2013年7月3日水曜日

若き不破哲三も夢見た日本のソビエト化―不破哲三・宮森繁「現代資本主義を美化する『社会主義のビジョン』」(「前衛」1963年1月号)より思う―

自己弁護ばかりしている老経営者をときには批判すべきでは



十年一昔、と言います。それなら、五十年前は相当昔ということになりますね。政治家が相当昔に書いた論考を取り上げて、あれこれ言うのは適切でない、という人もいるかもしれません。

失敗や見込み違いは誰にもありますからね。人はいろいろと学びながら主張を変容させていくものでしょう。五十年前と全く同じ主張をしているのなら、むしろそのほうが問題かもしれません。

しかし、自分の失敗や見込み違いを隠して開き直っている政治家や経営者はどんな人なのでしょうか。自己弁護はみっともないものです。

老獪な政治家や、一代で会社を大きくした経営者にも若い時代はありました。高齢になると、誰しも自分の若い頃を振り返り、若輩者にいろいろ自慢をしたくなるものです。

自慢話の中には大変貴重な教訓となるものもありますが、奇妙な話の羅列で当惑させるようなものもあります。

不破哲三(1930年生)は近年、「ソ連は社会主義の反対物」などと旧ソ連を弾劾していますが、これも高齢者の奇妙な自慢話、自己弁護の一つと考えるべきなのかもしれません。

高齢者の自己弁護があまり極端だと、おかしいですねと周囲の人は一言しておくべきではないでしょうか。

高齢となり奇妙な自慢話や自己弁護ばかりしているような経営者は、会社の発展の障害となりえます。

そんなとき、経営者を批判するのは会社の中年幹部が果たすべき役割の一つではないでしょうか。

外部から経営者が批判されるよりは、その会社のためになるように思います。

日本共産党や在日本朝鮮人総連合会には、そのような気概のある中年幹部はいないのでしょうね。


ロシアはまもなくすべての点でアメリカをおいこすところまできている



本ブログでは何度か論じてきましたが、その昔の日本共産党員にとって、ソ連は理想郷でした。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんにとっての北朝鮮と同じように、かつての日本共産党員にとってはソ連こそ、美しく素晴らしきもの、全ての善なるものの象徴であり、あらゆる指導を仰ぐべき存在だったのです。

これは宮本顕治や野坂参三、蔵原惟人のような明治生まれの日本共産党員だけの話ではありません。一世代下の不破哲三も若い頃は、ソ連に心酔しソ連を礼賛していたのです。


不破哲三・宮森繁「現代資本主義を美化する『社会主義のビジョン』―江田『新社会主義』論批判―」(「前衛」1963年1月号掲載)には、若き不破哲三によるソ連礼賛が満載されています。

この論文執筆当時の不破哲三は、32歳くらいです。日本共産党の将来を背負って立つことを期待されている若き秀才だったのでしょうね。

若き不破哲三によれば、ロシアはきわめて短期間に後進国としてのおくれをとりもどし、こんにちではアメリカにおいつき、まもなくすべての点でアメリカをおいこすところまできているそうです。

これはたんなる「社会保障」制度の結果ではなく、資本主義をうちたおし、労働者階級の手に政治権力を奪いとり、生産手段の私的な所有を廃絶した社会主義革命によってもたらされたものにほかならない、そうです(同論文p25より抜粋)。

若き不破哲三のこの論文には、当時の左翼青年のたまり場だった「うたごえ喫茶」の雰囲気がありますね。「インターナショナル」「たんぽぽ」や「アリラン」が聞こえてきそうです。


共産主義の全面的建設が日程にのぼってきた



若き不破哲三はさらに力説しています。

政治・経済文化のあらゆる領域で社会主義の優位がますます明確になり、全人類の明るい未来を約束する共産主義の建設が日程にのぼってきたこんにち、社会主義の「実例の力」がますます決定的なものになっているそうです(同論文p26)。

若き不破哲三には、ソ連の現実が一切見えていなかったのです。当時の日本共産党員は皆そうだったのでしょう。

蔵原惟人や聴濤弘のようなロシア語の達人にも、ソ連の現実を地道に分析していくということは一切できませんでした。

ソ連の労働者には、選挙権など事実上ありませんでした。国有企業は、計画機関の命令により経営されていました。労働者は上からの命令で動くだけです。

労働者に創意工夫の余地など殆どありません。創意工夫など、社会主義計画経済を狂わせるだけですから。

労働者階級の手に政治権力云々など、ソ連社会の実態から大きく乖離した空論の極みだったのですが、それを若き不破哲三に誰かが話しても、一切耳を傾けなかったことでしょう。

