革命の平和的発展の可能性や議会を通じての政権獲得が根本的な誤りなら、武装闘争と暴力革命しかありえない。

社会主義のソ連邦における完全な最後の勝利とは、いったい何を意味していたのでしょうか。

推測ですが、宮本顕治氏のこれらの見解は、朝岡晶子さんや吉良よし子議員の見解と大きく異なっているように思えてならないのです。

朝岡晶子さんや吉良よし子議員が武装闘争、暴力革命を真剣に検討し準備しているとは考えられない。

これらについて、「とことん共産党」で出演者が徹底討論なさったらいかがでしょうか。御検討下さい。











2016年11月21日月曜日

北朝鮮在住の作家パンジ著「告発」(萩原遼訳、かざひの文庫刊行)より思う。

「暗闇の地、北朝鮮に灯りをともす、ホタルの光となり...パンジは朝鮮作家同盟中央委員会に所属しており、1950年に生まれ、朝鮮戦争も体験し、両親とともに中国まで避難し幼年時代を送り、再び北朝鮮に戻り生活しました。」(被拉脱北人権連帯代表 都希侖氏の推薦の辞より抜粋。同p2掲載)


パンジとは、朝鮮語で蛍を意味しています。「月刊朝鮮」で強力な北朝鮮批判論を展開してきた趙甲済氏がこの本のあとがきを書いています。

パンジの親戚が脱北して持ってきた肉筆原稿を、被拉脱北人権連帯代表 都希侖氏が入手したとあとがきにあります。

「告発」は200字詰め原稿用紙750枚分の原稿による、七つの短編から成ります。

どれも、全体主義社会で圧政に耐えている人びとの生きざまを描いています。

「プロレタリア文学」「民主主義文学」とは一体何だったのかという疑問を本ブログでは何度も提起してきました。

「プロレタリア文学」「民主主義文学」が圧政と抑圧に抵抗する人々の生きざまを描く文学であると定義するならば、「告発」こそその名にふさわしい。

パンジは、稀代の独裁者金日成を正面から批判しています。筆者が誰か朝鮮労働党にばれてしまえば、「反党反革命宗派分子」とやらの「罪」で処刑される可能性が極めて高い。

筆者だけでなく、家族、親戚もそうなってしまう可能性すらあるのです。

北朝鮮の出版事業は朝鮮労働党の支配下にある


北朝鮮についてよく知らない方は、韓国や日本などでなく、政府の監視網を何とかくぐりぬけて自国で地下出版すればよいではないかと考えるかもしれません。

治安維持法下の日本でも宮本百合子は作家として活動し、ソ連の住民生活を国民に紹介できた。北朝鮮の作家もやればできるはずだ、などと思う方もいるかもしれません。

そういう方はテロ国家北朝鮮の現実について無知蒙昧だとしか言いようがない。

北朝鮮の出版社は全て朝鮮労働党の支配下にあります。北朝鮮では紙は貴重品です。質の悪い原稿用紙ですら普通の人は入手困難です。

金正日の著作でさえ、私たちからみれば劣悪な紙で印刷されています。紙を生産するための諸資源が不足しているのでしょう。

印刷機器と出版に必要な紙やインクを普通の人がどこからか入手し、朝鮮労働党に知られないように本を印刷し配布できるような状況ではない。

北朝鮮の作家や記者は、朝鮮労働党の宣伝扇動部の指導下にいるはずです。

朝鮮労働党の宣伝政策の一環として、金日成、金正日そして金正恩を礼賛し、体制の優位性を宣伝する出版事業がなされています。

印刷物の中身が何であれ、朝鮮労働党の検閲を受けていないものを国民に流布したら重罪です。政治犯収容所行きか、処刑されてもおかしくない。

「赤いキノコ」という題名の掲載小説にも出てくるように、北朝鮮では「政治犯」の「裁判」に弁護人はつかない。弁護人がいないなら、政治犯には「裁判」はないと考えた方が適切です。

北朝鮮では政治犯は、中世欧州の「魔女や「異端」のように扱われているのです。火刑(火あぶりによる処刑)も時折行われていますから。

金日成の「現地指導」は北朝鮮社会の物資流通を妨げ、資源・資材不足を深刻化させている


著者のパンジは、普段は金日成、金正日を礼賛する小説ないしは記事を書いているのでしょう。

金日成を礼賛する小説を書くためには、金日成の「現地指導」の実情を多少は知らなければならない。「伏魔殿」という小説は、「父なる首領様」金日成の「現地指導」の実態を鋭く批判しています。

「一号行事」という名称で呼ばれる金日成の「現地指導」がある地域で行われると、その地域へ行き来する電車が暫く止められ、道路も封鎖されてしまうそうです。

これを、私はこの本を読むまで知りませんでした。金日成や金正日の「現地指導」時に相当な警備がなされているという話は、脱北者の手記に出てきます。

「一号行事」とやらがなされると、その地域近辺では物資の流通、人の往来が一時的に停止してしまう。

慢性的な資源不足、資材不足の北朝鮮社会で、生産をスムーズに行うためには不足している資源や資材を余剰地域から必要な地域に素早く運ばねばなりません。

北朝鮮社会の物資流通を底辺で支えているのは、朝鮮労働党幹部を買収して移動許可証明を入手し、生活のために「担ぎ屋」として各地を移動して物資を売買する人々です。

「担ぎ屋」の移動による物資流通が、「一号行事」により妨げられている。「絶世の偉人」にはそんなことは一切分からなかったことでしょう。

「告発」の存在を日本政府は対北朝鮮ラジオ放送、海外衛星放送で金正恩、金予正に教えるべきだ


北朝鮮では、金日成の「教示」、金正日の「お言葉」が人々の生活の在り方を規定しています。

「党の唯一思想体系確立の十大原則」は、北朝鮮の国民は自分の所業を金日成、金正日の指令に基づいているかどうか、常に点検せねばならないと定めています。

パンジは「十大原則」を踏みにじっているのです。

この小説の存在が金正恩にまで知られれば、国家安全保衛部ないしは朝鮮労働党の宣伝扇動部が朝鮮作家同盟の監督責任を問われかねない。

朝鮮労働党の宣伝扇動部を、金正恩の妹金予正が指導しているらしい。

朝鮮作家同盟ないしは朝鮮労働党の宣伝扇動部内に、金正恩と妹金予正に激しい反感を持っている人物がいるかもしれないのです。

日本政府は至急、金正恩・金予正御兄弟に「党の唯一体系確立の十大原則」を踏みにじる小説「密告」の存在を対北朝鮮ラジオ放送、海外衛星放送でお知らせするべきです。

国家安全保衛部大幹部の皆さんが、金正恩から責任を問われるならその前に...という「決意」をしていただける良いのですが。

ところで、金正恩の妹金予正には、さほどの警備はついていないのかもしれません。金予正は、金正恩の「現地指導」時に一行から離れて気軽に歩く場合もあるようですから。

これも、対北朝鮮ラジオ放送と海外衛星放送で日本政府から国家安全保衛部や朝鮮人民軍の皆さんにお知らせするべきです。