2023年8月18日金曜日

日本共産党は最高指導者の誤りを認めないー「日本共産党の百年」は社会主義生成期論(昭和52年10月の第十四回大会)の問題点を認めた

中年になったら誰しも、若い頃の自分を振り返り、なぜ自分はこんなことをいったのか、あんなことをやったのかな、と思い起こす事があるのではないでしょうか。

周囲の方々に迷惑をかけてしまったな、という気持ちを持っているが、今さらどうしようもないな、という調子で日々の生活を送っている方が少なくないかと思います。

殆どの場合、それは個人的な事ですから公の場でその思いを表明する必要はないでしょう。

しかし、政治家や企業経営者が重大な判断ミスをして、所属政党の党員と支持者や、所属企業の従業員、株主あるいは消費者に迷惑をかけたなら、公の場や著作等でなぜ自分が間違ったのかを表明するべきではないでしょうか。

企業の場合、経営を示す指標が株主総会で報告されますから、経営危機になったら株主から徹底批判されることになります。

それでも、発行済株の相当な割合を保有していれば、経営者交代とはなりにくい。

インターネットで様々な企業が商品を売る場を提供するビジネスを早くから初めて高成長した某大企業の現状は、そんな調子です。

日本共産党議員・職員には指導者批判は困難

共産党という組織には、株主総会に相当する会議がありません。

日本共産党の場合、2,3年くらいの間隔で開催される党大会の開催前に、執行部が提案した大会議案に関する議論がなされます。

各地域の日本共産党組織が、誰が党大会に参加する代議員になるかを事実上決めます。

一般党員の場合、日本共産党の大会に参加しても大した利点はありません。自分が代議員になりたい、という方は稀と考えられます。

一般党員なら、日本共産党の指導者をインターネットなどで批判する事は難しくありません。

しかし日本共産党職員、議員は、指導者批判を極めてやりにくい。外部では勿論、日本共産党の内部でこれを行っても、何らかの形で不利益となる可能性が高いからです。

共産党の指導者は、自分の主張や理論、政策の誤りを認めない

共産党の指導者は自分の主張や理論、政策の誤りを認められません。

レーニン、スターリン、毛沢東、金日成、金正日のうち、自分の主張や理論、政策が根本的に間違っていたという告白をした人物はいません。

フルシチョフのように自分より前の指導者が間違っていた、と主張した指導者はいます。

日本共産党の歴代指導者も同様です。

指導者が誤りを認めたら、無謬神話が崩れてしまいます。共産党指導者の権威が低下してしまい、様々な波乱がありえます。

昭和31年2月のフルシチョフによるスターリン批判の後、10月にハンガリー動乱が起きました。中ソ論争が始まったのはこの頃です。

今の日本共産党は、第十六回大会で不破さんが批判した「社会主義完全変質論」を採用

「日本共産党の百年」(p34の四段落目。第三章の最後)は、昭和52年10月に開催された日本共産党第十四回大会決定で定式化された、社会主義生成期論の問題点を指摘しています。

「日本共産党の百年」によれば、社会主義生成期論はソ連などの現状を「生成期」という、社会主義に向かうレールの上に位置付けている点で、認識の制約と理論的限界を免れませんでした。

社会主義生成期論が間違っていたなら、宮本顕治さんが「前衛」に出した論文は大失敗論文です。この論文は、宮本顕治著作集には掲載されていません。


宮本顕治著作集編集委員会は、以下の方々です(敬称略)。

岡宏輔・志位和夫・浜野忠夫・不破哲三・山口富男

編集委員会の皆さんが、なぜこの論文を著作集に掲載しなかったのかは不明です。

昭和34年頃の日本共産党が、ソ連や中国、東欧、北朝鮮をどう把握していたかを示す論文と考えます。

今の日本共産党は、第十六回大会で不破さんが徹底批判した「社会主義完全変質論」を採用していると考えられます。

不破さんは日本共産党第十六回大会で、社会主義国が大国主義の誤りをおかしているから、その社会主義国は世界史の中で何の積極的役割も果たさなくなったという主張を社会主義完全変質論と規定しました。

