2016年10月16日日曜日

H. G. ウェルズ「影のなかのロシア」(みすず書房昭和53年刊行。Russia in the Shadows by H. G. Wells, 1920)より再び思う

「私は、広く支持された教育的なキャンペインによって、現存の資本主義組織をコレクティヴィズム的な世界組織へと教化していくことができる、と信じている。これに反してレーニンは、不可避的な階級闘争、再建への序曲としての資本主義秩序の崩壊、プロレタリアート独裁等々といったマルクス主義のドグマを何年来信奉しているのである。

だから彼の主張は、近代の資本主義が癒し難いほど略奪的、浪費的で、教えることなどできないものであり、打倒されるまで人類の遺産を愚かしく無目的に搾取しつづけるであろう、...それは本質的に奪い合いなのだから不可避的に戦争をひきおこすであろう、ということであった。」(同書p103-104より抜粋)。


英国のSF作家ウェルズは1920年十月にソ連を訪れ、モスクワでレーニンと会いました。ウェルズはそのときの経緯と中身を、同書で明らかにしました。

上記はレーニンとウェルズの討論内容の一部です。

ウェルズは、自らを漸進的なコレクティヴィストと位置づけ、マルクス主義者であるレーニンと大きく異なっていると述べています。

戦争はなぜ起きるか―ウェルズ「資本主義的社会組織から起きるのではない」


ウェルズによれば、戦争は国家主義的帝国主義から起きるのであり、資本主義的社会組織から起きるのではありません(同書p104-105)。

これに対しレーニンは資本主義はつねに奪い合うものであり、コレクティビズム的な活動の正反対であるから社会的、世界的な統一に発展することはできないと述べました。

ウェルズの主張は、ドイツ社会民主党の理論家カウツキーの「超帝国主義論」ないしは後の構造改革論者に近い。

「構造改革論」とは、昔の社会党の江田三郎氏や神奈川県知事になった長洲一二氏らが唱えたマルクス主義の理論です。

私見では現在の日本共産党の帝国主義論も、ウェルズの主張に接近しています。現在の日本共産党の革命理論も、「構造改革論」と似ています。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は、「構造改革論」を御存知でしょうか。若き不破哲三氏、上田耕一郎氏は「構造改革論」を「修正主義」と徹底批判しました。

両氏の「マルクス主義と現代イデオロギ―」(大月書店刊行)を読んで頂きたいものです。

戦争はなぜ生じるか―開戦時と非開戦時それぞれで得られる「利益」の大小


私見では戦争、組織的暴力は開戦した場合に得られる「利益」と、開戦しなかった場合に得られる「利益」を国家や社会組織の支配者が比較し、前者が後者より大きいと見なせば生じます。

「利益」の大きさは、開戦時に勝利できる確率に依存する。「利益」は勝利時に得られる物的、人的資源や「名誉」に依存する。

社会の中で資本主義企業の占める位置は戦争の勃発とはほとんど関係はありません。

レーニンとボリシェヴィキは「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と主張し内戦を起こしましたが、彼らは「独占資本」とは直接関係がない。

レーニンがドイツ政府から資金援助を受けていたという疑惑はありますが。

独占資本、大企業が存在しない時期にも、欧州諸国は植民地争奪戦を繰り返しました。

中国史は、北方遊牧民族との抗争の歴史でもあります。匈奴や突厥、鮮卑、モンゴルや満州族には独占企業は存在しませんでした。その頃の漢族にも、独占企業は存在しない。

北朝鮮が韓国に侵攻したのは、スターリンと毛沢東の承認を受け、金日成は勝利できると予想したからです。

ウェルズの戦争論のほうが、レーニンの「戦争の根源は独占資本主義だ」論より歴史の現実にふさわしい見方でした。

しかしウェルズも、その後のソ連が勢力圏を広めるべく、東欧や朝鮮半島に侵攻することは予想できなかったでしょう。

ウェルズは西側が「トラスト」(企業合同)を結成してボリシェヴィキと交易すべきと主張した


ウェルズは、前に本ブログで紹介したようにロシア革命後のペテルブルグとモスクワの現実をよく見ていました。

ウェルズによれば、ボリシェヴィキはロシアで私有財産と私的な商取引を便宜的でなく正義の問題として抑圧しました。

ロシア全土には、西欧の商業生活の慣習・慣例を尊重するような商人、商業団体は残っていません(同書p111-112)。

実際には、闇屋がかなり残っていたはずですが。闇屋が農民から穀物を買い上げ、都市に運んでいたからこそ、生き延びることができた都市住民は少なくなかった。

ボリシェヴィキは私企業家たちを海賊のようにみなしていたそうです。

この時期のレーニンとボリシェヴィキは私企業家を敵視していました。商業活動を禁止する「戦時共産主義」策は、市場取引を抑圧し住民生活を悪化させました。

ウェルズによれば、ロシアの共産主義者は買い物や市場での売買を禁止したとき、店やマーケットをどう扱うかを実際に考えていませんでした(同書p36)。

ボリシェヴィキは資本主義を打倒しさえすれば、貨幣の使用と商売を中止すれば、そして社会的差別を一切廃止すれば、それだけで一種の至福千年王国がやってくると信じている狂信家たちです(同書p68)。

これでは、社会が荒廃し経済がどん底に落ちていくのは当然です。狂信家に国家の運営、特に軍と警察を任せたらとんでもない凶行をやりかねない。

ウェルズは絶望的な経済破壊に直面しているロシアを救うために、西側諸国がトラスト(企業連合)を形成してボリシェヴィキと交易することを主張しています。

それでもウェルズは、ボリシェヴィキのロシアが新しい何かを作り出すと期待していたのです。


ウェルズの期待は裏切られ、社会主義は商人の集合体になった―共産党員が権限を使って金もうけをする現代中国


その期待は、富農の一掃とロシア正教会の徹底弾圧を指令し断行したレーニンにより裏切られました。

レーニンは「新経済政策」により戦時共産主義の失敗を認めました。

農民が生産した穀物を一定割合の現物税を支払った後、自由に処分して良いなら簡単に「富農」になれます。闇市が公然化し小商業ができるなら、金儲けをする人はいくらでも出ます。

皆が富農になって金もうけをしてよいなら、社会主義とは商人の集合体でしかない。

金もうけを正当化したら、共産党員と言えども金が一番大事という流れになります。

スターリンは新経済政策により金もうけをした「ネップマン」を敵視し、再び富農を一掃しました。富農一掃は、レーニン主義です。

権力から生じる権限の配分により金もうけをする共産党員は「商人」です。新経済政策の帰結は共産党員の商人化です。

不破哲三氏らの主張する「社会主義を目指すレーニンの探求」が新経済政策であるなら、中国共産党と朝鮮労働党がそれを立派に継承しています。

金正日は39号室という外貨稼ぎ(金山や石炭、鉄鋼石生産部門も含まれる)、外貨管理部門を持っていました。「経済の管制高地」を金正日が掌握していたのです。まさに新経済政策です。















2016年10月9日日曜日

畑田重夫・川越敬三著「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本出版社刊行)より思う

「朝鮮の統一という課題を追及する努力とたたかいが民主主義のためのたたかいとして承認されるのなら、戦争は政治の継続ですから、民主主義のための戦争(内戦)もまた承認されなければなりません。



その意味で、わたしたちも、だれが、どちらが朝鮮戦争を始めたかということよりも、「韓国」およびアメリカの支配階級の客観的情勢の分析に主力をそそいできたのでした」(同書p107より抜粋)。