現在、在日本朝鮮人総連合会や韓国左翼の皆さんに、北朝鮮の政治犯収容所における過酷な人権抑圧の真実を話しても、馬耳東風となってしまうことと同じです。

在日本朝鮮人総連合会や韓国左翼の皆さんは脱北者の話を一切聞きません。脱北者の話に一切耳を傾けないことがこそ、賢明な人間が取るべき態度という発想です。

脱北者は北朝鮮という栄えある祖国から逃げ出した「裏切り者」ですから。


共産党、労働党は「反党分子」「民族反逆者」に囚人労働をさせる



日本共産党員にとって、共産党を批判する人や、共産党を辞めた人は「反共右翼」もしくは「反党分子」です。四字熟語で表現されるような人間とは、一体どんな人間なのでしょうか。

これだけで、普通の下部党員は「反党分子」「反共右翼」が恐ろしくなってしまうものです。その人たちが妖怪変化、吸血鬼のように見えているのです。

旧ソ連では、体制を少しでも批判するような人を、「人民の敵」と呼び、政治犯収容所で囚人労働を行わせていました。


政治犯に過酷な囚人労働をさせるという点では、旧ソ連、中国と北朝鮮は同じです。共産主義理論に基づき、労働が人間を改造するという発想です。

うたごえ喫茶で「インターナショナル」「たんぽぽ」「アリラン」を歌っていたような在日朝鮮人や日本人妻の中には、北朝鮮に帰国したあと、体制に不満を漏らして政治犯収容所へ連行されてしまった人もいるのです。

聴濤弘のようなある程度の年配の日本共産党員や、在日本朝鮮人総連合会幹部なら、この程度のことは熟知しています。


「上からのお墨付き」が必要な上意下達体質の日本共産党



日本共産党の老党員や在日本朝鮮人総連合会幹部は、北朝鮮による過酷な人権抑圧に対してなぜ沈黙しているのでしょうか。

簡単にいえば、「上からのお墨付き」がないからです。不破哲三や志位和夫が、何かの拍子で突然北朝鮮による人権抑圧批判を始めれば、下部党員は直ちにこれに追随することでしょう。

極端な上意下達の社風がある会社では、上司の判断に異を唱えるのはその会社を辞める決意ができたときです。

数年前に事実上の倒産をしたある小売大手企業は、そういう社風だったようです。オーナー経営者だった方に、そういう体質がありました。知る人ぞ知る会社です。

日本共産党や在日本朝鮮人総連合会の「社風」はそういうものなのです。

経営者が強権的な体質を持つ会社では、「こういうことをやってみよう」という新たな提案それ自体が悪とみなされてしまいます。

社員にとっての最優先課題は、社長の気分感情を推し量り、それに沿って製品開発や販売をすることです。社員にとって、息が詰まるような会社です。


最高指導者追随癖の心底に虚栄心



日本共産党や在日本朝鮮人総連合会で働く職員も、息苦しい仕事に追われるような日々を過ごしているのです。

日本共産党の職員が上司である不破哲三や志位和夫の判断に正面から異を唱えるときとは、「反党分子」となる決意をしたときです。

日本共産党や在日本朝鮮人総連合会の職員は、自らを「歴史の法則的発展を促す組織の一員」「民族のために尽くす偉人の忠僕」という調子で、英雄視しています。

日本共産党や在日本朝鮮人総連合会の方針に異を唱え、組織からたたき出されてしまえば自らは英雄どころか、「反党分子」「民族反逆者」という四字熟語の妖怪変化や吸血鬼のような存在とみなされてしまいます。

職員による最高指導者への追随癖の底には、自らが「英雄」のままでいたい、という虚栄心があるのです。

退職を覚悟し、強権的な経営者を正面から批判する中年幹部は、それまでの虚栄心を捨てるのでしょう。

会社員は転職先の目処がついてから、そういう行動をするものです。

日本共産党や在日本朝鮮人総連合会の職員には、転職先の目処をつけるのは極めて困難ですから、最高指導者に追随するしかないのです。

虚栄心は人の判断と行動をおかしくさせてしまうものなのでしょう。共産主義理論の奇怪な言語を駆使している人々も実は、虚栄心の虜になっているのです。

日本のソビエト化などありえません。ありえぬ革命理論を駆使する日本共産党や在日本朝鮮人総連合会の職員も、資本主義経済の中で四苦八苦して生きていくしかないのです。

転職先を探して虚栄心の虜であることを辞めるか。それができなければ引き続き最高指導者に追随するのか。強権的な会社にいる中年幹部はそういう選択に迫られているのでしょう。

「インターナショナル」「アリラン」より、「およげたい焼きくん」の方が日本共産党や在日本朝鮮人総連合会の職員の皆さんにはふさわしいのかもしれません(文中敬称略)。






























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