2013年8月28日水曜日

この国での布教は戦いだ(ベラスコ宣教師)―遠藤周作「侍」(新潮文庫)より思う―

日本人の貪欲さを布教のために利用すべきだ(ベラスコ宣教師)



戦国時代から江戸時代初期、欧州からたくさんの宣教師が来日しました。宣教師の基本的な目的は勿論、基督教布教のためでしょう。

しかし布教の手段として、中南米でエスパニヤ(現スペイン)が行ったような蛮行、大量虐殺を選択肢の一つとして考えていた宣教師がいても不思議ではありません。

基督教布教のためには、邪魔になる現地の国家や宗教組織を軍事力により滅亡させてしまえば良い。邪教を滅ぼすこと、それは神の御意志だ。

当時の宣教師の中には、そんな発想をする人もいたはずです。

勿論、戦国時代の日本は当時有数の軍事力を持っていましたから、エスパニヤの兵士が多少来襲しても征服は不可能です。日本刀の殺傷力は欧州の刀剣のそれを上回るでしょう。

ともあれ、はるばる欧州からやってきた宣教師には、野心や虚栄心の権化のような人はいくらでもいたはずです。

そういう人たちの心中に、成功した宣教師、あるいは対立する教会組織の宣教師に対する嫉妬心がないはずがない。

成功した宣教師は、敬虔な宗教心だけでなく野心と虚栄心を持ち、権謀術数にも長けていたからこそ、所属する教会組織の中で出世できたのではないでしょうか。

遠藤周作「侍」(新潮文庫)に登場するベラスコ宣教師は、この国での布教は戦いだ、日本人の貪欲さを布教のために利用すべきだと考えている人です。

ベラスコ宣教師は日本のもつ優れた軍事力を承知しています。


私が司教だったら、ペテロ会のように日本の権力者たちを怒らせはしない




ポーロ会所属のベラスコは、ポーロ会より以前から日本に布教に来て布教権を独占していたペテロ会を憎悪しています。

ベラスコは、ペテロ会の神父たちが日本をエスパニヤ(現スペイン)の植民地にして基督教の布教を計ろうとしたため、それを知った日本の権力者を怒らせたから失敗したと考えています(p96)。

日本人にはノベスパニヤ(現メキシコ)との貿易の利をあたえ、自分たちは布教の自由をもらう。その取引を巧みに行うことができるのは自分だけだ(p35)とベラスコは自負しています。

自分がもし日本の布教をすべて立案し実行できる司教に任命されたなら、この数十年間にペテロ会が行った失敗をとりかえしてみせる、とベラスコは恥じながら考えています(p35-36)。

恥じながら、という点ですが、ベラスコは日本担当の司教になりたいという自分の野心を宣教師にふさわしくないものとして恥じています(35-36)。

司教になる夢は決して世俗的な野心からではなく、すべてこの日本に神の教えを広めるための自分の義務なのだとベラスコは思おうとしています(p64)。

敬虔な宗教心と野心、虚栄心の相克に悩むベラスコの姿こそ、当時来日した宣教師たちの姿に近いのではないでしょうか。

立身出世を志す現代の若者、あるいは自分の地位保全に腐心する中高年の私たちの心中も、ベラスコのそれと共通しているものがありそうです。



いかなる者の生涯にも、神が在ることを証するものがございます




侍とともにノベスパニヤに行った召出衆(下級武士)の中に、松木忠作という賢い人物がいました(p86)。

松木はベラスコに、「神がいるとなぜ思うのか」と問います。ベラスコは次のように答えました。


神がましますのは、人間一人、一人の生涯を通して御自分のあることを示されるからでございます(p121)。



これは、遠藤周作の読者へのメッセージでもあるのでしょう。

神が人の人生を通じてその存在を示す。この言葉、若くして亡くなった友人や、残念無念の死を遂げることになってしまった友人のことを思うと、頷けるものがあります。

若くして亡くなった友人たちは生前、その思いは遂げられなかったかもしれません。

しかし、亡くなった友人たちは生き方だけでなくその死に方によっても、私たちに様々な痕跡を残します。

その痕跡から、神は私たちに語りかけているということなのかもしれません。しかるべき痕跡を残すように、神がはたらきかけているのかもしれません。

人生の主役が自分であるなら、亡くなった友人たちは死後も、傍役であり続けることができるのです。誰しも、いずれは必ず死ぬのですからね。

若くして亡くなったのは悲劇ですが、所詮は数十年の差でしかないとも言えます。長生きしても、自分の宿願を成し遂げられず、無念のうちに死ぬ例は数えきれません。



逆境に陥っても絶望しないことが、人々の間に消し難い痕跡を残す




侍をイスパニヤに派遣した伊達政宗は、天下を取りたいと若い頃ひょっとしたら思っていたかもしれません。

そうであるなら、長生きした伊達政宗は無念のうちに亡くなったかもしれません。勿論伊達政宗は周囲の人間と後世に大きな痕跡を残しました。

人が死後も周囲、あるいは後世に痕跡を残すという考え方は、「人生に失敗してしまった」「自分は生きている甲斐がない」などと絶望している人を励ますことになり得ますね。

自分の思い、宿願が達成できれなかったということは、何らかの形で周囲の人間あるいは後世に伝わり、人々の中に痕跡を残すのでしょう。

逆境に陥っても絶望しないことが、人々に消し難い痕跡を残しうるのです。意図せずして悲惨で哀しいな死を迎えてしまっても、それ自体が人びとに大きな痕跡を残しうるのです。



生きることは烈しいことと私は思って参りました(p122)




ベラスコは、生きることは烈しいことであり、それは男と女の関わりに似ていると考えています。女は男の烈しき情を求めるように、神も我々に烈しさを求めているとベラスコは断言します(p122)。

そんなベラスコを、松木は「あの男はおのれの烈しさをかくすため、穏やかに見せているのだ。あの男が切支丹を信ずるのも、おのれの欲望を抑えるためのような気がしてならぬ」と評します(p130)。

ベラスコの心中に潜んでいる烈しい闘志を、松木は見抜いていたのです。それは布教とともに世界を征服しようという、南蛮人の野心でもあります。

恐らく、晩年の太閤秀吉も宣教師の中にある野心を見抜いたのでしょう。太閤秀吉の宣教師たちの処刑命令は、現代人から見ると残酷です。

しかし、宣教師たちが、日本人を虐殺するエスパニヤ軍を呼び寄せようとしていたかもしれないことも念頭におくべきでしょう。宣教師の中には、今風にいえば「工作員」「スパイ」もいたのですから。



組織を持つ者は、大多数を守るためには一人の者を見棄てるのはやむをえない(p349)




日本はすでに切支丹禁制に踏みきり、伊達藩もノベスパニヤ(現メキシコ)との通商も棄てたという知らせが、法王庁にも入っていました。


それでもベラスコは、ローマの有力者ボルゲーゼ枢機卿に法王庁として日本への布教方針を継続するよう、次のように要請します(p347)。


日本にも数少ないが信徒がおります。その信徒には、もう教会もありませぬ。力づけ、励まし、模範をしめしてくれる宣教師もおりませぬ

今、彼らは聖書に書かれた、群れから離れた一匹の仔羊に似ていないでしょうか。


ベラスコの懇願に対して、ボルゲーゼ枢機卿は次のように答えます(p347-349)。



一匹の仔羊を探すために他の多くの羊が危険に曝されるならば...牧者はその仔羊を見棄てざるをえない。組織を守るためにはそれも仕方がないのだ。


組織を持つ者は、大多数を守るためには一人の者を見棄てるのはやむをえない。


これこそ、政(まつりごと)を司る者の論理です。伊達藩だけでなく、ローマ法王庁も政という、宿命に直面していたのです。


ローマ法王庁が直面していた国際政治の現実―新教徒の国々との対立―



さらに枢機卿は、国際政治の現実をベラスコに淡々と語ります。


日本の権力者をこれ以上刺激せず、しばらく静観するほうが、エスパニヤやポルトガルのためにも有利だと私は判断した。

法王庁は単独ではない。それは新教徒の国々に対立して、カトリックの国々を保持する組織の義務である。



ベラスコは、枢機卿の苦渋の結論を彼なりに理解したのではないでしょうか。エスパニヤやポルトガルが法王庁の命令により苦境に陥れば、カトリックから徐々に離れていってしまうかもしれません。

