2019年8月15日木曜日

宮本顕治氏の「敵の出方論」は今でも日本共産党の決定、方針―「革命の平和的移行唯一論は、社会民主主義的見地への完全な転落である」(第八回大会特集p138より抜粋)-

「闘争の経過はわれわれの意図だけにかかるものではなくて、敵の出方による、と正しい立場に一貫して立っている」


「わが党は国際共産主義運動の一致した命題にもとづいて、人民の側の意向だけでこの問題を決定することはできないという、階級闘争の弁証法を知っている」(八回大会決定特集p138-139より抜粋)。


最近の日本共産党員は、宮本顕治氏の「日本革命の展望」を読んでいません。

日本共産党が八回大会で日本革命の最終的な形態は敵の出方により決まる、という「敵の出方論」を採択したことを、若い共産党員は知らないようです。

日本共産党仙台東地区委員会の方も、ツイッターを拝見する限り「敵の出方論」を御存知なかったようです。

日本共産党職員の方々は連日、お忙しいでしょうけれど基本的な文献をきちんと読むべきですね。

日本革命を志す革命家が、日本革命の展望を語らなくて革命ができますか。

「敵の出方論」は、昭和36年当時の国際共産主義運動の常識でした。

宮本顕治氏は八回大会で「モスクワ宣言」が「敵の出方論」の見地に立っていることをあげて自らの正当性の根拠にしていました。

上記のこの問題とは、日本革命の形態が平和的になるか、武装闘争と暴力革命になるか、という事です。

革命の平和的移行唯一論を唱えた春日庄次郎氏は社会民主主義的見地に完全に転落した、と宮本顕治氏は強く批判しています。

宮本顕治氏の中央委員会報告は大会代議員により採択されました。

第八回大会決定を否定する決定は存在しませんから、「敵の出方論」は今でも日本共産党の方針です。

不破哲三氏がどこかの論文で、「敵の出方論」は不法な手段で政権を転覆しようという人が出てきたら警察が逮捕するという方針だ、というような主張をしていました。

これなら、今の安倍内閣も「敵の出方論」を採用していることになります。

「敵の出方論」は日本革命の最終的な形態はどうなるか、という話ですから、日本革命など一切考えていない日本共産党以外の政党が採用しているはずがない。

今の不破氏は、「敵の出方論」が全くの出鱈目だったとわかっているのでしょう。それを隠蔽するために、「敵の出方論」を日本革命論と無縁の理論と宣伝しているのです。

不破哲三氏は、日本共産党やロシア革命とその後の内戦期のソ連史を都合の良いように修正して宣伝する術に長けた方です。

今の日本共産党は社会民主主義に転落したのか―春日庄次郎氏の米国分析は今の日本共産党の路線と同じ


今の日本共産党員は日本革命には平和的移行以外の道はない、と考えている事でしょう。

第八回大会の見地では今の日本共産党員は社会民主主義に完全に転落しています。

本ブログでは何度か主張していますが、現在の日本共産党の路線は春日庄次郎氏あるいは江田三郎氏(社会党)が唱えた「構造改革論」に近い。

昔の大阪の日本共産党幹部で、山田六左衛門という方がいました。この方は「構造改革論」者だったようです。

宮本顕治氏によれば、春日庄次郎氏は民主的な政府が要求すれば、米帝国主義は安保条約の破棄を拒めないと主張しました。

春日庄次郎氏は、人民の政府ができれば適法的に基地、駐留軍、沖縄の返還を要求でき、米国はこれを拒めないと主張しました(八回大会特集p138より抜粋)。

宮本顕治氏によればこれこそ、米帝国主義の侵略性の過少評価です。

春日庄次郎氏の主張は、今の日本共産党の綱領と同じと思えてなりません。

八回大会時の日本共産党員から見れば、今の日本共産党は社会民主主義に転落しています。

志位和夫氏は米帝国主義の侵略性を過小評価していることになります。

日本共産党員が、「野党と市民の共闘」を真剣に考えるのなら、「構造改革論」を再評価するべきではないでしょうか。

それにしても社会民主主主義に転落、とはいかにも宮本顕治氏らしい表現です。

この時でも宮本顕治氏は、スターリンの「社会民主主義者は社会ファシストだ」論を信奉していたのかもしれませんね。


2019年8月14日水曜日

昔の日本共産党は日韓会談粉砕論を党大会で採択していた―日本共産党第九回大会(昭和39年11月24-30日)決定より―

「日韓会談を朝鮮人民とかたく連帯して粉砕する闘争はとくに重視しなければいけない」(第九回大会での宮本顕治書記長の中央委員会報告より。第九回大会決定特集、p40)。


