2017年9月12日火曜日

レーニン「プロレタリア革命の軍事綱領」より思う。内乱を否認することは日和見主義、社会主義革命の断念である。(全集第23巻。1916年9月にドイツで執筆)

「我々はつぎのように言う。ブルジョアジーにうち勝ち、彼らを収奪し、武装解除するためのプロレタリアートの武装、と。これこそ、革命的階級のただ一つ取りうる戦術であり、資本主義的軍国主義の客観的発展全体が準備し、基礎づけ、おしえている戦術である。」(全集23巻、p84より抜粋)


この論文は、ロシア革命より前に執筆されました。レーニンの戦争と平和、内戦と革命に関する考え方が良く出ています。上記はどう読んでも、暴力革命路線です。

レーニンによれば、オランダ、スカンディナヴイアやスイスの社会民主主義者から「民兵、または人民の武装」という社会民主主義者の旧来の条項を、「軍備撤廃」に置きかえるべきだという声があがりました。

軍備撤廃要求こそ、あらゆる軍国主義者とあらゆる戦争に反対する闘争をもっとも徹底的に表現したものだという議論に、レーニンは大略次のように反論しています。

労働者階級の武装こそ、革命的階級のとりうるただ一つの戦術である


第一に、社会主義者は革命戦争、民族戦争には反対しない。

第二に、内乱もまた戦争である。内乱は、あらゆる階級社会で、階級闘争の自然な、不可避的な継続、発展、進化である。

内乱を否認することは、極端な日和見主義であり、社会主義革命を断念することである。

レーニンによれば、プロレタリアートに対抗するブルジョアジーの武装は、今日の資本主義社会における最大の、根本的で重要な事実の一つです。

この事実を目の当たりにしながら、軍備撤廃の要求を掲げるべきだと主張する人は、階級闘争の立場を完全に放棄し、革命の思想を一切放棄しています。

プロレタリア婦人は息子たちに軍事知識の習得をすすめるべきである


そこでレーニンは、労働者階級が武装することこと、革命的階級のただ一つとりうる戦術であると断言しました。

レーニンは、軍事化が公共生活全体に浸透しつつあるこの時期、プロレタリア婦人は息子たちに次のように言うべきであると述べています。

「おまえはまもなく大人になって、銃を与えられるでしょう。銃をとって軍事知識をすっかり、しっかりとまなびとりなさい。この知識はプロレタリアにとって必要なものです」。

ブルジョアジーに勝つために「人民の武装」が必要であるとレーニンは考えていたのです。

革命とは武装蜂起なのですから、革命家には豊富な軍事知識が必要でしょう。

レーニンはこの論文でも、帝国主義的ブルジョアジーに対する内乱は、ただ一つの革命的戦争であると明言しています(全集第23巻、p85)。

レーニンは「革命的祖国敗北主義」を唱えた


さらにレーニンは、帝国主義大国にいる労働者階級がとるべき戦術について次のように述べています。

英仏独オーストリア、ロシア、イタリア、日本など帝国主義大国のブルジョアジーは完全に反動化しており、世界支配の渇望に取りつかれているので、彼らの行う戦争はすべて反動である。

プロレタリアートは、ブルジョアジーが行う戦争に反対するだけでなく、戦争を阻止するための革命的蜂起に成功しない場合、自国政府の敗北を望み、その敗北を革命的蜂起のために利用せねばならない。

革命的祖国敗北主義です。自国が戦争で敗北すれば、自国の政府は弱体化する。

そのとき、革命的武装蜂起で権力を掌握すべきという事です。帝国主義戦争を内乱に転化せよ、はレーニンの革命理論を端的に表しています。

レーニン主義と左翼の「平和運動」―帝国主義大国こそ戦争勢力


現在の日本共産党も高く評価している「32年テーゼ」(日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ)には、行動スローガンの第一に「帝国主義戦争反対。帝国主義戦争の内乱への転化」を掲げています。

当時の世界共産党(コミンテルン)は、日本共産党員に内乱を起こさせて労働者農民ソビエト政府を樹立させようと策していました。

労働者農民ソビエト政府とやらが実際に樹立できなくても、日本がソ連と戦争をするようになったときに内乱をおこさせれば、後方かく乱になります。

宮本顕治氏は論考「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」(「前衛」1950年5月掲載)で日本革命の平和的発展の可能性と、議会を通じての政権獲得の理論を完全な誤りと断じました。

宮本顕治氏は、レーニンの革命理論に依拠して、武装闘争を理論的に正当化しました。

この論文を、吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い日本共産党員の皆さんは御存知ないようです。

私見では、日本の左翼の「平和運動」はレーニン主義の影響を強く受けています。

現在、朝鮮労働党が「朝鮮中央通信」で、日本に対して繰り返し核攻撃を示唆しています。

これを日本の左翼は、全くと言っていいほど批判できない。せいぜい、米国と北朝鮮どっちもどっち論です。米国が行う戦争に日本が巻き込まれる、という話です。

米国が日本への核攻撃を策しているはずがないことはあまりにも明白です。

レーニンの「帝国主義論」や、「革命的祖国敗北主義」に影響されている左翼人士、志位和夫氏ら日本共産党員は、北朝鮮が日本の平和と民主主義を脅かしていることを認められない。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんも、金正恩の核攻撃により日本人と一緒に灰になってしまいうることが理解できていないようです。

