バルブランお母さんのホットケーキ
若い頃好きだった歌を、時折口ずさむと良い気分になれますね。子供の頃、楽しんで見ていた漫画の歌を歌うのも良いものです。
同じように子供の頃読んだ物語を、40数年の歳月を経て読み直すと、登場人物の台詞の中に作者の人生観、世界観を読み取れるます。
19世紀のフランスの小説家、Hector Malot(エクトール・マロー。1830―1907)の名作「家なき子」(仏語原題はSans Familleですから、英訳すればWithout Familyでしょうか)を私が初めて読んだのは、小学校1年生くらいだったでしょうか。
45年くらい前ということになります。そのときは、主人公レミの育ての母親、バルブラン(Barberin)お母さんがレミのために作るパンケーキとはどんなものなのだろうといろいろ想像したものです。
今の日本でこれに近い料理は恐らく、ホットケーキでしょうね。私はこの物語の影響もあったのか、ホットケーキが子供の頃から好きです。
パンケーキはバルブランお母さんの愛情の象徴ですね。貧しい旅芸人、ヴィタリス(Vitalis)おじいさんが旅の合間にレミに分けてくれる丸パンも、印象に残りました。
元は著名な歌手だったが旅芸人に落ちぶれた
孤児で、8歳で旅芸人ヴィタリスに売られてしまったレミ。小学校1年くらいだった私は、レミと同じくらいの年でしたから、次から次へと襲いかかる困難と苦境を乗り越えて行くレミに感銘しました。
また当時の私には、ヴィタリスおじいさんが元はイタリアの有名な歌手で、年をとって声が出なくなり、旅芸人に落ちぶれたという話も衝撃的でした。
落ちぶれるとは一体どんなことなのだろうか。貧乏になることか。小学校1年の私にはあまり実感がわかなかったのです。
旅芸人ヴィタリスおじいさんのような人物類型は、子供向けの物語ではあまり類例がないように思いますが、どうでしょうか。
作者は読者の子供たちに「落ちぶれる」ということを考えさせたかったのでしょうね。落ちぶれつつも、自分に誇りを持って生き抜いたヴィタリスおじいさん。
レミの師と言えるヴィタリスおじいさんですが、悲惨な死に方をしてしまいます。しかし、レミに沢山の言葉を残してくれています。
大人の私たちも何かの折に、ヴィタリスの言葉を思いだしてみたいものです。
今のおまえは世間の階段のいちばん下の方にいるとしても・・・
ヴィタリスおじいさんの言葉を抜粋して紹介します。ページ数はちくま文庫の上巻のものです。
「人に教えるということは、自分自身に教えるということじゃ」(p98)
「覚えておくのじゃ。いまのおまえは世間の階段のいちばん下の方にいるとしても、おまえにその気があれば、少しずつ、もっと上の段へ登ってゆけるということをな」(p124)
「わしたち人間は、近づきたいと思うそのときに、かえって、別れ別れにならなければならないのが運命なのじゃ」(p303)
「負けないでがんばる勇気のある人間には、悪い運も、そういつまでもつづくもんじゃない」(p306)
「今は、前へ―進め、じゃ、子どもたち!」(p340)
「前へ進め」という言葉をヴィタリスおじいさんがレミに残したのは、夜の寒さをしのぐために石切場に入る直前でした。まもなくヴィタリスおじいさんは悲劇的な最期を迎えてしまいます。
ヴィタリスおじいさんの晩年の「良い運」とは、レミとの出会いだったのでしょうね。
「過労死」寸前のマッティヤの言葉「人に金をくれるのは・・・」
パリでレミは、生涯の友人とも言うべきマッティヤ(Mattia)に会います。マッティヤはこのとき、現代風にいえば過労死寸前でした。
マッティヤの次のようにレミに言います。
「人に金をくれるのは、まず第一に、そうすると自分がいい気になれるからさ。つぎは、相手の子がかわいい顔をしているからだよ。これがいちばん大きい理由だろうね」
僅かな食事しかもらえず、親方に酷使されていたマッティヤは大都会パリの厳しい現実を冷静に見ていました。
大都会に生きる人々の虚栄心と孤独感、そして虚無感。大都会で生きていくということは、これらとの戦いなのかもしれません。
「前へ進め!」というヴィタリスの言葉を忘れないようにしたいものです。
追記
Sans Familleの英訳ですが、Nobody's Boyのようです。意訳ですね。Vitalisの優しい言葉はどのように英訳されているのでしょうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