2017年8月5日土曜日

スウィージー著「革命後の社会」(Paul M. Sweezy、昭和55年TBSブリタニカ刊行。伊藤誠訳)より思う。

「実際のところ階級社会のすべての矛盾のうち、もっとも根本的なものは、富の真の生産者が、何をいかにして生産し、それをどんな用途にあてるかということについて、ほとんどまったく管理権を剥奪されていることであるが、その根本的矛盾がなお存続し、ある意味では深刻化しているのである。」(同書p238より抜粋)。


Paul M. Sweezyはソ連をこのように把握していたのです。「富の真の生産者」とは労働者の事でしょう。

労働者が生産に関する管理権を剥奪されている事は根本的矛盾である、という主張です。

今年はロシア革命100周年です。ソ連は崩壊しましたが、ソ連社会主義とは一体何だったのでしょうか?

この問題は、共産主義理論と運動をどのように考えるかという問題であり、社会科学の大問題です。

現代日本は、中国共産党と朝鮮労働党という共産主義運動の流れに属する集団により侵略、支配される危険に直面しています。

金正恩は繰り返し、「朝鮮中央通信」で日本への核攻撃の可能性を示唆しています。北朝鮮の連続核攻撃を受けたら、日本社会は存続できるでしょうか。

日本の社会科学者、知識人が自由な言論活動を続けたいと願うのなら、中国共産党と朝鮮労働党の源流ともいうべきソ連をどう把握するかという研究と議論をもっとすべきでしょう。

Sweezyはユーゴ型の「労働者管理社会主義」を想定していた?


この本の著者Paul M. Sweezyは、米国でマルクス主義の立場から研究と評論活動に長年従事した学者でした。

この本の第十章は、昭和54年10月に東京大学経済学部で話したことに基づくものだとSweezyは序章で述べています(p19)。

上記を普通に読めば、「社会主義は労働者管理経済である」という結論になるとしか私には思えません。ユーゴスラヴィア社会主義です。

Sweezyなら、労働者管理企業(Labor Managed Firm、LMEと言われる)に関する経済学の諸論文、例えば青木昌彦教授のそれを知っていたのではないでしょうか?

SweezyがLMEやユーゴスラヴィア社会主義をどう考えていたのかは不明です。

私見では、労働者管理企業は中小零細企業として資本主義経済で存在しえます。規模が大きくなれば株式会社となり、普通の資本主義企業と大差ない。

青木昌彦教授は、労働者管理企業の理論を、終身雇用制と企業内組合、年功序列賃金を特徴とする日本企業を想定して考案したと考えられます。

Sweezyがユーゴ社会主義や日本をどう考えていたか、興味深いですが、それは別の文献によるしかありません。以下、本書第十章のSweezyの議論を紹介します。

Sweezyの資本主義論―三つの特徴のうち、ソ連は2つを欠いている


Sweezyによれば、資本主義の経済的基礎の特徴は次の3つです(同書p224)。

(その1)私的資本家による生産手段の私有

(その2)多数の競争的あるいは潜在的に競争的な単位への全社会資本の分散。

(その3)生産手段を所有せず、生活手段を得るために資本家に労働力を売らざるを得ない労働者による財とサービスの生産。

Sweezyによれば、ソ連ではこの三つの特徴のうち、(その1)(その2)が当てはまりません。大部分の生産手段が国家によって所有され、各経済単位は相互に競争をしていない。

(その3)はソ連でも保持されていますが、ソ連の労働者は極端な事情がなければ管理者により解雇されることがありません。

就業保障(tenure)がある点にSweezyは着目しています。

特権層と第二経済-闇経済では企業家精神が育まれている


Sweezyはソ連社会の特徴として、次の二点を指摘しています(同書p228)。

第一は、特権者集団にだけ開かれている特別な店があり、一般大衆が入手できない財をそこで買えることです。

第二は、特権者集団は住居、教育、保健のようなサービスも一般大衆とは異なる水準で享受できることです。

第三に、「第二経済」、闇経済の存在です。例えば、個人用や家庭用の建築、修理作業、医師の内職での治療、非合法に生産ないしは盗品の売買などです。

Sweezyは第二経済が私的な企業精神に強力な刺激を与え、社会の全てのレベルにおける汚職の肥沃な土壌になっていると指摘しています(同書p229)。

第二経済の存在により企業家精神が育まれていると、Sweezyは考えたのでしょう。師のJ.A. SchumpeterをSweezyは思い出していたのでしょうか。

企業家精神が汚職、闇経済でも育まれるとは面白い。現代の中国や北朝鮮でも同様の事実があるはずです。中国では、共産党幹部の一族が闇経済で巨額の資産蓄積をしている。

Sweezyのソ連論「革命後の社会」とは―前資本主義社会に似ている


Sweezyによれば、ソビエト社会の管理的地位を占める諸個人の集団は、本質的に自己再生産的な支配階級として次第に形成されました。

新しい支配階級は、権力と特権を資本の所有、管理からではなく国家とその多様な抑圧機構の直接的管理から引き出しています。

「革命後の社会」は剰余生産物の利用が政治的闘争過程、政治過程の中心的焦点になっています。従って「革命後の社会」は前資本主義的諸社会に近い。

新しい支配階級は、労働者階級を非政治化し、労働者階級から自己組織と自己表現の全てを取り上げ、労働者階級を国家の道具にしました。

ソ連の労働者階級は、資本主義的能率刺激制度により駆り立てられることはありませんが、夢中で働くことに興味を失くしています。

労働生産性が向上していないということでしょう。「革命後の社会」は停滞期に入っているようだとSweezyは本書の最後で述べています。

マフィア資本主義は闇経済から育っていった


労働者から自由な思考と言論を奪ってしまえば、生産性が向上するはずもない。

しかしSweezyが本書で主張していたように、闇経済で企業家精神を保持するようになった人々はいたのです。

マフィアです。

ソ連、ロシアがマフィア資本主義化していくことまで、Sweezyが予見できたとは思えませんが、闇経済の重要性をソ連崩壊前から指摘していたのはさすがです。

ロシア革命後100年経過すると、ロシアはマフィア資本主義になっていた。

歴史の皮肉のように思えますが、ロシア革命を、内戦の時期も含めて考えればそうなってもおかしくない。

当時のロシアには暴力と犯罪が蔓延していました。

トロツキーの著作を読み込んでいたSweezyは、H. G. Wellsの「影の中のロシア」(Russia in the Shadows)を読んでいたのでしょうか。