ベラスコには、ペテロ会との対立程度しか世界が見えていなかったのですが、枢機卿は新教徒との対立という国際政治の厳しい現実が見えていたのです。

新教徒がさらに影響を広げていけば、ローマ法王庁の権威も徐々に失われていってしまうかもしれないのです。ベラスコにはそこまで見通せていなかったのではないでしょうか。



烈しい征服欲と烈しい情熱を罪とみなすようになったベラスコ




ベラスコはマニラの修道院長の座を与えられるのですが、烈しい征服欲と情熱をもつ彼はそこに安住できません。


ベラスコは再度日本に来ますが、簡単に捕縛されてしまいます。

ベラスコを取り調べる役人は、「お前は無益に捕らえられ殺されるためにこの日本に参ったようなものだ。狂気としか思えぬ」とベラスコに言います。

ベラスコは次のように答えました(p466)。


なぜ、狂気にみえることをこの私が承知でやったか。死ぬと覚悟してこの日本に参ったか―いつか、お考えくださいまし。

その問いをあなたさまやこの日本に残して死んでいくだけでも、私にはこの世に生きた意味がございました。



殉教した宣教師や切支丹は後世に大きな痕跡を残したと言えるでしょう。私にはそれが神の意思であったかどうかはわかりません。

ベラスコは、自分のすべての挫折は、主がこの悲惨な現実を私に直視させるためにお与えになったような気すらすると述懐します(p464)。

ベラスコはペテロ会のカルバリオ神父に処刑される前日に牢で会います。ベラスコはカルバリオ神父に次のように罪の告白をします。


私はおのれの征服欲と虚栄心とに気づかず、それを神のためだと自惚れていたのです。



ベラスコは挫折を繰り返しつつ、変わっていったのです。聖人になっていったということかもしれません。

侍は敬虔な基督教徒にはならなかったかもしれませんが、イエスの死の意義を理解するようになっていました。

ベラスコとカルバリオ神父、修道士のルイス笹田が殉教していく場面は印象深いものです。実際の宣教師や切支丹たちも、このように亡くなっていったのかもしれません。

殉教者は隠れ切支丹となった人々の心に、消し難い痕跡を残したのでしょう。

この本の解説(ヴァン・C・ゲッセル)によれば、ベラスコのモデルはルイス・ソテロ神父(1574-1624)です。

ポーロ会、ペテロ会という名称は、実在のものではないかもしれません。


侍とベラスコの心中の変化に着目したい




この物語は、侍とベラスコの心中の変化が丁寧に記されているように思います。


遠藤周作の数ある作品の中では「沈黙」と「深い河」、あるいは「イエスの生涯」「キリストの誕生」の評価が高いように思います。後の二つは、小説というよりは意味論的な歴史の解釈ですね。

私は登場人物の心中の変化が詳細に記されているという点で、「侍」は「沈黙」や「深い河」に劣らないと感じました。











2013年8月25日日曜日

神はその存在を一人の生涯を通じて証明する―遠藤周作「侍」(新潮文庫)より思う―

伊達政宗の命で太平洋と大西洋を渡った武士、支倉常長



「独眼竜政宗」を覚えていますか。もう30年くらい前でしょうか。隻眼の戦国武将、伊達政宗の生涯を扱ったNHKの大河ドラマです。

主演は渡辺謙。後藤久美子が、政宗の妻愛姫(めごひめ)の幼い頃を演じて脚光を浴びました。このドラマでは、政宗の家臣支倉常長のメキシコ派遣はそれほど扱われていなかったように思います。

遠藤周作「侍」(新潮文庫)は、伊達政宗の命でメキシコ、スペインからローマまで行った支倉常長と、同行したポーロ会の宣教師ベラスコの物語です。

長谷倉六右衛門という名前ですが、「侍」と一貫して表現されています。遠藤周作は、「侍」(さむらい)という呼び方を用いて、武士の世界観、人生観を描き出そうとしたのでしょう。

侍は寡黙で、自分に与えられた役目を着実にこなすような人物です。私たち日本人の祖先はこんな人ではないでしょうか。

侍は伊達藩所属の下級武士で、長谷倉本家の惣領です。藩の中では召出衆という地位にいます。十一年前、黒川という先祖代々の所領に変わって、谷戸という土地を与えられました。

侍の父、五郎左衛門は既に亡くなっています。侍の叔父は、黒川に戻ることを切望しています。谷戸は僅かな稲麦のほかは蕎麦と稗(ひえ)、大根しか取れないような貧しい地域です(p10)。

大きな戦(いくさ)があり、手柄をたてれば黒川への配置替えも可能かもしれませんが、伊達政宗が東北に覇権を確立した頃は既に天下は豊臣秀吉のものとなっていました。

物語は17世紀初頭。豊臣秀吉が死去し、関ヶ原のたたかいで徳川家康が勝利して「内府」と呼ばれるようになっていた時のことです。

独眼竜伊達政宗は内心では天下を狙っていたかもしれません。しかし、幕藩体制が成立しつつあったので、大きな戦争は生じにくくなっていました。



男なら野心を抱く―諸勢力間の抗争を緩和するために政(まつりごと)―




若い男性は正義感と野心を抱くものです。立身出世し、富と地位を手に入れたい。美しい女を自分のものにしたい。豊臣秀吉のような天下人、権力者になりたい等など。

野心は虚栄心から生じているのかもしれません。正義感と虚栄心は矛盾しますが、人の心の中には共存しているものです。

今の世の中はおかしい。自分の力で変えてやる。精一杯、体を張って世間と戦ってみせる。そんな気概こそ、若者にふさわしいものでしょう。

野心を成就するために、若い頃からいろいろ努力した結果、中年になれば自分ができること、できないことが分かってきます。

勿論、中高年になっても少しばかりの野心を抱いて、策をいろいろ凝らしている人はいくらでもいます。それまでの努力で築いた地位を保持するためにも、権謀術数は必要ですから。

いつの時代でも、権力と富をめぐる諸勢力間の抗争が絶えたためしはありません。正義感と野心を抱いた若者はいつの間にか、抗争に巻き込まれていくものなのでしょう。

抗争が極端化すれば、激しい内戦になってしまい、皆が被害をこうむってしまいますから、権力者は政(まつりごと)、政治を通じて人々の間の利害関係を調整します。

権力者が保持する武力が圧倒的であるならば、他の人々は権力者の意志、命令に従うしかありません。野心を抱いていた若者も、屈従を余儀なくされるのでしょう。



政を営む者、政に翻弄される者それぞれの宿命




権力者は強制するだけでなく、甘言を用いて家臣に命令を実行させる場合もあります。命令を実行することこそ、自分の利益になると家臣に思い込ませることができれば、家臣は必死に働くでしょう。

家臣にとって何の利益にもならないと権力者が熟知していても、家臣はそれを後になってわかるだけです。後になって権力者に制裁を加える仕組みがなければどうしようもありません。

命令の実行のために粉骨砕身した家臣の人生は、全くの徒労となります。それは家臣の宿命だったのでしょうか。

政を営む権力者としては、その程度のことで心を痛めていては権力を維持できないのです。これも権力者の宿命だったのかもしれません。

遠藤周作の「侍」のメッセージの一つは、政を営む者と、政に翻弄される者それぞれの宿命を描き、読者が自分の生き方を見つめ直すことではないでしょうか。



「父祖伝来の地に戻る」ために大海を渡る侍と、神の存在




侍は、ノベスパニヤ(現メキシコ)に伊達政宗の書状を届け、交易をできるようにすれば、旧領への復帰もありうると藩の上司で寄親である石田さまから示唆されました(p55)。


父祖伝来の地に戻ることは、亡父と叔父の宿願です。侍にはなぜそんな大役を自分が仰せつかることになったのか、理解できませんでしたが、藩命を拒否することなどありえません。

なぜ藩の上層部(御評定所)が、侍のような下級武士にこんな大役を与えたかは、徐々に明らかになっていきます。

白石さまという、藩の重臣だけを信じていた侍には、藩の上層部の政争など理解できませんでした。

政のために翻弄され、たった一度しかない人生を無為に終えてしまう人はいくらでもいるものです。

ちっぽけな存在、哀しく弱い存在でしかない人の人生を通してでも、神はその存在を証明するのでしょうか。

これは遠藤文学の一貫したテーマですね。「侍」でも、ポーロ会所属の宣教師ベラスコは「いかなる者の生涯にも、神が在ることを証するものがございます」と述べています(p121).

