日本人の貪欲さを布教のために利用すべきだ(ベラスコ宣教師)
戦国時代から江戸時代初期、欧州からたくさんの宣教師が来日しました。宣教師の基本的な目的は勿論、基督教布教のためでしょう。
しかし布教の手段として、中南米でエスパニヤ(現スペイン)が行ったような蛮行、大量虐殺を選択肢の一つとして考えていた宣教師がいても不思議ではありません。
基督教布教のためには、邪魔になる現地の国家や宗教組織を軍事力により滅亡させてしまえば良い。邪教を滅ぼすこと、それは神の御意志だ。
当時の宣教師の中には、そんな発想をする人もいたはずです。
勿論、戦国時代の日本は当時有数の軍事力を持っていましたから、エスパニヤの兵士が多少来襲しても征服は不可能です。日本刀の殺傷力は欧州の刀剣のそれを上回るでしょう。
ともあれ、はるばる欧州からやってきた宣教師には、野心や虚栄心の権化のような人はいくらでもいたはずです。
そういう人たちの心中に、成功した宣教師、あるいは対立する教会組織の宣教師に対する嫉妬心がないはずがない。
成功した宣教師は、敬虔な宗教心だけでなく野心と虚栄心を持ち、権謀術数にも長けていたからこそ、所属する教会組織の中で出世できたのではないでしょうか。
遠藤周作「侍」(新潮文庫)に登場するベラスコ宣教師は、この国での布教は戦いだ、日本人の貪欲さを布教のために利用すべきだと考えている人です。
ベラスコ宣教師は日本のもつ優れた軍事力を承知しています。
私が司教だったら、ペテロ会のように日本の権力者たちを怒らせはしない
ポーロ会所属のベラスコは、ポーロ会より以前から日本に布教に来て布教権を独占していたペテロ会を憎悪しています。
ベラスコは、ペテロ会の神父たちが日本をエスパニヤ(現スペイン)の植民地にして基督教の布教を計ろうとしたため、それを知った日本の権力者を怒らせたから失敗したと考えています(p96)。
日本人にはノベスパニヤ(現メキシコ)との貿易の利をあたえ、自分たちは布教の自由をもらう。その取引を巧みに行うことができるのは自分だけだ(p35)とベラスコは自負しています。
自分がもし日本の布教をすべて立案し実行できる司教に任命されたなら、この数十年間にペテロ会が行った失敗をとりかえしてみせる、とベラスコは恥じながら考えています(p35-36)。
恥じながら、という点ですが、ベラスコは日本担当の司教になりたいという自分の野心を宣教師にふさわしくないものとして恥じています(35-36)。
司教になる夢は決して世俗的な野心からではなく、すべてこの日本に神の教えを広めるための自分の義務なのだとベラスコは思おうとしています(p64)。
敬虔な宗教心と野心、虚栄心の相克に悩むベラスコの姿こそ、当時来日した宣教師たちの姿に近いのではないでしょうか。
立身出世を志す現代の若者、あるいは自分の地位保全に腐心する中高年の私たちの心中も、ベラスコのそれと共通しているものがありそうです。
いかなる者の生涯にも、神が在ることを証するものがございます
侍とともにノベスパニヤに行った召出衆(下級武士)の中に、松木忠作という賢い人物がいました(p86)。
松木はベラスコに、「神がいるとなぜ思うのか」と問います。ベラスコは次のように答えました。
神がましますのは、人間一人、一人の生涯を通して御自分のあることを示されるからでございます(p121)。
これは、遠藤周作の読者へのメッセージでもあるのでしょう。
神が人の人生を通じてその存在を示す。この言葉、若くして亡くなった友人や、残念無念の死を遂げることになってしまった友人のことを思うと、頷けるものがあります。
若くして亡くなった友人たちは生前、その思いは遂げられなかったかもしれません。
しかし、亡くなった友人たちは生き方だけでなくその死に方によっても、私たちに様々な痕跡を残します。
その痕跡から、神は私たちに語りかけているということなのかもしれません。しかるべき痕跡を残すように、神がはたらきかけているのかもしれません。
人生の主役が自分であるなら、亡くなった友人たちは死後も、傍役であり続けることができるのです。誰しも、いずれは必ず死ぬのですからね。
若くして亡くなったのは悲劇ですが、所詮は数十年の差でしかないとも言えます。長生きしても、自分の宿願を成し遂げられず、無念のうちに死ぬ例は数えきれません。
逆境に陥っても絶望しないことが、人々の間に消し難い痕跡を残す
侍をイスパニヤに派遣した伊達政宗は、天下を取りたいと若い頃ひょっとしたら思っていたかもしれません。
そうであるなら、長生きした伊達政宗は無念のうちに亡くなったかもしれません。勿論伊達政宗は周囲の人間と後世に大きな痕跡を残しました。
人が死後も周囲、あるいは後世に痕跡を残すという考え方は、「人生に失敗してしまった」「自分は生きている甲斐がない」などと絶望している人を励ますことになり得ますね。
自分の思い、宿願が達成できれなかったということは、何らかの形で周囲の人間あるいは後世に伝わり、人々の中に痕跡を残すのでしょう。
逆境に陥っても絶望しないことが、人々に消し難い痕跡を残しうるのです。意図せずして悲惨で哀しいな死を迎えてしまっても、それ自体が人びとに大きな痕跡を残しうるのです。
生きることは烈しいことと私は思って参りました(p122)
ベラスコは、生きることは烈しいことであり、それは男と女の関わりに似ていると考えています。女は男の烈しき情を求めるように、神も我々に烈しさを求めているとベラスコは断言します(p122)。