昔の日本共産党は、大韓民国の存在を否定していました。

日韓会談の頃の韓国政府を朴正熙一味、などと日本共産党と左翼人は誹謗していたのです。

日本は朴正熙一味と会談など断じてしてはならない、金日成と朝鮮労働党によって朝鮮半島は統一されるべきだと昔の日本共産党は宣伝していました。

今の日本共産党は、日韓条約と日韓請求権協定が存在しても個人としての請求権が残っているから、日本政府は韓国の元徴用工と話し合って誠実に対応せよと主張しています。

従って今の日本共産党は日韓条約の存在を認めています。

第九回大会の翌年に日韓条約は締結されましたが、その翌年の日朝両党声明で日朝両党は日韓条約は不法、無効と主張しています。

日韓条約は不法で無効なら、条約や請求権協定に何がどう書いてあろうと日本と韓国双方は相手側に対し請求権を持っている事になります。

日韓条約など粉砕してしまえ!など、今の私たちからすれば極端な嫌韓論者の主張です。これは、韓国と断交せよ論と変わらない。

日本共産党は元祖嫌韓論者と言えます。

日韓条約粉砕論は昭和39年の党大会で決定されたのですから、七十代中頃の日本共産党員なら、懐かしく思い出すはずです。

元祖嫌韓論者だという認識が広まると、日本共産党の支持が減るのか増えるのか、私にはわかりません。

「わが党の当面の要求」-日韓会談を阻止し東北アジア軍事同盟を阻止する


第九回大会の「わが党の当面の要求」には次の記述があります(第九回大会決定特集、p116より抜粋)。

「アメリカ帝国主義の侵略政策への日本政府の協力に反対し、日韓会談を粉砕し、東北アジア軍事同盟の成立を阻止する」。

昔の日本共産党は、日韓条約により日本が韓国と軍事同盟を形成すると信じていたのです。

昔の日本共産党の宣伝「朴正熙一味」は今の韓国左翼が最も訴えたい事の一つです。

朴正熙一味が締結した条約など、今の韓国政府には守る義務はない、と韓国左翼は信じている。

日本は今の韓国政府と何をどう約束しても破棄されるとみるべきでしょう。韓国の朝鮮労働党化が徐々に進んでいます。

日本共産党員は日韓会談粉砕論を国民の中に普及すべきだ―大会決定だからー


上記のように日本共産党は日韓会談粉砕論を第九回大会で正式に採択しました。

第九回大会決定を否定する大会決定や中央委員会総会決定は存在しませんから、この見解は今日でも日本共産党の方針として残っています。

日本共産党の組織原則は民主主義的中央集権制度です。この原則に基づき、全党員は大会決定を国民の中に普及する義務があります。

五十数年前の大会決定でも、日本共産党員たるもの、国民の中に普及せねばなりません。

日本共産党員の皆さんには、在日本朝鮮人総連合会の皆さんと協力して、日韓会談を粉砕する運動を行って頂きたいですね。

日韓会談粉砕、なら在日本朝鮮人総連合会より、嫌韓言論活動を街頭で行っている方々と連帯・協力することになるのかもしれませんが。

日韓条約破棄も同様です。嫌韓言論活動を街頭で行っている方々と日本共産党の第九回大会決定には、重要な一致点があるのです。

ところで、日本や米国は今の韓国政府に軍事機密を少しでも渡せば、早晩朝鮮労働党に渡るとみるべきです。

朝鮮労働党から、何らかの条件で機密は中国共産党に流布していくでしょう。

日本や韓国が購入する米国製戦闘機の設計など、中国共産党は喉から手がでるくらいほしい。

東北アジア軍事同盟、は北朝鮮と韓国の反日軍事同盟として成立する可能性があることを指摘しておきたい。

そう考えると、今の韓国政府との会談など日本にとって何の利益もない。

日韓会談粉砕、とまで私は言いませんが。

韓国政府はこれからもますます、対日対決姿勢を強化していくでしょうね。

関貴星さんの「楽園の夢破れて』(亜紀書房より再刊)を、心ある日本の左翼人士には読んで頂きたいものです。




2019年8月13日火曜日

日本共産党と左翼知識人は昔、日「韓」会談粉砕、日韓条約破棄を叫んだ―畑田重夫・川越敬三著「朝鮮問題と日本」(新日本新書、昭和43年刊行)より

「『日韓条約』そのものが、アメリカ帝国主義のアジア侵略体制の一環であり、わたしたち日本人民が日米『安保』条約破棄のたたかいを一つ一つ具体的にすすめているのと同じ意味で、日朝両国人民は、『日韓条約』の具体化の一つ一つと着実にたたかわなければなりません」


