2013年3月20日水曜日

「プラハの春」(1968年)と日本共産党

他人の批判をどう受け止めるか―共産党は批判者を弾圧する―




何かのことで他人から批判されると、誰しもはっとするものです。その批判が適切なものであるなら、批判を真摯に受け止めて身を正さねばならないでしょう。

批判が的はずれなものであるなら、その旨告げるべきでしょう。

そうはいっても、適切な批判と的はずれな批判を、当事者である自分がどうやって識別するのかという問題がありますね。

そのときの気分感情で、本来適切な指摘、批判を謙虚に受け止められず、強烈に反発してしまって失敗してしまった。

齢を重ねた人なら、誰しもそんな経験はあるものです。他人から批判されたとき、落ち着きを失わずに謙虚な気持ちで受け止めることができるような度量を体得したいものです。

企業内でも、部下からの批判や提言を真摯に受け止められる上司は、その企業にとって貴重な存在なのでしょう。

政党や政治家にも同じことがいえるはずです。

国民からの批判に謙虚に耳を傾けることができる政治家や政党もいるでしょうが、様々な小理屈で国民からの批判を封殺してしまう政党、政治家もいます。

共産党や労働党は明らかに後者ですね。共産党や労働党はマルクス・レーニン・スターリンの「理論」、科学的社会主義を思想的基盤としています。

科学的社会主義の思想では、反対政党や反対派からの批判を封殺するために、批判者を監獄送りにすることを正当化します。


これは、共産党や労働党の歴史を調べていけばすぐ明らかになります。

古い話ですが、1968年にチェコスロバキアでの「プラハの春」をめぐって、日本共産党がどのような論陣をはったかを見ましょう。


「プラハの春」とは、昭和43年(1968年)に、チェコスロバキアのプラハで起きた言論の自由、表現の自由などを求める知識人と市民の運動を指します。

この運動は、ソ連などワルシャワ条約五ヶ国の軍隊の侵入により制圧され、市民は沈黙を余儀なくされてしまいました。

1960年から64年までプラハのソビエト学校で学んだ米原万里さんは「プラハの春」が鎮圧されたのを聞いて、何日も泣き暮らしたそうです(米原万里著「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」角川文庫、p177)。


批判を許容することは「反社会主義勢力に行動の自由を与える」



「プラハの春」という、知識人や市民の言論の自由、表現の自由を求める運動を、当時のチェコスロバキア共産党はある程度、許容しました。

これに対し当時の日本共産党はチェコスロバキア共産党の「行動綱領」を「反社会主義勢力に行動の自由を与える重大な右翼的誤り」と誹謗しました。

若い共産党員は全く知らないようですが、日本共産党が共産主義国では、共産党を批判する人びとの人権を抑圧することを当然視し、これを批判して改革しようとする人々を誹謗していたのです。


当時の日本共産党の論文「チェコスロバキアへの五カ国軍隊の侵入問題と科学的社会主義の原則の擁護」(「赤旗」昭和四三年十月一日掲載)に、次の記述があります。

「たとえば、『行動綱領』は、社会主義的民主主義の具体化として、無制限の『表現の自由』、『出版の自由』『集会や結社の自由』を宣言したが、

これは、社会主義的民主主義の名で事実上ブルジョア民主主義を導入する『純粋民主主義』(レーニン『ブルジョア民主主義とプロレタリアートの独裁についてのテーゼと報告』一九一九年、全集二十八巻、四九三㌻)であり、

反社会主義勢力に行動の自由を与える重大な右翼的誤りである」


 
この記述からも明確なように、この頃の日本共産党最高幹部宮本顕治氏らは、共産主義国では表現の自由や出版の自由、集会や結社の自由は制限されてしかるべきだと主張していたのです。

この論文は、ソ連などがチェコスロバキアに侵攻することは批判しました。

しかし日本共産党は、チェコスロバキアの共産党が自力で、自由と民主主義を求める知識人を弾圧するべきだと主張していたのです。

要は、ソ連の力を借りて批判者を弾圧するのでなく、自国の公安警察や軍隊により批判者を逮捕して監獄に入れろ、ということでしょう。

監獄で徹底的に拷問を加え、黙らせてしまえ、ということだったのかもしれません。


うるさい奴は監獄に入れてしまえ



上述のように、「赤旗」はレーニンの論文を引用して知識人弾圧を正当化していました。

「赤旗」が主張するように科学的社会主義の思想とは本来、言論の自由、思想信条の自由は制限されて当然というものなのです。

従って当時の日本共産党最高幹部宮本顕治氏らは、在日朝鮮人の中小企業経営者が北朝鮮に帰国した後、金日成崇拝を批判したら徹底抑圧されて当然だと考えていたのでしょう。

金日成はソ連の力など借りずに、自国の公安警察により少しでも体制を批判する人を政治犯収容所などに連行していました。

当時の日本共産党と朝鮮労働党は大変友好的な関係を築いていました。

「うるさい奴は監獄に入れてしまえ」という点で、日本共産党と朝鮮労働党は共鳴するものがあったのでしょうね。

そのように「赤旗」に書けば良いのです。日本には「表現の自由」がありますから。

レーニンかくのごとく曰く...などともったいぶる必要はありません。

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