2023年4月22日土曜日

志位さん、日本学術会議を完全に民営化すれば、政府は会員選出に一切介入できませんよ。

 日本共産党、左翼知識人と左翼運動家の皆さんは、日本学術会議の改正案に断固反対です。

(1) 志位和夫さんはTwitterを使っています: 「《学術会議、「介入」再考求める/政府の会員選考方針/「独立性侵害」と総会声明》 学問の自由の侵害が侵略戦争への道を開いた歴史の教訓を忘れてはならない。政府は、学術会議の提起を真剣に受け止めるべきだ。 https://t.co/nRCLM3VWrc」 / Twitter

 日本学術会議会員は特別職国家公務員ですから、政府が任命します。

何らかの基準で、この方は特別職国家公務員にふさわしくないと政府が認定した場合、その方が特別職国家公務員になれないのは変な事ではありません。

その基準については、公表する必要などありません。

日本共産党と左翼の皆さんは、日本学術会議の次期会員に誰がなるかについて、日本学術会議の現会員が何らかの基準で判断して決定する仕組みが最適と考えているようです。

それなら、日本学術会議を完全民営化すればよいではないですか。民間団体の会員に誰がなるかについて、政府が介入できるはずがありません。

民営化されたら、日本学術会議の運営に必要な費用は会員の方々が負担すれば良い。

日本学術会議会員が特別職国家公務員でなければいけない理由はない

私見では、左翼知識人のどなたも、日本学術会議会員が特別職国家公務員でなければいけない理由を説明していません。

民間人でも政府に提言を出すのは簡単です。インターネットがありますから。提言に関連する政府の部署に、提言をファイルにして送れば良いのです。

団体ではなく、一個人でも政府に提言を提出できます。政府の担当部署が送られてきたファイルを黙殺する可能性が高いのですが、それは仕方ありません。

志位さんら日本共産党員の皆さんにも、日本学術会議を完全に民営化案に反対する理由はないはずです。民間団体がどんな提言を政府にしようと自由です。

志位さんの日本学術会議の独立性を守ろう論は、民営化論と十分両立可能と考えます。

この件について、日本共産党の研究者の皆さんの御意見をお聞かせくだされば幸いです。

日本学術会議の勧告/政府は真摯に受け止めよ/志位委員長が会見 (jcp.or.jp)

2023年4月2日日曜日

志位さんは、ロシアによるウクライナ侵攻の原因は、NATOとロシアが行った軍事対軍事の悪循環にあると見ている。

志位さんはロシア、中国を帝国主義と規定できない 

日本共産党の平和理論では、戦争は帝国主義により生じます。

従って米帝国主義が他国と締結している軍事同盟が戦争を起こします。

欧州ではNATO、アジアでは日米同盟と米韓同盟が戦争を起こす基本的原因です。

ロシアによるウクライナ侵攻は、日本共産党の平和理論では説明できません。

ロシアも帝国主義だ、という規定にすれば説明できますが、それなら中国も帝国主義ではないかという話になってしまいます。

中露が帝国主義として核軍拡を行ってきたのだから、日本の平和と安全が脅かされているという結論が出てしまいます。

そこで志位さんは、NATOとロシアの双方が合意に反して行った、軍事対軍事の悪循環がロシアによるウクライナ侵攻の原因だと宣伝しています。(1) 志位和夫さんはTwitterを使っています: 「首相、「ウクライナは明日の東アジア」と大軍拡を煽り立てる。 戦争の責任は侵略を行ったロシアにあるが、背景には全欧州諸国が参加した全欧州安保機構(OSCE)の合意に反して、NATO、ロシアの双方が軍事対軍事の悪循環に陥った問題があった。その教訓こそ生かすべき。 https://t.co/EWj6lFtdbw」 / Twitter 

これは結局、ロシアによるウクライナ侵攻にはNATOも半分くらいは責任があるという話です。

NATOとロシアの双方が行った軍事対軍事の悪循環がロシアによるウクライナ侵攻の原因と訴えているのですから。

NATO諸国が軍拡をせず、プーチンと合意を基礎にしてじっくり話し合えばプーチンは軍拡をしなかった、ウクライナ侵攻など実行しなかったと志位さんは本気で考えている。

私は1月に本ブログで、ウクライナ問題に関する志位さんの論理を指摘していました。黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 志位さんはロシアによるウクライナ侵攻の原因はNATOの東方拡大、欧州諸国による外交の失敗と見ているー志位さんはプーチンの世界観、戦略を分析できない (blueribbonasiya.blogspot.com)

