不破哲三や聴濤弘ら高齢の日本共産党員はお面をかぶって生きている
誰でも、嫌な経験、苦しい思い出はあるものです。それらの中には、他人には絶対に知られたくないものもあることでしょう。
遠藤周作が「ほんとうの私を求めて」(集英社文庫p14-16)で、次のようなことを言っています。
これだけは絶対に他人に知られたくないという心の秘密を抱えている人こそ、人生を生きてきた人だ。
人は誰でも、社会が要求するお面をかぶるようになる。そのお面を長い間かむりつけると、いつか自分の本当の顔はそのお面だと錯覚するようになる。
それはお面になれきってしまうほうが、生き方が楽だからだ。
遠藤周作流にいえば不破哲三や聴濤弘ら高齢の日本共産党員は、「自分たちはソ連覇権主義を一貫して批判してきた」というお面をかぶりつづけているのです。
お面をかぶり続けたほうが、生き方としては楽ですね。高齢の日本共産党員は彼らなりに、人生を生きてきたともいえるのでしょう。
しかしそのお面は、誰かが図書館などで古い文献を多少調べればすぐに素顔が暴露されてしまうものです。
政党が世間に発表した文書のほとんどは、大きな大学の図書館などに保存されています。
不破哲三や聴濤弘ら高齢の日本共産党員は、青春の情熱をかけてソ連を礼賛したという苦しい思い出を若い共産党員に正直に話して、お面を脱いだらどうでしょうか。
全世界の注目を集めたソ連邦共産党第二十一回臨時大会
不破哲三(1930年生まれ)や聴濤弘(1935年生まれ)の世代の日本共産党員は、その青春期にソ連とスターリンを信奉し礼賛していたことを私は本ブログで何度か指摘しておきました。
素顔の日本共産党、とは共産主義国を礼賛する人たちなのです。
ソ連礼賛文献はいくらでもありますが、「世界の平和と共産主義への偉大な前進―ソ連邦共産党第二十一回大会の意義―」(日本共産党中央委員会幹部会、1959年2月19日)はその一つです。
この文献は「日本共産党決議決定集」(日本共産党中央委員会宣伝教育文化部編)などに掲載されています。この頃の「前衛」や「アカハタ」にも出ていることでしょう。
この題名だけで、今日の若い日本共産党員はびっくり仰天してしまうのではないでしょうか。
先日初当選した吉良よし子参議院議員(早大文学部卒業 日本文学専修)は、こんな文書を一切知らないでしょう。
若い共産党員は大真面目に、「わが党はソ連覇権主義と生死をかけてたたかったきた」「ソ連は人間抑圧社会だった。わが党はそれを一貫して批判してきた」などど信じ込んでいますから。
なんせ、昭和34年2月に採択された文書ですからね。その後隠されていれば入手しにくいのです。
HPを拝見すると吉良よし子参議院議員は昭和57年9月14日生まれとのことですから、吉良議員の御両親でさえこんな文書を知らないかもしれません。
吉良よし子参議院議員のように若い日本共産党員の皆さんには、大先輩である、昭和34年2月の日本共産党中央委員会の幹部会の皆さんが全力でソ連を礼賛した史実を厳粛に受けとめていただきたいものです。
聴濤弘はこの文書採択当時、25歳くらいですから採択の経緯は知らないでしょう。米原万里のお父さんなら、よくご存知だったかもしれません。
以下、この文書からいくつか抜粋して紹介しておきます。不破哲三や聴濤弘の世代の日本共産党員なら、この文書を読めば青春時代の思い出がいろいろと心中に蘇ってくるのではないですか。
共産主義への漸次的移行と世界の恒久平和への展望を示したこの大会
「ソ連邦の経済発展の壮大な七ヵ年計画を確認し、世界社会主義体制のいっそうの強化、共産主義へのその漸次的移行と世界の恒久平和への展望を示したこの大会は、ソ連邦国民にとってだけでなく、全世界の人民にとってもはかり知れないほどの画期的な意義をもっている。」
「このような生産の飛躍的増大、国民の生活水準の向上は、教育制度の改善、社会主義文化のいっそうの発展、それにもなう国民の共産主義的自覚と共産主義道徳の高揚とともに、ソ連邦をはじめとする社会主義諸国が、近い将来に共産主義の段階にはいることを可能にしている。」
「共産主義はその最初の段階である社会主義において、すでに人間による人間の搾取を廃止し、貧乏と失業から人民を解放し、国民の生活的、文化的水準を飛躍的に向上させることに成功した」
「全世界の勤労大衆、全世界の平和愛好国民は、当然のことであるが、このソ連邦の七ヵ年計画と共産主義、世界平和への壮大な展望を心から歓迎し、その成功を確信し、それに絶大な支持を送っている。」
マルクス・レーニン主義の原則をかたくまもるソ連邦共産党
「ソ連邦共産党とソ連邦国民は、世界で最初の社会主義革命を指導し遂行し、困難な国際情勢のなかで社会主義の建設を完了し、今や最初に共産主義への道を切りひらき、世界史の大きな転換のために先進的な役割を果たしている。」
「ソ連邦共産党が今日の達成をかちとったのは、マルクス・レーニン主義の原則をかたくまもり、あらゆる種類の日和見主義、修正主義と教条主義、保守主義とを克服して党の団結をかため、国民とかたく結びついて。正しい内外政策を遂行してきたからである。」
「このようなソ連邦共産党とソ連邦国民にたいし世界の共産主義者と勤労人民が絶大な信頼をよせ、その経験と達成に学ぼうとしているのは当然である。」
昭和41年頃にはソ連邦をはじめとする社会主義諸国が共産主義の段階にはいっている
日本共産党の文書は、大言壮語と仰々しい表現、ソ連礼賛の羅列としか私には思えません。
中央委員会幹部会が採択したこの文書には七ヵ年計画がどうのこうのという記述がたくさんありますが、これはソ連共産党がそのように宣伝しているというだけの話でしょう。
ソ連共産党がある主張を「プラウダ」や「イズベスチヤ」で宣伝したからといって、それが現実であるという保証はどこにもないはずです。
全世界の勤労大衆とやらが、ソ連の七ヵ年計画とやらを心から歓迎していることなどありえぬ話です。
全世界の勤労人民とやらが、ソ連に絶大な信頼をよせてその経験と達成に学ぼうとしているわけがありません。
殆どの人は、ソ連の動向に何の関心もなかったのではないですか。
ソ連覇権主義に屈服していた日本共産党
不破哲三や聴濤弘ら、当時の若き日本共産党員にはその程度の疑問すら持てなかったのでしょうかね。どこの国でも、政治家は往々にして大言壮語を吐くものではないでしょうか。
現実が中央委員会幹部会文書どおりなら、七年後の昭和41年頃には「ソ連邦をはじめとする社会主義諸国」であるソ連や中国、東欧、北朝鮮は共産主義の段階にはいっているはずです。
昭和41年頃にそんな現実は全くありません。それならば、不破哲三や聴濤弘ら当時の若き日本共産党員は「中央委員会幹部会は間違っていたのでは?」と疑問を持てなかったのでしょうか。
中央委員会幹部会はなぜこんな支離滅裂な文書を採択してしまったのだろう?マルクス・レーニン主義の理論そのものに何か問題があったのでは?くらいの気持ちを持てなかったのでしょうか。
一昔前の日本共産党がソ連覇権主義とやらに完全に屈服し、人間抑圧社会を礼賛していた史実を、吉良よし子参議院議員ら若い日本共産党員に直視していただきたいものです(文中敬称略)。
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