畑田・川越両氏は、朝鮮戦争を始めたのが北朝鮮、朝鮮労働党であったとしてもそれを民主主義のためのたたかいとして正当化しています。

この本の奥付によれば畑田重夫氏は1923年(大正12年)生まれで国際政治学者です。川越敬三氏は1920年(大正9年)生まれでジャーナリストです。

御二人とも、日本朝鮮研究所所員と出ています。残念ながらこの本は現在は絶版になっているようです。

昭和43年当時の日本共産党員は、この本を現代朝鮮研究の最高の到達点として受けとめていたことでしょう。

「団塊の世代」くらいの日本共産党員が、民主青年同盟員としてこの本を一生懸命学習したはずです。

畑田重夫氏は現在でも、日本平和委員会や原水協、労働者教育協会などで活動されています。

民主主義とやらのために、朝鮮人民軍がソウル市民を殺戮することが正当化されるのなら、日本人や韓国人の拉致、大韓航空機爆破なども正当化されるのでしょう。

民主主義のために韓国人は死ね!という主張と上記に違いがあるでしょうか。この本は、韓国をアメリカの完全植民地と規定しています(同書p99, p180)。

南朝鮮人民にとっては、「日韓条約」を破棄し、アメリカ帝国主義に従属する日本独占資本と日本帝国主義の南朝鮮侵略のたくらみとたたかうことが、南朝鮮を解放する革命の大きな課題となっていると両氏は主張しています(p180)。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は畑田重夫氏のこの本を御存知ないかもしれません。この本は、当時の日本共産党の朝鮮問題に関する政策と十分整合的でした。

若い共産党員は、一昔前の日本共産党の文献を図書館などで探して読み、日本共産党と「平和運動」「民主運動」の歴史を自分の頭で考え、整理していくことができにくい。

共産主義者として朝鮮問題を語ろうとするなら、この本は必読です。

畑田氏と川越氏は、朝鮮戦争の歴史的意義として次を指摘しています(同書p118-119)。

畑田重夫・川越敬三両氏が語る朝鮮戦争の歴史的意義


第一に、朝鮮人民とその武装力である人民軍は、その英雄的闘争によって、祖国、朝鮮民主主義人民共和国を外国帝国主義の侵略から守りました。

祖国の自由と独立、社会主義制度を守り通し、第三次世界大戦を防止するという偉業に大きな貢献をしました。

第二に、朝鮮人民と人民軍は、その英雄的たたかいをとおして、祖国を守ったのみならず、社会主義陣営の当方の哨所を確固と守り抜きました。

第三に、朝鮮人民のたたかいは、中国人民の闘争とあいまって、東邦被抑圧民族の反帝民族解放運動の旗じるしとなり、その後の全世界的な民族解放闘争を限りなく激励しました。

第四に、朝鮮戦争は、全世界の組織的な平和運動の発展の一大契機となりました。

第五に、朝鮮戦争はアメリカ帝国主義は万能であるという「伝統」と「神話」をうちくだきました。

朝鮮人民をふくむ全世界の人民は、社会主義と平和と民主主義の諸勢力がかたく団結してたたかいさえすれば、帝国主義と反動と侵略の諸勢力に勝利できることを教訓として引き出せます(同書p119)。

「団塊の世代」、あるいは聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員)ら年長の日本共産党員は、北朝鮮こそ社会主義陣営の東方の哨所だと固く信じていたのです。

最も、宮本顕治氏、不破哲三氏ら当時の日本共産党中央の最高幹部は、この時期にはすでに北朝鮮の危険性に気づいていました(不破哲三「時代の証言」中央公論新社p80-84参照)。

宮本顕治氏、不破哲三氏は北朝鮮が「民族解放」と称してテロ部隊をソウルに送っていることも気づいていたのですが、それを下部党員や「赤旗」読者には一切知らせませんでした。

金日成はスターリン、毛沢東の承認をもらって準備を整え、朝鮮戦争を始めました。中国の参戦は、大韓民国への侵略です。

畑田重夫氏は今でも、「抗米援朝保衛祖国」を掲げた中国人民軍の朝鮮戦争参戦を支持しているのでしょうか。

それなら、畑田氏は今でも北朝鮮により大韓民国は滅亡させられてしかるべきだ、と考えていることになります。畑田氏と川越氏は、次のように北朝鮮への帰国事業を礼賛しています。

「日本海を平和の海に」「帰国船を日朝間の平和の懸け橋に」といったスローガンではじまった帰国事業は、日朝友好運動史上の画期的なできごとでした(同書p191)


畑田氏・川越氏によれば、内外の反動勢力は何回も帰国事業の破壊をこころみましたが、その都度、日朝両国人民の連帯の力でこれをはねかえしてきたそうです。

これによって帰国事業は1967年末までの八年間つねに順調にすすめられ、合計八万八千余人が無事祖国へ帰って新しい生活に入りました(同書p191)。

しかし帰国事業は、重大な危機にさらされているそうです。

佐藤内閣と自民党は「日韓条約」発効以後、帰国事業をうちきる策動をあらためて開始し、帰国協定の延長を一方的に拒否したそうです(同書p191)。

畑田氏、川越氏によれば朝鮮学校で行われている民主的民族教育は、祖国を愛し、平和を望むりぱな共和国公民を育てることを目的としています(同書p193)。

昭和43年時点で北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人とその家族(約6000人の日本国籍者を概ね含んでいる)は約88000人だったのでしょう。

畑田氏や日本共産党の努力と北朝鮮礼賛宣伝が実り、さらに約5000人が北朝鮮に帰国できました、というより帰国してしまいました、と書くべきでしょう。

以前にブログに書きましたが、昭和43年頃には相当数の元在日朝鮮人が行方不明になっていました。山間へき地への追放(山へ行った)、あるいは政治犯収容所送りでしょうか。

少数ですが、何かの「罪」で処刑されてしまった元在日朝鮮人もいたようです。

昭和43年頃には「唯一思想体系の確立」と称して金日成の神格化が始まっていました。

朝鮮労働党は住民の追放や政治犯収容所への連行を「学習に行った」ことにしますから、裁判などありません。

「三年すれば里帰りさせてやる」と在日本朝鮮人総連合会関係者に日本人妻は言われていましたが、この時点では誰も帰国できていません。

テロ国家北朝鮮を礼賛し、在日朝鮮人に北朝鮮への帰国を奨励した畑田重夫氏


今日の畑田重夫氏は、かつてテロ国家北朝鮮を礼賛し、在日朝鮮人に北朝鮮への帰国を奨励した史実をどう考えているのでしょうか。

テロ国家北朝鮮で、「民族反逆者」などとレッテルを貼られ政治犯収容所に連行されてしまった元在日朝鮮人もいます。

佐藤内閣と自民党は在日朝鮮人が北朝鮮に帰国することを妨げたそうですが、「奴隷船」の運行を妨げることこそ民主主義です。

北朝鮮へ帰国した元在日朝鮮人の多くは、北朝鮮社会では「動揺階層」に区分され、進学、就職、居住、配給など生きていくすべての面で差別されました。

帰国した元在日朝鮮人たちも、北朝鮮の人々と価値観が大きく異なっていましたから住みにくいことこの上ない。元在日朝鮮人は北朝鮮の人々を「原住民」「アパッチ」などと呼んでいます。