日本には三菱東京や三井住友など、メガバンク、金融資本がありますから日本は戦争国家です。この図式が、頭の中に焼き付けられて離れない左翼人士があまりにも多い。

マルクス主義経済学、「帝国主義論」では北朝鮮は戦争を起こさない―途上国は帝国主義に侵略される―


左翼人士や志位和夫氏にとって、金正恩と朝鮮労働党より、「帝国主義大国のブルジョアジー」の代理人である安倍政権こそ、真の戦争勢力です。

北朝鮮は途上国ですから、金融資本がありません。左翼人士にとって、金融資本、帝国主義がが戦争を起こすのです。

マルクス主義経済学では、北朝鮮は米国と安倍政権により侵略される側なのです。

北朝鮮は数万人の労働者をいろいろな企業に所属させ、ロシアや中国、中東の建設事業や林業などで現地企業と契約して働かせています。

労働者たちは、1日16時間程度働かされ、一か月に一日くらいしか休めないそうです。本来受け取るべき賃金の70%くらいを現地の管理者、労働党幹部に取られてしまいます。

残りの30%を自分の食費と家族への送金、さらに現地の労働党幹部への賄賂に使うそうです。

北朝鮮の労働者が朝鮮労働党により搾取されていないのなら、日本のいかなる労働者も搾取されていないとしか私には思えません。

北朝鮮の海外派遣労働者は、北朝鮮の企業に所属しつつロシアや中国、中東の建設現場で重労働をしています。北朝鮮の企業は、外国に進出しているのですから「多国籍企業」のはずです。

マルクス主義経済学では「多国籍企業」の分析が盛んですが、北朝鮮企業の多国籍企業化はなぜ分析されないのでしょうか。

左翼人士は、米日、米韓と北朝鮮が対決することになった場合、北朝鮮が勝利することを望んでいるのかもしれません。革命的祖国敗北主義者ですから。








2017年8月17日木曜日

石堂清倫・佐藤昇編「構造改革とはどういうものか」(昭和36年青木新書)より思う。

「もともと構造改革とは独占資本主義体制の根本的変革をめざし、独占の支配をほりくずしつつ、革命を日程に上しうる条件をつくりあげてゆこうとするものであって、いわば資本主義の枠を突破して社会主義をうちたてることを本来の目標としているからである」(同書p13より抜粋)。


日本共産党の現在の綱領は、昭和36年7月の第八回大会当時、春日庄次郎氏らが唱えた「構造改革」論に似ています。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い日本共産党員は「構造改革論」と言っても何のことだか御存知ないかも知れません。

上記は、構造改革論の提唱者だった佐藤昇氏の主張です。

この部分だけ読んでも、今の日本共産党の綱領や不破哲三氏の「私たちの日本改革」に似ていませんか?

志位和夫氏なら、「構造改革論」と現在の綱領が類似していることを十分認識しているでしょう。

宮本顕治氏は第八回大会で「構造改革」論を徹底批判した―社会民主主義への完全な転落


宮本顕治氏は第八回大会の「綱領(草案)についての報告」で春日庄次郎氏を徹底批判しています(第八回大会特集p136-140)。

宮本顕治氏によれば、春日庄次郎氏は革命の平和的移行唯一論を主張しているので、社会民主主義的見地に完全に転落しています。

宮本顕治氏によれば、人民の側の意向だけでこの問題を決定することはできません。

これが階級闘争の弁証法だそうです。いわゆる「敵の出方論」です。

宮本顕治氏は春日庄次郎氏の論文だけでなく、石堂・佐藤両氏のこの本を読んでこのように党大会で報告しています。

石堂・佐藤氏の「構造改革とはどういうものか」には、「敵の出方論」という話はありませんから、平和的移行唯一論です。

今の日本共産党も平和的移行唯一論ではないでしょうか?

吉良よし子議員、池内さおり議員らが日本革命の行く末は最終的には「敵の出方」によるとみて、武装闘争を一つの選択肢にしているとは思えません。

宮本顕治氏によれば、現在の日本共産党は階級闘争の弁証法を知らず、社会民主主義に完全に転落していることになります。

昔の日本共産党員は、「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と定めた「32年テーゼ」を信奉していました。

「敵の出方論」はレーニンの「帝国主義論」と革命理論に依拠しています。共産主義者なら、当然の結論です。

「構造改革論」の国家論-国家を動かす国家意思には、他の諸階級、諸階層の意思も反映される


「構造改革論」の資本主義国家に対するとらえ方も、今の日本共産党の国家観と似ています。

佐藤昇氏によれば、国家機関を動かすのは国家意思です(同書p21-22)。

この国家意思は基本的に支配階級の意思が反映されるが、他の諸階級、諸階層の意思も反映されます。

支配階級も純粋に彼らの意思通りに国家を動かせません。

そこで勤労者が国家に働きかけ、その反動的機能を抑制したり、それを多少とも進歩的・民主的方向に動かすことができる。

これは今の日本共産党の綱領路線と同じ発想ではないでしょうか?

「野党と市民の共闘」を目指すのなら、「構造改革論」を見直すべきだが...