「わたしたち日本人民が朝鮮人民の『日韓条約』破棄のたたかいを無条件に支持すべきことはもちろん、...」(同書p180-181より抜粋)。


昭和40年6月に日韓条約が締結されました。東京オリンピックの翌年です。

この本によれば、『日韓条約』本調印強行の6月22日夜、東京日比谷の野外音楽堂でひらかれた「日韓会談本調印抗議・ベトナム侵略反対緊急中央集会」に18000人が集まり、新しい段階での「日韓会談」粉砕の決意を表明しました。

最近の日本共産党、左翼人士は日韓条約、日韓請求権協定でも徴用工の個人としての請求権は残っているのだから日本政府は韓国側と誠実に話し合うべきだ、といった主張と宣伝をしています。

しかし日本共産党と同党を支援する左翼知識人、運動家は元来、上記のように日韓条約破棄を主張してきたのです。

日韓条約は不法・無効なものだから粉砕されなければならない(昭和41年3月の日朝両党声明より)


昭和41年3月の日朝両党声明には、佐藤内閣と南朝鮮の朴正熙一味との間に結ばれた「日韓条約」は不法・無効のものであり、粉砕されなければならないと強く主張する、と明記されています。

日韓会談、日韓条約粉砕。これこそ日本共産党と同党を支持する左翼知識人、運動家の共通の目標でした。

日韓条約締結の頃の日本共産党と左翼知識人、運動家にとって日韓条約と請求権協定にどんな記述があろうとそれは全て不法、無効だから粉砕されねばならないものだったのです。

