2013年8月14日水曜日

美しいもの、けだかいものへの憧れを失わないで―遠藤周作「砂の城」(新潮文庫)より思う―

若き革命家と一途な女性が築くのは砂の城



純真な若者は正義感と活気にあふれ、何かを成し遂げてやろうという意思、野心をもつものです。

若者にとって既存の社会、世の中は中年と老人たちのいろいろな思惑と利権をめぐる抗争の結果形成されたものです。

清く美しいものは破れさる。それに代わって、汚れて腐臭を放つような交渉と取引、妥協の産物として現在がある。

そんな世の中を、若い自分たちなら変えて見せる。純真さから左翼の主導する革命運動に参加する若者はそんな気持ちなのでしょう。

愛する人のために、身も心も捧げ尽くすような若い女性の心性は、純真な若き革命家のそれと似ているのかもしれません。

しかし、何かに情熱をもって、精一杯努力すればそれは必ず実現される、などとは到底言えませんね。

革命というありえぬ幻想を抱いて、その実現のために尽力しても失敗することは明らかです。

齢を重ねれば、革命家だった若者も、所詮は資本主義経済でやっていくしかないということをわかるものです。

一途な若い女性がこの人のためなら何でもと情熱を注いでも、相手の男性が詐欺師のような人物ならとんでもない結果を招いてしまいます。

詐欺師とまでいかなくても、浮気性の男性だったり、金銭にだらしのない男性だったら大変です。節度、節操のない人はいくらでもいます。

世代から世代へと受け継がれていく人の社会とは、この繰り返しなのでしょうか。人生とは、一突きで崩れてしまう砂の城のようなものなのでしょうか。



天草の農民がたてこもった原城―農民たちは崩れると知りながら大きな暗い運命と戦った―




遠藤周作「砂の城」(新潮文庫)は、青春の情熱に賭けた若者たちの姿と、哀しい結末の物語です。

主人公は、長崎の浩水女子短大英文科の学生の早良泰子です。水谷トシという泰子の親友は、活水女子短大の家政科の学生です。

泰子は英文科の雨宮先生から、N大学の男子学生と合同でやっている英語劇への参加するよう、勧誘されます。

この英語劇にN大の学生として参加してきたのが、英語の発音が下手な西宗弘でした。西は島原の一揆に参加した農民の血をひいているのかもしれないと述べています(p69)。

西宗弘と早良泰子、水谷トシの三人は、西の車で天草の農民三万がたてこもった原城近くまで来ました(p68)。原城の城跡は、夏の海で子供たちがつくる砂の城に似ていた、とあります(p68)

以下の部分が、この物語全体を象徴しているように思えますので、抜粋しておきます(p68)。


崩れるとは知りながら波の引く間に急いで砂をかき集めて作る砂の城。それと同じように農民たちは急造の城をここに作り、崩れると知りながら大きな暗い運命と闘ったのである。



