「6月4日未明、北京の天安門でおこった中国人民の平和的な民主的要求運動への、軍隊―武器・鉄砲による鎮圧事件とそれ以後の「人間狩り」は、世界中の心ある人々を驚かせ、この人権無視の事態への大きな怒りがひろがっています。」(宮本顕治氏の1989年7月10日談話冒頭より抜粋)
「中国の政権党は『鉄砲政権党』とよぶにふさわしいものです」(宮本顕治氏談話より抜粋)
日本共産党の最高幹部の一人だった小林栄三氏は「中国の事態と社会主義のもつべき基本」という論文で、次のように述べました。
天安門での中国人民軍による蛮行を「内政問題」として抗議も論評もしないという態度は、人権問題の国際性を少しも理解していない。
外国からの非難や抗議を「内政干渉」だなどという中国共産党と政府指導部の態度には国際法など眼中になく、人権軽視を示している(「前衛」1989年8月号掲載)。
不破哲三氏も、中国でおこっていることの本質は、科学的社会主義・共産主義の原理の「放棄」であり、本質的に言って「共産党」の名を裏切るものと述べていました(「日本共産党国際問題重要論文集22、p89)。
かつての日本共産党は、鄧小平によるベトナム懲罰論と中国のベトナム侵略を強く批判した
鄧小平による「ベトナムを懲罰する」という発言(昭和54年)についても、当時の日本共産党は強く批判しました。
中国によるベトナム侵略の事実を報道した「赤旗」記者が人民解放軍に射殺されています(「三月七日、ランソンにて」新日本出版社昭和54年刊行)。
当時の日本共産党は、「赤旗」などで中国によるベトナム侵略を強く批判しました。
立木洋氏は、民主主義の長期にわたる蹂躙、基本的人権の軽視は社会を破壊する重大な誤りであると述べました(「日本共産党国際問題重要論文集22、p19)。
27年くらい前のことですから、40代後半以上の日本共産党員なら当時のことをよく覚えているはずです。
中国共産党は鉄砲政権党だ、というビラを駅前などで必死に配布した思い出がある方は少なくないはずです。
吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は、当時のことは何も御存知ないかもしれませんが。
不破哲三氏による路線転換―中国共産党(鉄砲政権党)と関係を正常化し「理論交流」
天安門事件からおよそ9年後に日本共産党は中国共産党との関係を正常化します。「鉄砲政権党」と関係を正常化し、不破哲三氏の主導で「理論交流」を始めました。
天安門事件の頃の不破哲三氏の言を借りれば、不破哲三氏は科学的社会主義の原理を放棄した組織と「理論交流」を始めたことになります。
このときに、天安門事件については中国と異なる見解を持っている旨、日本共産党は通告したようですが、それだけでハイ終わり、にしてしまいました。
中国共産党は天安門での大弾圧、その後の「人間狩り」をいまだに正当化しています。虐殺を正当化する連中が、中国の一般国民の基本的人権を保障するわけがない。
中国の一般国民と中国居住外人を監視する国家安全部
中国の一般国民が公の文献、公の場で中国共産党を批判すれば、国家安全部に何をされるかわからない。出鱈目な罪をでっちあげられ、「経済犯」として投獄されてしまいかねない。
国家安全部とは、旧ソ連のKGBや北朝鮮の国家安全保衛部に相当する秘密警察です。
メールやインターネットの掲示板も国家安全部は始終監視しています。
どういう手法で国家安全部が国民のメールを見るのか、私にはわかりませんが、中国在住の日本人に「天安門」という字の入ったメールを送ると国家安全部が察知する場合があるそうです。
それで直ちに中国在住の日本人が監獄行きになるわけではありませんが、以降日本からの郵便物が届きにくくなったりします。
どなたか、国家安全部から依頼されて中国在住日本人の言動を監視している方がいるのです。
チベット人やウイグル人、モンゴル人も、中国共産党、国家安全部により徹底的に監視され、抑圧されてきました。
少数民族が中国共産党と国家安全部の監視外で子供たちの教育や言論活動、宗教活動を自由にやりたいと思うのは当たり前です。
中国社会には言論と表現の自由がない。知識層はどれだけ苦しいでしょうか。
中国社会に蔓延している農民差別と「赤旗」の沈黙
戸籍が農村にある人が北京や上海など大都市に来て建設労働等に従事するとき、その方の子供は大都市の小学校や中学校に原則として入学できません。
都市の学校は、都市住民の子供たちが学ぶ場であり、農村戸籍の子供が学ぶ場ではないのです。
農村出身の方々は、子供たちの教育のために私費を出し合って私設の「学校」をつくっています。「民工学校」と呼ばれているそうです。
「民工」とは、農村から都市に出稼ぎに出てきている労働者のことです。建設現場やタクシーの運転手などに多い。
