日露戦争(1904~05年)は、日本にとっては、ロシアを押しのけて朝鮮の支配権を確実にするとともに、さらには満州に、ロシアに代わって勢力圏を打ち立てる、このことを争った戦争でした(同書p27より抜粋)。
不破哲三氏ら左翼知識人は、上記のように日露戦争を日本が帝国主義化するために行った戦争とみなします。
大日本帝国憲法下の明治日本は、左翼史観では絶対主義的天皇制の軍国主義国家です。
不破哲三氏ら日本共産党員には、帝政ロシアが南下政策をとっていた事、明治日本が帝政ロシアの南下政策を阻止できなければ、徹底的に蹂躙されただろうという事がどうしても理解できない。
歴史にもしも、ですが日露戦争で日本が負けていれば、帝政ロシアが朝鮮半島と満州を支配していたでしょう。
帝政ロシアは強大化し、明治日本は弱体化します。日本は帝政ロシアに徹底的に蹂躙されたでしょう。
エジプト=トルコ戦争(1831-33、1839-40)以後、欧米列強間でオスマンの領土分割をめぐる争いが本格化します。
クリミア戦争(1853~56)も、ロシアの南下政策によるものです。
戦国武将の末裔である、明治日本の指導者たちはロシアの脅威を察知したのです。日露戦争は祖国防衛戦争だったのです。
日韓併合の頃の国際社会は、たとえて言えば戦国期の日本のようなものです。強国が弱小国を支配するのが当たり前でした。
弱小国の武将は支配されたくなければ、一刻も早く自国の武将を戦国大名にし、集権化して軍事力を強化して他国に進出するしかなかった。
勿論、ロシアは大英帝国の世界支配に挑戦したという見方もできるでしょう。
帝政ロシアの南下政策を直視できない不破哲三氏ら日本共産党員と左翼歴史学者は、日露戦争は韓国への侵略戦争であり、日本は朝鮮半島を植民地化したと主張します。
日韓併合は当時の国際法では完全に合法でした。
清朝、李氏朝鮮に国家主権、国民主権という発想はあったかー中華帝国皇帝は全人類社会の帝王として天帝に認められた
不破哲三氏ら日本共産党員は、国家主権と国民主権という考え方が李氏朝鮮、清朝にもあったと本気で考えているのでしょうか。
清朝や李氏朝鮮には議会や選挙は存在しません。国民が領土内で主権を持つという考え方があるはずもない。
中華帝国の皇帝は全人類社会の帝王である、という発想です。華夷秩序が、約二千年間中華帝国と周辺諸国間に存在していました。
周辺諸国は、中華帝国の皇帝の謁見を得る際、三跪九叩答礼をせねばならなかった。
中華帝国皇帝は全人類社会の帝王と天帝に認められているのですから、全世界は中華帝国皇帝の所有物です。
華夷秩序の世界観に、主権国家など存在しえない。従って領土、領海はない。
李氏朝鮮の頃の朝鮮半島の住民に、貴方は李氏朝鮮という国の国民として、領土と領海内で主権(最高の権限)を持っていますか、と誰かが聞いたら理解不能だったでしょう。
李氏朝鮮は明や清という中華帝国皇帝に臣下の礼を取ることにより、その地域での統治を許された。
全人類の帝王を抱いている華夷秩序を想定している人々の脳裏に、自国の領土はこの範囲で、それ以外を統治する他国には、他国の国家主権があるという発想はない。
国際社会は戦国時代―帝国主義国による世界分割がなされた時代
私は日韓併合の頃(明治43年。1910年)の国際社会は弱肉強食、日本の戦国時代のようなものだったとツイッターで繰り返し主張ました。
中野顕さん(日本共産党新宿地区の職員)は私の呟きに直接反論したわけではありませんが、不破氏の著作と同様の呟きを繰り返し発信しています。
昔の国際法は、ある地域の支配権をめぐって強国が争ったとき、戦争の勝者がその地域を支配する事が当然とされていました。
日露戦争に勝利した日本が朝鮮半島を支配する事は国際的に当然視されていた。
戦国日本では勝者こそ正義です。昔の国際社会も同様です。
中野顕さんは、当時の国際社会が戦国日本と同じだったという主張は嘘だ、と呟きましたが、帝国主義による世界分割をレーニンの「帝国主義論」も明記しています。
レーニンの「帝国主義論」が大嘘だったと中野顕さんは言いたいのでしょうか。
明治日本が生き残るために富国強兵、海外進出以外の道はあったのか
明治日本が国際社会で生き残ろうとするなら殖産興業から富国強兵、対外進出以外の道があったでしょうか。
この問いについて、不破哲三氏ら日本共産党員、左翼歴史学者は一切の思考と議論をしない。
この時期のアジアには、主権国家体制はないから領土、領海が定まっていない。海外に進出して拠点をおかねば、貿易すら困難な時代です。
公海という概念がないから、民間船舶の公海無害通航の原則など存在しない。
李氏朝鮮の頃の朝鮮半島の住民に、貴方は李氏朝鮮、大韓帝国という国の国民として、領土と領海内で主権(最高の権限)を持っていますか、と誰かが聞いても理解不能だったでしょう。
繰り返しますが中華帝国の皇帝は全人類社会の帝王である、という発想が華夷秩序の基本です。
日本の統治に反抗した方々には、大韓帝国の国家主権を守るという発想はない。
朝鮮半島の住民は日本が華夷秩序を破壊したから怒り、日本と戦ったのです。
不破哲三氏は「党綱領の力点」で朝鮮半島が日本にどう支配されていったかを述べていますが、ロシアの南進策を無視している。
大英帝国のアジア進出についても一切言及していない。
欧米列強は、有色人種の国家に国家主権があるとは認めなかった
この時期の欧米諸国に、有色人種にも主権国家が存在する、などという発想があるとは到底考えられません。
国家主権という考え方は、欧州諸国間に限定されていました。
ムガール帝国は大英帝国に滅ぼされました。皇帝は流刑。
不破哲三氏ら日本共産党員、左翼歴史学者はインド帝国(1877~1947)も国際法では無効、不法だったと主張するのでしょうか。
ところで、植民地と言う語をどのように定義するのでしょうか。欧米諸国が「発見」し植民していった地域の総称なら、南北アメリカは植民地です。
南北アメリカが植民地なら、植民地経済発展論は適切です。
アフリカも植民地だったのでしょうが、白人はアフリカの気候に耐えられなかった。アフリカに植民した白人は絶滅したと聞きます。
気候は、人類の歴史にかなりの影響を及ぼしていると考えられます。
経済発展の遠因は植民地支配だ、という見解については、あらゆる角度から検討されるべきですね。