(マリー・アントワネットは)たくさんの子供を生んで育てるのにむいていて、ほんとうの夫に仕えることばかりおそらくは待ちうけている、女らしい女、やさしい女だったのである(同書p47)。
ルイ16世(1754年8月23日-1793年1月21日)は16歳で結婚しました。結婚時には、性的不能でした。これは精神的な条件によるものではなく、器官上の欠陥(包皮)にもとづくものでした(p39)。
フランス宮廷の侍医の診察によるもの、とあります(p39)。マリー・アントワネットは夫に手術を受けさせようとしましたが、優柔不断なルイ16世は決心ができません(p40)。
結婚五年後の母に出した手紙で、マリー・アントワネットは夫に手術を受けさせる決心をつけさせようと苦心していると述べています(p40)。
マリー・アントワネットの兄ヨーゼフ2世(Josepe Ⅱ)がパリに来た際、ルイ16世に手術を受けることをすすめ、やっとのことでルイ16世は手術を受けます。
二人が夫婦になったのは、そのあとで、結婚後七年の歳月を要しました。ルイ16世の性的不能については、母のMaria Theresiaだけでなく侍女も女官も、廷臣も士官も知っていました(p42)。
ヴェルサイユばかりでなく、パリ中、フランス中にこの噂が広まり、パンフレットになって手から手へ渡されていたそうです(p43)。
国王を揶揄するパンフレットを作成して配布できるのですから、当時のフランスは今の中国や北朝鮮よりずっと自由があります。
ともかく、フランス王家の権威は、こんなことからも徐々に失墜していったのでしょう。性的不能は、ルイ16世の心の有様に多大な悪影響を及ぼしたでしょう。Zweigは次のように語ります。
王の人間的な態度は、男性としての欠陥にもとづく劣等感の典型的な特徴をことごとく、まさに臨床的な明瞭さで示している(p44)。
ルイ16世は一種の「他人恐怖症」のような状態だったのかもしれません。Zweigは次のように分析しています。
内心恥じるところのある王は、宮廷の社交はいっさい、おずおずとぶざまに避け、とりわけ婦人とのつきあいから逃げまわる。
というのは、しんそこは正直で実直なこの男は、自分の不幸が宮廷のだれかに知れわたっていることを知っていて、秘密を知る者に皮肉に微笑されると、その挙動がすっかり萎縮してしまうのである(同書p44)
寝室で男性の役割を演じられないからには、他人の前で王としてふるまうすべも知らないわけである(p44)。
興味深い性格分析です。Zweigによれば、ルイ16世は男性として無力だったために、妻のマリー・アントワネットに対して隷属することになりました(p46)。
妻は何なりと欲しいものを彼に要求でき、夫はそのたびにまったく無制限に譲歩しては、ひそかな責任感をつぐなった、とZweigは述べます(p46)。
性行為そのものに大した関心を持たない14歳の女性はいくらでもいるでしょう。16歳の健康な若者とは大違いです。
十代での結婚は、欧州の王侯貴族だけでなく、日本の武将にもいくらでも例があります。通常は、十代の若い妻の方が性行為を恐れるものではないでしょうか。
ルイ16世とマリー・アントワネットの場合、逆だったのかもしれません。それが宮廷中に知れ渡ってしまい、悪口の対象になっていたのですから、若夫婦の心的負担は大きかったでしょう。
ルイ16世が性的不能について劣等感を持っていただろうことは容易に想像できます。
ルイ16世は生きていくための活力、精神力が弱い人だったのでしょう。それと、若い頃の性的不能はかなり関連していそうです。
ルイ16世が性的不能でなかった、マリー・アントワネットの運命は大きく変わっていたのか
歴史にもしも、という思考実験をしてもあまり意味がないのかもしれませんが、次はどうでしょうか。
ルイ16世が不能でなく普通の健康な若者でありさえすれば、マリー・アントワネットは十代後半で何人か子供を産んでいたかもしれません。
二十代前半で4、5人も子供がいれば、子供の生育に母親として神経をすり減らすことになったはずです。当時は幼児の死亡率が高かったのです。
子供に心血を注がねばならないなら、途方もない浪費をする余裕もありません。
マリー・アントワネットが「赤字夫人」と呼ばれるようなことにはならなかったかもしれません。
重税に対する庶民、第三身分の人々の怒りが彼女に集中する事態にならなかったかもしれません。
勿論、軽薄さはマリー・アントワネットの浪費癖の一因でしょう。母親から戒められていたにもかかわらず、度外れた出費をしてしまったのですから。
自分の行動、言動が周囲の人びとにどういう影響を与え、それが巡り巡って自分にどういう結果をもたらすかという思考をするような人ではなかったのでしょう。
ルイ16世の性的不能により、マリー・アントワネットの軽薄さに拍車がかけられてしまったのでしょうね。Zweigは次のように述べています。
ニ千を数える夜々、粗野で精神的抑圧に悩む夫が彼女の若い肉体に対して絶えずいたずらな努力をつづけた(p47)
しじゅうあちらへ行きこちらへ移って決して満足せず、気ままに快楽から快楽を追う生活は、夫によって絶えず興奮させられながら性的満足を与えられないために生ずる臨床的に言って典型的な結果なのである(同書p47)。
若い頃のマリー・アントワネットは、朝の4時、5時までオペラ座の仮面舞踏会、賭博場、夕食会、いかがわしい社交場を転々と遊び歩いていたそうです(p48)。
マリー・アントワネットが激しく遊びまわった背後に、女としての絶望が潜んでいたとZweigは指摘しています(p49)。
性的な抑圧、あるいは性的不能が人間の言動に大きな影響を与えるのは間違いないでしょう。
若い頃のマリー・アントワネットの言動の背後に、七年間の性的抑圧があったこと、ルイ16世との人間関係は若年時の性生活の欠落に依存していたというZweigの指摘は興味深いものです。
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