昭和59年以降、日本共産党を除名された方について、私が持っている文献に依拠して一覧表にしてみました。
他にも、除名された方はいると考えられます。昭和59年頃、文学運動の参加者でも除名された方がいそうですが。
吉田嘉清さんの除名に関連して、平和運動参加者で除名された方がいるかもしれません。除籍になった方は少なくないでしょう。
東大阪選出の大阪府議、千葉県の書記長についても省略しました。このお二人の除名は、下記の方々の除名と事情が大きく異なると考えます。
調べて気づいたのですが、兵本達吉さん以降、日本共産党は除名した方に敬称をつけています。
「反党分子」という語は、兵本達吉さんについては用いられていないようです。理由はわかりません。
氏名(敬称略) |
除名時期 |
除名を決定した組織 |
査問・調査の時間 |
日本共産党がその方を除名した理由(簡略化) |
依拠した文献 |
吉田嘉清 |
昭和59年7月20日付の文書が出ているが、除名は9月26日(「鮮烈なる体験」p166) |
統制委員会 |
不明 |
不明。恐らく、原水協の代表理事を辞任せよという指示に従わなかったから。 |
「原水協で何が起こったか」日中出版 |
柳瀬宣久 |
昭和60年2月22日 |
日本共産党日中友好協会グループ |
昭和59年8月30日以降、計四回、のべ十数時間 |
吉田嘉清さんの本を出すことを日中出版社長として決めた。 |
「鮮烈なる体験」日中出版 |
篠崎泰彦 |
昭和60年8月16日 |
統制委員会 |
「党機関の指導と調査を拒否」と出ている。 |
吉田嘉清さんの本を出すことに日中出版の社員として協力した。 |
「鮮烈なる体験」日中出版 |
安藤玲子 |
昭和60年8月16日 |
統制委員会 |
「党機関の指導と調査を拒否」と出ている。 |
吉田嘉清さんの本を出すことに日中出版の社員として協力した。 |
「鮮烈なる体験」日中出版 |
矢田智子 |
昭和60年8月16日 |
統制委員会 |
「党機関の指導と調査を拒否」と出ている。 |
吉田嘉清さんの本を出すことに日中出版の社員として協力した。 |
「鮮烈なる体験」日中出版 |
伊里一智 |
昭和60年12月7日 |
東京都委員会常任委員会が決定し、書記局が承認。 |
不明。 |
第十七大会の際、大会会場に通じる路上で大会参加の代議員に対し、反党文書を配布した |
「投稿主義者の観念論史観」日本共産党中央委員会出版局 |
兵本達吉
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平成10年8月末。 「拉致調査妨害」など事実無根/前参議院議員 橋本敦 (jcp.or.jp) より。
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恐らく、統制委員会。
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五日間、全20時間。 |
公安警察と会食をし、国会議員秘書を退職した後の就職を斡旋してもらうための面接を受けた。 |
「日本共産党の戦後秘史」産経新聞社 |
下里正樹さんの事を忘れていました。平成6年11月末に除名されたようです。
氏名(敬称略) |
除名時期 |
除名を決定した組織 |
査問・調査の時間 |
日本共産党がその方を除名した理由(簡略化) |
依拠した文献 |
下里正樹 |
平成6年11月末。 宮地健一さんのHPが参考になる。
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恐らく、統制委員会
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第一回査問は平成5年11月20日。この後、本人の最終弁明の機会を含めて七回。一回の査問は4~5時間続いたらしい。
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日本共産党の戦前の指導者である市川正一に対し、公刊の雑誌上で中傷・誹謗をした。 |
奥原紀晴「虚構につらぬかれた反日本共産党の『手記』」(「赤旗」平成6年11月21,22日)。 下里正樹「私が見た『赤旗』の暗黒」文藝春秋1994年12月号掲載 |
下里正樹さんについては、日本共産党は「元赤旗記者」と呼んでいます。
上記の奥原紀晴論文は下里正樹さんを、落ちるところまで落ちた、まぎれもない反共文筆家に成り果てたと断言しています。
こうまとめてみると昔は、除名決定前の査問(調査)に随分時間をかけたことがわかります。
松竹伸幸さんの場合は1時間少し、鈴木元さんの場合は30分程度だったそうです。
「調査」の前に、日本共産党京都はお二人を除名するという結論が出ていたのでしょうね。
結論が出ているなら、長時間の調査など時間の無駄でしかありません。
今後も、除名前に日本共産党の担当部署が結論を出し、「調査」の簡便化を推進する可能性がありますね。
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