この本を読んでいれば、レーニンの時代のソ連の惨状を推し量ることができたはずです。

「宇宙戦争」著者は、想像力だけでなく社会と人間の観察力も備えていたのです。

「新しい支配階級」は侵略戦争を断行しうるのでは―左翼知識人に問う


Sweezyはソ連が「革命後の社会」であり、新しい支配階級が労働者階級を抑圧していると考えたのですが、それならば新しい支配階級が侵略戦争を断行しうるとみるべきでしょう。

Sweezyはレーニンの「帝国主義論」をあまり評価していなかったように思えます。Sweezyが高く評価していた労働者の就業保証は無くなりました。

Sweezyの著作を若い頃読み影響を受けたマルクス経済学者や、左翼知識人に私はお尋ねしたい。

Sweezyの著作は、ベトナム戦争の頃の米国や日本でかなり読まれたはずです。欧州の左翼にも、Sweezyの著作を熱心に読んだ方は少なくないでしょう。

ベトナム戦争の頃、韓国は朴正熙政権でした。この時期に、韓国の知識人や左翼がSweezyの著作を読むのは困難だったでしょう。

80年代の韓国なら何とか読めたのではないでしょうか。

自国の労働者階級を抑圧している「新しい支配階級」は、さらなる抑圧対象と剰余生産物を求めて侵略戦争を断行しうると見るべきではないですか?









2017年7月19日水曜日

バラン・スウィージ―著、小原敬士訳「独占資本」(昭和42年岩波書店。原題はMonopoly Capital)第七章より思う

「軍国主義と征服はマルクス主義理論にとってまったく無縁のものである。そして、社会主義社会というものは、帝国主義諸国の大資本家のように、他の国や国民を隷属させる政策によって利益を売る階級や集団をふくんでいない」(同書p225-226より抜粋)。


バラン(Baran)とスウィージー(Sweezy)は、米国の代表的なマルクス主義経済学者でした。

昭和40年代から50年代にマルクス主義経済学を学んだ方なら、彼らの著書「独占資本」を思い出す方は少なくないはずです。

「団塊の世代」くらいで左翼運動に参加した方々にはベトナム戦争のイメージから、今でも米国を極悪国家、戦争国家と認識している方がいます。

上記は、レーニンの「帝国主義論」以来、マルクス主義経済学者が共有するテーゼともいうべきものです。

マルクス主義の影響を受けて、種々の社会運動に参加している「市民派」や左派ジャーナリストは、このテーゼに依拠し、社会運動と言論活動を行っています。

最近では、レーニン「帝国主義論」を真剣に読んでいる左翼人士は少なくなりました。

現実と大きくかい離したイメージに依拠して米国と日本や韓国、欧州諸国が戦争を起こす側であり、ロシア、中国と北朝鮮や途上国は基本的に平和国家だと信じているジャーナリストや運動家は少なくない。

人は、世界を言葉で把握し、世界の中での自分の位置と役割を見出し、自分も言葉を発してそれを確認します。

日米は戦争国家だ!平和憲法を守れ!という左翼の宣伝文句に慣れ、自分でも連呼するうちに脳裏に焼き付いてしまうと拭い去るのは難しいのでしょう。

このテーゼは、ソ連や中国、北朝鮮の歴史を少しでも調べて考えれば暴論、愚論でしかない。バランとスウィージーがなぜこんなテーゼを信じたのか不可解です。

この本が米国で出版された昭和41年頃では、旧ソ連や中国の数々の侵略行為や、大量餓死の史実が米国、日本ではあまり知られていなかった。

この本を今日評価するなら、それも考慮せねばならないでしょう。

バラン、スウィージーの戦争論はカウツキーの「超帝国主義論」に近い


1929年の世界恐慌の時期、計画経済で運営されているソ連は着実に経済成長を達成したと信じている学者は少なくなかった

バランとスウィージーは、レーニン「帝国主義論」のように「金融資本」という概念を使っていません。

戦争についての二人の立場は、レーニンが徹底批判したカウツキーのそれに近いと考えられます。

レーニンによれば、カウツキーは帝国主義の政策をその経済から切り離し、併合を金融資本の「好んで用いる」政策であると説明しました。

バラン、スウィージーによれば、米国が第二次大戦以後急速に軍事力を拡大させたのは、競争相手としての社会主義体制の台頭が資本主義的指導国家としての米国の軍事的必要を高めたからです(同書p223-224)。