この条約が不法、無効ですから、条約に基づく請求権協定は勿論不法、無効だ、という結論が、一昔前の日本共産党と左翼人の主張でした。

畑田重夫・川越敬三両氏によれば日韓条約の本質は、米帝国主義のさしずのもとに佐藤内閣と朴正熙一味が結んだ侵略と戦争のための条約です(同書p172)。

日韓条約粉砕運動が盛んに行われたのは昭和40年頃ですから、54年くらい前です。

現在、七十代後半以上の日本共産党員なら、日韓条約粉砕とベトナム戦争反対に青春を捧げた、と言える方がいくらでもいるのではないでしょうか。

東京近辺在住の七十代後半の日本共産党員なら、上記の日比谷野外音楽堂での大集会に参加された方がいるはずです。

もう少し下の「団塊の世代」の日本共産党員には、民青同盟員だった時に日韓条約粉砕、ベトナム戦争反対の運動に参加された方が多いのではないでしょうか。

「戦争を知らない子供たち」というフォークソングを歌った世代の方々です。宮原たけしさん(日本共産党元大阪府議)はこの世代かな。

志位和夫氏は日韓条約破棄を望んでいるのか―大韓民国の存在を否定した日本共産党は元祖嫌韓論者


日本共産党指導部により日韓条約粉砕、破棄論が部分的に修正されるのは、昭和63年のソウルオリンピックの頃です。

「朝鮮問題についての日本共産党常任幹部会の見解」がこの年の9月に出されています。

大韓民国の存在を日本共産党として認めるが、南朝鮮と呼ぶ、という内容だったと記憶しています。日韓条約粉砕、破棄論を反省した記述はありません。

志位和夫氏ら今の日本共産党最高幹部の内心は日韓条約破棄論なのかもしれません。

志位氏が強調するように個人としての請求権が残っているのなら、韓国に財産を残してきた日本人の請求権も残っている事になります。

自分の家を不法に取り上げた韓国人、韓国企業を特定化して日本の裁判所に訴え、朝鮮半島に残してきた財産を取り返せ、という日本人が多数出てきたらどうなるでしょうか。

両国の人民が請求権を要求しあい、泥仕合を始めたらそのうち、日韓条約そのものを破棄してしまえ、という話になりえる。

金正恩と朝鮮労働党はこれを大歓迎するでしょう。ひょっとしたら日本共産党最高幹部も、これを読み込んでいるのではないでしょうか。

日韓条約破棄により在日韓国人の日本定住権はなくなる。日本から出ていけ、ではありませんが普通の外国人と同じ扱いになります。

昭和41年3月の日朝両党声明が示す方針を、今の日本共産党最高幹部は実行しているのだと考えると、わかりやすい。

日本共産党最高幹部は、元祖嫌韓論者の流れにある方々です。

日本共産党と朝鮮労働党の関係を考察する際、日朝両党声明は貴重な文献です。両党の共通の見解がそれに記されているのですから。

日朝両党声明を無視して日本共産党、日韓の左翼運動史を語る左翼知識人は共産主義運動史の研究では共産党の文献研究が大事だ、という基本的な知識を欠いている方々です。



金日成の還暦祝いに、朝鮮大学校の学生200人が贈り物として北朝鮮に送られた(昭和47年4月)(ヤン・ヨンヒ「兄 かぞくの国」(小学館文庫)より思う

「総連は金炳植第一副議長の号令のもと、さかんに北への贈り物を行った。その『六十周年記念プレゼント』のメインが、『人間プレゼント』だった。


朝鮮大学校の学生200人を、『社会主義建設の先鋒隊』として主席へプレゼントするというプロジェクトだった」(同書p48-49)。


金日成の還暦祝いとは昭和47年4月ですから、47年前になります。

朝鮮大学校の学生200人が金日成への贈り物として送られたことは、在日本朝鮮人総連合会の運動に長年参加している方なら百も承知です。

ヤン・ヨンヒ監督の長兄、コノ兄さんもこのとき北朝鮮に送られました。

金日成の還暦祝い贈り物騒ぎを指導したのが、当時の在日本朝鮮人総連合会内部の実力者だった金炳植第一副議長でした。

この方の配下に、渡辺秀子さん殺害疑惑の組織がありました。

金炳植第一副議長は他に、自分の私兵ともいうべき「ふくろう部隊」と呼ばれた組織を持っていました。

「ふくろう部隊」に私的リンチのような事をされた方は、在日本朝鮮人総連合会では少なくない。

在日本朝鮮人総連合会の方針に、少しでも批判めいたことを言うと金柄植の一派の方に集中攻撃された、という話をよく聞きます。

金日成の還暦祝いとして、在日本朝鮮人総連合会は邸宅や首相執務室の調度・装飾品一式を贈呈


金炳植第一副議長が金日成の還暦祝いとして何をやったか、については「金炳植事件―その真相と背景」(統一朝鮮新聞特集班刊行。昭和48年)が詳しい。

この本のp100の記述を抜粋して紹介しておきます。

「『総連』中央は、中央としてフィルム製造やオフセット印刷等3つの工場設備に技術者をつけておくったが、その費用が約20億円。

大阪が、金日成首相の邸宅の家具調度・装飾一式でその負担金一億五千万円。

兵庫が、内閣の首相執務室の調度・装飾一式で一億三千万円。

東京が、同じく『労働党』総秘書事務室の調度・装飾一式でこれまた一億三千万円」。

贈り物総額は50億円以上、と同署は指摘しています。年配の朝鮮商工人なら、巨額の資金提供を在日本朝鮮人総連合会幹部に強いられた思い出があるはずです。

この資金提供を拒否したら、北朝鮮に帰国した親族(帰国者)の処遇がどうなるかわからないぞ、という脅かし文句が頻繁に使われたことでしょう。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんが、金日成民族の一員として絶対性、無条件性の忠誠心を抱いている事がよくわかります。

