2013年8月19日月曜日

共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始しているソ連―不破哲三「現代トロツキズム批判」(「前衛」1959年6月号掲載)より思う―

不破哲三(1930年生まれ)や聴濤弘(1935年生まれ)の世代の日本共産党員も、ソ連とスターリンを信奉し大宣伝していた




中高年になった人なら、社会運動に参加している若者の情熱と正義感のこもった訴えをきくと思わず「頑張れ!」と励ましてやりたくなるものです。

スポーツ選手を応援したくなるのと同じような気持ちですね。

体を徹底的に鍛えてスポーツに励んでいる諸君の姿は本当に清々しいものです。陸上の長距離選手なら、走りこんで体を絞り込まねばならない。

柔道やアメフト、ラグビーの選手なら、受け身やタックルの練習を徹底的にやって頑丈な体を作らねばならない。

スポーツ選手は皆、青春の情熱とエネルギーを燃やして、記録の達成や試合での勝利のために努力しています。

スポーツ部に所属していた人たちは大学や高校を卒業して社会人となれば、在学時と同じようにトレーニングを続けていくのは難しいでしょうが、在学時に培った精神は必ず血となり肉となっていることでしょう。

社会運動に参加している若者についても、同じようなことが言えるはずです。

そうであるなら、社会運動に参加して高齢になった方々は、その昔自分たちが情熱と正義感をもって主張したことを、同じ組織の後輩に正直に伝えたほうが良いのではないでしょうか。

駅前で「原発反対」のビラを配布しているような若い日本共産党員に、不破哲三や聴濤弘ら高齢の日本共産党員は本当の史実を全く伝えていないようですね。



不破哲三、聴濤弘ら高齢の日本共産党員は自分の人生をどうふりかえっているのだろうか




若き不破哲三は、ソ連とスターリンの理論を大真面目に信奉していたのです。

こんなことを突然言われると、若い日本共産党員は「デマだ!」と怒り出してしまうかもしれませんね。

宮本顕冶や蔵原惟人のような明治生まれの方だけでなく、不破哲三や聴濤弘の世代の日本共産党員も若い頃精一杯、ソ連とスターリンを礼賛し宣伝していたからこそ、今の日本共産党があるのです。

史実を無理して隠蔽するのは、不破哲三、聴濤弘ら高齢の日本共産党員が自分たちの人生によほどの引け目を感じているからなのでしょうか。

若い頃ソ連とスターリンを礼賛して大宣伝してしまったが、失敗しちまったな。やれやれ、という調子でしょうか。

昔の文献を図書館などで探し出して日本共産党の歴史について議論するような若い党員はいないだろうから、この際隠しちまえ、とでも思っているのでしょうか。

若い日本共産党員の方は、高齢の日本共産党員にこのあたりを率直に質問したらどうでしょうか。

高齢の日本共産党員の心中まではわかりようもありませんが、以下、不破哲三「現代トロツキズム批判」(「前衛」1959年6月号掲載)の中の記述をいくつか、抜粋して紹介します。

この論考は、上田耕一郎・不破哲三著の「マルクス主義と現代イデオロギー(上)」(大月書店1963年刊行、p209-236)にも掲載されています。

この本なら、大学の図書館などに行って古い「前衛」を探さなくても、古本屋などで買えそうですね。この本を線をひいて必死に読んだ中高年の日本共産党員はいくらでもいるのではないでしょうか。

以下、ページ数は「マルクス主義と現代イデオロギー(上)」によります。


レーニンとスターリンを対立させようとするのは、すでに三〇年前にスターリンによって完膚なきまでに粉砕された



不破哲三は1930年生まれと著書の最後にありますから、「現代トロツキズム批判」を執筆したころは29歳くらいですね。

この論文を読めば、若き不破哲三の共産主義運動にかけた情熱を実感できます。当時の日本共産党員が抱いていた、共産主義の総本山であるソ連に対する憧憬も十分感じられます。

「うたごえ喫茶」の雰囲気です。「あーインターナショナル、われらがものー」と聞こえてきそうです。

若き不破哲三はソ連の打倒を叫ぶ「現代トロツキスト」という人たちが、共産主義理論の立場に照らして、どんなに間違っているかをこの論文で論証しています。

若き不破哲三によれば、ソ連は社会主義の建設を完了し、社会主義は資本主義的包囲を打ち破って世界体制となり、帝国主義者のいかなる攻撃をも撃退しうる力をもちながら共産主義社会への移行を目指して巨大な前進を開始しているそうです(p214)。