 こちらでも志位さんのウクライナ戦争論について論じています。黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 日本共産党はロシアとウクライナの戦争の現状について分析できないー志位さんは、日本共産党内で軍事についての思考と議論が広がることを恐れているー (blueribbonasiya.blogspot.com)

要は、志位さんは戦争の原因や現状分析を、資料を収集し、状況証拠を積み重ねて検討していくことができません。

習近平、金正恩とプーチンは、日本政府が本気で対話を呼びかけ、じっくり話し合えばわかってくれる政治家だという見方です。中朝露は平和勢力論です。

プーチンの理屈ではロシアは国際法を遵守して、非ナチス化のための特別軍事作戦を実行しています。

習近平の理屈では、香港では一国二制度の原則が今でも徹底されています。刑務所に収監されている人たちは皆、暴力分子です。

金正恩と朝鮮労働党の理屈では、拉致問題など存在しません。共和国は税金がなく、地上の楽園です。

外交官や政治家が朝鮮労働党の高位幹部に会おうとそれば、巨額の面会料を請求されてしまいます。十億円出せば平壌で会ってやる、という話になりえます。

中朝露は日本政府を対話の相手とみなしていないのです。志位さんら日本共産党員にはこれがどうしてもわからない。

日本共産党第22回大会で志位さんは、東アジアに非同盟、非核兵器、紛争の平和的解決など、平和と進歩の巨大な流れが広がっていると報告しました。

志位さんら日本共産党員は戦争の準備をすれば戦争に、平和の準備をすれば平和になると本気で信じています。

第22回大会で志位さんは、安保維持論者が言い立てる「脅威」など根拠がないと断言しています。中朝露の核は平和の核だ、と志位さんは信じているのかもしれません。

志位さんと日本共産党京都の渡辺和俊さんは、中朝露の危険性に関する議論をしたくない―論破されるから

日本共産党員の中には、志位さんの東アジア情勢論、日本を攻撃、侵攻を策す国などない論に反対の方もいるのでしょう。

松竹伸幸さん、鈴木元さんはそんな方かと思えます。

察するに、志位さんは中朝露は日本の平和を脅かしていますよ、という声を聴くのが本当に嫌なのです。

御二人の著作には、中朝露の危険性を指摘している部分が少なからずあります。

この件で、日本共産党京都の担当職員が松竹伸幸さん、鈴木元さんと長時間議論をしたら論破されてしまい、担当職員が意気消沈する可能性が高い。

推測ですが、日本共産党京都の渡辺和俊委員長もそんなことを予想し、「調査」の時間を大幅に短縮するよう、担当者に指導したのではないですか。

日本共産党京都の皆さん、いかがですか。


2023年4月1日土曜日

元赤旗記者・下里正樹同志の規律違反の公表について(「赤旗」平成6年10月14日記事より抜粋)より思う

 「文藝春秋」1994年12月号の論考「私が見た『赤旗』の暗黒」に出ている筆者略歴によれば、下里正樹さんは1936年生まれで、大阪市出身です。

昭和46年より「赤旗」記者となり、「日本の黒幕 小佐野賢治の巻」(共著)でJCJ賞を受賞しました。

昭和56年には、森村誠一さんの「悪魔の飽食」三部作の共同作業者となりました。「赤旗」のエース級の記者だったと言って良いでしょう。

そんな下里さんですが、平成6年11月末頃には日本共産党を除名されました。

赤旗編集委員会による「元赤旗記者・下里正樹同志の規律違反内容の公表について」という文書の一部を、以下に紹介します。

下里さんはこの前から、長時間の査問を受けていました。

日本共産党の除名や査問について、関心をお持ちの方には貴重な資料になるかと考えます。

この文書は終わりの方で下里さんの奥様が、下里さんの罷免に関して他人にした話について言及しています。

奥様が他人にした話を、赤旗に出して読者と日本共産党員に周知徹底する必要があるのでしょうか。この辺り、私には理解不能です。

配偶者が解雇されたら、解雇した会社への不平不満を知人に言う方は多いと考えられます。

これを報道するなら、奥様に取材して記事にすべきだったと考えます。

本人に取材をしないで記事にする「赤旗」の編集手法は、通常の新聞とは大きく異なっていますね。

文書の抜粋は以下です。

十月十四日 赤旗編集委員会

統制委員会は九三年十一月いらい、下里同志の規律違反行為について調査・審議したが、彼は誤りを自己批判するのではなく、

自分の行為を合理化することにつとめ、最後には、自分の行為が規律違反であることを認めようとさえしなくなった。

下里同志のこの行為は、党規約第二条に定めた党員の義務にそむく重大な規律違反行為である。

こうした重大な規律違反で処分をうけた下里同志は、党中央の勤務員としてふさわしくないとして、五月三十一日付で日本共産党中央委員会勤務員(赤旗記者)を罷免された。

同時に、下里同志は、党籍がある以上、党の指導をうける立場にある。

このため、権利停止の期間中は、赤旗編集委員会の指導下におかれることになったが、処分の決定以降、下里同志は、自己の誤りについて何らの反省もせず、党の指導にもしたがわない。