回りくどい言い方ですが、要はソ連や中国の軍事力に対抗し、彼らを封じ込めるため、米国は軍事力を拡大させたという話です。

資本主義体制の生き残りのための軍拡という視点ですから、ソ連や中国と何らかの妥協ができれば軍拡は不要ということになります。

これはカウツキーの主張した「超帝国主義」の理論に近い。

「経済的余剰の増大」について


私見ではこの本の経済理論面での最大の理論的特徴は「経済的余剰の増大」と、「独占資本主義は停滞する」という主張です。

経済的余剰の簡単な定義は、ある社会が生産するものと、それを生産するに要する生産費との差額です(同書p13)。社会全体での利潤といえるでしょう。

以下、彼らの主張を簡単な経済理論で考えてみます。

「余剰の増大」を後期ケインズ派理論のモデルで解釈すると、投資増ないしは貯蓄率低下


バランとスウィージーによれば独占資本主義の下では大会社の価格・生産費政策の性格のために余剰は絶対的にも、総産出高に対する比率としても増加していきます。

余剰は消費、投資と浪費により吸収されます(p101)。この記述を、後期ケインズ派の理論で解釈すると次のようになります。

貿易を無視するとこの関係は、労働者が賃金所得(実質賃金w×雇用量N)を全額消費し、資本家は利潤の一部を消費(浪費)すると想定することにより得られます。

簡単化のため、費用を賃金支払いのみとします。利潤Πは総産出高Y―賃金支払いと定義できます。

利潤からの消費割合×利潤が資本家の消費(浪費)です。総産出高Yは均衡において、資本家の消費需要(浪費)cΠ+労働者の消費需要wN+投資需要Iです。数式では次になります。
.
Y=cΠ+wN+I  Π=Y-wN 

内生変数は総産出高Yと利潤Πです。実質賃金w、雇用量N、投資I、消費性向cは外生変数です。

少し計算すると、(1-c)Π=I、Π=I/(1-c)という式が得られます。1-cは貯蓄率sです。

両辺を社会全体の資本存在量Kで除すると、貯蓄率×利潤/資本存在量=資本蓄積率(I/K)、sr=gという後期ケインズ派(Post Keynesian)がマクロ経済を説明するためによく用いる式が得られます。

Sweezyは、このような式を想定していたのかもしれません。産出高は次になります。

Y=I/(1-c)+wN

この簡単な経済モデルで考えると、余剰(社会全体の利潤率)の増加は投資(資本蓄積率)の増加ないしは貯蓄性向の低下によると解釈できます。

資本主義経済の特徴は、投資水準の動向により産出高とそれに比例した雇用量の変動が生じる、ということを強調するモデルになっています。

雇用量Nについては、例えば生産量の一定倍になると定式化すれば内生変数にできます。

モデルの問題点と「独占資本主義は停滞する」


バランとスウィージーは第二章で、独占資本主義では生産費が下降傾向にあり、それが利潤を高めていると主張しています。このモデルではそれが反映されていません。

実質賃金が外生変数になっている点がこのモデルの大きな問題点です。このモデルでは、企業経営者、資本家や労働者の行動様式が把握されていない。

長期の経済状態をこのモデルで語るのも無理があります。このモデルでは生産性、技術の変化と産出高の関係が把握されていません。

バランとスウィージーの主張「独占資本主義は停滞する」は、余剰の増加という主張と矛盾するように思えてなりません。

余剰が増大する、即ち投資が継続してなされるなら独占資本主義での持続的な経済成長が達成されるでしょう。

この点については、改めてじっくり検討したいと考えています。

北朝鮮の核ミサイル攻撃により日本は「不況」になる―生産関数の下方移動


ともあれ、ロシア、中国と北朝鮮は日本を侵略する意思と能力を備えた戦争国家です。

特に北朝鮮は最近、「朝鮮中央通信」で繰り返し日本に対する核ミサイル攻撃を示唆しています。

実際に北朝鮮により核ミサイル攻撃が日本に対してなされたら、甚大な被害がでてしまいます。

経済学の言葉でこれを語れば、生産関数の大幅な下方移動、あるいは完全雇用線が大きく左に移動することになります。

「日本独占資本主義の停滞」どころではありえません。

とんでもない「不況」になってしまうことが明らかなのに、経済学者がなぜ北朝鮮の核ミサイル攻撃にどう日本が対応、反撃するべきかを議論しないのは不可解です。

北朝鮮は途上国ですから、高成長を達成した日本に侵攻してくることなどありえないと考えているのでしょうか。

むしろ、途上国だから豊かだが無防備な日本の資源収奪のために侵攻してくると考えるべきではないでしょうか?

H. Grossmanのように戦争をモデル化すればそういう結論が出るはずです。

残念ですが、冒頭に指摘したマルクス主義のテーゼを信じている学者、知識人が相当数いるようです。



2017年7月3日月曜日

レーニン「青年同盟の任務」(1920年10月2日。「レーニン全集」第31巻、大月書店刊行)より思う、

「もし農民が自分の地所に尻をおろして、よぶんの穀物、すなわち彼自身にも彼の家畜にも必要でない穀物をわがものとしているのに、ほかの人々はみな穀物をもっていないとすれば、その農民はすでに搾取者に変わっているのである。


彼の手もとにのこる穀物が多ければ多いほど、彼にはますます有利であり、ほかのものは飢えようとかわまない、ということになる。」(「レーニン全集」第31巻, p290より抜粋)。


上記のごとくレーニンは農民の商業活動を搾取とみなし、徹底的に禁止せねばならないと青年同盟に説きました。

農民は自分と家畜が食べる分量の穀物以外は、全て国家に供出せねばならない、という話です。

穀物を隠して手元に残し、「担ぎ屋」のような商人に売る農民は、レーニンによれば「搾取者」です。

「青年同盟の任務」でレーニンは、共産主義社会を建設するための若者の心構えを説いています。

私は30数年前にこの論文を読みました。

当時の私は、レーニンの「農民が穀物を売ると搾取者になる」論の異様さに気づかなかった。

何となく読み飛ばしてしまっていたのです。レーニンの言説に間違いなんてあろうはずがない、と思い込んでいたようです。

ペテログラードの社会秩序崩壊とレーニンの穀物徴発指令


「青年同盟の任務」をレーニンが書いた時期、モスクワやペテログラードでは物資の生産と流通網が大打撃を受け、庶民は飢餓状態になっていました。

ロシア革命期のペテログラードについては、長谷川毅「ロシア革命下 ペトログラードの市民生活」(中公新書)がとても参考になります。

この本は、ロシア革命の中でペテログラードの市民がどんな生活をしていたかを、当時のペテログラードで発行されていた新聞の社会面に注目して描き出しています。

この本によれば二月革命以降ペテログラードの社会秩序は急激に崩壊し、食糧問題、住宅問題、衛生問題が生じ、犯罪が急激に増加しました。

衛生環境悪化により発疹チフスが蔓延しました。

ロシア革命の過程で、公共の秩序と市民の安全を保証する公的な暴力機関が崩壊してしまったのです。

「現在ペトログラードには約4万人の犯罪者が活躍していると想定されるが、この犯罪分子に対処する刑事の数はたったの80人である」(同書p306より。1918年3月10日)。

