遠藤周作「さらば夏の光よ」(講談社文庫)
私がこの小説を初めて読んだのは高校生のときですから、もう34、35年前のことになります。当時印象に残ったのは、小説のあらすじもさることながら、小説の舞台となっている御茶ノ水界隈の風景と、大学生の生活スタイルでした。
私は当時千葉県に住んでおり、御茶の水はさほど遠い地域ではなかったのですが、やはり知らない街ですからね。わかりようもありません。
「学生たちの群れが流れていく駿河台の坂道」「日仏会館のある静かな屋敷町」とはどんなところなのだろうか。そうした街で繰り広げられているであろう大学生たちの青春に、思いをめぐらせていました。
この本の語り部は短大でフランス文学を担当している「周作」という作家です。周作先生の講義は、フランス文学史ではなく、「一冊の本をどう噛みしめるか、噛めばどう味がするかを伝えたい。一頁だって一行だって、小説家は無駄に書いてはいない」(文庫本p13)というものです。
こんな文学講義、是非受けてみたいですね。高校生のころの私もそう思っていました。
私の思い出話はさておき、この小説をごくごく簡単に紹介しましょう(講談社文庫)。
小説の舞台は昭和30年代後半の御茶ノ水界隈の短大と、信州塩名田です。
短大の男子学生、格好よい南条と不細工なことこの上ない野呂文平、長い黒い髪と大きな眼の女子学生戸田京子3人の哀しい物語です。アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」の広告が映画館に出されている頃の話ですから、昭和35、36年頃ということになりますね。
その頃に短大の学生だった3人の年齢を逆算すると、昭和15、16年生まれということになりますから、現在では70代前半ということになります。
戸田京子に恋した南条は、周作先生の恋の指導と親友野呂の協力により、戸田京子の心を射止めます。南条は戸田京子を故郷の信州塩名田、親元に連れていき、お互い婚約者となりました。南条は周作先生の紹介で出版社に就職し、戸田京子は広告会社に就職します。
戸田京子は南条の子供を体内に宿します。近く結婚することになった二人。二人にとって限りなく幸せな日々でしたが、突然の悲劇が訪れます...。悲劇はさらなる悲劇を招いて行きました。
ずんぐりと太って背が低く、真ん丸な顔で細い眼の野呂文平
この物語の第一の主役は、野呂文平でしょう。ずんぐりと太って背が低く、真ん丸な顔で細い眼の人物です。こんな容貌では、いかにも若い女性から毛嫌いされそうですね。
容貌とは、ある程度生まれつきのものですから、遠藤はこうした容貌の人物を描き出すことにより「宿命」を描きたかったのでしょう。神の所業ともいうべき「宿命」と、それと抗いつつも何も得られず敗れ、滅んでてしまう人々の姿。これは遠藤文学に共通する人間像ではないでしょうか。
眼には一種、兇暴にもみえる光がかがやいた―南条ー
野呂と対照的な青年南条は、周作先生に戸田京子の評価を尋ねます。南条の眼には一種,兇暴にもみえる光がかがやいた、とあります(p27)。南条は貧乏学生ですが、将来必ず大きな仕事をしてやるぞ、といった野望と情熱に満ちた青年なのでしょう。
短大の卒業式の日、南条は赤坂の小さいが小綺麗なロシア料理店で戸田京子に求婚します。京子が自分に好きな人がいたらどうするのか、諦めるのかと聞かれたとき、断じて諦めない、どうしても君を奪ってやるぞ、と大きな声で言い返します。
南条に惹かれていく戸田京子
若さいっぱいですね。南条のこの返事に戸田京子はびっくりしたでしょうけれど、本当はとても嬉しかったのではないでしょうか。戸田京子はこのとき、南条となら生涯寄り添っていけるのかな、と無意識かもしれないですけれど、思い始めていたかもしれませんね。
当惑しつつも、ロシア料理を食ながら戸田京子は南条の表情や声調、言葉が心に響いて、南条に惹かれていったのでしょうね。
周作先生への手紙で戸田京子は、「朝、雨戸をあけると思いがけなく、パアッと陽がまぶたにあたったように、私は彼の婚約者となった」と述懐しています。無意識のうちに、南条を感じ始め、周作先生の仕掛けをきっかけにほのかな想いを持つようになっていったのでしょうね。
周作先生の仕掛けにかかった戸田京子―青白く燃える怒りの炎
周作先生の仕掛けとは、南条が戸田京子と切支丹の展覧会を見に行く約束をしているとき、周作南条の昔からも知り合いと称する若い女性が南条とばったり出会い、戸田京子の目の前で親しげに「ボクちゃん、ボクちゃん」と呼びながら次から次へと機関銃ののように話をする、というものです。
この女性は周作先生の従兄妹です。完全に無視された戸田京子は、次のように怒っていました。
その眉とみけんのあたりや、頬のあたりに何か鋭い怒りの炎のようなものが青白く燃えているーそんな怒り方だった。
戸田京子は南条に恨みと非難と怒りのこもった眼をむけて、「さよなら」と言って展覧会場を去ってしまいます。この日の夜に戸田京子は南条の下宿に電話をかけ、自分以外と交際しないって約束して頂戴、と言います。
ここまでなら、何でもない若者の恋の物語であり、南条と戸田京子は幸せになった、という話になってしまいます。しかし次に突然出てくる戸田京子の周作先生への手紙で、幸せいっぱいの若者たちを襲った悲劇が明らかになります。
戸田京子に訪れた過酷な宿命
戸田京子の手紙に記されている「主人」という語は、ここまでの話なら南条を指すしかないはずですが、どういうわけか戸田京子は小肥りでまるい顔、細長い眼、そして猪首の野呂文平と結婚していたのです。