この物語には、それぞれの野望の実現のために努力するが、政に翻弄され無為に人生を終えることになってしまう人々が描かれています

そういう人々の人生に、神の存在が見いだせるものでしょうか。その人たちは宿命のため、哀しい最期を遂げてしまったのかもしれません。

侍はただ、役目を果たすためにノベスパニヤ(現メキシコ)からエスパニヤ(現スペイン)そしてローマまで行きます。

ローマに行く前に、侍は役目を果たすため、そして自分の使用人たちを日本に返すために、切支丹に帰依する決意をします(p305)。「お役目のためだ」と侍は自分に言い聞かせます(p309)。

しかし、お役目のために全力で尽した侍は全く報われませんでした。帰国までに、幕府と藩の基督教に対する政策が大きく変わっていたのです。

切支丹禁制に踏みきり、エスパニヤ(現スペイン)との通商を棄てたのです(p326)。それでも、侍一行はローマに行きます。



ノベスパニヤでの元修道士との出会い―人は生涯、共にいてくれるものを求める―




侍の長旅そして人生に何か意味があったとするならば、ノベスパニヤのテカリという村に住んでいた日本人の元修道士と出会い、基督教の教えに開眼したことではないでしょうか。

元修道士は肥前の生まれで、幼い頃父母をなくし、その地方で布教していた神父に拾われて召使となったのです。

マニラの神学校で修道士の資格を得ましたが、聖職者たちに嫌気がさし、水夫に誘われてノベスパニヤまで来たとのことです(p207)。

元修道士は南蛮人によるインディオの虐殺と略奪、破壊を目にしていました。その後ノベスパニヤに来た宣教師たちは、南蛮人による蛮行について素知らぬ顔をしていました。

この国のパードレさまたちの唇からはいつも美しい言葉だけが出る、と元修道士は批判します。

イエスはあの金殿玉楼のような教会にいるのではなく、みじめなインディオの中に生きていると元修道士は侍に語ります(p209)。

侍は切支丹になっても、基督教に常に疑問を持っていました。ひとたび死んだあとに蘇る、そんなことを信じられる筈はなかったとあります(p311)。

しかし侍は元修道士の言葉と生き方に強烈な印象を受けたことでしょう。侍は長旅を共にした与蔵に次のように語ります。あの男とは、十字架にかけられたイエスのことです(p446)。


人間の心のどこかには、生涯、共にいてくれるもの、裏切らぬもの、離れぬものを―たとえ、それが病ほうけた犬でもいい―求める願いがあるのだな。

あの男は人間にとってそのようなあわれな犬になってくれたのだ。


侍の人生に意味があったとするなら、このような考え方を知ったことではないでしょうか。侍は、「邪宗門に帰依した」ということで、「沙汰がある」と役人に言い渡されます。

恐らく、侍は切腹を申し付けられたのでしょう。侍が得た「恩賞」はこれでした。

侍が永年望んでいたことは成し遂げられなかったのですが、侍は最期に自分の生き方と世界に対する新たな見方を知ることができたのです。

神は侍の生涯を通じて、その存在を示したのでしょうか。

正直言って私にはまだ、わかりません。



烈しい生き方をした宣教師ベラスコ




一向に通辞(通訳)として同行したポーロ会の宣教師、ベラスコの人物像もとても魅力的です。烈しい生き方を望んだベラスコ。静かなる闘志を秘めた侍と対照的な人物像です。

神に全てを捧げた宣教師といえども、野心と欲望と虚栄心はあるはずです。この物語にはそれらが描かれています。

ベラスコについては、所感を改めて書きます。







2013年8月22日木曜日

ソ同盟を絶対的、無条件に擁護する問題―スターリン「国際情勢とソヴェト同盟の防衛」より思う―

スターリン全集第十巻「ソ同盟共産党(ボ)中央委員会・中央統制委員会合同総会 1927年7月29日―8月9日」を若い共産党員は読みましょう




当たり前のことですが共産主義運動を語ろうとするならば、レーニンは勿論、スターリンの論考、全集もきちんと読むべきですね。


本ブログの別の箇所でも引用しましたが、スターリンの世界革命に関する下記の見解は日本共産党と朝鮮労働党の革命路線にしっかり継承されています。

若き不破哲三はトロツキズム批判の論文の中で、下記を参考にしていました。

宮本顕治の昔の論考にある「マルクス・レーニン・スターリン主義」という用語は、スターリンの下記の見地そのものですね。

在日本朝鮮人総連合会の活動をしっかりやっている方なら、「絶対性、無条件性」という言葉を嫌というくらい耳にしているはずです。

この用語は主体思想の基本中の基本ですが、それの起源はスターリンなのです。金日成はスターリンの忠実なる下僕でした。

在日本朝鮮人総連合会の活動をしっかりやっている方なら、「ソ連は世界革命の基地」という規定から「共和国は南朝鮮革命の民主基地」という金日成の規定をすぐに思い出すはずです。

北朝鮮は大韓民国を滅亡させるための「民主基地」ですね。北朝鮮はスターリンの革命路線を立派に継承しているのですよ。


野坂参三なら、スターリンの下記の見解が発表された頃から、世界共産党(コミンテルン)を通じてこの文書に関する指導を受けていたのではないでしょうか。

野坂参三は英語でこれを読んだのではないでしょうか。

宮本顕治や蔵原惟人がスターリンの下記の見解をいつごろ入手したかはわかりませんが、戦後には何らかの形で手にしていたことでしょう。

金日成はハバロフスク近郊にいる頃、これを入手したのではないでしょうか。金日成はロシア語を読めなかったかもしれませんが、スターリンの見解は中国語にも翻訳されていたはずです。

金日成は中国語を流暢に使うことができました。若い頃の金日成は、朝鮮語より中国語の方がうまかったという話すらあります。

子供の頃、親と一緒に朝鮮半島から満州に移住した金日成はいわば、脱北者の先駆的存在でした。

金日成は満州で中国共産党の下、中国革命に貢献していたとき、下記の文献を参考にしていたかどうかはわかりません。

中国共産党に対するスターリンの影響はさほど大きくないかもしれません。

故李命英先生(成均館大学校)なら、このあたりを御存知だったかもしれません。


共産主義者はスターリンの単純明快な口調に心酔していた




スターリンの語り口は単純明快で、力強いですね。共産主義者がスターリンに心酔してしまうのが、「理解」できます。

蔵原惟人や聴濤弘なら、ロシア語でこれを暗記していたかもしれません。スターリン全集の朝鮮語版もあるのでしょうけれど、私は入手できていません。

韓国左翼で、朝鮮労働党の地下組織にも所属している方でも多分スターリン全集の朝鮮語版は持っていないでしょうね。その人たちが読むのは金日成著作集でしょうから。

下記を暗記すれば語学の勉強になりますね。

吉良よし子参議院議員のような若い日本共産党員にも、是非読んでいただきたいものです。宮本顕治、蔵原惟人、不破哲三、聴濤弘ら大先輩が心酔して読んだであろう文書なのですからね。