ソ連共産党第二一回大会でフルシチョフがのべているように、「一国における社会主義の建設と、その完全かつ最終的な勝利にかんする問題は社会発展の世界史的行程によって解決された」のである、と若き不破哲三は自信満々に宣伝しています(p214)。

「帝国主義者のいかなる攻撃をも撃退する力」とは、ソ連による核軍拡を意味するのでしょう。ソ連による大陸間弾道弾の開発こそ、世界平和を守るという発想ですね。

このような明々白々な事実を目の前にしながら、現代トロツキストたちはなぜ一国で社会主義を建設することが不可能なのかを論証していない、と若き不破哲三は強調します(p214-215)。

姫岡玲冶が「激動・革命・共産主義」(『理論戦線』二号)で一国社会主義建設が不可能であるということを詳しく論じているそうです(p215)。

若き不破哲三によれば、姫岡のような方法でレーニンとスターリンを対立させようとするのは、すでに三〇年まえにスターリンによって完膚なきまでに粉砕された、トロツキーのこころみの不器用なくりかえしにすぎないそうです(p215)

若き不破哲三は、スターリンの「レーニン主義の基礎」や、「十月革命とロシア共産主義の戦術」を「粉砕した」文献としてあげています(p215)。

姫岡玲冶はペンネームで、その後世界的経済学者として大成した方だという噂を耳にしたことがあります。

レーニンとスターリンを対立させているのは、今日の不破哲三ら日本共産党の理論そのものですね。不破哲三や聴濤弘ら高齢の日本共産党員は姫岡玲冶に感謝すべきではないでしょうか。



ソ連は世界革命の展開の基地




若き不破哲三のこの論文は、今日の不破哲三の著書や論考とほぼ百八十度異なった主張をしているとしか私には思えません。

若き不破哲三によれば、はじめに勝利した社会主義国家の存立をまもりぬき、社会主義を建設し、そのあらゆる力量を強化することは、「世界革命の展開の基地」(スターリン)をまもることであり、それ自体世界革命を推進するためのもっとも重大な課題だそうです(p217)。

若き不破哲三によれば、一国社会主義の事実を拒否することは同時に世界革命の展開と勝利の法則を見失うことだそうです(p217)。

だから現代トロツキストは、ソ連における社会主義の勝利と社会主義の世界体制への成長がその勝利の一歩ごとに世界資本主義をより深い危機においやっており、その結果、各国の革命運動の前進のためにも、国際的舞台での帝国主義での闘争のためにも、資本主義が全一的に地球を支配していた時期には考えられなかった新しい展望と可能性がうまれていることを、少しも理解できないそうです(p217-218)。

長いですね。昔の日本共産党の論考は、やたらと固くて長い文章が多く、読みにくいことこの上ありません。

単に、トロツキーとその追随者は素晴らしきソ連とスターリンを批判したから反革命分子だ!反革命分子は帝国主義の手先だから監獄にぶち込め!と言えば良いではないですか。

反革命分子は帝国主義の手先だから監獄にぶち込め!という発想は、1968年の「プラハの春」の際の「赤旗」掲載論文にも出ていますね。私は本ブログの別のところでこれを指摘しました。

若き不破哲三も、1956年のハンガリー事件を「帝国主義者によって組織され挑発されたハンガリーの革命運動」と述べていますから(p234)、そんな具合に考えていたのでしょう。

ソ連は人間抑圧社会だ、「反帝国主義」の看板の中に覇権主義の巨悪が隠れている(不破哲三「党綱領の理論上の突破点について」日本共産党中央委員会出版局2005年、p62)などという観点は、若き不破哲三には一切なかったのです。



聴濤弘のソ連宣伝―ソ連が1930年に失業を一掃―




若き不破哲三のこの論文よりずっと後に出されたソ連宣伝の代表的文献として、聴濤弘「資本主義か社会主義か」(1987年新日本出版社刊行)をあげておきましょう。

聴濤弘によれば、ソ連が一九三〇年に失業を一掃したことも、人類史上、最初の壮挙として記録にとどめられるべきことです(前掲書、p228)。

聴濤弘によれば、人間の生活にとって根本的なことがらについて、社会主義こそが、その先頭に立って現代史を切り開いていったことは、社会主義の役割と力として、はっきり確認されなければならないことです(p228)。