そればかりか、「規律違反による罷免」であることを明記した離職票に本人が署名しておきながら、職業安定所に提出した文書に、

離職理由の書かれていない「空白の離職票に署名した」などと事実に反する事柄を記述し、「冷酷な懲罰的解雇である」などと不当な申し立てを行っている。

また、下里同士の妻は、下里同志から罷免にかんして事実に反する話を聞き、それを他人に話している。

下里同志の記者時代からの知りあいである文化人が、下里同志から事実に反する話を聞き、「赤旗」の購読を中止するという事態もおきている。

下里同志のこうした言動は、日本共産党員のありかたにてらして、批判、警告しておく必要があるので、編集委員会は手だてをつくして、下里同志に編集局に来るよう再三求めた。

しかし、下里同志は、編集局に来る意思を明らかにせず、党にたいして、自分の所在も、連絡方法も明かさない態度をとりつづけている。

こうしたことは、日本共産党員のあり方にてらしてはもとより、社会的にもあってはならないことである。

その一方で、下里同志は、権利停止中にもかかわらず、党にはなんの相談もなしに、テレビ、週刊誌への登場や講演をはじめ公的活動を拡大している。

こうした事態は、下里同志の規律違反にもとづく処分、本部勤務員罷免を知らされていない、多くの人びとに誤解をあたえ、各方面に迷惑をまねきかねない。

そこで、下里同志の規律違反の内容を公表することとした。

詳細は「赤旗」評論特集版十月二十四日号に掲載する。

赤旗記者、日本共産党本部勤務員は日本共産党に雇用されている―日本共産党は労働法を遵守しましょう

この文書を読んで気づいたのですが、下里正樹記者は日本共産党本部を罷免されたのですから、赤旗記者、本部勤務員は日本共産党に雇用されていませんか。

日本共産党は本部勤務員を雇用しているなら、労働法を遵守するべきです。本部勤務員に残業・休日出勤手当を支給し、本部勤務員の労組結成を認めるべきです。

日本共産党職員が日本共産党には雇用されておらず、日本共産党と有償委任契約の関係にあるのなら、日本共産党は本部勤務員を罷免できないはずです。

有償委任契約の解消は勿論、可能です。

このあたり、労働法に詳しい山添拓議員に説明をお願いしたいですね。




2023年3月31日金曜日

昭和59年以降、日本共産党を除名された方々についてー文学運動参加者、大阪府議と千葉県の書記長、松竹伸幸さんと鈴木元さんを除くー

 昭和59年以降、日本共産党を除名された方について、私が持っている文献に依拠して一覧表にしてみました。

他にも、除名された方はいると考えられます。昭和59年頃、文学運動の参加者でも除名された方がいそうですが。

吉田嘉清さんの除名に関連して、平和運動参加者で除名された方がいるかもしれません。除籍になった方は少なくないでしょう。

東大阪選出の大阪府議、千葉県の書記長についても省略しました。このお二人の除名は、下記の方々の除名と事情が大きく異なると考えます。

調べて気づいたのですが、兵本達吉さん以降、日本共産党は除名した方に敬称をつけています。

「反党分子」という語は、兵本達吉さんについては用いられていないようです。理由はわかりません。 

氏名(敬称略)

除名時期

除名を決定した組織

査問・調査の時間

日本共産党がその方を除名した理由(簡略化)