神が骰子をふる―些細なことから人生が変わっていく




大きな暗い運命に、人は逆らえないものなのでしょう。原城にたてこもった農民に、勝算などなかったことでしょう。

水谷トシは、早良泰子、西宗弘とのドライブで星野という、美男子とは遠い男性と知り合い、恋に落ちます。

水谷トシにとって、このドライブが人生を大きく変えてしまうきっかけになりました。遠藤文学に頻出する、神が骰子をふるという考え方ですね。

早良泰子より1学年上で英語劇の際、抜群に綺麗な発音をできた向坊陽子と、N大の秀才、田崎は恋仲になります(p71-72)。

英語劇の稽古の後、西と泰子はつれだって大きな本屋に入りました。西は「メキシコ革命の記録」という本を買いました(p71)。

そのあと、グランド・ホテルのビヤ・ガーデンに田崎と向坊、西と泰子は行きました。そこで田崎と西は革命について議論していました(p72)。

英語劇が成功のうちに終わり、出演者のパーティで西は泰子に、「これからもぼくと交際してください」と言います。

泰子は「もちろんよ」と同意しましたが、このあと西から連絡は来ませんでした。西はN大の学生仲間との連絡も絶ってしまったようです(p113)。



西との再会、そして永遠の別れ




泰子はその後、東京に出てスチュワーデスになります。西と泰子はその後、劇的な形で再会し、暫くあとに永遠の別れを迎えることになります。

純真な事この上ない西でしたが、これほど極端な行動をとるようになるというのは、飛躍があるような気がします。

変容しきった西の、内面の葛藤を描いてほしかったですね。西が泰子と連絡を絶ったのは、それ相応の理由があったはずです。

例えば、革命運動に情熱を傾ける西を、泰子は理解できないでしょう。自分が情熱を傾けることに共鳴、共感できない泰子と、これ以上連絡をとっても哀しい結末になるだけではないか。

親しかった田崎が、過激派に入っていったようですから、西はその影響を受けたのでしょうが、全ての過激派がハイジャックを策すわけではありません。

西なりの苦渋の軌跡があったはずです。

泰子は、戦争が母と当時の恋人、恩智勝之を別れ別れにさせたように、時代が私たちを別の人生に歩かせたのかと思案します(p242)。



母の元恋人、恩智勝之の生き方―ニュー・デリーにて




泰子の心には、若くして亡くなった母親の手紙の最後にあった次の言葉が常にあったはずです(p40)。


「この世の中には人が何と言おうと、美しいもの、けだかいものがあって、母さんのような時代に生きた者にとってはそれが生きる上でどんなに尊いかが、しみじみとわかったのです」


愛する男のために詐欺を行ったトシや、革命という愚行に殉じた西宗弘の求めたものは、美しいもの、善いものだったのだろうかと泰子は自問します(p250)。

トシや西の人生にどんな意味があったのでしょうか。トシはまだ若いのですから、何とかやり直せるかもしれません。

しかし、西は悲惨な最期を迎えてしまいました。西の姿は、泰子の心に大きな跡を残したことでしょう。

恩智勝之は、ニュー・デリーでハンセン病や結核の患者を助けるために自発的に働くという生き方を話します(p255)。

美しいものと善いものに絶望しないでください、と恩智は語ります。恩智によれば、人間の歴史はゆっくりと、大きな流れのなかで一つの目標に向かって進んでいます(p256)。

泰子の母親の前から忽然と姿を消した恩智は恐らく、インドで自分のなすべきことを見出していたのでしょう。

ハンセン病患者を助けることや、インドで新たな生き方を見出すという点は、遠藤の「わたしが・棄てた・女」や、「深い河」と共通していますね。


人は誰しも、人生の意味という犯人を見つける探偵




青春の出会いと、突然の別れ、そして数十年後に生じうる再会。あるいは、二度と会わない旧友もいるものです。

同じ学校や職場で親しくつき合っていても、時がくれば皆、それぞれの道を歩みだします。その後は千差万別ですが、誰しも時代という大きな運命には逆らえないのでしょう。

歳月が過ぎれば、人の考え方や行動はいろいろ変容します。しかし、政治や社会に対する考え方が変わっても、他人に対する接し方、他人への心遣いなどはさほど変わらないものでしょう。

泰子は、叔父から紹介された将来有望な青年山下が、罪を冒した泰子の友人に対して、「早く手をお切りになったほうがいいですね」と言うのを聞き、失望します(p207)。

山下は恐らく、罪を犯した人間の苦しみや悩みを考えることができない人間なのでしょう。そうした人間は独善に陥る傾向があるというのが、遠藤周作のメッセージでした。

泰子の山下への拒絶は、これを意味しているのでしょう。

早良泰子と西宗弘、水谷トシそれぞれの人生を大きく変えるきっかけを作ったのは英語担当の雨宮先生です。

雨宮先生が、人生をアガサ・クリスティ推理小説にたとえて語る次の言葉が心に残りました(p119)。


「あたしたちもこの人生では、人生の意味という犯人を見つける探偵みたいなもんじゃないかしら。最後の章をめくるまでわかりっこないんだわ」


砂の城にも、何かの意味があるのでしょう。人はそれを最期まで、探し求める存在なのかもしれません。












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