ソ連崩壊のほんの数年前まで、日本共産党はソ連宣伝をこんな調子で続けていたのです。

聴濤弘は、ソ連の政治犯、富農や反革命の連中は政治犯収容所で囚人労働をしているから、失業していないと本気で考えていたのでしょうね。

なるほど政治犯や富農には、地獄のごとき囚人労働という「職業」がありますから、失業などしていませんね。失業は1930年にソ連で一掃されたというのですから、そう解釈するしかありません。

富農、などと言っても若い日本共産党員には何のことだか、さっぱりわからないでしょうね。レーニン全集にこの言葉はたくさん出てきます。

少しばかり豊かな農民のことです。少しばかり豊かな農民は、穀物を隠して都市労働者に供出しないから人民の敵だ、という類の話です。

人民の敵は帝国主義のスパイだから政治犯収容所に連行しろ!という乱暴なことこのうえない「理論」が、スターリン時期のソ連では規範となっていました。

富農や反革命分子、人民の敵は囚人労働をしているから社会主義国家に雇用されているのでしょうか。

そんなことで完全雇用が実現していたから、同時期に世界恐慌により大量の失業者を出していた米国や欧州諸国、日本より社会主義ソ連は体制的に優位だったということなのでしょうか。

聴濤弘にはっきり確認しておきたいものです。


中国が世界革命の展開の基地




今日の不破哲三には、中国が世界革命の展開の基地に見えているのではないでしょうか。

今日の不破哲三によれば、中国の場合、市場経済を舞台にした資本主義との競争が、大きな成果をあげながら進行しているのが実態だそうです(不破哲三「党綱領の理論上の突破点について」,p84)。

中国の農民の賃金は、戸籍差別により長年二束三文の低水準でしたから、中国は資本主義との競争に勝ってきたのです。

中国では農村生まれの人は、都市生まれの人と比べて進学、就職、社会保障、医療などで差別されています。

経済の高成長のためには、労働者を低賃金で酷使して資本蓄積に回さねばならないというだけのことです。

若い頃精一杯、ソ連とスターリンを礼賛し宣伝していたからこそ、今の不破哲三と日本共産党は中国を礼賛し宣伝するようになっているということですね。

今日の不破哲三には、中国政府による人権抑圧や、少数民族抑圧は大問題だ、などという発想は皆無です。

現在の中国にも、政治犯として監獄にほうり込まれている人、とんでもない拷問を受けている人はいくらでもいます。

賄賂によって億万長者になった中国共産党幹部の存在など、とんでもない社会問題ではないでしょうか。信じられないような規模で、党幹部による利権あさりがなされているのです。

レーニンの新経済政策論とやらに依拠して市場経済化を進めると、「管制高地」とやらを掌握した共産党幹部がぼろもうけをするようになるということですね。

「管制高地」を掌握するということは権力により様々な許認可権を得ることですから。中国で商売をするためには、中央や地方政府の許認可を得ねばなりません。

中国共産党幹部が金儲けをできるような仕組みになっているのです。

中国覇権主義という語さえ、最近の日本共産党の文献には見かけられません。



中国人民軍の凶弾に倒れた「赤旗」記者高野功ハノイ特派員




「赤旗」ハノイ特派員だった高野功記者は、中国人民軍の狙撃を受け、ランソン市内で殉職しました(「三月七日、ランソンにて『赤旗』ハノイ特派員高野功記者の記録」、新日本出版社1979年刊行より)。

1979年3月7日のことです。

高野功記者の殉職について、最近の日本共産党は中国当局に謝罪と償いの要求など、一切していないようです。

日本共産党と中国共産党との関係復活に際しても中国人民軍による、「赤旗」記者の殺害は全く障害にならなかったようです。

共産主義運動の前進のためには、一介の「赤旗」記者の生命と人権などにいつまでも云々していられない、という見地なのでしょうね。

日本政府も冷たいものです。「赤旗」記者だろうと、日本人が中国人民軍に殺害されて良いはずがありません。

日中友好とやらは日本人の生命と人権より優先するという発想が、歴代自民党政権と外務省にあったのではないですか。

宮本顕冶、蔵原惟人や若き不破哲三、聴濤弘は、ソ連に抑圧された人たちの生命と人権など、一顧さえしませんでした。

共産主義者にとって現在の中国は「世界革命の基地」なのでしょうから、中国当局に殺害、抑圧された人々の人権など無視して当然、ということなのでしょう。

三つ子の魂百まで、ということなのでしょう(文中敬称略)。








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