依拠した文献

吉田嘉清

昭和59720日付の文書が出ているが、除名は926日(「鮮烈なる体験」p166

統制委員会

不明

不明。恐らく、原水協の代表理事を辞任せよという指示に従わなかったから。

「原水協で何が起こったか」日中出版

柳瀬宣久

昭和60222

日本共産党日中友好協会グループ

昭和59830日以降、計四回、のべ十数時間

吉田嘉清さんの本を出すことを日中出版社長として決めた。

「鮮烈なる体験」日中出版

篠崎泰彦

昭和60816

統制委員会

「党機関の指導と調査を拒否」と出ている。

吉田嘉清さんの本を出すことに日中出版の社員として協力した。

「鮮烈なる体験」日中出版

安藤玲子

昭和60816

統制委員会

「党機関の指導と調査を拒否」と出ている。

吉田嘉清さんの本を出すことに日中出版の社員として協力した。

「鮮烈なる体験」日中出版

矢田智子

昭和60816

統制委員会

「党機関の指導と調査を拒否」と出ている。

吉田嘉清さんの本を出すことに日中出版の社員として協力した。

「鮮烈なる体験」日中出版

伊里一智

昭和60127

東京都委員会常任委員会が決定し、書記局が承認。

不明。

第十七大会の際、大会会場に通じる路上で大会参加の代議員に対し、反党文書を配布した

「投稿主義者の観念論史観」日本共産党中央委員会出版局

兵本達吉

 

 

平成108月末。

「拉致調査妨害」など事実無根/前参議院議員 橋本敦 (jcp.or.jp)

より。

 

恐らく、統制委員会。

 

 

 

五日間、全20時間。

公安警察と会食をし、国会議員秘書を退職した後の就職を斡旋してもらうための面接を受けた。

「日本共産党の戦後秘史」産経新聞社

 

 下里正樹さんの事を忘れていました。平成6年11月末に除名されたようです。 

氏名(敬称略)

除名時期

除名を決定した組織

査問・調査の時間

日本共産党がその方を除名した理由(簡略化)

依拠した文献

下里正樹

平成6年11月末。

宮地健一さんのHPが参考になる。

共産党、森村誠一 (biglobe.ne.jp)

 

恐らく、統制委員会

 

第一回査問は平成51120日。この後、本人の最終弁明の機会を含めて七回。一回の査問は45時間続いたらしい。

 

 

日本共産党の戦前の指導者である市川正一に対し、公刊の雑誌上で中傷・誹謗をした。

奥原紀晴「虚構につらぬかれた反日本共産党の『手記』」(「赤旗」平成6112122日)。

下里正樹「私が見た『赤旗』の暗黒」文藝春秋199412月号掲載

 下里正樹さんについては、日本共産党は「元赤旗記者」と呼んでいます。

上記の奥原紀晴論文は下里正樹さんを、落ちるところまで落ちた、まぎれもない反共文筆家に成り果てたと断言しています。

 こうまとめてみると昔は、除名決定前の査問(調査)に随分時間をかけたことがわかります。

松竹伸幸さんの場合は1時間少し、鈴木元さんの場合は30分程度だったそうです。

「調査」の前に、日本共産党京都はお二人を除名するという結論が出ていたのでしょうね。

結論が出ているなら、長時間の調査など時間の無駄でしかありません。

今後も、除名前に日本共産党の担当部署が結論を出し、「調査」の簡便化を推進する可能性がありますね。

 

 

 





2023年3月24日金曜日

日本共産党は鈴木元さんを批判する論文を出せなかった―今の日本共産党には、「理論幹部」がいない

 鈴木元さんの除名について、改めて思った事、感じたことを記しておきます。

鈴木元さんのFacebookでの連載元鈴木 | Facebook によれば、3月9日に鈴木元さんに対する調査が行われ、15日に鈴木元さんの除名処分が決定されました。鈴木元氏の除名処分について | JCP京都: 日本共産党 京都府委員会 (jcp-kyoto.jp)

鈴木元さんの記者会見はこちらです。日本共産党から不当に除名された鈴木元氏の会見(前半) - YouTube 

鈴木元さんの記者会見によれば、3月9日の調査は30分程度でした(youtube開始後16分頃)。

このときに調査を担当した日本共産党京都の方が、早口で鈴木元さんを問いただす文書を朗読しました(youtube開始後12分程度)。

そこで鈴木元さんは、この場では即答できないので、改めて文書で回答したいからそれに基づき、二回目の調査の会議を開いてほしいと要求しました。

日本共産党京都の幹部の皆さんのお名前は以下に出ています。人事と機構 | JCP京都: 日本共産党 京都府委員会 (jcp-kyoto.jp)

その場では読み上げた文書を渡すかどうか即答できないとのことでした。

鈴木元さんが改めて田村和久組織部長に電話をして文書を下さいと要求したところ、13日に文書をくれたそうです。

3月15日に日本共産党京都の常任委員会(19名だが、2名欠席)が開催され鈴木元さんに「弁明の機会を与える」とのことで、鈴木元さんもそこに出席しました。

このときは45分程度だったそうです。

「弁明の機会」で主に発言したのは、寺田茂副委員長と田村和久組織部長でした。他には渡辺和俊委員長が少し発言しただけで、残りの14名の方は一言も発言しなかったそうです。