金正日の愛人となった高英姫(金正恩の母で、大阪市生野区出身)は、例外中の例外です。

高英姫は「地上の楽園」ともいうべき消費生活を満喫できましたが、金正日の正妻にはなれませんでした。金日成は金正日に元在日朝鮮人との結婚を許さなかったらしい。

金日成と金正恩が一緒にいる写真が出てこないのは奇妙です。金正日は高英姫との子供を、金日成に紹介できなかったのでしょう。

元在日朝鮮人に対する差別感情は北朝鮮社会で根強い。韓国でも同様かもしれません。

畑田氏、川越氏によれば「日韓条約」そのものがアメリカ帝国主義のアジア侵略体制の一環です。

畑田重夫氏はテロ国家北朝鮮による蛮行の歴史、御自分が韓国を罵倒した史実をありのままに見るべきだ


日本人民が「安保」条約破棄のたたかいを一つ一つ具体的にすすめているのと同じ意味で、日朝両国人民は「日韓条約」の具体化の一つ一つと着実にたたかわねばなりません(同書p181)。

畑田氏、川越氏は南朝鮮革命、すなわち大韓民国滅亡こそ朝鮮人民の解放であると考えていたのです。

畑田重夫氏は、今でも「日韓条約」破棄、すなわち韓国と国交を断絶すべきと考えているのでしょうか。本気でそういうなら、極右翼も顔負けです。

畑田重夫氏は、「現代人の学習法 社会科学を学ぶ人のために」(学習の友社昭和61年刊行)も著しています。

この本で畑田氏は次のように述べています(同書p212)。

一つの活動が終わったら、その活動の行われてきた過程を一つの流れとしてつかみ、同時にそこにあらわれているすべての問題について検討してみなければなりません。

その場合、何よりも恐れることなく、事実をありのままに見ることが必要です。

畑田重夫氏は、テロ国家北朝鮮による蛮行の史実、御自身が北朝鮮を礼賛し、韓国を罵倒した史実をありのままに見つめるべきでしょう。

御自分の書いた本の内容には、御自分の行動で責任を持っていただきたいと思うのは私だけでしょうか。























H. G. ウェルズ「影のなかのロシア」(みすず書房、昭和53年刊行。H.G. Wells, Russia in the Shadows, 1920の翻訳)より思う。

「共産党は大地主の土地没収を許したり、対独講和を結んだりしたことによって農民の消極的な支持をたちまちに確保した。また、多くの銃殺刑を施行することによって大都市の秩序を回復した。しばらくの間は、許可なく武器を所持していたものはすべて銃殺されたのである。


この処置は拙劣で血なまぐさくはあったが、効果はあった。共産党政府はその権力を確保するために、事実上、無限の権力を持つ臨時委員会を組織した。そしてすべての反対勢力を赤色テロによって粉砕したのである。」(同書p44より抜粋)。


1917年のロシア革命とは一体何だったのでしょうか。

聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員)によれば、1917年11月7日にロシア社会主義革命が成功し、その四日後に全ロシアで8時間労働制が実施されました。

同じ日に革命政府は社会保障制度を導入することを宣言し、確立したそうです。

1918年には教育の無料制、そして医療の無料制を実施したそうです(「社会主義をどう見るか」新日本出版社昭和61年刊行、p48-50より)。

聴濤弘氏が描いたロシア革命後のソ連社会では搾取制度の廃止により労働者が解放されていますから、短時間の労働で十分に暮らしていけそうです。

教育と医療が無料なのですから、労働者は賃金を全額使ってしまっても老後の心配、家族の医療費の心配をする必要がなさそうです。

夢のような社会が、約100年前のロシアで実現されていたことになります。ソ連崩壊の4,5年前まで、日本共産党はソ連をこのように宣伝していたのです。

ロシアでは暴力による住民支配が横行する―ロシア革命後には飢饉も


現実のロシア社会は聴濤弘氏が宣伝してきたような「労働者の祖国」だったのでしょうか。

今の私たちは、ソ連が崩壊しロシアがマフィア資本主義になったことを知っています。

ロシア社会の重要な特徴の一つは、マフィアの暴力による住民支配です。

どんな社会でも、何かの理由で政府が弱体化し、警察が国民の安全を守れなくなるとマフィアや暴力団のような連中が武装力を背景にしてのさばります。

帝政ロシアやソ連邦崩壊後のロシアでは、暴力が横行しました。聴濤弘氏によればコーカサス・マフィア、チュチェン・マフィア、ロシア・マフィアなどいろいろな組織があります。

専門的な職業としてのマフィアだけでなく、マフィアとつながった国家管理のマフィアがいます(「新ロシア紀行 見たこと、聞いたこと、読んだこと」新日本出版社2004年刊行、第二章より)。

マフィア資本主義化またはその危険は、ロシア革命直後のロシアにも蔓延していました。不破哲三氏、聴濤弘氏にはそれがわからないようです。

日本共産党員はいまだに、レーニンが生きていた時期のソ連では「市場経済を通じて社会主義を建設する新たな道が探求されていた」等と信じています。

レーニンが生きていたロシア革命直後のロシアでは、ソ連崩壊後のロシアと同様に暴力が蔓延していました。

ソ連崩壊後には、飢饉というほどの事態は起きなかったようですが、ロシア革命直後のロシアでは飢饉が生じました。

これは、「タイムマシン」「モロー博士の島」「宇宙戦争」などで有名な英国のSF作家H. G. ウェルズ(1866-1946)の「影のなかのロシア」(Russia in the Shadows, 1920)などからも明らかです。

ウェルズが見た1920年9月末のペテルブルグ―巨大な、修復不可能なまでの破壊―


英国のSF小説家ウェルズは1914年1月に、二週間ほどペテルブルグとモスクワを訪れました。次には1920年9月末から十五日間、主にペテルブルグに滞在しました。

ウェルズはペテルブルグの第一印象として上記のように記しています(前掲著p3)。

以下、ウェルズの前掲著より抜き書きします。1920年9月末から10月のペテルブルグの住民生活の実情が、おぼろげながら見えてくるでしょう。

ウェルズによれば、巨大な解体のさなかにあって約十五万の党員を持つ訓練された一つの政党、共産党によって支持された臨時政府が支配権を掌握していました(p3)。

臨時政府は数多くの銃殺により盗賊行為を鎮圧し、荒廃した諸都市に一応の秩序と安全をもたらし、粗雑ながら一つの配給制度を確立しました(p3-4)。

配給制度のためには、農民の生産物を徴発するしかありません。必需品の統制を維持するため、商店が閉鎖されていきました(p5-6)。

路面電車が走っていますが、ラッシュアワーには満員になります。人々は乗れないと外側にぶらさがります。事故は珍しくありません(p6-7)。

路面電車の走っている道路は酷い状態で、3,4年間全く補修されていません。いたるところ穴ぼこだらけです。木造家屋は昨年の冬に全て焼き尽くされました(p7)。

ペテルブルグの人口は(1919年以前の)120万から、70万を少し越えたぐらいまで減少しました。

闇で食糧を高値で売る人は、「不当利得を得た」とかいう理由で直ちに銃殺されました(p9)。普通の取引でも厳しく処罰されました。

取引は全て「投機」と呼ばれて違法だが、食糧取引は黙認されていた


取引は全て「投機」と呼ばれて違法とされています。しかしぺテルブルグでは、道路の片隅で行われている食糧取引は大目に見られています。モスクワでは公然と行われています(p10)。

食糧取引を黙認しなければ、農民に食糧を提供させることができません。

駅という駅はみな青空市場で、列車の止まる場所には牛乳やりんご、パン、その他いろいろなものを売りつけようとするおおぜいの農民が群がっています(p10)。

農民の暮らし向きは良くなっているようです。しかし赤軍が統制価格で農民から食糧を徴発する際、抵抗する場合があります。

十分な兵力を持たない赤軍が攻撃され、殺戮されることもあります(p10-11)。農民より上のすべての階層は、官僚も含めて極度の窮乏状態にあります。

各種の商品を生産した金融・産業組織が倒壊してしまったからです(p11)。新しい日用品は全くもい当たらない。お茶と煙草、マッチはうまく供給されています。

医薬品は払底し、医療は受けられません。風邪、頭痛に対する処置はありません。軽い症状の病気もたちまち重くなってしまいます。出会う人々は殆ど皆、元気がありません(p12)。