朝鮮学校で金日成民族教育を受けると、首領金正恩の何かの祝いに全力で巨額の資金と物資を献上する事が当然と思うようになるのでしょう。

歴史は繰り返す、と言います。

朝鮮大学校や朝鮮学校で学ぶ学生、生徒の皆さんが何かの理由で北朝鮮に贈り物として送られてしまう可能性を、私は指摘しておきたい。

ところで、印刷会社に勤めていて行方不明になっている方がいます。

その方が朝鮮労働党の在日本非公然組織により、金正日への贈り物にされてしまった事などありえない、と誰が言えるでしょうか。

新日本婦人の会の皆さんは、朝鮮大学校の学生200人が金日成の還暦祝いの贈り物にされてしまったことについて、どうお考えなのでしょうか。

新日本婦人の会の活動に長く参加されてきた方なら、昭和30年まで在日の共産主義者が日本共産党員だったことを御存知のはずです。

朝鮮学校への補助金増額を県議会で主張した山奈々子神奈川県議(日本共産党)は、朝鮮大学校の学生200人が金日成の還暦祝いの贈り物にされた事を御存じなのでしょうか。


2019年8月11日日曜日

上田耕一郎氏の「マルクス主義と平和運動」(昭和40年大月書店刊行)は科学的社会主義の政治学(革命理論、平和理論)の基本文献

「社会主義の手にある核兵器はただ侵略戦争の防止、社会主義と民主主義防衛のための平和の武器である」(同書p56)。


「社会主義の平和の法則の内部においては、核兵器は社会主義の戦争抑止力と防衛力の強化を生み出し、世界戦争の宿命的な不可避性をとりのぞく過程を促進する」(同書p58)。


科学的社会主義の政治学では、ソ連や中国の核兵器をこのように把握します。

ソ連、中国の核兵器により戦争が抑止されるという結論ですから、核抑止論ともいえる。

勿論上田氏は、レーニンの帝国主義論に基づき、帝国主義、金融資本が侵略戦争を起こすと主張しています。

米帝国主義が起こす核戦争を、社会主義中ソの核兵器が抑止するという筋道です。

ざっと見たかぎりこの本には、憲法九条が国際政治で何かの力を発揮する、といった話はなさそうです。

この本は文化大革命より前に出版されています。

当時の日本共産党としては、現代修正主義者フルシチョフを批判する中国共産党こそ真の共産主義者の党でした。

社会主義ソ連と中国の核兵器が核戦争を抑止するのなら、日本の平和運動は中国の核実験を支持せねばならないはずです。

宮本顕治氏は日本共産党第九回大会で中国核実験支持を表明した


宮本顕治氏は日本共産党第九回大会(昭和39年11月)の中央委員会報告で、中国の核実験がアメリカの核脅迫から中国人民とアジアの平和をまもるための防衛力強化をめざしやむなくとられた措置である、と支持しています(9回大会決定p29)。

上田耕一郎氏によれば、ソ連が最初に核実験に成功したとき、すべての平和活動家が世界戦争防止の事業の成功に新しい確信を抱きました(同書p56)。

ソ連による最初の核実験は、昭和24年8月です。

これは事実だったのでしょうか。広島、長崎の四年後です。それでも被爆者の方々はソ連の核実験を喜んだのでしょうか。

この本についてどうお考えか、被爆者の方や原水爆禁止世界大会に参加する運動家にお尋ねしたいですね。

吉良よし子議員、山添拓議員は、上田耕一郎氏のこの本を御存知なのでしょうか。

上田耕一郎氏はソ連が強大な社会主義国であると評価していた


上田耕一郎氏がお亡くなりになって十一年くらいになります。

早大の学生だった頃の私は、上田氏の著書「現代日本の社会主義への道」を熱心に読みました。

三十八年くらい前の話です。松田聖子がデビューした頃です。

私が言うのも奇妙ですが、科学的社会主義の政治学(革命理論、平和理論)、経済学(剰余価値論、帝国主義論)をわかりやすく解説した良い本と思います。

勿論、科学的社会主義の理論そのものが宗教の一種だ、という見地がより適切でしょうけれど。

上田氏は、マルクス、エンゲルス、レーニンだけでなく関連文献もかなり読んでいました。

「現代日本の社会主義への道」には、グラムシの革命理論(発達した資本主義国の革命は陣地戦)や、米国経済学者Paul Sweezyの世界経済論なども紹介されていました。

科学的社会主義の理論家としてはかなりの方だったと思います。科学的社会主義の政治学で、ソ連をみると次の結論も導かれるのですが。

「たとえブルジョア的要素が残り、あるいは部分的に復活しつつあるとしても、ソ連は依然として強大な社会主義国であり、レーニン、スターリンの正しい指導のもとに、社会主義のためにたたかいぬいてきたソ連の労働者階級と勤労人民の国家であるからである」(同書p87)。