日本共産党京都は、松竹伸幸さん、鈴木元さんの除名をほぼ同時期に決めていた

日本共産党京都は松竹伸幸さんと鈴木元さんの除名を、ほぼ同時期に決めていたと考えられます。

松竹伸幸さんの除名理由の一つは、日本共産党を批判する鈴木元さんの本を自分の本と同じ時期の出版を促した事でした。日本共産党京都はこれを分派活動と解釈しました。【コメント】松竹伸幸氏の除名処分について | JCP京都: 日本共産党 京都府委員会 (jcp-kyoto.jp)

松竹伸幸さんが鈴木元さんと分派活動を行った事になっているのに、鈴木元さんは何のお咎めもなし、ではつり合いが取れませんから。

鈴木元さんの除名最終決定がなぜ松竹伸幸さんの除名決定より一か月も遅れたのか、についてですが、以下のように考えられます。

鈴木元さんは何度か、日本共産党本部に手紙や意見書を送付していたので、「正規の経路で意見をあげなかった」という志位さん流の理屈は成り立ちません。

分派活動といっても、本を出版するための相談ですから、鈴木元さんと松竹伸幸さんが自民党の派閥のような団体を結成したわけではない。

そこで除名のためには分派活動だけではなくもう少し別の理由を案出せねばならない。日本共産党京都の皆さんがこれを案出するのに時間がかかり、遅れたのではないでしょうか。

志位さんは鈴木元さんを批判する論文を出せなかったー今の日本共産党には理論幹部がいない

私見では、鈴木元さんの除名理由の案出を日本共産党京都に背負わせるのは酷です。

鈴木元さんは昨年4月に出した著作「ポスト資本主義のためにマルクスを乗り越える」(かもがわ出版)のp304で、日本共産党の党首公選制導入を主張していました。

p308では、志位さんは日本共産党の党大会で選出されていない事、遡れば宮本顕治さんの推薦で歴代の日本共産党幹部会委員長が就任していると指摘しています。

「はじめに」ではマルクスが説いた「共産主義」を政党の目標とすることは無理があると指摘しています(p10)。

マルクスの共産主義社会論はキリスト教の「千年王国」やヘーゲルの「自由の王国」と同様の観念的最終理想社会論だと指摘しています(p10)。

これらを一年近く前の著作で主張していたのに、日本共産党は鈴木元さんを批判できませんでした。

共産主義を目標とすべきでないなら、日本共産党綱領の社会主義・共産主義論の否定とも解釈できます。

最近出した著作「志位和夫委員長への手紙 日本共産党の新生を願って」(かもがわ出版)で同様の事を強く主張したら規約違反で除名、とは変な話です。

鈴木元さんが二冊の著作で提起している事を徹底批判する論文が「赤旗」や「前衛」に掲載されていれば、日本共産党京都の方々はそれに依拠して、鈴木元さんを調査する場で論争をできたと考えられます。

伊里一智さんの事件の頃の日本共産党は、伊里さんを批判する論考を出せた

昭和60年の、伊里一智さんの事件の頃には、伊里さんの主張を徹底批判する論考が「赤旗」などにいくつも掲載されました。

当時、日本共産党本部の職員だった志位さんは、「変節者のあわれな末路」という論考を「赤旗」に出し、注目されました。

伊里さん批判の諸論考は、「投降主義者の観念論史観」(日本共産党中央委員会出版局)にまとめられています。

鈴木元さんに対しては、志位さんは著作を批判する論考を出せませんでした。今の日本共産党には、理論幹部と言えるような方がいないと考えられます。

37年ぐらい前の日本共産党は第十七大会で伊里一智さんに対する非妥協的な闘争を訴えていました。


鈴木元さんを批判する論文が「赤旗」などに出ないので、日本共産党京都の皆さんは「調査」の場で鈴木元さんと論争をすることができなかったのです。

論争ができないなら、一方的に文書を読み上げて鈴木元さんが自分の「過ち」を認めるか否かだけを確認すればそれでよい、と日本共産党京都の皆さんは判断したと考えられます。

そんなことはない、黒坂は日本共産党を誹謗していると志位さんがお考えなら、今からでも鈴木元さんの著作を徹底批判する論考を沢山出したらいかがですか。






2023年3月18日土曜日

鈴木元さんの除名より思うー日本共産党指導部は一般党員と路線や理論問題について対話と議論をしたくないー

 鈴木元さんが除名されました。鈴木元氏の除名処分について | JCP京都: 日本共産党 京都府委員会 (jcp-kyoto.jp) 