そんなベラスコを、松木は「あの男はおのれの烈しさをかくすため、穏やかに見せているのだ。あの男が切支丹を信ずるのも、おのれの欲望を抑えるためのような気がしてならぬ」と評します(p130)。
ベラスコの心中に潜んでいる烈しい闘志を、松木は見抜いていたのです。それは布教とともに世界を征服しようという、南蛮人の野心でもあります。
恐らく、晩年の太閤秀吉も宣教師の中にある野心を見抜いたのでしょう。太閤秀吉の宣教師たちの処刑命令は、現代人から見ると残酷です。
しかし、宣教師たちが、日本人を虐殺するエスパニヤ軍を呼び寄せようとしていたかもしれないことも念頭におくべきでしょう。宣教師の中には、今風にいえば「工作員」「スパイ」もいたのですから。
組織を持つ者は、大多数を守るためには一人の者を見棄てるのはやむをえない(p349)
日本はすでに切支丹禁制に踏みきり、伊達藩もノベスパニヤ(現メキシコ)との通商も棄てたという知らせが、法王庁にも入っていました。
それでもベラスコは、ローマの有力者ボルゲーゼ枢機卿に法王庁として日本への布教方針を継続するよう、次のように要請します(p347)。
日本にも数少ないが信徒がおります。その信徒には、もう教会もありませぬ。力づけ、励まし、模範をしめしてくれる宣教師もおりませぬ
今、彼らは聖書に書かれた、群れから離れた一匹の仔羊に似ていないでしょうか。
ベラスコの懇願に対して、ボルゲーゼ枢機卿は次のように答えます(p347-349)。
一匹の仔羊を探すために他の多くの羊が危険に曝されるならば...牧者はその仔羊を見棄てざるをえない。組織を守るためにはそれも仕方がないのだ。
組織を持つ者は、大多数を守るためには一人の者を見棄てるのはやむをえない。
これこそ、政(まつりごと)を司る者の論理です。伊達藩だけでなく、ローマ法王庁も政という、宿命に直面していたのです。
ローマ法王庁が直面していた国際政治の現実―新教徒の国々との対立―
さらに枢機卿は、国際政治の現実をベラスコに淡々と語ります。
日本の権力者をこれ以上刺激せず、しばらく静観するほうが、エスパニヤやポルトガルのためにも有利だと私は判断した。
法王庁は単独ではない。それは新教徒の国々に対立して、カトリックの国々を保持する組織の義務である。
ベラスコは、枢機卿の苦渋の結論を彼なりに理解したのではないでしょうか。エスパニヤやポルトガルが法王庁の命令により苦境に陥れば、カトリックから徐々に離れていってしまうかもしれません。
ベラスコには、ペテロ会との対立程度しか世界が見えていなかったのですが、枢機卿は新教徒との対立という国際政治の厳しい現実が見えていたのです。
新教徒がさらに影響を広げていけば、ローマ法王庁の権威も徐々に失われていってしまうかもしれないのです。ベラスコにはそこまで見通せていなかったのではないでしょうか。
烈しい征服欲と烈しい情熱を罪とみなすようになったベラスコ
ベラスコはマニラの修道院長の座を与えられるのですが、烈しい征服欲と情熱をもつ彼はそこに安住できません。
ベラスコは再度日本に来ますが、簡単に捕縛されてしまいます。
ベラスコを取り調べる役人は、「お前は無益に捕らえられ殺されるためにこの日本に参ったようなものだ。狂気としか思えぬ」とベラスコに言います。
ベラスコは次のように答えました(p466)。
なぜ、狂気にみえることをこの私が承知でやったか。死ぬと覚悟してこの日本に参ったか―いつか、お考えくださいまし。
その問いをあなたさまやこの日本に残して死んでいくだけでも、私にはこの世に生きた意味がございました。
殉教した宣教師や切支丹は後世に大きな痕跡を残したと言えるでしょう。私にはそれが神の意思であったかどうかはわかりません。
ベラスコは、自分のすべての挫折は、主がこの悲惨な現実を私に直視させるためにお与えになったような気すらすると述懐します(p464)。
ベラスコはペテロ会のカルバリオ神父に処刑される前日に牢で会います。ベラスコはカルバリオ神父に次のように罪の告白をします。
私はおのれの征服欲と虚栄心とに気づかず、それを神のためだと自惚れていたのです。
ベラスコは挫折を繰り返しつつ、変わっていったのです。聖人になっていったということかもしれません。
侍は敬虔な基督教徒にはならなかったかもしれませんが、イエスの死の意義を理解するようになっていました。
ベラスコとカルバリオ神父、修道士のルイス笹田が殉教していく場面は印象深いものです。実際の宣教師や切支丹たちも、このように亡くなっていったのかもしれません。
殉教者は隠れ切支丹となった人々の心に、消し難い痕跡を残したのでしょう。
この本の解説(ヴァン・C・ゲッセル)によれば、ベラスコのモデルはルイス・ソテロ神父(1574-1624)です。
ポーロ会、ペテロ会という名称は、実在のものではないかもしれません。
侍とベラスコの心中の変化に着目したい
この物語は、侍とベラスコの心中の変化が丁寧に記されているように思います。
遠藤周作の数ある作品の中では「沈黙」と「深い河」、あるいは「イエスの生涯」「キリストの誕生」の評価が高いように思います。後の二つは、小説というよりは意味論的な歴史の解釈ですね。
私は登場人物の心中の変化が詳細に記されているという点で、「侍」は「沈黙」や「深い河」に劣らないと感じました。