今の日本共産党は、スターリン以降のソ連を覇権主義、人間抑圧社会と規定しています。これは社会主義完全変質論そのものです。

ソ連が覇権主義で人間抑圧社会だったのなら、大韓民国を滅亡させるべく朝鮮戦争に参戦した人民中国とやらも同様ではないですか。

大会決定が間違っていても、指導部に責任はないのか

不破さんは、第十四回大会当時は書記局長でした。

第十四回大会決定が間違っていたのなら、なぜ間違いを決定として普及したのかを、最高幹部だった方の一人として説明するべきではないでしょうか。

昭和5年生まれの不破さんは、93歳の今でも、常任幹部会という日本共産党の経営陣の一人です。

今の日本共産党員には、昔の大会決定や重要論文を改めて読んで、その含意を考えるような方が殆どいないようですね。

大会決定が間違っていても、指導部の責任を追及する方が全くいないなら、日本共産党は理論的力量衰退を加速化させると考えます。




2023年8月15日火曜日

「日本共産党の百年」より思うー不破さん、志位さんは昭和34年2月の朝鮮労働党との共同声明を内緒にしたい

 山添拓議員、吉良よし子議員ら若い日本共産党員は御存知ないでしょうが、日本共産党は朝鮮労働党と二回、共同声明を発表しています。

第一回目は昭和34年2月、第ニ回は昭和41年3月です。日本共産党の代表は宮本顕治さん、朝鮮労働党は金日成です。

なぜか「日本共産党の百年」では、第一回目の会談と共同声明については記されていません。

二回目については、「日本共産党の百年」p28の初めの段落で紹介されていますが、内容については説明がありません。

当時、朝鮮労働党は日本共産党に対するソ連の覇権主義的干渉に反対する立場を表明した数少ない党でした、という記述がありますが、それだけです。

「日本共産党の八十年」(平成15年刊行)も昭和34年2月の朝鮮労働党との共同声明を内緒にしている

日本共産党の八十年」(p142)では、ソ連共産党第21回臨時大会に出席した帰路、日本共産党代表団が北朝鮮と中国を訪れて、朝鮮労働党、中国共産党と会談をしたことが記されています。

中国共産党との共同声明については記されていますが、朝鮮労働党との共同声明については記されていません。

朝鮮労働党との二回目の会談での共同声明について「日本共産党の八十年」(p189)は、ベトナム人民支援の国際統一戦線結成と拡大を重要任務とした、と記しています。

「日本共産党の七十年」には昭和34年2月の共同声明の記述があるが、内容の説明はない

「日本共産党の七十年 上」(pp. 273-274)は、宮本顕治さんら日本共産党代表団がソ連共産党第21回臨時大会に出席した帰路、北朝鮮と中国を訪れ、朝鮮労働党、中国共産党と共同声明を発表した事を記しています。

朝鮮労働党との会談及び共同声明の内容についての説明はありません。

「日本共産党の七十年 上」(p354)は、ベトナム労働党、朝鮮労働党それぞれと反帝国際統一戦線の結成と拡大を重要な緊急任務として強調した共同声明を発表したと記しています。

不破さん、志位さんはなぜか、昭和34年2月の朝鮮労働党との会談と共同声明を内緒にしたいのでしょうね。

昔の日本共産党は金日成と朝鮮労働党を礼賛しました。この共同声明は在日朝鮮人の帰国に際し、子女の教育の保障があるなどと明言しています。

昭和30年まで、在日の共産主義者は日本共産党員でした。この時期の日本共産党による朝鮮労働党礼賛は、在日朝鮮人の中で相当な影響力があったのです。

察するに不破さん、志位さんはこの辺りを内緒にしたいのでしょうね。


昭和41年3月の共同声明についても、不破さん、志位さんはあまり知られたくないのでしょう。


昭和41年3月の朝鮮労働党の共同声明で日本共産党は、朝鮮労働党による朝鮮半島の統一、すなわち大韓民国滅亡を策を支持しました。

この件について、本ブログは何度か指摘しています。下記です。志位さん、歴史の修正は難しいのですよ。

2023年8月13日日曜日

「日本共産党の百年」より思うー第七回、第八回大会の頃の日本共産党は自主独立の立場からソ連を礼賛した

私は本ブログやtwitterで繰り返し強調していますが、昔の日本共産党はソ連信者の団体でした。

これがばれると厄介ですから、志位さんは日本共産党をソ連と一貫して対決してきた集団のように描き、歴史を修正したいと考えられます。

しかし、歴史の修正は困難です。大きな図書館などで日本共産党の昔の文献を入手し、読めばすぐに歴史の真実がわかってしまいます

「日本共産党の百年」(p19、下から二段目)によれば日本共産党は、党の組織的統一を全面的に回復した第七回大会(1958年)で、自主独立という確固とした路線を決定しました。