私は厳しい処分になるだろうと予想してましたが、それでも驚きと怒りを禁じえませんでした。

常日頃、日本共産党を批判している私がこの件で怒りを感じるのは変かもしれませんが。

鈴木元さんの場合、志位さんの辞任を訴える著書の出版前に志位さんに手紙や意見書を提出していたようなので、除名まではされないかなという気持ちもあったのです。

萩原遼さんと同様の、除籍になるかなという気持ちもありました。

松竹さん、鈴木元さんの除名は日本共産党にとって、大きな損失かもしれません。宮本顕治さんの時期の日本共産党なら、もっと早く除名していたかもしれませんが。

松竹伸幸さんは正規の経路で異論を表明せず、突然外から規約と綱領を批判したから規約違反

松竹伸幸さんの除名について説明した記者会見で志位さんは、松竹さんが規約にある正規の経路で異論を表明せず、突然外から規約や綱領を批判したことを規約違反と力説していました。志位委員長の記者会見/松竹氏をめぐる問題についての一問一答 (jcp.or.jp) 

志位さんの論法なら、正規の経路で異論を表明し、志位さんに意見を提起していた鈴木元さんの言動を規約違反とみなすことはできにくい。

それでも鈴木元さんの著書の記述が規約に反しているというなら、正規の経路で異論表明の有無に関わらず、著書で異論を表明して日本共産党を批判したら誹謗・中傷したと解釈され、処分されうることになります。

田村智子政策委員長は、異論については所属の組織で徹底議論すべきと主張

この件について、17日の田村智子政策委員長の記者会見でどなたかが質問をしていました。

田村智子政策委員長の会見 2023.3.17 - YouTube 

開始後10分30秒くらいで、鈴木元さんが志位さんに手紙を送っていたが返事が来なかった、どうすれば除名という事態はさけられたのかという質問が出されました。

これに対し田村智子政策委員長は、所属する党組織で徹底的に議論すべきだったと答えています。相次ぐ党員除名、長崎新聞への抗議撤回 共産・田村政策委員長が見解 - 産経ニュース (sankei.com) 

田村智子政策委員長は鈴木元さんが志位さんに出した手紙や意見書の存在を知らなかったのかもしれませんね。

日本共産党の一般党員が日本共産党の路線や政策の根本について、指導部に手紙や意見を出しても無視、黙殺されてしまうことが少なくないと考えられます。

指導部が一般党員からの意見書や手紙を無視、黙殺しても規約には全く反していない。

貴方の意見については、貴方が所属する組織で徹底討論してください、でおしまいになってしまう。

田村智子政策委員長の回答はこんな調子です。

日本共産党指導部は一般党員と路線について対話と議論をしたくない

思うに、志位さんら日本共産党指導部は一般党員と、路線や理論問題について対話と議論をしたくないのです。

一般党員との対話は雑談に限定してもらいたいのでしょうね。黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 日本共産党幹部は、日本共産党の指導部を批判する一般党員と対話をしないー松竹伸幸さんのブログより思う (blueribbonasiya.blogspot.com)

松竹伸幸さんも、除名について、正規の経路で異論表明の有無は無関係なのだなと慨嘆しています。3.15ジョメイ記念日 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba (ameblo.jp)