大東亜戦争後の日本でも、都会の闇市を暴力団関係者が仕切っていた時期がありました。ロシア革命の頃のペトログラードはもっと酷い状況だったのです。

社会秩序の崩壊に直面したレーニンとボリシェヴィキは何としても、都市住民に食糧を供給せねばならなかった。

そのためには農民から穀物を強制徴発するしかない、とレーニンは判断しました。

確かに、それができなければ、ソヴェト権力は崩壊してしまったでしょう。

来年の播種のための穀物すら国家に取り上げられてしまうなら、農民は再来年生きられない


しかし農民が自分で汗水流して収穫した農産物の殆どを国家に供出せねばならないという指令が国家から出たら、まず農民は穀物をどこかに隠そうとするでしょう。

そもそも自分と家畜の食用分しか穀物を手元に残せないのなら、来年の播種のための穀物も取り上げられてしまうことになります。

レーニンの指令は、農民の相当な反発を引き起こしたことは疑いの余地もない。

都市で食糧が不足しているのなら、都市に穀物を運べばひと儲けできます。こういう時期には、「担ぎ屋」のような商人が沢山出てきます。

「担ぎ屋」により都市への物資の流通網が回復し、都市住民の生活が維持されます。日本でも、戦後の一時期に闇市が繁盛していた時期がありました。

この程度のことは、難しい経済理論を知らなくても社会の動きに関する現実的な感覚を持っている人ならすぐにわかりそうなものです。

スターリンによる「階級としてのクラーク(富農)撲滅」はレーニン「青年同盟の任務」の路線


レーニンは「青年同盟の任務」執筆の約1年後、新経済政策(ネップ、New Economic Policy)を提起し、農民の「穀物投機」を認めます。

「戦時共産主義」による経済崩壊から脱却するためには、「搾取の自由」を部分的に認めるしかないのです。

新経済政策により経済は回復しますが、商業活動により富裕になった商人層が出現します。彼らはネップマンと呼ばれました。

農民の中にも、富裕になった層も形成されます。彼らはクラーク(富農)と呼ばれました。

レーニンの死後、指導者となったスターリンがネップマンやクラーク(富農)を社会主義の敵と考えたのは当然です。

「青年同盟の任務」から学んだボリシェヴィキの若者たちも、ネップマンやクラーク(富農)を徹底抑圧せねばならないと考えたに違いありません。

スターリンが断行した「富農」の徹底弾圧は、レーニンの教えに依拠していたからこそ、当時のボリシェヴィキに支持されたのです。

レーニンは「青年同盟の任務」で次のように述べていました。

「資本家とブルジョアジーの権力をふたたび復活させないためには、小商売根性を許してはならず、個々人がほかの人々の犠牲で金もうけをすることのないようにしなければならず、勤労者はプロレタリアートと結束して、共産主義社会を建設せねばならない。


共産主義的青年の同盟と組織との基本的な任務の主要な特質は、この点にある」


農民が豊かになり、穀物を「担ぎ屋」に売り富裕化したら新たな階級ができてしまいます。

レーニンは「小商売根性を許すな」「他人の犠牲で金儲けをさせるな」旨繰り返し主張し、それが共産主義青年同盟の基本的な任務だとまで断言したのです。

当時のソ連共産党員らはレーニンのこの言葉をよく覚えていたことでしょう。

クラーク(富農)を徹底的に抑圧、弾圧したスターリンはレーニンのよき弟子でした。

ソ連共産党員が、スターリンをレーニンの後継者と認識したのは、「青年同盟の任務」をスターリンが忠実に実践したことも大きな要因です。







2017年6月21日水曜日

レーニン「農業問題についてのテーゼ原案(共産主義インタナショナル第二回大会のために)」(レーニン全集第31巻掲載、大月書店刊行)より思う

スターリンはレーニンの教えを忠実に実行した―レーニンは大土地所有者が「反革命の首領」「全農村住民の無慈悲な圧制者」であるとレッテルを貼り、彼らの追放と拘禁を主張した


不破哲三氏と日本共産党は、ソ連はレーニンの時期には社会主義を目指す積極的な努力がなされたが、スターリン以後、ソ連は社会主義の道を外れたと主張します。

ソ連は社会主義と無縁の人間抑圧型社会だったと日本共産党綱領は述べています。

しかし、レーニン全集掲載を一つ一つ読んでいけば、スターリンはレーニンの教えに忠実な愛弟子だったことがわかります。

スターリンは農村改造と称して「富農の一掃」を実践しました。新経済政策(ネップ)で豊かになった農民に「富農」のレッテルを貼り、収容所やへき地に追放しました。

この結果、大量の犠牲者が出ました。これは、レーニンの教えに依拠していました。本ブログでは何度も、レーニン全集からこれを指摘してきました。

レーニンの「農業問題についてのテーゼ原案」(全集第31巻、p152)に次の記述があります。

「プロレタリア的変革の直後には、大土地所有者の所有地をただちに没収するだけでなく、彼らを反革命の首領として、また全農村住民の無慈悲な圧制者として、ひとりのこらず追放するか、拘禁することが無条件に必要であるが...」


