「ソヴェト同盟の工場には工場学校があって、そこでは本当にプロレタリアの技術を高めるために勉強がされている。十六歳までの青年は六時間以上の労働はすることなく、しかもそのうち三時間は工場学校で勉強して、六時間分の給料を貰うのだそうです」(「共産党公判を傍聴して」より)
宮本百合子(1899-1951)には、ソ連滞在経験がありました(1927年12月15日~1930年10月25日。途中にワルシャワやベルリン、パリを含む) 。
宮本百合子は友人の湯浅芳子と一緒にこの期間、主にモスクワに滞在しました。「宮本百合子全集」第九巻「ソヴェト紀行」にこのときの手記が掲載されています。
1927年12月とは、ロシア革命から10年ほど後です。この時期にはチェーカーは、GPU(ゲーペーウー、国家政治保安部)という組織に改編されていました。
今の北朝鮮の国家安全保衛部のような組織と考えればよいでしょう。
宮本百合子のソ連滞在時期に、「人間抑圧社会」が形成されていった
この時期に「反革命分子」を収容所に連行し囚人労働を行わせる仕組みができつつありました。宮本百合子、湯浅芳子のソ連滞在期間に、新経済政策(NEP)は終わります。
農業の強制的集団化、富農(クラーク)撲滅、加速的工業化が宮本百合子らの滞在末期に急速に進められていきます。1929年から30年に聖職者、教会への徹底攻撃が再びなされます。
「共産主義黒書-ソ連篇」(恵雅堂出版2001年、p156)によれば、200万人以上の農民が強制収容所に送られました。そのうち180万人は1930、31年のわずか一年で移住させられました。
600万人が餓死し、何十万人が収容所に送られる間に死亡しました。
聴濤弘氏は、富農を「階級敵」と規定し、富農の絶滅をスローガンにして行った農業集団化では、血で血を洗うような凄惨な事態が進行したと述べています(「ソ連はどういう社会だったか」新日本出版社1997年、p48)。
農業集団化は、ロシア農民を帝政ロシアでの農奴、あるいはそれ以下の社会的地位に落とすような蛮行ですから、地方では相当な抵抗があったことも今ではわかっています。
都市モスクワの滞在者でしかない宮本百合子らに、農村で起こっている凄惨な事態を見通すことは無理だったでしょう。宮本百合子はロシア語はあまりできません。
しかし、史実は史実です。宮本百合子は数百万人の大量殺戮が断行されたスターリンの時代のソ連を帰国後礼賛してしまいます。
宮本百合子らがもう5,6年後にソ連を訪問していたら、「スパイ」の疑いをかけられていたかもしれません。
帰国後の宮本百合子は、ソ連と共産党員を礼賛する小説を公刊できた
「共産党公判を傍聴して」という短編小説は、失業中の若い女性が昭和7年3月15日に開かれたという共産党の公判を見に行って感じたことを語るという形式になっています。
日本共産党や左翼人士の歴史観によれば、この時代の日本は絶対主義的天皇制、軍国主義の暗黒社会だったことになっています。
治安維持法という稀代の悪法で国民は一切の自由を奪われていたが、主権在民を掲げていた日本共産党は官憲による徹底的な弾圧にも屈せず戦い抜いたそうです。
「暗黒社会」であるなら、政府を少しでも批判する言論活動は一切許されないはずですが、宮本百合子はソ連と共産党員を礼賛する小説を公にしていました。
昭和恐慌の頃ですから、勤労者の生活は大変でしたが、暗黒社会などではありえません。
共産党員が公判でソ連宣伝をできる社会が「暗黒社会」なのか
この小説では、高岡只一という共産党員が公判でソ連宣伝をします。主人公はそれに感銘します。
「私を失業させたのはこのブルジョア社会です。
私はそれとどんなに闘うかというやり方を少しでも、闘士たちの闘争ぶりから学ぼうと決心したのです。あの人々は命がけで、私達が毎日闘っているものと闘っていてくれるのです。」
と決意を新たにします。
宮本百合子人はスターリンとボリシェヴィキを盲信していました。こうなると、ソ連のすべてがよく見えてしまうのでしょう。
在日本朝鮮人総連合会の皆さんには、北朝鮮のすべてが素晴らしく思えています。
こんな内容の小説を公にできた国が、暗黒社会であろうはずがない。朴正ヒ政権下の韓国(1960,70年代)より自由があります。
1920年代後半から30年代のソ連では、スターリンによる専制支配が確立されて行きました。
30年代のソ連で、スターリンと共産党を批判する小説は出版可能だったでしょうか。5カ年計画、富農撲滅と加速的工業化に反対する主人公を描く小説が出版できたとは思えない。
出版社はすべて国営ですから、すぐに警察に通告されてしまいます。そんな小説の出版を計画しただけで「人民の敵」とレッテルを貼られ処刑されてしまうでしょう。