本ブログを外国在住の方も見て下さっているようなので、スターリン全集の英語版の該当箇所も抜粋して掲載しておきます。


再度、スターリン全集(大月書店刊行、第十巻、p64)から抜粋して掲載します。



ソ同盟は世界革命運動の根拠地―The U. S. S. R. is the Base of the World Revolutionary Movement―




「ありとあらゆるグループ、潮流、党を区別する、そしてそれらの革命性や反革命性を点検する一つの問題がある。

この問題とは、今日では、ソ同盟の防衛の問題、つまり帝国主義からの攻撃にたいしてソ同盟を絶対的、無条件に擁護する問題である。

なんの留保もなしに、無条件に、公然と、そして誠実に、軍事上の機密なしに、ソ同盟を擁護し、防衛する用意のあるもの、それこそ革命家である。

なぜならソ同盟は世界で最初の、社会主義を建設しつつあるプロレタリア的、革命国家だからである。

留保なしに、動揺することなく、無条件にソ同盟を擁護する覚悟のあるもの、それこそ国際主義者である。

なぜならソ同盟は世界革命運動の根拠地であり、ソ同盟を擁護することなしに、この革命運動を前進させることはできないからである。

なぜならソ同盟を考慮せずに、ソ同盟に反対して世界の革命運動をまもろうとおもうものは、革命に逆行するものであり、かならず革命の敵の陣営に転落するからである。」



There is one question which serves as a dividing line between all possible groups, trends and parties and as a test of whether they are revolutionary or anti-revolutionary.


Today, that is the question of the defence of the U. S. S. R., of unqualified and unreserved defence of the U. S. S. R. against attack by imperialism.


A revolutionary is one who is ready to protect, to defend the U. S. S. R. without reservation, without qualification, openly and honestly, without secret military conferences; for the U. S. S. R. is the first proletarian, revolutionary state in the world, a state which is bulilding socialism.


An internationalist is one who is ready to defend the U. S. S. R. without reservation, without wavering, unconditionally; for the U. S. S. R. is the base of the world revolutionary movement, and this revolutionary movement cannot be defended and promoted unless the U. S. S. R. is defended.


For whoever thinks of defending the world revolutionary movement apart from, or against, the U. S. S. R., goes against the revolutuon and must inevitably slide into the camp of the enemies of the revolution.



2013年8月21日水曜日

朝鮮民主主義人民共和国の人民生活は日ごとによくなっています―「赤旗」日曜版昭和43年(1968)9月15日記事より思う―

テロ国家北朝鮮を礼賛した日本共産党



ある人がありえない話を次から次へと流布してきたのなら、その人の人格が疑われても仕方がないでしょう。

現代では次から次へと情報が流れ、消えていきますから、ある人や集団の昔の言辞など誰しも忘れがちです。些細なことならば、水に流し忘れてしまって良いのでしょう。

しかし、政党や政治家が確信をもって流布、宣伝した言辞には責任をとってもらいたいものです。不良品を生産し消費者に販売してきた悪徳企業は、製品を引き取って消費者に換金すべきでしょう。

政治家や政党、あるいは報道機関の出鱈目な言辞、宣伝にも同様の制裁があってしかるべきではないでしょうか。

日本共産党の「赤旗」や「前衛」の昔の記事や論文を見るとつくづくそう思います。

昔の「赤旗」や「前衛」は何の実証的根拠もなく、単に共産主義国の政府や共産党の宣伝を垂れ流しにしていただけです。

北朝鮮に関する昔の「赤旗」の報道など、酷いものです。ソ連礼賛だけではありません。以下、例をあげておきます。

農民は1966年以来、いっさいの税金を免除されています




国民が税金を払わなくても良い暮らしが出来る体制とは、一体どんな体制なのでしょうか。

国家財政は中央銀行が紙幣を専ら増刷して賄われているのでしょうか。そうであるなら、慢性的なインフレになりそうです。

「赤旗」日曜版記事(昭和43年9月15日 朝鮮民主主義人民共和国創建20周年を祝う)によれば、朝鮮民主主義人民共和国の人民生活は日ごとによくなっています。

日用品は豊かで、去年は大洪水ことしは七十年来の干ばつに見舞われたというのに、豊作は確実だといわれているそうです。

高物価、重税はこの国の人びとには無縁で、医療費は入院した場合の食費をふくめていっさい無料だそうです。

教育費も保育所、小学校から大学にいたるまですべてが無料だそうです。

税金もないのと同じです、と「赤旗」記事は断言しています。農民は1966年以来、いっさいの税金を免除されているそうです。

税金がない、ということは国営企業からの収益などで国家財政がまかなわれているということでしょう。国営企業には法人税があるのでしょう。

北朝鮮では国民は皆、何らかの国営企業や国家機関に所属しています。国民は国営企業の収益に何らかの形で貢献しているのでしょうから、実際には法人税という形で税を払っているのです。

所得税がないなら、各国民が国営企業の収益にどれだけ貢献したかが不明になっているだけでしょう。

医療が無料、と言いますが、病院に薬はどの程度あったのでしょうか。治療のための設備はあったのでしょうか。

北朝鮮の学校の教育内容とは、主体思想を教え込まれるのでしょうから、「ただほど高いものはない」という水準と内容ではないですか。

「千里馬」の勢いで、国を発展した社会主義的な工業・農業国にかえた朝鮮人民


一昔前の「赤旗」「前衛」には、吉良よし子参議院議員のような若い共産党員なら仰天してしまうような共産主義国礼賛論が次から次へと掲載されています。こんなことありえない、と吉良よし子参議院議員なら思うかもれませんが、一昔前の日本共産党員は大真面目に「赤旗」記事や「前衛」掲載論文を信じていたのです。

ひょっとしたら聴濤弘ら当時の若い日本共産党員は内心では、共産主義国の実情について何か疑問をもっていたかもしれません。

確かなことは、昭和43年9月(1968年9月)でも日本共産党は北朝鮮を礼賛していたという史実です。

以下は日本共産党中央委員会の「朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年にあたって祝電」(「赤旗」昭和43年9月9日掲載)よりの抜粋です。


「この二十年間に、朝鮮労働党と朝鮮人民は、金日成同志を先頭とする朝鮮労働党中央委員会のマルクス・レーニン主義的指導のもとに、社会主義革命と社会主義建設ですばらしい成功をおさめました。」

「さらに朝鮮人民は、過去の植民地経済の遺産やアメリカ帝国主義の侵略戦争による破壊を短期間に克服し、『千里馬』の勢いで、国を発展した工業・農業国にかえることに成功しました。」

「とくに今日、一連の社会主義諸国がさまざまな困難に直面しているなかで、朝鮮人民が、工業、農業をはじめ社会主義建設のあらゆる分野で大きな高揚をかちとり、そのなかで共和国創建二十周年をむかえたことは、社会主義制度の優越性をうちかちがたい事業をもってしめしたものであり、社会主義、共産主義の勝利をめざす国際的な共通の事業への貴重な貢献をなすものであります。」

「朝鮮民主主義人民共和国におけるこれらのかがやかしい達成は、朝鮮労働党と朝鮮人民が、金日成同志を先頭とする党中央委員会の指導のもとに、確固として、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の道、なかんずく、思想、政治、経済、国防の全般にわたって自主、自立、自衛の路線を歩んできた成果であります」


大言壮語そのものですね。

一体全体、当時の日本共産党は何を実証的根拠として北朝鮮がこれほど素晴らしいと考えたのでしょうか。

北朝鮮の現実が、社会主義制度の優越性を示していると断言しています。勿論、朝鮮労働党はそのように宣伝していたでしょう。

「労働新聞」にある宣伝文章が掲載されたからといって、それが北朝鮮の現実であるという保証はとこにもないはずですけれどね。

共産党や労働党の宣伝文書は、いつの時代でもどこでも、大言壮語の羅列なのです。悪徳商法常習犯業者の宣伝広告のようなものです。

相当数の日本人妻や元在日朝鮮人が行方不明になっていた



この祝電や「赤旗」の北朝鮮礼賛記事が出されたのは昭和43年9月ですから、在日朝鮮人による北朝鮮への帰国事業が始まって9年程度経過しています。


この頃には、北朝鮮に渡った日本人妻や元在日朝鮮人の相当数が行方不明になっていました。日本の親族との連絡が一切取れなくなっていたのです。

当然、日本の親族は北朝鮮当局と連絡できる在日本朝鮮人総連合会に問合せをしたことでしょう。しかし在日本朝鮮人総連合会が、そんな問い合わせにまともに対応するとは考えにくい。