今の日本共産党員からすれば、上田氏のこの結論は愚の骨頂かもしれません。

しかしこの本は、当時の日本共産党の理論、あるいは日本のマルクス主義政治学の歴史の中では重要文献です。

上田耕一郎氏は在日本朝鮮人総連合会による金日成への巨額献金を指摘していた


読書家だった上田氏は、北朝鮮の実状について貴重な文献から重要な事実を紹介しています。

「北朝鮮 覇権主義への反撃」(赤旗編集局編、p64)で上田氏は、昭和47年4月の、在日本朝鮮人総連合会による金日成の還暦祝い騒ぎについて記しています。

「金炳植事件―その真相と背景」(統一朝鮮新聞特集班、昭和48年刊行)の「金日成首相還暦贈り物贈呈で日本在留「総連」系同胞から捻出された金品は総額50億円以上とみられる」という記述を、上田氏は紹介しています。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんが金日成の還暦祝いの時、資金と物資だけでなく人間まで金日成に献上したことが、今日では知られています。

当時の朝鮮大学校の学生約200人が還暦祝いの贈り物として、金日成に献上されました。今から47年前の事ですから、朝大生たちは60代後半です。

朝鮮学校では、金日成の還暦祝いとして献上された先輩たちの事をどう教えているのでしょうか。

朝鮮学校への補助金増額を主張する大山奈々子県議(日本共産党)は恐らく、この件を御存知ないでしょう。

この時期、日本共産党と朝鮮労働党は良好な関係を維持していましたから上田氏は金炳植副議長と何度も会っていました。

上田氏は金炳植氏の言動に怪しいものを感じたのでしょう。さすがに日本人拉致、殺害までは思いつかなかったでしょうけれど。

金炳植氏の配下の秘密組織が、渡辺秀子さん殺害疑惑の組織です。金炳植氏の配下には、「ふくろう部隊」と呼ばれた組織もありました。

この部隊により、強烈な批判を受けた在日朝鮮人は少なくない。

宮原たけしさん(日本共産党元大阪府議)は上田氏のこの本を御存知だそうです。松竹伸幸さん(超左翼おじさん。日本共産党元中央幹部)もきっとご存知でしょう。

石川康宏教授が上田氏のこの本を知らないとは考えられません。

上田氏の「マルクス主義と平和運動」について、皆さんがどうお考えか、お尋ねしたいものですね。

若い日本共産党員が日本革命を志すなら、日本共産党の昔からの文献を自分なりに読んで、今日の路線との違いはなぜか、を自分なりに考えるべきではないでしょうか。




2019年8月8日木曜日

内橋克人「ドキュメント恐慌」(現代教養文庫、平成4年刊行)より思う―昭和恐慌(昭和4~6年頃)と性産業、「身代金」・「玉代」

当時、吉原にはおよそ3500人の抱え娼婦がいたという。身代金は若い娘で300円から7000円まであった、と稲垣さん(内橋氏が取材当時70歳だった元巡査)は記憶している(前掲著p25より)。


身代金とは、若い娘が吉原で働き始める際、親が雇用者から受け取る前金の事でしょう。この制度は今は違法ですが、性産業では残っているかもしれません。

だいぶ前のテレビ番組「ナニワ金融道」(主演はスマップの中居君。青木雄二原作)では、篠原涼子が夫の借金を返すために性産業で働き、前金を得る若妻の役を演じていました。