昭和36年当時、社会党が「構造改革」の方針を提唱していました(同書のまえがきより)。

現在の日本共産党は、「野党と市民の共闘」を提唱しています。

日本共産党を支持するマルクス主義経済学者、政治学者の皆さんなら、「構造改革論」と現在の日本共産党の路線がよく似ていることがすぐにわかるはずです。

「歴史にもしも」は禁物ですが、昭和36年の第八回大会当時、日本共産党が「構造改革論」の綱領を制定していたら社会党と連立政権を作っていたかもしれません。

マルクス主義経済学者、政治学者が「野党と市民の共闘」を本気で目指すのなら、「構造改革論」を再評価する研究をすべきでしょう。

そういう研究者は皆無なのかもしれません。良かれあしかれ、マルクス主義経済学者、政治学者は活力を失っている。

日本革命などないと本音では思っているマルクス主義経済学者、政治学者が多いのでしょう。

左翼勢力は共産主義国の侵略性を認識できない


社会党と共産党の連立政権ができたら、日米安保が破棄され自衛隊は徹底的に弱体化させられていたでしょう。

その場合、ソ連軍の北海道侵攻や、中国軍の尖閣と台湾侵攻、あるいは沖縄侵攻がありえたでしょう。

金日成は再び、「米帝国主義の傀儡」である韓国の「解放」戦争を断行した可能性が十分にある。日米安保が破棄されたら、米軍はひとまず朝鮮半島から撤退したかもしれない。

「構造改革論」者、伝統的なマルクス・レーニン主義者、市民派。左翼の潮流はいろいろありますが、共通点は共産主義国の侵略性を認識できない事です。

平和を脅かしているのは米帝国主義と日本の独占資本だ、彼らが戦争勢力だという発想は左翼の共通点です。

これはレーニンの「帝国主義論」の影響です。

今の左翼も、北朝鮮が先制核攻撃や、工作員が生物化学兵器テロ、離島占領や日本漁船銃撃を断行する可能性について思考と議論をできません。

中国が尖閣諸島に武装漁民を送り占領する可能性についても、左翼は想像すらできない。

左翼知識人、運動家として生きていくのは楽です。

周辺諸国の軍事情勢や戦略について一切思考と議論をせず、ただ安倍政権を批判していれば良い。

現代資本主義の産みだす矛盾とは―「自分には関係ない」


左翼でなくても、周辺諸国の軍事情勢と自分の生活が全く関係ないと思い込んでいる知識人は実に多い。

自分には関係ないと思えることは一切関わりを持たない。そんな人があまりにも多い。

これが現代資本主義の産みだす大きな矛盾と思えてなりません。

現代資本主義の最重要問題は、搾取や格差ではなく、大量消費と広告が人格に大きな影響を及ぼし、社会を荒廃させることではないでしょうか。

ダニエル・ベルの「資本主義の文化的矛盾」を思い出しました。





2017年8月5日土曜日

スウィージー著「革命後の社会」(Paul M. Sweezy、昭和55年TBSブリタニカ刊行。伊藤誠訳)より思う。

「実際のところ階級社会のすべての矛盾のうち、もっとも根本的なものは、富の真の生産者が、何をいかにして生産し、それをどんな用途にあてるかということについて、ほとんどまったく管理権を剥奪されていることであるが、その根本的矛盾がなお存続し、ある意味では深刻化しているのである。」(同書p238より抜粋)。


Paul M. Sweezyはソ連をこのように把握していたのです。「富の真の生産者」とは労働者の事でしょう。

労働者が生産に関する管理権を剥奪されている事は根本的矛盾である、という主張です。

今年はロシア革命100周年です。ソ連は崩壊しましたが、ソ連社会主義とは一体何だったのでしょうか?

この問題は、共産主義理論と運動をどのように考えるかという問題であり、社会科学の大問題です。

現代日本は、中国共産党と朝鮮労働党という共産主義運動の流れに属する集団により侵略、支配される危険に直面しています。

金正恩は繰り返し、「朝鮮中央通信」で日本への核攻撃の可能性を示唆しています。北朝鮮の連続核攻撃を受けたら、日本社会は存続できるでしょうか。

日本の社会科学者、知識人が自由な言論活動を続けたいと願うのなら、中国共産党と朝鮮労働党の源流ともいうべきソ連をどう把握するかという研究と議論をもっとすべきでしょう。

Sweezyはユーゴ型の「労働者管理社会主義」を想定していた?


この本の著者Paul M. Sweezyは、米国でマルクス主義の立場から研究と評論活動に長年従事した学者でした。

この本の第十章は、昭和54年10月に東京大学経済学部で話したことに基づくものだとSweezyは序章で述べています(p19)。

上記を普通に読めば、「社会主義は労働者管理経済である」という結論になるとしか私には思えません。ユーゴスラヴィア社会主義です。

Sweezyなら、労働者管理企業(Labor Managed Firm、LMEと言われる)に関する経済学の諸論文、例えば青木昌彦教授のそれを知っていたのではないでしょうか?

SweezyがLMEやユーゴスラヴィア社会主義をどう考えていたのかは不明です。

私見では、労働者管理企業は中小零細企業として資本主義経済で存在しえます。規模が大きくなれば株式会社となり、普通の資本主義企業と大差ない。

青木昌彦教授は、労働者管理企業の理論を、終身雇用制と企業内組合、年功序列賃金を特徴とする日本企業を想定して考案したと考えられます。

Sweezyがユーゴ社会主義や日本をどう考えていたか、興味深いですが、それは別の文献によるしかありません。以下、本書第十章のSweezyの議論を紹介します。

Sweezyの資本主義論―三つの特徴のうち、ソ連は2つを欠いている


Sweezyによれば、資本主義の経済的基礎の特徴は次の3つです(同書p224)。

(その1)私的資本家による生産手段の私有

(その2)多数の競争的あるいは潜在的に競争的な単位への全社会資本の分散。

(その3)生産手段を所有せず、生活手段を得るために資本家に労働力を売らざるを得ない労働者による財とサービスの生産。

Sweezyによれば、ソ連ではこの三つの特徴のうち、(その1)(その2)が当てはまりません。大部分の生産手段が国家によって所有され、各経済単位は相互に競争をしていない。