あらゆる種類の物資が不足しているので、病人が来ても治療できません。病人を力づけるような食事を出すことはできません。患者の家族が食事を持ち込むしかない(p12)。

最低水準の配給食糧はボールいっぱいの水っぽいオートミールと、ほぼ同量のリンゴの砂糖煮です。人々は配給カードを持ってパンをもらうために行列を作っていました(p14)。

去年の冬、多くの人々は零度以下の室内で生活しなければなりませんでした。水道管が凍結し、衛生施設が役に立たなくなりました(p15)。

1920年の秋がこういう状況なら、冬を越えられなかったペテルブルグ市民は相当いたはずです。21年には飢饉が生じます。

ロシアの各地で農民反乱が相次いだ―農民により館が焼かれた


ウェルズは、ロシア革命後のロシアで農民反乱が相次いだことを指摘しています。戦争に負けたロシア軍の兵士は、武器を手にしたままばらばらになってロシアに戻ってきました。

おびただしい数の農民兵士が、希望も、糧食も、規律もなく故郷に戻ってきたのです(p20)。

ロシア各地で農民反乱が相次ぎました。館が焼かれ、凶行が起きました(p20)。

誰も止めるものがいないので、ペテルブルグやモスクワでは白昼公然と路上で脅迫され、シャツまで剝ぎ取られました。時には死体が水に一日中放置され、その傍らを人々が通り過ぎました。

武装した男たちはしばしば赤軍と称して家に押し入り、略奪し人を殺しました。

1918年はじめの数か月間、ボルシェヴィキ新政権は反革命に対するだけでなく、あらゆる種類の泥棒や盗賊に対しても激しい闘争をしました(p21)。

1918年の夏になってようやく、数多くの強盗や人殺しが銃殺された後で、ロシアの大都市に治安が回復し始めました。

それでもウェルズは、共産党、ボリシェヴィキに対しては好意的に評価しています。

ロシアがすべて、農民たちのように無感動であるか、錯乱状態でしゃべりまくるか、あるいは暴力ないし恐怖に駆り立てられているとき、共産主義者だけが確信を抱き、行動への準備ができていました(p43)。

共産党は多くの銃殺刑を施行することによって大都市の秩序を回復したのです(p44)。赤色テロを行った人々は社会的な憎悪と反革命の恐怖で気が立っていました(p44)。

赤色テロを行った人々は狂信的でしたが、正直でした(p44)。

ウェルズは、マルクス主義についても鋭い批判をしています。レーニンとモスクワで会見しています。これらについては、別の機会に紹介します。

聴濤弘氏のソ連宣伝と、在日本朝鮮人総連合会の北朝鮮宣伝-公式文献の盲信


ロシア革命後のロシアのどこに、8時間労働制や無料医療が存在したのでしょうか。飢饉に直面した労働者は、無料医療制度をなぜ利用しなかったのでしょうか。

搾取制度が廃止されると、たくさんの労働者が餓死するなら、資本家に搾取されていたほうがどれだけ良いかわからない。

資本家、企業経営者は投資や企業運営を行い、社会に貢献しています。富農も農産物を生産していました。地主が何の労働をしていなかったとしても、殺害されねばならない存在ではない。

聴濤弘氏にお尋ねしたいものです。吉良よし子議員、池内さおり議員はロシア革命後のロシアについて、何か御存知なのでしょうか。

聴濤弘氏のソ連宣伝と、在日本朝鮮人総連合会の北朝鮮宣伝は同じような水準です。社会の現実を、地域住民や旅行者から聞き取って調査し把握するという姿勢がない。

自分が現地に滞在し、公式宣伝と異なる現実を見ても、それがなぜ生じるのかを解明していく気概がない。

公式文献への疑問を表明すると、「反革命」「反党分子」「民族反逆者」というレッテルを貼られてしまうのが怖いのでしょう。共産主義者は保身を重視します。

聴濤弘氏は、公式文献への疑問を少しは抱いていたようですが、ソ連崩壊までそれを公にできませんでした。

1917年のロシア革命後、レーニンが生きていた時期(1924年死亡)のロシアは、経済と社会の崩壊、暴力が横行していました。

秩序の確保のために銃殺が簡単になされていたのです。大規模な飢饉の一要因は、ボリシェヴィキが農民から穀物を強制的に徴発したことです。






2016年10月2日日曜日

畑田重夫「共産主義のはなし」(日本青年出版社昭和43年刊行。「民主青年新聞」昭和43年1月24日号から26回連載に加筆、再編成したもの)より思う

「資本主義社会における『言論』『出版』『結社』『集会』などの自由は、働く人びとにとっては法律のうえの形式上のものにすぎませんが、社会主義社会においては、勤労人民にとってそれらがすべて実質的に保障されます。ただし、資本主義復活をめざす言論や行動の自由だけはどんな場合でも除外されます」(同書p51より抜粋)。


共産主義国では、資本主義復活を目指す言論、行動の自由は全くないということですね。

共産主義国が本質的に全体主義体制であることを、畑田重夫氏は正直に告白しています。

共産主義国では資本主義復活を望む人々や言論の自由を求める人々は「人民の敵」「反革命」「走資派」「宗派分子」などとレッテルを貼られ、徹底的に弾圧されてきました。

勿論、共産党、労働党の最高指導者が、私企業の自由な活動を認めた場合には資本主義が復活していきます。

鄧小平の「改革・開放」政策により中国は資本主義になりました。

旧ソ連、東欧は共産党政権が瓦解し、雪崩のごとく資本主義が復活していきました。

北朝鮮でも金正日が私企業の自由な活動を様々な分野で是認ないしは黙認し、市場経済化が進みました。金正日は、39号室という外貨稼ぎの専門部署をつくりました。

北朝鮮は覚せい剤や石炭、鉄鉱石を中国や日本の暴力団等に安値で売って外貨を稼いできました。北朝鮮の外貨稼ぎ部門は外国の保険会社から保険金詐欺を何度もやってきました。

外貨稼ぎ部門は利潤最大化を目標としているのですから、資本主義企業と本質的に変わりません。株式会社という形式になっていないだけです。

「共産主義のはなし」には、ソ連、東欧、中国がいずれは資本主義になるだろう、などという予測は皆無です。

ロシア革命によりぽっかりあいた資本主義世界の大穴はもうふさぐことはできない。癌のようにあちこちに転移しながらだんだんと広がっていくと畑田氏は断言しています。

癌ならば手術や薬で治療する方法がいつかは見つかるかもしれませんが、どんな名医も資本主義の没落をくいとめることはできないそうです(同書p115-116)。

社会主義社会を実現するための運動は、どんなに苦難にみちたものでも、最後にはかならず成功するという法則にそっているそうです(同書p116)。

昔の民主青年同盟員、日本共産党員は畑田重夫氏の「共産主義理論」を熱心に学んだ


畑田重夫氏は、三十数年前に東京都知事選挙に出馬されました。

日本共産党の推薦だったか、「革新都政をめざす会」というような団体の推薦だったか、記憶がはっきりしません。

新宿駅頭などで、何としても勝とう、勝たねばならないという演説をされていました。

早稲田大学の民主青年同盟が、日米安全保障条約についての勉強会で畑田氏を講師に招いたことがあったと記憶しています。昭和56,57年くらいだったでしょうか。

この本の奥付によれば、畑田氏は1923年(大正12年)京都府綾部市生まれで1948年(昭和23年)に東大法学部政治学科卒業されました。

労働者教育協会常任理事、中央労働学院常務理事という職務についていました。

畑田氏は日本共産党の流れにある平和運動、労働運動の理論家、運動家として活躍されてきた方です。

この本は民主青年同盟の機関紙に連載された「だれにでもわかる共産主義のはなし」をもとにして加筆、再編成してできたと「あとがき」にあります。

昭和43年(1968年)連載ですから、当時の読者は今70歳くらいになっているはずです。

この四年くらい後に起きた「新日和見事件」に連座した方々も、この連載を熱心に読んでいたことでしょう。「新日和見事件」については、油井喜夫「汚名」(毎日新聞社刊行)が詳しい。

