中国の労働者と農民は搾取されている
私と同世代の方々(昭和36年、1961年生まれ)には、マルクス主義経済学を学生時代に多少かじった経験がある方は少なくないでしょう。
岡本博之「科学的社会主義 上-その歴史と理論-」(新日本出版社1977年)は、マルクス主義経済学による搾取(exploitation)という概念を大略次のように説明しています(同書p292)。
労働力が商品となるのは、資本主義社会だけである。労働力が商品として売り出されるためには、次の二つの条件が必要である。
(その1)労働者が労働力を自由に処分できること。
(その2)労働者がいっさいの生産手段の所有から切り離されていること。
資本家は労働者を雇用して剰余価値を作り出す。これは資本家が労働者を搾取していることを意味する(p297)。
北朝鮮はもとより、中国の労働者と農民には上述二つの条件があてはまります。中国の農民には、土地の使用権はありますが所有権はありません。
農村から都会の建設工事などの出稼ぎに行っている人のことを、「農民工」といいます。農民工は都市住民に比べて賃金が安く、社会保障なども殆ど適用されません。
都市住民の健康保険に農民工は入れませんから、医療費がとんでもなく高くなってしまいます。
農民工が労災にあっても、悪質な経営者だと一切補償してくれません。日本の労働基準監督署に該当するような役所がないので、労災にあった農民工は泣き寝入りすることが多いのです。
裁判にはかなりの費用がかかってしまいますから、農民工には負担できにくいのです。
裁判所は中国共産党の支配下にありますから、企業経営者が中国共産党幹部に賄賂を渡せば都合の良い判決が出されるでしょう。
農民工より多少は豊かな都市住民も、生産手段など基本的に所有していません。
最近は地下経済が発達していますから、闇で非合法企業を経営をしている都市住民もいるでしょうが、多数派ではありません。
中国のどんな現実をみれば、「搾取制度が廃止されている」という話になるのでしょうか。中国共産党の宣伝文書にそう書いてあったというだけの話ではないでしょうか。
近年の中国の高成長は、農民工が長年二束三文の賃金で働かされてきたことに強く依存しています。農民工を低賃金で酷使できたから、企業が国際競争力を維持できたのです。
現代中国の普通の労働者や農民は経営者、資本家により搾取されています。国有企業で働いている労働者が搾取されていないわけがありません。
剰余価値(surplus value)云々というマルクス主義経済学の難しい概念を用いなくても、二束三文の賃金で酷使されている人たちは搾取されているというべきでしょう。
中国社会の伝統としての賄賂―地下金融と地下経済―
労働者が賄賂により国有企業の高い地位に昇進できると権限を持ちますから、かなりの賄賂を受け取ることができます。賄賂により普通の労働者から金持ちになれた人もいるでしょう。
賄賂は一種の先行投資なのでしょう。賄賂を出すために、地下金融から資金を調達する場合も多々あるのでしょう。
多額の賄賂を入手できる労働者は搾取されていないと見るべきです。建前の賃金はさほどでなくても、裏でかなりの別収入があるのですから。
賄賂により数億円規模の資産をため込んだような人が、搾取されているといっても言葉のお遊びでしかないでしょう。
賄賂は中国社会の伝統です。新中国とやらにも脈々と伝統は受け継がれているのです。
宮崎市定「雍正帝 中国の独裁君主」(中公文庫、p178)によれば、中国の官僚は資本家の利益代表です。
官僚と資本との結合は密接で、官僚は政権で資本を擁護し、資本はその利益の一部をさいて官僚の後ろ盾となります。結合は多くの場合、利権と賄賂との交換という形式をとります。
宮崎市定は清朝の中国についてこのように説明しているのですが、現代中国を把握する際にも十分適用できる見方です。
社会主義諸国における無料の医療・教育の制度、ととのった社会保障の制度は、資本主義諸国が及びもつかない
岡本博之(前掲本p408-409)は社会主義制度の優れた長所として、次をあげています。
社会主義諸国は、現在十数カ国にのぼり、世界人口三九億の三分の一強、世界の陸地面積の四分の一強をしめ、アジア、ヨーロッパ、ラテンアメリカの三つの大陸にまたがって存在しています。
これらの国ぐにでは社会的生産関係の変革にともない、生産の発展は資本主義とはくらべものにならないはやさですすみ、人民は資本主義的・半封建的搾取から解放され、労働・生活条件の改善がおこなわれています。
(中略)
失業は存在せず、労働時間は短縮され、資本主義に固有の不況やインフレなどの現象は見られません。
国民の社会的・文化的水準は国家の政策によってたえず高められています。
とりわけ社会主義諸国における無料の医療・教育の制度、ととのった社会保障の制度は、資本主義諸国が及びもつかないほど充実したものです。