(その3)はソ連でも保持されていますが、ソ連の労働者は極端な事情がなければ管理者により解雇されることがありません。

就業保障(tenure)がある点にSweezyは着目しています。

特権層と第二経済-闇経済では企業家精神が育まれている


Sweezyはソ連社会の特徴として、次の二点を指摘しています(同書p228)。

第一は、特権者集団にだけ開かれている特別な店があり、一般大衆が入手できない財をそこで買えることです。

第二は、特権者集団は住居、教育、保健のようなサービスも一般大衆とは異なる水準で享受できることです。

第三に、「第二経済」、闇経済の存在です。例えば、個人用や家庭用の建築、修理作業、医師の内職での治療、非合法に生産ないしは盗品の売買などです。

Sweezyは第二経済が私的な企業精神に強力な刺激を与え、社会の全てのレベルにおける汚職の肥沃な土壌になっていると指摘しています(同書p229)。

第二経済の存在により企業家精神が育まれていると、Sweezyは考えたのでしょう。師のJ.A. SchumpeterをSweezyは思い出していたのでしょうか。

企業家精神が汚職、闇経済でも育まれるとは面白い。現代の中国や北朝鮮でも同様の事実があるはずです。中国では、共産党幹部の一族が闇経済で巨額の資産蓄積をしている。

Sweezyのソ連論「革命後の社会」とは―前資本主義社会に似ている


Sweezyによれば、ソビエト社会の管理的地位を占める諸個人の集団は、本質的に自己再生産的な支配階級として次第に形成されました。

新しい支配階級は、権力と特権を資本の所有、管理からではなく国家とその多様な抑圧機構の直接的管理から引き出しています。

「革命後の社会」は剰余生産物の利用が政治的闘争過程、政治過程の中心的焦点になっています。従って「革命後の社会」は前資本主義的諸社会に近い。

新しい支配階級は、労働者階級を非政治化し、労働者階級から自己組織と自己表現の全てを取り上げ、労働者階級を国家の道具にしました。

ソ連の労働者階級は、資本主義的能率刺激制度により駆り立てられることはありませんが、夢中で働くことに興味を失くしています。

労働生産性が向上していないということでしょう。「革命後の社会」は停滞期に入っているようだとSweezyは本書の最後で述べています。

マフィア資本主義は闇経済から育っていった


労働者から自由な思考と言論を奪ってしまえば、生産性が向上するはずもない。

しかしSweezyが本書で主張していたように、闇経済で企業家精神を保持するようになった人々はいたのです。

マフィアです。

ソ連、ロシアがマフィア資本主義化していくことまで、Sweezyが予見できたとは思えませんが、闇経済の重要性をソ連崩壊前から指摘していたのはさすがです。

ロシア革命後100年経過すると、ロシアはマフィア資本主義になっていた。

歴史の皮肉のように思えますが、ロシア革命を、内戦の時期も含めて考えればそうなってもおかしくない。

当時のロシアには暴力と犯罪が蔓延していました。

トロツキーの著作を読み込んでいたSweezyは、H. G. Wellsの「影の中のロシア」(Russia in the Shadows)を読んでいたのでしょうか。

この本を読んでいれば、レーニンの時代のソ連の惨状を推し量ることができたはずです。

「宇宙戦争」著者は、想像力だけでなく社会と人間の観察力も備えていたのです。

「新しい支配階級」は侵略戦争を断行しうるのでは―左翼知識人に問う


Sweezyはソ連が「革命後の社会」であり、新しい支配階級が労働者階級を抑圧していると考えたのですが、それならば新しい支配階級が侵略戦争を断行しうるとみるべきでしょう。

Sweezyはレーニンの「帝国主義論」をあまり評価していなかったように思えます。Sweezyが高く評価していた労働者の就業保証は無くなりました。

Sweezyの著作を若い頃読み影響を受けたマルクス経済学者や、左翼知識人に私はお尋ねしたい。

Sweezyの著作は、ベトナム戦争の頃の米国や日本でかなり読まれたはずです。欧州の左翼にも、Sweezyの著作を熱心に読んだ方は少なくないでしょう。

ベトナム戦争の頃、韓国は朴正熙政権でした。この時期に、韓国の知識人や左翼がSweezyの著作を読むのは困難だったでしょう。

80年代の韓国なら何とか読めたのではないでしょうか。

自国の労働者階級を抑圧している「新しい支配階級」は、さらなる抑圧対象と剰余生産物を求めて侵略戦争を断行しうると見るべきではないですか?









2017年7月19日水曜日

バラン・スウィージ―著、小原敬士訳「独占資本」(昭和42年岩波書店。原題はMonopoly Capital)第七章より思う

「軍国主義と征服はマルクス主義理論にとってまったく無縁のものである。そして、社会主義社会というものは、帝国主義諸国の大資本家のように、他の国や国民を隷属させる政策によって利益を売る階級や集団をふくんでいない」(同書p225-226より抜粋)。


バラン(Baran)とスウィージー(Sweezy)は、米国の代表的なマルクス主義経済学者でした。

昭和40年代から50年代にマルクス主義経済学を学んだ方なら、彼らの著書「独占資本」を思い出す方は少なくないはずです。

「団塊の世代」くらいで左翼運動に参加した方々にはベトナム戦争のイメージから、今でも米国を極悪国家、戦争国家と認識している方がいます。

上記は、レーニンの「帝国主義論」以来、マルクス主義経済学者が共有するテーゼともいうべきものです。

マルクス主義の影響を受けて、種々の社会運動に参加している「市民派」や左派ジャーナリストは、このテーゼに依拠し、社会運動と言論活動を行っています。

最近では、レーニン「帝国主義論」を真剣に読んでいる左翼人士は少なくなりました。

現実と大きくかい離したイメージに依拠して米国と日本や韓国、欧州諸国が戦争を起こす側であり、ロシア、中国と北朝鮮や途上国は基本的に平和国家だと信じているジャーナリストや運動家は少なくない。

人は、世界を言葉で把握し、世界の中での自分の位置と役割を見出し、自分も言葉を発してそれを確認します。

日米は戦争国家だ!平和憲法を守れ!という左翼の宣伝文句に慣れ、自分でも連呼するうちに脳裏に焼き付いてしまうと拭い去るのは難しいのでしょう。

このテーゼは、ソ連や中国、北朝鮮の歴史を少しでも調べて考えれば暴論、愚論でしかない。バランとスウィージーがなぜこんなテーゼを信じたのか不可解です。

この本が米国で出版された昭和41年頃では、旧ソ連や中国の数々の侵略行為や、大量餓死の史実が米国、日本ではあまり知られていなかった。

この本を今日評価するなら、それも考慮せねばならないでしょう。

バラン、スウィージーの戦争論はカウツキーの「超帝国主義論」に近い


1929年の世界恐慌の時期、計画経済で運営されているソ連は着実に経済成長を達成したと信じている学者は少なくなかった

バランとスウィージーは、レーニン「帝国主義論」のように「金融資本」という概念を使っていません。

戦争についての二人の立場は、レーニンが徹底批判したカウツキーのそれに近いと考えられます。

レーニンによれば、カウツキーは帝国主義の政策をその経済から切り離し、併合を金融資本の「好んで用いる」政策であると説明しました。

バラン、スウィージーによれば、米国が第二次大戦以後急速に軍事力を拡大させたのは、競争相手としての社会主義体制の台頭が資本主義的指導国家としての米国の軍事的必要を高めたからです(同書p223-224)。

