昭和25年から30年までの日本共産党は暴力革命論を採用しました。この時期、武装闘争に参加する日本共産党員は少なくなかった。
この時期の日本共産党が起こした諸問題を、日本共産党は五十年問題と呼びます。
鈴木元さんは著書の第七章「日本共産党の歴史とかかわって」で、五十年問題について、大意次のように語っています。
宮本顕治さんはコミンフォルム(共産党・労働者党情報局)による占領下平和革命論批判に同調
現在の党史では、50年問題は徳田・野坂分派によって行われた問題であり、党の方針ではなかったとされている。
しかし宮本顕治さんらの国際派はずっと正しく、何の責任もない問題なのだろうか。
コミンフォルムが日本共産党の「占領下平和革命論」を批判したとき、それに同調したのは宮本顕治さんら国際派だ。
50年問題を収拾するために開催された第六回全国協議会(昭和30年7月)における決議案文は、ソ連共産党、中国共産党により用意されたものである。
51年綱領は全て正しかったと規定した。
51年綱領(昭和26年8月)はスターリンが作成した。
宮本顕治さんは51年綱領は全て正しかった、という第六回全国協議会の案文に同意したから、第六回全国協議会は成り立った。
また徳田球一さんと並んで、北京機関において中心的役割を果たした野坂参三さんの責任を問うことなく、第一書記(後に議長)に置くことにも宮本顕治さんは同意した。
これらの問題を検証しないで、宮本顕治さんは正しく、徳田・野坂分派が50年問題を起こした、というだけでは歴史の検証に耐えられない。
鈴木元さんは宮本顕治さんが、暴力革命論の51年綱領を正しいと認めた事に着目している
宮本顕治さん、志田重男さんらが中心になって運営した第六回全国協議会の決定の冒頭に「新しい綱領に示されている全ての規定は完全に正しい」と明記されています。
第六回全国協議会決定は、「日本共産党の五十年問題について」(新日本出版社昭和56年刊行)に掲載されています。
宮本顕治さんは、昭和25年5月の「前衛」に掲載された論文で、野坂参三さんの平和革命理論を徹底批判しています。
宮本顕治さんによれば、議会を通じた政権獲得の理論は誤りです。
この時期の宮本顕治さんには、32年テーゼに記されているように内乱を起こして権力を奪取する事が革命だ、という発想が強かったと考えられます。
鈴木元さんの五十年問題論は、本ブログの認識と大差ありません。以下です。
宮本顕治さんは、第七回大会(昭和33年7月)の「綱領問題についての中央委員会の報告」でも51年綱領の積極面を認めています。