今日の不破哲三氏によれば、スターリンの時期のソ連は「人間抑圧社会」になっていました。
今日の不破哲三氏の史観を受け入れれば、宮本百合子は「人間抑圧社会」を礼賛した浅はかな小説家だったことになります。
宮本顕治氏ら当時の共産党員は、日本をソ連のような「人間抑圧社会」にするための「不屈の闘い」をしていました。
「32年テーゼ」の核心「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」は武装闘争、テロ方針
「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」という類の世界共産党の指示に従い、労働者や農民を組織して実際に内乱を起こそうとしていたのが当時の日本共産党でした。
「32年テーゼ」の核心は「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」です。内乱ですから、武装闘争、テロです。「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」はレーニンの教えそのものです。
日本共産党は今日に至っても、「32年テーゼ」を高く評価しています。
労働者、兵士に宣伝、組織活動を行い「プロレタリア赤軍」を結成して内乱を起こすなどという物騒なことこの上ない団体とその構成員が逮捕、投獄されるのは当然です。
そんな連中を放置しておいたら、要人暗殺などとんでもないテロをやってしまったかもしれません。当時の共産党員は、逮捕・投獄して下さった特別高等警察の方々に感謝すべきです。
テロを起こさずに済んだのですから。要人暗殺など、被害者だけでなく殺人者にも不幸な結末になってしまいます。
「転向」した共産党員はテロリストたることを辞めた
共産党員の「転向」とは、テロリストたることを辞めたことなのです。それで本当に良かった。
「非転向」だった宮本顕治氏は、スターリンとソ連への盲従を誓い、武装闘争、テロを正当化する論文「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」を1950年に発表しました。
この論文によれば、日本革命の「平和的発展の可能性」を提起することや、議会を通じての政権獲得の理論は根本的な誤りだそうです。
同志スターリンに指導され、マルクス・レーニン・スターリン主義で完全に武装されているソ同盟共産党が、共産党情報局の加盟者であることを銘記しておく必要があると宮本顕治氏はこの論文で力説しています。
この論文発表の約40年後のソ連崩壊時に、宮本顕治氏はソ連崩壊万歳を叫びます。
宮本百合子ら昔の共産党員からみれば、宮本顕治氏は「反革命分子」「反党分子」に転向、変質したことになります。
1960年代から80年代の日本共産党でも、ソ連は崩壊してしかるべきだなどと共産党員が公の文章にしたら除名処分でしょう。
「党の上に個人を置いた」「大会決定に反している」と言われてしまいます。
プロレタリア文学とは「人間抑圧社会」礼賛文学なのか―民主主義文学運動に参加している作家の皆さんと聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員)に問う―
プロレタリア文学とは「人間抑圧社会」礼賛文学なのでしょうか。
「宮本百合子全集」第九巻(新日本出版社1980年刊行)には、宮本百合子によるソ連礼賛文章が満載されています。
民主主義文学運動に参加している作家の皆さんや日本共産党のソ連専門家聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員)は、これらを読んでいるはずです。
民主主義文学運動に参加している作家の皆さんは、「人間抑圧社会」を礼賛する宮本百合子の随筆や小説を「プロレタリア文学」とみなしているのでしょうか。
宮本百合子は、ブハーリンらは「反革命分子」だから処刑されて当然と考えていたのでしょうか?
そういう疑問を提起し、公の文章で議論すれば日本共産党の規約に触れるから、民主主義文学運動参加者の方々は宮本百合子のソ連礼賛について沈黙しているのでしょうか。
民主主義文学運動の参加者がそうであるなら、その方々の内面を描く文学の方がよほど面白い。
吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんには、宮本百合子によるソ連礼賛の歴史を直視して頂きたい。
「宮本百合子全集」すら読んでみようという気概がない方が日本共産党の国会議員をやっているなら、党員と国民を愚弄しています。
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