今日では、行方不明になった日本人妻や元在日朝鮮人が政治犯収容所に連行されたり、山奥の僻地に強制移住させられていったことがわかっています。

何らかの形で、北朝鮮の体制に不満を漏らすとそうされてしまうのです。北朝鮮は昔から、国の内外で人さらい、拉致を次から次へとやってきたのです。

勿論、昭和43年当時、日本の親族にそんなことがわかろうはずもありません。

推測ですが、日本の親族の中には、朝鮮労働党と大変友好的な関係を保持している日本共産党に、行方不明になっている日本人妻や元在日朝鮮人の安否確認を要請した方々がかなりいたのではないでしょうか。

当時の日本共産党と在日朝鮮人は、大変親密な関係でした。昭和30年まで在日朝鮮人の共産主義者は、日本共産党の一員だったのです。

極めて自然に、在日朝鮮人らは日本共産党に親族の安否確認を要請したはずです。

聴濤弘らの世代の日本共産党員なら、何か心当たりがあるはずです。京都の寺前巌元衆議院議員なら、何かご存知かもしれません。

要請を、当時の宮本顕治ら日本共産党最高幹部が拒否する理由はないと私には思えます。

宮本顕治らは、この頃の朝鮮労働党との会談(昭和43年8月)で行方不明になっていた日本人妻や元在日朝鮮人の安否確認や調査依頼をしたのではないでしょうか。

金日成がどう答えたかまではわかりません。

「余計なことを聞くな」という調子だったかもしれません。「奴らは反革命分子、民族反逆者だ」というような答えだったかもしれません。

安否確認、調査依頼は日本共産党にとって恥ずべきことではありません。


昭和43年当時、不破哲三(38歳くらい)は北朝鮮が人間抑圧社会であることを熟知していた




日本共産党大幹部は随分昔から北朝鮮がとんでもない抑圧体制であることを熟知していました。

不破哲三は昭和43年の北朝鮮訪問中に、金日成への個人崇拝の体制化がはじまったという強い印象を受けた、と述べています(「赤旗編集局編「北朝鮮 覇権主義への反撃」1992年、p37)。

朴金喆と李孝淳という二人の朝鮮労働党最高幹部がいつの間にか党指導部から姿を消していたから、北朝鮮の党の内部に何か異常な状態が起こっていることを推察させたと不破哲三は述べています(前掲書p20)。

私は、不破哲三のこの記述から、宮本顕治らが行方不明になっていた日本人妻や元在日朝鮮人の安否確認をしたと推測しました。

そんな酷い体制であることを昭和43年8月頃からわかっていたなら、9月に北朝鮮礼賛電報を送らないでも良さそうなものです。

9月の「赤旗」礼賛記事を指導部の権限で差し止めるべきだったのではないでしょうか。まあ、ありえぬ話なのでしょうね。

日本共産党最高幹部は本音では共産主義国は酷いところだと思っていても、下部党員や「赤旗」読者、若い後輩にはそれを隠蔽するものなのです。


ベネズエラ共産党員で詩人のアリ・ラメダが1967年9月27日(昭和42年)、平壌の宿舎から公安に連行された



不破哲三ら当時の日本共産党幹部が、北朝鮮のひどい人権抑圧体制を熟知していたと私が考える根拠をもう一つあげておきましょう。

萩原遼「ソウルと平壌」(大月書店1989年刊、p145-146)によれば、ベネズエラ共産党員で詩人のアリ・ラメダは、平壌の外国文出版社で金日成の著作のスペイン語訳などのために北朝鮮当局に請われて66年半ばに平壌入りしていました。

しかし翌1967年9月27日、宿舎から9人の公安に連行されました。アリ・ラメダの住んでいた宿舎が、萩原遼の住んでいた宿舎だったそうです。

萩原遼が平壌に着任する5年前にこの事件が起きました。萩原遼は、事件の目撃者から鬼気迫る状況を聞いたと記しています。

目撃者が誰だかわかりませんが、1967年9月当時の赤旗平壌特派員高杉和男ではないですか。同じ宿舎というのですから、他に考えようがありません。

外国人専用のアパートは当時、いくつもなかったはずです。

高杉和男は日本に帰国後、アリ・ラメダの連行事件について上部に報告したはずです。この人は平壌滞在が長かったですから、いろいろな情報を入手できたはずなのです。

宮本顕治ら日本共産党最高幹部はそれを、表に出さなかったのでしょう。そんなひどい国に、なぜ日本共産党は在日朝鮮人が帰国していくのを奨励したのだ、という話になってしまいますから。

不破哲三(1930年生まれ)や聴濤弘(1935年生まれ)の世代の日本共産党員には、吉良よし子参議院議員ら(1982年生まれ)若い日本共産党員に決して話せない「心の秘密」がいろいろありそうですね(文中敬称略)。





















世界の平和と共産主義への偉大な前進―日本共産党中央委員会幹部会の声明(1959年2月19日)より思う―

不破哲三や聴濤弘ら高齢の日本共産党員はお面をかぶって生きている



誰でも、嫌な経験、苦しい思い出はあるものです。それらの中には、他人には絶対に知られたくないものもあることでしょう。

遠藤周作が「ほんとうの私を求めて」(集英社文庫p14-16)で、次のようなことを言っています。


これだけは絶対に他人に知られたくないという心の秘密を抱えている人こそ、人生を生きてきた人だ。

人は誰でも、社会が要求するお面をかぶるようになる。そのお面を長い間かむりつけると、いつか自分の本当の顔はそのお面だと錯覚するようになる。

それはお面になれきってしまうほうが、生き方が楽だからだ。



遠藤周作流にいえば不破哲三や聴濤弘ら高齢の日本共産党員は、「自分たちはソ連覇権主義を一貫して批判してきた」というお面をかぶりつづけているのです。

お面をかぶり続けたほうが、生き方としては楽ですね。高齢の日本共産党員は彼らなりに、人生を生きてきたともいえるのでしょう。

しかしそのお面は、誰かが図書館などで古い文献を多少調べればすぐに素顔が暴露されてしまうものです。

政党が世間に発表した文書のほとんどは、大きな大学の図書館などに保存されています。

不破哲三や聴濤弘ら高齢の日本共産党員は、青春の情熱をかけてソ連を礼賛したという苦しい思い出を若い共産党員に正直に話して、お面を脱いだらどうでしょうか。



全世界の注目を集めたソ連邦共産党第二十一回臨時大会




不破哲三(1930年生まれ)や聴濤弘(1935年生まれ)の世代の日本共産党員は、その青春期にソ連とスターリンを信奉し礼賛していたことを私は本ブログで何度か指摘しておきました。

素顔の日本共産党、とは共産主義国を礼賛する人たちなのです。

ソ連礼賛文献はいくらでもありますが、「世界の平和と共産主義への偉大な前進―ソ連邦共産党第二十一回大会の意義―」(日本共産党中央委員会幹部会、1959年2月19日)はその一つです。

この文献は「日本共産党決議決定集」(日本共産党中央委員会宣伝教育文化部編)などに掲載されています。この頃の「前衛」や「アカハタ」にも出ていることでしょう。

この題名だけで、今日の若い日本共産党員はびっくり仰天してしまうのではないでしょうか。

先日初当選した吉良よし子参議院議員(早大文学部卒業 日本文学専修)は、こんな文書を一切知らないでしょう。

若い共産党員は大真面目に、「わが党はソ連覇権主義と生死をかけてたたかったきた」「ソ連は人間抑圧社会だった。わが党はそれを一貫して批判してきた」などど信じ込んでいますから。