日本共産党、立憲民主党、左翼運動家の皆さんは慰安婦だった方々に、日本政府が謝罪と償いをせねばならないと主張します。

どういうわけか左翼人は、日本政府による謝罪と償いの対象者を朝鮮半島出身者と外国の方に限定しています。

私はこれに断固反対です。慰安婦には、本土出身者が多かったと考えられます。

性産業、性的労働に従事する人々は古今東西存在します。

性的労働の現場は過酷ですが、顧客を日本軍人としていた方だけを特別視する理由はない。今も昔も、性的労働の実態は大差ない。

顧客を日本軍人としていた方々は繁忙時の客数が実に多かったという可能性はありますが、港町に大きな船が入港してきたら性産業は繁盛しえます。

その際の性的労働サービス従事者一人当たりの客数と労働強度は、昔と比較してどうなのでしょうか。

左翼人士は性産業の実態を調べて自説を展開すべきです。

慰安婦は昭和恐慌の頃、増えていった


私見では慰安婦の数は、満州事変以後増えていきました。

満州事変より前でも、日本軍人を相手に性的労働に従事する方はいたでしょうが、慰安所と呼ばれた場所で性的労働に従事していたわけではないでしょう。

勿論これは場所の違いでしかありません。

顧客が民間人か軍人かで性的労働従事者が提供する労働に差があるとは思えない。満州事変の頃の日本は、昭和恐慌の最中です。

昭和恐慌の影響で、民間人を相手にする性的労働に従事したが、経営者の命令で軍人相手の労働をするため、外国に行った方はいくらでもいたのではないでしょうか。

吉原の本部屋の料金は五円、私娼窟に売られてくる農村出身の女の子は一人十七円で十年、二十年の女郎生活


内橋克人氏の徹底したインタビューは、時代の雰囲気を実感させます。もう少し引用しておきましょう。

「その借金を返すため、女たちは身を売るのだが、玉代は一人一部屋の本部屋と仕切りだけの割部屋があって、本部屋五円、割部屋で一円から一円五十銭が相場だった。

タテマエでは玉代の六割を置屋がとり、四割が女たちの取り分ということになっていたけれど、実態はとてもとても...。どんどん借金がふくらむ仕組みになっていたのだ」。

本部屋五円、身代金が三百円といっても今でいえばいくらいになるのか、わかりません。この本のp48に、米一俵(60キロ)が七円から八円で当時は買えたと出ています。

米10キロが5000円から6000円とすると、60キロなら3万円から36000円。粗っぽい計算ですが、昭和恐慌の頃の価格は今の1/5000くらいと考えてみましょう。

そのように想定すると、吉原の本部屋の料金は2万5千円。身代金は150万円から3500万円になります。

昭和恐慌の頃、食肉用の馬は一頭二十円が相場でした。同じころ私娼窟に売られてくる農村出身の娘たちは、尋常小学校をでたばかりの女の子で一人十七円でした(同書p124)。

十七円で売られた女の子は、その後十年、二十年働かねばならないそうです。

五年の年季奉公の男の子の場合、親は三百円受け取った


性産業ではありませんが、昭和二年に新潟県から墨田区の食肉卸業兼小売業に小僧として、十五歳のときに五年の契約で売られた方がいました(同書p84)。

年季奉公という制度が、当時はあったのです。

渡瀬保さん(内橋氏が取材時に63歳)です。取材は恐らく、昭和52年より前ですから、明治末から大正初期生まれの方です。

親が受け取った額は三百円だったそうです。お父さんがもらった三百円(黒坂試算なら今の百五十万円)を、渡瀬さんは今でもはっきり覚えていたと内橋氏は記しています。

昔の農家の次男、三男は農地を相続できません。長男以外の男の子を年季奉公に出すのは変なことではない。

長男ではない農家の男子が、故郷を離れ炭鉱や港湾での過酷な労働に従事して生計の糧を得る場合は多かったと考えられます。

仕事は過酷ですが、稼げば家族を持てますから。故郷で農作業をしているだけでは、先がない。

朝鮮半島の場合、小作人は地主に収穫物の五割程度を納めねばなりませんでした。

私見では、小作人の家庭に生まれた女の子が、女衒のような人の紹介で私娼から慰安婦になる例が多かったのではと思えてなりません。






2019年8月4日日曜日

故上田耕一郎氏の論考「『大衆社会』理論とマルクス主義」(不破哲三氏との共著「マルクス主義と現代イデオロギー」所収。昭和38年大月書店刊行)より思う―上田・不破両氏は51年綱領が正規の綱領と認めていたー