レーニンは「大土地所有者」が、「反革命の首領」「全農村住民の無慈悲な圧制者」であると断言しています。

「大土地所有者」が皆、凶悪人物であり数々の悪行を連日行っているのなら処分を受けて当然でしょう。

しかしレーニンは大土地所有者の行状に関係なく、全員の所有地を没収し「追放」「拘禁」することが無条件に必要と断じています。

「レーニン全集」31巻によれば、「農業問題についてのテーゼ原案」は1920年6月はじめに執筆され、7月に発表されました。

およそ10年後、スターリンはレーニンの教えを忠実に実行したのです。

レーニンは小農が投機と所有者的習慣で堕落していると明言した


レーニンは「商業の自由」「私的所有権の行使の自由」を社会主義の敵対物と把握していました。

レーニンによれば、小農(自分の家族の必要を満たす程度の地所を、所有権か小作権にもとづいてもち、他人の労働力を雇わない人々)には、無制限な商業の自由、私的所有権行使の自由を求める動揺が起こりえます。

小農は消費資料の販売者であり、投機と所有者的習慣で堕落しているとレーニンは明言しています。

そこでレーニンは、勝利したプロレタリアートは大土地所有者や大農に断固とした制裁を加え、小農の動揺を抑えるべきと論じています。

「断固とした制裁」という恐怖に依拠した住民統治こそ、レーニンの政治手法でした。

この強権的な統治手法に対する反発は、内戦激化の一因でした。

自分が生産した穀物を販売することを「投機」などと禁止されたら、たいていの農民は反発するでしょう。

新経済政策(ネップ)の結果豊かになった農民を「投機と所有者的習慣で堕落している」とスターリンやソ連共産党員が認識したのは、レーニンの教えに依拠していたのです。

不破哲三氏、日本共産党のソ連史観は「全体主義」論―最高指導者に全国民が盲従―


冒頭で要約した不破哲三氏のソ連史観は、最高指導者が変わって全員に「右向け右」という指令を出せばあっという間に全員が右を向いてしまうというような、極めて単純なものです。

レーニンが死んだあと、スターリンがレーニンと180度異なる指令を出しても、ソ連共産党員と国民がそれを直ちに受けいれて実行してしまうなど、ありえるでしょうか?

人と組織は単純には動かない。新指導者が新しいことをやろうとすれば、様々な軋轢が生じます。

不破氏のようなソ連史把握では、レーニンの死後に直ちに全体主義の体制が確立されていたことになる。

ロシア人はそんなに単純な民族でしょうか?ロシアには少数民族もいます。従来と根本的に異なる方針に誰も反対しないなどありえない。

警察機構をスターリンが直ちに完全掌握できたはずがありません。

絶大な政治的権威を持っていたレーニンの教えと大差ないことを新指導者スターリンがソ連共産党員に命じたのなら、抵抗感はさほどない。

トロツキーらの追放、ブハーリンらの降格等、競争相手を徐々に失脚させてスターリンは権威と権力を確立させていったのです。

聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員で、ソ連問題の専門家)はレーニンの「大土地所有者=反革命の首領=無慈悲な圧制者」論をどう考えているのでしょうか。

機会があれば、お尋ねしたいものです。




2017年6月20日火曜日

レーニン「帝国主義」(宇高基輔訳、岩波文庫)が描く銀行の役割-全能の独裁者―

「もっとも進んだ資本主義国はどの国でも、三つか五つぐらいの最大銀行が、産業資本と銀行資本との『人的結合』を実現し、全国の資本と貨幣収入の大部分をなす幾十億の金の支配権をその手にした。


現代ブルジョア社会の、例外なしにすべての経済機関と政治機関のうえに、従属関係の濃密な網をはりめぐらしている金融寡頭制―これこそが、この独占のもっともあざやかな現れである」(同書第十章、p200より)。


レーニンは、進んだ資本主義国ではどこでも、銀行が全ての経済機関と政治機関に支配の網の目をはりめぐらし、社会と経済を支配していると考えました。

金融寡頭制Financial Oligarchyとはそういう意味です。しかし、「もっとも進んだ資本主義国」、すなわち英米仏独日の銀行をこのように把握できるでしょうか。

現代は勿論、百年ほど前でも「金融寡頭制」、銀行による住民支配網が存在していたとは考えられない。銀行は警察機構を保持していません。

レーニンの「帝国主義」は銀行を悪の権化のように描いており、現実と遊離しています。

銀行は社会経済全体を支配しているのか―朝鮮労働党は北朝鮮を支配


北朝鮮では朝鮮労働党が、職場の党組織、住民組織の「人民班」、教育機関でも青年組織と党組織それぞれで国民を支配しています。

その支配方式の掟ともいうべき文書が、「党の唯一思想体系確立の十大原則」です。

進んだ資本主義国では銀行が社会経済全体を支配しているというなら、銀行の数は3つか5つではなく一つのはずです。

「複数政党制」では独裁制にならない。銀行間で熾烈な競争がなされます。

銀行経営者、頭取が独裁者ならば、支配の掟とも言うべき文書、指令書を行員に周知徹底しないと銀行員は住民を支配できない。

銀行が社会経済を支配しているのなら、銀行の頭取や取締役を批判した住民は何らかの法制度により厳しい処罰を受けるはずですが、そんな法律がどこの資本主義国にあったでしょうか。

銀行は「全能の独裁者」―独占企業は生産手段を自由に処分できるのか


銀行は「全能の独裁者」でしょうか?