回りくどい言い方ですが、要はソ連や中国の軍事力に対抗し、彼らを封じ込めるため、米国は軍事力を拡大させたという話です。

資本主義体制の生き残りのための軍拡という視点ですから、ソ連や中国と何らかの妥協ができれば軍拡は不要ということになります。

これはカウツキーの主張した「超帝国主義」の理論に近い。

「経済的余剰の増大」について


私見ではこの本の経済理論面での最大の理論的特徴は「経済的余剰の増大」と、「独占資本主義は停滞する」という主張です。

経済的余剰の簡単な定義は、ある社会が生産するものと、それを生産するに要する生産費との差額です(同書p13)。社会全体での利潤といえるでしょう。

以下、彼らの主張を簡単な経済理論で考えてみます。

「余剰の増大」を後期ケインズ派理論のモデルで解釈すると、投資増ないしは貯蓄率低下


バランとスウィージーによれば独占資本主義の下では大会社の価格・生産費政策の性格のために余剰は絶対的にも、総産出高に対する比率としても増加していきます。

余剰は消費、投資と浪費により吸収されます(p101)。この記述を、後期ケインズ派の理論で解釈すると次のようになります。

貿易を無視するとこの関係は、労働者が賃金所得(実質賃金w×雇用量N)を全額消費し、資本家は利潤の一部を消費(浪費)すると想定することにより得られます。

簡単化のため、費用を賃金支払いのみとします。利潤Πは総産出高Y―賃金支払いと定義できます。

利潤からの消費割合×利潤が資本家の消費(浪費)です。総産出高Yは均衡において、資本家の消費需要(浪費)cΠ+労働者の消費需要wN+投資需要Iです。数式では次になります。
.
Y=cΠ+wN+I  Π=Y-wN 

内生変数は総産出高Yと利潤Πです。実質賃金w、雇用量N、投資I、消費性向cは外生変数です。

少し計算すると、(1-c)Π=I、Π=I/(1-c)という式が得られます。1-cは貯蓄率sです。

両辺を社会全体の資本存在量Kで除すると、貯蓄率×利潤/資本存在量=資本蓄積率(I/K)、sr=gという後期ケインズ派(Post Keynesian)がマクロ経済を説明するためによく用いる式が得られます。

Sweezyは、このような式を想定していたのかもしれません。産出高は次になります。

Y=I/(1-c)+wN

この簡単な経済モデルで考えると、余剰(社会全体の利潤率)の増加は投資(資本蓄積率)の増加ないしは貯蓄性向の低下によると解釈できます。

資本主義経済の特徴は、投資水準の動向により産出高とそれに比例した雇用量の変動が生じる、ということを強調するモデルになっています。

雇用量Nについては、例えば生産量の一定倍になると定式化すれば内生変数にできます。

モデルの問題点と「独占資本主義は停滞する」


バランとスウィージーは第二章で、独占資本主義では生産費が下降傾向にあり、それが利潤を高めていると主張しています。このモデルではそれが反映されていません。

実質賃金が外生変数になっている点がこのモデルの大きな問題点です。このモデルでは、企業経営者、資本家や労働者の行動様式が把握されていない。

長期の経済状態をこのモデルで語るのも無理があります。このモデルでは生産性、技術の変化と産出高の関係が把握されていません。

バランとスウィージーの主張「独占資本主義は停滞する」は、余剰の増加という主張と矛盾するように思えてなりません。

余剰が増大する、即ち投資が継続してなされるなら独占資本主義での持続的な経済成長が達成されるでしょう。

この点については、改めてじっくり検討したいと考えています。

北朝鮮の核ミサイル攻撃により日本は「不況」になる―生産関数の下方移動


ともあれ、ロシア、中国と北朝鮮は日本を侵略する意思と能力を備えた戦争国家です。

特に北朝鮮は最近、「朝鮮中央通信」で繰り返し日本に対する核ミサイル攻撃を示唆しています。

実際に北朝鮮により核ミサイル攻撃が日本に対してなされたら、甚大な被害がでてしまいます。

経済学の言葉でこれを語れば、生産関数の大幅な下方移動、あるいは完全雇用線が大きく左に移動することになります。

「日本独占資本主義の停滞」どころではありえません。

とんでもない「不況」になってしまうことが明らかなのに、経済学者がなぜ北朝鮮の核ミサイル攻撃にどう日本が対応、反撃するべきかを議論しないのは不可解です。

北朝鮮は途上国ですから、高成長を達成した日本に侵攻してくることなどありえないと考えているのでしょうか。

むしろ、途上国だから豊かだが無防備な日本の資源収奪のために侵攻してくると考えるべきではないでしょうか?