なんせ、昭和34年2月に採択された文書ですからね。その後隠されていれば入手しにくいのです。

HPを拝見すると吉良よし子参議院議員は昭和57年9月14日生まれとのことですから、吉良議員の御両親でさえこんな文書を知らないかもしれません。

吉良よし子参議院議員のように若い日本共産党員の皆さんには、大先輩である、昭和34年2月の日本共産党中央委員会の幹部会の皆さんが全力でソ連を礼賛した史実を厳粛に受けとめていただきたいものです。

聴濤弘はこの文書採択当時、25歳くらいですから採択の経緯は知らないでしょう。米原万里のお父さんなら、よくご存知だったかもしれません。

以下、この文書からいくつか抜粋して紹介しておきます。不破哲三や聴濤弘の世代の日本共産党員なら、この文書を読めば青春時代の思い出がいろいろと心中に蘇ってくるのではないですか。



共産主義への漸次的移行と世界の恒久平和への展望を示したこの大会




「ソ連邦の経済発展の壮大な七ヵ年計画を確認し、世界社会主義体制のいっそうの強化、共産主義へのその漸次的移行と世界の恒久平和への展望を示したこの大会は、ソ連邦国民にとってだけでなく、全世界の人民にとってもはかり知れないほどの画期的な意義をもっている。」

「このような生産の飛躍的増大、国民の生活水準の向上は、教育制度の改善、社会主義文化のいっそうの発展、それにもなう国民の共産主義的自覚と共産主義道徳の高揚とともに、ソ連邦をはじめとする社会主義諸国が、近い将来に共産主義の段階にはいることを可能にしている。」


「共産主義はその最初の段階である社会主義において、すでに人間による人間の搾取を廃止し、貧乏と失業から人民を解放し、国民の生活的、文化的水準を飛躍的に向上させることに成功した」


「全世界の勤労大衆、全世界の平和愛好国民は、当然のことであるが、このソ連邦の七ヵ年計画と共産主義、世界平和への壮大な展望を心から歓迎し、その成功を確信し、それに絶大な支持を送っている。」



マルクス・レーニン主義の原則をかたくまもるソ連邦共産党




「ソ連邦共産党とソ連邦国民は、世界で最初の社会主義革命を指導し遂行し、困難な国際情勢のなかで社会主義の建設を完了し、今や最初に共産主義への道を切りひらき、世界史の大きな転換のために先進的な役割を果たしている。」

「ソ連邦共産党が今日の達成をかちとったのは、マルクス・レーニン主義の原則をかたくまもり、あらゆる種類の日和見主義、修正主義と教条主義、保守主義とを克服して党の団結をかため、国民とかたく結びついて。正しい内外政策を遂行してきたからである。」

「このようなソ連邦共産党とソ連邦国民にたいし世界の共産主義者と勤労人民が絶大な信頼をよせ、その経験と達成に学ぼうとしているのは当然である。」



昭和41年頃にはソ連邦をはじめとする社会主義諸国が共産主義の段階にはいっている



日本共産党の文書は、大言壮語と仰々しい表現、ソ連礼賛の羅列としか私には思えません。

中央委員会幹部会が採択したこの文書には七ヵ年計画がどうのこうのという記述がたくさんありますが、これはソ連共産党がそのように宣伝しているというだけの話でしょう。

ソ連共産党がある主張を「プラウダ」や「イズベスチヤ」で宣伝したからといって、それが現実であるという保証はどこにもないはずです。

全世界の勤労大衆とやらが、ソ連の七ヵ年計画とやらを心から歓迎していることなどありえぬ話です。

全世界の勤労人民とやらが、ソ連に絶大な信頼をよせてその経験と達成に学ぼうとしているわけがありません。

殆どの人は、ソ連の動向に何の関心もなかったのではないですか。



ソ連覇権主義に屈服していた日本共産党




不破哲三や聴濤弘ら、当時の若き日本共産党員にはその程度の疑問すら持てなかったのでしょうかね。どこの国でも、政治家は往々にして大言壮語を吐くものではないでしょうか。

現実が中央委員会幹部会文書どおりなら、七年後の昭和41年頃には「ソ連邦をはじめとする社会主義諸国」であるソ連や中国、東欧、北朝鮮は共産主義の段階にはいっているはずです。


昭和41年頃にそんな現実は全くありません。それならば、不破哲三や聴濤弘ら当時の若き日本共産党員は「中央委員会幹部会は間違っていたのでは?」と疑問を持てなかったのでしょうか。

中央委員会幹部会はなぜこんな支離滅裂な文書を採択してしまったのだろう?マルクス・レーニン主義の理論そのものに何か問題があったのでは?くらいの気持ちを持てなかったのでしょうか。

一昔前の日本共産党がソ連覇権主義とやらに完全に屈服し、人間抑圧社会を礼賛していた史実を、吉良よし子参議院議員ら若い日本共産党員に直視していただきたいものです(文中敬称略)。



 

 



















2013年8月19日月曜日

共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始しているソ連―不破哲三「現代トロツキズム批判」(「前衛」1959年6月号掲載)より思う―

不破哲三(1930年生まれ)や聴濤弘(1935年生まれ)の世代の日本共産党員も、ソ連とスターリンを信奉し大宣伝していた




中高年になった人なら、社会運動に参加している若者の情熱と正義感のこもった訴えをきくと思わず「頑張れ!」と励ましてやりたくなるものです。

スポーツ選手を応援したくなるのと同じような気持ちですね。

体を徹底的に鍛えてスポーツに励んでいる諸君の姿は本当に清々しいものです。陸上の長距離選手なら、走りこんで体を絞り込まねばならない。

柔道やアメフト、ラグビーの選手なら、受け身やタックルの練習を徹底的にやって頑丈な体を作らねばならない。

スポーツ選手は皆、青春の情熱とエネルギーを燃やして、記録の達成や試合での勝利のために努力しています。

スポーツ部に所属していた人たちは大学や高校を卒業して社会人となれば、在学時と同じようにトレーニングを続けていくのは難しいでしょうが、在学時に培った精神は必ず血となり肉となっていることでしょう。

社会運動に参加している若者についても、同じようなことが言えるはずです。

そうであるなら、社会運動に参加して高齢になった方々は、その昔自分たちが情熱と正義感をもって主張したことを、同じ組織の後輩に正直に伝えたほうが良いのではないでしょうか。

駅前で「原発反対」のビラを配布しているような若い日本共産党員に、不破哲三や聴濤弘ら高齢の日本共産党員は本当の史実を全く伝えていないようですね。



不破哲三、聴濤弘ら高齢の日本共産党員は自分の人生をどうふりかえっているのだろうか




若き不破哲三は、ソ連とスターリンの理論を大真面目に信奉していたのです。

こんなことを突然言われると、若い日本共産党員は「デマだ!」と怒り出してしまうかもしれませんね。

宮本顕冶や蔵原惟人のような明治生まれの方だけでなく、不破哲三や聴濤弘の世代の日本共産党員も若い頃精一杯、ソ連とスターリンを礼賛し宣伝していたからこそ、今の日本共産党があるのです。

史実を無理して隠蔽するのは、不破哲三、聴濤弘ら高齢の日本共産党員が自分たちの人生によほどの引け目を感じているからなのでしょうか。

若い頃ソ連とスターリンを礼賛して大宣伝してしまったが、失敗しちまったな。やれやれ、という調子でしょうか。

昔の文献を図書館などで探し出して日本共産党の歴史について議論するような若い党員はいないだろうから、この際隠しちまえ、とでも思っているのでしょうか。

若い日本共産党員の方は、高齢の日本共産党員にこのあたりを率直に質問したらどうでしょうか。

高齢の日本共産党員の心中まではわかりようもありませんが、以下、不破哲三「現代トロツキズム批判」(「前衛」1959年6月号掲載)の中の記述をいくつか、抜粋して紹介します。