同書(p23、一番下の段)によれば、日本共産党は第七回大会から第八回大会へ、二つの大会をつうじて、党綱領を定め、自主独立の立場を確立しました。

自主独立、とは綱領を自分たちの力で作成した、という意味なのでしょう。

第七回、第八回大会の頃の日本共産党もソ連礼賛を続けていた

しかし、宮本顕治さんをはじめとしてこの時期の日本共産党員はソ連信者でしたから、ソ連礼賛は続けていました。

この時期の日本共産党は自主独立の立場で、ソ連から強制されずに、ソ連礼賛を続けたのです。

「日本共産党の百年」には、宮本顕治さん(当時は書記長)が雑誌「前衛」に掲載した論考について何も述べていません。以下です。


宮本顕治さんによれば、社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめました。

ソ連は共産主義建設の偉大な不滅の砦です。宮本顕治さんは「砦」という語がお好きだったようで、第八回大会ではソ連を世界平和の強力な砦と礼賛する報告を行っています。

ソ連は共産主義建設の偉大な不滅の砦、世界平和の強力な砦である。これは、ソ連信者でなければできない表現です。

若き不破哲三さんは宮本顕治さんが「前衛」に掲載した論文を一生懸命読み、感銘したのではないでしょうか。

この時期の日本共産党は、自主独立の見地からソ連を礼賛したのです。

第八回大会(昭和36年7月)からおよそ三十年後、宮本顕治さんはソ連共産党解体を歓迎しました。

日本共産党員には、元の上司が落ち目になったら手のひらを返す、というような生き方を選択する人が多いのでしょうか。


「日本共産党の百年」をざっと読みましたー志位さんは、日本共産党の歴史を修正したいー

 「日本共産党の百年」をざっと読みました。

古今東西、共産主義者は都合の良いように歴史を修正します。

スターリン、毛沢東、金日成は勿論、宮本顕治さん、不破哲三さん、志位さんも「日本共産党の百年」で歴史を様々な点で修正しています。

最大の歴史修正点は、昔の日本共産党がソ連信者の団体であり、日本のソ連化を目指していたことを内緒にしていることです。

昔の日本共産党は国際共産党(コミンテルン)の日本支部として、ソ連から資金と拳銃を受け取り、内乱を起こそうと策していました。

レーニンは第一次体制のとき、革命的祖国敗北主義の見地から帝国主義戦争を内乱に転化せよ、全ての権力をソビエトへと主張しました。

ボリシェヴィキが採用したこの革命戦略は国際共産党日本支部に継承されています。

これは「プロレタリア赤衛軍創設」「議会の解散」「労働者農民兵士ソビエトの権力樹立」を明記した32年テーゼを読めば明らかです。

しかし、歴史の修正は簡単ではありません。志位さんがどんなに日本共産党の歴史を修正しようと努力しても無駄です。

昔の日本共産党の文献や、宮本顕治さんら昔の日本共産党幹部の論考を読めば、ソ連信者でしか書けない記述がいくらでもありますから、真実がばれてしまいます。

「日本共産党の百年」の冒頭に、日本共産党が世界と日本の人民の解放闘争の高まりのなかで創立された、という記述があります。

これだと、日本共産党の創立がロシア革命やソ連とは何の関係もなかったように思えてしまいます。

「日本共産党の百年」を読んだ若い日本共産党員は、ロシア革命が日本の社会運動、左翼知識人に及ぼした影響などあまりなかった、という印象を抱いてしまいかねません。

昔の共産主義者は、自らをボリシェヴィキの一員と考えていた。

昔の共産主義者は、世界で共産党は一つと考えていました。自分はレーニン、スターリンの党であるボリシェヴィキの一員だ誇っていたのです。

そこで日本人が英国やドイツ、あるいはソ連で共産党に入って、日本に戻れば日本支部に所属するようになっていました。

野坂参三さんは英国で共産党に入っています。

昭和30年まで、在日の共産主義者は日本共産党員でした。

「日本共産党の百年」には、「このころには、在住地の党に参加するというコミンテルンの方針で、朝鮮人共産主義者も入党し、さまざまな分野で活動をすすめました」という記述があります(5の三段目。昭和6年頃の話)。

(15)には、党に参加していた在日朝鮮人の活動家たちは、55年中ごろまでには党籍を離れました、という記述があります。

これだと、在日中国人の共産主義者が日本共産党員だった事は完全に内緒です。

在日中国人、在日朝鮮人共産主義者に対する中国共産党、朝鮮労働党からの指示などなく、自分の判断で日本共産党を辞めたような記述になっています。

志位さんは、中朝両党と昔の日本共産党の関係も内緒にしたいのです。共産主義者は、自己を正当化するために歴史を修正します。


ところで、昔のプロレタリア文学運動の指導者だった蔵原惟人さんについて、「日本共産党の百年」には記載されていないようですね。

蔵原さんはソ連の文芸評論理論を日本のプロレタリア文学運動に適用したことで有名ですが、この辺りも志位さんは内緒にしたいのでしょう。

追記:

p16からp17にかけて、次の記述がありました。

党中央の解体と分裂という事態にたいし、排除された宮本、蔵原ら七人の中央委員は、1950年9月1日、公然機関として全国統一委員会をつくりました。

袴田里見さんについては、p17で党中央の解体・分裂という事態を説明するために海外に派遣されていたが、スターリンと徳田、野坂らの最後の会議に出席し、「自己批判書」を発表して徳田・野坂分派側にうつりました、と記されています。

宮本顕治さんが、暴力革命論の51年綱領をかがやかしい新綱領と高く評価していたことも記載されていません。この辺り、志位さんは内緒にしたいのでしょう。

再追記

「日本共産党の百年」のp6、下から三段目に、プロレタリア文学と文学理論の代表的存在として小林多喜二、宮本百合子、宮本顕治と並んで蔵原惟人さんの名前が記されていました。

これだけでは、蔵原さんがプロレタリア文学運動の指導者だったことは、他の文献を調べなければわかりません。