H. Grossmanのように戦争をモデル化すればそういう結論が出るはずです。

残念ですが、冒頭に指摘したマルクス主義のテーゼを信じている学者、知識人が相当数いるようです。



2017年7月3日月曜日

レーニン「青年同盟の任務」(1920年10月2日。「レーニン全集」第31巻、大月書店刊行)より思う、

「もし農民が自分の地所に尻をおろして、よぶんの穀物、すなわち彼自身にも彼の家畜にも必要でない穀物をわがものとしているのに、ほかの人々はみな穀物をもっていないとすれば、その農民はすでに搾取者に変わっているのである。


彼の手もとにのこる穀物が多ければ多いほど、彼にはますます有利であり、ほかのものは飢えようとかわまない、ということになる。」(「レーニン全集」第31巻, p290より抜粋)。


上記のごとくレーニンは農民の商業活動を搾取とみなし、徹底的に禁止せねばならないと青年同盟に説きました。

農民は自分と家畜が食べる分量の穀物以外は、全て国家に供出せねばならない、という話です。

穀物を隠して手元に残し、「担ぎ屋」のような商人に売る農民は、レーニンによれば「搾取者」です。

「青年同盟の任務」でレーニンは、共産主義社会を建設するための若者の心構えを説いています。

私は30数年前にこの論文を読みました。

当時の私は、レーニンの「農民が穀物を売ると搾取者になる」論の異様さに気づかなかった。

何となく読み飛ばしてしまっていたのです。レーニンの言説に間違いなんてあろうはずがない、と思い込んでいたようです。

ペテログラードの社会秩序崩壊とレーニンの穀物徴発指令


「青年同盟の任務」をレーニンが書いた時期、モスクワやペテログラードでは物資の生産と流通網が大打撃を受け、庶民は飢餓状態になっていました。

ロシア革命期のペテログラードについては、長谷川毅「ロシア革命下 ペトログラードの市民生活」(中公新書)がとても参考になります。

この本は、ロシア革命の中でペテログラードの市民がどんな生活をしていたかを、当時のペテログラードで発行されていた新聞の社会面に注目して描き出しています。

この本によれば二月革命以降ペテログラードの社会秩序は急激に崩壊し、食糧問題、住宅問題、衛生問題が生じ、犯罪が急激に増加しました。

衛生環境悪化により発疹チフスが蔓延しました。

ロシア革命の過程で、公共の秩序と市民の安全を保証する公的な暴力機関が崩壊してしまったのです。

「現在ペトログラードには約4万人の犯罪者が活躍していると想定されるが、この犯罪分子に対処する刑事の数はたったの80人である」(同書p306より。1918年3月10日)。

大東亜戦争後の日本でも、都会の闇市を暴力団関係者が仕切っていた時期がありました。ロシア革命の頃のペトログラードはもっと酷い状況だったのです。

社会秩序の崩壊に直面したレーニンとボリシェヴィキは何としても、都市住民に食糧を供給せねばならなかった。

そのためには農民から穀物を強制徴発するしかない、とレーニンは判断しました。

確かに、それができなければ、ソヴェト権力は崩壊してしまったでしょう。

来年の播種のための穀物すら国家に取り上げられてしまうなら、農民は再来年生きられない


しかし農民が自分で汗水流して収穫した農産物の殆どを国家に供出せねばならないという指令が国家から出たら、まず農民は穀物をどこかに隠そうとするでしょう。

そもそも自分と家畜の食用分しか穀物を手元に残せないのなら、来年の播種のための穀物も取り上げられてしまうことになります。

レーニンの指令は、農民の相当な反発を引き起こしたことは疑いの余地もない。

都市で食糧が不足しているのなら、都市に穀物を運べばひと儲けできます。こういう時期には、「担ぎ屋」のような商人が沢山出てきます。

「担ぎ屋」により都市への物資の流通網が回復し、都市住民の生活が維持されます。日本でも、戦後の一時期に闇市が繁盛していた時期がありました。

この程度のことは、難しい経済理論を知らなくても社会の動きに関する現実的な感覚を持っている人ならすぐにわかりそうなものです。

スターリンによる「階級としてのクラーク(富農)撲滅」はレーニン「青年同盟の任務」の路線


レーニンは「青年同盟の任務」執筆の約1年後、新経済政策(ネップ、New Economic Policy)を提起し、農民の「穀物投機」を認めます。

「戦時共産主義」による経済崩壊から脱却するためには、「搾取の自由」を部分的に認めるしかないのです。

新経済政策により経済は回復しますが、商業活動により富裕になった商人層が出現します。彼らはネップマンと呼ばれました。

農民の中にも、富裕になった層も形成されます。彼らはクラーク(富農)と呼ばれました。

レーニンの死後、指導者となったスターリンがネップマンやクラーク(富農)を社会主義の敵と考えたのは当然です。

「青年同盟の任務」から学んだボリシェヴィキの若者たちも、ネップマンやクラーク(富農)を徹底抑圧せねばならないと考えたに違いありません。

スターリンが断行した「富農」の徹底弾圧は、レーニンの教えに依拠していたからこそ、当時のボリシェヴィキに支持されたのです。

レーニンは「青年同盟の任務」で次のように述べていました。

「資本家とブルジョアジーの権力をふたたび復活させないためには、小商売根性を許してはならず、個々人がほかの人々の犠牲で金もうけをすることのないようにしなければならず、勤労者はプロレタリアートと結束して、共産主義社会を建設せねばならない。


共産主義的青年の同盟と組織との基本的な任務の主要な特質は、この点にある」


農民が豊かになり、穀物を「担ぎ屋」に売り富裕化したら新たな階級ができてしまいます。

レーニンは「小商売根性を許すな」「他人の犠牲で金儲けをさせるな」旨繰り返し主張し、それが共産主義青年同盟の基本的な任務だとまで断言したのです。

当時のソ連共産党員らはレーニンのこの言葉をよく覚えていたことでしょう。

クラーク(富農)を徹底的に抑圧、弾圧したスターリンはレーニンのよき弟子でした。

ソ連共産党員が、スターリンをレーニンの後継者と認識したのは、「青年同盟の任務」をスターリンが忠実に実践したことも大きな要因です。







2017年6月21日水曜日

レーニン「農業問題についてのテーゼ原案(共産主義インタナショナル第二回大会のために)」(レーニン全集第31巻掲載、大月書店刊行)より思う

スターリンはレーニンの教えを忠実に実行した―レーニンは大土地所有者が「反革命の首領」「全農村住民の無慈悲な圧制者」であるとレッテルを貼り、彼らの追放と拘禁を主張した