この論考は、上田耕一郎・不破哲三著の「マルクス主義と現代イデオロギー(上)」(大月書店1963年刊行、p209-236)にも掲載されています。

この本なら、大学の図書館などに行って古い「前衛」を探さなくても、古本屋などで買えそうですね。この本を線をひいて必死に読んだ中高年の日本共産党員はいくらでもいるのではないでしょうか。

以下、ページ数は「マルクス主義と現代イデオロギー(上)」によります。


レーニンとスターリンを対立させようとするのは、すでに三〇年前にスターリンによって完膚なきまでに粉砕された



不破哲三は1930年生まれと著書の最後にありますから、「現代トロツキズム批判」を執筆したころは29歳くらいですね。

この論文を読めば、若き不破哲三の共産主義運動にかけた情熱を実感できます。当時の日本共産党員が抱いていた、共産主義の総本山であるソ連に対する憧憬も十分感じられます。

「うたごえ喫茶」の雰囲気です。「あーインターナショナル、われらがものー」と聞こえてきそうです。

若き不破哲三はソ連の打倒を叫ぶ「現代トロツキスト」という人たちが、共産主義理論の立場に照らして、どんなに間違っているかをこの論文で論証しています。

若き不破哲三によれば、ソ連は社会主義の建設を完了し、社会主義は資本主義的包囲を打ち破って世界体制となり、帝国主義者のいかなる攻撃をも撃退しうる力をもちながら共産主義社会への移行を目指して巨大な前進を開始しているそうです(p214)。

ソ連共産党第二一回大会でフルシチョフがのべているように、「一国における社会主義の建設と、その完全かつ最終的な勝利にかんする問題は社会発展の世界史的行程によって解決された」のである、と若き不破哲三は自信満々に宣伝しています(p214)。

「帝国主義者のいかなる攻撃をも撃退する力」とは、ソ連による核軍拡を意味するのでしょう。ソ連による大陸間弾道弾の開発こそ、世界平和を守るという発想ですね。

このような明々白々な事実を目の前にしながら、現代トロツキストたちはなぜ一国で社会主義を建設することが不可能なのかを論証していない、と若き不破哲三は強調します(p214-215)。

姫岡玲冶が「激動・革命・共産主義」(『理論戦線』二号)で一国社会主義建設が不可能であるということを詳しく論じているそうです(p215)。

若き不破哲三によれば、姫岡のような方法でレーニンとスターリンを対立させようとするのは、すでに三〇年まえにスターリンによって完膚なきまでに粉砕された、トロツキーのこころみの不器用なくりかえしにすぎないそうです(p215)

若き不破哲三は、スターリンの「レーニン主義の基礎」や、「十月革命とロシア共産主義の戦術」を「粉砕した」文献としてあげています(p215)。

姫岡玲冶はペンネームで、その後世界的経済学者として大成した方だという噂を耳にしたことがあります。

レーニンとスターリンを対立させているのは、今日の不破哲三ら日本共産党の理論そのものですね。不破哲三や聴濤弘ら高齢の日本共産党員は姫岡玲冶に感謝すべきではないでしょうか。



ソ連は世界革命の展開の基地




若き不破哲三のこの論文は、今日の不破哲三の著書や論考とほぼ百八十度異なった主張をしているとしか私には思えません。

若き不破哲三によれば、はじめに勝利した社会主義国家の存立をまもりぬき、社会主義を建設し、そのあらゆる力量を強化することは、「世界革命の展開の基地」(スターリン)をまもることであり、それ自体世界革命を推進するためのもっとも重大な課題だそうです(p217)。

若き不破哲三によれば、一国社会主義の事実を拒否することは同時に世界革命の展開と勝利の法則を見失うことだそうです(p217)。

だから現代トロツキストは、ソ連における社会主義の勝利と社会主義の世界体制への成長がその勝利の一歩ごとに世界資本主義をより深い危機においやっており、その結果、各国の革命運動の前進のためにも、国際的舞台での帝国主義での闘争のためにも、資本主義が全一的に地球を支配していた時期には考えられなかった新しい展望と可能性がうまれていることを、少しも理解できないそうです(p217-218)。

長いですね。昔の日本共産党の論考は、やたらと固くて長い文章が多く、読みにくいことこの上ありません。

単に、トロツキーとその追随者は素晴らしきソ連とスターリンを批判したから反革命分子だ!反革命分子は帝国主義の手先だから監獄にぶち込め!と言えば良いではないですか。

反革命分子は帝国主義の手先だから監獄にぶち込め!という発想は、1968年の「プラハの春」の際の「赤旗」掲載論文にも出ていますね。私は本ブログの別のところでこれを指摘しました。

若き不破哲三も、1956年のハンガリー事件を「帝国主義者によって組織され挑発されたハンガリーの革命運動」と述べていますから(p234)、そんな具合に考えていたのでしょう。

ソ連は人間抑圧社会だ、「反帝国主義」の看板の中に覇権主義の巨悪が隠れている(不破哲三「党綱領の理論上の突破点について」日本共産党中央委員会出版局2005年、p62)などという観点は、若き不破哲三には一切なかったのです。



聴濤弘のソ連宣伝―ソ連が1930年に失業を一掃―




若き不破哲三のこの論文よりずっと後に出されたソ連宣伝の代表的文献として、聴濤弘「資本主義か社会主義か」(1987年新日本出版社刊行)をあげておきましょう。

聴濤弘によれば、ソ連が一九三〇年に失業を一掃したことも、人類史上、最初の壮挙として記録にとどめられるべきことです(前掲書、p228)。

聴濤弘によれば、人間の生活にとって根本的なことがらについて、社会主義こそが、その先頭に立って現代史を切り開いていったことは、社会主義の役割と力として、はっきり確認されなければならないことです(p228)。

ソ連崩壊のほんの数年前まで、日本共産党はソ連宣伝をこんな調子で続けていたのです。

聴濤弘は、ソ連の政治犯、富農や反革命の連中は政治犯収容所で囚人労働をしているから、失業していないと本気で考えていたのでしょうね。

なるほど政治犯や富農には、地獄のごとき囚人労働という「職業」がありますから、失業などしていませんね。失業は1930年にソ連で一掃されたというのですから、そう解釈するしかありません。

富農、などと言っても若い日本共産党員には何のことだか、さっぱりわからないでしょうね。レーニン全集にこの言葉はたくさん出てきます。

少しばかり豊かな農民のことです。少しばかり豊かな農民は、穀物を隠して都市労働者に供出しないから人民の敵だ、という類の話です。

人民の敵は帝国主義のスパイだから政治犯収容所に連行しろ!という乱暴なことこのうえない「理論」が、スターリン時期のソ連では規範となっていました。

富農や反革命分子、人民の敵は囚人労働をしているから社会主義国家に雇用されているのでしょうか。

そんなことで完全雇用が実現していたから、同時期に世界恐慌により大量の失業者を出していた米国や欧州諸国、日本より社会主義ソ連は体制的に優位だったということなのでしょうか。

聴濤弘にはっきり確認しておきたいものです。


中国が世界革命の展開の基地




今日の不破哲三には、中国が世界革命の展開の基地に見えているのではないでしょうか。

今日の不破哲三によれば、中国の場合、市場経済を舞台にした資本主義との競争が、大きな成果をあげながら進行しているのが実態だそうです(不破哲三「党綱領の理論上の突破点について」,p84)。

中国の農民の賃金は、戸籍差別により長年二束三文の低水準でしたから、中国は資本主義との競争に勝ってきたのです。

中国では農村生まれの人は、都市生まれの人と比べて進学、就職、社会保障、医療などで差別されています。

経済の高成長のためには、労働者を低賃金で酷使して資本蓄積に回さねばならないというだけのことです。

若い頃精一杯、ソ連とスターリンを礼賛し宣伝していたからこそ、今の不破哲三と日本共産党は中国を礼賛し宣伝するようになっているということですね。

今日の不破哲三には、中国政府による人権抑圧や、少数民族抑圧は大問題だ、などという発想は皆無です。

現在の中国にも、政治犯として監獄にほうり込まれている人、とんでもない拷問を受けている人はいくらでもいます。

賄賂によって億万長者になった中国共産党幹部の存在など、とんでもない社会問題ではないでしょうか。信じられないような規模で、党幹部による利権あさりがなされているのです。

