21歳前後のフェレイラはイエズス会から東洋布教を命ぜられ、リスボンを出た
遠藤周作の傑作「沈黙」で宣教師ロドリゴに踏み絵を踏むことを説く宣教師フェレイラは、実在の人物です。
遠藤周作「切支丹時代」(小学館ライブラリー、p105-123)は、断片的にしかないフェレイラの史料をつなぎあわせて、彼の生涯を語ります。以下、ごく簡単に紹介します。
フェレイラは1580年、ポルトガルのジブレイラ生まれです。16歳のときにイエズス会に入会しました。
フェレイラは21歳前後のとき、他のイエズス会神学生とともに、東洋布教を命ぜられリスボンを出発したのではないかと遠藤は推測しています。
ちなみに本能寺の変が1582年、関ヶ原の戦いが1600年です。フェレイラは1609年にマカオから布教の目的地日本に向かったとあります(p108)。29歳くらいのときということになります。
遠藤によれば、フェレイラは日本到着後比較的自由に、九州や中国地方、上方を歩いたと考えられます。
1614年に、徳川家康は禁教令を出します。高山右近らキリシタン大名と、宣教師たちはマカオや、マニラに追放されます。
追放令にもかかわらず、37名の司祭たちが日本に残ります。フェレイラもその一人でした。34歳前後のときということになります。
この時点で、フェレイラには殉教の決意があっただろうと遠藤は考えます(p109)。
井上筑後守の「穴吊り」に屈したフェレイラ
フェレイラは潜伏しつつ上方や九州で布教していました。禁教令の約十九年後、1633年にフェレイラは捕らえられ、「穴吊り」にかけられてしまいます。
時の宗門奉行は井上筑後守でした。「穴吊り」とは汚物を入れた穴の中に、体を縛って逆さに入れるという刑です。
拷問5時間後、フェレイラは棄教します。来日から24年程度経った1633年10月18日のことです。53歳前後でした。
その後フェレイラは沢野忠庵を名乗り、死刑囚の妻子を押し付けられたとあります(p115)。フェレイラは幕府の通辞となり、幕府が捕らえた宣教師の取り調べの通訳をしました。
転んだあと、フェレイラは日本人に天文学と医学を教えました。人々の役に立とうという司祭の心理がフェレイラに残っていたと遠藤は考えます(p122)。
フェレイラは1650年11月に長崎で亡くなります。70歳くらいということになります。当時としては長寿です。
島原の乱が1637-38年ですから、フェレイラは乱の様子を多少は聞いていたことでしょう。様子を伝え聞いたとき、フェレイラはどう思ったでしょうか。
棄教後のフェレイラはどう過ごしただろうか―挫折感と屈辱感、嫉妬心
棄教後、亡くなるまで17年間のフェレイラの心中はどのようなものだったのでしょうか。
幕府が捕らえた宣教師と、フェレイラはどんな会話をしたのでしょうか。捕らえられた宣教師から、罵詈雑言を浴びせられたかもしれません。
捕らえられた宣教師が殉教した場合、イエズス会にその知らせが届けば、聖人として扱われるのでしょう。
フェレイラにとって、途方もない挫折感と屈辱感に苛まされる日々だったことでしょう。殉教した宣教師たちへの、嫉妬心すら感じていたかもしれません。
禁教令以後、およそ19年間フェレイラは日本で宣教師として活動していたのですから、かくれ切支丹のあいだでは「著名人」になっていたでしょう。
隠れ切支丹たちは、フェレイラはいずれ幕府に捕らえられ、殉教することを確信していたはずです。だからこそかくれ切支丹たちは、フェレイラを心底尊敬していたでしょう。
そんなかくれ切支丹たちの姿と声が、棄教後のフェレイラの心中にはいつもあったのではないでしょうか。
神は私を決してお許しにならないだろう。私は必ず地獄に落ちるだろう。フェレイラは常にこう感じていたかもしれません。
勿論、フェレイラの周囲にいる幕府の役人たちにはフェレイラのそんな心中を分かりようもありません。
フェレイラから天文学や医学を学んだ日本人たちの中には、フェレイラに感謝していた人もいたでしょう。切支丹でない日本人にとっては、フェレイラは裏切り者ではありません。
天文学や医学を学びに来る日本人との対話と心のふれあいが、晩年のフェレイラにとって心の慰めになっていたでしょう。
フェレイラの人生の意味とは―絶望せず、自決しないで生きよう―
日本にフェレイラは切支丹を増やしたでしょうが、自らが導いた切支丹たちを失望させたかもしれません。
当時の信徒の価値観では、フェレイラは最低の裏切り者、変節者でしかなかったかもしれません。かくれ切支丹たちはフェレイラの棄教を伝え聞いたとき、何を思ったでしょうか。
当然、警戒心を強めより巧妙に隠れなければならないと思ったのではないでしょうか。かくれ切支丹の信じていた基督教の内容にも、多少の変化をもたらしたかもしれません。
当時の日本人の価値観では、拷問に屈した者は生き恥をかくより自決すべきということになるでしょう。
フェレイラは70歳まで生き続けたことにより、かくれ切支丹たちにどんな状況になっても、自決をしてはならないというメッセージを送ることができたのではないでしょうか。
自殺しないことは、基督教の大切な教えの一つですから。遠藤周作の言葉を借りれば、フェレイラが切支丹に残した痕跡の一つはそれだったのではないでしょうか。
人生に失敗し取り返しのつかないような状況に陥っても、絶望せずに黙々と生き抜いていくことが大事なのだという教えを、フェレイラはかくれ切支丹たちに伝えることができたのではないでしょうか。
自分は人生に失敗したという思い、絶望感を抱いて生きている人はいつの時代にもいくらでもいるものです。
その失敗は、取り返しがつかないようなものかもしれません。
そんな人たちが、フェレイラの生き方を知ることができれば、勇気づけられるかもしれませんね。
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