「帝国主義」の第二章「銀行とその新しい役割」でレーニンは、銀行業務が発展し少数の銀行へ業務が集積したことにより、仲介者という控えめな役割から次になったと論じました。

「資本家と小経営主との総体の貨幣資本の殆どすべと、その国やいくたの国々の生産手段および原料資源の大部分とを自由にする、全能の独裁者となる」

銀行は資本家と小経営者のほとんどすべての資金を集め、その国や他国の生産手段及び原料資源の大部分を自由に処分できるようになった、という意味です。

独占企業、即ちその市場で財の供給を独占している企業は、自由に財を処分できるでしょうか?その財が必需品でなければ、消費者は魅力のない財を購入しません。

生産に必需の財、例えば原材料なら、その財を必要とする買い手はさしあたり独占企業からその財を「言い値」で購入するしかない。

しかし、買い手企業はその財を代替できる技術革新に努めるでしょう。他の企業がその市場に参入するかもしれない。

「銀行は全能の独裁者になった」というレーニンの規定は、誇張も甚だしい。

では、レーニンは、銀行が資金の借り手である企業を支配していると考えた理由は何でしょうか。

レーニン「銀行にたいして産業資本家がますます完全に従属するようになる」(第二章)


銀行は顧客である貸出先企業を従属させているでしょうか?

銀行が巨大な資金を手にし、ある企業にたいする当座勘定の開設によりその企業の経済状態を詳細かつ完全に知ることができれば、そうできるとレーニンは述べています。

銀行は株式の所有や、企業の取締役会、監査役会へ重役を派遣し、借り手の企業との人的結合を発展させているとレーニンは論じています。

しかし銀行が資金を貸し付けている企業の経営に参画しているという程度なら、銀行がその企業を支配していることにはならない。

派遣された銀行の役員は、派遣先企業の経営者や労働者が自分の指示に従わなかったとしても、報復手段として処刑や政治犯収容所に送ることはできない。

貸出をやめるという程度です。企業は別の借入先が見つかれば、これまでの銀行との関係を清算するかもしれない。

鉄道は賃金奴隷にたいする抑圧の道具


鉄道は賃金奴隷、すなわち労働者抑圧の道具でしょうか?

またレーニンは、「帝国主義」の仏語版および独語版への序文で、世界的な規模での鉄道の建設は、従属諸国の「文明」諸国の賃金奴隷にたいする抑圧の道具であると論じています。

鉄道や道路がなければ、物資の運搬が困難です。鉄道が労働者の「抑圧の道具」なら、航空機や船舶、トラックもそうでしょう。

空港や港湾も労働者の「抑圧の道具」と言えそうです。インターネットにより商品を注文できますが、インターネットは「抑圧の道具」にならないのでしょうか。

金融資本は世界を分割支配しているのか


銀行と貸し出し先企業は、世界を分割支配しているでしょうか?

「帝国主義」の「五 資本家団体のあいだでの世界の分割」によれば、資本家は世界を資本と力に応じて分割します。

商品生産と資本主義のもとでは、他の分割方法はありえない。その力は経済的および政治的発展につれて変化するとレーニンは述べています。

この規定に依拠すると、「金融資本」がない北朝鮮が「世界の分割」、日本や韓国に侵略、攻撃をすることなどありえないことになります。

旧ソ連にも「金融資本」はないので、ソ連には対外侵略をする経済的基盤はないという、マルクス主義経済学のドグマが導かれます。

「金融資本」は、個別の資本主義国すら「支配」などしていませんから、世界を「金融資本」が分割支配したことはありません。

帝国主義列強の植民地支配を「金融資本の分割支配」とみるべきではない。銀行は日韓併合を主導していません。

銀行が得ていた巨額の利潤とその支出先は


それでは、当時の銀行が得ていたらしい巨額の利潤はなぜ生じたのでしょうか。

銀行経営者はその利潤をどのように支出したのでしょうか。

巨額の利潤が、経営者の配当所得となり財やサービスの購入に充てられるなら、それらを生産する労働者が必要ですから、巨額の利潤により雇用が増えると考えられる。

巨額の利潤が、支店の拡張や銀行業務遂行のための機器整備に宛てられるなら、それらを生産する労働者が必要ですから、巨額の利潤により雇用が増えると考えられる。

所得分配上の不平等という問題はありますが、銀行が巨額の利潤を獲得することそれ自体は悪行ではない。

しかし、銀行が長年、巨額の利潤を上げ続けられるほど資本主義経済は甘くない。帝国主義国の植民地経営はそう簡単ではない。

不況になれば銀行の収益が低下します。

銀行が利潤を多額計上している貸出先も、かなりの利潤をあげているのでしょうから、他の金融機関が貸出あるいは株式発行による資金調達をその企業に提起するかもしれない。

企業が銀行以外でも資金調達を簡単にできるなら、企業の銀行離れが進みます。

また、帝国主義列強間の植民地争奪戦や戦争の原因をどう考えるべきでしょうか。

この点について、またの機会に論じたいと思っています。






2017年6月11日日曜日

レーニン「帝国主義」(宇高基輔訳、岩波文庫)第九章「帝国主義の批判」より思う

「帝国主義は金融資本と独占との時代であるが、この金融資本と独占は、自由への熱望ではなく、支配への熱望をいたるところにもちこんでいる。あらゆる政治制度のもとでのあらゆる反動、この領域における諸矛盾の極端な尖鋭化、これがこれらの傾向の結果である」(同書p196より抜粋)。


レーニンの「帝国主義」は、マルクス「資本論」とならび世界中の左翼に聖典のごとく扱われている著作です。

レーニンによれば、金融資本はあらゆる経済的関係とあらゆる国際的関係とにおいて、巨大な、決定的ともいえるほどの勢力ですから諸国家を隷属させることができます(同書p135)。