こんな現実は北朝鮮はもちろん、現代中国にもありません。毛沢東時代の中国は、「失業がない」どころか、失業する自由すらないというべきでした。
中国共産党を批判した人は「労働改造所」という囚人労働をさせられる政治犯収容所に連行されてしまいます。
中国にとって不利になるような発言をした知識人の場合、国家安全部という公安警察によりどこかに連れ去られて監禁されてしまうこともあります。
行方不明になってしまうのですが、全ての人が囚人労働をさせられているわけではありません。ごく最近も、ある著名な在日中国人の政治学者が上海で消息を絶ってしまいました。
報道によれば、国家安全部により監禁されてしまったようです。「二重スパイだった」などという記事も出ています。
この真偽は私にはわかりませんが、国家安全部という部署は人を監禁する権限をもっています。
マルクス主義経済学によると政治犯は囚人労働をしており、劣悪な食事でも配給されているから失業していないということなのでしょうか。
現代中国にはもちろん失業がありますし、インフレは常態化しています。
毛沢東の時代には、農民には社会保障らしきものはなかったはずです。病院がない農村は少なくなかったはずです。
現代の中国でも、都市に出稼ぎに行っている農民(農民工)の子供は原則として都市の学校に入学できません。
「民工学校」という農民工が相互に資金を出して運営している学校らしきところで、農民工の子供たちは勉強するしかないのです。
都市の環境汚染のひどさは、改めて言うまでもありません。水と空気の汚染が酷い。北京や上海に多少でもいったことのある人は皆、実感しています。
マルクス主義経済学の「科学の眼」には、中国農民や労働者が直面している悲惨な現実は一切入ってこないのでしょう。
中国は国家独占資本主義であり帝国主義だ
現代中国は、普通の資本主義どころか、マルクス主義経済学でいう国家独占資本主義の特徴をそれなりに備えています。
岡本博之前掲本(p347)によれば、独占資本はいろいろの方法で、労働者の雇用を制限したり、賃金を切下げたり、新しい労務管理の方法によって労働強化や労働時間の延長を強制します。
職場での民主的権利を奪ったりするそうです。この殆どは、現代中国の大企業あるいは中小企業にあてはまります。
中国では時折暴動が生じます。市民的権利としての示威行動が自由に認められているわけではありません。反日暴動は当局により許容されていますが。
表現の自由が中国では厳しく制限されています。出版物で中国政府を正面から批判することはかなりの「冒険」です。
特に、法輪功やチベット、ウイグルを擁護するような言論活動は厳しく制限されています。
岡本博之前掲本(p382)によれば、帝国主義は軍国主義と政治反動、帝国主義的侵略戦争、民族的抑圧と併合、他国の従属化といった政治的特徴をかならずともなうそうです。
この殆どは現代中国そのものではないでしょうか。
現代中国はマルクス主義経済学の概念を使えば、国家独占資本主義で帝国主義です。
マルクス主義経済学者の皆さんに、なぜ中国で搾取制度が廃止されているのか御説明をいただきたいものです。
聴濤弘にも是非御説明頂きたいですね(文中敬称略)。
追記
毛沢東の時代の中国の労働市場については、上原一慶「民衆にとっての中国社会主義」(青木書店2009年)が参考になります。この本のp14-15では、「計画経済の社会主義」中国における失業消滅、雇用保障政策について、次のように説明しています。
・都市部における労働力の供給過剰を前提にした、都市民衆の就業の労働部門による統一請負・統一配分(一手引き受けと配分)
・農民の都市流入の制限・禁止
・都市知識青年の農山村への下放
・これらは「計画経済の社会主義」の社会編成の最も基本的構成要素のひとつである身分制の形成要因となり、民衆に分断を持ち込んだ。
・身分制には、「農民」と「都市住民」、「幹部」と」「労働者」等の区別があった。
私には、毛沢東の時代、「計画経済の社会主義」で失業がなかったというマルクス主義経済学者の議論は、古代日本の律令制社会では失業がないという話に思えてしまいます。
「計画経済の社会主義」では資本主義的搾取でなく、封建的搾取が存在しているというべきではないでしょうか。身分制度が存在しているのですから。
身分制度が完全に実行されていれば、失業者はいなくなるはずです。
マルクス主義経済学者の「理論」は、唐の玄宗の治世下では完全雇用だったという類のものではないでしょうか。
楊貴妃や宦官は労働者として玄宗に雇用されていたのでしょうかね。
現実の古代日本社会では、律令制度の枠組みに入っていない人がいくらでもいたはずですが。唐でもそうでしょう。
毛沢東の時代の中国でも、少数でしょうがそういう人はいたでしょう。山岳地帯の少数民族の生活までは、完全に管理できなかったでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