「民主青年新聞」連載時に読者だった方々が、この本を今読んだらどんな感想を持つのでしょうか。

社会主義とは空想だったな、と思う方が少なくないのではないでしょうか。

中国や北朝鮮では,人間による人間の搾取が廃止されていたと大真面目に今でも信じている元民主青年同盟員がいるのでしょうか。

毛沢東、金日成、金正日は労働者ですか。

畑田重夫氏御自身は、今でも御自分の主張が正しかったと思い込んでいるのでしょうか。

ところで、日本共産党の運動に熱心に参加していた方々でも、この本の次の記述には違和感があったのではないでしょうか。

ブルジョアたちは、夫をもっている婦人との姦通、つまり婦人の共有を平然とおこなっているのです。しかも、プロレタリアの妻や娘を自由にできるだけでは満足せず、自分たちの妻をたがいに誘惑しあうことを無上のたのしみとさえしています(同書p64)。


「ブルジョア」とは、男性だけから構成されているのでしょうか。女性の会社経営者は世の中に存在しないのでしょうか。姦通、不倫は男性だけの「誘惑」により成立するのでしょうか。

複数の男性と性関係を持っている女性経営者は存在しないのでしょうか。

畑田重夫氏によれば、プロレタリアには二号さんをかこうような金があるはずがない(同書p65)。労働者は姦通、不倫をしないと言いたいのでしょうけれど。

あまりにも非現実的です。畑田氏は、愛情関係では女性が専ら受け身の存在としか把握できなかったようです。

畑田氏の人間観察眼は一体どうなっていたのかと思わずにいられません。極めて表面的な人の見方しかできない方なのかもしれません。

畑田氏の浅薄な人間観を示す記述をもう一つ指摘しておきます。宗教観です。

いま世界には十三の社会主義国がありますが、強制力によって宗教を禁止している国はひとつもありません。...社会主義がその高い段階である共産主義の段階へ近づくにつれ、宗教と宗教を信仰する人は、じょじょに社会から姿を消してゆくにちがいありません。そして、文字通り共産主義の社会になれば、宗教は完全に消滅することでしょう(同書p53-54)。


旧ソ連、東欧では教会も共産党の支配下にありました。ロシア正教会はレーニンにより徹底弾圧されましたが、スターリンが利用価値を見出したので支配下にはいって存続できました。

中国ではチベット仏教に中国共産党が徹底介入してきました。チベット人やモンゴル人がダライ・ラマへの信仰を公に表明すれば、監獄かどこかへ連行されてしまうでしょう。

毛沢東の時期の中国で、基督教信仰と布教が許容されていたとは考えにくいのですが、どうだったでしょうか。

現在の中国では、「法輪功」という宗教集団が徹底弾圧されています。「抜け穴」が相当あるそうですが。

北朝鮮では「寺院」はありますが、労働党が外人の見世物用に運営しているだけです。

北朝鮮では基督教信仰は政治犯収容所行きにされるくらいの「重罰」です。基督教信者は金日成、金正日より偉大な存在がいた、と信じているのですから。

この本の執筆時期に、ソ連や中国、北朝鮮の宗教事情を正確に認識するのは難しかったでしょう。しかし、どんなに技術が進歩しても宗教が無くなるはずがない。

人はいずれ、最期のときを迎えるのです。そのときが近くなれば、何かにすがりたいと思うのではないでしょうか。

遠藤周作の「沈黙」「侍」を、共産主義者は「非科学的」の一言で片づけてしまうのでしょうか。

プロレタリア文学とは、共産党の最高指導者と人間抑圧社会礼賛文学なのでしょうね。














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2016年9月24日土曜日

不破哲三氏は中国覇権主義、「鉄砲政権党」に屈服した―志位和夫氏は中国、北朝鮮の人権抑圧と中国によるベトナム、韓国侵略(朝鮮戦争参戦)を批判できない

「6月4日未明、北京の天安門でおこった中国人民の平和的な民主的要求運動への、軍隊―武器・鉄砲による鎮圧事件とそれ以後の「人間狩り」は、世界中の心ある人々を驚かせ、この人権無視の事態への大きな怒りがひろがっています。」(宮本顕治氏の1989年7月10日談話冒頭より抜粋)

「中国の政権党は『鉄砲政権党』とよぶにふさわしいものです」(宮本顕治氏談話より抜粋)


平成元年の天安門事件から27年もの歳月が流れました。宮本顕治氏(当時は日本共産党議長)は、中国共産党を「鉄砲政権党」とよび、上記のように強く批判しました。

日本共産党の最高幹部の一人だった小林栄三氏は「中国の事態と社会主義のもつべき基本」という論文で、次のように述べました。

天安門での中国人民軍による蛮行を「内政問題」として抗議も論評もしないという態度は、人権問題の国際性を少しも理解していない。

外国からの非難や抗議を「内政干渉」だなどという中国共産党と政府指導部の態度には国際法など眼中になく、人権軽視を示している(「前衛」1989年8月号掲載)。

不破哲三氏も、中国でおこっていることの本質は、科学的社会主義・共産主義の原理の「放棄」であり、本質的に言って「共産党」の名を裏切るものと述べていました(「日本共産党国際問題重要論文集22、p89)。

かつての日本共産党は、鄧小平によるベトナム懲罰論と中国のベトナム侵略を強く批判した


鄧小平による「ベトナムを懲罰する」という発言(昭和54年)についても、当時の日本共産党は強く批判しました。

中国によるベトナム侵略の事実を報道した「赤旗」記者が人民解放軍に射殺されています(「三月七日、ランソンにて」新日本出版社昭和54年刊行)。

当時の日本共産党は、「赤旗」などで中国によるベトナム侵略を強く批判しました。

立木洋氏は、民主主義の長期にわたる蹂躙、基本的人権の軽視は社会を破壊する重大な誤りであると述べました(「日本共産党国際問題重要論文集22、p19)。

27年くらい前のことですから、40代後半以上の日本共産党員なら当時のことをよく覚えているはずです。

中国共産党は鉄砲政権党だ、というビラを駅前などで必死に配布した思い出がある方は少なくないはずです。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は、当時のことは何も御存知ないかもしれませんが。

不破哲三氏による路線転換―中国共産党(鉄砲政権党)と関係を正常化し「理論交流」


天安門事件からおよそ9年後に日本共産党は中国共産党との関係を正常化します。「鉄砲政権党」と関係を正常化し、不破哲三氏の主導で「理論交流」を始めました。

天安門事件の頃の不破哲三氏の言を借りれば、不破哲三氏は科学的社会主義の原理を放棄した組織と「理論交流」を始めたことになります。

このときに、天安門事件については中国と異なる見解を持っている旨、日本共産党は通告したようですが、それだけでハイ終わり、にしてしまいました。

中国共産党は天安門での大弾圧、その後の「人間狩り」をいまだに正当化しています。虐殺を正当化する連中が、中国の一般国民の基本的人権を保障するわけがない。

中国の一般国民と中国居住外人を監視する国家安全部


中国の一般国民が公の文献、公の場で中国共産党を批判すれば、国家安全部に何をされるかわからない。出鱈目な罪をでっちあげられ、「経済犯」として投獄されてしまいかねない。