レーニンの新経済政策論とやらに依拠して市場経済化を進めると、「管制高地」とやらを掌握した共産党幹部がぼろもうけをするようになるということですね。

「管制高地」を掌握するということは権力により様々な許認可権を得ることですから。中国で商売をするためには、中央や地方政府の許認可を得ねばなりません。

中国共産党幹部が金儲けをできるような仕組みになっているのです。

中国覇権主義という語さえ、最近の日本共産党の文献には見かけられません。



中国人民軍の凶弾に倒れた「赤旗」記者高野功ハノイ特派員




「赤旗」ハノイ特派員だった高野功記者は、中国人民軍の狙撃を受け、ランソン市内で殉職しました(「三月七日、ランソンにて『赤旗』ハノイ特派員高野功記者の記録」、新日本出版社1979年刊行より)。

1979年3月7日のことです。

高野功記者の殉職について、最近の日本共産党は中国当局に謝罪と償いの要求など、一切していないようです。

日本共産党と中国共産党との関係復活に際しても中国人民軍による、「赤旗」記者の殺害は全く障害にならなかったようです。

共産主義運動の前進のためには、一介の「赤旗」記者の生命と人権などにいつまでも云々していられない、という見地なのでしょうね。

日本政府も冷たいものです。「赤旗」記者だろうと、日本人が中国人民軍に殺害されて良いはずがありません。

日中友好とやらは日本人の生命と人権より優先するという発想が、歴代自民党政権と外務省にあったのではないですか。

宮本顕冶、蔵原惟人や若き不破哲三、聴濤弘は、ソ連に抑圧された人たちの生命と人権など、一顧さえしませんでした。

共産主義者にとって現在の中国は「世界革命の基地」なのでしょうから、中国当局に殺害、抑圧された人々の人権など無視して当然、ということなのでしょう。

三つ子の魂百まで、ということなのでしょう(文中敬称略)。








人間の悲しみを背負うために彼はやってくる―遠藤周作「おバカさん」(遠藤周作文庫、講談社刊)より思う―

平凡につつがなく生きていくことが難しい―利害関係に基づいた人間関係は不安定―



平凡につつがなく生きていくのは、案外難しいものです。中高年の人なら誰しも、これを実感していることでしょう。

有名大学を卒業して一流企業に入社し、出世街道を着々と歩んでいるはずだった友人が、ちょっとした失敗、過ちをきっかけに大きく躓いてしまった...。

突然の病気や事故で健康を大きく損ねてしまった...。

勤めていた会社が経営危機に陥り、解雇されてしまった...。

いろいろな理由から、配偶者との関係が悪化し離婚してしまい、ひとりぼっちの暮らしになってしまった...。

思わぬ偶然から生じた、人生の困難を乗り越えることができなくなってしまう人はいくらでもいるのです。

あるときは世人の賛辞を浴びつつも、何かのきっかけで不幸な亡くなり方を迎えてしまった政治家や芸能人はいくらでもいますね。

何が生じるかわからないから平凡に生き抜くことが難しいとしても、せめて自分の判断、行動により大きな失敗や困難に陥ることは避けたいと誰しも思うものです。

そのためには、保身のために常に自分の周囲の人々の動向に留意せねばならないでしょう。

会社員であれば勤務している会社内の人間関係や、上司の動向、関心事に関する情報をいち早く入手し、保身のために適切な行動をとらねばならない。

経営者であれば、競合関係にある他企業の動向に常に留意せねばならない。

現代社会では誰しも、自分に関する利害関係について、常に打算をして行動をせねばなりません。利害関係に基づいた人間関係は、何かの理由で利害関係が一致しなくなれば変容していくでしょう。

信じていた人から裏切られた。罠にかけられてしまった。

裏切られ、罠にかけられたのなら、やり返せば良い。愚かなことかもしれないが身を守るためにはやむを得まい。そんな思いを抱えつつ、なんとか生き抜いているのが私たち現代人なのでしょう。

強い意志と行動力を持っている人なら、信じる人など殆どいなくても生き抜いて行けるのでしょう。強い意志を持っているのなら、重い哀しみをたくさん背負っていても歩き続けることができるのでしょう。

では、弱くて悲しみをいっぱい背負っている人はどうなるのでしょうか。



弱くて、悲しい者にも何か生きがいのある生き方ができないものだろうか




遠藤周作著「おバカさん」(遠藤周作文庫、講談社刊)に登場する流浪のフランス人ガストンは、この地上が利口で強い人のためにだけあるのではない、と思っています(p93)。

ガストンの生き方を表す記述を少し抜粋しましょう。

弱くて、悲しい者にも生きがいのある生き方ができないものだろうか...(p93)。

どんな人間も疑うまい、信じよう。だまされても信じよう―これが日本で彼がやりとげようと思う仕事の一つだった(p115)。

今の世の中に一番大切なことは、人間を信じる仕事―愚かなガストンが自分に課した修行の第一歩がこれだった(p115)。


ガストンの来日当初の生活の面倒を見ていたのは、ガストンと文通をしていた、大手F銀行に勤めている隆盛と、その妹巴絵です。

そんなガストンを、徐々に理解するようになった巴絵は、「人生に自分のともした小さな光を、いつまでもたやすまいとするおバカさん」と考えます(p244)。

聖人とはこういう人なのかもしれません。聖人はしばしば、惨めな死に方をするということが、遠藤周作文学に頻出するパターンですが、この小説のガストンはそうなりません。

小説の最後で、隆盛は次のように述べています。


彼はまた青い遠い国から、この人間の悲しみを背負うためにノコノコやってくるだろう(p322)。



年老いた野良犬にも、勝者にも最期のときがくる




ガストンを慕ってついてきていたのですが、ある件から離れ離れになってしまった年老いた野良犬ナポレオンが、哀しい最期を迎えます。

ナポレオンは野良犬ですから、区役所の犬とりたちにつかまり、処分されてしまいます。死後数時間後のナポレオンは、次のように描写されています(p227)。



ナポレオンはやせた体を横にして、まるで泳いででもいるように、前脚を内側にまげて死んでいる。歯のむきだした下あごのあたりに、アワのようなよだれの跡がついているのは、わずかであるが苦しんだせいにちがいない。



この本の解説にも記されていますが、この描写は見事ですね。飼い主に捨てられた野良犬は結局、このような最期を迎えるのでしょうが、それは野良犬だけでしょうか。

人生の勝者、世間で言う成功者も、老齢となれば体は衰えていきます。様々な病に罹り、高い医療費を払って最高の治療をしても結局は、あごからよだれを出して死んでいくのかもしれません。

死ぬときは、人生の勝者も一人なのです。

栄耀栄華を極めた実際のナポレオンも、セントヘレナ島で孤独に死んでいったはずです。ナポレオンという名前には、死に対する遠藤のそんな思いがこめられていたのではないでしょうか。

この小説は、朝日新聞の夕刊に昭和34年(1959年)3月26日から8月15日まで連載されたものです。野良犬の死にかたは、聖人の死を彷彿させます。

人は死をどう迎えるのか。死をどう考えるのか。これは遠藤周作の一貫したテーマだったように思います。



底なしの善人、ガストンと私たち




底なしの善人、ガストンのような人物は現実には存在しえないかもしれません。存在し得ない人物を描くことにどんな意義があるのでしょうか?

極端な人物を想像して描き出すことにより、中間にいるであろう私たちの姿が見えてくるのではないでしょうか。

現実の私たちは、利害関係の打算をし、派閥のような人間関係をいろいろなところで形成し、信じたり裏切ったりしています。

私たちは、少しばかりの善人であり、少しばかりの悪人です。弱くて悲しみをいっぱい背負っている人間なのかもしれません。

私たちは自分のそんな面を、極端な善人の存在を想像することにより見いだせるのではないでしょうか。