不破哲三氏と日本共産党は、ソ連はレーニンの時期には社会主義を目指す積極的な努力がなされたが、スターリン以後、ソ連は社会主義の道を外れたと主張します。

ソ連は社会主義と無縁の人間抑圧型社会だったと日本共産党綱領は述べています。

しかし、レーニン全集掲載を一つ一つ読んでいけば、スターリンはレーニンの教えに忠実な愛弟子だったことがわかります。

スターリンは農村改造と称して「富農の一掃」を実践しました。新経済政策(ネップ)で豊かになった農民に「富農」のレッテルを貼り、収容所やへき地に追放しました。

この結果、大量の犠牲者が出ました。これは、レーニンの教えに依拠していました。本ブログでは何度も、レーニン全集からこれを指摘してきました。

レーニンの「農業問題についてのテーゼ原案」(全集第31巻、p152)に次の記述があります。

「プロレタリア的変革の直後には、大土地所有者の所有地をただちに没収するだけでなく、彼らを反革命の首領として、また全農村住民の無慈悲な圧制者として、ひとりのこらず追放するか、拘禁することが無条件に必要であるが...」


レーニンは「大土地所有者」が、「反革命の首領」「全農村住民の無慈悲な圧制者」であると断言しています。

「大土地所有者」が皆、凶悪人物であり数々の悪行を連日行っているのなら処分を受けて当然でしょう。

しかしレーニンは大土地所有者の行状に関係なく、全員の所有地を没収し「追放」「拘禁」することが無条件に必要と断じています。

「レーニン全集」31巻によれば、「農業問題についてのテーゼ原案」は1920年6月はじめに執筆され、7月に発表されました。

およそ10年後、スターリンはレーニンの教えを忠実に実行したのです。

レーニンは小農が投機と所有者的習慣で堕落していると明言した


レーニンは「商業の自由」「私的所有権の行使の自由」を社会主義の敵対物と把握していました。

レーニンによれば、小農(自分の家族の必要を満たす程度の地所を、所有権か小作権にもとづいてもち、他人の労働力を雇わない人々)には、無制限な商業の自由、私的所有権行使の自由を求める動揺が起こりえます。

小農は消費資料の販売者であり、投機と所有者的習慣で堕落しているとレーニンは明言しています。

そこでレーニンは、勝利したプロレタリアートは大土地所有者や大農に断固とした制裁を加え、小農の動揺を抑えるべきと論じています。

「断固とした制裁」という恐怖に依拠した住民統治こそ、レーニンの政治手法でした。

この強権的な統治手法に対する反発は、内戦激化の一因でした。

自分が生産した穀物を販売することを「投機」などと禁止されたら、たいていの農民は反発するでしょう。

新経済政策(ネップ)の結果豊かになった農民を「投機と所有者的習慣で堕落している」とスターリンやソ連共産党員が認識したのは、レーニンの教えに依拠していたのです。

不破哲三氏、日本共産党のソ連史観は「全体主義」論―最高指導者に全国民が盲従―


冒頭で要約した不破哲三氏のソ連史観は、最高指導者が変わって全員に「右向け右」という指令を出せばあっという間に全員が右を向いてしまうというような、極めて単純なものです。

レーニンが死んだあと、スターリンがレーニンと180度異なる指令を出しても、ソ連共産党員と国民がそれを直ちに受けいれて実行してしまうなど、ありえるでしょうか?

人と組織は単純には動かない。新指導者が新しいことをやろうとすれば、様々な軋轢が生じます。

不破氏のようなソ連史把握では、レーニンの死後に直ちに全体主義の体制が確立されていたことになる。

ロシア人はそんなに単純な民族でしょうか?ロシアには少数民族もいます。従来と根本的に異なる方針に誰も反対しないなどありえない。

警察機構をスターリンが直ちに完全掌握できたはずがありません。

絶大な政治的権威を持っていたレーニンの教えと大差ないことを新指導者スターリンがソ連共産党員に命じたのなら、抵抗感はさほどない。

トロツキーらの追放、ブハーリンらの降格等、競争相手を徐々に失脚させてスターリンは権威と権力を確立させていったのです。

聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員で、ソ連問題の専門家)はレーニンの「大土地所有者=反革命の首領=無慈悲な圧制者」論をどう考えているのでしょうか。

機会があれば、お尋ねしたいものです。




2017年6月20日火曜日

レーニン「帝国主義」(宇高基輔訳、岩波文庫)が描く銀行の役割-全能の独裁者―

「もっとも進んだ資本主義国はどの国でも、三つか五つぐらいの最大銀行が、産業資本と銀行資本との『人的結合』を実現し、全国の資本と貨幣収入の大部分をなす幾十億の金の支配権をその手にした。


現代ブルジョア社会の、例外なしにすべての経済機関と政治機関のうえに、従属関係の濃密な網をはりめぐらしている金融寡頭制―これこそが、この独占のもっともあざやかな現れである」(同書第十章、p200より)。


レーニンは、進んだ資本主義国ではどこでも、銀行が全ての経済機関と政治機関に支配の網の目をはりめぐらし、社会と経済を支配していると考えました。

金融寡頭制Financial Oligarchyとはそういう意味です。しかし、「もっとも進んだ資本主義国」、すなわち英米仏独日の銀行をこのように把握できるでしょうか。

現代は勿論、百年ほど前でも「金融寡頭制」、銀行による住民支配網が存在していたとは考えられない。銀行は警察機構を保持していません。

レーニンの「帝国主義」は銀行を悪の権化のように描いており、現実と遊離しています。

銀行は社会経済全体を支配しているのか―朝鮮労働党は北朝鮮を支配


北朝鮮では朝鮮労働党が、職場の党組織、住民組織の「人民班」、教育機関でも青年組織と党組織それぞれで国民を支配しています。

その支配方式の掟ともいうべき文書が、「党の唯一思想体系確立の十大原則」です。

進んだ資本主義国では銀行が社会経済全体を支配しているというなら、銀行の数は3つか5つではなく一つのはずです。

「複数政党制」では独裁制にならない。銀行間で熾烈な競争がなされます。

銀行経営者、頭取が独裁者ならば、支配の掟とも言うべき文書、指令書を行員に周知徹底しないと銀行員は住民を支配できない。

銀行が社会経済を支配しているのなら、銀行の頭取や取締役を批判した住民は何らかの法制度により厳しい処罰を受けるはずですが、そんな法律がどこの資本主義国にあったでしょうか。

銀行は「全能の独裁者」―独占企業は生産手段を自由に処分できるのか


銀行は「全能の独裁者」でしょうか?