国家安全部とは、旧ソ連のKGBや北朝鮮の国家安全保衛部に相当する秘密警察です。

メールやインターネットの掲示板も国家安全部は始終監視しています。

どういう手法で国家安全部が国民のメールを見るのか、私にはわかりませんが、中国在住の日本人に「天安門」という字の入ったメールを送ると国家安全部が察知する場合があるそうです。

それで直ちに中国在住の日本人が監獄行きになるわけではありませんが、以降日本からの郵便物が届きにくくなったりします。

どなたか、国家安全部から依頼されて中国在住日本人の言動を監視している方がいるのです。

チベット人やウイグル人、モンゴル人も、中国共産党、国家安全部により徹底的に監視され、抑圧されてきました。

少数民族が中国共産党と国家安全部の監視外で子供たちの教育や言論活動、宗教活動を自由にやりたいと思うのは当たり前です。

中国社会には言論と表現の自由がない。知識層はどれだけ苦しいでしょうか。

中国社会に蔓延している農民差別と「赤旗」の沈黙


戸籍が農村にある人が北京や上海など大都市に来て建設労働等に従事するとき、その方の子供は大都市の小学校や中学校に原則として入学できません。

都市の学校は、都市住民の子供たちが学ぶ場であり、農村戸籍の子供が学ぶ場ではないのです。

農村出身の方々は、子供たちの教育のために私費を出し合って私設の「学校」をつくっています。「民工学校」と呼ばれているそうです。

「民工」とは、農村から都市に出稼ぎに出てきている労働者のことです。建設現場やタクシーの運転手などに多い。

地域によって多少の差はあるそうですが、「民工」には健康保険や年金はない。建設現場で「民工」がケガをしても、労災が適用されない場合が多い。

経営者に労働法を守らせる労働基準監署のような官庁が中国にはありませんから。「民工」が経営者を訴えたくても、裁判費用がかかりますし勝訴できる可能性は高くない。

「赤旗」は中国共産党による少数民族抑圧、農民差別について、完全に沈黙しています。

中国共産党が国際法を守るわけがない。中国はベトナム侵略も一切反省していません。「赤旗」記者の射殺など反省も謝罪もしていません。

不破哲三氏は中国共産党と関係を正常化する際、中国人民解放軍に射殺された高野功記者のことを何とも思わなかったのでしょうか。

「赤旗」記者の生命と人権より、「野党外交」のほうが大事だという判断だったのでしょう。

不破哲三氏は、日本共産党の「野党外交」は98年の中国との関係正常化が転機となったと自慢気に著書で述懐しています(「不破哲三 時代の証言」p194、中央公論社刊)。

中国は韓国とベトナムを侵略した


朝鮮戦争への中国の参戦は、大韓民国への侵略です。朝鮮戦争は北朝鮮が韓国に侵攻して始まりました。

金日成、朝鮮労働党は開戦前に、スターリンと毛沢東から了解を得ていました。

中国が最初に核実験を行ったのは昭和39年、東京オリンピックの頃です。この少し前に、毛沢東が主導した「大躍進」により、数千万規模で餓死者が出ました。

大量餓死者を出しつつも、貴重な資源を核軍拡に配分するのが中国共産党と朝鮮労働党なのです。

中国共産党は数々の国際会議で長年、自らが核兵器を廃絶することを目指しているかのような虚言を吐いてきたのです。不破哲三氏はこれくらいのことは百も承知です。

結局、不破哲三氏は中国覇権主義、鉄砲政権党に屈服したのです。不破氏は「野党外交」が赤旗」記者の生命と人権より大事と判断したのです。

志位和夫氏は中国と北朝鮮による人権抑圧に沈黙せざるを得ない―歴史の隠蔽のために


最近、志位和夫氏は中国を批判し始めていますが、中国の人権問題、中国によるベトナムや韓国侵略を批判することはできないでしょう。

これらを志位氏が公の場で論じ始めたら、不破哲三氏への批判が下部党員からかなり出てきてしまいかねません。

「不破さんが熱心にやってきた中国との理論交流、野党外交は何だったのだ」

「不破さんは鉄砲政権党の『理論』から何を学んだのか」

といった疑問が下部党員から噴出してしまいます。「赤旗」記者が中国人民解放軍に射殺されたことについても、志位和夫氏は沈黙を貫かざるを得ないでしょう。

北朝鮮による人権抑圧、政治犯収容所の存在を志位和夫氏が中央委員会総会などで取り上げたらどうなるでしょうか。

そんなひどい国に、なぜ十万人近くの元在日朝鮮人が帰国したのか、という疑問が下部党員から出てきてしまいます。

そうなったら、宮本顕治氏がかつて北朝鮮を礼賛した史実が、吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員にも知られてしまいます。

昔の日本共産党は「鉄砲政権党」だった―吉良よし子議員、池内さおり議員は宮本顕治氏の論文「ソ連邦共産党第二十一回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について」(「前衛」1959年5月号掲載)を御存知なのか


ところで、宮本顕治氏も若い頃は、「議会を通じての革命」を全面的に否定する論文を書いていました。本ブログではこれを何度も紹介してきました。

昔の日本共産党は、国民に武装蜂起、武力闘争でソヴェト権力を樹立しようと訴えていました。

日本共産党も、「鉄砲政権党」だったのです。朝鮮戦争の時期に、実際に日本共産党は武装蜂起をしました。宮本顕治氏は武装蜂起を正当化する論文を「前衛」に発表しました。

レーニン、スターリン、毛沢東を崇拝してきた方々ですから。

「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」「自国政府が敗北するように行動せよ」はレーニン主義の中心命題です。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんには、一昔前の日本共産党の文献を少しは読んで頂きたいものですね。宮本顕治氏の上記論文をお勧めします。

追記


宮本顕治氏による「議会を通じての政権獲得、平和革命」全面否定論文は下記です。

「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」(「前衛」49号、1950年5月掲載。「日本共産党50年問題資料集1」、昭和32年新日本出版社刊行、p27-35にも掲載)



2016年9月23日金曜日

アンドレ・ジイド「ソヴェト旅行記」(Retour de L' U. R. S. S. 小松清訳。岩波文庫昭和12年、1937年刊行)を読みました。

「スターリンはいつも正しいということは、とりもなおさず、スターリンがすべての権力を握っているということと同じである。人々は「プロレタリアの独裁」を約束した。しかし、約束の感情はあまりにも桁違いでなかろうか。いかにも独裁はある。だが、それは唯一人の人間の独裁であって、結合したプロレタリア、即ちソヴェトのそれではない。...人々が願ったものは、あんなものではなかった。、もう一歩向こうに行くと、こんなことも言えるだろう。人々が願わなかったものは、正しくこれだったと」(同書p98より抜粋)


アンドレ・ジイド(1869-1951)は、「狭き門」等で有名なフランスの作家です。

ジイドはマキシム・ゴーリキーの病が重いという知らせを聞き、1936年(昭和11年)6月にモスクワを訪れました。

それまでジイドはソ連を熱烈に支持していたのですが、一か月ばかりのソ連滞在でその本質を見抜きました。

ソ連ではスターリンによる専制支配体制が確立していることを、ジイドは僅かな滞在期間で看破したのです。当時の仏共産党員はこの文をどう受けとめたのでしょうか。

この本が出版されてすぐ、欧州でかなりの反響をよんだと翻訳者が解説しています。

ジイドが見たスターリン専制下でのソ連国民の暮らし―順応主義(Conformisme)