田村智子政策委員長は鈴木元さんが出した意見書や手紙を読みましたか

厄介な事、面倒な事には関わりたくない、という気持ちが、田村智子政策委員長ら日本共産党指導部の皆さんには強いように感じます。

そもそも田村智子政策委員長は鈴木元さんが志位さんに出した手紙や意見書を読んだのでしょうか。

それらを読まなくても、一般党員を除名できるのなら正規の経路での異論表明の有無、などどうでも良いという結論になりませんか。

2023年3月7日火曜日

野坂参三さんは第七回大会(昭和33年7月)から第十六回大会(昭和57年7月)まで中央委員会議長だったー「分派の長」が長年、党首だった

野坂参三さんはなぜ、日本共産党の中央委員会議長を長年務めることができたのでしょうか。山添拓議員ら若い日本共産党員は、こんな疑問を持たないのでしょうか。

私見ではこの問題を掘り下げていくと、日本共産党が「分派」という語を単なるレッテル貼りに用いていることが明らかになります。

志位さんら今の日本共産党指導部は松竹伸幸さん、鈴木元さんに分派というレッテルを貼っていますが、これは昔から日本共産党指導部が用いてきた手法の一つです。

世界各地で共産党は、史実を修正するために、自分たちにとって都合の悪い人物に分派というレッテルを貼ります。

今の日本共産党の歴史観では、野坂参三さんは50年問題の際に分派の長だった

今の日本共産党の歴史観では、野坂参三さんは徳田球一さんと共に昭和25年からの50年問題の際、分派の長だった方です。

不破哲三著「日本共産党史を語る 上」(新日本出版社より平成18年刊行、第三章)によれば、野坂参三さんはソ連の情報機関と特別の関係を結んだ内通者でした。

今の日本共産党の歴史観では、巨悪ともいうべき野坂参三さんはなぜ中央委員会議長を長年務めることができたのでしょうか。結論を先に言うと、以下の二点です。

第一に、昭和20年代前半の日本共産党の理論、共産党員の常識としては、ソ連共産党から立派な幹部と認められている事は立派な共産主義者であることの証明でした。

野坂さんは自らがソ連の情報機関と内通している事を内緒にしていましたが、国際共産党(コミンテルン)の大幹部だったことはよく知られていました。

ソ連共産党から大幹部と認められている事は、当時の日本共産党員にとって尊敬に値する事でした。

第二に、昭和25年からの50年問題の際、圧倒的多数の日本共産党員は北京機関、臨時中央指導部を党中央と認識していました。徳田球一さんがこの時期も続けて、日本共産党の書記長でした。

徳田球一さんが亡くなったので、野坂参三さんが党首になる事は自然でした。

50年問題の時期、北京機関は日本共産党の最高指導部だったー51年綱領を実践していた

徳田・野坂分派などという語は、昭和25年からの50年問題当時には存在しません。

昭和25年1月に出された、共産党・労働者党情報局(コミンフォルム)からの突然の野坂批判により日本共産党は大混乱して分裂しました。

昭和26年8月に、ソ連が徳田球一さん、野坂参三さんら「所感派」が正当であるという裁定を出した事により、分裂状態は解消されていきました。

昭和26年10月の第五回全国協議会で、新綱領が採択されます。いわゆる、51年綱領です。

暴力革命論だった51年綱領を当時の中央幹部は皆、認めたのですから、51年綱領は日本共産党の綱領そのものでした。

51年綱領とこの時期の混乱について、第七回大会の政治報告は次のように述べています。

政治報告をしたのは野坂参三さんです(「日本共産党の50年問題について」に所収。同書p26より抜粋)。


・1951年10月に開かれた第五回全国協議会も、党の分裂状態を実質的に解決していない状態のなかでひらかれたもので不正常なものであることをまぬがれなかったが、ともかくも一本化された会議だった。

・五全協で「日本共産党の当面の要求ー新綱領」が採択された。これは、日本がアメリカ帝国主義の直接支配のもとに従属していること、その支柱としての日本独占資本の売国的役割を明らかにした。そして、この状態からの解放のために、労働者階級を中心に、幅広い民族解放民主統一戦線の結成を訴え、この闘争の先頭に立って統一戦線の結成のために奮闘する事を、わが党の基本任務と規定した。

・この綱領には若干の重要な問題についてあやまりをふくんでいたが、しかし、多くの人びとに深い感銘を与え、かれらのたたかいを鼓舞し、激励した。

昭和33年7月に開催された第七回大会で、昭和26年10月の第五回全国協議会で新綱領が採択された事を認めていることに注目してください。

第七回大会の代議員の皆さんは、新綱領に依拠して全国の党員を指導した徳田球一書記長と北京機関、臨時中央指導部が党中央だったことを当然の前提としていたと考えられます。

昭和26年10月に日本共産党が「ともかくも一本化された」と第七回大会の代議員の方々が認めたのですから。

「日本共産党の七十年」は歴史を修正している

今の日本共産党は、野坂参三さんが行った第七回大会政治報告を事実上否定しています。51年綱領を党綱領と認めていないのですから。

第七回大会決定を破棄する、という決定は存在しないのですが、事実上破棄されています。

「日本共産党の七十年」によれば、昭和25年8月に徳田球一さん、同9月に野坂参三さんが北京に渡っています(同書p218より)。この頃、北京機関が形成されたと記されています。

「日本共産党の七十年」によれば、北京機関は分派の国外指導部であり、政治的にも、財政的にもソ連、中国両共産党の支配下にあり、党規約に反する分派の機関でした(p220より)。

党規約、というなら、第四回大会(昭和20年12月1~3日)で決定され、第六回大会(昭和22年12月21日~23日)で改正された規約のどの条項に反していたというのでしょうか。

第七回大会を担った幹部の方々は皆、第六回大会とその後の第五回全国協議会を正規の会議と認識し、そこで綱領が採択され、その時の指導部(臨時中央指導部)を党中央と認めていたのですから、臨時中央指導部、北京機関がこの時期の党中央だったのです。