「だがあのような重要な誤謬、朝鮮戦争下に共産党の新綱領が掲げた独立と平和と民主主義の旗の画期的な意義にもかかわらず、. . . 」(同書p51より抜粋)。


昭和38年に出版されたこの本で上田耕一郎氏は、「51年綱領」が独立と平和と民主主義を掲げたという点で画期的な意義があったと認めています。

今の日本共産党は、51年綱領は日本共産党の正規の綱領ではないと主張していますが、当時の日本共産党員は殆ど皆、51年綱領が正規の綱領だったとみなしていました。

この論文は「講座『現代マルクス主義』Ⅰ『マルクス主義と現代』所収、昭和33年5月刊)と出ています。

この本は不破氏との共著です。当時の不破氏も、51年綱領が正規の綱領とみなしていたのです。

上田耕一郎氏らが51年綱領の「独立と平和と民主主義を掲げたという画期的な意義」を認めていた史実を、たつみコータローさんら若い共産党員は知らない事でしょう。

昭和25、26年当時の日本共産党員の圧倒的多数が、暴力革命、武装闘争を日本共産党の正規の方針として認めたからこそ、「極左冒険主義」の方針を全面実践したのです。

極左冒険主義とは何か―過激派の理論と運動―


上田氏によれば、昭和25年から昭和28年にいたる極左冒険主義の理論的原因は次の二つです。

第一に日本を植民地・従属型の国であると誤認し、アメリカ帝国主義に従属はしていても高度に発達した独占資本主義国であるという事実を過小評価しました。

第二に植民地・従属国の解放の道として国際的に示されていた劉少奇の武力解放コースを無批判的に適用しました。

極左冒険主義とは、日本の支配権力と支配的秩序を合法的な大衆闘争によらず、将来直接的行動によって粉砕するために、即時最初の行動を開始しようという理論と闘争です。

今の視点で見れば、昔の日本共産党はソ連、中国を盲信する過激派集団だったのです。劉少奇の「理論」をそのまま信じて「実践」してしまったのですから。

今の日本共産党は、極左冒険主義を実行したのは分派で自分たちとは関係ない、と総括しています。

従ってこの本で上田氏が問いかけている、35名の代議士数がなぜ一挙にゼロにまで凋落してしまったのかという疑問を検討する必要すら、今の日本共産党員には感じられない。

分派が国会での議席を減らしただけだ、という結論になってしまうのです。

諸先輩が苦闘しつつ歩んできた道を素直に振り返り、失敗の原因を分析する事が、今の日本共産党員にはできない。

昔の上田耕一郎氏は「なぜ議席をゼロにしてしまったのだろうか」という苦悩の中、政治学者や当時の革命家の文献を読み込んで教訓をくみ取ろうとしていました。

失敗の原因を数々の文献を読んで検討する、という知的誠実さが、若き上田・不破氏にはあったのでしょう。

分派が議席を減らしただけさ、という「総括」をしていた日本共産党員は当時いなかったように私には思えてなりません。

若き不破哲三氏はソ連が「世界革命の展開の基地」(スターリン)であると主張した


この本には、不破哲三氏の論文「現代トロツキズム批判」も掲載されています。

不破氏によれば、帝国主義の時代には社会主義は世界史的な規模で同時に勝利することはできません(同書p217)。

はじめに一か国ないし数か国で勝利し、二つの体制の闘争の中で、さらに一連の新しい国々が帝国主義から離脱するという過程をとおって、世界的な規模で社会主義の勝利に到達します。

そのなかでは、初めに勝利した社会主義国家の存立をまもりぬき、社会主義を建設し、そのあらゆる力量を強化することは、「世界革命の展開の基地」(スターリン)を守る事です。

ソ連を守る事は、世界革命を推進するためのもっとも重要な課題です。

今の若い日本共産党員は、日本共産党が一貫してソ連覇権主義とたたかってきたと盲信しています。

昔不破氏がスターリンの理論を盲信し、ソ連は世界革命展開の基地だなどと宣伝していたと言われても大嘘だと思うのではないでしょうか。

若き不破哲三氏は大真面目に、社会主義ソ連を守ることは世界革命推進のための最も重要な課題と明言しています。

この論文は、昭和34年6月の「前衛」に掲載されています。

はじめに勝利した社会主義ソ連が社会主義から離脱するという過程をとおって、世界史的な規模で帝国主義の勝利に到達した、という史実を不破氏はどうしても認められないのではないでしょうか。

若い頃執筆した論文と、その後の歴史は真逆になったことを今の不破氏は認められないのではないでしょうか。

今の不破哲三氏は中国共産党が中国社会における科学的社会主義の党、中国社会の変革の担い手であると認め、中国共産党との科学的社会主義の理論交流を重視しています。

不破氏にとっては、今の中国が「世界革命の展開の基地」に見えているのでは、と私には思えてなりません。

宮原たけしさん(日本共産党元大阪府議)なら、京都大学の学生だった頃に上田・不破著「マルクス主義と現代イデオロギー」を線を引いて読んだのではないでしょうか。

今の日本共産党員は、知的誠実さを著しく欠いていると思えてなりません。