ジイドはソ連国民の日常生活を緻密に観察し、今の私たちにも参考になることをいくつも見出しています。

第一に、モスクワの民衆は呑気で無精です。ソヴェトでは労働者を少しでも放っておくと、十人中八、九までもが怠け者になってしまいます。

そこでスタハノフ運動という生産性向上運動が必要だったのだろうとジイドは述べています。

第二に、ソヴェトでは全てのことに、一定の意見しか持てません。人々は非常によく訓練された精神の持ち主となっています。

画一主義、順応主義(仏語ではConformisme)がソヴェト社会に蔓延しています。

プラウダ(ソ連共産党の機関紙)は国民が知り、考え、信じるにふさわしいことを教えています。その教えの範囲から外に出ることは危険です。

第三に、ソヴェトの市民は、外国のことについて徹底的に無知です。ソヴェト市民は、外国ではすべてのものがあらゆる方面でソヴェトよりうまく行っていないと教え込まれています。

ソヴェト市民は自分たちが外国より優れていると思い込んでいます。

第四に、ソヴェトではほんの僅かな抗議や批判さえも最悪の懲罰をうけます。

抗議や批判はすぐに窒息させられます。

ソヴェトではヒットラー独逸より、人間の精神が不自由で、圧迫され、恐怖に脅えて従属させられています(同書p85-86)。

ジイドは、人々を政治犯収容所に連行する秘密警察の存在を知っていたのでしょうか。

ジイドは農業集団化のための富農一掃が、富農とレッテルを貼られた農民の大量虐殺であることを見抜いたのでしょうか。

大量餓死の存在まで、短い期間でジイドが知ったとは考えにくい。

関貴星「楽園の夢破れて」は金日成による専制支配を看破した


この本を読み、私は関貴星氏の「楽園の夢破れて」(亜紀書房より再刊)を思い出しました。

関貴星氏も、僅かな北朝鮮滞在で金日成による専制支配の存在を見抜き、告発しました。

ジイドによるソヴェト批判は、日本ではすぐに「中央公論」誌に翻訳されて掲載されました。宮本百合子はジイドに反発し、「こわれた鏡」などと論じています。

レーニン、スターリンとボリシェヴィキを盲信していた宮本百合子には、3年ほど居住してもソ連社会の真実を全く見抜けませんでした。

宮本百合子の「鏡」こそ、完全に破壊されていたのです。

宮本顕治氏はジイドのこの文章が発表された頃監獄にいましたから、その頃はこれを読めなかったでしょう。

しかし戦後、監獄から出てきた後には読む気があれば読めたはずです。

宮本百合子がジイド批判を書いていたことを宮本顕治氏は承知していたはずですから。

「人間抑圧社会」ソ連を礼賛した宮本夫妻の生き方より―「民主主義文学運動」とは、人間抑圧社会礼賛運動なのかー


宮本顕治氏がジイドの「ソヴェト旅行記」を読んだかどうか不明ですが、ソ連とスターリンへの盲信を表明する論文を宮本氏はいくつも書いています。

本ブログを何度か訪問して下さった方なら御存知ですね。ソ連居住経験のある宮本百合子は、宮本顕治のソ連盲信を「実体験」の知識を提供して支えたことでしょう。

今の日本でも、北朝鮮を盲信し金日成、金正日、金正恩を礼賛する在日本朝鮮人総連合会で専任職員として勤務している御夫婦はいらっしゃるでしょう。

宮本夫妻の生き方と在日本朝鮮人総連合会職員の御夫婦の生き方はよく似ています。

吉良よし子議員、池内さおり議員は、中国、北朝鮮による凄惨な人権抑圧を直視すべきだ


現在の日本共産党員の御夫婦は、中国や北朝鮮における凄惨な人権抑圧をどう考えているのでしょうか。

日本共産党員には、中国と北朝鮮の核軍拡が日本の平和と安全を脅かしていることについて思考と議論ができにくい。

日本共産党員の中では、ジイドのいう「順応主義」が蔓延しています。不破さん、志位さんの言うとおりにしていればよい、という調子です。

「順応主義」は、日本共産党職員の方の中で根強いようです。有事の際に自衛隊の出動を認めるか否か、中国の人権問題などで突出した発言をすると厄介ですから。

吉良よし子議員、池内さおり議員はジイドの「ソヴェト旅行記」や宮本百合子のジイド批判を御存知でしょうか。

早大文学部卒の吉良よし子議員は読書好きだそうですから、宮本百合子のソ連礼賛文を少しは読んでいることでしょう。

宮本百合子による「人間抑圧社会」礼賛文は、「民主主義文学」「プロレタリア文学」なのでしょうか。読書好きの吉良よし子議員にお尋ねしたいですね。

関貴星氏の「楽園の夢破れて」(亜紀書房より再刊)を、吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんには読んで頂きたい。

ソ連を礼賛した宮本夫妻の生き方を、「民主主義文学運動」に参加している作家の皆さんや吉良よし子議員、池内さおり議員は一切批判できないのでしょうか。

「民主主義文学運動」とは、日本共産党を盲信する人々を描く文学運動なのでしょうか。

不破哲三氏や金日成、金正日を盲信する共産党員や在日本朝鮮人総連合会の皆さんの内面をえぐりだしていく文学こそ、「民主主義文学」ではないでしょうか。




2016年9月18日日曜日

市川正一「日本共産党闘争小史」(大月書店昭和29年刊行。市川正一氏が昭和6年7月の公判での代表陳述にもとづいて編集)より思う。

労働者・農民大衆は資本家と地主の搾取、隷属、失業、飢餓、堕落から解放されるためには、また帝国主義戦争の悲惨からまぬかれるためには、日本共産党の指導のもとに大衆的な武装蜂起をもって公然と資本家・地主の国家権力と武力闘争をなし、労働者・農民のソヴェト権力を樹立しなければならぬことを知るにいたっている(同書p182より抜粋。市川正一氏の最終陳述の一部)。


市川正一氏(1892-1945)を日本共産党は「創立時の党員で、第二次大戦前の、わが党の誇るべき指導者のひとりです」(「赤旗」平成19年8月16日)と評価しています。

市川正一氏は16年間の監獄生活で徐々に衰弱し、昭和20年3月15日に宮城刑務所で亡くなりました。

日本共産党としては、市川氏は不当に投獄されたと言いたいのでしょうが、「武装蜂起」「武力闘争」により「ソヴェト権力」とやらの樹立を策した人物が投獄されるのは当たり前です。

市川氏ら共産党員を逮捕できる法律がなければ、共産党は「武装蜂起」「武力闘争」を断行して地主や企業経営者、あるいは政府の要人にとんでもない危害を加えてしまったかもしれません。

今こそ革命的情勢だ!などという思い込みで、人を殺めてしまったら被害者だけでなく、加害者にも不幸です。日本共産党は、特別高等警察に感謝すべきです。

治安維持法と特別高等警察が、戦前の日本共産党による「武装蜂起」「武力闘争」、すなわち地主や企業経営者、要人殺害などの蛮行を防いだのです。

「武装蜂起」「武力闘争」など、民主主義の根源的否定です。「戦前のわが党は、主権在民を掲げてたたかった」という現在の日本共産党の宣伝に騙されてはいけません。

武装蜂起に反対する人は、「プロレタリア赤軍」により「反革命」とレッテルを貼られて投獄、場合によっては処刑されるのでしょうから。

戦前の日本共産党は、コミンテルン(世界共産党)の一支部でした。コミンテルン(世界共産党)はソ連共産党の支配下にありました。

日本共産党員は、レーニン、スターリンとソ連を盲信していました。

日本共産党は、日本社会をソ連のようにするために「不屈の闘争」を、コミンテルンの援助を受けて行いました。「労働者、農民のソヴェト権力樹立」とは、日本のソビエト化です。