地域によって多少の差はあるそうですが、「民工」には健康保険や年金はない。建設現場で「民工」がケガをしても、労災が適用されない場合が多い。
経営者に労働法を守らせる労働基準監署のような官庁が中国にはありませんから。「民工」が経営者を訴えたくても、裁判費用がかかりますし勝訴できる可能性は高くない。
「赤旗」は中国共産党による少数民族抑圧、農民差別について、完全に沈黙しています。
中国共産党が国際法を守るわけがない。中国はベトナム侵略も一切反省していません。「赤旗」記者の射殺など反省も謝罪もしていません。
不破哲三氏は中国共産党と関係を正常化する際、中国人民解放軍に射殺された高野功記者のことを何とも思わなかったのでしょうか。
「赤旗」記者の生命と人権より、「野党外交」のほうが大事だという判断だったのでしょう。
不破哲三氏は、日本共産党の「野党外交」は98年の中国との関係正常化が転機となったと自慢気に著書で述懐しています(「不破哲三 時代の証言」p194、中央公論社刊)。
中国は韓国とベトナムを侵略した
朝鮮戦争への中国の参戦は、大韓民国への侵略です。朝鮮戦争は北朝鮮が韓国に侵攻して始まりました。
金日成、朝鮮労働党は開戦前に、スターリンと毛沢東から了解を得ていました。
中国が最初に核実験を行ったのは昭和39年、東京オリンピックの頃です。この少し前に、毛沢東が主導した「大躍進」により、数千万規模で餓死者が出ました。
大量餓死者を出しつつも、貴重な資源を核軍拡に配分するのが中国共産党と朝鮮労働党なのです。
中国共産党は数々の国際会議で長年、自らが核兵器を廃絶することを目指しているかのような虚言を吐いてきたのです。不破哲三氏はこれくらいのことは百も承知です。
結局、不破哲三氏は中国覇権主義、鉄砲政権党に屈服したのです。不破氏は「野党外交」が赤旗」記者の生命と人権より大事と判断したのです。
志位和夫氏は中国と北朝鮮による人権抑圧に沈黙せざるを得ない―歴史の隠蔽のために
最近、志位和夫氏は中国を批判し始めていますが、中国の人権問題、中国によるベトナムや韓国侵略を批判することはできないでしょう。
これらを志位氏が公の場で論じ始めたら、不破哲三氏への批判が下部党員からかなり出てきてしまいかねません。
「不破さんが熱心にやってきた中国との理論交流、野党外交は何だったのだ」
「不破さんは鉄砲政権党の『理論』から何を学んだのか」
といった疑問が下部党員から噴出してしまいます。「赤旗」記者が中国人民解放軍に射殺されたことについても、志位和夫氏は沈黙を貫かざるを得ないでしょう。
北朝鮮による人権抑圧、政治犯収容所の存在を志位和夫氏が中央委員会総会などで取り上げたらどうなるでしょうか。
そんなひどい国に、なぜ十万人近くの元在日朝鮮人が帰国したのか、という疑問が下部党員から出てきてしまいます。
そうなったら、宮本顕治氏がかつて北朝鮮を礼賛した史実が、吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員にも知られてしまいます。
昔の日本共産党は「鉄砲政権党」だった―吉良よし子議員、池内さおり議員は宮本顕治氏の論文「ソ連邦共産党第二十一回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について」(「前衛」1959年5月号掲載)を御存知なのか
ところで、宮本顕治氏も若い頃は、「議会を通じての革命」を全面的に否定する論文を書いていました。本ブログではこれを何度も紹介してきました。
昔の日本共産党は、国民に武装蜂起、武力闘争でソヴェト権力を樹立しようと訴えていました。
日本共産党も、「鉄砲政権党」だったのです。朝鮮戦争の時期に、実際に日本共産党は武装蜂起をしました。宮本顕治氏は武装蜂起を正当化する論文を「前衛」に発表しました。
レーニン、スターリン、毛沢東を崇拝してきた方々ですから。
「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」「自国政府が敗北するように行動せよ」はレーニン主義の中心命題です。
吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんには、一昔前の日本共産党の文献を少しは読んで頂きたいものですね。宮本顕治氏の上記論文をお勧めします。
追記
宮本顕治氏による「議会を通じての政権獲得、平和革命」全面否定論文は下記です。
「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」(「前衛」49号、1950年5月掲載。「日本共産党50年問題資料集1」、昭和32年新日本出版社刊行、p27-35にも掲載)
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