南条と戸田京子は、結婚の約束をしていたのですが、交通事故で突然亡くなってしまったのです。戸田京子が病院に到着する30分前に南条は亡くなっていました。
南条の死に目にすら会えず、南条の手を握ること、祈ることすらできなかったと雨降る墓地で戸田京子は悔やみました。南条がいない以上、自分がこの世界に生きていて何の意味があるのだろう、と思った瞬間、お腹の中で赤ちゃんが動きました。
死んではならぬ自分に気づき、戸田京子は自分ひとりで、南条の子供を生み育てる決意をします。
そんな戸田京子に、野呂文平が求婚してきたのです。戸田京子は当初は野呂を徹底的に拒否しましたが、老いた両親は娘が「未婚の母」となることを何より恐れ、野呂との結婚を懇願します。憔悴した老親の姿をみて戸田京子はついに結婚を承諾します。
結果から見れば、この結婚が大きな過ちだったのでしょうね。南条の事故死はどうしようもないことですが、この結婚は老親がどうあれ、戸田京子の選択でもあったのですから。
しかし野呂文平が戸田京子に求婚しなかったら、戸田京子は野呂と結婚することもなかったのですから、戸田京子にとっては野呂の求婚それ自体が悲劇でもありました。
野呂文平を生理的に嫌う戸田京子、さらなる悲劇
戸田京子は、野呂文平を初対面から生理的に嫌っていました。「そばにいられるだけで身震いがするほどイヤなんです。彼が吸っている空気を自分も吸っているーそう感じただけで肌に粟がたつような嫌悪感」(講談社文庫p79)とあります。
少なくない女性にはこうした経験があるようですね。しかし戸田京子は、野呂を好きになるべく、随分努力したようです。野呂の好きな小鳥の世話を嫌悪感に耐えながらやったのです。
特有の臭いにする糞をする九官鳥の世話すら、戸田京子は吐き気をこらえながらやりました。そんな戸田京子を見て、野呂は友人の子供に九官鳥をやろうとしますが、戸田京子のやめてよ、の一声で野呂は九官鳥をもとに戻します。
このとき、九官鳥を友人の子供にあげていれば、戸田京子は野呂を多少見直したかもしれませんね。野呂の限りない善人さそれ自体が、戸田京子にとって嫌だったのです。
戸田京子は、南条の子供を生んで育てることだけを思い、暮らしていました。しかし出産予定日に、赤ちゃんは死産になってしまったのです。
戸田京子に残された道は、南条の思い出がいっぱいの塩名田で、死を選ぶことしかなかったのです。
恐らく、浅間のどこかの山からの飛び降り自殺でしょうね。南条の死、野呂の求婚、赤ちゃんの死産という、3つもの過酷な試練に、戸田京子は耐えられなかったのです。
多分戸田京子は、どこかの尾根から飛び降りて息を引き取る前、小鳥のような死を迎えたのではないでしょうか。少なくとも、野呂は戸田京子の死に方をそのように想像して生きていくでしょうね。野呂によれば、息を引き取るとき、小鳥は一度だけ大きく眼を開くのだそうです。
白い膜が眼にだんだん、かかってくるのに、一生懸命、眼を開くそうです(文庫p40)。
宿命を背負って生きる野呂文平
残された野呂は、戸田京子の墓地を南条の墓地と同じところにつくり、遺体をそこに埋葬することにしました。人は善意だけでは生きることができない、善意がむしろ他人には重荷、苦痛になってしまうこともあると野呂は知りました。
戸田京子の杖になろうとしたことそれ自体が、戸田京子に限りない苦痛を与えていた、自分はどうしようもない罪を犯してしまったのではないか。野呂はこれからの人生をずっと、そんな思いを抱えつつ生きていかねばならないでしょう。
亡くなった二人の宿命を、善意そのものの化身のような野呂も背負うことになってしまったのです。
雪に覆われた浅間山界隈の荒野に飼っていた十羽の十姉妹を野呂は放ちました。かよわい十姉妹だからこそ、放たなくちゃあいけない。野呂はそう思ったのです。長く飼われている十姉妹は飛ぶ力もさしてないので、雑木林まで飛ぶのが精一杯だったでしょう。
餌をこれからはもらえないのですから、さして長生きできないかもしれません。
それを知りつつ,あえて十羽の十姉妹を荒野に放った野呂は、過酷な宿命を背負いながら、生き抜く決意を固めていったのではないでしょうか。雑木林まで飛ぶことができれば、過酷な宿命に少しでも十姉妹は抵抗したことになる。
鳥籠の中で餌をもらって長く生きる命より、過酷な自然に抵抗して、短くも精一杯生きる命を選ばせたい。そんな思いだったかもしれませんね。
多かれ少なかれ、人は誰しも何らかの宿命を背負っているのでしょうね。人生は、何らかの選択の連続です。出逢いと別れは、ちょっとした自分の選択行為により、あたかも必然的なように訪れてしまいます。
あのとき、こんなことをせずにあのように行動していたら、自分のその後は大きく変わっていたかもしれない。そんな思いに浸った経験は、多少齢を重ねた人ならば誰でもあることでしょう。
些細な選択それ自体が、宿命だったのかもしれません。南条が戸田京子との待ち合わせの場所に行くとき、別の道を選んでいたら交通事故に遭わなかったのかもしれないのです。
大きな運命、宿命には誰も逆らえないのでしょう。それでも、少しばかりは宿命に抵抗して生き抜きたいものです。
白い膜が眼にだんだんかかってくるにも関わらず、一生懸命眼を開く死ぬ前の小鳥は、宿命に逆らおうとする、ちっぽけな人間たちの姿なのでしょう。
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