市川正一氏が「不屈の獄中闘争」をしていた頃、ソ連では「人間抑圧社会」化が進んだ


市川正一氏の投獄期間に、「労働者の祖国」ソ連ではスターリンによる専制支配が確立されました。

「富農が隠している穀物を徴発せよ」「富農一掃」はレーニン、スターリンによる重要指令です。

これをボリシェヴィキが数百万人規模で餓死者を出しつつも断行したからこそ、ソ連が「人間抑圧型の社会」になったのです。

これを獄中にいる市川正一氏が知ることは不可能だったでしょう。しかし、1921年から23年にロシアで大飢饉が存在したと、市川氏は明言しています(同書p79)。

大飢饉の存在自体は、適切な認識です。

市川氏は大飢饉を「反革命があれくるったため」と主張していますが、「反革命」とやらが荒れ狂うとなぜ農業生産高が激減するのでしょうか?

「反革命の荒れ狂い」とやらと農民の生産意欲、農産物の流通にはどういう関係があったのでしょうか?

当時の日本共産党員には、農作業の経験がある方がいたはずですが、その程度の疑問も持てなかったのは奇妙です。

レーニンが出した穀物徴発指令が内戦を勃発させた


ロシア革命後の「戦時共産主義」の時期にレーニンとボリシェヴィキ(後のソ連共産党)は農民から穀物を徹底的に取り上げました。

自分が食べる分や来年の種までも取り上げられるなら、農民は生きるために穀物を隠すか、ボリシェヴィキに抵抗するしかない。

レーニンはそういう農民に「富農」のレッテルを貼り、掃討を命じました。ロシア正教会も徹底的に弾圧されました。

ロシア革命で農民は土地を与えられたはずでした。しかし収穫物(農産物)を強制的に取り上げられるのなら、農民から見ればボリシェヴィキは地主より悪質です。

武装したボリシェヴィキに抵抗するためには自分たちも武装するしかない。内戦です。

内戦に勝利したレーニンとボリシェヴィキは、農民を懐柔するために、農産物の自由販売を一定程度認めました。これが新経済政策(NEP)です。

新経済政策により豊かになった農民は、数年後にスターリンにより「富農」のレッテルを貼られ、政治犯として囚人労働を強制されました。

「富農一掃」による農業集団化とは、豊かになった農民の大弾圧でした。特に、1932年から33年にかけて、ボリシェヴィキはウクライナを徹底攻撃したようです。

「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」は内戦の呼びかけ―日本共産党も「鉄砲政権党」だった


市川正一氏によれば、日本共産党こそ、中国革命の支持、帝国主義戦争反対のスローガンをかかげてそのために真にたたかっています。

「中国革命の支持」とは、毛沢東と中国共産党への服従表明です。このころの中国共産党は、中国の農村地域で「地主とのたたかい」と称し収奪と反対者の虐殺を断行していました。

獄中の市川正一氏がソ連や中国共産党による蛮行、残虐行為を知るのは困難だったでしょうが、盲信は知性ある人間のやることではない。

ソ連や中国の現実を調べるためには、ボリシェヴィキや中国共産党による宣伝文句をうのみにしてはいけません。

市川氏によれば日本共産党は「帝国主義戦争を内乱へ」「自国政府の敗北」というスローガンをもって、実際に自国ブルジョアジーの政権と闘争する唯一の存在だそうです。

日本とソ連は対立していました。日本共産党はソ連が日本に勝利するように「たたかう」政党だったのです。

「帝国主義戦争を内乱へ」はレーニン主義の中心命題と言っても良い。内戦を聖戦と盲信していた日本共産党員は、今の〇〇〇〇原理主義者の連中と大差ありません。

後に宮本顕治氏は、中国共産党を「鉄砲政権党」と呼びました。

昔の日本共産党は「帝国主義戦争を内乱に転化」させるため、武装蜂起を策していたのです。昔の日本共産党も「鉄砲政権党」でした。

宮本顕治氏自身、若い頃は武装闘争を正当化、合理化する論文「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」を昭和25年に雑誌「前衛」で発表しています。

宮本顕治氏御自身が、「鉄砲政権党」の「理論」を担当する大幹部だったのです。

この論文発表の少し後に、日本共産党は実際に武装闘争を始めました。朝鮮戦争に参戦した米軍の後方かく乱の「任務」を日本共産党はソ連・中国から与えられたのです。

戦前でも、日本共産党の影響力がもっと大きくなっていたら、ソ連は日本共産党に実際の武装蜂起を命令していたでしょう。

レーニン、スターリンを盲信し忠誠を誓っていた日本共産党員と、金日成、金正日を盲信し忠誠を誓う在日本朝鮮人総連合会


市川正一氏はコミンテルン(世界共産党)が作成した「綱領」「理論」に依拠して公判で「天皇制打倒」「資本家的・地主的搾取私有財産制度の打破」等と主張しました。

武装蜂起、武力闘争に反対、抵抗する労働者や農民が圧倒的多数であることを、市川正一氏は全く想像できなかったのでしょうか。

レーニン、スターリンを盲信すると、内戦、テロが聖戦に思えてしまうのです。当時も今も、日本共産党員には「革命」についての実証的な思考ができない。

「労働者・農民のソヴェト権力の樹立」を日本共産党員が労働者や農民に呼びかけても、全く相手にされなかった。ソヴェト権力など、一体全体どんな組織なのかわかりようもない。

地主に反感を持っている農民は少なくなかったでしょうが、武装して地主や企業経営者から財産を取り上げ、抵抗すれば殺すような野蛮行為に手を貸すほど日本の農民や労働者は愚かではなかった。

市川正一氏には、公判で自分の主張を大宣伝する機会を与えられたのです。この点だけでも、昔の日本は旧ソ連、現在の中国や北朝鮮よりずっと民主的です。

「反党反革命宗派分子」張成澤が「裁判」で国家安全保衛部に反論することができたのでしょうか。張成澤に弁護人はついていたのでしょうか。何もわかっていません。

吉良よし子議員、池内さおり議員は「武装蜂起」を「革命運動」「民主的変革」と認識しているのか


在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、金日成、金正日そして金正恩を盲信し、忠誠を誓っています。

同様に、市川正一氏、宮本顕治氏ら昔の日本共産党員はレーニン、スターリンを盲信し忠誠を誓っていました。

世界共産党(コミンテルン)から与えられた綱領を市川氏らは「実践」すべく武装蜂起を策していたのです。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんも、金日成の「教示」、金正日の「お言葉」を盲信しています。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんには、武装蜂起など愚行そのものであることが理解できないのでしょうか。

大韓航空機爆破や日本人、韓国人拉致は、「南朝鮮革命」に貢献しているのでしょうか。これらは金正日の指令により北朝鮮工作員が行いました。

吉良よし子議員、池内さおり議員は、武装蜂起を「革命運動」「民主的変革」と認識しているのでしょうか。労働者・農民ソヴェトとやらを武装して樹立すると「民主的変革」ですか。

「鉄砲政権党」という表現を、吉良よし子議員や池内さおり議員は御存知ないかもしれません。

殺人やテロは「民主的」ですか。暴力団は民主主義を広める団体なのでしょうか。