レーニンによれば、「あらゆる方面にわたる反動と民族的抑圧の強化とは帝国主義の政治的特質」(同書p179)ですから、軍国主義や民族差別は帝国主義より生じます。

従ってレーニンの「帝国主義論」に依拠すれば、金融資本(独占企業と銀行の結合)がない発展途上国や社会主義国では、軍国主義や民族差別が生じる経済的基盤はない。

旧ソ連や中国、北朝鮮には軍国主義や侵略戦争、民族差別が生じる経済的基盤はないことになります。

今のロシアならそれらが生じる経済的基盤はある、という話になるはずですけれど。中国も同様です。

北朝鮮でも、39号室という金正日の直轄部門の企業は「多国籍企業」として世界各地で「外貨稼ぎ」をやり、核軍拡資金を稼いでいます。

銀行・大企業経営者がどういう経路で政策決定に参画できたとレーニンはいうのか


そもそも、レーニンは一体どんな実証的根拠から、当時の銀行や大企業、「金融資本」が戦争を起こす根源と考えたのかが不明です。

例えば、レーニンが活躍していた時期の日本は明治・大正期ですが、銀行や大企業の経営者が日清・日露戦争や一次大戦参戦を決定したなどありえない。

当時の日本の政治の特徴は薩長の藩閥政治です。山県有朋ら元老が影響力を保持していました。しかし、伊藤博文、山県有朋が銀行経営者に指令されていたことなどありえない。

当時のロシアでも、銀行や企業経営者がツァーリ(皇帝)に代わって日露戦争や一次大戦を主導した、などという話はない。レーニンの著作にもそんな話は出ていません。

当時の帝国主義国とは、例えば英仏独米露でしょうが、欧州でも銀行や大企業の経営者が直接、参戦を主導したとは考えられない。

「金融資本」が諸国家を隷属させることができる、とレーニンは主張していますが、英仏蘭の東インド会社が活躍した時代ならありえたかもしれません。

しかし東インド会社は、「金融資本」ではない。

天然資源を得るために、欧州各国が植民地争奪戦を繰り広げた時代でも、「金融資本」が欧州各国の社会経済を支配して参戦を決定したわけではない。

カウツキーの「超帝国主義論」-国際的に統合された金融資本による世界の共同搾取-


レーニンは、ドイツの社会民主主義者カール・カウツキーの「超帝国主義論」を厳しく批判しています。

カウツキーは、金融資本、帝国主義間で同盟関係が形成されれば、戦争は不可避ではない
と考えました。

これに対しレーニンは、資本主義の国家間では産業や代表的企業が均等に成長することはありえないから、金融資本間で同盟関係が形成されそれが持続することなどありえないと論じました。

産業や代表的企業が均等に成長することはない、というレーニンの指摘は適切です。しかし、代表的企業や産業が不均等に成長しても国家間では同盟関係は形成されうる。

この可能性を指摘したカウツキーは、欧州諸国の実際の政治情勢に通暁していたのでしょう。

軍事技術の発展により、戦争が勃発すれば代表的企業、銀行も大損をしてしまいます。トヨタやGM、メガバンクが戦争を望んでいるなどありえない。

カウツキーは、レーニンより資本主義の行く末を正しく予見していたのです。

カウツキーは併合を、金融資本が好んで用いる政策だと説明した(同書p151)


レーニンによれば、この主張がカウツキーの帝国主義論の大きな問題点です。

そうであるなら、経済における独占が政治における非独占的・非暴力的・非侵略的行動様式と両立できることになる、とレーニンはカウツキーを批判します。

マルクス主義経済学者と左翼人士の「戦争論」はレーニンのこの主張に強く依拠しています。

日本や韓国には世界的な大企業、「金融資本」がありますから、日本や韓国は侵略国家で北朝鮮や中国は侵略される途上国だという、浮世離れした結論になってしまいます。

マルクス主義経済学者にとって発展途上国であるはずの中国や北朝鮮が、国家独占資本主義の日本や韓国を侵略するなどありえず、想像すらできない。

安倍内閣による集団的自衛権行使の法制化、共謀罪制定は金融資本による侵略政策だと左翼は本気で信じています。

ところで、近年の日本共産党は「独占資本主義=帝国主義」という見方をとらないと明言しています。

独占資本主義の国でも、帝国主義的でない政策や態度、非帝国主義的な政策や態度をとることはありえると、不破哲三氏は断じています(「赤旗」平成15年6月28日記事より)。

不破氏がレーニンの上記の議論を知らないはずがない。

レーニンを信奉するマルクス主義経済学者なら、不破氏をカウツキー主義者、日和見主義者と批判しそうです。

スウィージー、バランの「独占資本」-「金融資本が経済社会の支配者である」を否定


ところで、全てのマルクス主義経済学者がレーニンの「帝国主義論」を聖典と崇めたわけではありません。

米国のマルクス主義経済学者Paul SweezyとPaul Baranの「独占資本」(昭和42年岩波書店、原題はMonopoly Capital)には、銀行が「金融資本」となり経済社会の支配者になったという、レーニン流の認識はない。

「独占資本」の第四章は、利潤が資本家の消費と投資に吸収されると論じています。レーニンにはない視点です。

「金融資本」が莫大な利益を上げているのなら、それは次期に何かに支出され、総需要の一部を構成するはずです。総需要が増えれば、生産と雇用も増え、労働者の生活を支えうる。

この本については、またの機会に考えてみたいと思っています。米国の資本主義経済分析の書としても、面白そうです。







2017年6月4日日曜日

宮本顕治「日本革命の展望」より思うー社会主義国には国内に侵略や戦争を利益とする階級や原因がないのか?

