よく知られているように、志位さんは昭和61年頃、東京大学の院生だった伊里一智さん(仮名)を徹底批判する論考を出して、宮本顕治さんに高く評価されました。
志位さんは当時、日本共産党本部の勤務員として日本共産党の学生や院生の指導を担当していたのです。
「投降主義者の観念論史観」(昭和61年日本共産党中央委員会出版局刊行)には、若き志位さんが執筆した論考が掲載されています。
多分、この本の初めに出ている論考「反動攻勢へのみじめな屈服」「ふざけた計画、ふざけた弁明」の執筆者は志位さんなのでしょう。
伊里一智さんと松竹伸幸さんの主張は随分異なっていますが、志位さんら日本共産党指導部の皆さんにとっては大同小異です。
日本共産党は伊里一智さんを「反党分派分子」、松竹伸幸さんを「攻撃・かくらん者」と規定しています。
2月8日に出た土井洋彦さんの論考では、松竹伸幸さんは日本共産党に対する攻撃・かく乱者と規定しています。
党攻撃とかく乱の宣言/――松竹伸幸氏の言動について/書記局次長 土井洋彦 (jcp.or.jp)
「反党分派分子」と「攻撃・かく乱者」はどう違うのか、志位さんにお尋ねしたいものです。
私見では、「反党分派分子」という語を用いるとあまりにも異様で、朝鮮労働党と同じだなと言われてしまう事を志位さんが恐れ、この語を使わないようにしているだけです。
志位さんら日本共産党指導部の皆さんの心中では、伊里一智さんと松竹伸幸さんは同様の人物として把握されていると考えます。
しかしインターネットで多くの方が指摘していますが、日本共産党の伊里一智さんと松竹伸幸さんに対する態度では、以下の点が異なっています。
日本共産党は、伊里一智さんは勿論、野坂参三さん、徳田球一さん、志賀義雄さん、袴田里見さんにも「氏」「さん」をつけるべきだ
少し前の「赤旗」に松竹伸幸さんを批判する論考が掲載されました。
筆者は土方明果日本共産党組織局長です。この論考はどういうわけか、日本共産党のHPに掲載されていません。
松竹伸幸さんがこの論考の全文を御自身のブログに掲載しています。下記です。本日付「赤旗」論文の全文をご紹介 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba (ameblo.jp)
土方明果さんの論考は、松竹伸幸さんに「氏」という呼称をつけています。
土井洋彦さんの論考も、松竹伸幸さんに「氏」をつけています。
「攻撃・かく乱者」に「氏」をつけるなら、志位さんは今後「反党分派分子」にも「氏」をつけるべきではないですか。
志位さんが今後、日本共産党の歴史を語る際、昭和25年頃に徳田球一さんと野坂参三さんらが日本共産党内に派閥をつくった、という表現に改めるべきです。
これは志位さんにはできなさそうですね。志位さんは、チュチェ思想を進歩的思想と把握しているのでしょうから。
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