「帝国主義」の第二章「銀行とその新しい役割」でレーニンは、銀行業務が発展し少数の銀行へ業務が集積したことにより、仲介者という控えめな役割から次になったと論じました。

「資本家と小経営主との総体の貨幣資本の殆どすべと、その国やいくたの国々の生産手段および原料資源の大部分とを自由にする、全能の独裁者となる」

銀行は資本家と小経営者のほとんどすべての資金を集め、その国や他国の生産手段及び原料資源の大部分を自由に処分できるようになった、という意味です。

独占企業、即ちその市場で財の供給を独占している企業は、自由に財を処分できるでしょうか?その財が必需品でなければ、消費者は魅力のない財を購入しません。

生産に必需の財、例えば原材料なら、その財を必要とする買い手はさしあたり独占企業からその財を「言い値」で購入するしかない。

しかし、買い手企業はその財を代替できる技術革新に努めるでしょう。他の企業がその市場に参入するかもしれない。

「銀行は全能の独裁者になった」というレーニンの規定は、誇張も甚だしい。

では、レーニンは、銀行が資金の借り手である企業を支配していると考えた理由は何でしょうか。

レーニン「銀行にたいして産業資本家がますます完全に従属するようになる」(第二章)


銀行は顧客である貸出先企業を従属させているでしょうか?

銀行が巨大な資金を手にし、ある企業にたいする当座勘定の開設によりその企業の経済状態を詳細かつ完全に知ることができれば、そうできるとレーニンは述べています。

銀行は株式の所有や、企業の取締役会、監査役会へ重役を派遣し、借り手の企業との人的結合を発展させているとレーニンは論じています。

しかし銀行が資金を貸し付けている企業の経営に参画しているという程度なら、銀行がその企業を支配していることにはならない。

派遣された銀行の役員は、派遣先企業の経営者や労働者が自分の指示に従わなかったとしても、報復手段として処刑や政治犯収容所に送ることはできない。

貸出をやめるという程度です。企業は別の借入先が見つかれば、これまでの銀行との関係を清算するかもしれない。

鉄道は賃金奴隷にたいする抑圧の道具


鉄道は賃金奴隷、すなわち労働者抑圧の道具でしょうか?

またレーニンは、「帝国主義」の仏語版および独語版への序文で、世界的な規模での鉄道の建設は、従属諸国の「文明」諸国の賃金奴隷にたいする抑圧の道具であると論じています。

鉄道や道路がなければ、物資の運搬が困難です。鉄道が労働者の「抑圧の道具」なら、航空機や船舶、トラックもそうでしょう。

空港や港湾も労働者の「抑圧の道具」と言えそうです。インターネットにより商品を注文できますが、インターネットは「抑圧の道具」にならないのでしょうか。

金融資本は世界を分割支配しているのか


銀行と貸し出し先企業は、世界を分割支配しているでしょうか?

「帝国主義」の「五 資本家団体のあいだでの世界の分割」によれば、資本家は世界を資本と力に応じて分割します。

商品生産と資本主義のもとでは、他の分割方法はありえない。その力は経済的および政治的発展につれて変化するとレーニンは述べています。

この規定に依拠すると、「金融資本」がない北朝鮮が「世界の分割」、日本や韓国に侵略、攻撃をすることなどありえないことになります。

旧ソ連にも「金融資本」はないので、ソ連には対外侵略をする経済的基盤はないという、マルクス主義経済学のドグマが導かれます。

「金融資本」は、個別の資本主義国すら「支配」などしていませんから、世界を「金融資本」が分割支配したことはありません。

帝国主義列強の植民地支配を「金融資本の分割支配」とみるべきではない。銀行は日韓併合を主導していません。

銀行が得ていた巨額の利潤とその支出先は


それでは、当時の銀行が得ていたらしい巨額の利潤はなぜ生じたのでしょうか。

銀行経営者はその利潤をどのように支出したのでしょうか。

巨額の利潤が、経営者の配当所得となり財やサービスの購入に充てられるなら、それらを生産する労働者が必要ですから、巨額の利潤により雇用が増えると考えられる。

巨額の利潤が、支店の拡張や銀行業務遂行のための機器整備に宛てられるなら、それらを生産する労働者が必要ですから、巨額の利潤により雇用が増えると考えられる。

所得分配上の不平等という問題はありますが、銀行が巨額の利潤を獲得することそれ自体は悪行ではない。

しかし、銀行が長年、巨額の利潤を上げ続けられるほど資本主義経済は甘くない。帝国主義国の植民地経営はそう簡単ではない。

不況になれば銀行の収益が低下します。

銀行が利潤を多額計上している貸出先も、かなりの利潤をあげているのでしょうから、他の金融機関が貸出あるいは株式発行による資金調達をその企業に提起するかもしれない。

企業が銀行以外でも資金調達を簡単にできるなら、企業の銀行離れが進みます。

また、帝国主義列強間の植民地争奪戦や戦争の原因をどう考えるべきでしょうか。

この点について、またの機会に論じたいと思っています。