「国内に侵略や戦争を利益とする階級や原因がなく、社会主義的生産様式の資本主義的生産様式にたいする決定的優位性と、世界史の発展法則にたいする確信に根ざしているソ連と社会主義諸国のこの立場は、世界の労働者階級と人民の利益にふかく一致している」(「日本革命の展望」昭和41年日本共産党中央委員会出版部発行、p177より)。


吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんは、宮本顕治氏の「日本革命の展望」という著作を御存知でしょうか。

この本は、レーニンの「帝国主義論」に主に依拠して、日本と世界を描いています。

一昔前の共産党員は勿論、マルクス主義の経済学者や政治学者ならこの本を「座右の書」として一生懸命読んだはずです。

「ソ連は社会主義ではなく、社会主義の対立物である覇権主義だったから崩壊して当然だ」という現在の日本共産党の立場と180度異なる見解が何度もこの本で表明されています。

上記はその一つです。

林直道教授「経済学下 帝国主義の理論」(新日本新書)-現代の軍国主義は独占資本主義から生まれる


旧ソ連や東欧、中国、北朝鮮では基本的な生産手段が社会化されているから、国内に侵略や戦争を利益とする階級や原因はないという御話です。

マルクス主義経済学者として著名な林直道教授は、大阪市立大学で長く教鞭をとられた方です。

林直道教授著「経済学下 帝国主義の理論」(昭和45年新日本新書、p176)によれば、現代の軍国主義は独占資本主義という経済的土台からうまれ、それと不可分に結びついているそうです。

林直道教授によれば、独占資本・金融資本が他国の領土的支配にむかうのは独占利潤の獲得のためです。

独占利潤の獲得こそ独占資本主義の基本的経済法則ですから、帝国主義の対外侵略はこの基本的経済法則にもとづく必然的な現象だそうです。

こんな調子で、一昔前の日本共産党員は社会主義国には「独占資本」「金融資本」がないから、侵略戦争を行う経済的基盤がないと信じていました。

林直道教授が「経済学下 帝国主義の理論」が執筆された頃には、中国は核実験を何度も行い核軍拡を着実に進めていました。

北朝鮮は武装工作員をソウルに派遣し、朴大統領の暗殺を試みていました(青瓦台事件、昭和43年1月)。

ソ連軍の満州国での蛮行を林直道教授が知らなかったとは考えにくいのですが、マルクス主義経済学ではこうした結論しか出ようがない。

朝鮮戦争は朝鮮人民軍が韓国に侵攻したことにより始まりました。

「千里馬のいきおいで社会主義を建設する共和国」の北朝鮮が韓国を侵略するなど、マルクス主義経済学では「分析」「理論化」できないのでしょう。

朝鮮戦争で中国は北朝鮮に支援軍を送り、韓国を侵略しました。これも、マルクス主義経済学では「分析」「理論化」できそうもない。

レーニンの「帝国主義論」をいまだに信奉している「平和運動家」は中国、北朝鮮の侵略性を理解できない


日本共産党員と、マルクス主義経済学の影響下にある「平和運動家」はこの類の「理論」を信じています。

「独占資本」「金融資本」がないはずの中国や北朝鮮が軍国主義化を進め、日本やアジア諸国に侵攻しうるとは想像すらできなくなってしまう。

日本共産党が昭和36年7月の第八回党大会で決定した綱領には、社会主義陣営は民族独立を達成した諸国、中立諸国とともに世界人口の半分以上をしめる平和地域を形成しているという記述があります。

日本共産党が主導してきた「平和運動」の「理論的基礎」は、レーニンの「帝国主義論」とマルクス主義経済学でした。

レーニン自身が、「富農」との最終決戦などと称して、内戦を起こしたことをマルクス主義経済学者はどう考えていたのでしょうか。林直道教授にお尋ねしたいものです。

日本共産党「真の平和綱領のために」(昭和56年6月発表)-ソ連、中国は社会帝国主義-


宮本顕治氏の名誉のために、1980年代くらいの日本共産党の「平和理論」が多少修正されたことを指摘しておきます。

「真の平和綱領のために」という論文を、日本共産党は昭和56年6月に発表します。この時は、ソ連によるアフガニスタン侵攻、中国のベトナム侵略という蛮行がなされた後でした。

「侵略戦争反対」を掲げる日本共産党ですから、これらは是認できない。

ソ連と中国により繰り返される侵略と核軍拡を「大国主義のあやまり」という程度で片づけてしまうのもおかしい、という話が多少は出ていたのかもしれません。

上田耕一郎氏あたりがそんな問題提起をしていたのかもしれません。この論文で日本共産党は、ソ連を「社会帝国主義」と強く批判しています。

上田耕一郎氏は、「帝国主義の戦争政策と社会主義の態度」(「世界平和と民族自決権についての国際論争」新日本文庫所収)という論文で、中国を社会帝国主義と批判しています。

「ソ連、中国は社会帝国主義だ」という路線を「平和運動」でも貫けば、ソ連や中国の大使館に向けてデモを行い、集会や署名運動でソ連、中国、北朝鮮を批判するという話になります。

そこまで言うと、日本もソ連や中国、北朝鮮に侵略されるかもしれないから自衛隊の装備を充実せねばならない、日米安全保障条約で日本は当面守られているという認識が広がってしまいます。

従って、「ソ連、中国は社会帝国主義だ」という路線は日本共産党としては危険だ、という話になったのでしょう。

最近の日本共産党の帝国主義論とカウツキー


近年の日本共産党の論文には社会帝国主義論は出てきません。

国家独占資本主義、帝国主義に関する見方を再検討せねばならないという話は、日本共産党最高幹部間では出ていると考えられます。

佐々木憲昭氏(前衆議院議員で、日本共産党の経済政策を担当されてきた方)がそんな話を「経済」誌の研究会でされたようです。

今の日本共産党綱領は、帝国主義は独占資本主義から必然的に生じるものではなく、政策の一つだという話になっています。

これは、レーニンが強く批判したカウツキーの帝国主義論に近い。林直道教授の「経済学下 帝国主義の理論」でも徹底批判されています。

またの機会に、これを論じます。