独裁体制を支える諜報機関―国家安全保衛部―
以下は、旧ホームページに掲載していたものからの抜粋です。詳しくは尹大日氏の著作「北朝鮮・国家安全保衛部」(萩原遼翻訳 文藝春秋2003年刊)を読んでいただきたい。「月刊朝鮮」とは、朝鮮日報が発行している雑誌です。
独裁体制の実態を把握するためには、不満分子を摘発して、政治犯収容所や監獄に連行する業務を担当している部署についての知識が必要です。
北朝鮮では国家安全保衛部という部署がこれを担当しています。中国では安全部という部署が主にこれを担当しています。
尹大日氏は、北朝鮮の国家安全保衛部に約15年間勤務し、1998年に韓国に亡命しました。尹大日氏によれば、国家安全保衛部が今日のような独自の国家諜報機関として正式に出発したのは1973年5月です(前掲書p38)。
北朝鮮は国策として麻薬を製造し、輸出して外貨を獲得してきました。獲得した外貨は基本的に39号室という金正日の直轄部署に献上されてきました。金正日はこれを核軍拡や自分たちの奢侈生活維持に使用してきました。
現時点では、金正恩が39号室を継承していることでしょう。アへン製造については、前掲書p270-271にも詳しい説明があります。
国家安全保衛部の存在について語ることは、在日本朝鮮人総連合会ではタブーとなっているようですが、親族が北朝鮮に帰国している在日朝鮮人なら殆ど誰でも知っています。
国家安全保衛部は北朝鮮内では金正日の信任を得てきましたら、最高幹部はかなりの権勢をふるうことが多いようですが、何かの拍子に「スパイ」「思想が変わった」などとレッテル貼りされ、銃殺されてしまう場合も少なくないようです。
11年程前の日朝交渉で北朝鮮側の裏の立役者だった通称ミスターXは国家安全保衛部の大幹部だったそうですが、その後処刑されてしまったという記事が韓国の新聞に出ていました。
北朝鮮国家安全保衛部出身の亡命者による証言
「月刊朝鮮」2002年7月号に、「衝撃証言 最初の北韓国家安全保衛部指導員出身脱北者尹大日『北韓は政権の主導により羅南製薬工場でヘロインとピロポンを製造し、海上と陸路を通して韓・中・日へ密売中』」が掲載されている。
このインタビュー記事には、北朝鮮問題についてよく知らない人には信じがたいようなことが数多く提起されているので、幾つか紹介しておこう。
尹氏によれば、北朝鮮では、体制維持のために公開処刑、脱北者強制送還を行い、政治犯収容所を運営している。
政治犯収容所とは、「政治犯管理所」と北朝鮮では呼ばれている地域で、1990年代初頭まで20箇所運営されていた。
政治犯収容所を管理する部署は国家安全保衛部の農場担当指導局である。
これは、外部の人間に対し偽装するための看板である。政治犯収容所の体験者が韓国に亡命して政治犯収容所の実態を暴露し、これを根拠に国際人権団体が北朝鮮の人権実態を調査せねばならないという圧力を加えた。
そこで北朝鮮は政治犯収容所の数を10個に統廃合した。収容所の数は減ったが、収容人員は変わらず、二十万人を維持している。
2000年の秋夕に、金正日が送った松茸は第16号政治犯収容所に収容されている政治犯が栽培し、送ったものである。
金日成は1992年、金日成がハムギョン北道を現地指導する過程で、栽培を指示した。金日成は、日本帝国主義の時代、ハムギョン道ヨンサ郡ではアヘンの農作業がよく行われていたので、アヘンを栽培し外貨を稼ぐ方法を考えろという指示を出した。
この指示により、国家保衛部の監視下で、ヨンサ郡ではアヘンの栽培が始まった。
生産された麻薬販売は、保衛司令部が運営する「水上貿易合営会社」が担当しているが、主に海外に出る出張員、対南工作部の要員らが海上ルートを通して韓国、日本、台湾などに販売し、国境地域を通して中国地域へ販売する。
尹氏の記憶によれば、麻薬は日本に最も売られていく。販売価格は、国境地域では一キログラム当たり一万ドル、海上では一万五千ドルである。
こうして作った麻薬販売代金は「忠誠の外貨資金」として金正日に捧げる。
亡命者のこうした証言は、普通の日本人の常識とあまりにもかけ離れているから、信じがたい人も多いだろう。
亡命者の話の一つ一つを証拠で裏付けることは極めて困難だから、こんなことはありえないと信じられない人も多いようだ。
勿論、亡命者の話を百パーセント真実であると断定することはできない。誰にも思い違い、記憶の誤りはあるからだ。
しかし、亡命者の話を何度も聞き、真実を少しずつ確認していくことは可能である。北朝鮮が国家の政策として麻薬の製造と販売、強制収容所の運営などを行っていることは間違いない。
勿論、年間の覚醒剤や麻薬生産量、それらの輸出販売による外貨の収入と販売先、強制収容所に収容されている「政治犯」の数などを断定することはできない。
0 件のコメント:
コメントを投稿