人生楽ありゃ苦もあるさ
人生楽ありゃ苦もあるさ、は水戸黄門の主題歌の歌詞ですね。
自分の人生を振り返るとき、人生の節目のようなものに気づくものです。あのとき、自分はこの道を選択したが、別の道を選択したらどうなっていただろう。
人生の節目とも言うべきものの存在には、齢を重ねないとわからないのかもしれません。
節目では、誰しも自分なりに選択をしているのでしょうけれど、その選択決定は単に周囲にいただけの、さほど関連のない人がちょとした気分で選択した行動に依存していたのかもしれません。
疎遠な他人の気分感情が結果として、自分の選択行動そして自分の人生に大きな影響を及ぼしうる。
人生をドラマや映画に例えるなら、自分は主役です。本来さして関係はないはずなのに、主役の重大な選択に影響を与えた人が、誰の人生でもいるものなのでしょう。何の変哲もない台詞をはいただけの人が、実際にはドラマの重要な傍役になっているかもしれません。
人生に意味のないものなどひとつもない。遠藤周作が読者に発した重要なメッセージの一つはこれでしょうね。神がふる偶然という名のサイコロ。それには何かの意味があるのでしょう。
「深い河」(講談社文庫)の登場人物の一人、基督教徒の大津にとって、成瀬美津子は極めて重要な傍役だったのでしょう。成瀬美津子がそうなったのは、コンパのとき美津子が後輩から「大津という奴、からかってみませんか」(文庫p54)と言われたのがきっかけでした。
後輩のこの一言がなければ、大津も美津子も、随分違う人生を歩んでいたかもしれません。
普段は大津と殆ど付き合いがなさそうな、後輩も大津の人生の重要な傍役だったのです。後輩のひとりは近藤という名前のようです(文庫p56)。美津子は近藤と性関係はありましたが、それ以上の存在ではなかったようです。
自分にとって、ちっぽけな存在であったようで実は大事な役割を果たした傍役は誰だったのか。これを問いかけていくことが、神との対話の一部なのでしょうか。
際限なく降りかかる人生の苦難を乗り越えるためには、人生というドラマの全体像を主役が把握せねばなりませんから。
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