今の日本共産党が採用している北京機関=徳田野坂分派説に従うなら、昭和25年から30年までの日本共産党は分派だけになってしまいます。

中央委員会が解体していたのなら、徳田球一さんこそ党書記長だと信じて新綱領とその方針に従っていた一般党員は皆、分派活動をやったことになります。

この時期の日本共産党員は全員分派だったというなら、日本共産党はこの時期、五年ほどに解体していたというべきです。

徳田球一さんは第六回大会でも、書記長に選出されています。参考のため、中央委員会政治局員、書記局員の名前を記しておきます(「日本共産党の七十年」p187より抜粋)。

政治局員は以下の九名です。

徳田球一・伊藤律・金天海・紺野与次郎・志賀義雄・野坂参三・長谷川浩・宮本顕治

書記局員は以下の五名です。

徳田球一・伊藤律・亀山幸三・野坂参三・長谷川浩

この人事から、徳田球一書記長が伊藤律を重用していた事が明らかで、徳田書記長の専横が既に始まっていたという説もあります。

野坂参三さんが第一書記になれたのは、ソ連共産党の承認があったから

野坂参三さんは第七回大会開始時に、第一書記でした。第一書記、という表現はソ連共産党流です。フルシチョフは第一書記でした。

「日本共産党の七十年」の年表によれば、野坂参三さんは第六回全国協議会第二回中央委員会総会(昭和30年8月17日。第六回全国協議会の約二十日後)で第一書記に選出されました。

この少し前の8月2日に、宮本顕治さんが常任幹部会の責任者になっています。

昭和29年夏に北京機関の代表(野坂参三・紺野与次郎・河田賢治・宮本太郎・西沢隆二各氏)と、袴田里見さんがモスクワで、第六回全国協議会の原案を作成したと七十年史の年表に出ています。

「日本共産党の七十年 上」(p242)によれば、昭和28年末に徳田球一さん死後の体制や方針の相談のために、紺野与次郎さん、河田賢治さん、宮本太郎さんが中国に行き、北京機関の指導部に加わりました。

昭和29年3月に野坂さんら北京機関のメンバーは、討議して新しい方針案を作成し、代表(野坂参三・紺野与次郎・河田賢治・宮本太郎・西沢隆二各氏)がそれを持ってモスクワに行きました。

モスクワにいた袴田里見さんがこれに加わりました。新しい方針案に対し、ソ連側のスースロフ、ポノマリョフと中国の王稼祥が別の案を示しました。

それを野坂さんらが討議して、第六回全国協議会の決議原案ができたそうです。これは昭和29年8月頃です。

推測ですが、モスクワで行われた北京機関のメンバーと袴田里見さんの話し合いで、第六回全国協議会での基本的な幹部人事が決定されたと考えられます。

野坂参三さんが第一書記、宮本顕治さんが常任幹部会の責任者という事です。これをソ連共産党と中国共産党が承認し、野坂さんは第七回大会で中央委員会議長に就任したと考えられます。

日本共産党中央委員会党建設局は、最も適切と判断された方を指導部に選んできたと宣伝

昨年8月23日に発表された論考によれば、日本共産党は日本社会の根本的変革を目指す革命政党ですから、党首公選制は不適切です。

日本社会の根本的変革を実現するためには、前途を切り開く政治的・理論的な力を持った指導部が必要です。

現在の中央委員会と指導部は、この考え方に基づき、日本共産党大会によって民主的に選出されました。日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か 一部の批判にこたえる|党紹介│日本共産党中央委員会 (jcp.or.jp) 

日本共産党はこの幹部政策に基づいて、最も適切と判断された中央委員会及び党指導部を民主的に選んできたそうです。

個々の幹部の在任期間は、その結果にすぎないそうです。

この論文を書いた日本共産党中央委員会党建設局の皆さんは、分派の長だったとみなされている野坂参三さんが昭和33年7月の第七回大会から、昭和57年7月の第十六回大会まで中央委員会議長だったことをどうお考えなのでしょうか。

それだけの期間、以前は分派の長だった方を中央委員会議長に選出する事が最も適切だったと判断しているのでしょうか。

50年問題の時期の日本共産党員は全員分派だった、と日本共産党中央委員会党建設局の皆さんは考えているのでしょうか。

後の人間に都合が良いように歴史を修正すると、今の価値観、世界観と適合しない行動をとっている昔の人たちは奇人の集合体だったという変な歴史認識が形成されてしまいますよ。