でもわたくしは、人間の河のあることを知ったわ I have learned, though, that there is a river of humanity. 하지만 난 인간의 강이 있다는 걸 알았어.
好きな小説の中には、心に響いてくる文章があるものです。私は、遠藤周作の「深い河」(講談社文庫)では、前述の他に下記が心に響きます。
遠藤周作「深い河」(講談社文庫、十三章)で美津子は、サリー(sari)を着てガンジス河で沐浴します。周囲ではヒンズー教徒たちが、ガンジスの水で顔を洗い、水を口にふくみ、合掌しています。
インドでは死者の灰をガンジス河に流します。ガンジス河のそばに火葬場があります。
ガンジス河に身を沈めた美津子は祈りの真似ごとをします。誰に向けているのかはわかりません(p342)。
「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です。」と、美津子の口調はいつの間にか祈りの調子に変わっている。
「その人たちを包んで、河が流れていることです。人間の河。人間の深い悲しみ。そのなかにわたくしもまじっています」
転生と霊魂は存在するのか On the Immortality of the Soul
ヒンズー教徒は、ガンジス河を転生の河と言っていると美津子は聞いています(p324)。
転生(Reincarnation、Rebirth、 韓国語では還生、환생)という現象そのものが実際にあるのかどうか、私にはわかりません。
しかし亡くなった人の考え方や気持ち、感情や心の波長、あるいは魂の叫びともいうべきものが、生きている人に伝わっていくことはありえるでしょう。
「必ず生まれ変わるから」と言い残して亡くなった妻の幻影を求めてインドまでやってきた磯部は亡妻の魂の存在を、ガンジス河のほとりで感じたかもしれません。
遠藤周作の言う転生とはそういうことではないでしょうか。
人は死んでも、魂は残る。すなわち霊魂は存在するのではないでしょうか。人は臨終の間際まで、耳だけは聞こえているようだと語る医師は少なくありません。
霊魂と対話のし易い場所も存在するのではないでしょうか。Power Spotという場所がそうなのかもしれません。私には霊能力などありませんから、断言など何もできません。
京都の鞍馬山にPower Spotがあるそうです。鞍馬山にある鞍馬寺は、源義経が幼少の頃を過ごしたお寺で有名です。清少納言も鞍馬を訪れたことがあるようです。
ガンジス河も、死者との対話がし易い場所なのかもしれません。遠藤周作も、鞍馬山に関心を持っていたようです。
晩年の遠藤周作が、臨死体験と霊魂の存在に深い関心を抱いていたことは間違いありません。この件については、またの機会に語りましょう。
The Sound of Silence by Simon & Garfunkel
美津子がガンジス河で沐浴をする場面に音楽を流すならば、サイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)のThe Sound of Silenceがぴったりではないでしょうか。
末尾の、ネオンの神に人々が祈りを捧げている様子は、大都会の孤独の中で生きる人々を連想させます。
予言者の警句を、現代人は読み取り歩まねばならないということでしょうか。次です。
And the people bowed and played, To the neon god they made.
And the sign flashed out its warning, In the words that it was forming.
And the sign said, "The words of prophets are written on the subway walls, and tenament halls. "
And whispered in the sounds of silence.
The Sound of Silenceは、ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman)主演の映画「卒業」(The Graduate、1967年)の主題歌です。Simon & Garfunkelの、語りかけるような静かな歌いぶりが心に染み入ります。
「深い河」の上述の英語訳と韓国語訳を書き留めておきます。それぞれ微妙に意訳されているような気がしますが、どうでしょうか。
英訳は次からの抜粋です。
Deep River, transklated by VAN C. Gessel, A New Direction Book, p211
韓国語翻訳は次からの抜粋です。
깊은 강 유숙자 옮김, 민음사, p316-317
I believe that the river embraces these people and carries them away.
What I can believe in now is the sight of all these people, each carrying his or her own individual burdens, praying at this deep river.
At some point, the words Mitsuko muttered to herself were transmuted into the words of a prayer.
I believe that the river embraces these people and carries them away. A river of humanity. The sorrows of this deep river of humanity. And I am part of it.
그 사람들을 보듬으며 강이 흐른다는 것입니다.
"믿을 수 있는 건, 저마다의 사람들이 저마다의 아픔을 짊어지고 깊은 강에서 기도하는 이 광경입니다. " 하고, 미쏘코의 마음의 어조는 어느 틈엔가 기도풍으로 바뀌었다.
"그 사람들을 보듬으며 강이 흐른다는 것입니다. 인간의 강. 인간의 깊은 강의 슬픔. 그 안에 저도 섞여 있습니다."
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